FERMION


Hiroki Maki
広木真紀




−14−




LEVEL:4
NO ADMITTANCE EXCEPT ON BUSINESS


 そう大きくペイントされた分厚い扉が、低い唸りを上げてゆっくりと開いていく。
 至近距離からのバーズーカ砲の直撃にだって耐えそうな、極めて頑丈な金属で特注されたドアだ。『圧殺』モードのロマンサーを何発叩きこめば、これを破れるだろう。祐一はそんなことを考えていた。
 やがて控えめな電子音と共に、ドアの脇に取り付けられているカード・キー用のスロットが、ロックの解除を告げるグリーンのランプを点灯させた。開いた扉の向こう側に、禁断の第4フロアへと続く無機質な階段がその姿を現す。これを上りきれば、祐一率いる“スニーカーズ”はお待ちかねのパーティ会場に到達することになる。
 そして――

「この上にある筈なんだ。歴代の生徒会長以外、学園生徒が誰1人入ったことが無いという……」
「生徒会長室、ですね」
 祐一と唯は頷き合う。カスミは、ただ静かにその階段を見上げていた。
「A.M.S.Control,SNEAKERS,Angels4」
 祐一はTVカメラの電源を入れ、肩に担ぎ上げる。それと同時に、無線機を掲げてバックアップに回っている美汐に連絡を入れた。
「Merry Christmas "SNEAKERS",A.M.S.Control,Over.」

「あれっ、その声はカオリンか?」
 返ってきたのは、意外にも美汐ではなく香里の声だった。祐一は思わず階段を駆け登る足を止めて驚く。
「ここからは都合上、私があなたたちをサポートするわ。よろしくね」
「そう言えば、そんなことを言ってたな。――で、映像はどうだ。ちゃんと届いてるか?」
「ええ、バッチリよ。ただ、電波を中継して繋いでいる都合で、数秒間だけどタイムラグが出るの」
「まあ、それは仕方ないよな。説明は聞いてるよ」
「そう。こちらの準備は万端よ、いつでもドンと来て」
「OK。じゃあ、いよいよ本番スタートってことで。綺麗に編集してくれよ」
「A.M.S.Control,Roger」

 階段を上り詰めると、そこにはもう1枚扉がある。やはりこれまでと同様、極めて高度な電子ロックに守られており、それに見合った権限を持つセキュリティ・カードでしか開けない。そして、そのカードを持っているのは理事会の幹部を除けば、生徒会長・久瀬透ただ1人だけだ。
 が、舞の操る“魔”をドア越しに召還し、その“魔”に内側からロックを解除させれば開くのは簡単である。どんなカギも、内側から解除されることだけは想定していないものだ。
「よし、4階だ!」開いたドアから、フロアに踊り出ると祐一は宣言した。
「会長室までは、上、上、下、下、左、右、左、右、B、Aでしたね」
「おいおい。途中まではあってるが、最後のBとAはなんだよ。唯」
 久瀬にしかけた発信機によって、会長室までの大まかな道順は予め把握できている。それに4階で1番重要視されるべきは、理事会の幹部を除けば生徒で最大の権限を持っている生徒会長の執務室だ。そこに、どんなデータが眠っているかは分からない。が、最優先で調べるべきポイントであるのは確かである。

「……って、オイ! なんだ、その奇妙な格好は!?」
 気が付くと、澤内ユイは子供用のTV番組に出てくるヒーローのようなコスチュームを身に纏っていた。
 身体のラインがピッタリと浮き出る真紅を基調としたバトル・スーツに、背には同じ色のマント、そして頭はライダーが被るフルフェイスのヘルメットのようなものを装着している。そのヴィジュアルは、お祭りの時に売られている漫画のお面のようだ。遊園地のステージに行けば、そのままアクション・ショーの主役を張れる。
「だめですねえ。知らないんですか?」唯はチッチッと指を左右に振って見せた。
「これは今、巷のチビッコたちに大人気の『挑戦戦隊・チャレンジャー』のコスチュームですよ」

「挑戦戦隊?」
「はい。しかも5人の中のリーダー格、チャレンジ・レッドの勇姿です。本当は紅一点の可愛らしいチャレンジ・ピンクの方が良かったんですが、人気の差でリーダーにしました。――因みに、武器は正義の剣『チャレンジ・ソード』。必殺技は『レッツゴー・チャレンジ・ザッパー』です」
 そう言って、澤内ユイ改め正義の戦士チャレンジ・レッドは、スチャッとポーズを決めて見せる。
「いや、それはどうでも良くてだな。何故そんな格好をしているかが問題なんだ」
「だって、これからそのTVカメラに映るんですよ私は」
 ツンと無い胸を張って、彼女は告げた。チャレンジ・レッドのマスクを装着しているため、その表情を窺うことは出来ないが、10中8、9は得意げな笑みを浮かべていることだろう。
「それでもって、実況担当の美人レポーター役を務めるんです。そしてその映像は中継されて、駅前の広場に特設された巨大スクリーンに映し出されるわけですよ。素顔のままだと拙いじゃないですか」

「まあ、それはそうだが――」
 だからと言って、その格好はないのではないか。そう思った祐一だったが、どうせ言っても通用しないと判断し、懸命にも口を噤んだ。
「早くした方が良い。ここからは、時間との勝負だから」
 カスミが冷静に指摘した。祐一と唯は我に返って頷く。
「そうだな。急ごう」
「はい」

 香里の予測では、恐らく4階以上のフロアでは守衛の巡回は行われていないだろうとのことだった。その根拠となる理屈は、会館の機密というのが物理的に非常に大規模なものである可能性があることだ。会館という施設をわざわざ造り、外界からこれを完全に隔離しなれば隠せないようなものとは何か。具体的な部分は分からないが、あるいは会館という『施設そのもの』が機密事項に触れる何かなのかもしれない。香里はそう考えたらしい。
 つまり会館は本来別の目的で建てられたものであり、それをカムフラージュするために生徒会の拠点としての衣を着せているというのだ。
 もしこの仮説が正解であるなら、たとえ警備のためと言えど、一般人である守衛を立ち入らせることは出来ないだろう。故に、人間による巡回はない――そう踏んだわけだ。

