「お前たちは、ここに隠れてろ。出てくると危ないから」
 オレは左手をあゆに、右手を名雪の頭にのせて微笑みかけた。
「祐一だって危ないよ! あの人たち、川澄先輩と同じ――超能力が使えるみたいだし」
「ああ、そのことに関しては心配するな」
 オレは泣きそうな顔をしている幼馴染みたちに、意図的に作り上げた笑みを見せた。そして、新しく手に入れた右の黒手を翳す。
「オレのこいつは、超能力よりスゲェぞ」
 スイスのカストゥール研究所が製作した、第3世代型・超筋電義手。偉大なる天才シルヴィア・エンクィストの遺産。今はオレの右腕となった、科学の力が与えた特殊能力を持つこのナックルは、半端なPSIなら簡単に凌駕してしまう程の潜在能力を秘める。開発コンセプトは、『生の腕を切り落としてでも欲しくなる義手』。それがこの腕――
「ワイズロマンサー、モード『圧殺』!」
 オレは叫ぶと、高速戦闘が繰り広げられる闘いの舞台へと駆け出した。視線の先には、舞と互角の肉弾戦闘を繰り広げる黒髪の男。かつてオレたちが友人だと認識していた男。
「BITE THE……」
 オレの声門パターンを認識し、最終安全装置が解除される。そして、ガキンと硬い金属音が響き、右腕が微妙に変形した。最高握力686kgを誇る、ロマンサー第1機能の発動だ。
 他のヤツには目もくれない。反撃の隙も、認識の機会も与えない。弾丸の様に一気に間合いを詰め、握り締めた圧殺の右腕を、渾身の力で――
「BULLET!」
 叩きつける!
 強烈な、まさに圧殺の手応え。十字に合わせたガードの骨を粉砕する感触。腕で防御されたものの、686kgを誇る握力と、無重力合金のスペックは伊達じゃない。スレッジ・ハンマーで思いっきりぶん殴られたような衝撃と圧力を受け、ヤツの体はガードの体勢のまま数メートル吹っ飛ぶ。
「チィッ……!」
 だが、流石は高度な戦闘訓練を受けた兵士だ。空中で巧みにバランスを取り、砂埃を豪快に巻き上げながらもヤツは見事な着地を決めた。そして即座に、体に覚えさせたファイティング・ポーズを取り、2撃目を牽制してくる。完全に不意をついたはずなのに、初撃をガードされた上に、連続攻撃に入ることを許さない。――なるほど、こいつは本物だ。舞と互角にやり合えるだけのことはある。
「完全に入ったと思ったのに、まさかあのタイミングと間合いでガードするとはな。……やるじゃねェか」
「貴様――」
 黒髪の少年は、オレを睨みつける。視線に殺傷能力があれば、即死は免れないであろう程の鋭さだ。
「でも、手応えは充分過ぎたぜ。『圧殺』の一撃を正面から受け止めたんだ。骨が砕ける手応えが伝わってきた。もう、その両腕は使いモンにならないはずだ」
「確かにこの破壊力、人間の叩き出せるものではない」
 ヤツはその黒い瞳で、砕けて変形した自分の左腕を見詰める。
「貴様もその女と同じ能力者か」

「それより、名乗れよ。お前」
 舞とオレに正面から対峙し、ヤツは自分に勝機がないことを悟っているはずだ。そうなると、ヤツはどうでるか。プロである以上、恐らく退くだろうが――そんなことを計算しながら、オレはヤツとの間合いを計る。
「ぶん殴る前に、名前くらいは聞いといてやる。お前が以前名乗っていた『北川潤』は偽名だろ。と言うより、お前は北川の偽物だ。オレたちは、本物の北川を知ったからな。だから訊く。お前の本当の名前は、なんなんだ?」
「――名などない」ヤツは即答した。「生まれた時から、オレに名前はない」
「へぇ。不便なやつだな」
「だが任務を得た今は、コードネームを与えられている」
 名前のない男か。ちょっと想像がつかない。孤児だったのだろうか。あの鷹山さんもチョコレイト・ハウスの人間だったっていうが、ちゃんと名前があるし。となると、こいつは鷹山さんみたいに『異能者狩り』で捕獲された子供じゃなくて、サイマスターの遺伝子プールから人工的に作られたハイブリッドなのかもしれない。
「コードネーム砕破サイファ。それが、オレの名だ」
「砕破――」
 サイファ、か。聞き覚えがある。オレたちが財団に狙われていることを護衛たちに初めて告げられた時、彼らの口から出てきた名前だ。極東で最も恐るべきサイマスター。鷹山さんとも互角に戦えるって云う、アジア最強のホーリィ・オーダーって話だったよな、確か。そうか、こいつが……。
「OK、砕破。覚えたぜ」
「記憶する必要はない。お前は、ここで不慮の事故に遭う。そして、死ぬ。それがシナリオだ」
「やってみろよ!」
 返答の暇を与えず、オレは再び地を蹴った。砕破も機敏に反応し、真正面からそれに応じる。ヤツがどんなPKを持ってるのかは知らないが、それを発動させる前に間合いを詰めて、最初の一撃を決める。先手必勝。単純だが、もっとも効果的な戦術だ。
「死んでも恨むな、砕破さんよォ!」

