「……あら?」
◆運勢:
滅
◆健康:
死
◆待人:
去
◆学業:……
聞かないほうがいいでしょう
「なんじゃこりゃ――っ!?」
「……ってなんだよ、最凶って。最強ならぬ、最凶だぞ。最凶! 普通、あんなもん元旦早々の御神籤に入れとくか!? 滅茶苦茶に不吉な内容じゃねーか」
祐一は目を潤ませながら、再び胸目当てで香里に縋り付く。それを無碍に振り払いながら彼女は言った。
「そんなこと私に言われたって知らないわよ。大体、親切にやめておいた方が良いって忠告してあげたのに、それに耳を貸さなかった貴方がいけないんじゃない」
「ぬぅ。てんでつれないお言葉だな」
「でも、流石に香里は余裕だね」名雪は羨ましそうに、そして恨めしそうに親友を見やった。
確かに彼女の指摘通り、香里は一生を左右しかねないかもしれない日を目前にしながら、全く緊張した素振りを見せない。悠々と祐一や名雪の面倒を見ていることから言っても、相当の自信が窺える。
「余裕もなにも、私には関係ないことだもの。他人事を騒ぎ立てたって仕方がないでしょう?」
「関係ない?」名雪は怪訝そうな表情で首を傾げた。「なんで? 香里、大学入らないの?」
「そうじゃなくて、センター試験を受ける必要が無いのよ。私は」
「はあ? なんで。裏口入学か?」祐一も、名雪と揃って首を捻る。
2人並べてみると、示し合わせたように見事に同じポーズだ。このあたり、2人が血縁者であることを窺わせる。
「なにワケの分からないこと言ってるのよ。ウチの学校は、下の方は名雪やら相沢君たちみたいなのもいるけど、れっきとした進学校なんだから。成績上位10名に名を連ねるためには60後半から70程度の偏差値が必要なのよ? そこで3年間通して主席張っていれば、推薦入試でどこにだって入れるに決まってるじゃない」
「水洗――」祐一と、
「乳歯?」名雪は、
「……なにそれ?」キョトンと顔を見合わせる。
そんな待遇とは78万光年ほど離れた学生生活を送ってきた2人にとって、制度そのものが完全に未知なる存在だった。
「水洗便所と、何か関連性はあるか?」祐一は神妙な顔つきで問うた。「割と響きは似ているが」
「キッパリないわよ。――推薦入試っていうのは、学業や学内活動において特に優秀な成績を収めた者が、学校長からの推薦を受け、大学センター試験と2次試験を免除された上で大学の入学を検討できるシステムのこと」
「え、え? じゃあ、試験は受けなくてもいいの?」
「センター入試も、2次試験もなしで、イキナリ合格なのか?」
弓矢の変わりに、サブマシンガンを手渡された原始人のような顔で、名雪と祐一は「ウホ?」っと香里に詰め寄る。
「そう。論文と面接の審査はあったけどね」
「なぬ――っ!?」「で、でかるちゃーだお!」
香里は絶叫する愚民共を尻目に立ち上がると、綺麗に整頓された自分の学習机に歩みより、その1番上の引出しから大きな封筒を取り出して、再び勉強会用の座卓に戻った。
「9月に募集があって、私はそれに出願したの」封筒から何枚か書類を抜き出し、卓上に置く。
「ほら。これが、TUTから貰った合格通知と証明書。11月30日に渡されたわ」
「ず、ず、ズルイよ! こんなの反則だお!」
「夢。夢を見ている。テストを受けずして、ラーメンみたいな髪の少女が大学へ入る夢だ……」
2人は恐るべき現実を目の前に、我を失って動転していた。祐一に至っては、夢の世界に旅立ち現実を認めることを頑なに拒んでいる。
「大丈夫、2人とも? テストを前に壊れないようにね」
「……って、ことは何か?」我に返った祐一は、香里に詰め寄ると詰問口調で訊く。「貴重な時間を削って、去年のクリスマスに皆で盛大なパーティやらかした時には、既にお前は合格決めて踏ん反り返ってたってワケか!?」
「別に踏ん反り返ってはいないけど、確かに合格は決めていたわ」
「なんじゃそりゃあ!? 誰がそんな理不尽を許してるんだ! 贔屓だ。差別だ。不公平だ。ドーピング疑惑だ!」
「そうだお。ちょっとテストの点が良いからって、テストの難易度を特別に高くするならまだしも、免除だなんて、方向性間違えてるお! そんな制度考えた人には、お母さんに頼んで謎ジャムだお!」
「――はいはい。人の出した結果に嫉妬だなんて、虚しいだけよ」
涼しい顔で2人の追求を交わしながら、香里はパンパンと手を叩く。
「大体、私の合格を羨むのなら、同じだけ勉強してからにして欲しいわ。授業中寝てばかりの人間が、日々真面目に受講している人間の出した結果に文句を付けるなんてお門違いもいいとこ。贔屓だ不公平だを云々言う前に、自分の限界が見えるまで1度努力してみなさい」
「う〜」
「ぬぅ……」
正論だけあって、グゥの音も出ない。確かに美坂香里は異常なまでにテスト向きの頭をしているし、常人と比較して遥かに思考の最適化が進んでいる人間なのだが、それを別にしても祐一や名雪より努力をしてきたという事実がある。
