新世紀エヴァンゲリオン if story
   「十五の決意」      著 すけっち・ぶっく


 その日。
 碇シンジの帰宅が、遅かった。
 いつもであれば、午後六時には家に帰ってくるのだが、今日は午後七時を、

 「ずいぶんと、過ぎていた」

 のである。
 シンジが、恐る恐る玄関を開けると、

 (やっぱり・・・)

 いた。
 いつ頃から、そうしていたのであろうか?
 腕を組み、見下ろす様に胸をそらせた少女が、仁王立ちで玄関の前に立ちはだかって
 いるのである。
 この少女、名を、惣流・アスカ・ラングレーという。
 この二人、少々訳があって、四歳の頃から一緒に住み暮らしている。

 「た、ただいま」

 沈黙に耐えきれなくなったシンジが、恐る恐る声をかける。

 「・・・」

 「え、えっとさ、図書館で調べ物してたら、ちょっと遅くなっちゃって」

 「・・・」

 アスカは、微動だにしない。
 ただ、じっとシンジを見下ろしている。
 困った。
 このままでは、

 (中に入れない・・・)

 のである。
 と、その時。

 「あら、おかえりなさい。シンジ」

 シンジの母である、碇ユイが顔を覗かせた。
 と、同時に、結局、

 「一言もいわずに・・・」

 アスカは奥へと引っ込んでしまった。

 「・・・ただいま。母さん」

 がっくりと肩を落とし、シンジは中へと入った。
 その様子に、ユイは、くすくすと笑いながら、

 「遅かったのね。どうしたの?」

 と、訊ねた。

 「・・・図書館でね、調べ物してたら、つい時間がたつのに気づかなくって。
 それで遅くなっちゃったんだ」

 「それならそうと、図書館から電話くらいしなさい。・・・アスカちゃん、ずい分と
 心配してたのよ?」

 「・・・ごめんなさい」

 「ほらほら、あやまる相手が違うでしょ?・・・すぐに御飯にするから早く着替えて
 らっしゃい」

 「・・・うん」

 とぼとぼと、力無く階段を昇っていくシンジを見やりつつ、

 (仕方の無い子ねえ)

 ユイは、そっとため息をついていた。



 その翌日。

 「シンジ、帰るわよ」

 放課後になり、帰宅の用意を整えたアスカは、シンジに声をかけた。
 アスカの機嫌は、昨夜の内にシンジが、

 「平あやまりに、あやまった」

 おかげで無事に直っていたわけなのだが・・・。

 「あ、ごめん。今日、ちょっと用事があるんだ」

 なにやら慌てた様に言うと、まるでアスカを、

 (避けるかの様に・・・)

 さっさと教室から出ていってしまった。

 「ちょ、ちょっと!」

 止める暇も、無い。
 やむなく、アスカは一人で帰途についた。

 (そういえば・・・)

 ここ、二・三日はシンジと、

 (一緒に、帰ってない・・・)

 事に、気がついた。
 歩みが急に重くなり、やがて止まった。
 思わず、ため息をついてしまう。
 アスカは、再び歩き始めた。
 が、やはり、歩みは重い。

(シンジ、一体どうしたのかな・・・)

 わからない。それが、寂しい。
 共に住み暮らす様になってから今までに、シンジがアスカに用件も言わずに、

 「一人で、どこかへ行ってしまう・・・」

 などという事は、無かった事なのである。
 アスカは昔の事を思い浮かべながら、ゆっくりと歩いていく。



 あれは、もう十年も昔の事になるであろうか・・・。
 アスカが四歳になったばかりの、冬。
 突然に、アスカの両親が、この世を去った。
 原因は、相手の車の飲酒運転による、交通事故であった。

 「ねえ、あすか。なかないでよ、おねがいだよ。なかないでよ」

 「うっく・・・ひっ・・・」

 両親の葬儀が終わってからも、アスカは一人、泣き続けていた。

 「ねえ、あすかぁ」

 そんなアスカを、目にいっぱい涙をためたシンジが、ずっと慰めている。
 シンジにとっても、アスカの両親は、

 (だいすきな、おじさん、おばさん・・・)

