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■ SHOW TIME

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◆ 奪還計画

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月。

ネルガル月面支社ビル最下層。

まるでパーティーがひらけそうなほどだだっ広い空間の中央で、二人の男がちゃぶ台を前にむきあっていた。六畳分くらいの広さだろうか。一段高くなった床にはその部分だけ畳がしきつめられ、和室のように仕立てられている。

丸くドーム状の構造になっている天井には、一面星の世界が映しだされている。ときおり宇宙船がとおりすぎる様子が映るところをみると、外部の映像をリアルタイムに表示する機能をそなえているのだろう。

二人のうちの一人、着流しをまとった長髪の男の方は、あぐらをくんでリラックスした様子で座っている。軽薄そうな目元が印象的だ。

それに対してもう一人の男、さらに長く腰まで届くほどの髪を持つ男の方は、まっすぐに背筋を伸ばし、なにかを待つように目を閉じている。漆黒の髪が白服によく映えている。

さきほどから二人とも口を開く気配をみせない。おたがいの出方を探るふうでもなく、着流しの男はのんびりと天井をみあげて行き交う宇宙船を見送っており、白服の男はまるで最初からそこに存在していないかのように身動き一つせず気配を感じさせなかった。

 

きっかり五分後、白服の男がまぶたを開いた。

「なぜ私を?」

「有能だからさ。それに君は自分にとって損なことをする男じゃない」

着流しの男は間をおかずいいはなった。だが皮肉ともとれるいいようにも白服の男は表情ひとつ変えない。

「裏切り者の私にふさわしい汚れ仕事を与えてくれたあなたに恩義は感じている。しかし私は彼の前に顔を出せる男ではない」

「んな固いこといわずいつも通りちゃちゃっとやってくれよ。な。月臣ちゃん」

これがいつも通りだと? 月臣と呼ばれた男はじっと正面に座っている男を見つめた。

わざわざ面会をセッティングしての依頼。いつもの仕事とは重要度が違うことはすぐにうかがいしれる。暗に断るなとプレッシャーをかけられているようにも感じられた。

「ゴート殿がいるのでは?」

「彼には荷が重いよ、今回の件は」

わかってるだろといいたげに髪をかき上げる男――ネルガル重工会長アカツキ・ナガレ。

「それに君もテンカワくんを嫌いじゃないはずだ」

その問いにはこたえず月臣は言葉をつづける。

「センシュウジ殿は?」

「蓑傘を追ってるよ。モチヅキも今は火星に出張ってる」

アカツキは頭の後ろで両手を組んでぐっと座椅子に体重をかけると、

「一課と二課は荒事にむかんしな。君が指揮をとってくれ。ゴートをサポートにつける」

月臣はめずらしく答えを迷っていた。テンカワという名前は彼にさまざまな思いを抱かせる。

「お茶をどうぞ」

いつのまにかもう一人の男が灯のとどく範囲に姿をあらわしていた。まるで空気から染み出してきたように気配を感じさせなかった。

しかし畳の上の男たちは驚く素振りさえみせない。

三人目の男は熱い緑茶の入った茶呑みをちゃぶ台の上に静かにおくと、お盆を小脇に抱えて眼鏡を軽くいじっている。

「必要なものは彼にいってくれ」

「プロスペクターと申します。お久しぶり、とでもいうべきですかな」

すでに舞台は整っているようだった。役者として雇われることを受け入れた自分がいまさら舞台を降りるわけにはいかない。月臣は覚悟を決めた。

プロスペクターと名乗った男に一瞥をくれると、

「承知した」

ひとこと残してお茶を一杯すすり、静かに席を立った。

そして深々と一礼を残すと、暗がりに消えていく。

 