「あ、そうだ! じゃ、私たちも推薦入試受けよう」
突如、名雪は宇宙の真理に到達でもしたかのような晴れ晴れとした表情で言った。
「おおっ、普段から寝ぼけている名雪にしてはグッドなアイディアだ。それ、いただきだぜ!」
祐一は名雪の提案にポンと手を打ち破顔する。
「そうだよ。目には目を、歯には歯を。推薦入試には推薦入試を! 実に単純な論理じゃないか。……決めたぜ、香里。オレも推薦入試受けてやる! そして、テスト無しで大学合格だ! よし、名雪。早速ウチの学校の校長に電話だ。ヤツにオレたちをド派手に売り込むのだ」
「おー!」
「盛り上がってるところ大変申し訳ないんだけど――」
言葉とは裏腹に、まったく申し訳なさそうな素振りを見せずに香里は言った。
「それは無理よ」
「なんで?」祐一と名雪は声を揃えて香里の相貌を仰ぐ。
「推薦入学学生募集要項が発表されたのが、9月の上旬。10月中に願書の受付が締め切られて、面接と論文試験が行われたわ。そして、合格発表があったのが11月の末日。つまり、去年ね。
簡単に言えば、推薦入試はもうとっくに終わってるの。分かる?」
「な、なぬ―――っ!?」
「それにね、推薦って言うのは校長に電話して貰うようなものじゃないの。パーティの紹介状じゃないんだから。言ったでしょう? 成績優秀な人間が推薦を受けるんだって。正面からテストを受けても確実に合格するであろう学力を有する者が推薦を受ける資格を持つの」
「ぐはっ。神は死んだ……」
「世知辛い世の中だお……」
約2匹のおバカさんたちは、揃ってガックリと項垂れた。
こういう連中がセンター試験を受けようというのだから、日本は矢張り限りなく平和である。
その日は本番前日ということで、簡単な最終確認を以って勉強会は終了。17時には祐一も名雪も開放され、帰宅した。
*
水瀬家 リヴィング・ルーム
ガツガツガツガツ……!
「ごひそーはんでひた」
祐一は凄まじい勢いで皿の中身を口内へ掻き込むと、咀嚼もし終えぬまま手を合わせた。
その頬は、ドングリを頬張ったリスのようにパンパンに膨れている。針で突つけば破裂しそうだった。
「うぐぅ!?」
「わ。祐一、凄い」
その余りの勢いに、
月宮あゆと名雪は目を丸くして驚いた。それも無理はない。彼女たちの夕食は、まだ半分も進んでいなかった。
その日の水瀬家のディナーのメニューは、豪勢なハンバーグ・ステーキをメインに、コーンポタージュ、野菜サラダ、ライスをセットにしたものであった。家主である水瀬秋子とその娘である名雪、それに居候であるあゆの皿には、まだ一口も手をつけられていないハンバーグが丸々残っている。
それを余所に、祐一はまだモグモグと口を動かしながらも早々に席を立つと、空になった自分の食器をキッチンの流し台に運んでいった。
「祐一さん、これから何か予定でもあるの?」
秋子が、ドアを開けてリヴィングから出ていこうとする祐一に問いかけた。
「ええ」漸く口の中身を全て飲み込んだ祐一は、振り向きざま頷いて見せた。
「ちょっと野暮用で出かけてきます。あんまり遅くなると拙いんで、早く行きたいんですよ。雪も降ってないし。2時間くらいで帰ると思いますので、鍵開けといて下さい」
「車に気をつけてね」
「うぐぅ。祐一君、はやく帰ってきてね」
「よく分からないけど、いってらっしゃい。明日は試験だから早く帰ってくるんだよー」
理由も聞かずに、水瀬家女性陣は笑顔で祐一を送り出した。大らかというか、無責任というか、何も考えていないというか、何にしても今の祐一にはそれが有り難かった。
祐一は一旦2階の自室に行くと、荷物を背負い上げて水瀬家を出た。
1月も下旬に差しかかろうというこの時期、やはり日が落ちた後は壮絶に冷え込む。外は問答無用の氷点下であった。祐一は、肝心な左手が寒さで感覚を失わない様、手袋の上にカイロを握り締めていた。
雪は降っていないが、冬の間は街から積雪が無くなることはない。氷結している道路と、深い雪溜まりに注意しながら、祐一は一路目的地へと歩を進める。目指すは、ものみの丘であった。
*
ものみの丘は、街の西側の外れにある小高い丘だ。
普段から人気がなく、存在は知っていても実際に近付いた経験を持つものは、地元の人間にも少ない。
登ってみれば、街を一望できる景勝地であることに気付くのだが、日々の生活に忙しい人々には縁のない話のようであった。
実際、祐一がこの街に帰ってきてから早1年。幾度となくものみの丘に足を運ぶ機会があったが、天野美汐と偶然遭遇することがある以外は、誰とも顔を合わせたことがなかった。
ものみの丘とは、そういう場所なのである。
丘の上に登り詰めた時には、祐一の身体は汗をかきそうなほど火照っていた。
重い荷物を背負い、厚い雪に覆われた傾斜を前進するのは、若い祐一にもそれなりの運動になる。だが、そんな疲労も全く気になら無い程、祐一の精神は極度に研ぎ澄まされていた。
