誰かが君の扉を叩いてる
「えーっ!!」
そんなの聞いてないッ!
部活でヤなことがあって憂鬱な気分だったあたしは、すっかりそんなことも忘れて大声をあげた。
食卓についたとたん、いきなり『駿平と札幌に行ってこい』だなんて、なにを考えてるのかしらこの家族は!
『ちか子には伝えてあるから』って、ママそんな問題じゃないでしょお!!
いくら福引きで当てた温泉旅行に行ける人がいないからって、
「なしてあたしがあいつと二人で出かけなくちゃいけないのよ!」
「だって〜。もったいないでしょお?」
「あたしも馬の世話で忙しいし。一緒に行ってきたらいいっしょ」
「札幌の近くだからついでに北大でも見学してきなさい。地元の高校に進むことを認めたからって、大学は譲りませんからね」
う……。なんなのよ、この打ち合わせたような口撃は!
「そ、そ、そんな問題じゃなくて、年頃の女の子を男と二人っきりで旅行に行かせるなんて、なんとも思わないのかってことよ!」
「だから泊まるところだけはちか子にお願いしてるって言ってるでしょ」
「たづなちゃん、いつもしっぽのことバカにしてるくせに、やっぱり意識してるんじゃ――」
あんたはうるさいっ!
ポカッ。
「いった〜い!」
とっくに食事を終えていたひづめを隣の部屋に追い払おうとしてると、
「あたしの許可はいらないからさ」
三日前のアイスクリーム事件で冷戦状態に突入していたひびきちゃんが、ぼそっと意地悪く言ってきた。
ずっと前のことまだ根に持ってるんだわ……。
あたしがひびきちゃんを睨みつけたそのとき。
「こんばんわ〜」
「あ、しっぽだ!」
な、なんでこんな時にあいつがやってくるのよ……!
あたしが口をぱくぱくさせてるのに気づいたのか、パパが申し訳なさそうに頭を掻いた。
「私が呼んだんだよ。将棋の相手をしてもらおうと思ってね」
「ちょうどいいところに来たわね。駿平君にも言っておかなくちゃ」
「も、もぉ、勝手にして!」
あたしはあいつが顔を出す前に階段を駆け上がると、部屋に戻るなりぽふっとベッドに倒れ込んだ。
階下からはみんなの笑い声が聞こえてくる。
きっとあいつがからかわれているんだわ。
オロオロしてる顔が目に浮かぶ。
みんな勝手なんだから……。
あたしは小さくつぶやくと、みんなの声が聞こえないように枕を頭の上にかぶせて布団の中に沈み込んでいった。
* * *
「……ぺーくん、天……良くなって……」
「たづ……ん、……だか眠……ね?」
ぼんやりとした頭の中を、おねえちゃんの声が素通りしていく……。
「たづなちゃん? 起きてる?」
今度はすぐ近くから声がした。
重たい瞼をゆっくりと開けると、あたしの顔をのぞき込むようにしてるしゅんぺーの顔が目の前にあった。
「―――!」
あたしは慌てて目をぱちくりさせた。
いつの間にかうつらうつらしてたみたい。
「だっ、だいじょーぶよ! おねえちゃんの運転があんまりのんびりしてたから」
そうだ。あぶみおねえちゃんに、静内の駅まで車で送ってもらってる途中だったんだわ。
つい居眠りしてしまったのは、昨日の夜、なんだか寝付けなかったせい。
緊張したとか、興奮したとか、そんなんじゃないんだけど……。
眠気覚ましに車の窓を開けると、ひんやりとした朝の空気が流れ込んできた。
なし崩し的に決まったしゅんぺーとの温泉旅行。
一日目の今日は、札幌を観光して―――北大も見て来なきゃなんないんだけど―――から温泉に向かう予定になってた。
静内駅を八時半に出る汽車で発てば、苫小牧で特急に乗り換えて、札幌にはお昼前に着くことができる。
ちょうど学校で嫌なことがあったばかりだし、久しぶりに札幌で遊べるのは嬉しかったけど。
ちらっと隣に座っているしゅんぺーを見ると、楽しそうにあぶみおねえちゃんと話してる。
―――なんで、こんなにいらいらするのかしら。
あたしは顎をとがらせると、また視線を窓の外に戻した。
そうやってぼーっと窓の外を見ているうちに車はようやく静内駅に着いた。
通勤の時間をちょっと過ぎていたせいか、人影もまばらで、駅前に乗り付けたあたしたち以外には、タクシーの運転手さんたちがたむろしてるのが目立つくらい。
車を降りて荷物をトランクからひっぱりだしてる間も、おねえちゃんとしゅんぺーの会話は続いてた。
「じゃ、駿平君。たづなをよろしくね。あの子、意外とそそっかしいところあるから」
「はい。お任せ下さいっ」
しゅんぺーが力強く答える声が聞こえた。
どうせ鼻の下を伸ばしてるに決まってんだわ。
「たづなちゃんは、おれが無事に連れて帰ってきますので、ご心配なく!」
なに言ってんだか。
相変わらず調子だけはいいしゅんぺーが、ようやく荷物を降ろしに後ろへやってきた。
あたしの顔を見るなり、
