会いたかったぜ、お前に。



バイト・オン
ザ・ブレット
Hiroki Maki
広木真紀




−圧殺の章−





Bayswater-Little Venice
GMTFri,21 July 2000 13:33 P.M.


グリニッジ標準時(現地時刻)7月21日 13時33分
ベイズウォータ〜リトル・ヴェニス周辺


 誤解している人間が多いが、日本人がよく使う『イギリス』っていう表現は、現地では通用しない。正確に、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国と呼称しなければ、表現として意味をなさないわけだ。だから、略すにしてもU.K.(連合王国)とかブリテンと表現するのが本来は正しいのである。少なくとも現地の住人たちは、そういう略称を使うのが普通だ。オレの知ってる範囲ではね。
 大体、『イギリス』も『英国』もイングランドを語源とする言葉だ。だから、U.K.をイギリスと一纏めにしてしまうのは、スコットランドやウェールズ、北アイルランドの人たちにとっては、非常に不愉快なことだ。日本人だって、中国人、韓国人なんかと一纏めにされて『東の方の黄色っぽい連中』なんて呼ばれたら、ちょっとカチンとくるだろう? ……それと同じことだ。
 森と古城の国ウェールズの人も、スコットランドの気高きハイランダーの血を引く人たちも、みんなそれぞれの故郷が気に入っているし、その土地に生まれた人間であることに誇りを持っている。この辺、長い歴史の中、1度も民族的な摩擦を経験することのなかった、温室育ちの日本人には理解が難しい感情かもれしない。だが、世界中の色んな国を訪れる機会に恵まれたオレは、実感としてその事実を思い知った。
 そんなわけだから、オレは連合王国全体のことを『U.K.』、その中で最大の人口を誇る国を『イングランド』と呼ぶようにしている。郷に入りては郷に従え。その国に入ったからには、その国の哲学や文化を尊重するべしというのが、オレが両親から受けた教育だ。そして、それは間違ってないと思う。だからオレは、あゆなんかにも、同じ様なことを教え伝えるようにしているわけだ。
 国際化ってのは、英語を喋れるようになることじゃない。まぁ、それもそれなりに大切かもしれないが、肝心なのは国際的な視野を持つこと。他国の文化を知って、それに理解を示すこと。できれば、そこから何かを学びとること。つまり、それが最近ハヤリの国際化、グローバリズムの本質だと思ってる。少なくとも、オレは。