残された二人は月臣が立ち去るのを確認すると、

「どうだ。ナイトの場所は確定できたか?」

「はい。しばらくは移送されることもないでしょう」

「実験が最終段階に入ったか」

「おそらく」

「よし。後はまかせた。うまく彼をつかえよ」

「裏切り者とはいえ、彼に心酔する者もいまだ多いですからな。さすがといいましょうか」

「んー? なにか勘違いしてないかなー。プロスくん。ボクは彼の能力を見込んでだねぇ」

「もちろん、それは承知しておりますとも」

「はっはっは。それじゃ、あとはよろしくっ」

快活に手をあげると、畳敷きの床ごと地面に消えていくアカツキ。

プロスペクターは再び畳敷きの床が昇ってくるのを待つと、小さくため息をついた。

「ナガレ殿は昔のままですな」

闇の中にプロスペクターの言葉が吸い込まれていった。

 

 

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◆ 紅蓮の柱。前半アキト一人称の部分は少し字体を変える?

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夢を見る。

真っ赤な水の柱が炎のように立ち上がる様を。柱から弾け飛ぶ飛沫は皮膚を焼き骨にまで達する。

身体が燃えるように熱い。柱の中から見覚えのある顔がいくつも渦を巻いて表面に現れては消えてゆく。苦悶にゆがんだ表情からは、

 

おまえも はやく こい

 

そんな風に聞こえてくる。

俺は逃げる。身体を焦がされながら這いつくばって遠ざかる。まだだ。まだそこには行けない。みんなのうめき声から耳を塞ぐように必死で逃げる。

やめてくれ! 俺にはまだやることがあるんだ! たのむ! もう少し時間をくれ!

そう叫びながら、もつれる足を一歩一歩進めていく。まるで深い水の底を歩いているように歩みは遅い。激しい疲労に襲われながらも、確実にうめき声は遠くなっていく。

 

ふとあたりを見回すと、遠くに光が見えた。

人影。女性のシルエットだ。まさか……。

鉛のように重くこのまま地面に沈んでいきそうな身体を必死で動かす。

膝から下はどうしてかもう動かせない。腕だけを使ってその人影に近づいていく。

あとすこし。もうすこしのところで彼女がふわりと後ろを振り向いた。

もしや!

彼女ははにかむように笑った。……ように見えた。

はにかむ?

ちがう。彼女じゃない。

 

テンカワさん、ずるい。あたしだけ死んじゃったよ。

手、つないでたのにね。

ウフフフフ……。アハハハハハ……。ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ……。

 

乾いた笑い声が耳元で鳴り響いた。

ぼとり。なにかが目の前に落ちてきた。

右手で拾い上げて目の前にもってくると。

それは眼球だった。

ぎろり。

掌の上でそれは忌々しげに俺を見つめた。

 

 

「うああああああああ! はぁっ、はぁっ、はぁ……」

いつものように俺はうなされながら目を覚ます。

そして、いまだ闇の中にいることに気づく。

まだ自分が生きていることに気づく。

なぜ死ねないのかを問う。なぜ死なないのか苦悩する。

身体が痺れるように熱い……。頭の中でも低い唸るような音が鳴り響いている。ナノマシンがざわめている。この身体。もう戻らないのか。

枕元のスイッチに触れ灯をともす。

クリーム色で統一された殺風景な部屋だったはずが、いまやもうぼんやりとしか見えない。たしか右側の壁に一枚だけ絵が飾ってあった。よろめく足取りで近づき、そっと手で触れてみる。

ない。なにもない。

そうか……。

もう必要ないのだ。目が見えない人間の部屋に絵を置いてどうするというのだ。

いや。元から絵なんてなかったのかもしれない。記憶さえも曖昧になっている自分がなんだか可笑しくてしょうがなかった。

「っくっくっく。あっはははははっ!」

なにも見えなくなるんだ!

なにも感じなくなるんだ!

なにもわからなくなるんだ!