「それもこれも、このドアを開けてみれば分かるってことだ」
 祐一たち“スニーカーズ”は、遂にその場に辿りついた。
 川澄舞によって召還された“魔”が、また1つ分厚いドアのロックを解除する。スライドして開いていくその扉には、『生徒会長室』の5文字。理事会を除けば、学園最高権力者の執務室がこの会長室である。そして、4階で1番大きな情報が眠っていると考えられる空間でもあった。
「――いよいよですね」
「おう」
 チャレンジ・レッドの言葉に、祐一は神妙な顔つきで頷いた。そして肩に担ぎ上げたTV中継用のカメラを構え直す。

「A.M.S.Control,SNEAKERS,Angels4,President room,Please advice.」
「SNEAKERS,A.M.S.Control.continue approach.Action now!」
「SNEAKERS,Roger.」
 祐一は香里の指示を仰ぐと、無線機を腰に戻した。
「指示は、なんと?」
「予定通り、カメラ回してこのまま突入しろだとさ」
「そうですか」顔は見えないが、チャレンジ・レッドは嬉しそうに頷いた。
「では、正義の使者『チャレンジ・レッド』がお送りする、衝撃の実況生中継を開始しましょう。カメラのスタンバイ、改めてお願いします」
「オッケイ、ショータイムだ。じゃ、いくぜ! 3...2...1...」




−15−





 Mon,25 December 2000 24:14 A.M.
 Station square,Central avenue

 12月25日 深夜0時14分
 セントラル・アベニュー ステーション・スクエア(駅前広場)


 クリスマスを演出するイルミネーションに彩られたセントラル・アベニューは、深夜の0時を過ぎても多くの若者を中心にごった返していた。
 今夜はキリスト聖誕祭を記念したイベントが繁華街で夜を徹して行われており、いつも以上の賑わいを見せているのだ。特に24時ジャストからは、プロのオーケストラと聖歌隊がクリスマス・キャロルを歌い始め、サンタクロースやトナカイのコスチュームを纏った若い男女がナイト・パレードを始めたため、夜中だというのにまさにお祭り騒ぎが続いている。

 そんな最中、名雪、あゆ、美汐の3人は、ステーション・スクエア(駅前広場)に特設された大型スクリーンの裏方に控えていた。
 スクリーンでは、先ほどから『ダイ・ハード』という一昔前の映画が大音量と共に無料上映されている。  クリスマスのL.A.が舞台となる、人気のあったハリウッドものだ。これにもまた大勢の人々が足を止めて見入っている。時間からすれば、そろそろクライマックスを迎えるころだ。

「うぐぅ、なんだか盛り上がってきたね。美汐ちゃん」
「はい。少なく見積もっても千人は下らないでしょう。想像以上に一般人が多くて、こちらとしては好都合です」
 巨大スクリーンの裏側に止められた中継車の中で、隣り合わせて座るあゆと美汐が微笑み合う。
「くー」
 いつもなら、あゆもグッスリと眠っている時間ではあるが、今宵は興奮して眠れないらしい。が、名雪はこの寒空の下でも遠慮なく夢の世界に旅立っていた。

「映画が終わり次第、いよいよスペシャル・プログラムの放映開始です」
「う、うぐぅ。ボク、きんちょうしてきたよ。祐一くんたち、大丈夫かな?」
 ミトンの手袋をした手を丸く握り締めて、あゆは美汐に意見を求めてくる。
「きっと大丈夫ですよ。仮に計画が失敗しても、彼らには切り札が数枚ありますから。帰ってくるだけならどうとでもなります」
「うぐ。そういえば、今年はホワイト・クリスマスだね」
「ここは雪国ですよ、あゆさん。別段珍しくない――と言うより、毎年のことでしょう?」
「うぐぅ」美汐のそのツッコミに、あゆは困ったような顔する。
「ボクは7年間もずーっと眠ってたから、結構めずらしい気がするんだよ」

「なるほど。そうでしたね。すみません。配慮に欠けた発言でした」
「ううん。全然かまわないよ。ボクは、ここにいられるだけで楽しいから」
 あゆは首を左右すると、屈託のない、まさしく天使のような微笑を見せる。
「ボクはね、良く分かったんだ。この世界にね、友達がいっぱいいて、それでみんなと元気でいられるだけで、それはもう奇跡みたいにスゴイことなんだよ」
「はい。そうですね」美汐は目を細め、嘆息するように呟いた。
「とても――とても、勉強になります」
 そして美汐は、開け放たれたワゴンの中から、静かに白雪の舞い降りてくる空を見上げた。
 限りない夜空から次々と生まれてくるその白きものたちは、闇の深淵から涌き出てくる星々のようにも思えてくる。

 AMSのメンバーは、『美汐は頭が良い。なんでも知っている』そう言って彼女を称えるが、それはどうだろう。美汐本人は、あゆに学ぶことの方が多いように思えていた。
 あゆは美汐の知らない多くの真理を知っていて、時折、その何気ない言葉にハッと開眼させられることがある。案外、本物の賢者とは月宮あゆのような人間をいうのかもしれない。
 そんな風に思うと、この世界も、それに人間も、まだまだ捨てたものではないと思う。
「雪と、イルミネーションと、聖夜。一体どれの影響なんでしょうね」
 美汐は静かに囁いた。
「今宵の私は、柄にもなくロマンチストになっているようです」

 ――だが、そんなロマンティックな時間は往々にして長くは続いてくれないものだ。あゆと美汐に関しても、それは同じだった。
「ね、こんなところでなにしてんの?」
「クリスマスなのに女の子同士って寂しくない?」
 ふと気付くと、ワゴンの外から見知らぬ若い男たちがこちらを覗きこんでいた。
 西洋人にでもなりたいのだろうか。だが、どう考えても失敗しているようにしか思えない。モンゴロイドには、どうにも似合わない金髪が2人。それから、茶色い髪が1人。生れ落ちた時に得た色素を保っている男は1人もいなかった。3人全員が、下心が透けて見える軽薄な笑みを浮かべている。
 ワゴンのドアを開け放っていたため、彼らは無遠慮にあゆや美汐に身を寄せてきた。

