PYGMALION


Hiroki Maki
広木真紀




−1−



 その鉄筋5階建ての奇妙な建造物は、学校敷内の片隅にひっそりと隠れるようにして建っていた。特徴的なのは、外部への接点が正面玄関以外には1つも見当たらないことだろうか。勝手口や非常口はおろか、窓の1つすら存在しない。光の加減によっては銀色に輝いても見える、白くノッペリとした壁が5階分、無表情に続いているのだ。その威容には、見る者に畏怖の念すら抱かせる何かがあった。
 どう考えても、建築基準法に違反しているだろうその建物は、生徒たちの間で『生徒会会館』として認識されている。学内において、異常なほどに強大な権限を持つ『生徒会』の役員たちがその執務を行なう専用の建築物。生徒会に属さない一般生徒は無論のこと、教師たちですら無許可では立ち入ることが許されていない会館は、当然学内でも色々な噂を生んできた。
 そこは強大な邪悪が巣くう伏魔殿なのか。或いは、役員たちがその責務を真っ当せんと奮闘する聖域なのか。その真偽を確認できたものは誰一人としていない――。
 だが今、その厚いヴェールに閉ざされた『会館』に、敢然と挑もうとする人物がいた。その日の午後、会館内部へと通じる唯一の入り口に現れたのは、一部の隙も無くスーツを着こなした若い女性だった。 その姿からして、学園関係者でない事は確実である。勿論、彼女が向かった正面ゲートは、厳重な警戒態勢で24時間固められている。ゲート脇の詰め所には常に3人の警備員が控えており、さらに駅の自動改札システムに似たセキュリティと監視カメラが備えつけてあり、外部からの無断侵入を万全の体制で防いでいる。訪問者である若い女性も、――正規の手続きを踏むにせよ、実力で突破するにせよ――会館内部に入り込もうとすればこのセキュリティを全てクリアしなければならない。

「今日は」
 金属製なのではないかと疑わせるほど張りのある、皺1つ存在しない紺色のジャケットと、揃いのスカート。フォーマルな装いで完璧に身を固めた彼女は、警備員詰め所の受け付け口に歩み寄り、認識するのがやっとの微笑と共に言った。
「何か御用ですか?」警備員の1人が、ニコリともせずに問いかける。
「生徒会長と18時にお約束を戴いていた、倉田代議士の秘書官・小野島おのしまと申します」
「小野島様ですね。伺っております」
 警備員は傍らにある端末のモニタを覗き込むと、1つ頷いた。確かに会長から、18時に倉田代議士の秘書官の訪問を受けるという話が下りてきていた。
「では、こちらの用紙に必要事項を記入された上、サインをお願いします」
 小野島と名乗った女性は差し出された用紙を無言で受け取ると、綺麗な文字で記入欄を埋めていった。そして1番下にサインを入れると、受け付けの警備員に返す。
「――結構です」警備員はザッとその書類に目を通し、厳つく頷いて見せた。
「では、このパスカードをどうぞ。これは本日限り、閉館時間まで有効となります」
 小野島は、差し出されたそのカードを受け取った。それを確認し、警備員は続ける。
「また、そのカードで開くのは1階部にある部屋のみです。2階以上のフロアには立入り出来ません。そのカードで上階へ通じる通路へのロックを解除しようとした場合、警報が作動しますのでお気をつけ下さい。会長は、1階の第3応接室でお待ちです。案内が必要ですか?」
「いえ」
 スーツと同様、完璧という形容が相応しい美貌の彼女は、首を正確に2回左右してそれに応えた。
「案内は必要ありません。会館の勝手については、倉田代議士から少なからず窺っておりますので」
「そうですか。では、お通りください。その自動ゲートのスロットにお渡ししたカード・キィを通せば、ゲートが開きます。お帰りの際も同じ手順でお通りください。カードは自動回収されますので」
「分かりました。それでは、失礼します」
 小野島は小さく会釈すると、駅の改札に切符を入れる要領でカード・キィを通し、会館内部へと足を踏み入れていった。警備員はそれを見届け、館内の至る場所にしかけてある監視カメラで、彼女の姿を引き続き追跡し始めた。このシステムが正常に動作する以上、もし小野島と名乗った女が不審な行動を起こしても、それは一部始終映像で記録に残される。
 警備員たちは、この会館が何故こんなにまで厳重な警戒システムを敷いているのか知らない。だが、何があるにせよ、この会館内部では絶対にトラブルは生じる事はないだろう。この万全の体制が維持される以上、会館に挑もうとする者など現れるはずも無いのだ。少なくとも、その人間が正気なら、大使館のセキュリティにも比肩し得るこの警備を前に、作戦を断念するに違いない。それは疑いようのないことだ。だから勿論のこと彼らは、年内の内に自分達が職を失うことになろうことなど予想だにしていなかった。



