覚  悟  は  い  い  か  ?
ARE YOU READY?



ヒンキイ・ディンキイ
パーリィ・ヴゥ
Hiroki Maki
広木真紀




−煉獄の章−




Hendon Way London NW4 3NE U.K.
4years ago...July 1996

4年前――1996年 7月
ユナイテッド・キングダム 王都ロンドン


 閉じられていた目蓋をゆっくりと開く。
 じんわりと滲むようにクリアになっていく視界。
 肉眼が、採取出来得る全ての情報量を正常に入力するまでに、幾許かの時間を要した。だが、取り合えず機能に異常や障害はないらしい。視覚と聴覚に引き続いて意識が覚醒し、思考が手元に戻ってくる。

「ここは……」
 口に出した瞬間、老人のように皺枯れた我が声音と、焼付くような胸の痛みに驚愕する。
 変だ。このガラガラに乾いた声。それに、息をする度に胸部に走るこの激痛は何だ。横たわっているらしい自分の体を起こそうとしても、ピクリとも動いてくれない。まるで、知らない間に死体になって、何かの間違いで意識だけ骸に取り残されてしまったような感覚。
 おかしい。一体、オレに何が起こった――?
 だが、その疑問も僅かに首を左左することで、即座に氷解した。四方を取り囲む白い壁と、脈打つように震える心電図。そして、周囲に漂うこの独特の雰囲気と香り。やんちゃが過ぎるオレにとって、比較的慣れ親しんだ空間。
 ――そこは、外科病棟の個室だった。

「おお、ドラ息子。目が醒めたか」
 突如、天井が消え、代わりに見知った男の暑苦しい相貌が視界に飛び込んでくる。
 目覚め1番、よりにもよってオッサンの顔か。こういう場合、普通は白衣の天使がニッコリと微笑みかけてくれるというのが定番なのではないのか。あんまりだ。なんと言うか――汚ねえ。美しくない。
「汚ねえって言うな! 汚ねえって」
 男は、ちょっと傷付いたらしい。ブワっと涙をその両の眼から溢れさせ、号泣しつつ抗議する。むさ苦しい挙句、喧しいことこの上ない。拷問か、これは。
「うるさいな、親父……」
 年齢の予測し難い、不思議な相貌のこの男。名を相沢芳樹よしき。不本意ながらも、オレの実の父親である。――まったくもって、実に不本意だが。

「病院なんだろ、ここ。ちょっとは静かにするとか言う思考、働かないのか……よ」
 喋ると、胸に鋭い痛みが走る。オマケに、呼吸がなんとも困難だ。恐らく、アバラ骨にヒビが入っているか、折れてでもいるのだろう。
「そうよ、あなた。ここは私に任せてください」
 ふと視界の外から女性の声が聞こえてきて、次の瞬間、親父は首根っこを引っ掴まれて放り投げられた。ボロ雑巾のように扱われた親父は、部屋の隅の方で「し、しどい……」とか言いながら、シクシク泣いているようだ。気配で分かる。
 そして、その親父の代わりに、柔和な雰囲気の漂う若い女性の微笑がオレの視界を支配した。
 ――ああ、やはり目覚めの瞬間は少なくともこうあるべきだ。暑苦しい親父より、何倍も気分が良い。

「気分はどう、祐一? 心配したのよ」
 そう言うと、彼女はオレの手を優しく握り締めた。そして、開いたもう一方の手で、オレの髪を優しく梳いてくれる。なんだか、不思議と心地好い。懐かしい感じがした。きっと今のオレは、喉を擽られて目を細めた猫みたいな表情をしているに違いない。
「――気分は上々だよ、母さん」
 どう考えても、その外見が母親に該当する年齢層に属していない女性に、オレは応える。それでもこの人がオレの実の母親であることに違いはない。勿論、血だって繋がっている。
「体が動かないのと、呼吸するたびに胸が軋むのは災難だけど。それより、状況を教えてくれないかな。ここが病院でオレが怪我をしてるらしいことは認識できたんだけど、それ以外のことはサッパリ分からない」

「……あなたは、大怪我をして病院に運び込まれたの。地元の少年グループに集団で乱暴されたのよ。 運び込まれた時、既に意識がなかったわ。昏睡状態のまま、まる1日ずっと眠りつづけていたの」
「ああ――」
 それで、全てを思い出す。
 そうだ。オレはこの辺りのアウトローに絡まれて、下手に抵抗したからコテンパンに伸されたんだった。
要するに、喧嘩に負けたってワケだ。何故だか、遠い昔の出来事のように思える。殴打を受けている時は、あんなにも恐怖していたのに。

