「借りは返す」





「いいの!借りは借りよ!いつか必ず返すわ。」

「いいって、そんなの。僕は貸しを作るつもりでやったワケじゃないよ。」

「うっさいわね!あたしが借りと言ったら借りなの!」

「なんだかなぁ・・・。」

シンジの数メートル先の通学路を歩くアスカ。昨日の大雨で出来た水たまりをピョンピョンと飛び越えながらも、しかめっ面は崩さない。

まったく、借りを作ったままじゃ気持ち悪いじゃないのよっ!

先日、浅間山火口で使徒に循環パイプを切断されたアスカの弐号機を、シンジの初号機が危機一髪、救出したのだ。

「それに・・・、あんたはすぐに・・・。」

腕を組んでぶつぶつと呟いていると、車が一台、アスカの隣りの水たまりの上を通り過ぎていった。

ブロロロロロロ、バシャッ

「あーーーーーーーーーっ!」

見事に泥水をスカートにかけられてしまって、ぺたんと座り込むアスカに、シンジが駆け寄って来る。

「だ、大丈夫!?」

「ひっどぉーーい!スカートが汚れたーー!」

「ほら、拭いてあげるよ。」

「イヤっ!」

「な!?」

持っていたハンカチでスカートの泥水を拭いてあげようとすると、アスカがバッと汚れた部分を覆い隠してしまう。

「あんたにこれ以上、借りを作る事なんて出来ないわ。」

「だ、だから!僕は借りなんか作るつもりは無いんだって!」

「あんたが良くても、あたしがイヤなのよ!」

もう・・・、アスカはガンコなんだからなぁ・・・。

ぷいっと顔を背けているアスカに、やれやれとため息のシンジ。

「じゃあ、そのまま学校に行くつもり?」

「あたしだけこんな格好じゃ笑われちゃうわよ。今日、学校休む。」

「えーーー、ズル休みじゃないか。」

「いいの!どうせあたしは大卒してるもん。」

「まいったなぁ・・・。」

断固として譲らないアスカに困り果てていると、シンジの側の水たまりに車が通り過ぎて行った。

ブロロロロロロ、バシャッ

「わっ!」

道路側にシンジが立っていたため、アスカをかばうような形となって泥水をひっかけられてしまった。

「あーあ、ズボンにかけられちゃったよ・・・。」

「むむむむむ・・・。」

「ははっ、アスカと同じだ。」

苦笑いをするシンジに、アスカは気にくわない。シンジがワザと泥水をかけられたのではないかと思ってしょうがない。

「じゃ、僕は学校行くから。」

「待って、あたしも行くわ。」

「え?結局行くの?」

「このままじゃ、あんたに負けてるみたいだからね。」

「別にアスカと勝負してるつもりはないんだけど・・・。」

「ふんっ!」

女の子は分からないなとシンジ。もっとも、アスカが分からないと言った方が適当なのだが。

((駅のホーム))

車に水をひっかけられて少しばかり時間をくってしまったが、相変わらず朝のホームには通勤ラッシュの人だかりで溢れ返っている。
今日はまずネルフに行く用事があるので、学校はその後で遅れて行く事になっている。