 

真っ白い部屋の中で、拘束衣を着た男が一人、ベッドの上で狂ったように笑い続けていた。

 

 

実験体コードAMK−D226。本名テンカワ・アキト。

人体イメージナビゲーションおよび単独生体ボソンジャンプおよび思考リンクシステム研究被験者としてホシノミに拘留中。実験開始より301日目。ナノマシン活性化処理、ナノマシン特性強化、思考リンク用ナノマシン注入処置すべて順調。

補助装置利用による単独生体ボソンジャンプ、成功。

複数ジャンパーによるイメージ増幅実験、失敗。

先日の実験中の事故により精神が不安定な状態であるが、身体はほぼ健康体であり、精神安定剤の投与により実験の続行は十分可能と思われる。

次回実験は単独生体ボソンジャンプSTEP3を予定。

 

 

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◆ ナデシコB+

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「おっ。戻ってきたねー、ナデシコB!」

 

地球連合宇宙軍月面ドックが一望できるネルガル月面支社ビル最上階。

巨大な耐圧ガラス製の窓の前でアカツキは腕を組み、お気に入りのおもちゃが戻ってきた子供のような笑顔を浮かべていた。

地球連合との和平をよしとせず木連より離反したアステロイドベルト防衛部隊の一部、通称第十三愚連隊の鎮圧を終えたナデシコBが帰投したのだ。

ぱちん。

アカツキが指をならすと窓一面にナデシコBのブリッジの様子が映しだされた。

『あ』

ウインドウの中央。おそらく艦長席と思われるシートにすわっていた小柄な女性が、読んでいた本をぱたりと閉じて、すこし慌てた様子で起立した。

地球連合宇宙軍所属ナデシコB艦長、ホシノ・ルリ少佐その人である。

その後方では副長の高杉三郎太が、副長補佐のマキビ・ハリの頬を引っ張っていた手をとめる。

すでに操縦は車庫入れお任せモードに入っていたようで、ブリッジにはすっかりリラックスした空気が流れていた。

「よー、お疲れさん」

アカツキは仁王立ちのまま、ねぎらいの言葉をかけた。

『どうも』

いつも通りホシノ少佐の声には感情がこもっていない。彼女がアカツキを見る目には常に疑いの眼差しがある。

『あわわわわ』

そしてマキビ少尉。ホシノ少佐とは対照的な面持ちだ。彼にとっては生みの親以上の存在でもあるアカツキ。やはり目の前にすると緊張は隠せないようだ。

「どうだったかい。ナデシコB+の感想は?」

『素晴らしいですね。思兼のバージョンアップも完璧ですし、MCIFS(Multiplex Controll Image Feedback System)に多少コンフリクトがみられますが微調整をおこなえば解消できるレベルです」

「そうかい。そうかい。そりゃぁよかった」

『ところで……』

「ん?」

『いまさらナデシコBに追加モジュールを組み込んでどうしようってゆうんです? これだけの機能ならいちから設計を見直す方が有効だと思いますが』

「んん? 相変わらずするどいねー」

『またなにか企んでるんじゃありません?』

「はっはっは。残念ながら宇宙軍の次期5ヶ年計画で艦船部門は大幅に予算カットになっちゃってね。僕たちも新造するリスクは背負いたくないんだよ。とりあえず肝になるシステムだけ実験しとこうと思ってね」

『実験、だったんですか』

「気を悪くしないでくれよ。君たちの能力を信頼してのことだ」

そしてアカツキはまだなにか言いたそうなホシノ少佐を遮ると、

「それじゃ。後は軍の指示に従ってゆっくり休んでくれたまえ」

そういって再び指を鳴らした。ウインドウが閉じ、美しい星々のきらめきが戻る。

「さてと。もう一仕事だな」

アカツキは誰にともなくつぶやくと、会長席の端末まで戻り秘書を呼び出した。

 

 