「ゴメン、母さん。迷惑かけて。ずっと着いていてくれたんだろ。仕事、休ませちゃったな」
「オイ、ドラ息子! 夏夜子とオレとでは、随分と態度が違うじゃないか!?」
 ポイ捨てにされて、部屋の隅でサメザメと泣いていた筈の親父が復活して、またギャースカと騒ぎ出す。
「まったく、お前もしかしてマザコンか? 言っとくが、夏夜子はオレのだからな。やらんぞ」
「母さん、頭が痛いんだ。そこの煩いの、黙らせてくれないか」
「ええ。少し待っていて」
 母さんはニッコリ微笑むと、一端オレの視界から出ていった。そしてその一瞬後、オレの視覚的認識の外側で、ズカゴキドカバキという破滅音と「あんぎゃー」とかいう、世にも汚い断末魔が聞こえてきた。
「始末してきたわ。これで暫くは復活できないと思うから」
 そう言って、再び母さんが戻ってくる。それと同時に、部屋の隅で「シクシク」とまた誰かが泣き始めた。なんとも憐れを誘う泣き声だ。フッ。何だか、胸がスッとするぜ。

「それで、母さん。オレの体はどんな具合?」
「あらあら。自分の身体のことを、私に訊くの?」
 母さんはにこにこ可笑しそうに笑う。だが、直ぐに真顔に戻った。
「あまり良くないわ。全身8ヵ所の骨折。打撲は数えきれず。特に、肋骨と左腕、右手の傷が酷いそうよ。暫く入院らしいわ。全治4ヶ月の重傷よ」
「そうか……」
 道理で、躰がピクリとも動いてくれないわけだ。8ヵ所も骨折しているなら、それも当然だよな――。
 だがフィジカルな痛みより、親父や母さんに掛けてしまった心労の方がオレを苛んでいた。そして何より、恐怖に支配されて何も出来なかった自己への激しい嫌悪。

 あの時のオレは、抵抗を放棄し、ただ小動物のように躰を丸めて、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
 いや、問題は喧嘩に負けたことじゃない。物理的な抵抗ができなかったことじゃない。相手は複数だったし、体格の良い年上の男たちだ。勝てなくてある意味当然だ。負けたのは勿論悔しいが、だが恥じることじゃない。
 問題は、物理的な抵抗だけでなく、精神的な抵抗すらオレは諦めてしまったと言うことだ。殴られ、蹴られる痛みと恐怖に屈してしまったという事実だ。ただ怖くて、ガタガタと震えているだけの臆病者。自分から変えようとせず、ただ環境に流されるだけの卑怯者。普段のオレが1番軽蔑してきた種の人間。最も嫌いなタイプの男。オレはそれになってしまった。
 痛みに怯えて、暴力に恐怖して、結局オレは奴らに屈してしまった。自分を保てなかった。だから誰が許しても、相沢祐一は己を嫌悪する……。

「母さん、少し1人にしてくれないか。バカ親父のせいで何だか疲れた。ちょっと眠りたい」
「――ええ。そうすると良いわ」
 母さんは、じっとオレの瞳を覗き込むと、やがて微笑みながら言った。
 きっと、見透かされたんだろうな。母さんは、いつもオレの心の中なんかお見通しなんだ。目が醒めたんなら、本当は医師の診断を受けた方が良い。だけど、母さんはオレの甘えを見逃してくれた。
「しくしく……」
「あらあら、あなた。いつまでもこんなところに寝てないで、行きますよ」
 そんな声が視界の外から聞こえ、やがてズルズルと重たいものを引き摺るような音と共に、母さんの静かな足音が廊下の向こうに消えて行った。

 室内に静寂が戻る。
 オレは何とか動く左手を、砕けるほど強く握り締め――
 そして目を閉じた。



「畜生……」










London Iryo Center
Hendon Way London NW4 3NE U.K.
July 1996 18:55 P.M.