神鳴モードELECTRIFICATION

 シルヴィアの囁きと共にロマンサーが再び変形し、バチバチと閃光を散らしながら青白く発光する。稲妻を纏ったようなこの腕は、もはやスタンガンなど相手にならないほどの超高圧電流を生み出している。絶縁破壊を起こし、電気を通さないはずの空気を切り裂いて雷のように相手に突き刺さる。拳がじかに触れずとも、掠っただけで感電するその威力は、最大で体感電圧121万ボルト。『圧殺』『煉獄』『神鳴』。ロマンサー3形態の内で、最強の殺傷能力を持つのが、この神鳴モードだ。
「BUST YOU UP!」
「オオオォッ!」
 インパクトの瞬間、視界を貫くような閃光が周囲を覆い尽くした。





ヒンキイ・ディンキイ
パーリィ・ヴゥ
Hiroki Maki
広木真紀




−煉獄の序章−





London United Kingdom
4years ago , AD 1996

4年前 1996年
イングランド 首都ロンドン


 拳が腹に捻り込まれた。内蔵が器官を逆流して口から飛び出るような衝撃。胃液と鮮血を吐きながら、オレは地に崩れ落ちていく。だが奴はそれさえ許さずに、自由落下を続けるオレの顎を掬い上げる様に爪先で蹴り上げた。
 ――もう声も出ない。オレはそのままの恰好のまま、後頭部から大の字に倒れ込む。生涯初めてとなる敗北。もう半分意識は吹っ飛んでいた。ただ、自分が負けたということ。そして、敗者としてこの仕打ちを延々と受けなれけばならないこと。それだけは薄れゆく意識の中で、絶望と共にハッキリと悟っていた。
 既に抗う気力も、手段も、理由もない。完全に抵抗することを止めたオレの体に、ヤツは薄笑いを浮かべながら蹴りを叩き込む。背中、鳩尾、頭部。時に踏みつけ、時に撃ち抜く様に蹴り上げる。その青い瞳は弱者たるオレを嘲り、吐き掛けれれる唾はオレに刻みつける敗者としての烙印だった。
 頭上から、罵声が浴びせかけられる。異国の言葉ではあるが、たとえ意味を正確に解することはできなくても、その意図することは明確に伝わってくる。
「立てよ」「もう終わりか」「雑魚野郎」「この日本人が」
 プライドの高い奴らが、黄色人種であり敗北者であるオレに掛けてくる言葉など、そうありはしない。
 不意に、どこからか微かな嗚咽が聞こえてきた。何故だろう、それに共鳴するかのように頬が熱い。奴らの罵声が遠のき、耳元で矢鱈にその泣き声が響き渡る。誰だ。誰が泣いてるんだ……?
 サンドバックのように激しく殴打され、その度にくぐもった呻き声を洩らしながら、オレは嗚咽の主を探す。誰が、何故泣いているのかと。そして、血に混じって地面にポタポタと絶え間なく落ちていく涙の雫を見つけて、オレは泣いているのが自分であることに気付いた。
 奴もそれに気付いたらしい。腹を抱えて笑い出す。喧嘩に負けて、散々に殴られて、泥と血と吐瀉物に塗れのた打ち回って。挙句、惨めに涙を流す生意気な日本人が、奴にとっては滑稽で堪らないのだろう。微動だにできないオレの頬を厚い靴底で踏みにじりながら、ゲラゲラと笑っては何かを叫んでいた。

 ……何故、こんなことになったのだろう。切っ掛けは、他愛もないものだった。強請りのカモになりそうな日本人のオレと、数人の地元の少年グループ。抵抗されると思っていなかったのか、拳で対抗を始めたオレに奴らは過剰に反応した。
 日本人の中学生と同年代の外国人では体格が違う。それはオレにとって致命的なハンデだった。しかも相手は4人。最初は何とか善戦していたものの、囲まれてしまうと、もうどうにもならなかった。
 特にリーダー格の男の強さは半端じゃなかった。明らかに喧嘩なれしている上に、180cmに及ぼうかという長身。10cm近い身長と、同比率で劣るウェイト。なにより、ヤツは人を殴ることに熟練していた。たとえ1対1でも敵わなかったに違いない。そしてオレは当然の帰結として、地面に這いつくばることになった。
 泣きながら、必死に頭を抱え込む。堪えようとも、嗚咽は止まらなかった。敗北の屈辱ゆえの涙じゃない。殴打される痛みの涙じゃない。ただ、それは恐怖の涙だった。
 抗う術もなく、助けもなく、抵抗することも出来ないオレは、ただ路地裏に投げ捨てられた空き缶のように、ヤツらが飽きるまで殴り、蹴られるしかない。
 惨めだった……。
 死の恐怖が脳裏をちらつく。これから自分はどうなってしまうのか。このまま、蹴られつづけて死んでしまうのだろうか。
 横腹に叩き込まれた爪先が、オレの肋骨を打ち砕く。音はなかったが、骨の折れるゴキリという感覚が体内で感じられた。獣の咆哮のような悲鳴を上げて、オレは吐血する。血と泥と吐瀉物に塗れて、オレは芋虫のように無様に地をのたうち回る。
 やめろ、助けてくれ……
 最初の強気は消えうせ、オレは卑屈に無言の叫びを上げ続けていた。
 もう逆らわない。だから、もう……
 だが、そんな心の悲鳴がヤツらに届くはずもなく、殴打は終わることなく続けられる。
 オレはただ、泣きながらその嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。









to be continued...
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脱稿:2001/10/03

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