 で、あった。
 故に、シンジも今にも涙がこぼれそうな程に、

 (かなしい・・・)

 のである。
 が、シンジは必死に涙を堪えていた。

 (あすかのために・・・)

 必死に、堪えていたのである。

 「だって・・・」

 「だって?」

 「だって、あたし、っく、もう、ひとりぼっち、うぅ、なんだもん。パパも、マ、ママ
 も、あたしをっ、ひっ、おいて、いっちゃったん、だもん。だ、だから、あたし、あたし
 もう、っく、ひとり、ぼっち、なんだもん!」

 言うやいなや、アスカの両目から涙が、ふきこぼれた。
 もはや、涙をぬぐおうともせず、アスカは泣き続けた。
 突然。
 ぎゅっと、シンジがアスカの手を握り締めた。

 「し、しんじ?」

 「あすか。あすかは、ひとりぼっち、じゃないよ。ひとりぼっち、なんかじゃ、ないよ。
 ぼくが、そばにいるよ。ずっと、ずっと、あすかの、そばにいるよ。だから、だから、
 ひとりぼっちじゃ、ないよ。おねがいだから、なかないでよ。・・・あすかが、ないて
 ると、ぼく、ぼく、かなしいよ」

 涙をためて、しゃくりあげながらも、それでもシンジは、真っ直ぐにアスカの瞳を、
 見つめて言った。

 「うっく・・・ほんとに?」

 「うん、っく、やくそく、するよ」

 「うううっ、しんじぃっ!」

 アスカはシンジの胸に縋りついた。

 「しんじぃ、しんじぃ!」

 名を呼びながら、泣いた。

 「あすかぁ、あすかぁ」

 いつの間にか、シンジも泣いていた。
 が、それでも、

 「アスカを泣きやませ様と・・・」

 一生懸命にアスカの頭を、撫で続けていた。
 やがて・・・。
 泣き疲れてしまったのであろうか・・・。
 シンジとアスカは、寄り添って眠っていた。
 ユイは、そっと毛布を二人の体に掛けてやった。

 「・・・あなた」

 「・・・ああ。分かっているよ、ユイ」

 二人は、しっかりと握り合った小さな手を、見つめていた。



 「やくそく・・・憶えて、ないのかな・・・」

 そっと、つぶやいた声に、答えは無かった。



 その日の夜。

 「来い」

 突然に声をかけられて、シンジは目が覚めた。
 見ると、父のゲンドウがベッドの脇に立ち、シンジを、

 「見下ろしている・・・」

 ではないか。

 「な、なに?どうしたの、父さん」

 慌てて、シンジが半身を起こす。

 「いいから、来い」

 それだけを言うやいなや、ゲンドウはさっさと部屋を出ていってしまった。
 時計を見ると、午前一時を指している。

 (こんな時間に何だろう・・・?)

 いぶかしく思いつつも、シンジは足音を忍ばせて、一階へと降りていった。
 リビングに入り、驚いた。

 「母さん!?」

 「シンジ、声が大きいわよ」

 「あ、ご、ごめんなさい」

 シンジは緊張した。
 この様な深夜に、両親が、

 (自分に話がある・・・)

 と、いうのは、初めての事であるし、はっきり言って、

 (只事じゃない・・・)

