歯を食いしばって堪えること
怯まず突き進むこと
瞳逸らさず、敢然と立ち向かうこと



バイト・オン
ザ・ブレット
Hiroki Maki
広木真紀




−圧殺の章−






Heathrow Airport Terminal 4
London U.K.
GMT Fri,21 July 2000 13:58 P.M.

現地時刻 7月21日金曜日 午後01時58分
ロンドン ヒースロー空港 第4ターミナル 到着フロア


は〜るばる はっこだて
遥々来たぜ、 函館〜っ!!

 オレは両手を高く天に突き上げて、ガラス越しに見える蒼穹に咆哮した。
 成田発、ブリティッシュ・エアウェイズの直行便に慌ただしく乗り込み、静かな空の旅を続けること約半日。雲の切れ間から翼越しに豊かな田園風景が見え始めたら、それは旅の終わりの合図だ。ジャンボ・ジェットは速度を落とし、底部から展開した車輪を軋ませながら10点満点の着地を成功させる。
 そう。ここは北の大地。霧の都。ランド・オブ・ホープ・アンド・グローリィ。マザー・オブ・ザ・フリー。世界で唯一(他にデンマークとかもあるけど)、女王が国家を治める大国。その首都。その名も――
ロンドンよ、ここは。正確には中心部から西に24キロほどズレてるけどね。私たちは、その函館付近から遥々海を渡って来たんでしょう? 今立ってるのは、その函館から見て地球の裏側よ。……相沢君、さっそく時差ボケ?」
 オレの傍らを歩く少女――と表現するには些かアダルティな女性――が、呆れ顔で突っ込んでくる。
 美坂香里。その声音と言葉の内容通り、ちょっと冷たい感じのする美人だ。随分と大人びて見えるし、落ちついた雰囲気があるものの、こう見えて彼女はオレの同級生。来年の3月に18歳の誕生日を迎える、現役の女子高生である。
 オレとは、まぁ、『親友』と言ってしまっていい程の親しい間柄にある、かな?
 それを別にしても、彼女はオレの記念すべき初チューの相手でもあるわけで(「垂直落下式妹」参照)、色々とその辺は事情が複雑なんだが――とにかく、総勢20人弱からなる今回の旅の道連れの1人であることだけは確かだ。うむ。

「それとも、なにかしら。相沢君はこのままトンボ返りして、函館に向かうの?」
「本気にするなよ、香里。冗談だ、冗談。イングリッシュ・ジョークさ。12時間もかけて、漸くバカンスの舞台に辿り着いたんだ。夏の間、オレはこの地で、高校生活最後の夏休みを大満喫すると星に誓っちゃうぜ?」
 そうなのである。ここは異国の地、ロンドン・エアポート。オレは友人知人と共に、高校生として迎える最後の夏を優雅に楽しく過ごすべく、こうして遠路遥々、地球のほぼ裏側に位置するイングランドくんだりまでやってきたのだ。貴重な青春の1ページを費やすんだ。無為にしちゃ、罪ってもんだぜ。
 進路がどうした。受験勉強がどうした。異国の地での様々な経験と体験は、きっと机に噛り付いてイヤイヤこなす受験勉強などより、きっとオレたちにとって大きな財産となるに違いない。だから、オレたちは大いに遊びまくっていいのだ! ……という怪しげな大義を掲げて自分を誤魔化し、とにかく今この瞬間を楽しむのが今回の旅の主な任務だ。
「ええと、それで――私たちはこれからどうしたらいいんでしょう?」
「うぐぅ。字が全部英語だから、なにがなんだかサッパリ分からないよ」
 眉をハの字にして、不安そうに周囲をキョロキョロと見まわしているのは、美坂栞と月宮あゆのお子様コンビだ。