「まったく・・・、この人混みを見るだけで一日の気力が削がれるわね。」

「みんな働くために一生懸命だからね。」

「日本人はたいそう勤勉なこって。」

嫌味な口調でアスカが言っている内に電車がホームに着き、二人は溢れてくる人波をかき分けながら乗車した。

ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・

シンジと向かい合うような形で寿司詰めの車両に乗っているアスカは、後ろのドアの凹凸部分に背中が押しつけられた格好になってしまった。

「いったぁーーーーーーい!!」

「大丈夫?」

「後ろのデコボコが痛い痛い痛い!!」

「ほら、これでどう?」

シンジが僅かな隙間を使って、アスカの背中に左手を回してクッションにしてやる。

「イヤ!借りは作りたくない!」

「はぁ・・・、もう、じゃあ放していいの?」

「イヤ!背中が痛い!」

「どうしろって言うんだよ!?」

何をしてもイヤイヤをするアスカにシンジは呆れ顔だ。ほっといても騒ぐし、かばってやっても騒いでしまう。

とにかく、このままやり過ごそう・・・。

最初の内はシンジの腕の中でもがいていたアスカだが、だんだんと大人しくなっていき、電車を降りる頃にはすっかり大人しくなっていた。

プシューーーー、ガタン

「ふう、やっと降りれた。今日はすごい混んでたね。」

「・・・・・・・・。」

「ん?どうしたの?」

「むぅーー・・・。」

そっぽを向いて頬を膨らませているアスカが、シンジの左手を指さす。見ると、アスカを支えていた左手首が、電車のドアの凹凸模様にくっきりとアザになってしまっていた。

「え、ああ、大丈夫だよ。このくらい。」

「あんたにまた借りが出来ちゃったじゃないの!!!」

「はぁ・・・、もうそれはいいって。」

「学校に着いたら保健室行くわよ!」

「痛くないから平気だよ。ほら。」

ぶんぶんと腕を振り回して見せるが、アスカが譲る気配は微塵もない。

「このまま借りを作ったままだと、あたしが気持ち悪いのよ!」

「ああもう、分かったよ・・・。」

なんでそんなに借りにこだわるんだと、シンジは半ば呆れながらに引っ張られて行くのだった。

そして、学校についてからも、何か行動を起こす度に借りを作ったと言われ続けたシンジ。
そんなこんなをしている内に、あっという間に昼休みを迎えていた。

((屋上))

今日は雲ひとつない晴天という事で、普段よりも生徒達で賑わっているここの片隅に、ヒカリがぽつんと座っている。

「アスカ、遅いなぁーー。」

珍しく屋上でお弁当を食べようと言い出したのはアスカなのだが、肝心の本人が姿を見せていない。

そして待つこと数分。

「ヒっカリーーーー、ごっめーーーーん。」

「もうっ、遅かったじゃなーーい。お腹ぺこぺこよ。」

「ごめんごめん、シンジのヤツの包帯巻き直すのに時間かかっちゃって。」

隣りに座り込むアスカは待ってましたとばかりに弁当箱を開けて中身をつっつく。この時のアスカの顔は本当に嬉しそうで、ヒカリの一番好きなアスカの顔だ。

「そう言えば碇君。あの左手の包帯どうしたの?」

「ああ、あのバカ、電車であたしの事かばったのよ。それも無理矢理。」

「ふぅーん。でもアスカ優しいじゃない。包帯巻いてあげるなんて。」

「あったりまえよ。借りは返さなきゃね。」

もう、アスカってホントにガンコよねぇ・・・。

ぷんぷんと頬を膨らませるアスカに苦笑するヒカリ。しかし、ここは親友として二人の関係を後押しすべきだと、分かりやすい例を使って説得してやる事にした。

「アスカ、そのお弁当おいしい?」

「え?ああ、まぁまぁね。」

「それ、碇君が作ってくれたのよね。借りにはならないの?」

「うっ・・・、それは・・・。」

「家事もほとんど任せてるんでしょ?掃除に洗濯、お風呂洗い。」

「むぅ・・・・・。」

「いい加減、意地張るのやめたら?」

「それは、そうだけどォ・・・。」

さっきまでの強気はどこへやら。打って代わって小声になってしまったアスカ。ヒカリの目にはそんなアスカがとても微笑ましく映る。

アスカも少しは素直になれば可愛いのになぁ・・・。
でも、まぁ、アスカのガンコも今に始まった事じゃないしね。

くすっと笑うヒカリ。そう思うものの、こんなアスカだからこそ親友になれたのかもしれない。だからこういう時は、そっと背中を後押ししてやるのが親友の勤めだ。

「借りだ借りだって、それ、アスカの思い込みよ?」

「だって・・・、あいつ、そうでもしなきゃ無理するんだもん・・・。」

「無理する?碇君が?」

「そう、マグマの中に飛び込んで来るし、電車でも腕を痛めるし・・・。だから、借りを作るって言っとけば、無理しないかなって・・・。」

なぁーんだ、そういう事か・・・。
これなら心配ないかな・・・?