 のである。
 二人の前に座り、おずおずと、口を開く。

 「・・・それで、何の、用なの?」

 「シンジ。お前はアスカ君の事を、どう思っているのだ?」

 「えっ?ど、どういう事?」

 「どうも、こうも無い。どう思っているのか、と聞いている」

 「それじゃ、何だか分からないよ」

 シンジは、困った様にユイを見た。
 ユイは、

 「真っ直ぐに」

 シンジの目を見つめていた。
 思わず、はっとして、シンジは顔を伏せた。

 「シンジ。アスカちゃんの事、好き?」

 「えっ!?」

 はっと、顔を上げる。

 「・・・答えなさい、シンジ」

 けっして、きつくは無いが、有無を言わせぬ口調でユイは問うた。

 「そ、そんな、嫌いなわけ、ないじゃないか」

 「そうじゃなくて」

 しどろもどろになるシンジを、ユイはぴたり、と制した。

 「アスカちゃんを、一人の女の子として、好き?」

 シンジは顔を伏せた。

 「・・・どうして、そんな事、聞くの?」

 つぶやく様にシンジが、言った。

 「明日は、何の日だ?」

 突然に、ゲンドウが口を開いた。

 「そ、それと、何の関係が・・・」

 「何の日だ?」

 さえぎる様に重ねて、問うた。

 「・・・今日は、もう五日だから、明日は、六日は、僕の誕生日、かな?」

 「いくつになる?」

 「十五、だけど・・・」

 「だからだ」

 ゲンドウは決めつける様に言うが、やはり、

 (わからない・・・)

 シンジは、再びユイを見た。

 「いい、シンジ。あなたは、もう十五歳になるの。もう、誰かの事を本気で好きに
 なっても、おかしくない年頃なのよ?もし、ね。もしも、貴方に恋人が出来て、アスカ
 ちゃんの事を聞かれたら、貴方は、どう答えるの?」

 「どうって・・・アスカはっ!」

 「そうね。アスカちゃんは私達の大事な家族よ。私もゲンドウさんも、アスカちゃん
 の事を本当の娘だと思ってる。でもね、どんなにそう思っていても貴方達には血の
 つながりが無いのよ。その事が、きっと貴方やアスカちゃん、そして貴方の恋人に
 なった娘を、きっと苦しめると思うの」

 「・・・」

 「だからね。貴方達が好き合っているのであれば、このまま一緒に住んでいても問題
 は無いわ。けれど、もし・・・貴方に、他に好きな娘がいたりするのであれば、別に
 部屋を借りようと思うの」

 「部屋を?」

 「・・・貴方なら一通りの家事はこなせるし、女の子に一人暮しをさせるのは心配だ
 から、ね?」

 「・・・僕が、一人暮しするって、事?」

 「ええ、そうよ」

 沈黙が、降りた。
 ゲンドウとユイはじっと、シンジを見つめている。

 「・・・返事、聞かせてくれる?」

 おもむろに、ユイが沈黙を破った。
 シンジが顔を上げた。
 そこに、いつもの気弱そうな表情はなく、

 「ただ、真っ直ぐに」

 ユイの目を見つめていた。

 「返事、今日一日だけ、待って欲しいんだ」

 「・・・どうして?」

 「待って、欲しいんだ」

 「シンジ」

 ゲンドウがシンジを、呼んだ。
 すっと、視線が動き、ぴたりと止まった。

 「・・・」

 「・・・」

 じっと、見つめ合う事、数瞬。
 ひた、と自分を見つめるシンジの瞳が、

 (それない・・・)

 のを、ゲンドウは、見た。

 「・・・分かった。明日、この時間に、ここに来い。その時に、お前の返事を聞く」

 言いおいて、ゲンドウはユイを促すと、寝室へと去った。
 シンジは、しばらく一人座っていたが、立ちあがると静かに自室へと去っていった。



 アスカは、ベッドの上で膝を抱えて蹲っている。
 そのまま、じっと動こうとしない。

 (あ・・・)

 かすかに足音がして、アスカは顔を上げた。
 そして、そっと扉が閉まる音と共に、再び顔を伏せた。

 (シンジ・・・もう、一緒にいれないの?)

 そう、アスカはシンジ達の話を、

 「聞いてしまった・・・」

 のである。

 (シンジ、出ていっちゃうの?好きな娘が、出来たの?だから・・・最近、帰りが
 遅いの?)

