こ い つ を 叩 き 潰 せ !
BUST YOU UP!




ヒンキイ・ディンキイ
パーリィ・ヴゥ
Hiroki Maki
広木真紀




−煉獄の章−






夢――

夢を見ていた。


天に挑みかかるような大樹。
名も無い忘れられた、静かな森の奥。
一面の銀世界。誰もいない、2人だけの秘密の学校。

空高く舞う鳥たちと同じ高さで、吹き抜ける風に目を細める少女。
登れない。オレには、届かない。
不安を胸に見上げるだけで、オレは彼女の傍にはいけない。

破滅の音。
軋む枝と、刹那の悲鳴。
砕ける音。
白い雪の大地に広がっていく紅いシミ。

動けない。
オレは、1歩も動けずに――
躊躇うことなく、一瞬たりとも迷うことなく、駆け寄りたかったのに。
抱き上げてあげたかったのに。
オレはどうしても動けずに――
ただ終わりの瞬間を見詰めているしかなかった。

そして、オレは逃げ出した。
白銀のヴェールで記憶を覆い、
追い縋る多くの絆たちを振り切って――


そう、オレは逃げ出した。













GMT 20 September 1996 02:28 A.M.

1996年 9月20日
深夜2時28分



 オレの先祖は、かつて神を冒涜するような挑戦をしたのだろうか。たとえば、ガブリエル女性説を確かめに天国へ乗り込み、彼のズボンを下ろしてその真偽をハッキリさせてきたとか。或いは、神の髪の毛はカツラであるという疑惑の真相を探るため、彼の髪を勇猛果敢にも毟り取ってきたとか……。
 もしそうだとするなら、ここ最近オレが受けているこの仕打ちは、その罰であるに違いない。何しろこの数ヶ月間で、オレはもう『3度も』頭部をブン殴られて意識を失っているんだからな。
 ――その3度目の昏倒から目覚めた時、最初に見えたのは随分と高い天井だった。
 ヨーロッパの建物は基本的に日本建築と比べて天井が高いものだが、今オレが見上げているオレは、その前提などとは関係無しに、無条件で高く大きなものだった。高さは、4メートルくらいだろうか。それも普通のアパートのように平面状の天井ではなく、鉄筋で出来たフレームによって支えられた、窪みのある天井だ。体育館のそれに似ている。

「ここは……」
 状況を確認するために、仰向けになっていた躰を起こす。殴られた痛みはあったが、幸い出血はもう止まってくれたらしい。変に血が乾燥しているせいで、顔中の皮膚が突っ張ったようになっている。
 そこまで考えて、漸く気が付いた。
「ど、どうなったんだ!?」
 そうだ。オレは、頭をブン殴られて気絶して――多分、地元の少年グループに親父と一緒に連れ去られたはずだ。と言うことは、ここがその監禁場所か?
「ようやくお目覚めみたいだな、小僧」
 起き上がると、不本意にも見慣れてしまった奴等の美しくない顔が並んでいる。帰宅したキースを除く、7人。いや、オレたちが最初に倒したひったくりの2人を含めて、9人に増えている。
「じゃあ、早速ゲームを始めようぜ。もう夜中の2時半だ。オレたちも帰って寝たいからな」
「ふざけんな、この――ッ!?」
 折れていない方の右腕で殴りかかろうとした瞬間、その腕が何かに引っ張られる。ジャラリと鎖が鳴るような音と共に、動きを封じられた。
「な……?」
「オイ、祐一。あんまり派手に動くなよ。痛いだろうが」

 怪訝に思って声の方を見ると、そこには親父がいる。1メートル程離れた、オレの右隣だ。その左手は手錠のようなもので拘束されている。普通のタイプの手錠ではなく、金属製の大きな筒を手首全体に嵌めるタイプの手枷だ。そこから太い鎖が伸びていて、壁に埋め込まれた金属製の輪を潜り、もう一方の手枷に続いている。
 そして、そのもう一方の手枷というのが――オレの右手に嵌め込まれていた。
「な、なんだコイツは!!」
 力任せに引っ張ってみるが、結果は親父の左腕を引っ張ることになるだけ。それで鎖が千切れるわけでもなく、当然、オレは鎖の範囲を越えては動けない。
 小屋に繋がれた犬みたいなものだ。標的に食い掛かりたいと思っても、連中の喉に牙は届かないってことか。
「だから痛いって言ってるだろうが、ドラ息子。無闇に動くな!」
 左腕を引っ張られた親父が不平の声を上げる。
「その径行直情型の愚直な性格、何とかしろ。ケダモノかお前は。学習しろ、学習を」
「ケッ。親父にだけは言われたくねェよ」
 ドッカリと腰を落としながら、オレは言った。