「暇じゃない?」
「暇ではありません」男の問いに、美汐は直球で返す。
「あ、もう1人いたんだ。寝てるけど」
 男たちは美汐の返答など無視して、ジロジロと彼女たちを観察する。
「これで3対3で丁度良いじゃん。みんな可愛いね。君も」
「知ってます」美汐はノーラン・ライアンも真っ青の剛速球で再び返した。
「何か私たちに用件があるのでしょうか。でしたら、1分差し上げます。手短に仰ってください」
 美汐は、いきなり怯え出したあゆを背後に庇いつつ、座席シートから男たちを見上げる。

「せっかくクリスマスで盛り上がってるしさ。オレたちも遊ぼうよ」
「お断りします」
 言葉と共に美汐はワゴンの扉を閉めようとするが、男の1人にそれを阻止される。美汐はキッと彼らを睨み付けた。が、所詮女の子と思っているのか男たちは余裕の表情を崩さない。
「私たちは貴方がたと今夜を過ごすつもりも、勿論、あなたがたに抱かれるつもりもありません。最後の忠告です。消えてください」
 彼らの最終的な目的が、自分たちの女の身体にあることくらいは美汐とて見抜いている。だが勿論、名雪やあゆは祐一を想っているわけであるし、美汐自身も目の前の男たちに肌を許すつもりなど毛頭なかった。

「え、なんで。楽しまなきゃソンだって」
「相手、いないんだよね? オレたちと遊びいこうよ」
 美汐の言葉に、彼らはまるで取り合わない。それどころか、遂に美汐の身体に手を伸ばし、彼女の手首を掴んで車外に引き摺り出そうとさえする。
「忠告は、しましたよ」
 美汐はその手を振り払うと、嘆息しながら言った。
「私が手を出すと、ちょっと過剰防衛になりかねませんから――」
 美汐は座席の後ろで眠っている名雪に手を伸ばした。

「名雪さん、名雪さん。猫さんですよ。猫さんがいます」
「ね、ねこさんだお!?」
 眠りながらではあるが、名雪は過敏に反応した。バネで弾かれたように、ピンっといきなり起き上がる。
「あ、でも、ネコさんが苛められています」
「え、ネコさんが苛められてるんだお!?」
 眠りながらも、名雪は器用に驚いて見せる。彼女は、猫を見れば我を忘れて暴走をはじめるほど、殆ど病的とも言えそうな愛猫家だった。
「誰だお!? ネコさんを苛めると許さないお!!」
「この連中ですよ、名雪さん。男性3人組みが、可愛らしい子猫に殴る蹴るの暴行を加えています。ああ、可愛そうな子猫。悲しげな泣き声を上げています。このままでは殺されてしまうかもしれません。どうか悪者を退治して、ネコさんを助けてあげてください」

「もちろんだお!!」ユラリ、名雪は立ちあがった。
 だが、眠りから目覚めたわけではない。それを示すように、彼女は時折「くー」と寝息を立てているし、しかも糸目だ。足元も酔ったようにフラついている。
「ネコさんを苛める者に、今日を生きる資格はないお!!」
 名雪は激怒していた。フワリと髪が逆立ち、踊り出す。怒髪天だ。
 ネコと言えば、世界で最も可愛らしい動物である。その可愛さと来た日には、殆ど神の領域。ふわふわのもこもこで、にゃーと鳴くのだ。その上、抱きしめるととても温かいというのに。そのネコを――しかも、いたいけな子猫を苛めるとは、断固許されることではない。

「だおっ!!」
 突如、陸上競技で鍛え上げられた強靭な足が、唸りを上げて男の顔面に突き刺さった。
 まさに、電光石火。名雪のトラース・キックである。
 ワゴンの戸口から身を乗り出していた1人が、その犠牲になって吹っ飛ぶ。
「……っ!!」
 何が起こったのか、男たちが認識する間も与えないまま、名雪は一気にワゴンの外に踊り出た。
「ゆるさないお〜! ゆるさないお〜!! ネコさんを苛めるなんて、絶対許さないお〜!! くー」
 フラフラと千鳥足のようによろめき眠りながら、名雪はファイティング・ポーズを取る。

「う、うぐぅ。な、名雪さん、いったいどうしちゃったのかな!?」
 あゆは名雪の豹変ぶりに慄きながらも、じっとその姿を見詰めている。なにしろ、温厚な名雪が本気で激怒している姿を見るのはこれがはじめてなのだ。
「秋子さんからお聞きしたのですが、あれが水瀬先輩の特技だそうです」
「と、特技?」
「ええ。彼女は、大好きな猫が苛められていると激怒されるそうです。熟睡中にそれを認識すると、潜在能力を全開放し、眠ったまま鬼神のごとく戦い出すとか。その戦闘能力は相当なものらしいですよ」
「うぐぅ。だ、だいじょうぶかなぁ」
「無茶苦茶な設定ですが、秋子さんの保証書つきですから。まあ、見ていましょう」

 名雪の蹴りを食らった男は、既に数メートル吹っ飛ばされ、完全に気を失っている。
 鼻がへこみ、歯が何本か欠けているようだった。既に顔面血だらけで、元の顔は見る影もない。すさまじい破壊力だった。
「さあ、かかってくるお! 子猫さんに代わって、このドラゴン=ナユちゃんが相手になるお!!」
フラフラとよろめきながら、名雪は残った2人の青年を挑発する。今にも倒れそうな足つきなのだが、何とかバランスを保ち、ゆらゆらと揺れる様がなんとも頼りない。
「こ、この女!!」
「ふざけんな!!」
 漸く自分の仲間がどうなったのかを悟り、2人の青年は激怒する。既に、美汐とあゆを誘うときに見せていた軽薄な笑みは消え去っていた。

