あの失われた腕の名は
“ロマンサー”
我らを捉え離さぬもの



バイト・オン
ザ・ブレット
Hiroki Maki
広木真紀




−圧殺の序章−





 電子メールの着信を告げるランプが点灯した。美坂香里は幾度かマウスを操作し、そのメールを受信。ディスプレイ上に表示させる。送信者を確認してみると、アドレスは『生徒会』になっていた。
 彼女の学校は、冬になると大豪雪に見回れることが度々あり、それによる学校の対応を報せるために、生徒会が電子メールを使って連絡をしてくることが多い。電話は対象となる1軒1軒に掛けなくてはならないが、メールは1通書けばそれをコピーして大量にばら撒ける利点があるからだ。
 それとは別に、香里は学校のサーバーに学級委員長としてのアカウントを持っている。ここには一般生徒より早く、学校側の決定や生徒会の連絡事項が伝わってくるのだ。彼女は、そのアカウントにメールが送られてくると、自動的にそれをコピーして、自宅にも同様のメールを転送するように設定していた。つまり今目にしているメールは、そのルートで流れついたものなのである。
「栞がまた文句を言うわね……」
 メールをざっと一読すると、香里は『学園ライフ大好き少女』である妹の反応を思い、そっと溜め息を吐いた。
 生徒会通信の内容は、学校が来週から夏休みに入るというものであった。今日は7月14日、木曜日だ。休みに入るには時期的にまだ早過ぎる。――だが、これは決して驚くべき決定ではない。香里はこの処置を、随分と前から既に予測していた。勿論、それには理由がある。
 先月の中旬から、香里の通学する学校を中心に始まった連続殺人(前作「垂直落下式妹」)。その被害者は合計で5人に及び、そしてその全員が去年か今年の生徒会役員であった。マスコミはこの事件を『生徒会連続猟奇殺人事件』と名付けてセンセーショナルに報じ、世間は近年稀に見る残虐な事件に身を震わせたものである。
 学校は、犯人が捕まっておらず、しかも自校から被害者が続出したとあって、先月(6月)20日から無期限の休校という処置をとっていた。つまり、事件が落ちつくまで学校が休みになったわけだ。
 それから約3週間。今日届いた生徒会会報のメールによると、学校はこのまま夏休みという扱いになるらしい。休校期間は、予定としては8月31日まで。
 しかし、まだ連続殺人犯が逮捕されておらず危険性が消失したわけではないので、このまま犯人が逮捕されなければ、9月になっても学校が再開されない可能性は高いとのことである。その場合、姉妹高校の中庭にプレハブを立てて、そこを臨時の校舎とする計画が実行されるかもしれないという。
 香里が知る限り、夏休みは8月15〜20日あたりまでというのが常識だ。少なくとも9月が始まる1週間前までには、2学期が開始されるのがこれまでの常であった。それが31日まで延期された挙句、9月になっても実際に学校がはじまるかどうかすら分からない。これは一大事である。特に香里と同じ受験生にとっては大問題なのではなかろうか。

