イングランド 首都ロンドン
拳が腹に捻り込まれた。内蔵が器官を逆流して口から飛び出るような衝撃。胃液と鮮血を吐きながら、オレは地に崩れ落ちていく。だが奴はそれさえ許さずに、自由落下を続けるオレの顎を掬い上げる様に爪先で蹴り上げた。
――もう声も出ない。オレはそのままの恰好のまま、後頭部から大の字に倒れ込む。生涯初めてとなる敗北。もう半分意識は吹っ飛んでいた。ただ、自分が負けたということ。そして、敗者としてこの仕打ちを延々と受けなれけばならないこと。それだけは薄れゆく意識の中で、絶望と共にハッキリと悟っていた。
既に抗う気力も、手段も、理由もない。完全に抵抗することを止めたオレの体に、ヤツは薄笑いを浮かべながら蹴りを叩き込む。背中、鳩尾、頭部。時に踏みつけ、時に撃ち抜く様に蹴り上げる。その青い瞳は弱者たるオレを嘲り、吐き掛けれれる唾はオレに刻みつける敗者としての烙印だった。
頭上から、罵声が浴びせかけられる。異国の言葉ではあるが、たとえ意味を正確に解することはできなくても、その意図することは明確に伝わってくる。
「立てよ」「もう終わりか」「雑魚野郎」「この日本人が」
プライドの高い奴らが、黄色人種であり敗北者であるオレに掛けてくる言葉など、そうありはしない。
不意に、どこからか微かな嗚咽が聞こえてきた。何故だろう、それに共鳴するかのように頬が熱い。奴らの罵声が遠のき、耳元で矢鱈にその泣き声が響き渡る。誰だ。誰が泣いてるんだ……?
サンドバックのように激しく殴打され、その度にくぐもった呻き声を洩らしながら、オレは嗚咽の主を探す。誰が、何故泣いているのかと。そして、血に混じって地面にポタポタと絶え間なく落ちていく涙の雫を見つけて、オレは泣いているのが自分であることに気付いた。
奴もそれに気付いたらしい。腹を抱えて笑い出す。喧嘩に負けて、散々に殴られて、泥と血と吐瀉物に塗れのた打ち回って。挙句、惨めに涙を流す生意気な日本人が、奴にとっては滑稽で堪らないのだろう。微動だにできないオレの頬を厚い靴底で踏みにじりながら、ゲラゲラと笑っては何かを叫んでいた。
……何故、こんなことになったのだろう。切っ掛けは、他愛もないものだった。強請りのカモになりそうな日本人のオレと、数人の地元の少年グループ。抵抗されると思っていなかったのか、拳で対抗を始めたオレに奴らは過剰に反応した。
日本人の中学生と同年代の外国人では体格が違う。それはオレにとって致命的なハンデだった。しかも相手は4人。最初は何とか善戦していたものの、囲まれてしまうと、もうどうにもならなかった。
特にリーダー格の男の強さは半端じゃなかった。明らかに喧嘩なれしている上に、180cmに及ぼうかという長身。10cm近い身長と、同比率で劣るウェイト。なにより、ヤツは人を殴ることに熟練していた。たとえ1対1でも敵わなかったに違いない。そしてオレは当然の帰結として、地面に這いつくばることになった。
泣きながら、必死に頭を抱え込む。堪えようとも、嗚咽は止まらなかった。敗北の屈辱ゆえの涙じゃない。殴打される痛みの涙じゃない。ただ、それは恐怖の涙だった。
抗う術もなく、助けもなく、抵抗することも出来ないオレは、ただ路地裏に投げ捨てられた空き缶のように、ヤツらが飽きるまで殴り、蹴られるしかない。
惨めだった……。
死の恐怖が脳裏をちらつく。これから自分はどうなってしまうのか。このまま、蹴られつづけて死んでしまうのだろうか。
横腹に叩き込まれた爪先が、オレの肋骨を打ち砕く。音はなかったが、骨の折れるゴキリという感覚が体内で感じられた。獣の咆哮のような悲鳴を上げて、オレは吐血する。血と泥と吐瀉物に塗れて、オレは芋虫のように無様に地をのたうち回る。
やめろ、助けてくれ……
最初の強気は消えうせ、オレは卑屈に無言の叫びを上げ続けていた。
もう逆らわない。だから、もう……
だが、そんな心の悲鳴がヤツらに届くはずもなく、殴打は終わることなく続けられる。
オレはただ、泣きながらその嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
to be continued...
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脱稿:2001/10/03
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