「どうだい。率直な意見を聞かせてくれないか」

「はぁ……」

おちょこを傾けながら高杉はアカツキに不満そうな視線を投げかけた。

「どうして艦長に直接聞かないんですか」

「彼女は苦手でね」

笑いながらアカツキは答えた。もう一杯、とおかみさんに手をあげる様子は心なしか浮かれているようにもみえる。

対して高杉はどこか居心地が悪そうだった。それもそのはず。ここはアカツキがいつも接待などで利用しているVIP専用の飲み屋で、普段は高杉などが利用できるようなレベルの店ではないのだ。カウンター席に座っていてもどこか周りの空気が違うように感じられた。

「ハーリーの様子はどうだ」

「ええ。安定してますよ。すっかり記憶障害も回復したようで、クルーにもなじんでます。もう問題ないでしょう」

「そうか。そいつは大きいな。これでルリ君の能力をフルに活かすことができる」

新しいお銚子から自分のおちょこに温かいお酒を注ぐと、アカツキはくいっと一気に飲み干した。

心底心地好さそうに深い息を吐くアカツキを横目に高杉は言葉を続ける。

「艦長のほうはあいかわらずです」

「のようだな。裏で動いてる様子は?」

「ここんとこ足跡は見つかっていません」

「彼女のハッキングをブロックするのは難儀だからねぇ」

「いまでも?」

「ああ。このまえは第13階層まで潜ってきてさすがにあせったよ。彼女には困ったもんだ」

「そうですか……」

「ほかには?」

「しいていえばパイロットの問題が多少」

「それはいいよ。まだしばらくはな」

「とすると、なにか掴んだんですか?」

「まあね。少しは見えてきた。君んとこにも接触あったんじゃないの?」

「ご存じでしょう」

「彼らは本気のようだ」

そういうとアカツキは鼻で笑う。

「オレ、もういやッスよ。こんな監視するようなまね」

「まあまあ。彼女らの暴走をとめられるのは君しかいないんだ。それともなんだい? おりるんなら止めはしないよ」

アカツキの言葉に高杉はなにも答えられなかった。

「期待してるよ、君には」

そしてサブちゃんにもう一杯! と、声をあげるアカツキはどこまでも上機嫌だった。

 

 

カツン……カツン……。

反響する自分の足音以外まったく人の気配がない通路をぬけ、月臣はだだっぴろい空間にでた。ここはネルガル重工月工場の最下層。通称XXX区域と呼ばれている場所で、主に次世代の近接戦闘用人型戦闘兵器を研究、開発しているブロックだった。

目の前には月臣もテストパイロットとして何度かシミュレーションをおこなったことがあるエステバリスの強化外殻、開発コード『ブラックサレナ』の機体があった。

完璧に調節された空調。一定の気温と清潔な空気が二十四時間保たれているここでは、木連時代の懐かしい埃と油の匂いを嗅ぐこともない。

威圧感を漂わせる黒光りする機体に近づこうと足を進めた瞬間、月臣は壁に積み上げられている作業用のコンテナに腰かけている男に気がついた。

NSSのメンバーならこのような手の込んだことをする必要もないし、技術者なら気配でわかる。アカツキとの用件も終わった。とするとここまで気配を消せる男はただ一人。

男は上着のポケットに手をつっこんだまま腰を上げた。

「久しぶりですね。月臣少佐」

薄明かりの下に姿をあらわしたその男はやはり高杉三郎太だった。

月臣はナデシコB+が実験航行から帰投したとのプロスペクターの言葉を思いだした。だがひさしぶりの再会にわき上がる感慨もなく、無言のまま高杉の前を通り過ぎようとする。

「少佐!」

いらだちを帯びた高杉の声が広大な闇の中に吸い込まれていく。

鼻をつく酒の匂いに、月臣はわずかにまゆをしかめた。

「……その肩書きはもう捨てた」

「それは失礼しました。ではなんと呼ばせてもらいましょうか」

「月臣でかまわん」

「それでは月臣元一朗。あなたはこんなところでなにをしている。光もなく薄暗いこんな場所で誰にも見られないように姿を隠したまま」

「答える義務はない」

「いや、ある。かつてあなたは多くの木連将校の光だった。盲信と傲慢に爛れた狭き世界のなかで自らの非を認め、決起したあなたに共感を覚えた人間は多かった。今ここに俺がいるのもあなたがいたからだ。あなたには我々の運命を決めた人間として答える義務がある」