「まあ、いい。で、ボウズ。オレたちを一体どうするつもりだ? 流石に拉致監禁は洒落にならんぞ。先進国の何処にいても、そいつは重罪として裁かれる」
「ハッ、そうでもねえさ」
 親父の言葉を、奴等は鼻で笑う。
「キースさんは、この国の司法を牛耳ってる。弁護士、検事、裁判官。警察や軍にいたるまで、友人が沢山いるわけよ。だから、ここでお前等を殺したとしてもなんの痛みもねえ。しかもオレたちゃ、未成年者だしよ? ……法律ってのは、大甘にできてるのさ」
「法律が裁かなくても、オレがやるぞ」
 オレは連中を睨み付けて、言った。
「テメエらの親玉――キース・マクノートンだったな。そいつも逃がさねェ。いつか纏めて、テメエらはオレが潰す」
 自分の拙い英語力を総動員させて、脅しをかける。勿論、脅しだけじゃない。本気でやるつもりだ。
「ハッ! 笑わせてくれるぜ、この小僧」
 だが、やつらには何の恐怖にもならなかったらしい。9人の少年たちは、其々腹を抱えて大爆笑する。
「お前、自分の立場が分かってんの? 鎖で繋がれてる犬コロに何が出来る、アァ!?」
 1人が歩み寄って来ると、オレの側頭部を薙ぐ様に思いっ切り蹴り払う。
「グ、ハ……ッ!!」
 右方向に吹っ飛ばされたオレは、親父をクッションにして倒れ込んだ。  クソ――口の中を切ったみたいだ。錆びたような血の味が、更に広がっていく。顎の骨が少しずれたみたいだな……。

「良いか、小僧。お前等は、どの道ここで死ぬんだよ」
「なんだと」
 少年の1人が、口から流れ落ちる血を拭うオレに顔を近づけて凄む。
「コイツが何か分かるか、小僧」
 奴は懐から、長さ30cm、縦横5cm程度の長方体の筒を取り出し、オレの眼前に付きつける。
「キースさんのシンジケートはな、こういうモノも取り扱ってるんだよ。分かるか? ……これはな、コンポジション4。お前らを50回は殺せる爆薬よ」
「?」
 何やら楽しそうに解説しているが、オレが基本的に英語を喋れないということを、コイツは失念している。ちょっと難しい単語を使われると、何が何だか分からなくなるのだ。オレは。
「――オイ、親父。こいつ、何て言ったんだ? コンポジなんたらとか」
「そこの馬鹿面が持ってる四角いのは、通称『C4』って呼ばれてる爆弾らしい」
 親父が珍しく硬い表情をして、低く告げる。
「ばっ、爆……? 爆弾って、あの爆弾か!?」
「どの爆弾か知らんが、多分、その爆弾だ」親父は肩を竦めて肯定する。
「C4ってのは、よく聞く『TNT爆薬』より強力な、軍用のプラスティック爆弾だ。ガキが持つにはちょっとヤバ過ぎるシロモノだよ。爆速は、秒間で7000メートルを軽く超える。こいつが持ってる1.1キロのC4だけでも、この小さな倉庫くらいなら吹っ飛ばせるだろう」
「――なっ!?」

「どうやら、大体こいつのことは分かったようだな。小僧」
 ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、少年は楽しそうに言う。  腐りきってるな。これから人を殺そうっていうのに、ゲーム感覚でいやがる。
「倉庫の端に木箱が見えるだろう? あそこには、この爆弾が全部で11kg詰まってる。お前等が寝ている間に、時限式の起爆装置をしかけておいた。……オイ、持ってきてくれ」
 オレと向き合っている少年が指示を出すと、その爆弾を詰めた木箱が仲間の手によって運ばれてきた。
 目と鼻の先。すぐ間近だが、鎖の制約のせいで触れることが出来ないギリギリの距離。そんな絶妙なポジションに、それは設置される。距離にして約3メートルといったところか。
 木箱の大きさは、小型のダンボールくらい。ミカン箱程度だと思えば良い。奴の言った通り、既に起爆装置がセットされているらしく木箱の上に設置されたデジタル時計が、カウント・ダウンを開始していた。
 デジタル時計の示す、爆破までのリミットは――残り、2時間19分。
「このデジタル表示を見れば分かる通り、時限式の起爆装置は、今から2時間チョイで爆発する。時間が来れば装置が作動して、全部で11キロのプラ爆が一斉に爆発だ。聞いた話だと、この倉庫は勿論、周囲数百メートルは完全に消失することになるって話だぜ? お前等の死体なんぞ、骨のカケラすら残らないのさ」
 その言葉に、少年たちはゲラゲラと笑い出す。オレたち親子を殺すのが楽しくて仕方がないらしい。

