言いたくて、言えなくて
伸ばしかけたその手が今日もさ迷う




ヒンキイ・ディンキイ
パーリィ・ヴゥ
Hiroki Maki
広木真紀




−煉獄の章−




GMT 20 September 1996 03:13 A.M.

1996年 9月20日 深夜3時13分
起爆装置作動まで、あと――

01:31:47



 4年後のある日、雪の降り積もる思い出の街で、オレは1人の少女と出会うことになる。
 彼女の名は、美坂香里。その出会いから暫くして、オレの恋人みたいな存在になる娘だ。
 で、これは、その香里が言っていたことなのだが――
 未来や将来が予測できず、それが不確定であることを実感できる状態が『自由』。確実な未来が予測され、将来のヴィジョンが明確に描き出せる状態が『不自由』。
 つまり、殺されるかもしれない。そうでないかもしれない。命の行方が、少しも予測出来ない。将来、自分がどうしてるかなんて、想像もつかない。それこそが、『自由』であり幸福の1つの形態であると言うんだな。
 確かに、これはある意味で正しいだろう。少なくとも、オレは彼女の肩を持つ。何故なら今この時、オレはそのことを実感できる立場にあったからだ。
 目の前には、1時間30分後に爆発する軍用プラスティック爆弾の山。逃げ様にも、手枷で身体を拘束され満足に動くことすらできない。人気のない辺境の小汚い倉庫の中、このままで行けば起爆装置の作動と共に死が訪れるのは確実だ。
 命の行方が少しも予測できないのが自由なら、今のオレは明らかにその自由を侵害されている。

「……なんて、哲学やってる場合じゃねー!」
 あと、1時間半!今から90分以内になんとかしないと、オレは死んじまうんだぞ! 冗談事じゃないぜ、これは。可及的速やかに、現状から脱却する術を考え出さないと人生に幕を下ろすことになる。まだ、美女の柔肌を抱いた事はおろか、チューすらしたことないのに!
 それに、このまま死んだら『自宅の庭、可愛い息子と麗らかな春の午後キャッチボールに興じる』というオレの壮大な夢はどうなるんだ?
 そうだ。その通りさ。オレの人生はこんな所で終わらせちゃいけない。ちゃんと、綿密な人生計画だって立ててるんだ。そう、例えばこんな感じで――


01.高校入学。サッカー部に所属したオレは、そこで1人の少女と出会う(マネージャー)。
02.最初はただの仲間としか認識しあっていなかった2人。
  オレはひたすら国立を目指し、サッカーに全てを掛ける。
03.練習試合、突然のアクシデント。
  オレは相手のバックチャージで足に全治2ヶ月の重傷を負う。
04.マネージャーとして献身的な看護をしてくれる彼女。
  2人の関係は急速接近。そして、両者の間に淡い恋心が芽生える。
05.3年生。サッカー部主将になったオレは、国立への最後のチャンスに挑む。
  背番号は10。友達はボール。得意技は顔面ブロック。
  もし国立に行けたなら、彼女に告白することを決意。
06.大会前日、突然の交通事故。彼女――マネージャーが帰らぬ人に。
  病院。もう目覚めない彼女に、最初で最後の、そして涙のチュー。
07.傷心のオレ。実力を出しきれず、地区予選で敗退。国立の夢破れ絶望の中、引退・卒業。
 
08.大学生活。オレは文科系サークルに所属し、そこで1人の女性と出会う。
09.オレと同じ様に、失恋のショックで打ちひしがれていた彼女。
  2人は傷を舐め合うように、互いを支え合う。やがて2人の間は恋心が。
10.夏。かなり親密になった2人は、泊りがけで海に行く。
  ナンパ男に絡まれる彼女。オレは果敢に戦い、騎士様っぽさを演出。
  熱の高まった2人は、その夜、遂に結ばれる。
11.アクシデント。彼女の元恋人が現れる。
  2人の男の間で揺れ動く彼女の乙女心。オレは元恋人と拳で語り合う。
12.勝利を収めたものの、傷付き倒れたオレ。
  土砂降りの雨の中、ずぶ濡れのオレを彼女は抱きしめる。「祐一のバカ……」

 (中略)

57.2人は遂に結婚。海の見える小高い丘の上に、小さいけれど綺麗な白い家を建てる。
  子供は男の子と女の子の2人。名前は、杉男(スギオ)とピーコ。
58.家族みんなで、アメリカのホームコメディばりの幸福な生活を送る。

 (中略)