−2−



「お初にお目に掛かります。倉田圭一郎けいいちろうの主任秘書――公設第一秘書官を務めております、小野島亜美あみと申します」
「――はじめまして。本学の生徒会長、久瀬透くぜとおるです。倉田先生には何時もお世話になっております」
 久瀬透は、小野島と名乗った女性秘書と握手を交わすと、向かいのソファを勧めた。彼女は軽く会釈をしてからそれに従い、革張りの応接セットに腰を落とした。
「倉田先生の秘書官ということで、壮年の男性を想像していましたが……少し驚きました」
 久瀬はそう言うと、自らの言葉を慌てて取り繕う。
「いえ、決して女性であることや若さを蔑視しているわけではありません」
「皆さん驚かれます。経験の浅い若輩者であることは重々承知しているつもりです。ですが、この若さを可能性と考えていただけないでしょうか」
 小野島亜美は、久瀬の言葉通り、誰もが想像する以上に随分と若い人物だった。大学を卒業したてのルーキーといったところか、年の頃は20代前半から半ば。セミロングの真っ直ぐな黒髪に、北国の女性特有の透けるような白い肌。体格は女性と考えても小柄で華奢な類に入るだろう。スレンダーだが、グラマラスではない。その凛とした雰囲気のおかげでタイトなスーツ姿も充分似合っているが、どちらかといえば和服が似合いそうな体型だ。
 だがそんな些細なことなど相手の念頭から即座に払拭させてしまうほどに、鋭い眼光を放つその瞳は、彼女の並々ならぬ知性と強靭な精神力、そして鉄の意志を物語っていた。若さや女であることなど、絶対に口にさせない。それを実力で相手に守らせてみせましょう――。そんな得体の知れない凄みのようなものを、彼女はすでにその身に纏わせていた。もっとも、25歳の若い女性が衆議院総選挙で当選し、社民党の議員になる時代だ。それも別段驚くことではないのかもしれない。
 だがしかし、次回も再選確実であろうと言われている地元名士、倉田圭一郎の秘書官としては、やはり意外な人物であるとしか言えなかった。代議士の腹心ともなれば、その人間にはそれなりの経験や胆力が当然必要となってくる。そこを考えると、目の前の女性はあまりに若過ぎるし、華奢だ。果たしてその美貌と身体を武器にしても、経験の少なさと相手の先入観を補いきれるかどうかは疑問である。
 それはともかく、彼女の身元は先日掛かってきた代議士自らの電話によって保障されている。見掛けや容姿はどうあれ、彼女――小野島亜美が倉田代議士の秘書官であることは疑いようがない事実だった。