同日 午後06時55分
ロンドン医療センター


「――よう、ドラ息子。元気か?」
 病室にはあるまじき陽気さを以って、その夜、親父がやって来た。全身を骨折している上、ギプスやら包帯やらでガチガチに躰を固定されているオレは、首を動かすことすら難しい。傍らまで近付き、上から顔を覗き込んで貰わないと、相手の顔も確認できない。だが、このバカ親父だけは声を聞いただけで、そいつだと断定できる。
「何の用だよ、親父。オレは今、すこぶる忙しいんだ」
「ほほう、そのザマでか?」
 ベッドの脇に近寄ってきた親父は、意地悪く言った。面を拝まないで済むのは不幸中の幸いだが、生憎と見えなくても邪悪に微笑んでいるであろうことが如実に分かってしまう。
「今、何時だ?」
 首も動かせない=ベッドサイドの時計を見遣ることもできないオレは、渋々だが親父に尋ねた。そうしなければ、現時刻さえ確認できないのだ。全く、全身不髄ってのは一時的な話しにせよ、とんでもなく不自由だ。いずれ全快して、再び動けるようになるという希望がなければ、ちょっとやっていけないかもしれない。
「今か」親父が腕時計に目をやったのが、気配で分かる。「もう直ぐ7時だな。勿論19時の方だぞ」
「良いのか、こんなところで油売ってて。今夜も行くんだろ?」
「ん、なにが」親父はスッとぼけて言う。
 オレと親父は、容姿はともかく性格と雰囲気はソックリらしい。だとしたら、オレって人間は相手に回すと、こんなに疲れるような存在なのだろうか。考えただけで、背筋が寒くなる。悪夢だ。
「何がって、あんたバスカーだろ? ご自慢のチェロで、世界を変えるんじゃなかったのか」
「ああ。まあな」
「だったら、こんなところに居ないで早く行けよ。まずは、夜のレスター・スクエアで伝説を作る。それが、アンタの野望なんだろう?オレなんかに構うなよ」
「まあ、そう結論を急ぐな」
 そう言って、親父は腕を組みオレを見下ろす。その恰好が、視界の隅を掠めるようにして見えた。
「オレはな、祐一。ガキの頃、山田ケンイチの『セロ弾きのゴルジュ』って話を知った。確か、紙芝居だったと思う。オレがガキの頃はな、紙芝居屋のオヤジってのがいて、自転車に紙芝居セットを載せて、町までやってくる。そういう商売があったんだ」
 親父は当時のことを思い起こしているのか、妙に遠い目をして虚空を見ている。
「でな。その『セロ弾きのゴルジュ』の物語を知ってだな、オレは感動に打ち震えたわけだ。チェロで――サウンドで動物たちを癒すとは、なんて凄いヤツだ。やるじゃねえか、ゴルジュ! ってな」
「それは宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』だ、アホ親父。手前の人生の切っ掛けになったモノの名前くらい、しっかり覚えろ。それに、あれはサウンドで癒したというより、チェロの振動が効いただけなんだけだ。ケダモノたちに、サウンドそのものが効いたわけじゃない」
「ウム、まあそうかもしれんがな。ガキのオレには、そんな些細な事はどうでもよかったのさ」
 そう言って、親父は苦笑する。
「とにかくだ、オレは思ったわけよ。こいつを超えるチェロ弾きになってみたい。ゴルジュがチェロで動物を癒し、語り合ったなら――」
「ゴーシュだ」
 拳を握り締めて熱弁しだした親父に、オレはささやかな突っ込みを入れる。
「む。まあ、ゴルジュでもゴーシュでもいいさ。とにかく、ヤツが動物の病を癒したなら、オレは死人さえ甦らせちまうような、この世で1番偉大なサウンドを作り出してやる。1度聞いたが最後、一生震えが止まらなくなるような衝撃を、この手で生み出してやる。……そう思ったわけだな。で、それが4歳児のオレの夢になった。そして、その日からオレは毎日チェロを弾いては、歌いまくってきた」
「知ってるよ、そんなこと」
 それは親父本人の口から、そして母さんの口から、両親を知る様々な人から幾度となく聞かされてきた話だった。親父の音楽に掛ける異様なまでの情熱は、親戚連中でも有名な事実なのだ。中には、音楽みたいなチャラチャラしたものに一生を掛けるなんて狂人でしかない、そんな風にあからさまに嘲る奴らもいる。
「でもな、今、こうも考えている。自分のドラ息子の心1つ動かせない奴が、世界を動かすほどのサウンドを、果たして生み出せるもんかってな?」
 口元にこそ微笑が浮かんでいたが、そう言った親父の目は鋭かった。目を逸らせないほど、真剣なものだった。
「感動ってのは、人の心を動かすってことだ。一生忘れられないような衝撃で、そいつを変えちまうような力だ。オレのチェロがもし世界に通用するなら、今ここでお前を動かせないはずがない。変えられないわけがない」
「……何が言いたいんだよ」オレは、対抗するように親父を睨み上げた。
「お前はアホだが、オレの息子だ。迷惑極まりないが、一応、とりあえず家族だ。だから世界を動かす前に、オレはまず、お前を動かさなきゃいけない」
 そして、心の奥底を覗くようにオレの目を睨みつける。
「後悔して、自己を嫌悪して。自分に自信も持てずにウダウダやってる臆病者のバカ息子を動かして、恰好良いこのオレの息子に相応しいような、ナイスな親孝行男に変えなくちゃならない。莫迦ドラ息子ひとり動かせないような男に、世界に名乗りを挙げる資格なんかないぜ。違うか?」
 オレは―――何も言えなかった。
 正しかったからだ。その言葉は、オレが思い悩んでいたことを言い抜いていたからだ。親父は、何故だか知っていた。今、オレがどんな状態にあるか、知っていた。今1番問題としなくちゃならない、奥底の部分を。オレに今、1番足りないものを。バカ親父は、バカ親父の癖に、何故だか知っていた。
「お前が何故、今の状態に陥ったのかは知らん。知ろうとも思わん。肝心なのは、相沢祐一という男が死ぬほどカッコ悪いって事実だ。鏡を覗き込んでみな。自信のカケラも見当たらない、冴えない自分が見えるぜ? 大方その冴えない馬鹿は、自分で自分を臆病だの卑怯者だのと蔑まなけりゃいけないような、無様な屈し方をしちまったんだろうさ」
「チッ、うっせーな! それくらいアンタにイチイチ指摘されなくたって分かってるよ」
 今のオレには、図星を指されて、カッと頭に血を上らせて、ただ親父に怒鳴り返すことくらいしか出来なかった。そして、そのことを知りながら己を律することが出来ない自分を、また嫌悪する。どうしようもない悪循環。泥沼だ。
「……フン。馬鹿は馬鹿なりに、一応考えたみたいだな」
 親父は憎たらしく唇の端を吊り上げると、鼻で笑った。
「信念がないから、そういうことになる。お前の意志は弱いんだよ。なんでか? 簡単だ。『これだけは譲れねえ』ってもんを、お前は持っていないからだ。何かあったら、直ぐ尻尾巻いて逃げる。それがクセになっちまってるから、お前はそれをこれまでの人生の中で見つけることができなかった。チャンスは幾らでもあったにも関わらず、だ」

