「MAN」

written on 1998/1/7



 空を見た。

 

 少しだけ雲が増えていた。

 

 

 耳を澄ませた。

 

 歓声が身体中に響きわたる。

 

 

 そして、後ろを振り返った。

 

 

 

//MAN

 

 

 

 屈伸を終えて地面から視線を上げたシンジがおった。

 

「センセェ、あきらめや。この勝負、青組がもらったで」

 

 たぶんわいの声は自信満々やったに違いない。

 それを裏付ける実力もあると思っとった。

 小学校ん時から韋駄天と呼ばれて、運動会でヒーローになることが一年で

一番嬉しかったんや。

 相手が親友のシンジといえども手を抜くわけにはいかへん。

 

 わいのプライドだけやない。

 青組みんなの期待を背負っとんのや。

 

 軟弱で優柔不断でなよなよしとって、どこも男らしゅうないぼんぼんのシ

ンジにだけは。

 学園のマドンナ、惣流と綾波二人から想いを寄せられとるこいつにだけは

負けとうなかった。

 

 わいは負けへん。

 

 これまで一度も負けたことはなかったし、負ける気もせーへんかった。

 

 

 秋という季節がなくなっていたこの2015年。

 運動会は年中照りつける太陽の下で行われていた。

 日本のどこかでは、今日もエヴァと呼ばれるロボットが使徒と呼ばれる化

け物と戦っているのかもしれない。

 しかしこの学園の生徒たちにとっては遠い地の出来事。

 目の前で行われている年に一度の大イベントが、彼らの世界そのものだっ

た。

 

 

        *        *        *

 

 

 大歓声が沸き起こった。

 

 グラウンドの反対側でバトンを受け取った惣流・アスカ・ラングレーが、

猛然と青組の少女を追撃する。

 惚れ惚れするほど美しいフォーム、そしてスピード。

 逃げるのは2年A組の委員長―――洞木ヒカリである。

 みるみるうちに差が縮まって行く。

 この調子だと次の走者にバトンが渡る頃には並ばれているかもしれない。

 

 よう頑張っとる。

 ここまでは予定通りや。

 

 この状況においても、洞木ヒカリの次の走者である鈴原トウジは僅かに笑

みさえ浮かべていた。

 彼の頭の中には、すでに劇的な勝利を収める構図が描かれていたに違いな

い。

 

 

 残り半分。

 わいは隣に並んでバトンを待っとるシンジの顔を見た。

 なんの表情もあらへん。

 

「なんや、むかつくやっちゃなぁ」

 

 いつも通りの冷めた雰囲気に、わいは馬鹿にされとるような気がして、吐

き捨てるように呟いた。

 運動靴を脱ぎ捨てて、靴下に手をかける。

 

 トラック4分の1周のところでついに惣流が委員長を抜きよった。

 

 ジャリ

 

 足の裏に食い込む小石が気持ちええ。

 

 わいは目をつぶって、シンジを抜き去るときの歓声を頭に思い浮かべた。

 興奮で体中の細胞が活性化する。

 

 わいは、負けへん。

 

 

        *        *        *

 

 

「後はまかせときいや!」

 

 必死の形相の委員長からバトンを受け取ったときには、すでにシンジから

3mばかし離されとった。

 わいは猛然と後を追った。

 

 まず一つ目のカーブ。

 スピードがつきすぎて、遠心力で思わずコースをはずれそうになった。

 バトンを持った右手をぶんぶん回してコースを修正する。

 大パフォーマンスや。

 どっとグラウンド中が歓声に沸いた。

 

 気持ちええ。

 

 わいは砂利をいくつも後ろに飛ばしながらシンジの後を追った。

 

 そして最初のストレート。

 ぐいぐいスピードにのっていく。

 いつもにもまして調子がええ。

 踏みしめる足の裏には地面がしっかりと感じ取れとるし、腕の振りは身体

ごと全身を前に持っていく感じや。

 

 シンジの背中が徐々に近づいてくる。

 

 わいは勝利を確信して、青組のスタンドの前で右手を突き上げた。

 

 

 揺れた。

 

 

 歓声に反響して校舎の窓ガラスが割れるようやった。

 

 

 これや。

 

 わいはこれを待っとったんや。

 

 体中を突き上げる興奮にますますスピードは加速する。

 

 最後のカーブでついにシンジを捕らえた。

 ストレートに入る直前で一気に抜き去って、突き放しにかかる。

 さすがに表情まで見る余裕はあらへんかったが、きっとシンジの顔は悔し

さで一杯やったに違いない。

 

 

 ここはわいの舞台。

 

 わいが生きとると実感できる数少ない場所。

 

 自分が自分であることを証明できる一つの証。

 

 生きていくために必要な優越感を得られる瞬間。

 

 

 最後のストレートはもう独走状態やった。

 来賓席の前を通り抜けて、ゴールの白いテープまで一直線や。

 委員長たち青組のみんなが身を乗り出して待ち構えているのが見えた。

 

 よっしゃ。

 

 わいは勝ったんや。

 

 

        *        *        *

 

 

 その時やった。

 

 不意にわいの身体がガクンと揺れてバランスを崩してしもうた。

 踏み出したはずの左足に力がはいらへん。

 まるで水ん中に足を突っ込んだように抵抗感が無かった。

 

 そのままわいの身体は左足から地面に沈んでいく。

 

 スローモーションのように、ゆっくりと視線のはじをシンジが追い抜いて

いきよった。

 

 ちょっと待てや!

 

 大声を出したつもりが、よう口が動けへん。

 

 紅組のケンスケが、そして他の組のやつらが次々と隣を駆け抜けていく。

 

 わいはすでに身体半分、地面に沈んどるというのに。

 

 

 誰も、振り向かへん。

 

 

 誰も、

 

 

 誰も、

 

 

 誰も。

 

 

        *        *        *

 

 

 

 そんな、夢を見たんや。

 

 

 誰も見舞いに来なくなって11日。

 

 看護婦の検診が無くなって8日。

 

 電源が非常用に切り替わって5日。

 

 非常食が無くなって3日。

 

 最後に水を飲んだのは2日前。

 

 

 消毒液の匂いも消えかけた白い病室の中で、トウジは一人天井を見上げて

いた。

 

 

 

Fin.

 

 

 

 エヴァンゲリオン唯一のヒーローである鈴原トウジへ。

 

 歪んだ愛情を込めて。

 

 



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