「倉田先生はお元気ですか」
「はい。多忙を極めてはおりますが、おかげさまで」小野島は、ニコリともせずに応えた。
「先生には、理事会も大変お世話になっています。我が生徒会も、かつて出来なかったようなダイナミックな政策を実行に移せるのは、一重に倉田先生のご支援とご指導のおかげ。その恩恵は計り知れません」
 衆議院議員・倉田圭一郎は、去年まで生徒として在籍していた倉田佐祐理さゆりの実父である。そして、後援会を通して彼から納められる寄付金は、久瀬が覇権を握っている『生徒会』の潤沢な財力の大きな後ろ盾となっていた。そういった意味合いでも、理事会や生徒会における倉田家の発言力と影響力は大きい。かつて、久瀬が倉田佐祐理を生徒会に引き込もうと強引に迫ったこともあるのは、そう言った事情があったからだ。
 そして今、久瀬が目の前にしている小野島秘書官は、その倉田代議士の公式な代理人である。政治的な意味合いでは、代議士本人を目の前にしているのと殆ど変わりない。彼としては、無碍に扱うことの出来ない人物だ。彼女をすんなりと会館の中に招き入れたのも、その辺りを考慮した生徒会側のアピールである。久瀬個人にしてみても、卒業後の将来的なことも考えれば、倉田代議士とは是非とも懇意にしておきたいという思惑があった。一校の生徒会長で終わるつもりなど更々ない彼である。
「それで、小野島さん。今日はどのようなご用件で?」
「それなんですが――」
 小野島は傍らに置いていたブリーフケースを膝の上で行儀良く開くと、薄い冊子を取り出して卓上に置いた。そして、それを久瀬に差し出しながら続ける。
「会長は、倉田圭一郎の長女、佐祐理嬢のことはご存知でしょうか?」
「もちろんです。去年まで、我が校に在籍していらした先輩ですから。確か卒業後は、市内の東北技術科学大学に進学された筈ですが」
 東北技術科学大学――通称TUTは、数年前市内に創立された国立大学である。その斬新な講義内容と充実した設備が話題を呼んでいて、既に県内でも有数の名門校としてその名を馳せている。倉田佐祐理が進学するとしても、問題のない学校だろう。
「はい。お渡しした冊子は、その東北科学技術大学の『代議委員会』に関する資料です」
「代議委員会と言うと……」久瀬はデスクに置かれた冊子を取り上げ、ペラペラと捲って見せる。
「代議委員会とは、要するにこの学校でいう『生徒会』のような存在です。代議委員と呼ばれる役員が生徒から選出され、主に学校行事の企画・管理・運営などを行ないます」
「ええ。それは知っていますが、それと倉田嬢とどういった関係が?」
「佐祐理嬢は、来年度から、その代議委員として組織運営を学びたいと考えていらっしゃいます」
「ほう」
「ですが、ご存知のように『東北科学技術大学』は、近年創設されたばかりの新設校。形として組織は存在するとはいえ、実際の運営段階となると、システム面の未熟と粗が目立ちます。そこで彼女は、高校時代に生徒主体の優れた組織運営を行なっていた、貴校の『生徒会』を思い起こされたわけです」
「はあ。それは光栄なことですが――」
 まだ話が見えないのか、久瀬は怪訝そうな顔で取り合えず相槌を打つ。
「倉田嬢は、貴校の卒業生として『生徒会』の視察を望んでいらっしゃいます。貴校生徒会の洗練された組織運営術とシステムを学び、今後の代議委員としての活動の中で、そのノウハウを活かしたいと。こう希望されているわけです」
「ほほう。本校に在学中の間は、そういったことには関心が無かったようですが――なるほど。流石は、倉田圭一郎先生のご息女。遅咲きではありますが、組織運営に興味を持たれるようになりましたか」
「はい」漸く分かってもらえましたか、といった笑みで小野島は頷く。「そこで、今日は会長にそのお許しを戴きたく参上した次第です。議員も、佐祐理嬢のこうした積極的な姿勢は歓迎しておられるご様子。是非とも会長にはご理解を戴き、この会館を含め生徒会の活動の見学を認めていただければと。出来れば、倉田嬢の腹心となる予定のご学友を含めて、計10名前後をお引き受け願いたいのですが」
「ふむ」
 久瀬は、素早く思考した。生徒会の活動内容を見学させるのは構わないが、館内視察――この生徒会館をうろつかれるのは、あまり歓迎できない。だが、倉田代議士が娘のバックについているとなると、ここは彼女のやりたいようにやらせるのが得策のように思える。娘を思って、自分の秘書官を寄越したほどだ。ここで断れば、生徒会としては大きなマイナスとなるだろう。
 この『生徒会会館』の上階には、生徒会長の久瀬ですら把握していない幾つかの極秘事項が眠っている。久瀬の持つ会長権限で立ち入ることが出来るのは、4階まで。最上階の5階フロアとなると、完全に未知の領域となる。そこに眠る機密にタッチできるのは、理事会のメンバーだけだ。だが倉田代議士は、このトップシークレットに関しては、何も情報を持っていない筈。何とかこれに触れない様に、ザッと館内を案内するように務めれば――
「分かりました。検討してみましょう」
 久瀬は考えを纏めると頷いた。
「僕としては勿論歓迎しますが、それでも会長の一存で決めるわけにもいきません。生徒会は理事会直下の組織ですから、理事会の了解も得たいですし。とりあえず、役員会で他の役員たちの意見は聞いてみます。恐らく承認は得られると思いますが。お返事は、その後日ということで構いませんか?」
「勿論です」小野島は、薄く微笑んだ。「良いお返事を期待させていただきます」