「そんな大層な爆発を起こせば、どう考えたって周囲の人間に怪しまれるぞ」
「ハッ。聞いてなかったのか、オッサン。キースさんは司法に手を回せるんだよ。勿論、警察にもだ。それにな、ここいらはド田舎さ。周囲5キロには、民家すらねェ。派手に爆発しようが、誰も気付いちゃくれねぇのさ。心配には及ばねぇよ」
 これも、親父に和訳してもらう。なるほどね、抜かりはないってことか……。
 マクノートン家ってのは、死の商人でもやってるんだろうか。相当、大きな力を持ってるらしい。
「ゲームのルールは簡単だ。お前らは、今から2時間以内――この爆弾が爆発する前に、その手錠を外してこの倉庫から逃げ出せば良い。無事に逃げ出せれば、命は助かる。失敗すれば、爆弾と一緒にあの世逝きだ。邪魔は誰もはいらねェ。どうだ、面白いだろう?」
「この野郎……」
 細工は完璧か。憎い演出してくれやがる。命懸けのゲームってことかよ。
 ただし、勝率はゼロだ。どう考えたって、この鎖をブッ千切って脱出するのは不可能だ。こっちはアルセーヌ・ルパンじゃないんだからな――。
「じゃあ、精々がんばってくれや。もう夜中の3時だ。オレたちは帰って寝るからよ。夜が明けて爆発した後ここに来て、結果るは見届けてやるから安心しな。まあ、全部粉々になって見届けるもクソもねェだろうけどな? 死体の処理に手間が掛からなくて楽ってもんだぜ」
 少年たちは腹を抱えて笑い合い、それぞれに捨てゼリフを残すと薄暗い倉庫から出ていった。外でバイクと車の排気音が鳴り響き、やがてそれも遠ざかっていく。それが完全に消え去った時、周囲に再び夜の静寂が戻った。
 物音1つしない静かな夜の倉庫内に、鎖に繋がれた親父とオレが、たった2人取り残される。400%完全な致死量の爆弾と共に。

「――って、ヤバイよ。ヤバイぞ。ピンチだぞ! どうすんだ。このままじゃ、死んじまうぞ!?」
「爆弾だ。プラ爆だ。シーフォーだ。あいつら、オレを本気で殺す気だぞ。正気じゃねー!」
 オレと親父は、取り合えずギャーギャーと錯乱してみる。
「とにかく、この手枷をなんとかして出ないと、本気で死ぬことになるぜ!?」
 矢鱈滅多らに鎖を振りまわしてみるが、それはジャラジャラと耳障りな音を立てるだけでビクともしない。勿論、こんなことで切れるだなんて期待はしていなかったのだが。
「このドラ息子!元はと言えば、お前がヘマしでかしてくれたおかげで、こんなことになったんだぞ。男だったらキッチリ責任とって、どうにかしろ!」
「うっせえ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないだろが、馬鹿親父。どうにかしてこの鎖を解いて、逃げ出す方法を考えろよ。責任問題追求してもなんの解決にもならんだろうが、アホ。少しは建設的に考えんかい」
「なんて生意気な奴だ。アホって言う奴がアホなんだぞう!」
 子供みたいな論法で親父は文句を返してくる。
 いかん。この男の相手をまともにしていては、貴重な時間を浪費してしまうことになる。