 栞は、先ほどの美女、美坂香里の実妹。容姿端麗、プロポーション抜群の姉に対し、妹の方はまだまだ色気より食い気が先行する、花よりダンゴ的な可愛い女の子だ。
 ショートカットのサラサラとした髪は、姉とは対照的にストレートだし、女性にしては長身の部類に入る姉とは骨格から違うようで、背丈もプロポーションも未発達といった印象は拭いきれない。
 しかしこうして見ると、美坂姉妹は実に対照的。見事なコントラストを形成しているよな。
 それから、その栞の隣で「うぐうぐ」と鳴いているのが、オレの幼馴染みでもある月宮あゆである。
 彼女も、栞と同じ様なタイプで、ペッタンコの胸とあどけない顔つきが特徴的な少女だ。あゆと香里を並べて見ると、2人が同じ年齢であることが何かの間違いに思われるほどである。保護欲をかきたてられるような可愛らしさが彼女の魅力という説もあるが、オレはそれをたまにしか実感できない。世話の掛かる妹がいたら、きっとあゆみたいに感じになるのだろう。

「私も海外旅行は初めてなのですが――」
 あゆと栞の後を静かに歩く小柄な女性が、遠慮がちに口を開く。
「基本的に、成田で辿った手順を逆に繰り返すことになります。まずは、入国審査ですね」
 赤味がかった天然の茶髪に、凛とした雰囲気と知的な相貌が印象的な少女。随分と大人びて見えるが、オレより1つ下の16歳。名を、天野美汐という。
「それから、預けていた荷物を受け取って、必要なら両替などを行なうはずです」
 そこで言葉を区切ると、確認するように彼女はオレに視線を向けてくる。オレはそれに頷きながら口を開いた。
「天野の言う通りだ。オレは何度も来てるんで、この空港には慣れてる。案内するよ」
 オレの両親は、この国で音楽家としてそれなりの成功を収めている。それは別にしても、母はオレが生まれる前は、5年近くイングランドに住んでいたというし。
 とにかく馴染みのある土地であるからして、オレは小学生のころから夏や冬の長期休暇の際は、大抵、このロンドンにやってくるといった生活を続けていた。
「……ええとだな、天井に黄色いボードが一定間隔でぶら下がってるだろう? とりあえず、あの指示に従っていけばいいんだ」
 オレは皆を先導しながら、イギリスの空の玄関『ヒースロー空港』を歩く。基本的に“Arrivals”の標識に従って順路を進んでいけばいいだけの話だ。そうして歩くと、やがて広いホールのような場所に出る。
「ほら、アレが入国審査だよ。あそこのカウンターに座ってる審査員のオッサンにパスポートを見せて、入国審査を受けるんだ」
 視線の先には、1段高い台上に座った審査員とカウンターが見える。指差して教えてやると、あゆと栞が「おお〜」と大袈裟に驚いて見せた。彼女たちは海外はおろか、生まれ育った町から1度も出たことがないという稀有な人種だ。見るもの全てが珍しく、新鮮なのかもしれない。