もじもじとしながら、おかずを箸でつっつくアスカの言葉を聞いて、ほっとする事が出来た。

「ま、ちょっとずつ、努力すればいいわよ。大丈夫、アスカは努力家だもん。」

「うん・・・。頑張る。」

励まされてポッと頬を赤く染めるアスカを見て、ヒカリは改めてアスカの純情さに微笑まされるのだった。





((通学路))

放課後を迎えて、今日も変わらず帰り道の通学路を歩いているシンジとアスカ。
今日は午後から面談が控えている為、午前中で学校が終わっていた。

「あーーあ、今日もあんたにたくさん借りを作っちゃったわねぇ。」

「僕はそんなつもりじゃないんだけど・・・。」

もう!分かってるわよっ、そんなことっ。

「あ、そう言えばアスカ、明日って服装検査だっけ?」

「ん、ちょっと待ってなさい。今調べるわ。」

制服の胸ポケットに手をやるアスカだが、そこにあるはずの生徒手帳がない。

「あーーーーーーっ!」

「ど、どうしたんだよいきなり!?」

制服のあらゆるポケットを手でパタパタと叩き、鞄をゴソゴソとあさって見たりもするが、見あたらない。

「無い無い無い!生徒手帳が無い!加持さんの写真が入ってるのにぃ!」

「どっかに落としたんじゃない?それとも、今日は持って来て無かったとか。」

「確かに、朝は胸ポケットに入れといたのよ。」

「じゃ、僕はこっちの通学路を探すよ。アスカはあっちを探して。」

「ダンケシェーン!この借りはいつか必ず返すわ!」

「もうそれはいいってば・・・。」

アスカは家に近い方の通学路を。シンジは学校に近い方の通学路を。
こうして二人は二手に別れて生徒手帳の捜索を開始した。





1時間後。
自宅マンション寄りの通学路を担当していたアスカだが、これだけ探しても見つからず、諦めムードが漂っていた。

「ああもう!やめやめ!」

加持の写真が惜しい所だが、どうせ買いかえればいいかと早々にマンションに帰って行った。

「1時間も探しちゃったしね。根性無しのばかシンジはもう帰ってるでしょ。」

そんな風に勝手に決めつけていると、ぱらぱらと雨が降ってきたので、駆け足で帰宅するアスカだった。





((アスカの部屋))

帰宅して自室のベッドに寝っ転がっているアスカ。一応部屋の中も探したが、やはり無かった。

「ばかシンジ・・・、遅いわねぇ・・・。」

アスカが帰宅してから、かれこれ2時間。てっきりシンジは帰宅しているものだと思っていたのだが、まだ帰っていなかった。

「あのばか、まだ探してるのかしら・・・?」

窓を見ると、昼間の晴天はウソのように大雨が降り注いでいる。

「こんな大雨の中、探してるワケ・・・。」

寄り道でもしているのだろうか。それとも、鈴原や相田につかまってゲームセンターにでも行っているのだろうか。しかしどちらにせよ、アスカの不安は尽きない。

「まさか・・・、ね。」

不安が頭の中をよぎり、アスカは慌てて携帯電話でシンジの番号にかける。

プルルルルルル、プルルルル、ピッ

「はい、もしもし。」

声の主はシンジ。しかしアスカを驚かせたのは、その背後に聞こえる大雨の降り注ぐ音。

「シ、シンジ、今どこにいんのよ!?」

「ああ、アスカか。マンションの前だよ。すぐに帰るから。」

やっぱり・・・!あのバカっ!!!