97.52歳。ハードボイルドが良く似合う私立探偵になったオレ。
  長年追い続けていた宿敵(と書いてライバルと読む)『怪盗カノン』を遂に追い詰める。
98.閉鎖された遊園地。夕陽をバックに、最後の闘いに挑むオレと怪盗カノン。
99.死闘の末、残された弾丸は、互いに1発ずつ。互いに向き合い、そして抜き打ち勝負。
  オレのマグナムが火を吹き、怪盗カノンは倒れる。
  だが、オレも胸に重傷を負う。力尽きて倒れるオレ。
  最後のセリフ「我が人生に、一片の悔いなし!」そして相沢祐一、暁に散る。
  END… (エンディング「風の辿り着く場所」/監督・脚本・演出=相沢祐一)


 ――ウム。そうだ、こんな感じだ。こんな人生こそ、オレのような素敵で素直な少年には相応しい。オレはまだ中学2年生だが、やはり将来の事はシッカリと考えておかねばならないからな。
 そうさ。オレはこんな所で死んじゃいけないんだ。
「そういうわけで、親父。是が非でも此処から脱出するぞ」
「どういうわけか全く分からんが、何やら無意味にやる気だな」
 ちょっと親父は鼻白んだように言った。
「まあ、オレもここで死ぬ気なんぞ更々無いからな」
「OK、じゃあここで一先ず、オレたちが置かれているこの状況を整理してみよう」
 そう。こういう時こそ、慌てずに事を論理的に進めるよう自らを律していかなければならない。
「まず、ここは人里離れた辺境の地である可能性が高い。だから母さんは勿論、周囲に住む人間がオレたちを救出してくれる可能性は全く期待できない」
「可能性はほぼゼロだな」親父は深く頷く。
「そして、この手枷。警察が使うような手錠じゃなくて、監獄なんかにあるタイプだ。10cm超の長さがある金属製の筒でできていて、これが親父とオレの腕に嵌められている。勿論、鍵があれば外すことができるが――」
「その鍵は、連中が持って帰ったんだろうな。多分」
「そして極めつけ。今、オレたちの目の前には時限式の軍用プラスティック爆弾がセットされている」
「1.1キログラムのC4が10セット。これだけあれば、ウィンザー城だって爆破できるだろう」
 ところで、親父は妙にこの手のことに詳しいが、何故だろう。爆発物フリークなのか。それとも、ロンドンでは今『プラスティック爆弾』が大フィーバーしていて、生まれたての可愛い赤ちゃんから、シワシワの婆さんまで爆発物に精通してるとか。
「――まあ、とにかく、その時限装置は順調に稼動しているらしい。しかも、ご丁寧にタイムリミットを教えてくれる大型のデジタル表示がついていて、頼みもしないのに、オレたちが死ぬまでの時間を律儀に刻んでくれている」
「そのデジタル表示は、現在01:21となってるな。要するに、残り時間は81分ということだ」
「それはつまり、それまでにこの手枷を何とかして、ここから脱出しないと――」
「ドカンと爆発、世界が誇る最高のチェリスト・相沢芳樹は、この世から消え去ることになるということだ」

 くっ。こうして改めて状況を纏めてみると、自分が如何に絶望的な状況にいるのかを再認識できる。殆どどころか全く死角がない。
 1時間半後の起爆装置作動と共に訪れるであろう自分の“死”が、絶対的なものであるようにさえ思えてくる。ここ数ヶ月、死ぬほどブン殴られたり、武器を持った大勢の敵に囲まれたりとピンチが多かったが、今回のこの危機はその比ではない。
「親父、なにか良いアイディアはないか?」
「いや。少なくとも、無傷でここから脱出できるような手立ては思いつかん」
 流石の親父も沈痛な面持ちを隠しきれない。
「だが、状況は最悪でも考え方次第だ。何か手はある。時間だって、あと10秒しか残ってないわけじゃない。手足を切り落とされて身動きできないわけでも、目が見えなくて何もできないわけでもない。何とか出来る筈だ。なんとか……」
「親父。こうなったら、縋れるものには何にでも縋り付くぞ」
「縋れるもの……?」
 親父は怪訝そうな表情をして、オレの顔を見る。
「何か良いアイディアでもあるのか、祐一」
「テレパシーだ。汚い夫と可愛い息子がピンチなのだ。それを母さんにテレパシーで伝える。上手くいけば、母さんが救出しに来てくれるだろう」
「はァ?」親父は、火星人でも見るような奇異の目をオレに向ける。「お前、なに言ってんの? 恐怖のあまり、頭がおかしくなったのか。まあ、元からマトモじゃなかったが」
「ええい、喧しい! とにかく、やってみろよ。愛があれば届く。通じるはずだ!」
 もうこの際、オレを助けてくれるなら何でもいい。親父の言う通り、状況は最悪でも考え方次第。諦めたら可能性はゼロだが、足掻けば最後の不条理兵器『奇跡』が発動して、カツラ疑惑のある神がオレを救ってくれるかも知れない。
 そして今、オレに出来ることはそれくらいしかないんだ。