 ――ゆーいち

 シッポ巻いて逃げる。その親父の言葉で、何故か脳裏に聞き覚えのある少女の声が甦った。
 懐かしいような、悲しいような――オレが置き去りにしてきた、誰かの声音。だがオレは、その朧げな記憶とヴィジョンを意図的に脳裏から振り払った。
「じゃあ、アンタにはあるのかよ。その信念とやらがよ」
 他人の手によって自分の深層心理や欺瞞を解体されていくのは、焦りと共に憤りを生むものだ。今のオレは、まさにその状況に置かれていた。親父を睨みつけ、見苦しく己を取り繕おうとする。
「ないと思うか?」親父は、また不敵に笑って見せた。
「オレにないと思うか? 祐一、良く考えてみろ。脅されて、蔑まれて、オレが何かに屈する姿を想像できるか? 恐怖と不安で、オレがチェロの旋律を自ら乱したことがあったか? オレが過去1度でも、他人からの罵倒と嘲笑からシッポ巻いて逃げ出したことがあるか?」
 ――そうだ。
 オレは知っていた。親父は絶対に諦めない。何ものにも屈さない。
 生まれた時……いや、オレが母さんの胎内にいた時から、親父はチェロを弾いていた。何故だか生まれる前に聞いたその懐かしい旋律を、オレは覚えているような気さえする。記憶にある親父は、いつも楽器を弾き、そして歌っていた。チェロだけじゃない。ギターもピアノも、ハーモニカも。いつもどんな時も、オレの記憶にある両親の姿は常にサウンドと共にあった。
「オレのこの旋律で、世界を変えたい」
 親父はいつも、子供のオレよりガキみたいなことを呟いていた。口癖のように。いつも、自分の夢を語っていた。
「オレのサウンドはよ、銀河の果てから宇宙人だって呼び寄せるぜ」
 誰に理解されることがなくても。親類に白い目で見られても、狂人だと、変人だと陰口を叩かれても。 親父は、自分が正しいと思ったことを絶対に途中で諦めるような事はしなかった。いつも絶対的な自信に満ちた、ふてぶてしい笑みを浮かべて、チェロを奏でて――そして母さんと一緒に、楽しそうに歌っていた。
 親父は、いつもオレを罠に嵌めたり、陥れたりする性根の歪みきった腐れ外道だが、だけど、これだけは認めないわけにはいかない。
 こいつには「譲れないもの」ってのが、確かに、ある。
 手前の好きなことだけやって、他人の目とか世間体なんざ気にも掛けず、おかけで周囲の人間から白い目で見られてるバカだけど。生活能力皆無で、母さんに甘えてばっかりいる、ぐーたら親父だけど。
 だけど、その揺るぎ無い意志と、自分の夢にかける情熱というならば……残念だが。不本意だが。その限りない諦めの悪さなら、親父は誰にも負けようが無い。
 親父はいつも、口に出した事は実行してきた。誰もが不可能だと言い切ることを、1人だけ諦め悪く続けてきた。そんな腐れ親父を見てきたから、オレは何となく期待せざるを得ない。この男は、母さんと一緒に、やがて伝説を作るだろう。いつか、語っていた夢を我が手に掴むだろう。そして遂には、地上最強のチェリストとして、世界の頂点に立つ日が来るだろう――と。悔しいが、オレにさえそう思わせるだけの不思議な力と強さを、こいつは持っている。本当に頭に来るけど。それだけは、認めないわけにはいかないんだ……