−3−


Sun,03 September 2000 12:21 P.M.
AMS Mansion 4F cafeteria

9月3日 日曜日 午後12時21分
AMSマンション 4階 カフェテリア


「いっちご、いっちご〜♪」
 水瀬名雪は謎の歌声と共に、休み無くイチゴサンデーを銀色のスプーンで掬っては、口に運ぶ。辺りには既に空になったイチゴサンデーの容器が幾つも散乱していた。こと好物に関しては、彼女の胃袋は銀河か特異点にでも通じているらしい。周囲の人間から呆れ顔で見守られながらも、彼女はせっせと飽食に勤しんでいた。
 ――9月最初の日曜日、『AMSコネクション』の面々はスッカリお馴染みとなった倉田佐祐理邸での昼食会に集まっていた。このAMSとは、相沢祐一、倉田佐祐理、川澄舞、水瀬名雪、月宮あゆ、美坂香里、そして美坂栞、天野美汐の有閑仲良し8人組のことである。
『A』は「Aizawa=祐一」「AYU=あゆ」を。『M』は「Misio=美汐」「Misaka=香里」「Mai=舞」「Minase=名雪」。『S』は同様に「Sayuri=佐祐理」「Shiori=栞」を意味し、このイニシャルを組み合わせてAMSとなっているわけである。
「それで、今日は何で皆を集めたんですか、倉田先輩」
 パクパクとハイスピードでイチゴサンデーを平らげていく親友を尻目に、美坂香里は言った。
「あははー。今日は、祐一さんの提案で皆さんに集まっていただいたんですよー」
 この超高級マンションのオーナーである倉田佐祐理は、何時ものように口元に穏やかな微笑を浮かべて告げる。
「相沢君が?」
「――うむ。オレが頼んで、佐祐理さんに皆を集めてもらった」
 意外そうな表情で顔を覗き込んでくる香里に、祐一は深く頷いて見せた。
「うぐぅ……また、何だか嫌な予感がするよ」
「そうです。祐一さんが皆を集めてする話といえば、ロクなことではないに違いないです」
 あゆと栞が口を揃えて不吉なことを言い出す。だが、祐一本人にも全く心当たりのない言葉でもない。
「それで、相沢さん。今回は一体どんな犯罪に手を染めるつもりなんですか?」
「ミシオン。相変わらずキツイこというなぁ、お前さんは」
 美汐の鋭過ぎる突込みに、祐一は思わず苦笑した。
「まあ、犯罪である事は否定できないんだけどな」
「佐祐理、お茶おかわり」舞は、何時ものように『我関せず』と、牛丼を貪っていた。
「実は、今日集まってもらったのは他でもない。皆に知恵を貸してもらいたいからだ」
 祐一はソファから立ち上がると、図書室とAVエリアに挟まれたカフェテリアで、AMSのメンバーたちの顔を見回しながら言った。
「受験生――しかも、もう9月だって言うのに悠長な話ね。進路の事はいいの?」
「ぐはっ。それは言わない約束だぞ、香里」
 痛いところを突かれて、祐一は一瞬グラリとよろける。が、何とか体勢を整えて話を続けた。
「進路の問題も大事だが、オレにとっては今しか出来ない仕事が残ってるんだ。卒業する前に、是非ともこれに片をつけておきたい」
「生徒会会館ですね」
 美汐は、祐一の言いたいことに逸早く気付いたらしい。彼の目を真っ直ぐに見詰めて、小さく呟く。
「そうだ」祐一は深く頷いて見せる。
「もう3ヶ月前のことになるが、みんなまだ覚えてるよな。武田玲子、前年度の生徒会3役、小田桐兄弟、そして澤田武士が死んだあの事件だ」
 勿論、その問いに全員が頷いた。忘れるはずも無い。きっと生涯、心から消えることがないだろう陰惨な事件だ。