「――それで、私たちはどこに向かってるんでしょうか?」
 10人乗りのワゴンの窓にベッタリと貼りつき、車窓を流れるロンドンの町並みに目を輝かせながら、栞がうっとりと言った。
 初めての観光客にとって、歴史ある荘厳な建築物と新世紀のモダンな建物が混在しているロンドンは、確かに眺めているだけでも楽しめるものだ。……しかし、最後に来てからもう直ぐ4年になるが、結構変わってるみたいだな。特に、テムズ南岸周辺は。
「あははーっ、佐祐理の別荘ですよ。ロンドン北西部のハムステッドというところにあるんです。車だと、そうですねー。大体1時間くらいでしょうか。ご近所に『精神分析の父』と呼ばれるフロイト博士の博物館があったりするところなんですよーっ」
 最後部の座席に、舞と並んで座る佐祐理さんがにこやかに応える。
「ハムステッドって言えば、高級住宅街で結構有名なところだよな」
 確か、カール・マルクスの墓があるハイゲートとも目と鼻の場所にあるんだったと思う。実際に言ったことは2、3度しかないんだが、緑に囲まれた静かなところだった。治安の面では若干不安が残るが、別荘地としては結構理想的な場所だろう。
「それで、その別荘には全員入りきるんですか? 護衛の人を合わせると16人もいますけど」
 冷たく見えて、実は結構な心配性である香里が、後方を走るもう1台のワゴンを見やりながら言う。
 ヒースロー空港を出たオレたちは、佐祐理さん所有の10人乗りワゴン2台にそれぞれ乗り込んだ。メンバーは、基本的に護衛と一般人の2組に分かれている。鷹山さんを除くボディガードの6人全員が後方の1台。そして残りのオレたちが前方を走るワゴンに乗り込んだというわけだ。因みに、オレたちの車は国際A級ライセンス所持者である、鷹山さん本人が運転してくれている。
「部屋の数は、とりあえず足りると思いますよーっ。ただ、流石に全員に個室をご用意することはできません。基本的にツインということになると思いますけど、ベッドの数は足りてますので安心してください」
「そうですか。まあ、倉田先輩のことですから、そう心配はしてなかったんですけど。ツインということなら、私は栞と相部屋で構いませんので」
「あ! わ〜っ、あれなんですか、あれ」
「うぐぅ! 大きい観覧車みたいだね」
 その栞と、同じく並んで外の景色を眺めていたあゆが揃って騒ぎ出した。彼女たちの視線の先を見ると、確かにテームズ河の辺に天を突くような巨大な観覧車モドキが聳え立っている。
「ああ、あれが今年完成したという、ロンドンの新名物ですね」
 流石にお子様コンビとは違い、天野先生は落ちついていらっしゃる。微かに目を細めて、冷静にコメントした。
「確か、『ブリティッシュ・エアウェイズ・ロンドン・アイ』でしたか――。早くも半端ではない人気を呼んでいると聞きますが」
 ミッシーの言う通り、並み居るロンドンの歴史ある遺産たちを押しのけるようにして、2000年(つまり今年)大きな話題を振り撒いているのが、テムズにそって立つ大観覧車『ロンドン・アイ』だ。
 TVで建造計画のニュースを聞いた時は、まさかと思ったが(ロンドンという都市の気質を知ってるヤツなら、みんなこう思ったはずだ)……本当に作っちまったらしい。
 建築規制のせいで、あまり背の高い建築物を立てられないロンドンにあって、あれは目立つ。
 きっと、この都市の新たな顔になることだろう。
「――私もガイドブックでチェック済みよ」
 香里は妹と並んで身を乗り出し、目を細めて巨大な観覧車を見詰める。
「ミレニアム・プロジェクトの目玉として、去年の年末に完成したロンドンの新名物『BAロンドン・アイ』。天気がよければ頂上付近からは、グリニッジやヒースロー空港あたりまで見えるというから、30〜40km四方は見渡せるのかしら? 高さ135メートル、25人乗りのカプセル32基で構成されていて、1周は約30分。観光シーズンまっさかりの今の時期じゃ、まず当日券を買うのは不可能って言うくらいの人気らしいわよ」
「あらあら、それは凄いですね」
「うん。できたら一緒に乗ってみたいね、お母さん」
 水瀬親子はホタホタと平和に微笑み合う。
 改めて考えてみれば、名雪と秋子さんのコンビは結構個性として強烈なものがある。流石は母娘というべきか、彼女たちが形成する一種独特な雰囲気は、そんじょそこらのプレッシャーなどではビクともしないだろう。
 基本的にオレの仲間にはゴーイング・マイウェイ型のマイペース人間が多いが、名雪と秋子さんはその中でもかなり強力な部類に入る。
「――ところで祐一さん。姉さんたちとはいつごろ会えるのでしょうか」
 思い出した、というような感じで、秋子さんは唐突にオレに顔を向けて問い掛けてくる。
「あ、それは私も聞きたいですー」その秋子さんに、栞がすぐに便乗した。「なにしろ、今回の旅行の目的のメインはそこですからね。祐一さんのご両親であり、ワイズロマンサーでもある人たちに会える! 私はこれを楽しみにしてたんです。あと、ロンドンのアイスクリームも」