 直接、聞きたい。が、聞けない。

 (聞くのが・・・)

 怖い。
 そう、アスカは恐れている。

 (あの時と同じ様に・・・)

 恐れているのである。



 小学五年の、冬。
 その日は朝から、どしゃ降りであった。
 せっかくの休みであるのに、これでは、

 (どこにも、行けない・・・)

 のである。
 そのせいで、あろうか・・・。
 アスカは、朝から不機嫌であった。
 そんなわけで、この日もシンジにちょっかいをかけて、

 (憂さをはらそうと・・・)

 したわけなのだが・・・。

 「もう!アスカ、いいかげんにしてよね!」

 どうしたわけか、珍しくシンジの機嫌も悪かった。

 「な!?いいかげんって何よ!あたしに口答えしようってぇの!?」

 「だって、アスカが滅茶苦茶な事、言うからだろ!」

 「あたしのドコが滅茶苦茶だってぇのよ!」

 「雨が降ったのは僕の所為だから、責任とって今すぐ晴れにしろ、だなんて、滅茶苦茶
 以外の何ものでも無いじゃないか!」

 「あんた、あたしの言う事が聞けないってぇの!?」

 「聞けるわけ無いだろ!」

 「もぅ、いいわよ!この、ばかシンジ!」

 平手一閃。

 (いつもよりも・・・)

 大きな音と共に、アスカは家を飛び出した。
 いや、飛び出した、

 (フリをして・・・)

 庭にある物置へと、隠れたのである。

 (フン!なによ、シンジの奴!怒鳴んなくってもいいじゃない!)

 頬をふくらませる。

 (あたしがいなくなって、寂しい思いをすりゃいいのよ!)

 膝を抱えて、そっと俯く。

 (あたしだって・・・寂しいんだから・・・)

 きっと、目尻を上げる。

 (・・・何で、あたしが寂しがんなきゃいけないのよ!シンジに怒鳴られたくらいで!)

 何だか良く分からない気持ちを持て余しつつ、アスカは隠れていたのだが・・・。
 こない。

 「シンジが探しに・・・」

 こないのである。
 もはや、三十分は経っているはずである。
 なのに探しにこないという事は・・・、

 (まさか、この雨の中を探しに行ったんじゃないでしょうね)

 急に、アスカは不安になった。
 まさかとは思うが、シンジであれば、

 (ありえる・・・)

 のである。
 アスカは慌てて家の中に戻った。

 「シンジ!?」

 大声で呼ぶ。
 もし、ここで

 「なんだよ」

 などと、返事があったりしたら、

 (ものも言わずに・・・)

 殴ってやろうと、アスカは思った。
 だが、

 「アスカちゃん!」

 アスカの声を聞いて出てきたのは、ユイであった。

 「おばさま!シンジは!?」

 「それが・・・アスカちゃんが飛び出してすぐに、傘もささずに飛び出していっちゃった
 のよ」

 さすがに心配そうなユイを見て、アスカがさっと、青ざめた。

 「あ、あたし探しに行ってくる!」

 すぐさま玄関を飛び出そうとしたアスカを、

 「待ちなさい!」

 ユイが止めた。

 「そんな格好じゃ、駄目よ」

 そう言ってアスカに上着を着せて、更にレインコートを着せた。

 「傘もさしていきなさい。携帯電話は持った?シンジが帰ってきたら電話するからね」

 「うん。行ってきます!」

 「気をつけるのよ!」

 アスカは雨の中を飛び出した。

 (シンジが、あたしを探しそうな所を・・・)

 かたっぱしから、回る。
 だが、見つからない。
 依然として、ユイからの連絡は無い。

 (ったく!ドコにいるのよ、あのばか!)