 そんなことを考えていると、机の上の携帯電話から控えめな着信音が鳴り出した。液晶を見ると、そこには意外にも『倉田佐祐理』の名が表示されている。香里が懇意にしている、1学年上の先輩だ。電話嫌いの香里ではあるが、日頃から散々世話になっている彼女からのコールとなれば、無下に扱うわけにもいかない。
「はい、美坂です」
 携帯電話は応対に出る人間が極度に限定されているわけだから、いちいち名乗らなくても良いのでは?――などと不毛なことを考えながら、香里は通話ボタンを押して携帯を耳に押しつける。
「あ、香里さんですか〜。倉田佐祐理です」
「ご無沙汰してます、先輩」
「あ、そう言えば暫くお会いしてませんでしたね〜」
 嬉しそうに佐祐理は言う。彼女の場合、いつでも嬉しそうに楽しそうに話すので、これについて深く考える必要はないだろう。
「ええ。先輩とお話するのは18日ぶりです」香里は、とりあえずそう応えた。
「それで、先輩。今日は何か」
 また猟奇殺人でも起こりましたか? と訊いてしまいそうになり、香里は慌てて己を律した。
「ええ。実は今、天野さんから連絡が入りまして。なんと本物の北川さんが現れたというんですよー。驚きですね。父が県警本部長さんと懇意にしているので、ちょっとその伝手で確認してみたんですが、天野さんの情報は真実でした。本物の北川さんは現在警察に保護されているようです」
「え、ちょっと待ってください?」
 香里は一瞬だが混乱した。北川――北川潤と言えば、春の『シリウスの瞳』に関わる事件(1作目「Dの微熱」)で正体が発覚して行方不明になっていた工作員の名だ。彼は9人もの人間を射殺して、香里の目の前から姿を消した。2度と耳にすることはないと思っていた人物である。
「本物の北川君というのは、つまりどういう意味ですか?」
「……えーとですね。その前に、美坂さん。今、ネットに接続できますか?」
「え、ええ。それはできますけど」
 香里は高速データ通信の常時接続ができる環境下にいる。要するに24時間、香里のパソコンはインターネット接続されているわけだ。
「実は、警察からその北川さんの写真を何枚かお借りしてきたんですよー」
 さすがはお嬢様である。一般人からは想像もできないことをサラリとやってのけるものだ。
「で、その写真をスキャニングしてデジタル・データにしておいたんです。それを今からそちらにお送りしようと思うのですが、大丈夫ですか?」
「はい。それは構いません」
「5枚で5メガほどあるんですが、ICQにしますか。それとも、メールに添付して送りましょうか」
「メールで結構です」
「あはは〜。分かりました。では、早速送りますね」
 その言葉が終わった一瞬後、メールの着信を知らせるランプと音声が同時に反応した。凄まじい速度である。そう言えば、佐祐理はマンションの地下に自前のサーバを持っていた。秒間で数百メガの大容量回線があれば、写真のデータ程度なら一瞬でやりとりできることになる。
「しかし、天野さんはどこからその情報を入手してきたんでしょうか。彼女、警察にコネでも?」
 香里の環境では、これをダウンロードするにはやはり数分はかかる。その待ち時間を利用して、香里は情報を整理しておくことにした。
「それは佐祐理もお伺いしたんですが、例の如く『その手の質問には応えかねます』と仰ってましたよ。相変わらず、ソースは謎というわけですね」
 天野美汐という少女は、人物そのものがあからさまに怪しい、香里の1学年下の後輩である。香里は彼女に会って初めて、自分と同等かそれ以上に頭の良い人間の、生きた実例を知った。それだけ彼女は切れるし、頭の回転も計算も恐ろしく速い。底知れない少女だ。
 しかも、どうも『謎の情報ネットワーク』を持っている節がある。……怪しい。
 彼女は一体どこからどうやって聞き付けてきたのか、出所を疑いたくなるような情報を、これまでもAMSに度々リークしては皆を驚かせてきた。……やはり、怪しい。
 その上、実家は何やら古い歴史を持つ神社で、彼女自身も幼少の頃より何らかの訓練を積んできているという話だ。……どう考えても、怪しい。
 よくよく考えて見れば、彼女ほど怪しい人間もそうそういないだろう。一体、彼女は何者なのだろうか。ある意味、香里にとっては北川潤や生徒会会館より深い謎を持った人物であった。