 そう、オレの両親は『ワイズ・ロマンサー』というロックバンドのメンバーだ。完全なライヴバンドで、バスキングをやってたころからそこそこの人気はあったらしい。それが去年、いきなりブレイクした。まだメジャー入りはしていないようだが、一部の熱狂的なファンを従えて、シーンに話題を振り撒いているという話だ。
 まあ、それもU.K.に限定した話。日本ではまだ無名もいいところだ。……と言うより、知っている方が変な話だろう。だというのに、美坂姉妹は何故か親父たちを知っていると言う。しかも、2人とも結構ワイズロマンサーを気に入ってくれているらしい。有り難いような迷惑なような、複雑な気分だよな、実際。
「ええと、多分明後日には会えますよ。明日の夜、ハイゲートの『フォーラム』っていう結構人気のあるライヴハウスで演るらしいですから。ハイゲートなら、佐祐理さんの別荘があるハムステッドの隣町ですからね。住所を教えておけば、寄ってくれるでしょう」
「そうですか。姉さんたちと直接会うのは本当に久しぶりだわ」
 イギリスと日本、直行しても13時間もかかるほどに隔てられた地で生活しているのだ。幾ら姉妹といえど、そうそう会えるチャンスはない。しかも、母さんたちはこのイングランドを拠点として本格的に活動をはじめている。こういう機会でもないと、気軽に会うこともできないからな。秋子さんはとっても嬉しそうだ。
「まあ、変に売れてきたもんで、結構忙しいって言ってましたから。あんまり、ゆっくりはしてられないみたいですけどね。それでもメシくらいは一緒できるでしょう」
「ワイズロマンサーは成長株らしいしね」
「これからドンドン有名になっていきますよ。きっと」
 一行の中で唯一親父たちを知る、香里と栞が頷き合う。
「最初は、ただのバスカーだったんだがなぁ。まあ人格に多大な問題があるが、ヴォーカルとしての親父はとてつもないし。母さんも、ギター滅茶苦茶上手いからな。それが正当に評価されたってのは、身内としては嬉しいかな」
 親父たちがメジャーデビューして、ファンたちにキャーキャー持て囃されるなんて、どうやったって想像すらできないけど、それでも嬉しいことは嬉しい。こうして海を隔てた日本にもファンがいてくれたとなれば尚更だ。
「祐一、バスカーってなに」舞がツンツンと脇腹を突ついてくる。「……動物さん?」
「おいおい。動物なわけないだろう。なにか? オレの両親は、もとケダモノだったってのか?」
舞の呆れた動物好きに苦笑しながら、オレは説明してやる。
「バスカー(busker)ってのは、要するに大道芸人のことだよ。buskingする人で、busker」
 そう言えば、これってイングランド独特の表現だったっけ――?
 他にも、ライヴのことは『ギグ』って言うし。確かに日本とちょっと用語の使い方が違うよな。こりゃ、舞が分からないのも無理はないかもしれない。と言うより、ある意味当然だ。
「日本語で言えば、路上演奏者とか、まあ、そういう人だな。ほら、ここに来るまでにもさ、広場やら駅やらで色んな芸をやってる人たちがいただろう?」
 舞はコクンと頷く。
「あれが、バスカーさ。成功を求めるハングリィな挑戦者たちの総称だ。もっとも、技量はピンキリだけどな。レヴェルの高いやつは、即世界で通用しそうなのもいるし。下手なのはとことん下手だし。ま、その混沌ぶりが面白味でもあるんだろうけど」

 路上や地下鉄の通路、それから街中の広場で大道芸を披露することを、U.K.では『バスキング』と表現するのが普通だ。そして、その芸人たちは『バスカー』と呼ばれる。
 ただ、一口に大道芸と言っても種類は様々だ。手品、タップダンス、パントマイムのパフォーマー、火炎松明をお手玉するジャグラー。そして、楽器を演奏するミュージシャンや歌唄い。枚挙に暇ないとはこのことだろう。
 コヴェント・ガーデンやピカデリー・サーカス(共にロンドン中心部にある大広場)に行くと、こういう連中がうごめいている。勿論、彼らの目的は自己の表現と、通行人からのご祝儀なんだが――特に夜のレスター・スクエアはバスカーたちの聖地。ハイ・レベルのバスカーが集う超激戦区だ。
 そして、親父たち『ワイズロマンサー』は、その夜のレスター・スクエアで育った。
「親父たちは、夜になるとレスター広場にいって、毎晩演奏していたらしいぜ。バスカーたちにとって、レスターはU.K.最高のバトルフィールドだ。聞いた話だが、ワイズロマンサーは、そこで一種の伝説的存在にまで上り詰めたらしい。レスターに集まるやつらの間で、ワイズの名を知らないやつはいないって言うからな。悔しいけど、親父と母さんは凄いよ。ゼロから初めて、成功を掴みつつある」
 日本とイングランドを行き来していた親父たちが、イングランドに移り住むことになったのもそのためだ。イングランドで成功を掴みつつある彼らは、取り合えずコッチに居座って、本腰入れて世界に挑戦するつもりになったという。おかげで、オレは水瀬家に放り込まれることになったんだが――。
 まあ、なんにしても『バスカーから始めて、いつかはメジャーに』なんて夢見てる連中は星の数ほどいる。そんな中で、それを実力で現実に変えてしまう親父と母さんは――認めるしかない。
 ホント、凄いよ……。そこは、尊敬すべきだと思っている。まあ、母さんは掛け値無しに偉大な人である一方、親父はアホだけどな。人として。