 何故だか、泣きたい様な思いで、アスカは走った。
 だが、見つからない。

 (シンジぃ。どこにいるのよぉ、シンジぃ)

 アスカは半泣きになりながら、シンジの姿を求めて走った。
 そして・・・、

 「シンジ!」

 いた。

 「アスカ!」

 シンジの方もアスカに気づいたらしく、すぐさま駆け寄ってくる。

 「アスカ、大丈夫!?大丈夫なの、アスカ!?」

 「あ、あたしは別に大丈夫よ。それより、あんたの方が・・・」

 「アスカ、ごめん!ごめんね、怒鳴ったりして、ごめんね」

 「っ!べ、別に、いいわよ」

 「許して、くれるの?」

 「あ、あんたの、その態度に免じて、特別に許してやるわよ!」

 「・・・よかったぁ・・・」

 ほっとした様に微笑むやいなや、シンジはその場に崩れ落ちた。

 「!?シンジっ、シンジっ!」

 顔色は真っ青で、唇は紫を通り越して、白に近い。
 体も細かく震えている。

 「ちょっと!何、こんなトコで寝てんのよ!とっとと、起きなさい!ねえ、起きろって
 言ってんのよ!・・・ねえ、起きてよ。返事、してよ。・・・ねえ、シンジぃ・・・
 ねえってばぁ・・・」

 錯乱してしまったアスカが、シンジに縋り付いていると、

 「どうしたのかね?」

 アスカが振り向くと、巡回中の警官が立っていた。

 「!シンジがっ、シンジがぁ」

 警官は、すぐさまシンジを病院へと運んでくれた。
 シンジは三十九度を超える熱を発していた。
 すぐに部屋が用意され、点滴が投与された。
 そこで、ようやくに連絡を受けたユイが、病院へと到着した。
 さすがに顔は少々青ざめてはいたが、取り乱す事無く、落ちついた様子で警官や、医者
 に礼を述べてから、病室へと向かった。

 「アスカちゃん」

 びくり、とアスカが顔を上げた。

 「おばさま・・・」

 その顔は、涙に濡れていた。

 「どうして、部屋に入らないの?」

 「だ、だって、だって、あたしの所為で、シンジが、シンジが・・・」

 ぽろぽろと、涙をこぼす。

 「ごめんなさい、ごめんなさい、あたしの、あたしの所為で、シンジが、シンジが、
 ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

 何度も、何度も繰り返すアスカを、ユイはそっと、抱きしめた。

 「いいのよ、アスカちゃん」

 「で、でも・・・でも」

 「だって、アスカちゃんの所為なんかじゃ、ないもの」

 「そんな!だって、あたし!」

 「だって、シンジが、そう思って、いないもの」

 はっとして、目を見開く。

 「ほんとに・・・?シンジ・・・ほんとに?」

 「ええ、本当よ。・・・アスカちゃんは私の事、信用できない?」

 アスカは強く、かぶりを振った。

 「だったら、ね?それに、シンジの事なら大丈夫よ。あの子、ああ見えて結構、しぶ
 といもの」

 「おばさまぁ・・・」

 アスカはユイの胸に縋り付くと、静かに嗚咽を漏らした。
 ユイはそっと、アスカの頭を撫でていた。
 しばらくして・・・。

 「あなた」

 無言のまま、ゲンドウが病室に入ってきた。
 ちらり、とシンジを一瞥すると、

 「・・・仕事に戻る」

 「はい」

 病室を出ていこうとした。

 「おじさま!」

 「・・・何だ」

 「おじさま・・・ごめんなさい。あたしのせ・・・」

 「アスカ君の所為では無い。ただ単に、彼奴が馬鹿なだけだ」

 切り捨てる様に言うと、病室の扉を開ける。
 ふと、足が止まった。

 (馬鹿だが・・・)

 肩越しにシンジを見やる。

 「・・・良くやったな。シンジ」

 ぱたり、と扉は閉められた。
 ・・・それから、二時間が過ぎた。
 アスカはシンジの側を離れようとしない。
 離れるのが、

 (怖い・・・)

 のである。
 少しでも目を離すと、

 (シンジが、いなくなってしまいそうで・・・)

 怖い。
 今、アスカはシンジの手を握り締めている。
 そうしていないと、

 (震えが止まらない・・・)

 のである。

 (シンジ、目を覚ましてよ。あたしの名前、呼んでよ。あたしを置いていかないでよ)

