「何を、願うの?」

written on 1996/7/7



 

 『七夕って何?』

 

 『ふ〜ん、その二人って可哀相ね』

 

 『だって、一年に一回しか会えないんでしょ? 

  そんなの私はぜ〜ったいにイヤ』

 『ね、あんたもそう思わない?』

 

 突然、山吹色の髪が揺れて、少年の鼻腔を甘い香りがくすぐった。

 「そうだね」

 少年は短冊を作る手を休めて顔を上げると、柔らかく頷いた。

 だが、すぐにまたうつむいて作業を再開する。

 そんな少年の姿を見て、振り返った少女は一瞬だけ口をとがらせたが、次

の瞬間には、再びクラスメイトとの話に花を咲かせはじめていた。

 

 ありふれた日常が続く夏の一日。

  

 

 

 夕日が校舎の影をグラウンドに長く映し出す。

 

 過ごしやすい風が吹き込んでくる教室で、一人の少年が一本の笹と格闘し

ていた。

 短冊を結びつけ、色とりどりの色紙で飾り付けをしている。

 

 中学生にもなってこんなイベントを実施する学校側に、少年は多少の不満

を抱いていたが、この作業自体は意外に楽しんでやっているようだった。

 エヴァンゲリオン初号機パイロットは、そんな少年だった。

 

 

 ガラガラガラガラ

 

 突然、教室の後ろのドアが開いた。

 

 顔を上げた少年の瞳に、見慣れた―――無表情な顔が映った。

 

 「あれ、どうしたの?」

 

 少女は珍しくその紅い瞳をあらぬ方向にさまよわせると、一瞬だけ間をお

いて、少年の問いに答えた。

 「忘れ物、したから」

 「ふ〜ん……」

 

 少年は作業を再開しながら、少女が窓枠に肘を突いて空を見上げるのを視

界にとらえていた。

 何をするでもないその姿に、忘れ物っていったいなんなんだよといった疑

問が湧いたが、作業に没頭するうちにそんなことも忘れてしまっていた。

 最後にひときわ大きな星形の飾りを二つ取り付け終わると、少年は額の汗

を拭った。

 

 「よし……っと」

 少年は満足そうに頷いて床においたカバンを拾い上げると、あいかわらず

ぼ〜っと窓の外を見つめている少女の側に近づいていった。

 少年の気配を察してか、少女は俊敏に振り返った。

 青い髪が揺れ、紅い瞳が現れたその時、少女のスカートのポケットから、

はらりと一枚の短冊が床に舞い落ちたのを少年の目がとらえた。

 

 「あ……」

 

 少年の手が無意識に床に落ちた短冊に伸び、そして別の方向から素早く差

し出された白い手に重なった。

 ひんやりとした感覚。

 しっとりと濡れたような肌。

 

 少年は自分の意志で手を離すことが出来なかった。

 トクン   トクン  トクン トクン

 

 沈黙、そして、激しくなる鼓動。

 顔が熱くなる。

 

 「手……どけてくれる?」

 

 少女の言葉を合図に、びくん、と、少年の手が引き戻された。

 その腕はふらふらと所在なげに空を舞い、その手のひらは閉じたり開いた

りを、繰り返す。

 「ご、ごめん……」

 声が少し裏返る。

 少年はその事実に気付き、また顔を赤くした。

 

 「あ、あの、まだ帰らないの?」

 

 「…………」

 少女の頬が心なしか紅く染まったような気がしたけれども、きっとそれは

夕日の加減に違いないと、少年は思った。

 「用事が終わるまで、待ってようか?」

 「……いいの。先に帰ってて」

 少女は視線を床に落としたまま、いつもより小さな声で言った。

 いつもと様子が違う少女にちょっとだけ疑念を抱きながらも、少年は夕食

の準備が遅れそうなのに気が付いて、仕方なく足早に教室を去った。

 紅い瞳が――、少年の後ろ姿を追っていた。


 次の日。

 少年は、少女が昨日落とした短冊が、笹の奥の方にひっそりと隠れている

のに気が付いた。

 綺麗な空色の色紙。

 

 流れるような細い文字。

 『寂しくなんかないよね』

 らしくないその言葉に、少年は、ちょっとだけ微笑んだ。

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