Hamsted
GMT Fri,21 July 2000 15:21 P.M.


同日 午後03時21分
ロンドン北西部 高級住宅街 ハムステッド


 ――ロンドンの西24km地点にあるヒースロー空港を出発、そのままロンドンに入り、西部を北上。ロンドンを中心に、ブリテン全域へクモの巣状に広がる高速道路(表記はM。モーターウェイだ)の内、『M1』と地図上で表記されるルートを真っ直ぐに走り続ければ、やがて日本ではお目に掛かれないヨーロピアン・スタイルの洒落た高級住宅街が見えてくる。それが、現在のオレたちの目的地である『ハムステッド』だ。
 U.K.っていうのは、道路にしろ住所にしろ、アルファベットと数字の組み合わせで綺麗に整理されている。道路地図でいえば、Mが高速道路。Aが主要(1級)道路だな。これに0〜999までの数字を組み合わせることで、主要道路は完璧に全てが表現されるわけだ。通りにも全てに名前があって、番地、ストリート名、そして郵便番号の順に並べたものがアドレスになってるから、日本より各段に分かりやすい。
 同じ名前の通りが沢山あるから、郵便番号を確認しながら現在地の確認――と、最初は面倒に思えるかもしれないが、使い方を覚えてくると便利。色んなところにストリート名と郵便番号を書いたプレートが掲げられているから、迷っても現在地がどこなのか地図と照らし合わせて確認するのが非常に容易だ。
 そんなわけだから、ホテルに置いてあるオマケっぽい安物地図にでも、殆どのストリート名が書かれている。

「えぅ〜、綺麗なところですねえ」
「本当。日本の内向きな建築構想とは真逆ね。庭と建物が外向きに造られてる。このあたり、文化の違いを感じるわ」
 聞いていると、美坂姉妹のコメントは全然質が違って面白い。感情をダイレクトに表す妹と、なにやら小難しい理屈で考える姉。外見だけでなく、感性や性格も2人には相違点が目立つ。
「そうですね。日本は、家と庭の周囲を透明度のない無骨なブロック塀で取り囲み、とにかく外界から遮断しようとします。我が家の内側を見られるのを、一種の『恥』と考えるんですね。
 ところが、アメリカやオーストラリア、そして欧州、U.K.などでは、その思考は逆に働きます。外を歩く人間が見て楽しめるような、意匠を凝らした庭や建物を意識して造るんですね。――つまり、思考の方向が外向きなんです。だから、海外の住宅街は、散歩するだけで楽しめるんでしょうね」
 またミッシーが、それに輪をかけて難解なことを言い出す。
 ここにいる8人がある程度打ち解けてからというもの、天野と香里が2人で話込んでいる光景を、良く見かけるようになった。今まで、周囲の人間に理解して貰えなかった難しい話を、漸く遠慮なく話し合える相手を見つけたからだろう。2人は楽しそうに、ある意味で活き活きと談笑するようになった。
 まあ、良い傾向と考えて良いんだろう。特に美汐は、あまり友人を積極的に作るタイプじゃないからな。香里という良き理解者の存在は、大きいに違いない。