 ぎゅっ、と手を握り締める。

 「・・・アスカ?」

 「!?シンジっ!」

 うっすらと目を開けたシンジがアスカを見つめていた。

 「ここは・・・?僕は、いったい・・・?」

 霞がかった目で、きょろきょろと見回す。

 「・・・母さん?」

 「・・・シンジ・・・。ここはね、病院よ。貴方はね、熱を出して倒れたのよ」

 安堵のため息を漏らしつつ、ユイは言った。

 「・・・病院?・・・熱?」

 つぶやくと、はっと目を開いた。

 「アスカ!アスカは大丈夫なの!?」

 勢い良く半身を起こして、アスカの肩を掴む。

 「ば、ばか!何、言ってんのよ!あたしは、あたしは大丈夫に決まってるじゃない!」

 じわり、と瞳が潤む。

 「そっか・・・。良かったぁ・・・」

 いまだに青い顔で、安心した様に微笑むシンジ。
 アスカは、もう止められなかった。

 「ばか・・・なに、言ってるのよ・・・っく、ほんとに、ばかなんだから・・・」

 「アスカ?」

 「・・・ばかぁ・・・シンジの、ばかぁ!」

 「ア、アスカぁ!?」

 いきなり縋り付いて泣きじゃくるアスカに、シンジは慌てた。

 「か、母さ・・・!」

 いない。
 どこにも、いない。
 いつの間にやら、病室を出ていってしまったらしい。

 「アスカ。泣かないでよ、アスカぁ」

 困った様な表情で、シンジはアスカの頭を撫でていた。
 それを感じながら、アスカは気づいていた。
 ずっと、胸の奥にあった、今まで気づかなかった、

 (大切な、想い・・・)

 アスカは、気づいていた。



 アスカは、机の上の引出しを開けた。
 中から、綺麗に包装された包みを取り出す。
 それは、一週間も前から用意されていた、

 (シンジの誕生日のプレゼント・・・)

 で、ある。
 中身は、つやを消した銀製の写真立て、である。
 ただ、その写真立てには既に一枚の写真が収められている。
 中学三年に進級した時に撮った、

 (二人の写真・・・)

 が、収められているのである。
 それは、アスカの、

 (せいいっぱいの・・・)

 想いの表れで、あった。

 (ずっと、シンジと一緒に、この写真の様に、ずっと二人で・・・)

 そう、想っていた。

 (いつまでも、シンジと一緒に・・・)

 そう、信じていた。
 しかし、今では、

 (分からない・・・)

 のである。

 「・・・分からないよう、シンジぃ」

 胸に包みを抱きしめて、アスカは静かに、泣いていた。



 朝に、なった。
 いつもと変わらない朝に、見える。
 が、

 (何かが・・・)

 違う。
 そして・・・、

 「母さん。今日遅くなるから、先に晩御飯、食べてていいから」

 朝食でのシンジの言葉に、アスカがびくり、と震えた。

 「遅くなるって、どうして?」

 「ん・・・ちょっと、大事な用が、あるんだ」

 「そう」

 ユイは、それ以上何も聞かなかった。
 アスカも、何も聞けなかった。
 そして、時が過ぎていき・・・。
 アスカは、一人歩いていた。
 シンジは、学校が終わると共に、

 (どこかへと・・・)

 行ってしまった。
 何人か誘いを受けたが、その全てをアスカは断った。

 (いまさらながらに・・・)

 アスカは痛感していた。

 (自分にとって・・・)

 碇シンジ、という少年は、

 (なくてはならない・・・)

 存在である、という事を、アスカは感じていたのである。

 「シンジぃ・・・」

 じわり、とアスカの瞳が、潤みを増した。
 その日。シンジの帰宅は十時を過ぎていた。



 午前一時。
 シンジは、ゲンドウとユイの前に座っていた。

 「・・・返事、聞かせてくれる?」

 ユイの言葉にシンジは頷いた。
 すっと、二人の前に、

 「小さな箱を・・・」

 置いた。

 「シンジ?」

 「・・・これが、僕の答え、だよ」

 その表情は、二人が初めて見る、

 (男の顔・・・)