しゃべっているうちに感情が高ぶってきたのか、高杉の声はますます大きくなってくる。

「あなたはなぜここにいる!」

糾弾するような口調にも視線をあわせない月臣。高杉のいらだちはますますつのっていく。

「では問おう。高杉三郎太。お前には守るべきものがあるか?」

「もちろんだ」

高杉は即答した。

「ならばそれが答えだ。私は守るべきものを失った。それはもともとどこにもなかったのだ。形あるものではない。みずからが作り出した虚像。そして、いまやそれは私の心の中から失われてしまった。お前には守るべきものがあり、私にはなにもない。それだけだ」

「そうやって無理やり自分を納得させているつもりか!? 信じたものが壊れるのが怖いだけなんだよ。いまのあんたは! あの事件のときだってあんた自身の中には正義があった。だけど今のあんたにはなにもねぇ! ただのクソだっ!」

吐き捨てるように叫ぶが、怒りは激しさを増すばかりだった。高杉はいっこうにおさまらない感情をぶつけるようにコンテナを力任せに蹴りあげると足早に姿を消した。

残された月臣はなにごともなかったかのように、止めていた足を動かしてブラックサレナの前に立つ。

差し出した手のひらに伝わってくるひんやりとした装甲の温度。

それが今の月臣には心地よかった。

 

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◆ 侵入

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ヒサゴプラン・ネットワーク。ターミナルコロニー『ホシノミ』。

荷物運搬用のシャトルが発着するゲート近くの第6ハッチ。そのすぐ脇、コロニーの土台となっている小惑星の岩肌がむき出しなった窪みに、宇宙服に身をつつんだ数十名の人影があった。光学迷彩シートにより覆われた彼らの姿は、すこし離れてみればまったく岩肌と見分けがつかない。

月臣と、彼に影のようにしたがう数十の黒づくめの男たちは通称NSS。ネルガル・シークレット・サービス。ネルガルを裏からささえる特殊部隊。その中でも特別に月臣に鍛えなおされ、この数ヶ月間ずっと彼のもとで様々な作戦を遂行してきた精鋭たちだ。

数分後にはゴート率いる第2部隊が陽動作戦を開始し、その隙に内通者によってロックを解除されたハッチから侵入する手筈になっていた。

 

コンコン。

静かに時を待つ月臣のヘルメットを叩くものがいた。有線通信用のコードがジャックに伸びてくる。

「しかしわりと簡単にコトが運びましたね」

月臣の耳に流れてきた声は副官のものだった。能力は優れているが無駄口が多いのが玉にキズの男だ。

「今のやつらのやり方は過激すぎる。この研究が人の道を外れていることに嫌悪感をもつ者もおおい。とくに木星生まれにはな」

「たしかに。嬉々としてやってるのは地球圏の研究者たちばかり。皮肉なもんです」

もはや大義は何処にもない……。

あの事件以来、月臣の胸にはぽっかりと大きな穴が空いていた。自らを突き動かしていた行動原理は崩れ去り、その場その場の状況に流されて生きてきたような気がする。この虚無感を忘れるためにNSSの仕事に没頭しているのかと問われると否定はできなかった。

そして今、テンカワという男が自分を変えてくれるかもしれない。そんな妄想にも似た感情が自分の中に生まれているのを月臣は感じていた。

「そろそろ時間です」

言われてはじめて月臣は所定の時間が近づいていることに気がついた。知らぬ間に物思いにふけっていたようだ。副官の会話はそれを気取ってのことだったのか。一瞬苦笑いを浮かべ、手で後ろに合図をおくる。