 オレ、香里、天野、それに舞、佐祐理さん、あゆ、名雪、そして栞。考えれば考えるほど、それを強く確信する。やっぱり、このパーティは最高だと。
 誰が欠けても成立し得ない、それぞれに其々の能力と特徴とオモシロさがある。それが相互に働き、相乗効果を齎すわけだ。これ以上理想的で、楽しい仲間なんてこの先できっこない。
「大事にしないとな……」
「ん、祐一。なにか言った?」
 迂闊にも声に出してしまったオレに、名雪が怪訝そうな顔を向けてくる。
「いや、折角キレイな場所なんだから、景観保護に努めなきゃいけないなと思ってな。名雪。ゴミを投げ捨てたりしちゃ、ダメだぞ」
「失礼だよ、祐一。私、1度もゴミを投げ捨てたことなんてないもん」
 慌てて苦しく言い繕うオレに、素直(悪く言えば単純)な名雪は、アッサリと誤魔化されてくれた。こういう時、名雪のサッパリとした気持ちのいい性格はありがたい。

 ――さて。ロンドン中心部は、観光シーズン真っ盛りということで非常に込み合っていたが、ここまで来ると流石にそれにも落ち着きが見られる。オレたちを乗せ軽快に走り出したワゴンは、ハムステッド・ハイ・ストリートを直進して、町を南北縦に貫通して走るヒース・ストリートを通過する。パブやマーケットで賑わっているところを見ると、恐らくこの辺りが、町の中心部となるんだろうな。
 その中心部を少し通りすぎて左折すると、『セント・メアリ』という教会が見えてくる。まあ、イングランドには教会が腐るほどあるから、特質するほどのものでもないんだけど……
 とにかく、佐祐理さんの別荘は、その教会が密集する地帯の近辺に立てられた、青い屋根の巨大な屋敷だった。
「あはは〜、これが佐祐理の別荘ですよーっ。皆さん、ようこそー! 佐祐理は、みなさんのお越しを心から歓迎しますよーっ」
 ワゴンから降りると、佐祐理さんは皆にニコニコと笑顔を振り撒きながら元気に言った。
 だが、オレたちはそれに応えることもできず、ただ呆けたようにその豪邸と庭園を眺めるしかなかった。  別荘の周囲は、腰の高さまでしかない天然の塀に囲まれている。四角く刈り込まれた緑の芝だ。それ越しに見えるのは、テニス・コートが3面は入りそうな広い庭。そして、その奥に鎮座する巨大な邸宅である。
「ブ……ブルジョワジー」と、オレ。
「しかも、綺麗だわ」と、香里。
「わ、天窓だ。天窓があるよ」と、名雪。
「あらあら、立派なお屋敷ですね。倉田さん」と、秋子さん。
「――佐祐理、お腹空いた」と、舞。
 ハッキリ言って、これが別荘なら日本人が住んでるアパート一室なんてウサギ小屋だな……と言った感じの、とてつもないスケールだ。周囲の高級住宅と比較しても、群を抜いてデカイ。佐祐理さんが、庶民とは住む世界の違う『スーパーお嬢様』であることを再認識させられる現実だ。
「ささ、皆さんどうぞ。自分の家だと思って、遠慮なくズズッと奥まで入っちゃってください!」
 それは無理だよ、佐祐理さん。そう思ったのは、きっとオレだけではないはずだ。
 庶民なら、絶対にこの屋敷を見せつけられて萎縮するものなんだよ。
 ただ、何故だろう? 相手が佐祐理さんだと「コンちくしょー! 悔しいから、火ィ着けたる」とかいう腐りきった思考が働かなくなる。これも彼女の人柄と仁徳の成せる業であろうか。
 これが久瀬あたりの別荘ともなれば、オレは躊躇なく破壊に取りかかるんだろうけどな。まあ、とにかく。これから1ヶ月間、この豪邸がオレたちの拠点となるわけだ。







Hamsted
GMT Fri,21 July 2000 16:11 P.M.