「……そっか、もう3ヶ月になるんだね。あれから」
 名雪がスプーンを持った手を止めて、哀しげに呟いた。約3ヶ月前、6月5日に祐一が『武田玲子』という生徒会の事務書記長の死体を発見したことから始まった、連続猟奇殺人事件。被害者のそのいずれもが、この2年間で生徒会の役員を務めた生徒たちであった。死者はその武田を含めて6人に及び、巷で大きな話題を呼んだ。しかもまだ犯人は逮捕されていない。事件は未だ、未解決のままだ。
「警察はこの事件を解決できないだろう。永遠に。裁くべき犯人は、もうこの世にはいないからだ。そして、その犯人に至る証拠も、既にこの世には存在しない。あの事件の真相を知るのは、ここにいる8人を含む極少数の人々だけに終わるだろう」
 一連の事件の犯人は、澤田武士さわだ たけしという名の1人の少年だった。犯行動機は、生徒会会館の極秘事項に触れてしまい、役員たちから自殺に追い込まれた姉の『復讐』。一言で言えば、彼を猟奇殺人に駆り立てた原因はそれであったが――だが、そんな陳腐な言葉で片付けてしまうには、あまりにも哀しい事件であった。
「だけど、オレたちも知らないことが1つだけある。人を殺してまで守りたかった、生徒会会館にある『極秘事項』ってのは何か――だ。生徒会や理事会のトップたちは、これを守るために澤田の姉貴を自殺に追い込み、事務書記長・武田玲子を暗殺している。奴らは一体、何を隠してるのか、オレはそれを知っておきたい」
「また、探偵ごっこなの?」香里は肩を竦めて言った。「どうでも良いけど、そんなものに首突っ込んだら命の保障は無いわよ?」
「……ああ、これは極めて危険な試みだろう。殺される恐れだってあると思う」
 確かに、香里の言うことは何時だって正しい。どんな時にでも、冷静に問題点を指摘してくれる。カッカと直ぐに頭に血が上る自分に、何時もブレーキをかけてくれる有り難い存在だ。それのおかげで、暴走を未然に防ぐことができたことだって幾度となくあった。
「だけどさ、それにビビってシッポ巻いて逃げたんじゃ7年前と一緒だ。ここで逃げちまったらよ……昔のオレと、何にも変らないよな? そいつが間違ってると思ったら、死ぬかもしれなくても全力で潰しにかかる。後悔しないこと。逃げないこと。抗い続けること。オレは、その姿勢を貫くってさ――」
 祐一は、右腕ワイズロマンサーを少女たちに掲げた。
「……こいつに、約束したんだ。切り離されて無くなっちまったけど。もう、見たり触ったり動かしたりはできないけど。でも、オレの右腕は知ってる。"リグレットは、1度でいい"」