「本当にふざけてるのがどっちか、教えてあげるお!!」
 2人同時に殴りかかってくる男たちと正面から対峙しつつ、名雪は叫んだ。
 そして矢継ぎ早に繰り出される彼らの拳や蹴りをユラリ、ユラリとかわしていく。どう考えても泥酔しているとしか思えないフラつきようだが、名雪は敵の攻撃を全て回避していた。覚束ない足取りで、だが彼らをクイクイと更に挑発する。
「なんだ、こいつは!?」
「この女、本当に寝てるのか!?」
 攻撃が当たらない青年たちは、躍起になって拳を振るう。だが、「くー」と安らかな寝息を立てながらフラつく名雪には、かすりもしない。それどころか逆に――

 フラフラフラ……
「だおっ!!」
 眠りながら名雪が時折繰り出す強烈な突きと蹴りは、的確に男たちにヒットし、その度に彼らは無様に地に倒れこむ。
「なるほど。『酔拳』ならぬ『睡拳』ですね。フフ、実に水瀬先輩らしい。面白いです」
 美汐も最初は驚いていたようだったが、じきにクスクスと楽しそうに笑い出した。
「す、すいけんってなに?」
「中国拳法ですよ。『酔拳』というのは、その名の通り、お酒に酔っ払ったような動きで相手を翻弄することで、有利に戦いを進めるものだと聞きます」

「じゃあ、名雪さんの『すいけん』は?」
「彼女のは、飲めば飲むほど強くなる酔拳ではなく、眠れば眠るほど強くなる『睡拳』といったところでしょうか。見れば見るほど、冗談のようです。しかし面白いですね」
 最後にもう1度、戦う名雪に視線を投げかけると美汐はワゴンの扉を閉めた。
「――さあ、時間ですよ。AMSがお届けするスペシャル特番のオンエアです」
「え、でも良いの?」あゆは目をパチクリさせる。「名雪さんはだいじょうぶなのかな?」
「大丈夫ですよ。彼女は、あの水瀬秋子の娘です」
 それだけで根拠は充分とでも言うように、美汐は断言した。そして、備え付けの無線装置に通じるマイクのスイッチを入れる。

「Merry Christmas,A.M.S.Control,"Eagle340",Station square,Central avenue,Ready for take off」
「A.M.S.Control,"Eagle340",Hold short of studio」
「Roger,"Eagle340",Hold short of studio」
 佐祐理のマンションにいる香里に、準備が完了した旨を伝えると、映像はすぐに送られてきた。里が責任持って編集しているため、検閲の必要は無い。
 美汐は中継車から巨大スクリーンに回路を繋ぎ、即座に番組をスタートさせた。画面には『AMS特別番組』という大きなテロップ。そして、海外のニュース番組を彷彿とさせる華々しいイントロ。同じものが巨大スクリーンにも同時に映し出されており、駅前広場に集まった大勢の一般人の視線を釘付けにする。

『はぁ〜い、というわけでメリークリスマス!』
 イントロが終わると、元気の良い弾けるような女の子の声がスピーカーから溢れ出した。同時にスクリーンに現れたのは、白い壁に囲まれたどこかの施設屋内の映像と――
「あ、挑戦戦隊チャレンジャーだよ。美汐ちゃん!」
 あゆが画面を指差して、嬉しそうに騒ぎ出す。
「うぐぅ。すごいね〜。これ、祐一君たちが撮ってるの?」
「そうですよ。相沢さんたちが会館で撮った映像を中継したものです」

『良い子のみんな、元気にしてるかな? 正義の戦士、チャレンジ・レッドだ。今日はクリスマスということで、良い子のみんなにビッグなプレゼントがあるぞ!』
 スクリーンの中のチャレンジ・レッドは、テンポの良いBGMをバックにして、文節ごとにポーズをつけながら喋る。チャームポイントは、マイクを握る右手のピンと立った小指であろうか。
『なんと、今、私は連続殺人が起こったことで有名な、あの某私立高校の生徒会館に潜入している! 街のみんなも知っているだろうが、色々な黒い噂が絶えない不思議な建物だ。私は、ここに巨大な悪が眠っていると考えている。今日、この聖なる夜にそれを暴き出すのが、今回の私の使命だ』

 駅前の人々がざわめき始めた。集客能力は、映画を上映していた時とは比較にならない。信じられないような速度で、次々と黒集りの山が増殖していく。瞬く間に、駅前広場の巨大スクリーン周辺は戦場のような喧騒に包まれていった。
 その勢いに追い討ちをかけるように、BGMがミステリィ風味の緊張感あるものに変わり、演出を盛り上げる。スクリーンの右端には、ワイドショーで良く見るような派手なテロップが踊っていた。
 内容は、『潜入! 有名私立高校 謎多き生徒会会館 連続猟奇殺人はここから生まれた!?』。左上には、生中継であることを示す『LIVE』のマークが強調されている。

「さすが、美坂先輩。良い仕事してくれますね」
 正直、期待以上の出来だった。美汐はストレートに感嘆する。
「うんうん。本当のTVを見てるみたいだよ。字とか音楽とかも入ってるし。これだと、誰も高校生の女の子が作ってる番組だなんて思わないよ」
 両手でグーを作りながら、あゆが興奮した調子で捲くし立てる。
『それでは、いくぞ。みんな、応援してくれ! レッツ・チャレンジ!!』
 スクリーンの中のチャレンジ・レッドが決めのポーズを取ると、若者を中心に、スクリーンの周囲に集まった人々が「レッツ・チャレンジ」を復唱し、喚声を上げた。
 広間のボルテージが上がっていく。既に息苦しいまでの熱気が溢れ返ろうとしていた。

 連続猟奇殺人の影響で、AMSたちの高校は世間の注目を大きく集めている。
 事件自体は未だに未解決で、犯人もつかまっていない。しかもその被害者が、全員生徒会の関係者であったという話題性もあり、当然、厚い謎のベールに包まれた生徒会会館の存在もワイドショウに目を付けられて、世間の注目を集めていた。人々がこの番組によせる関心度は、美汐や香里の期待を遥かに凌ぐ。
「――皆さん、盛り上がり過ぎです」
 美汐は目を細めた。
「パーティの本番は、まだまだこれからですよ」