同日 午後16時11分
ハムステッド 佐祐理の別荘


 ――佐祐理さんの別荘は、『洋館』という言葉を聞いて、庶民が真っ先に連想するような、西洋風の豪邸の典型といった造りをしていた。玄関の重たいドアを開くと、そこは2階までの吹き抜けになっていて、真正面に大きな上りの階段がある。
 この階段というのがまた豪華なシロモノで、赤い絨毯のようなものが敷いてある、幅の広い、まさに豪華な洋館のイメージにピッタリのものだ。城の内部と表現してもいいかもしれないな。
 しかし不思議なことに、この屋敷からはあまり堅苦しい雰囲気は感じられない。洋館というと、辺境の小高い丘の上にそそり建っていて、雨の日の晩に訪れると、顔色の悪い無表情のメイドさんが出迎えてくれて、なぜかそこで連続殺人が起きる――とかいう重苦しくて暗い雰囲気を想定してしまうが、佐祐理さんの別荘は、彼女の笑顔のように明るくポップな雰囲気が漂っている。採光性に優れているせいか、暗いという雰囲気は微塵も感じられないのだ。
 そんなことを考えながら屋敷に足を踏み入れたオレたちは、まず最初に、この屋敷での『部屋割り』を決めることになった。これが決まらない以上、2階の客室に向かって、荷物を落ちつけることもできない。  そんなわけで、オレたちは、取り合えず1階西側にある大きな食堂に通された。
 本当なら部屋割りなんて話は、ここに来るまでの間、ワゴンの中で纏めておきたかったんだが――栞とあゆのお子様コンビが、やれ「2階建てのバスだ」やれ「お城みたいな建物だ」と終始騒いでいたため、それが侭ならなかったのだ。

「ではでは、早速各人のお部屋を決めましょーっ」
 そう言って、相変わらずハイテンションな佐祐理さんは、食堂の大テーブルに別荘の間取図をバサリと豪快に広げて見せた。この人には、気疲れとか精神的疲労とかいう概念はないのだろうか。
 大食堂のテーブルは、オレたちが良く知る生徒会室なんかに置いてある細長い机を、縦横3倍ずつくらいに拡大した感じの、とてつもなく大きくて豪華なものだ。勿論、護衛の人たちも含めて20人以上が楽に座れるだけのスペースがある。その上座に、佐祐理さん。そして彼女を12時として、時計回りにズラリと並んでオレたちが腰掛けることになった。
 機内食で昼食は取ったが、量が少なかったのでみんな腹が減っている。部屋割りの決定は、佐祐理さんの提案で、アフタヌーン・ティを楽しみながら――ということになった。
 日本人には知らない人も多いかもしれないが、イングランド人は本当によく紅茶を飲む。インドや東南アジアでも、しょっちゅう紅茶を飲む習慣を見かけるが、それに負けていない。
 今も、テーブルには銀製のポットに入った紅茶とミルク、そして夏の訪れを告げるお菓子としてポピュラーな『ストロベリー・アンド・クリーム』をはじめ、スコーンやマフィン、ショート・ケーキが並べられている。他にもサンドウィッチや、火を通した簡単な料理までもが、所狭しと食卓を占領していた。
 この軽めの夕食といったティ・ブレイクを、こっちでは『ハイ・ティ』と言う。
 時間も大体今頃、5時6時といった夕方にとるのが一般的。
 普通アフタフーン・ティといえば午後3時が目安だが、このハイ・ティは紅茶よりむしろ食べることにウェイトが置かれたものだ。小腹が空いている今のオレたちなんかにはうってつけなんだな、これが。

「ええと、1階の西側のこの大部屋――これが、この食堂ですよね」
 早速、香里が進行を開始した。図面を睨みながら、状況を確認していく。
 こう言うときの司会役というか、纏め役は、生徒会役員で慣らしている香里が務めることが多い。実際、美坂チームという呼称があるくらいだからな。オレたちの実質的なリーダーは彼女だ。オレも代表者として担ぎ出されることがあるが、それはどちらかといえば象徴的な役割の方が多い。
「あはは〜。そうなりますね。この屋敷は2つの食堂があるんです。1つはここで、もう1つは厨房を挟んだ隣ですね。違いは、こっちは部屋の中央に大きなテーブルが1つあること。向こうは、4〜6人がけのテーブル席が幾つかに分散してあることです。中華などはあちらで食べるとが多いですね。人数が多いパーティなども向こうの食堂を使いますが、それ以外は専らこちらが利用されます」
「なるほど……」
 図面をざっと見るに、1階には佐祐理さんの言う通り2つの食堂がある。それにもう1つ同じくらい大きな広間があって、そっちはバーになってるみたいだな。それから、厨房に給湯室。倉庫、それから洋室が2部屋あるようだが――
「洋室が2部屋あるようですが、これは?」
 ナイス、ミッシー。訊こうと思っていたことを、天野大先生がタイミング良く質問してくれた。
「これは、執事やメイドさんのためのお部屋ですね。本来は。でも、佐祐理はそういう方々を雇ってはいませんので、単純に客室ということになります。片方は、佐祐理と舞が使います。もう1つは、鷹山さんに割り当てる予定です」