「しかし、仮に夏夜子にオレのテレパシーとやらが通じたとしても、ここが何処だか分からないと、助けに来ようがないぞ。ピンチなのは分かっても、何処に助けに行けばいいか分からないんだからな」
 親父は肩を竦めて言った。確かに、その指摘は正しい。もっともな意見だ。的を射ている。しかし、相手は母さんなのだ。なにが起きても不思議はない。
「そこはそれ。母さんなら『アラアラ、まあまあ』とか言って何とかしてくれるさ。あの人は、オレたちの理解を超えた不可思議な能力があるのだ。もはやアレの謎さ加減は、超能力にも匹敵するだろう。テレパシーだって受信できても不思議はない。……だって、母さんだし」
「ウム。確かに、夏夜子ならそういうことが出来ても不思議はないような気がする。お前の言う通り、テレパシーの1つや2つ、どうにかなるかも知れん。……だって、夏夜子だし」
 親父にも心当たりがあるのか、複雑な表情で頷いている。
 母さんには、秋子さんという妹がいるのだが――とにかく彼女たち姉妹は、揃いも揃ってとても不思議な女性たちなのだ。それぞれ子供だって産んでいるくせに、どう見ても20代にしか見えないほど若々しいし。いつもニコニコして、知らない間にヘヴィな問題を解決してるし。
 何と言うか、浮世離れした、どこか超然的な雰囲気があるのだ。
「そうと決まれば、チャレンジしてみろよ。親父。ダメで元々。無理と決めつけて諦めるよりは、見難く足掻いて助かるのだ。そして明日の朝日を拝んで笑うのだ」
「ウム。確かに、お前の言うことにも一理ある」
 親父は神妙な顔つきで頷いた。
「よーし。やったろうやないけ」

カッ!

 ――夏夜子。夏夜子・ザ・マイ・ダーリン! ハニー! マイ・ワイフ!
 まあ、なんでもいいから、とにかく夏夜子よ!
 夏夜子、聞こえるか。いや、聞こえなくても聞いてくれ。オレのこの魂の叫びを受けとめてくれ!
 ピンチだ。わりと大ピンチだ。死にそうだ。お前の渋く、いなせな夫が危機的状況に陥っている。いや、渋くていなせなだけじゃない。恰好良くて、頭が良くて、ワイルドで、強くて、あまつさえチェロの天才で……とにかく、その人類の至宝たるオレが死にそうだ。助けてくれ!
 あとオマケだが、ドラ息子の祐一もわりとピンチらしい。こいつはともかく、少なくともオレは助けてくれ。ヘルプ・ミー!


「はぁ、はぁ……」
 相当気合を入れていたのか、親父は汗ビッショリで呼吸を荒くしている。
「な、なかなかやるじゃねェか。夏夜子よ」
 挙句、滴る汗を拭いながら、なにやら母さんを称え出す始末。言葉の意味は良く分からんが、とにかく通じたっぽいリアクションだ。
 誓って正直な話、オレはこの時、これで何とか助かるかもしれないと思っていた。
「――ど、どうだ。通じたか? 母さん、何て言ってた?」
「ウム。手応えはあった。念をビビビッと強烈に送っておいたからな。間も無く来てくれる筈だ」
 根拠がないわりに自信タップリの親父は、胸を張ってそう主張する。
「フッ。オレと夏夜子の愛と愛欲は時空さえ超えるぜ」
「オオ、良く分からんが、凄いぜ親父! 2人の愛に今夜は乾杯だ。極上のシャンパンでな」
「おう。……ただし、お前はノン・アルコールのだぞ。フッフッフ。愛は偉大だ!」

 だが、よくよく考えてみれば、ここはロンドンから車で2時間半の地点にあると思われる倉庫。仮にテレパシーが通じ、母さんがオレたちのピンチを悟ったとしても、爆発まであと1時間超しかないのならば、今からロンドンを出発する彼女が、爆発する前にオレたちを助けられる道理はない。
 しかし、本気でテレパシーもどきが通じたと信じきっている親父と、それに淡い希望を抱くオレは、そのことに気付く由もなかった。
 そして、これは後に母さん本人に確認して得た証言であるが――



GMT 20 September 1996 03:27 A.M.
London W U.K.

同日 同時刻
相沢家アパート 寝室


「スー……スー……」

 親父がテレパシーを送ったその時、母さんは自宅のベッドで安らかに眠っていたそうだ。



 バカやってるうちに、起爆装置作動まであと――

01:16:51





to be continued...
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脱稿:2001/10/29 23:44:49

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