「あ、ダウンロード終わりました」
 残り時間を示すタイムゲージが完了を示し、受信トレイに添付ファイル付のメールが表示される。香里はそれをクリックして開くと、早速画像ファイルを拝んでみることにした。
「無事に届きましたか?」
「ええ。ちゃんと開けます」
 予告通り、届いたメールに添付されたフォルダには、合計5枚の写真が収録されていた。モニターに表示されたのは、どれも人懐っこい笑みを浮かべた少年の顔写真だ。私服を着ているもの、学生服をきているもの。アングルもバラバラで、サンプルとしては非常に優れた内容になっている。
「これは……私の知っている北川潤とは全くの別人ですね」
 香里は5枚の写真に1通り目を通すと、呟くように言った。写真の少年は、明るく陽気な感じの普通の高校生に見えた。特徴の1つとして挙げられるであろう栗色に近い髪色は、染めたものではなく天然の茶髪なのだろう。祐一と比較すると、ちょっとだけハンサムだろうか。しかし、いずれにしても、香里には全く見覚えのない他人である。
「やはりそうですか。佐祐理は先の件で行方不明になった偽の北川さんを知らないのですが」
「いえ。まったくの別人です。私たちが北川潤と呼んでいた少年は、もっとこう……なんと言うんでしょうか、凛とした雰囲気がありました。クラスメイトと談笑しているときにも、どこか鋭さのようなものがあって」
 そう。香里の知っている北川は、こんなに笑顔の似合う少年ではなかった。目立たない普通の男子生徒であったが、どんな時でも1歩引いて構えたような、冷めた感じがあったのを覚えている。祐一と漫才を演じている時にだって、どことなく品格のようなものを残していたものだ。
「この写真の少年は栗色の髪をしていますが、私の知っている北川潤は完璧な黒髪でした。それにもう少し浅黒い肌をしていましたし。身長は5cmほど高かったのではないでしょうか。切れ長の双眸は、もっと鋭い感じがありましたし、こんな人懐っこい満面の笑みを浮かべるようなタイプではなかったです」
 唯一の共通点は、祐一が『妖怪アンテナ』と呼んでからかっていた癖毛が似ていることくらいか。頭の天辺、旋毛のあたりからピンと数本の髪が触覚のように立っている。ここだけは、2人の間に共通していた。恐らく、偽の北川がオリジナルを真似たものだろう。
「とにかく、私が知っている黒髪の北川潤とは全くの別人ですね。この写真の少年は」
「そうですか」
 その返答を予測していたのだろう。受話器の向こうの佐祐理に別段驚きのようなものはない。
「ですが、警察が確認しています。その写真の方こそが本物の北川潤さんなんです」
「この人が?」
「ええ。彼が掛かっていた歯医者さんから得た歯型の記録からも、それが証明されたそうです。間違いありません。彼がオリジナル。正真証明の北川潤さんなんだそうです」
「じゃあ、やはり黒髪の――私たちが北川潤と認識していた人物は」
「偽物だったわけですね。北川さんではない別の誰かです」
 分かっていたとは言え、結構ショックだった。香里にとって、あの北川潤は同級生でありクラスメートであった。そして男子生徒の中でも比較的仲の良かった、数少ない知人である。
「それで、そのオリジナルの北川潤は一体今まで何処で何をしていたんですか? なんで今頃現れたんです?」
「それがですね、彼はフランスにいたそうです」
「フランス……?」香里は不覚にも素っ頓狂な声を上げてしまった。「しかし、行方が分からなくなった時点で、パスポートやビザ申請の記録なんかは真っ先に調べられる筈でしょう? 警察は何をやっていたんですか?」
 そうである。北川潤という少年が、9人の人間を射殺して忽然と姿を消した。警察は、その行方を全力で追及していたはずである。たとえ海外に渡っていたとても、それは直ぐに調べ上げられてしまうはずだ。
「――それが、偽造パスポートで渡っていたようなんですよー」
「それ、犯罪じゃないですか」
「いえ、北川さん本人はその事実を知らなかったようなんです。天野さんは、それも北川(偽)に騙された結果なのではないかと仰っていました」
「どういうことです?」
「その写真の北川さんは、引っ越して来た時に、高校の教務課から『フランス短期留学』の話を持ちかけられたと証言しているそうです。なんでも姉妹校として提携しているフランスの高校と、ちょうど交換留学を行うことになったとかで、その留学生候補の1人として北川さんが選ばれた、とかなんとか。冷静に聞けば滅茶苦茶な話ですけど。兎に角それらしい理由をつけて、殆ど無料で留学に行けるという美味しい話が来たらしいんですよー」
「ウチの学校の教務課が?……それは、確認が取れたんですか?」
「いえ。警察の話では、学校側はそんな事実はないと全てを否定しているようです」
「――でしょうね」香里は溜息混じりに呟いた。
「北川さんが言うに、手続きやパスポートの管理などは、教務課が全部やってくれたそうです。彼はただ、荷物を纏めてフランスに行っただけだとか。とにかく、彼はただ上手く騙されてフランスに送り込まれていただけのようですね」