「うぐぅ、と言うことはボクたちは2階のお部屋に泊まるの?」
 流石のあゆあゆも、消去法となると理解できるらしい。
「あはは〜、そうなりますね。2階にはユニット・バスを個々に持ったツインの客室が合計6つあります。皆さんは2人ずつの組みを作って、各部屋に入っていただくことになりますね」
 なるほど、図を見るに、2階にはツインの客室が『コ』の字を、反時計回りに90度回転させたような形で並んでいることが分かる。部屋数は全部で6つ。下の部屋を合わせると、合計8つでベッドの数は合計16か。オレたちが護衛の人たちも会わせて全部で16人だから、ギリギリだな。
「ええと、私は栞と組むでしょ。それから、名雪は――秋子さんとよね。倉田先輩は、川澄先輩とだから、あと自動的に月宮さんか天野さんが1階の鷹山さんと組むことになるわね」
 香里がテキパキとペアを分けていく。
「うぐぅ。じゃあ、ボクが鷹山さんと一緒になるよ。鷹山さんは強いから、一緒にいると安心だし」
「そう。それじゃ、月宮さんは鷹山さんと相部屋ということで宜しくお願いするわ」
 勝手な進行ではあるが、妥当な意見であるため誰も文句は言わない。
 ……って、ちょっと待てい。
「あの、香里さん? それだと、ボクはどうなっちゃうんでしょうか? なんか、先ほど自分だけ名前が挙がらなかったようなんですけど」
 クイクイと自分を指差しながら、チョッピリ控えめに自己主張してみる。
「ああ、相沢君ね」香里はチラとオレを一瞥して――「纏め役の鷹山女史を除いて、護衛は女性2人に男性4人。これはもう、ペアが決まってるようなものでしょう。ええと、つまり残っているのは天野さんだけだから、相沢君は天野さんとペアになることに……って、これは拙いかしら?」
「そんな酷な展開はないでしょう」
 珍しく困惑したような顔で、即座に天野が言った。

「そうよね。餓えた狼の群れの中に仔羊を放り込むようなものですもの」
「その通りです」
「おいおい。人を盛りのついたハーレムのトドみたく言わないでくれ」
 香里&美汐のあんまりと言えばあんまりな言われように、オレはたまらず抗議の声を上げた。
 そりゃまあ、確かに――初恋の女性が『沢渡真琴』という年上であったことからも確かであるように、オレは大人の女を感じさせる、天真爛漫よりかはクール、可愛いよりは綺麗な女性を好みとする男だ。
 そして、天野はその好みにバッチリ合致する、典型的なクール&ビューティ・タイプ。何度か抱きしめたことあるけど、カラダ、凄く柔らかかったし。近付くと、何時も良い匂いがするし。……中身はオバさんくさいけど。
 とにかく、だ。オレだって健康な17歳の男子。脳裏に、彼女の悩ましい裸身を1度も思い描いたことがないとは言えない。そして、その天野と同室で2人きりになるわけであるから――
 若い男女が同衾しちゃうとなれば、これは何らかの『過ち』が起こってもなんの不思議もない、ごくごくナチュラルなシチュエーションということになろう。ムフ。……なんて、邪まな考えを抱いてしまうのは、ある意味で仕方がないことだよな?」
「――そんなわけないでしょう。そのような人として不出来な妄想が、『仕方がない』の一言で許されるわけがありません」
「……え?」
 なんか、ミッシーさんがコチラを白い目で苛みながら、己の身を庇うように身を捩っている。