携帯電話を投げ捨て、玄関へ駆け込んでドアを開けると、全身ずぶぬれのシンジが水をしたたらせながら立っていた。丁度同じタイミングでドアを開けたらしい。

「ただいま。生徒手帳見つかったよ。ほら。」

ずぶぬれのシンジの格好を見て唖然と立ち尽くしているアスカに、シンジが笑顔で生徒手帳を差し出す。

「・・・・・・・・。」

「ごめん。見つけた時には雨でグシャグシャになってたんだ。」

見ると、確かに生徒手帳がすっかり雨を含んでふやけてしまっているが、そんな事はアスカの気にはとまらない。

「あ、あんた、今までずっと探してたの・・・?」

「うん、見つからないワケだよ。近所の野良犬がくわえてたんだから。」

「ちょ、ちょっと、あんた、顔色悪くない?」

シンジのどこか虚ろな表情が気になる。顔ものぼせたような感じの色を帯びている。

「ははっ、さすがにちょっと、疲れたかな・・・。」

そう言ってはいるものの、リビングに向かう足取りはフラフラとおぼつかないようだ。

「ちょ、ちょっとあんた、大丈夫!?」

「だい、じょう、ぶ・・・。」

ドタッ

「シンジ!」

無理がたたったのか、リビングに着くなり倒れてしまったシンジの肩を持って自室のベッドに寝かせる。ベッドが濡れてしまうが、それどころではない。

ばか!ばか!ばか!ばか!ばか!

シンジの水びたしの制服を脱がせてタオルで拭き、パジャマを着させてやる。さすがに下着までとはいかなかったが、もはや、恥ずかしさなんてものはない。

ばか!ばか!ばか!ばか!ばか!

体温計で計ってやると、案の定、熱がある。
急いで冷えた水を含ませたタオルを額に乗せてやる。風邪薬も飲ませてやる。

「ばか。あんたって・・・、ホントに、ばかよ・・・。」

そして、ようやく一段落したアスカが、糸が切れたようにベッドの傍らに座り込む。
うなされているシンジをひっぱたいてやろうかとも思ったが、さすがにそれはやめた。

「普通、他の男の写真が入った生徒手帳なんか、探さないわよ・・・。」

生徒手帳に挟んであった加持の写真もすでにぐしゃぐしゃになってしまっていたが、そんなのはどうでも良かった。

「お願いだから・・・、無理、しないでよ・・・。」

険しい顔のアスカだが、その瞳に涙が溜まる。

「あたしなんかの為に、無理、しないでよ・・・。」

険しい表情から、悲しい表情に変わるアスカの顔。
白く細い指で、シンジの唇を優しくなぞる。

「ばか・・・、これでまた借りが出来ちゃったじゃない・・・。」

そして、そっと、シンジの胸の上に顔を横にして乗せる。

思えばあたしって、知らず知らずの内に、あんたにたくさん借り作ってたわよね・・・。
ヒカリの言う通り、掃除、洗濯、食事、お弁当、家事・・・。
一回じゃ、とても返し切れそうにないわね・・・。

だからあたし、あんたの側でちょっとずつ返していくわ・・・。
ずっと、ずっとね・・・。たぶん、生きている内には返せないかもしれないけどさ・・・。

だから、これ以上借りを作らせないでよ。2度と、無理はしないでよ。
でも・・・、あたしの為に、ここまでしてくれて、すごく嬉しかった・・・。

「ううぅ、ア、アスカ・・・。」

「ふふっ、そんなにあたしが心配?」

顔をしかめて呻くシンジの唇を優しくなぞりながら、優しい笑みをこぼすアスカ。

「いいわよ、あんたになら心配されても。だから、強くなってよね、ばかシンジ。」





この日、丸一日シンジの看病に徹したアスカの功が奏したのか、それとも、想いが通じたのか、翌日からシンジの体調は万全となった。

一生かけて返す借りのほんの一部を、
アスカは、ちょっぴりだけ返す事が出来たのかもしれない。



(fin)



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