「はー。儚い人生だったぜ……」
「コラ〜、馬鹿親父! いきなり諦めてどうするんだ、オメーは」
 目を瞑っていきなり眠り出す親父を揺すって、強引に起こす。
「助かる気あるのか、アンタは」
「だって、お前。この鉄のチェーンを見ろよ」
 親父はジャラリと鎖を鳴らし、自分の左手に嵌められた手枷を見せつける。
「どう考えたって、人間業じゃこれは千切れないぞ。爆弾が手に届く範囲にあるなら、起爆装置を解除するって手もあるが、生憎と3メートルも向こうにあって指先すら届かない。どうしようもないぜ、これはよ」
 ――確かにその通りだ。オレたちを拘束しているのは、普通の手錠ではなく手枷。長さ10cmくらいの鋼鉄製の筒で、これが手首にガッチリと嵌まっている。それが2つ1組になっていて、片方は親父の左腕。もう片方はオレの右手に食い込んでいるってわけだ。
 そしてその両者は、太くて頑丈な鉄の鎖で互いに繋がれているという寸法だ。警察がよく使う手錠で、片腕ずつ仲良く繋がれている姿を想像すれば、近しいイメージは得られるだろう。
 また、その鉄の鎖は、壁に埋め込んである金属製のリングに通してあって、オレたちが鎖が届く範囲からは動けないように拘束している。リングは人間の腕が辛うじて通るか通らないか位の大きさしかないので、オレか親父のどちらかが身体ごと通り抜けて脱出する事は不可能だ。
 つまり、オレたち2人は鎖で小屋に繋がれた2匹の飼い犬状態。鎖を千切るか、手枷を叩き壊さない限り、この倉庫から脱することはおろか、自由に動くことすら侭ならない。

「大声で叫べば、誰か来てくれないかな?」
 ダメ元で提案してみる。
「――無駄だな」親父は断言して、オレの淡い期待を粉砕する。
「連中は英語で喋ってたからお前は分からなかっただろうが、どうやらここは人里離れた辺境の地らしい。周囲5キロ四方には民家すらないんだと」
「でも、奴らの言うことだ。ハッタリかもしれないぜ?」
「いや。それはないだろう。ここは、奴らの組織がヤバイ荷物を置いておく倉庫として使っている節がある。C4プラスティック爆弾が10ケース――11キロも置いてあるのが良い証拠だ。爆発物の保管庫を、人工密集地帯に作るわけがない。誰もこない田舎の片隅に作るのが常道だ。そこを考えると、奴らの言っていたことはブラフじゃないってことになる」
「……じゃあ、どの辺なんだ。ここは?」
「今が、大体2時30分だろ。オレたちが中華街で奴らと揉めていたのが12時くらいだから、あれから約2時間半かけて、ここに運ばれてきた計算になる。人里離れた西のほうに進んだと仮定すると――」
 親父は少し考えると続けた。
「高速に乗ってブッ飛ばせば、南ウィルトシャー群あたりまでこれるよな。もっと行って、ソールズベリィあたりかも知れん」

「それって何処よ?」
 ロンドンには何度も来ているが、田舎の方となると土地鑑はほぼゼロに等しい。
 日本人は良く誤解するが、ヨーロッパで華やかなのはあくまで都心部のみ。少し外れると、素朴な田園風景が広がるのが、基本だ。同じ先進国でも欧州と日本とは気質が決定的に違う。
「お前の貧弱な知識で分かりやすく説明するなら――古代遺跡のストーンヘンジは知ってるな?」
「おお。教科書にも載ってたぜ。デカイ石が並べられてる、謎の遺跡だろう?」
「ウム。多少滅茶苦茶な部分のある認識だが、まあ間違いない。そのストーンヘンジはロンドンから車で西に2時間程度行った辺りにあるんだが、まあ、その辺だと考えれば良い。とにかく、この辺りは古代遺跡が多くてな。緑の綺麗な所なんだが……遺跡があることからも推測できるように、超ド田舎だ。人も少ない」
 因みにソールズベリィは、そのストーンヘンジの南15キロ程のところにある街の名前らしい。
 それはともかくとして、だ。ここで重要なのは、その辺一帯が人気の少ない田舎だという事実だ。
 まあ、この倉庫がイングランド南西部にあると決まったわけではないが、助けが来てくれるという甘い期待は抱かない方が懸命だということは確かみたいだな。
「分かり易くいえば、『万事休す』ってやつだ」
「他にも『絶体絶命』という表現もあるぞ、馬鹿息子よ」
「……」「……」
 ――暫しの沈黙。
「……はぁ」「……ふぅ」
 そして、2人の溜息が重なった。
倉庫内をボンヤリと照らし出すのは、天井からブラ下げられた頼りない電球のみ。
都会の喧騒からは遠く離れたこの場所で、オレたちの最期を告げるカウント・ダウンは静かに、だが確実に時を刻んでいく。

残された時間は、あと――2時間7分21秒。





to be continued...
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2001/10/28 21:04:19

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