「ねえ、相沢君。イングランド――と言うかU.K.は、先進国の中でもかなり入国審査が厳しいって言うけど、あれって本当なの?」
 カウンターの前に出来ている長蛇の列を眺めながら、香里が言った。7〜8月といえば、夏のバカンス真っ盛り。イングランドが最も観光客で賑わうシーズンだ。オレたちと同じ日本人も、結構うじゃうじゃといる。と言うか、成田からの直行便だからして乗客は殆どが日本人だ。
「ああ、本当だな。オレも両親に付き合わされて色んな国に言ったことあるけど、イギリスの入国審査は結構厳しい方だよ。北欧とかアジアなんかでは、日本人の場合は殆どフリーパスってくらいに緩いのに。そういえば、なんでなんだろう?」
「あははーっ。それは、不法労働者の存在が問題になっているからですよ」
 首を捻るオレの問いに応えたのは、かの有名な倉田佐祐理嬢その人だった。
 彼女は去年、高校で知り合った1学年上の先輩で、代議士・倉田圭一郎の一人娘。何時もどんな時でも、口元に穏やかな微笑を浮かべている温厚で優しい女性だ。また、1日に10万ドル稼ぎ出すスーパーお嬢様として、地元の財界では非常に有名な存在でもある。
「……倉田嬢の言う通りだ」
 佐祐理さんの傍らに立つ長身の女性が、お嬢様の言葉を補足するように言った。
 鷹山小次郎。日本人男性のような名前をしているが、日本語を流暢に喋ることを覗いて、彼女はどこからどうみても外国人――ブルネットの白人女性だ。
 確か、内戦が続いてる『欧州の火薬庫』あたりの出身だそうで、日本人の血が4分の1だけ混じってるという話を聞いたことがある。鴉の濡れ羽のようにシットリとした黒髪と、サファイアを嵌め込んだようなブルーアイズが魅力的な人だ。オレより5cmは背が高くて、しかもエキゾチックな香りがする結構な美人。日本人とは骨格からして違う、モデルのような女性である。なにしろ、足が体の半分を占めてるからな。
 だが、その美しい外見に騙されちゃいけない。彼女はああ見えて、国民総生産みたいな名前のフランス外国人部隊に所属していた、特殊部隊の元隊員だという話だ。数年前に退役したらしく、現在は佐祐理さん専属の護衛を務めている。――オレはよく知らないが、聞いた話では相当の凄腕で、業界でも一目置かれるビッグネームらしい。まあ、彼女の精密機械のような狙撃の腕に何度か窮地を救われているわけだから、これは決して過大評価というわけではないだろう。

「近年、深刻な失業を抱えているU.K.では、外国人の不法就労を目的とした入国を躍起になって阻止しようと言う動きがある。そのため、別にU.K.くんだりにまで仕事を探しに来る気などサラサラない日本人にまで、監視の目を光らせてしまうわけだ」
「あれ、なんだか鷹山さんって今日は喋り方が違うような気がするけど――?」
 腰まで伸びる艶やかで豊かな黒のストレート・ヘアの少女が、妙に間延びした口調で不思議そうに言う。
 水瀬名雪。オレの従妹であり、現在オレが居候させてもらっている『水瀬家』の一人娘だ。オレの知り合いの中では、川澄舞に次いでもっとも付き合いが長い旧友の1人になる。
「私の仕事は、国内での倉田嬢の身辺警護だ。今は勤務中ではない」
 いつも敬語を使った丁寧な口調で喋る鷹山女史だが、あれはビジネス・モードの仕様らしい。つまり、今回の旅行に随伴してきたのはサービスであり、契約外の仕事だから立場は対等。そういうことだろうか? もしそうだとすると、今のようなワイルドな男言葉が彼女の標準的な喋り方ということになる。
「――あらあら、皆さん。ちゃんと列に並ばなくちゃダメですよ」
 オレたちがワイワイとやっていると、名雪によく似た女性がおっとりとした声をかけてきた。
 一見すると、20代後半くらいか。名雪のお姉さんのようにも見える彼女は――聞いて驚け、彼女の実の母親だ。勿論、産みの親。キッチリ血は繋がっている。
 水瀬秋子さん。オレの叔母であり、現在居候させてもらっている、水瀬家の家主だ。もう10年以上前に夫に先立たれてからは、ずっと名雪と2人暮しをしてきたことになる。今は、あゆとオレが加わって、いきなり4人家族にまで拡大されてしまったが。
 ああ、そうそう。忘れていたが、月宮あゆは天涯孤独の身。そこで秋子さんが彼女を引き取ることになったらしい。養子縁組というやつだな。これで法的には、秋子さんは2人の娘を持ったことになる。あゆに名雪、そして秋子さんは、もう正真証明の家族なのだ。オプションとして、オレも。
「列がいっぱいある……佐祐理、どこに並べばいい?」
 長い黒髪を無造作に縛り上げた長身の少女が、入国審査を待つ長蛇の列を見やりながらぶっきらぼうに言った。北国の女性特有の白い肌。長くて真っ直ぐな黒髪に、切れ長の目。今時珍しい(というか、殆ど絶滅種の)純和風美女である彼女は、川澄舞。オレの1歳年上の先輩であり、幼馴染みだ。今は大学に通っているわけだが、去年まではオレと同じ高校に通う生徒で、オレたちはそこでチョット奇妙な再会を果たした。
 それから舞は、佐祐理さんの大親友でもあって、いつも行動を共にしている。そのことは、2人が寝食を共にしているルームメイト同士であることからも窺えるだろう。
「あはは〜、そうですねぇ。あっちは『UK and Europe Union』となってますから、佐祐理と舞は『All other passports』という表示がある左側の列に並べばいいと思いますよーっ」
「……佐祐理、英語分かるの?」
「日常生活に必要な程度でしたら、読み書きとおしゃべりはできますよ」
 にこーっと笑って、佐祐理さんは言った。