 で、あった。

 「開けても、いい?」

 「うん」

 ユイは、そっと小箱の蓋を開けた。
 そのまま、じっと中身を見つめる。

 「・・・そういう事、なの?」

 「うん」

 はっきりと、シンジは答えた。

 「シンジ」

 ゲンドウとシンジの目が、ぴたりと、合った。

 「・・・そうか」

 「うん」

 「・・・そうか」

 ゆっくりと、頷く。

 「・・・分かった。昨日の話は忘れろ」

 「待ってよ!父さん!」

 立ちあがるゲンドウを、シンジは止めた。

 「何だ」

 「僕は、僕はいいけど・・・まだ、まだアスカの気持ち、聞いてないよ」

 「なに?」

 ゲンドウとユイは、

 (呆れた・・・)

 様に、シンジを見た。

 「だから・・・アスカの気持ち、聞いて、ないんだ」

 「・・・シンジ。貴方、それ本気で言ってるの?」

 「本気って・・・ひどいよ、母さん!僕は、本気でアスカの事がっ!」

 「阿呆」

 さえぎる様にゲンドウが言った。

 「お前は、馬鹿な上に阿呆だな」

 「ど、どういう意味だよ!?」

 「そのまんまの意味だ。・・・それに、聞いてないなら、今、聞いてみろ」

 「え!?」

 驚いて降り返ると、

 「アスカ!」

 戸口の所に、立っていた。
 そっと、ゲンドウとユイが席を立った。

 「シンジ・・・」

 アスカがゆっくりと、近づいてくる。
 テーブルの上の小箱を手に取って、シンジは立ち上がった。

 「アスカ・・・あの、こ、これ、受けとって欲しいんだ」

 差し出された小箱を、アスカは受け取った。

 「・・・開けて、いい?」

 「うん」

 震える手で、そっと蓋を開けると、

 「透き通る様な青い石の指輪」

 が、一つ、入っていた。

 「・・・綺麗」

 そっと、つぶやく。

 「ソーダライトっていう石なんだ」

 「ソーダライト?」

 「うん。・・・十二月四日の、アスカの誕生日の石、なんだ」

 「・・・あたしの?」

 「そう。アスカの」

 じっと、指輪を見つめる。
 そして、はっとした。

 (もしかして、シンジの帰りが遅かったのは・・・)

 このことで、あった。

 「・・・ねえ、シンジ。最近、帰りが遅かったのって・・・」

 「・・・うん。図書館で誕生石の事調べたり、宝石店で相談してたりしてたから・・・」

 照れくさそうに、頭を掻いて、

 「・・・心配かけて、ごめんね」

 「ほんと・・・心配したわよ・・・」

 再び、指輪に見入る。

 「でも・・・」

 「ん?」

 「あんた、よくこれを買うお金があったわね」

 自分の小遣いと、シンジの小遣いは同額のはずである。

 (なのに、どうして・・・)

 この様な高価な物を買えたのか、

 (不思議で、ならない・・・)

 のである。

 「・・・ずっと前からね、貯めてたんだ。十五になったら渡そうって、決めてたから」

 「ずっと、前?」

 「小六の春、ぐらいから」

 「え・・・!?」

 まじまじと、シンジを見やる。

 (もしかして、シンジ・・・)

 わかる。

 (あたしと、一緒だったんだ・・・)