 

作戦はいたって簡単だった。ゴートの陽動に乗じ内通者の手引きにより侵入する。そして二手にわかれ、一隊は中枢最下層のネットワークが集約されている地点へむかう。

これから侵入する研究施設は完全に外界とは隔離されたスタンドアローンのネットワークを構成しており、遠隔地とのデータのやりとりはすべてオフラインで行うなど徹底的な機密保持を図っていたのだ。

ゆえにもう一つの目的である研究データの奪取と、救出作戦をサポートするためのハッキングをおこなうために遠隔通信装置を接続する必要があった。

そしてもう一隊はテンカワ・アキトが収容されている実験区域へ向かいすみやかに救出をおこなう。

 

月臣のフェイスウインドウにアラームが表示された。予定の時間がきたようだ。目の前でゆっくりと荷物搬入用のハッチが開いていく。

救出作戦が、はじまった。

 

 

そのころネルガル重工業会長付き秘書であり、かつ宇宙開発部部長兼兵器開発室室長でもあるエリナ・キンジョウ・ウォンは、ネルガル月工場のXXX区域にいた。彼女の隣では作業着に身を包んだ小太りの男が手すりにもたれて額の汗をぬぐっている。

「なるほどねー。ボース粒子の乱れがポイントってわけですか」

「ボソンジャンプをおこなう際には必ずボース粒子の乱れが生じることはしってるわよね。たとえ小規模な実験であってもそれは絶対に隠せないわ。今ではボース粒子の乱れを感知する無人探索機なんていくらでもつくれるし、センサーの性能もかなりの高精度なの。非公式なジャンプ実験なんてやってたらすぐに見つかっちゃうわ。だったら逆にヒサゴプラン・ネットワークのステーションのどこかに研究施設を隠すのが一番よ。わたしならそうするわね」

「火星か木星の可能性は考えなかったんですか?」

「クリムゾングループや反ネルガル企業の援助なくしてジャンプ実験なんてできるとおもう? 莫大な資金と高度な施設が必要なのよ。しかも誰にも知られず進める必要がある。火星や木星でやるにはリスクが大きすぎるわ。ここでもヒサゴプランの施設を利用しているという結論に達するのが当然ね」

「いわれてみりゃ納得ですね。だったら、もう少しねばって情報を集めて彼女のジャンプで直接強襲するほうが確実だと思うんですがね。被害もすくなくてすむでしょうし」

「それはだめ。今はまだ手の内を見せる時期じゃないわ」

「慎重ですね」

「しかたないわよ。この戦いは一瞬で情勢がひっくり返るんだもの」

「騎士に妖精と馬を与えてお姫様を救出っと。ぱっと聞くぶんにはいい話なんすけどね。めでたしめでたし、ではすみそうにないところがなんとも胸がいたいですわ」

男の皮肉をこめた言い方に対して、エリナはするどい視線を投げつけた。

「調整つづけてちょうだい」

「へいへい」

男は肩をすくめるとその場を後にした。男が階段を降りていく先には黒光りする機体がある。

『ブラックサレナ』

遺伝子操作によって生まれたオペレータによるバックアップで思兼クラスのAIと直結。その能力を最大限に活かし、母艦の重力波が届く範囲であれば無敵の強さを発揮するエステバリスの強化外殻。単独ボソンジャンプ機能も兼ね備え、A級ジャンパーでありパイロットの才能も持ち合わせているテンカワ・アキトの専用機といっても過言ではなかった。

そして『テンカワ・アキト』

フレサンジュ博士も認めるジャンパーとしての才能。加えてパイロットの技量も高杉大尉やスバル中尉に勝るに劣らない。彼ほどにジャンパーとパイロット両方の才能を兼ね備えるものはほとんどいない。