「で、オリジナルがフランス留学している間、偽物が堂々と『北川潤』を名乗って、私たちの学校に潜り込み、暗躍を続けていたわけですね?」
「はい。大筋はそんなところだと思います」
「細工はしっかりしてるんですか? 海外留学をでっち上げるとなると、相当な大仕事になるような気がするんですが……その辺りから、裏に誰がいたか手繰れないものでしょうか?」
 偽の北川の後ろに誰が控えていたのか。要するに黒幕は誰なのか。この問題の焦点となるのは、北川の正体や素性云々よりも寧ろそこだ。
「警察も期待していたようですが、ダメみたいですね。相手はこういった工作を何とも思わない、かなりの犯罪集団みたいです。大袈裟な偽装を行なったというのに、なんの痕跡も証拠も残していなかったようで。警察もこの件に関しては完全にお手上げといった感じみたいですよ。もっとも、これは噂なので未確認情報ということになりますけど」
「――そうですか」
 まだ不透明な部分は残っているが、必要な情報は大体入手したと思って良いだろう。もし9月になって学校が再開された時、そのオリジナルの北川に会う機会があれば、彼に直接話を聞いてみてもいい。
「まあ、私としては例の偽物が私たちに危害を加えようとさえしなければ、別に問題はないんですけどね。殺し屋だか工作員だか知りませんけど、積極的に関わろうとは思ってませんし」
「確かに、そうですね〜」
 本当にそう思っているのか疑わしく思えるほど、佐祐理はあっけらかんと言った。
「佐祐理も、事件とかそういうのは前回のことでもう懲り懲りです。暫くは平和に穏やかに過ごしたいものです」
「大学の方も、もう直ぐ夏休みですしね」
「あ、そうですね。夏休みがありましたーっ」
 佐祐理が受話器越しに歓喜の声を上げる。大学はもう直ぐ前期の講義日程を終了し、試験に突入だ。それが終われば、長期夏季休業に突入である。
「――そうそう。それで思い出しましたが、美坂さんは夏休みに何か予定はありますか?」
「いえ。まだ特には」
 今年の夏休みは1ヶ月半もある。相当スケールの大きな企みも実現できそうな予感はあった。
 が、香里は今年高校3年生。受験の年である。同級生たちも、夏休みだからといって遊んではいられないだろう。
「実はですね、佐祐理と舞はU.K.の別荘で夏を過ごす予定なんですよ〜。祐一さんもお誘いして、できればご両親にもお会いしたいと思ってるんです。よろしければ、美坂さんも栞さんと一緒にいかがですか?」
「いえ、いかがと言われましても……」
 さすがはスーパーお嬢様である。ヨーロッパの別荘で優雅なバカンスとは、なんとも豪勢な話だ。
「今の時期は1番観光客で込み合う時期ですし、それにイギリスとなると旅費も簡単に捻出できるものでもないですし」
 絵に描いたような生っ粋のお嬢様相手に、こういった所帯地味た話をしていると、なんだか自分が惨めに思えてくるのは気のせいだろうか。
「あ、それなら大丈夫ですよ〜」
 受話器越しでも、満面の笑みを浮かべているのが想像できる口調だった。
「チケットなら佐祐理が用意していますし、往復の旅費くらいなら佐祐理がプレゼントします。それに向こうの別荘に滞在すれば、宿泊費なんかは無料ですから。スーツケースに積め込んだ荷物さえ用意していただければ、あとは全部佐祐理にお任せです」
「それは魅力的なお話ですが」
 それに、佐祐理が相手となれば北川のように騙されるということもあり得ない。霧の都の豪邸で高校生活最後の夏を、優雅に豪奢に過ごす――実に心惹かれるヴィジョンだ。
「宜しいのですか? しかも栞まで」
 U.K.行きとなると、往復の航空券は正規料金で50万。格安でもその半分か30万はかかる。自分と栞の分を考えれば、それだけで最低6〜70万円の金が飛ぶことになる。しかも向こうに夏休み期間中滞在するとなると、100万200万では利かないだろう。
「……あの、もしかして名雪なんかも誘われました?」
「あははーっ。実はそうなんですよー。今のところ、祐一さんと名雪さん、あゆさん、天野さん、それから名雪さんのお母様が一緒に行くことになってます。勿論、護衛の方々も5人ほど一緒に来ていただきますから、治安が悪くても安心ですよー」
 快活なお嬢様の声に、香里は軽い眩暈を覚えた。全員の面倒を見るとなれば、佐祐理の出費は1軒屋が土地ごと買える規模に達する。
 まあ、だがしかし、その程度の金額なら1夜にして稼ぎ出すのもまた倉田佐祐理なのだ。そう考えれば、彼女には毛ほどの痛みもないのであろう。我ながら、とんでもない人物と知り合ってしまったものである。香里は苦笑した。
「先輩、本当にいいんですか?」
「勿論ですよーっ。だって、佐祐理と香里さんは仲良しのお友達じゃないですか。一緒に、祐一さんのご両親――ワイズロマンサーに会いにいきましょう!」










to be continued...
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脱稿:2001/10/01

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