 シンジが、わかる。
 溢れそうになる涙を、ぐっと堪える。
 アスカは、小箱をシンジに差し出した。

 「え・・・!?」

 「・・・ちゃんと、聞かせて?シンジの気持ち、ちゃんと聞かせて?」

 「・・・うん」

 しっかりと頷くと小箱を受け取り、指輪を右手に持った。
 そして、

 「真っ直ぐに・・・」

 アスカの瞳を見つめる。

 「・・・アスカ。僕はね、アスカの事が、好きだよ。前から・・・ずっと、前から好き
 だった。本当に、ほんとにアスカの事が好きなんだ」

 もどかしい様に、言葉を紡ぐ。

 「だから、だからね。・・・アスカと一緒に、いたいんだ。アスカと二人で、いたいんだ。
 どんな時も、どんな時でも、アスカと一緒に、いたいんだ。ずっと、ずっと、アスカと
 二人で、アスカと一緒に、生きていきたいんだ」

 アスカの瞳から、すっと一筋、頬をつたう。

 「・・・アスカ。僕と、ずっと一緒に、いてくれますか?」

 「・・・はい」

 差し出された左手に、薬指に、

 (そっと・・・)

 指輪を、はめた。

 「シンジ・・・」

 涙が溢れる。

 「シンジぃ・・・」

 シンジの姿が、良く見えない。
 すっと、シンジが動いた。
 アスカを、

 「包み込む様に・・・」

 その胸に、抱く。

 「シンジ、シンジぃ」

 「・・・一緒だよ。ずっと、ずっと、一緒にいるよ」

 アスカは、シンジの胸の中で、泣き続けている。



 「・・・あなた」

 目尻に、涙を浮かべたユイが、

 (そっと・・・)

 ゲンドウの肩に頭を、寄せる。
 ゲンドウは、何も言わずにユイの肩を抱き寄せた。

 「・・・良くやったな。シンジ」

 二人は、音を立てぬ様に、ゆっくりと自室へと、歩いていった。




 あとがき
 ここまで、この話にお付き合い頂き、ありがとうございます。
 すけっち・ぶっくです。
 ・・・と、まあ、六月六日という訳で、シンジ君の誕生日の記念の短編
 を、お送りいたしました。
 ・・・いかがでしたでしょうか?
 少しでも、気に入って頂けたら、幸いです。
 ・・・それでは、今宵はこの辺で。
                       2000年 6月6日 すけっち・ぶっく

すけっち・ぶっくさんのシンジバースデー記念SS、「十五の決意」でした〜〜!
今回は、「適度に切なく、適度にホンワカ」といった作風が、なんとも心地良いテイストを醸し出していて、
読後にしても、心に春風の吹くような仕上がりで大満足って感じでした。(^^)

アスカ、「雨を晴れにしろ!」だなんて、相変わらずのメチャクチャぶりですねぇ。(笑)
しかし、それも、他でも無い、相手がシンジだからこその応対。
憎まれ口の中にも、秘められた想いのシグナルがちゃんと含まれているのですよね。(^^)

それにしてもシンジ君、誕生石をプレゼントだなんて、思い切ったコトしちゃいましたねぇ。
ニクいぜ色男!この!この!ってなカンジですか。(笑)
でもでも、それでアスカの顔と心に笑顔と幸せを咲かせてあげられたのだから、バッチリオッケーっす!
過去に両親を亡くすという、辛いトラウマのあるアスカですが、これからの将来には、それ以上の見返りある幸せが待っているに違いありません。(^^)

そして今回、私的にゲンドウがすっごく良い味を出していました。中でも「阿呆」はなんともシビれる名台詞!
優しさと厳しさを兼ね備えたこういうゲンドウって、ホントにカッコイイですよね。
しかもラストの締めが、もう最高。
>ゲンドウの肩に頭を、寄せる。
>ゲンドウは、何も言わずにユイの肩を抱き寄せた。
いやぁーーー、いいっす!!!こういう温かいぬくもりのある終わり方って大好きなんですよ、私。(*^^*)
笑顔と優しさ、そして愛情に守られたお話し、すけっち・ぶっくさん、ありがとうございました。m(_ _)m

ご覧になった皆様も、是非とも是非とも、すけっち・ぶっくさんにご感想を送りましょう!
たった一言の感想が、このような素晴らしい名作を生み出す大きな力になるのです。
皆様、なにとぞ、ご感想をよろしくお願いします!m(_ _)m

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