−16−




 香里が考えた作戦の第2ステージの仕掛けは、実に単純で明快なものだった。
 まず佐祐理の伝手で、イヴの夜(しかも日曜日だ)賑わう駅前広場に、市警からの許可を得た上で、映画の上映だって可能な『大型スクリーン』を設置してもらう。美汐が駅前に繰り出して行ったのは、この大型ヴィジョンの調節を現場で行うためだ。
 では、この大型のスクリーンを何のために用意したのか。それは、祐一率いる『潜入する者スニーカーズ』がカメラで撮った会館の機密を、大々的に暴露するためだ。
 スニーカーズには、小型の携帯用カメラを持たせてある。彼らは第2ステージ開始と共に、このカメラを担いで会館を上階向かって進んでいく。そのカメラが映し出す会館内の映像は、カメラ自身に内蔵されたアナログ・カセットテープに録画されると同時に、デジタル電波に乗せていくつかの中継を介し、香里が待機する編集室に届けられる仕組みだ。

 香里はそれに手を加え、名雪、あゆ、美汐の3人が待機する駅前広場に、映像として送り出すわけである。
 結果的に、その映像は殆ど生中継に近い形で広場の大型スクリーンに映し出される。会館の機密を暴くと共に、イヴの夜に繁華街に集まる多くの一般人をその証人に仕立て上げるのが、この作戦の目的の1つであった。
 作戦開始時刻は深夜の0時を過ぎてからだが、今日はクリスマスのナイト・パレードがセントラル・アベニューで催されるため、世を徹して繁華街は賑わうのだ。それを計算に入れた、AMSの計略である。

『はぁ〜い、というわけでメリークリスマス!』
 香里の待機する編集室に、会館からのライヴ映像が飛び込んできた。
 無数のモニタに映し出されるのは、子供用TV番組のヒーロー、挑戦戦隊チャレンジャーの一員、チャレンジ・レッドだ。彼はマイクを持ち、陽気な声で画面に向かって語り掛ける。
 (TVの設定では、チャレンジ・レッドの正体は、御剣大地みつるぎだいちというお兄さんなのだ)

『良い子のみんな、元気にしてるかな? 正義の戦士、チャレンジ・レッドだ』
 香里は、送られてくる映像に『潜入! 有名私立高校〜』といったテロップや、雰囲気にマッチしたBGMを挿入し、イベントとして盛り上がるような作品に仕上げていく。そしてボロが出た時にフォローできるよう数分その映像をストックしておき、問題ないと判断した時点で順次、美汐が管理するステーション・スクエアの中継車両にデータを送信していった。
『今日はクリスマスということで、良い子のみんなにビッグなプレゼントがあるぞ!』
 画面の中のチャレンジ・レッドは、すっかり役になりきっているらしい。早くもボルテージは最高潮。ノリノリだ。
 だが、ヒーローが小指を立てて可愛らしくマイクを握っていても良いものだろうか。しかも、内股。あれでは、女の子が中に入っていることとが一目でバレてしまうだろう。
 しかしそんなことはお構いなしで、偽チャレンジ・レッドこと澤内唯は続ける。

『なんと、今、私は連続殺人が起こったことで有名な、あの某私立高校の生徒会館に潜入している! 街のみんなも知っているだろうが、色々な黒い噂が絶えない不思議な建物だ。私は、ここに巨大な悪が眠っていると考えている。今日、この聖なる夜にそれを暴き出すのが、今回の私の使命だ。それでは、いくぞ。みんな、応援してくれ! レッツ・チャレンジ!!』
 威勢良く決めゼリフを決めて、ビシッとポーズをとるチャレンジ・レッド。
 香里は1度そこで会館からの映像をカットし、自分の通う高校を簡単に解説する映像を挿入することにした。これはこの日のために、予め用意しておいたものだ。
 勿論、連続猟奇殺人があった高校だから、そんな解説など無くとも街の人々は既に学校のことを良く知っているだろう。しかもその被害者たちが、学園の生徒会に何らかの形で関係していたこともニュースで大々的に報じられている。そのため、人々の『生徒会』への関心度は極めて高い。
 今、駅前のスクリーンの前には、多くの人々が詰め寄せ黒集りを形成しているに違いなかった。

「SNEAKERS,A.M.S.Control.Do you copy?」
 解説用の映像は約10分続く。香里はその間を利用して、スニーカーズに無線を入れた。
「A.M.S.Control,SNEAKERS,Over.」直ぐに祐一の返答が返る。
「いい映像が届いているわ。良い感じよ、その調子で中継を続けて」
「オーライ」
 祐一の構えるカメラが、生徒会長室の内部を映し出す。そこは典型的な組織の首長の執務室といったものだった。
 入り口の正面、部屋の1番奥に大きな木製のデスク。その脇にはコンピュータ端末が1台。壁際にはキャビネットや本棚があり、分厚い背表紙の本や資料などが綺麗に整頓されている。
 校長の部屋とそっくりだ。

「この映像が駅前で流されれば、遅かれ早かれ、会館にもその情報が届くでしょう。ここからは時間との勝負よ。脱出経路は確保してあるけど、慎重にね」
「了解してる」
 スニーカーズが会館をうろつき始めた時点で、一瞬ではあるが監視カメラにその姿を捉えられたこともあるだろう。そろそろ、守衛たちに気付かれたと考えておいた方が良い。そうなれば、生徒会長の久瀬や理事会にも連絡が行き、彼らは会館に飛んでくるに違いない。そうなる前に仕事を終え、スニーカーズを会館から脱出させる必要があった。

『ムムッ、これは生徒会長の机だな。しからば、開けてみよう。なあに、正義のヒーローは悪者を容赦無く殺すことだって許されるんだ。プライバシーの侵害くらい軽いものだよ。ハッハッハ、偽善は勝つ!!』
 両手を腰に当てて、チャレンジ・レッドは高らかに笑う。
 その爽やかさと潔さは、不法進入の挙句、他人の机の引出しを無断で漁ろうとする人間の態度にはとても見えない。正義のヒーローの特権である。