 ――そう。その失われた腕の名は“ロマンサー”。彼女たちの心を捉え離さぬもの。彼が自らの右腕を断ち、証明してくれた時。お前らのためなら、腕くらい何本でも切り落としてやる、そう言ってくれた時。彼女たちは、誓ったのだ。この真っ直ぐな少年の背を生涯追い、その生き様を見届けようと。彼の志が挫けそうなときは、自分たちでそれを支えようと。彼がこうと決めて、それに突き進むならそれを全力で支援しようと。そして、それに迷いが無いのなら、相沢祐一の想いと行動を我が一命に掛けて愛そうと。そう心に決めたことを誇りに思う女しか、この場にはいない。
「祐一君は、もう決めちゃったんだね。そうするって?」
「おう、あゆ。オレは決めたぞ」
「覚悟も決まっているの」
「おう、腹は括ったぞ。舞。……あと、ホッペに飯粒がついてるぞ」
「あはは〜。では、決まりですねー」
 佐祐理はパフっと手を叩くと、ニッコリと宣言した。
「そこまで言われるのならば、私としても言うべきことはありません。相沢さんは考えるのは苦手なようですから、策は私たちの方で考えましょう」
美 汐も手伝う気になったらしい。さり気なく酷い事を言いながら、賛同の意を表す。
「でもさ、お前たちを巻き込むのはちょっと気が引けるんだよな」
 祐一は腕を組むと、唸るように言った。
「これはオレが個人的にやりたいことなわけだし。それに、澤田紀子の前例もある。オレにはロマンサーがあるし、舞や佐祐理さんの護衛たちがいるから、そういう意味での身の安全は守りきれるかもしれないが、生徒会の権力を行使して政治的な圧力を掛けてきた時、正直、オレの力ではお前たちを守りきるのは不可能だ」
「じゃあ、それを計算に入れた『計画』を練れば良いだけの事でしょう?」
「そんなこと……できるのか?」
 事も無げに言ってのける香里に、祐一は訝しげな表情で問い返した。その表情を見れば、彼が未だに不安を拭いきれていない事は歴然である。
「――あのね、相沢君。私を誰だと思っているの? 伊達に全国模試でトップ張ってるわけじゃないのよ。私の頭はね、テストで満点を取るためじゃなくてこういう時のためにあるの」
 香里はツンと顎を逸らすと、ウインクをした。
「それに、貴方たち『AMS』には天野美汐という、もう1つの強力なブレインが存在するのよ。私と天野さん、このデュアル・ブレインに敵は無いわ。任せておきなさい」
「で、でも、生徒会の人たちはエリート揃いなんですよ? 歴代の会長とか副会長とかは、みんな東大や慶応、早稲田とかに進学してますし。その上位組織である理事会のメンバーは、どれもそういう政治工作が飛び交う世界で生き延びてきた頭脳で固められています。みんな、天才的に頭の良い人ばかりですよぅ」
 栞が小動物のように身体を縮ませて、不安そうに言う。
「面白いではないですか」
 美汐は言った。栞のプレッシャーも、AMSが誇るデュアル・ブレインには通用しないらしい。
「そうよ。だから遣り甲斐があるんじゃない」美汐の言葉に同調し、香里も頷く。「武田さんの無念も、晴らしてあげたいしね」
 香里は、殺された武田玲子の母親に会ったことがある。だから、彼女とて忘れたわけではないのだ。たった1人の娘を奪われ、打ちひしがれていた母親の顔を。あの寂しげな微笑を作り出した連中に対する、激しい憤りの念を。自らの利権の維持・拡大のために、生徒会と理事会は一体幾人、あの母親のような人間を生み出してきたのだろう。
 もう、この辺りで終わりにしても良い筈だ。そして、それができるのは警察機関でも司法でもない。生徒会会館の機密を暴き、理事会を潰すことが出来るのは――唯一、このチームだけだ。そしてその思いは、美汐も同じだった。
「末は議員、官僚になっていく若きエリート集団。それに、権力の座に座り続ける地元政界の重鎮たちですか。……上等です。最近、相手がいなくて退屈していたところなんですよ。これを機会に、彼らにも教えてあげましょう。爪を誇示することしか知らぬ鷹と、爪を隠すことを知る鷹の――」
 彼女は、微笑んだ。
「格の違いというやつを」






to be continued...
N E X T→
脱稿:2001/11/08 02:45:37

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