「フム。そのツラを見るに、オレの言いたい事は大体伝わったみたいだな」
 親父は、オレの顔を上から覗き込むとニヤリと笑う。
「幸い、お前の躰は何ヶ月かは使い物にならん。日本にも帰れないからな。ま、病院と監獄の中は考える場所としては最適だ。これを好機と思って、色々と考えてみるといい。じゃないと、正直、今のお前――カッコ悪すぎるぜ?」
 親父はこっちが身動きできないのをいいことに、ポムポムと憎らしくオレの頭を叩くと、踵を返して病室の出口へと向かう。そして、ドアを空けたところで再び言った。
「身動きできるようになったら、オレのチェロを聴きに来い。骨折の1つや2つ程度、簡単に癒えちまうぜ。少なくとも、糊でくっつけるよりかは確実さ。じゃあな、ドラ息子。レスターで待ってるぜ」
 ドアが閉まる。
 コツコツと硬い足音が、遠ざかっていく。と、部屋の外で、女性の金切り声が聞こえてきた。
「ああっ、見つけましたよ!」
「げっ、さっきの小煩い看護婦!?」親父の慌てふためいた声。
「小うるさいとはなんですか。うるさいのは、あなたの方です! いきなり小児病棟に乗り込んで来て、『とりあえず、オレで癒えろ〜』とかなんとか! 一体、どういう了見ですか!? あなたが突然チェロを弾いて歌い出したせいで、子供たちが騒ぎ出して、鎮めるのが大変だったんですよ」
 あのバカ親父……またやらかしたらしい。本当にサウンドで病もケガも癒せると思ってるとは。本人は「チャレンジだぜ!」とか言ってるが、あれは単なる馬鹿に違いない。
「まあ、そぎゃん青筋たてて怒鳴らんとええやん。子供は楽しそうに踊りまわってたんだし。病室に篭もり切って、葬式みたいな顔してるよりかは随分と健康的だろ。いや、むしろ、オレはエライ! 誉められることをした」
「何を子供のようなヘリクツを! とにかく、一緒に来てください」
「やだよーん。オレはこれから、レスター・スクエアで熱狂ライヴなんだからな〜」
 再び遠ざかっていく親父の足音。今度は駆け足だ。
「コラ〜、このカラオケおやじぃ! 待ちなさぁ〜い」
 それを追う様に、看護婦のものと思われる足音も遠ざかっていった。
 フッと、知ぬ内に笑みが零れる。親父はどこまで行っても親父だ。きっと、殺したって治らないだろうな。あのバカだけは。
 じゃあ……じゃあ、オレはどうだ?
 オレは何時もオレでいられるか?
 どこまで行っても、腐っても、死んでも、オレはオレのままでいられるか? オレは、あんな風に『相沢祐一』を保てるんだろうか?
 親父を見て、そう考える。
「相沢、祐一……か」
 瞳を閉じて、唇でその名を唱えてみる。
 なんだか、それが酷く頼りないものに思えた。







to be continued...
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2001/10/15 02:02:08

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