『さぁ〜て、どんなお宝……ゲフンゲフン。もとい、どんな悪の証拠が眠っているやら』
 手をワキワキさせながら、チャレンジ・レッドは引き出しに手を伸ばしていく。が、どうやら鍵が掛かっているらしく、引出しはビクともしない。
『う〜ぬぬぬ。や、やるな悪の怪人め。ちょこざいな!』
 机に片足を引っ掛け、渾身の力で引っ張るが女の子の細腕ではやはり無理がある。
『カスミ、カメラを頼む。おい、唯。ちょっとどいてろ』
 香里の覗き込むモニタがブラックアウトし、祐一の声だけが聞こえてきた。
『机の鍵なんてのはな、こうやれば開くんだよっ!!』
『やっちゃってくださいっ!』
『圧殺のォ……ワァァァイズ・ロマンサー!! BITE ON THE BULLET!!』

バキッ!!

 破滅の音が聞こえてくる。木製品が、強力な力で叩き壊された音だ。
 映像が伝わってこなくても、そのやり取りだけで何が起こったのかを察するのは容易かった。
 香里は思わず頭を抱える。あれほど、みだりにロマンサーを使うなと言っておいたのに、早速これだ。祐一のあの直情的な性格は、いつか矯正しなければなるまい。
『フッフッフ。これぞ、正義のパワフリャです。いざ、オープン!!』
 映像が回復すると、無残に破壊された机の鍵と、今まさにひきだしを開けようとするチャレンジ・レッドの姿がモニタに映し出された。
『ん? なんでしょうか、これは』
 1番上の引出しには、A4サイズほどの茶色い封筒だけが入っていた。

『あけてみれば良い』
 そう指摘する祐一は、カメラを構えているので、声だけで姿は見えない。
『そうですね。じゃない、その通りだ。中身を見てみよう。正義のために』
 チャレンジ・レッドは封筒を手に取り、遠慮無くその封を破る。
『悪の機密書類でしょうか。ドキドキです』
 祐一の構えるカメラが、チャレンジ・レッドの背後から手元を覗きこむようにして近づいていく。封筒が開けられ、取り出された書類がアップで映し出された。香里の覗きこむモニタからでも、小さな文字でさえ読み取れるであろう距離だ。

『あれ、なんかの原稿……というか、漫画?』
『ウム。マンガの原稿みたいだな。プロの作家が描いた発表される前のやつだろう』
 彼らの指摘通り、封筒から出てきたのは漫画雑誌用の原稿に見えた。真っ白い紙の上に、黒インクでかかれた絵が約30枚。
 なぜ生徒会長の机の引出しにそんなものが入っているのかも気に掛かるが、それよりも香里の興味を引いたのは、その絵柄だ。どこかで見たような記憶がある。そして、それはチャレンジ・レッドこと澤内ユイも同じらしかった。
『あれ、瞳が100万ボルト並の光を放つ、いかにも少女漫画っぽいこの絵柄、どこかで見たことがあるようなないような』
『2枚目に、タイトルと作者の名前が書いてある』
 小首を捻って考え込むチャレンジ・レッドに、横からカスミが冷静に指摘した。
『美食戦隊 薔薇女郎 〜愛の雪崩式フランケンシュタイナー〜。第124話「納豆は腐敗の香り」。作者のところには、しらとり――白鳥沢爛子って書いてある』

『えっ、白鳥沢?』
 カメラを構えた祐一が、オウム返しに呟いた。
『白鳥沢爛子。しらとりざわ、らんこ。どっかで聞いたような……』
 顔の7割を占める大きな目、チョコボールを食べるのさえ難儀しそうな小さな口。やたらと星の入った、不気味なまでに輝く瞳。一目で少女漫画であることが分かるこの独特の絵柄を、彼も見たことがあるような気がしたのだ。
『ええ〜〜っ!? こ、これはあの伝説の白鳥沢先生の作品!』
 チャレンジ・レッドが原稿を持ったまま絶叫する。
『現在、超人気爆走連載中の、"美食戦隊 薔薇女郎"ではないですか!?』
『そういうことになる』カスミは軽く頷いて見せた。

『あれ、でもおかしいですね。今月発売された"美食戦隊 薔薇女郎"は第122話でしたよ。でも、この原稿には第124話って書いてあります。まだ2ヶ月も先に発表される話です』
『……って、ああっ!?』
 その言葉で、祐一は全てを思い出した。
 ――そう、あれは3ヶ月前。9月の頭のことだ。この作戦の実行案を練るためにみんなで佐祐理のマンションに集まったとき、あゆと栞が貪るように読んでいた漫画雑誌。確か、その時に栞に延々と解説されたのが確か、白鳥沢なる漫画家の作品だった。


「いいですか。これは、今巷で超ウルトラ大人気の新鋭少女マンガ家、白鳥沢爛子先生が現在連載中の作品、『美食戦隊 薔薇女郎 〜愛の雪崩式フランケンシュタイナー〜』が掲載されている、聖なる漫画雑誌なんですよ!?」
「はあ? しらとりざわ?」
「そうです。しらとりざわ・らんこ先生です!!」
「なんだ、そいつは。変な名前だな」
「変な名前とはなんですか! そんなこと言う人、人類の敵です!!」

「どんなヤツなんだ、その白鳥沢ってのは?」
「それが、謎に包まれてるんだよ。なんて言うんだっけ。……ふくめんサッカー?」
「覆面作家? ああ、プロフィールとか素性を明らかにしない作家のことだろう。分かってるのはペンネームだけで、男か女なのかすら判らないって言う」
「うんうん。それなんだよ。すごいねー。一体、どんな人なんだろう」


 重苦しい沈黙が、辺りを支配する。
 未発表の原稿を持つ人間といえば、大きく2人に限定されてくるものだ。1人は、漫画を書いた張本人である作者。そしてもう1人は、それを受け取った出版者の編集担当である。
 だがもちろん、生徒会は漫画の出版などは行っていない。
『ってことは、何か? この漫画はまだ発表されていない最新話で――』
『それが、生徒会長・久瀬透の机の引き出しに保管されていたということは――』
 祐一とチャレンジ・レッドが声を合わせる。