さらにはナビゲータとの思考リンクを可能にするナノマシン注入実験にも耐えられたと聞く。これだけの資質、耐性を持っているのには、火星生まれというだけでは説明できないなにかがあるはずだ。やはり両親の研究に関係があるのだろうか。

エリナの脳裏にアカツキとの会話が浮かぶ。

『決まってんじゃないの。世の中ギブ・アンド・テイクなのよ。僕たちは彼に戦いの道具をあたえる。そのかわり彼は僕たちの邪魔になるものを消す。どっちもハッピー。これまでだってそうだったじゃない。いったいどうしたのよエリナくん。いまさら』

『お互いの……利害が一致しなくなったときは?』

『さあ。そのときに考えるさ』

テンカワ・アキトとふたたび会うことができる。

しかし、その喜び以上に彼を待ちうけている運命を思うと、エリナの心は重く沈んでいくのであった。

 

 

ここが最後だな。

月臣は数人の部下とともに薄暗い部屋のなかにいた。内通者より入手した構成図によると、この部屋が回線の重要な集約点となっていた。

東側の壁にはいくつもの穴があけられ、そこから何本ものケーブルが床においた機械へと繋がれている。完全に独立したネットワークで構成されているこの研究施設をハッキングするための中継器だ。

そしていま最後の一本が端子に接続された。数十秒もすれば施設内の重要なシステムは支配下に置くことができるだろう。

緊張がゆるんだ瞬間。振動とともに大きな爆発音が月臣の耳を打った。さきほどから聞こえているゴート率いる陽動部隊の戦闘音ではない。すぐ近くからだった。

月臣は室内にいた部下に向かって指を二本立てると素早く廊下に躍り出た。その後ろを二人の黒服が従う。

廊下に出ると今度は銃声までもが聞こえてきた。銃を使うのは可能な限り控えるようにとの指示を下していたはずだ。つまり予期せぬ事態が起こったということだ。

方向からすると三番目の中継器付近か。月臣は走る速度をはやめ通路を駆け抜けていく。

 

 

最後の曲がり角から飛びだすと恐れていた光景が月臣の目に入ってきた。

壁に飛び散った血の跡。不自然にねじ曲がった腕。微動だにしない頭のない身体。大口径の機銃掃射を浴びちぎれ飛んだ肉塊。

そして、その死体の向こうにある大きな影。NSS最大の敵、クリムゾン・ガードの中でも精鋭である機械化攻撃部隊の誇るパワードスーツが一体、威圧感を漂わせていた。

身体を包む強化装甲は筋力を数倍に高め、各種センサーと神経を直結したシンクロシステムは反応速度を飛躍的に伸ばしている。有毒ガスや熱、寒さ、無重力下での行動も想定し、あらゆる環境においても優れた戦闘能力を発揮できる。さらには弱いディストーションフィールドをも装備し、人間が持ち運べる程度の火器であれば完全に無効化できる恐ろしい兵器であった。

しかしその代償も大きく、操縦者は強度のナノマシン注入とサイボーグ化を受ける必要があった。

 

「やはり貴様だったか! 月臣ぃぃっ!!」

興奮にうわずった声がパワードスーツの外部スピーカーを通じて通路に響きわたった。

自分の名前を知っているということは少なくとも士官クラスの連中か、あるいは以前に戦闘した相手の生き残りなのかもしれない。なにも知らない相手ではないということだ。月臣は気を引き締めた。

「あの程度の戦力なら出る幕もなしと思っていたが。やはり陽動だったな」

月臣は相手に気づかれぬようすこしずつ前進する。

「っくっくっく。すでにこのブロックは閉鎖した。応援も呼んである。おとなしく俺の前に這いつくばれば、部下の命は助けてやらんでもないぞ」

圧倒的優位を確信し余裕をみせる相手にたいして、月臣はそれほど脅威を感じなかった。この距離まで近づかせるとは、感情が入りすぎて判断力がにぶっているとしか思えない。この距離なら接近戦にもちこめる。