「そう言えば、確認しておいた方が良いかもしれないな」
 オレは舞と佐祐理さんの遣り取りを聞いて、そのことを思いついた。
「オレは、まあ、英語は喋れないがこの土地には慣れてる。不自由はあるだろうが、勝手が分かるから何とかなるだろう。だけど、他の人たちは殆どが海外は初めてなんだろう? 英語が喋れて、ある程度の読み書きが出来ないと、ちょっと不便だ。皆に訊くが、この中で英語がそれなりにできるってヤツはどれくらいいる?」
「我々は、例外なく全員が元軍人や特殊部隊に所属していた人間だ。そして軍や部隊に所属する以上、主要数カ国語は自在に操れないと話にならん」
 鷹山さんが連れてきた部下たちを一瞥して告げた。彼女は佐祐理さんが雇っている護衛部隊の長だ。今回は、日本ほど治安のよくない英国旅行ということで、腕利きの部下たちを6人ほど連れてきている。
「なるほど。護衛隊の人たちは全員外国人だしな――。で、他には? 秋子さんはどうですか」
 なんだか、この人は喋れそうな気がする。
「はい。英語は問題ありません」
 予想通り、彼女は素敵な微笑を浮かべつつ、事も無げにそう答えた。
「あたしも、日常会話程度なら問題なくこなせると思うわ」
「右に同じく。コミュニケーションに不便を感じることはないでしょう」
 香里と天野は大丈夫らしい。まあ、香里は確か模試で全国トップをとったこともあるようなヤツだし、 天野に至っては、佐祐理さんのマンションでイスラエルの新聞読んでたような怪しいヤツだし。彼女たちに関しては、最初から心配はしていない。

「あゆは日本語すら侭ならないアレだから、聞くだけ無駄として――」
「うぐぅ……悔しいけど、ホントのことだから言い返せません」
 ショボンと悲しげに項垂れるあゆ。まあ、こいつの場合は、世界でただ1人幻の『うぐぅ言語』を操れるから、それでよしとすべきだろうか。
「栞と名雪も、やっぱりダメか?」
「私は日本人なんですから、英語なんて喋れなくて当然なのです。寧ろ、喋れる人は日本人として間違ってます。アイスクリームに醤油をかけて食べる人と同じくらい、邪道です」
 何故か栞は大威張りで主張している。いや、ひらきなおってると言うべきか。まあ言いたいことは分からないでもないが……。オレも昔はそう思ってたが、1歩日本を出てしまうと、国籍問わず英語をしゃべることができないというのは国際的に異様なことなんだよな。特に先進国においては、それが常識だ。日本人は自国での常識には敏感だが、国際感覚での常識には原始人のように疎い。
「私も英語は苦手だよ」
「だろうな。英語の授業中は、何時も寝てるしな」
「で、でもちゃんと予習復習はやってるよ」
 なにやら必死で言い分けてしているが、結局英語ができないことに変わりはないのだよ、名雪君。
 ――でも、まぁ、いいかな? 護衛の7人、それに秋子さん、佐祐理さん、香里、天野。総勢16人中、実に10人までが喋れるのだ。団体行動をとっていれば、問題ないだろう。それに、あゆや栞が見知らぬ街中を単独で歩き回れるほどの度胸があるとも思えないしな。