『白鳥沢爛子先生は、久瀬透だった?』



 ――再び、沈黙。
『ふ……』
 ある瞬間を境に、香里に送られてくる映像がブレはじめた。
 祐一が、カメラを――いや、その身体を小刻みに震えさせ始めたのである。やがてその振動は全身に伝播していき、徐々に大きくなっていく。そしてその振動幅が最大になった時、彼は臨界点を突破し、はじけた。

『ふ……ふふ、……ふわ〜っはっはっは! しら、白鳥沢爛子が、よりにもよって、く、久瀬だった〜〜っ!!』
 祐一、カメラを放り出して大笑い。宙を舞うカメラは、岩間カスミによってナイス・キャッチされた。
『フフ、じゃ、じゃあなにか? あいつ、誰も入れない会館のレヴェル4で何してたかと思えば、しょ、少女漫画かいてやがったってのか〜!? ふははは! なに考えてんだ、あいつ……プクク』
 ツボに入ったのか、祐一は腹を抱えてゴロゴロと転げまわる。両手は、バンバンと床を叩き続けていた。息をするのも難しいらしく、ヒーヒー言いながら目尻に涙を溜めている。
『フ、フハハ……ど、道理で覆面作家だったわけだぜ。そりゃ、言えねえよな。日ごろ『学園の秩序とは――』とか偉そうに能書きたれて、その実せっせと裏工作やってるヤツが、よりにもよって白鳥沢爛子だぜ、オイ。大体、爛子ってなんだ。爛子って。どういう趣味してんだ、あいつ。ハハハハ、オレを笑わせてどうするってんだ。勘弁してくれ、久瀬ちゃんよ。だ〜っはっはっは!!』

 もはや撮影どころではない。呼吸困難に陥った祐一は、顔を真っ赤にしながら必死でこみ上げて来る爆笑の渦と格闘していた。
 だが、敵はあまりに強大で強力だった。彼は健闘空しくその渦に飲み込まれ溺れていく。
『し、しかも、唯ちゃんよ。この原稿を見てくれよ、これ。
"う、馬子うまこさん。君はどうして馬子さんなんだ!!"
 "ああ、ロミ。どうしてアナタはロミ男なの。……って言うか、抱いて!!"


 ――だとよ、オイ。ラブだ。ラブコメやってんぞ。プクク。あいつ、どのツラさげてこんな恥ずかしい漫画かいてやがるんだ。アイツは一体何を求めてんだ? オレを笑い死にさせてどうする気だよ、オイ』
 大ウケして、祐一が床を転げまわる一方、チャレンジ・レッドこと澤内愛は、呆然と立ち尽くして人生につついて考えていた。
 彼女もまた、多くの少女たちと同じように、新鋭漫画家『白鳥沢爛子』の大ファンだったのである。
 だが、その覆面作家・白鳥沢爛子の正体は、驚きの久瀬透その人だったというわけだ。

「SNEAKERS,A.M.S.Control.」
 腹が捩れそうなほどに可笑しいのは香里も同じだったが、祐一と同じように無遠慮に笑い転げるわけにもいかない。彼女は込み上げてくるものを噛み殺して、無線を入れた。
「――衝撃の事実にショックを受けてるのは分かるけど、そのぐらいにしておきなさい。会館の秘密が、久瀬=少女漫画家だったなんてことはありえない。恐らく、本当の機密は最上階にある筈よ。会長室を調べたら、早く場所を移動して」
『ハ〜フ〜。ハ〜フ〜……そ、その通りだな』
 祐一は涙を拭いながら、大きく深呼吸する。彼も、自分を落ち着けようと必死なのだ。これでも。
『ぷくく。長居は無用だな、確かに。あー、笑った』
『私はチベットに篭って、修行をしながら人生について考え直したい気分です』
『ハハハ。唯、まあそう気を落とすなって。ぷくく』
 ガックリと肩を落として項垂れるチャレンジ・レッドの肩を、祐一はバシバシと景気良く叩いて元気付ける。
『そのうち、良いこともあるさ。なんてったって、今夜はクリスマスなんだぜ?』
『それ以前に、世紀末なんですよね。まさにカリ・ユガです』

「――とにかく、このシーンは編集で切らせてもらうわ。私たちは久瀬君の性癖やプライバシーを暴こうとしているわけでも、彼の机を破壊するために会館を探索しているわけでもないんだから」
『ええ、是非ともそうして下さい』
 チャレンジ・レッドは、祐一から無線機を取り上げると懇願口調で言った。
「まあ、使い様もあるわよ。この情報はね。映像で流さないのは、この秘密を私たちだけで握っておくためでもあるわ。これは、私たちの武器にもなる。久瀬透は、自分が少女漫画家・白鳥沢爛子であることを是が非でも隠しておきたいみたいだし。今後、生徒会とモメるようなことがあった時、このことを持ち出せば取引材料となるでしょう。彼には気の毒だけど、その漫画の原稿、持って返ってきてくれる?』

『カオリンは相変わらず考えることがエグイよな』
 チャレンジ・レッドから無線機を取り返した祐一は、苦笑しながら言った。
『大義名分があるとはいえ、私物をかっぱらうのは幾分気が引けるけど――確かに後々のことを考えるとこいつは回収しておいた方がいいかもしれないな』
「自分の行動を省みること、良心の呵責に耳を傾けるのは良いことよ、SNEAKER。
 それは貴方をとても魅力的な人にしている。……でも、ごめんなさい。今度は私の我侭に付き合って。  政治の裏取引っていうのは汚いものなのよ。今後、生徒会がどんな手段で私たちに圧力をかけてくるか分からない」