「なんにしても、これでハッキリしましたね? 私が相沢さんとペアになることが如何に危険であるかが、これで理解していただけたと思います」
「オイ」
 この展開はもしかして――
「相沢君。あなた今、自分の欲望を声に出して語っていたわよ」
「ぐはっ、ウソ!」
 ああ、なんだか香里をはじめとする、女性陣から向けられる針のような視線が、全身にチクチク痛い。ついつい己の邪まな野望に熱くなり過ぎたあまり、状況を省みずストレートに口に出してしまうとは。我ながら、オレって恐ろしい男だ。
「それで、えっと。念の為に確認しておきたいのですが、ボク、どの辺から口に出してました?」
「『カラダ、凄く柔らかかったし。近付くと、何時も良い匂いがするし』辺りから、最後に『ムフ』までよ」
 香里が冷たい声音で即座に応えた。対照的に、天野は自分のことが語られているせいか、真っ赤になって俯いている。こういうところは、オバさんっぽさは微塵もなくて、素直に可愛いと思うんだが。
「じゃあじゃあ、『でも天野は胸が小さそうだから、ボリュームのある舞とか佐祐理さんとか香里とかでもいいかなぁ〜』とか思ったことは?」
「それは、たった今、この瞬間聞いたわ」
「あ、なぁんだ。よかった」
 そこまではバレていなかったことを知り、オレはホッと安堵で胸を撫で下ろす。

「とにかくです! 相沢さんと相部屋なんて酷過ぎます。私の純潔に『散れ』と命じているようなものです」
 そんなに嫌がられると、それはそれで、なんかショックだなあ。オレって、天野には結構好かれてると思ってたんだが、思い違いというか、勘違いだったのかもしれない。
「あはは〜、大丈夫ですよー」
 頑なにオレとのペアリングを拒む美汐に、佐祐理さんは笑顔で言った。
「祐一さんは、女のコと1夜を共にすることに関しては、既に慣れっこですから。舞なんか、もう何度も祐一さんと同じベッドで一緒に寝てますし。佐祐理もご一緒させて貰ったことが何度かありますよー。ね、舞?」
「ええ〜〜っ!?」
 これには、その場にいた殆ど全員の女の子たちが悲鳴にも似た叫び声を上げた。
「……って、オイオイ」
 佐祐理さん。確かに舞が夜中に泣き出した時は抱きしめてやるし、一緒のベッドでも寝る。佐祐理さんも、それに混ざったことがあるのは真実だ。真実なんだが――
「佐祐理、それはヒミツ」
「あはは〜っ、ごめんね、舞」
 皆の前でバラされたのが恥ずかしかったのか、舞のテレテレチョップが佐祐理さんにポコンと炸裂する。
 真っ赤になった舞の頬。羞恥心ゆえか、どことなくモジモジとしたその仕種が、見る者を更なる誤解の高みへと導いてゆく。

「えぅ〜! それはつまり……えーと、男の人と女の人が、夜同じベッドで抱き合って寝ると言うことは。いうことは?」
「うぐぅ、恥かしいよう」
「祐一と川澄先輩がそんなことになってたなんて、私もう笑えないよ」
「相沢君、納得のいく説明をしていただけるかしら?」
 ああ、なんか凄い展開に陥りそうな予感がヒシヒシと。
 栞、勝手に妄想を膨らませないでくれ。あゆ、何を想像してるか知らんが赤くなる必要は微塵もないぞ。名雪、オレと舞がどういうことになったと考えてるのか知らんが、笑ってくれて結構だ。それから香里。メリケン・サックなんか手に装着して、そいつでオレをどうするつもりだ?
「さぁ、相沢君。観念して、真実を正直に言うのよ」
 口元に天使のような微笑を浮かべて、香里がズンズンと迫ってくる。だが、その目は少しも笑ってはいない。
「素直に白状すれば、怒ったりしないから。ね?」
 ウソだ、ウソに決まってる。
 オレは逃げようとするが、何故か体が言うことを聞いてくれない。ジタバタと無駄な足掻きを続けている内に、香里のシルエットがオレに覆い被さり――
「うぎゃ〜〜〜〜っ!!」

 ――オレは散った。






to be continued...
←B A C K |  N E X T→
脱稿:2001/10/03

INDEX → 目次に戻ります
HOME → 著者のウェブサイト


I N D E X H O M E

inserted by FC2 system