「What is the purpose of your visit?」
「うぐぅ……?」
「Ugu?」
「あゆ、sightseeingだ。sightseeingって言え」
 審査員のおっちゃんの問いかけに、正面からうぐぅ言語で対抗するあゆの後から、オレは小声でアドヴァイスをくれてやる。
「う、うぐぅ……さ、さいとしーいんぐです」
「OK」
 おっさんは、ダンダン! と小気味よくリズムカルにパスポートにスタンプを押しつつ、
「so, Do you have a return airplane ticket?」
「う、うぐぅ?」
「イエスだ。イエスって言っとけ」
 頑なにうぐぅ言語で戦おうとするあゆに、再び小声で囁きかける。後からこうしてサポートしてやらないと、あゆは入国審査を抜けられそうにもない。
「あ、はい。えーと、い、イエ〜ス」
 たどたどしくあゆが答えると、おっさんはニッコリと笑ってあゆにパスポートを返した。それを引き攣った笑みで受け取ると、あゆは逃げるようにカウンターから走り去っていく。オレはそれを見届けると、疲労と安堵の吐息を吐いた。まったく、世話のかかるやつだよ、ホント。

 さて、あゆがクリアしたってことは、次はオレに順番が回ってくるわけなのだが――
 あゆとは対照的に、オレはもう、この入国審査ってやつを何十回と受けた経験がある。英語そのものは理解できなくても、パターンで相手がなにを求めているのかが簡単に分かるものだ。
 勿論、今回もその例外ではない。オレは審査官とお決まりの遣り取りを交わし、余裕で審査をパスすると、出口側で待つ女の子たちの輪に合流した。
「OK、オレがラストみたいだな。全員、無事に審査をパスできたみたいだ。名雪、秋子さん、あゆ、香里、栞、天野、それから佐祐理さんと舞。みんな揃ってるな?」
「うん。皆ちゃんといるよ」
 名雪が全員の顔を確認してから、元気に応える。
「よし。これで晴れて、正式にイングランドに入国できたわけだ。特に審査官の英語にうぐぅ言語で大苦戦していた月宮あゆ君、おめでとう」
「うぐぅ……あのオジさん、何て言ってるのか全然わからなかったよ」
 よほど心細い想いをしたのか、あゆは目尻に薄らと涙さえ浮かべている。
「ま、とにかくだ。ここからは、もう正式にイングランドの大地。言葉も文化も、思想も違う正真証明、純度100%異国の地だ。文化が違うわけだから、罷り通るルールも違う。護衛の人たちを除いて殆ど全員がこの国は初めてだろうから、色々と注意してもらわなくちゃならないことがある」
 オレは荷物受け取り所のターンテーブルに皆を先導しながら、全員に語り掛けた。預けていたスーツケースがベルトコンベヤに乗って流れてくるまで、少し時間がかかる。その間を利用して、この国の予備知識を彼女たちに与えておいた方が良い。特にあゆや栞は、意識して守ってやらないと本当に心配になる。