 かつて、素行が悪いという理由で『川澄舞』が生徒会に(正確には久瀬の一存で)退学処分を食らいそうになった過去があった。生徒会長・久瀬のやり口は、その件で良く理解している。
 彼が、最大多数の最大幸福を求めてそれを決断したのなら納得もするが――久瀬の執政からはそれが窺えなかった。彼は舞の退学をネタに、佐祐理を生徒会に引き摺りこんだのだ。そのやり口は、己の利権のことしか頭にない人間の腹が透けて見えるものだった。
 彼は自ら汚れ役を演じる為政者ではない。
 生徒としての存在を抹殺するために、舞に向かって向けた銃の引金を、彼は何の躊躇いもなく引いた。そして、それを政治の裏工作に使いもした。どう好意的に解釈しても、彼をヒーローに仕立て上げることはできない。それが久瀬なのだ。

「私の妹は1年の休学があるから、それを口実に1番狙われたりしやすいのよ。だから、保険が欲しいの。そのためなら、私は汚れてもいいと思っている」
 久瀬は、弱い者から潰しにかかる。他人の足元をみるのが好きな男だ。川澄舞というアキレス腱を突き、倉田佐祐理を操り人形に仕立て上げたように。
『分かった。腹括ってるなら、なにも言う気はない。ただし、オレたちは志を同じくして1つの計画に従事する、言わば同志だ。自分だけ汚れようなんざ考えるな。と言うより、それは無理だ。チームってのは連帯するもんだし。――帰ったら、一緒にシャワーを浴びようぜ。オレが綺麗に洗ってやるよ。勿論、水着は禁止だからな』

「ありがとう、SNEAKER。またカリができたわね」
 香里は心から彼の心遣いに感謝した。
 名雪以外に、こんな風に自分のことを――いや、自分の家族のことまで心から案じてくれる友人など、生涯できるはずもないと思っていたのだ。
「私の身体で良ければ、あなたの好きなところを、好きなように、好きなだけ洗って」
『いいのか? それは、むぅ……エヘ。今夜は生涯で最高の聖夜になりそうだな。ま、冗談はさておき、どうやら本命は最上階にあるようだ。オレたちはもう少しこの部屋を調べてから、直ぐに上に向かう。放送は、その時再開するぜ』

「――A.M.S.Control,Roger.Good luck.」




−17−




 Mon,25 December 2000 24:23 P.M.
 Tokeizaka Hightschool

 12月25日 深夜00時23分
 高校校舎前



 ――北川潤。
 かつてそう名乗っていた時、コードネーム『砕破』はこの学校に生徒として通っていた。
 そしてそれは、彼にとって、一般人の子供たちに混じって学校という機関に所属した、初めてにして唯一の経験であった。
 今、砕破は三十六手と共にその学校の校舎を見上げている。
 だが、何の感慨も沸いてはこない。砕破にとって、北川潤としての生活は刺激になるものではなかった。自分たちが享受しているその環境が、以下に不安定であり脆弱なものかを知らない下賎に彼が何の感動を抱けというのだろう。

 今回の任務は、母校であるこの学校の生徒会会館の破壊。
 勿論、コードネーム砕破には些かの不服もなかった。
 ほんの数分で、その仕事は片付くであろう。そしてこの仕事が終われば、暫く日本に来る必然も失われる。ただ1つ、相沢祐一とその仲間たちの存在を除いては。
「今、あの坊やたちのことを考えていたでしょう?」
 三十六手が砕破の顔を覗き込んで言った。その口元には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「ダメよ、熱くなっちゃ。私たちはプロなんだから。任務のためには私情は捨てないと」

「微弱ではあるが、能力者の反応を感じる」
 砕破は彼女の言葉を完全に無視すると、低く呟いた。
「え?」三十六手は小さく目を見開くと、真顔に戻って意識を集中してみる。
「本当だわ。近いわね。恐らく学校内、方向は会館がある方だわ。
 これは多分、彼女が“具象思念体”を召還した残留反応。じゃ、川澄舞が会館に……」
「――いくぞ」
 言い残すと、砕破は三十六手を置き去りにしたまま、足早に校門を潜っていった。目的となる生徒会の会館は、学校敷地内では最深部に建てられている。

「あ、ちょっと待ってよ砕破!」
 三十六手は、慌てて途中で乗り換えてきたワゴン車の荷台から、高性能爆薬を中心とした道具の詰まった軍用リュックを取り出す。そしてそれを肩に背負うと、走って砕破の後を追った。
 組織内の最弱に属する部隊だったとは言え、『Cyber Dolls』の腕そのものは1級品。そのサイバー・ドール1小隊を単独で退けた能力者、川澄舞。砕破は当初『B−』と見ていたが……恐らく彼女は、砕破と互角に戦える力を持つ。それが、三十六手の川澄舞に対する評価だった。

 自らが“魔”と名付けた具象思念体。そのインパクトが、余りにも鮮烈だったため惑わされたが、  5体の“魔”よりなにより恐るべき川澄舞の真の脅威は、本体である彼女自身の戦闘能力だ。
 彼女は、単独で“魔”5体と互角以上に戦える力を持っている。それが、U.K.でのサイバー・ドールズとの戦いで判明したのだ。
 それを考慮して改めて彼女を評価し直した時、財団が認定した最新のランクは、砕破と同列の『A』。
 アサルト・ライフルに各種手榴弾、ボディ・アーマーにタクティカル・スーツ。完全武装したプロの兵士を、たった1人で30〜50人程度相手にできる超兵士。それがAランク能力者だ。

「私が勝てる相手じゃないけど――」
 それでも砕破と一緒ならば、なんとかなるかもしれない。
 どんな窮地にいても。たとえ為す術なく銃口に曝されていても、砕破さえいてくれれば。
 三十六手の中には、自分でも良く理解できない確固たる確信があった。だから、彼女は笑顔で彼の背を追いかけた。

「ね、砕破ってば。待ってよ〜」






 雪降る白き聖夜。

 奇しくも、何者かの手によって運命付けられたように
 兵達が一堂に集う。

『ワイズロマンサー』率いるAMSと、
『砕破』率いる皇聖五歌仙。
その通算3度目の激突が――

 始まろうとしていた。









to be continued...
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脱稿:2001/12/18 00:33:32

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