月臣はすでにこのパワードスーツの性能は把握していた。前回の戦闘で捕捉したスーツの解析結果はすぐにNSSの全メンバーに送られていたのだ。

月臣はちらりと背後の黒服を見やった。男は腕のコミュニケータに視線を落とすと小さく頭を縦に振った。どうやら際どい差でシステムの掌握も完了したようだ。おそらく警報システムもダミーを掴ませているに違いない。

そう確信すると月臣はすっと前へ足を踏みだした。

「あいかわらず気どった野郎だな。容赦はせんぞ」

自分の言葉を無視された怒りが声に混じっている。

「私がなぜいつも生身なのかわかるか?」

不意に得体の知れぬ憤りが月臣を襲った。いつもそうだ。私の周りには戦いしかない。戦いばかりだ! 戦って戦って、その先になにがある!?

「ああん? 知らんなっ!」

パワードスーツの腕に備えつけられている銃口が火を噴き廊下に穴を穿つ。

だがその直前、膨張した風船が弾けたかのように、月臣のからだが飛び跳ねていた。壁を蹴り宙を舞いパワードスーツの視界から消える。

「ちっ」

着地予測位置に銃口を向けたときには、すでにそこに月臣の姿はなかった。通常の行動予測範囲を遥かに超えている動きだった。次にパワードスーツが月臣の姿を捕らえたときには、すでに火器を使える距離ではなかった。素早く接近戦モードへとシステムを移行する。

「いかに優れた機械を利用しようと、しょせんは人間が作ったものだ。予測もできるば限界もある」

ぐぅん。さきほどまで月臣の頭が存在した空間を巨大な機械の腕が通過していく。直撃すれば原形もなく粉々になるだろう。

「この狭い空間でそれが最適な戦い方といえるのか?」

繰り出されるパンチをかわしながら、月臣は怒気を含んだ言葉を投げつけた。

「鎧に身を守られているという安心感が判断を鈍らせるのだ」

常に背後をとるような動きにパワードスーツは翻弄される。

「力のなんたるかを知らぬものに力は使いこなせない。貴様は力に使われているのだ!」

ことごとく空を切る攻撃に怒りが頂点に達したのか、パワードスーツは吠えるような唸り声をあげて、両腕を大きく振り上げつかみかかろうとした。

「うおおおおおお!!!」

怒りのあまり制御動作が乱れているのをみてとった月臣は、軽く身をかわすと背後に回り込んだ。そしてバランスを崩し、二、三歩たたらをふむ後ろから、膝の関節の裏あたり、もっとも負荷がかかっているジョイント部分に強烈な蹴りを入れた。

ガクン。

その衝撃にパワードスーツは堪え切れず膝をつく。

時間は十分だった。パワードスーツが立ち上がり後ろを振り向いた瞬間。腰を落としてためを作った姿勢から、月臣の掌底が気合いの声とともに胴体の中心部に打ち出された。

打点と力点をずらすことにより、任意の距離で力を爆発させることができる木連式柔奥義『七針六破』。いかに固い鎧であってもこの技には意味がない。

一瞬だけスーツ全体が震えた。そしてゆっくりと膝をつき、前のめりに床に崩れ落ちていく。

月臣は荒い息をつきながら相手が二度と動かないことを確認した。息が荒いのは体力の消耗のためではない。怒りに身を任せた自分に対するいらだちだった。

自らの未熟さを恥じ、木連式呼吸法により息を整え気を静める。

「終わったな」

これで内部の障害はとりのぞいた。すでにシステムを掌握したいま任務は九割方完了したといえる。あとは彼を救いだすだけだ。そろそろ別働隊がオペレーションルームを制圧しているころだろう。すでに彼を救出しているかもしれない。

もうすぐだ。

テンカワ・アキト。

……俺を、救ってくれるか。

 

<おわり>



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