「いいか、まず基本的なことだ。特に、女性にとっては重要なことだから覚えておいて欲しい。日本ではどうか知らないが、この国では主要交通手段の1つであり、最もチケットが安価であるのがズバリ『地下鉄』だ。これからこの国を観光する上で、頻繁にこれを利用することが考えられ得る。――で、その地下鉄なんだが……構内における、トイレの絶対数が少ない。駅にトイレがあるのが当たり前、だなんて思ってたら痛い目にあいかねないことを覚えておいてくれ」
 これは、母さんの受け売りだ。女性は男性と比較して、色んな意味でトイレを利用することが多い。トイレに関することでは、男には分からない問題も発生しやすいから、女の子を連れてくるならアドヴァイスしてあげなさい、と言われていたのだ。
 まあ、これに関する問題には、オレも色々と心得がある。国によって、有料だったり番人がいたりと、トイレひとつで文化の違いが現れてくるものなのだ。アジアだと殆どの公衆トイレは有料だし、エチケットが違ったりする。たかがトイレ、されどトイレ。排泄をしない人間なんていないのだから、これは重要な問題なのである。
 ……どうでもいいけど、トイレの番人ってなんかイヤな感じの響きだな。
「そんなにトイレって少ないの? ちょっと意外ね」
 流石の香里も、このあたりの細かい事情は知らなかったらしい。やはり、教えておいてよかった。母さん、サンクス。

「少ないぜ。ロンドンには300くらい地下鉄の駅があるわけだが、トイレがあるのは約半分と言われている。しかも、傾向として郊外に行くほど多い。つまり、都心部には少ないわけだ。自治体が設置している公衆トイレも有料のものが多い。日本みたいに、全てが無料って考えは通用しないから、そのつもりでいた方が良い。水と安全とトイレは外国行きゃ、みんな有料だ」
 ちなみに、駅にある有料トイレは入る時は、入り口に設置してある機械に20ペンス・コインを入れなくちゃならない。日本円にすると――大体、35円くらいか。買い物の時でも、小さいところだと釣銭をあまり用意していない店も多いから、U.K.では細かい金をいつも用意しておいた方がいいのだ。これは、他のヨーロッパの国々でも言える。小銭は常にポケットに。
 あと、バスに乗るときもそうだな。Exact Money Only(釣銭なし)の表示出してるバスも多いからなあ。で、そういうバスに限って、運賃が99ペンスとか半端な時が多いんだよな。99までいくんなら、大人しく1ポンドにしろっつーのに。
 まあ、とにかくこうして改めて考えてみると、イングランドってのは日本とは文化の面での違いが細かいところで目立つ。独特なんだな。
「えぅ〜、じゃあ、街中でおトイレに行きたくなったらどうすればいいんですか?」
 栞が眉をハの字にして、不安そうに訊いてくる。その頼りなさは、どことなくリスのような小動物を連想させるものがあるが、何でだろう。

「ロンドンの中心部に限ると、そうだな……お勧めは、デパートかな。大型のデパート。ただ、暗くなるとデパート周辺は治安の面で不安があるから、日が暮れたときは大型のホテルに入るといい。そこのトイレなら、まず安心していいと思う。まあ、基本的に行けるときに行っておく。これが鉄則だ。それでも、どうしてもトイレにいけなくて、我慢できないという時は――」
「いう時は?」
「オレを呼べ。もれないように、絶妙な怪しい指遣いで優しく狂おしく押さえておいてやる」
 言った瞬間、後頭部にポコっという鈍い衝撃。振りかえると、舞のチョップであることが分かった。
 彼女は頬を赤く染めて、恥かしそうに一言。

「……祐一の、スケベ」







(釈明:1)

今回、AMSは普通に入国審査を受けていますが、ファースト・クラスでやってきた彼らは、本来「Fast Truck」という、アッパークラス専用のコースで一般の乗客より素早く入国審査をパスすることができます。
なんやかんや言うても、世の中、結局ゼニ次第なのです。
ただ、さゆりん女史はこういう特別扱いがあまりおスキでないらしく、今回は一般客と同じコースを辿った次第です。

Q.建前はそのくらいにして、真相はどうなんですか?
A.ファースト・クラスなんて乗ったことないので、単に描写できなかっただけです(号泣)。

あまり泣くと煩いので、みなさん、作者のマキちゃんをあまりイジメないで下さいね。


to be continued...
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脱稿:2001/10/01

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