この丘に上ると、いつもそうだ。雑念が振り払われ、その静けさに素直に身を委ねることができるようになる。不思議な場所だった。
「キラキラした街だな……」
頂から見下ろす夜の街のイルミネーションは、綺麗だった。
そのひとつひとつに人々其々の暮らしがあるかと思うと、尚更だ。
見上げれば、満点の星空。ビーズをばら撒いたような、都会ではお目に掛かれない見事な星の海。そして夜空を支配する月は、その青白い光で丘に広がる清らかな純白の雪原を照らし、幻想的なステージを演出してくれていた。まるで、雪の大地そのものが淡い光を放っているようにも見える。
祐一は、背負っていたギターケースを下ろし、母親から譲り受けたアコーステック・ギターを取り出した。
左手の手袋を外す。右手でピックを握る。そして夜空を見上げた。
「お前のこと、忘れたわけじゃないんだぜ」
彼女が同じ星空の下にいることを信じて、呟く。
日常の中で、その少女の姿が霞んでしまいそうになった時、多くの人々に囲まれた幸せな時の中で、彼女のその姿が思い出に変わってしまいそうになった時、祐一は人知れず、この丘を訪れる。
そして、抱いていた彼女の身体が少しずつ透明になって、やがて消えていったその日のことを思い出す。
傷にナイフを突き刺し、自ら抉り出すように。痛みを取り戻しに、この丘に彼はやってくる。
「まだ、忘れたわけじゃないんだぜ。……真琴」
それが、相沢祐一の選択だった。
――そして、ステージは始まる。
スポットライトは柔らかな月光。舞台はそれに青白く照らし出された、果てしない雪原。
この丘で、あの日消えていった少女に送る、誰も知らない丘の、誰も知らないシークレット・ステージ。
祐一は目を閉じ、たった1曲のバラードを奏でる。今宵高まるその想いを、慈しむような調べにのせて。
まるですぐ傍に、あの懐かしい少女の面影を見ているかのように、彼の口元には穏やかな微笑が浮かんでいた。……そして旋律は流れていく。
不意に、イングランドで聞いた1つの伝説が脳裏に甦ってきた。
月の綺麗な夜。皆が寝静まった静かな時の中、妖精たちは現れて宴を開く。月と雪の幻想的なステージで、誰も知らない宴を開く。歌い、踊り、宴を開く。
その話を聞かせてくれた老婆は教えてくれた。そうして妖精が踊った後に現れるのが、あの麦畑の不思議な模様なのだよ、と。
そう。今宵その丘は、妖精たちが舞踊る伝説のステージにも相応しかった。だから祐一は、もう1度微笑んだ。
――真琴、聞こえてっか……?
オレの歌、聞こえてるか?
また音楽、始めたんだ。ガキの頃やってたきり、やめてたんだけど。
お前に聞かせたくて、始めたんだ。
だから、聞きに来いよ。もっと近くに、聞きに来い。ずっと、この丘で待ってっから。
お前が戻ってくるその日まで、ずっとオレはこの場所で歌ってるから。
だからいつか、また会おうぜ。
もう何度、歌っただろう
お前の消えたこの丘の上で
束の間の奇跡の中 在ることさえ気付かずに
2人はいつまでも変わらぬと信じてた……
歌声は響く。月夜に染みこむように。
月の光に優しく照らし出された、清らかな銀世界で――
本当に届くのではないかと。あの少女に、本当に届くのではないかと思わせるような、そんな幻想の世界の中で祐一は歌う。
もう1度会いたい 言葉を交わしたい
お前とずっと 確かな時にいたい
夢にまで見てきた あの懐かしい日々を
お前と一緒に もう1度過ごしたい
遥かな余韻を残し、最後の旋律が夜空に消えていったとき――
その頬を、一筋涙が伝っていった。
Y'sromancers
END
脱稿:2002/03/09 06:04:51
あとがき
「君、微笑んだ夜」をお届けしました。
出来は、自己評価では最低に近いです。やっぱり、音の世界を活字で表現するのは難しいですね。
満足度は20%って感じです。頭の中のイメージをその程度しか表現しきれませんでした。
さてこの話、独立した短編として楽しめるように設計しましたが、Y'sromancersの第5シーズンに相当する話でもあります。実は。
――で、一応この話で『Y'sromancersシリーズ』はおしまいとなります。
主人公とヒロインが大学に入ってからの物語は、作者にやる気があれば、別シリーズでやることになると思います。その場合は、卒業旅行に行くアメリカが舞台となるリーガルサスペンス(法廷もの)になる可能性大しょうね、きっと。
劇中で祐一少年が歌っている曲は、そのまんま『ものみの丘』という曲名のバラードで、一応ちゃんとしたメロディもあります。練習すれば、それにのって歌えるようになるのですが、残念ですが活字では表現できそうもありません。
……無念。
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