「いい天気になって良かったね、ホント」
と、にこにこ笑って、地面に置いてたあたしの荷物も一緒に担ぎ上げて歩きはじめた。
「あ……」
「いいからいいから」
引き止めようとするあたしに、しゅんぺーは軽く手を振って答える。
そのままずんずん駅に向かって歩いていくので、あたしもあぶみおねえちゃんに手を振って別れを告げると、急いでしゅんぺーの後を追った。
なんだか調子狂っちゃうわね。
駅に入ると、あたしは辺りをきょろきょろと見回しながら、しゅんぺーの後に続いた。
しっかりしてるってよく言われるあたしだけど、実は牧場の経営や生徒会の運営以外はてんでダメ。
クラスのみんなみたいに友だちだけで札幌に遊びに行くことも滅多に無いし、こうやって両親以外と旅行するのはもちろんはじめて。
今回の旅行も本当は少し心配だった。
しゅんぺーは慣れた様子で切符を二人分買うと、迷うことなくホームへ歩いて行く。
その間、あたしは後ろをただついて回るだけだった。
改札口を抜けてようやくしゅんぺーの隣に並ぶ。
「結構慣れてんだ」
今日はじめてあたしから声をかけた。
「え?」
「旅行とかって」
「うん、まあ、旅するのは好きだからね。バイク以外でも」
「ふ〜ん」
そういえば、しゅんぺーがバイクで北海道に来たのは2回。
それ以外は飛行機や―――汽車に乗って色んな名所を回ってきたこともあるって言ってたっけ。
牧場でこき使われている姿しか見てないから、あんまり想像つかないけど。
そう思いながらしゅんぺーの方を見ると、歩きながらきょろきょろと上の方を見上げてるのが気になった。
「なに見てるの?」
「禁煙車はどこかなって。煙草、嫌いでしょ?」
「あ、うん。うちは誰も吸わないし……」
「だったら、こっちだね」
ホームの先の方を目指して歩き出すしゅんぺー。
あたしは、また慌てて後を追う。
ふ〜ん……。
いつもはお調子者で、優柔不断で、頼りないヤツだけど、この時ばかりは少しだけ頼もしく見えた。
* * *
海岸沿いを静かに走り続ける列車の中で、あたしたちは二人掛けの座席に隣同士で座っていた。
さすがに平日の―――あたしは別に週末でもよかったんだけど、せっかくだからってママに休まされたの―――この時間だと、乗っているのはおじいちゃんやおばあちゃんばかり。
お陰で車両の中も静かなもので、それにつられてか、あたしたち二人の間でもさっきから沈黙が続いてた。
なにか話したくても、きっかけが掴めなかったし、そもそもなにを話せばいいのかわからないんだわ、これが。
しゅんぺーもさっきから隣でそわそわしてる。
もし相手がひびきちゃんだったら、こんなに居心地悪そうにしてないはずなんだろうなぁ…。
「ひびきちゃんと一緒の方が嬉しかったんでないの?」
横目でしゅんぺーの顔を見てると、思わずあたしの口からこんな言葉が漏れた。
「え? ど、どうして?」
思いっきりうろたえるしゅんぺー。
―――バカ。
「……だって、いつも仲良さそうにしてるっしょ」
無意識のうちに口調が冷たくなった。
「う〜ん……」
しゅんぺーが眉を寄せて唸りはじめた。
ホントに悩んでるみたい。
「ほら、ひびきさんとは年も同じくらいだし、いつも一緒に仕事してるじゃない。だからずいぶん慣れてるっていうの? 喋りやすいからそう見えるんじゃないかな」
腕を組んでうんうんとうなずいていたしゅんぺーが、あたしの方を見た。
「たづなちゃんとは勉強の話ばっかりだろ?」
こくん、とあたしは小さくうなずいた。
確かにしゅんぺーと会うのは、ほとんどが宿題を教えてもらうとき。
だって、それ以外に理由もないし……。
「だから、おれ。こうやってたづなちゃんと一緒に旅行できるのって、結構嬉しかったりするんだ」
―――え?
「なんとなくたづなちゃんには避けられてるような気がしててさ」
―――そ、そんなことないわ。
「最初があんなだったしね」
苦笑するしゅんぺー。
あたしもはじめてしゅんぺーに会ったときのことを思い出して恥ずかしさで顔が熱くなったけど。
そんな風に思ってくれてたなんて急に元気が出てきた。
「それに、今日のたづなちゃん、大人っぽくてビックリしちゃったな」
鼻の頭を掻きながらしゅんぺーが言う。
「ほんとにぃ……?」
あたしは照れながらも、しゅんぺーに疑いのまなざしを向けた。
だって、いつも調子のいいことばっかり言ってるし。
でも、言われてみれば―――
身体にぴったりした薄茶色のセーター。
もちろん柄はついてないシンプルなもの。
袖が少し長めなのが、ちょっと気にいってる。
ハイネックだから、あぶみおねえちゃんにネックレスも借りてみた。
そしてゆったりとしたショートパンツに黒いストッキング。
―――確かに普段しない格好だわ。
そのことに気づいたとき、なんだか急に恥ずかしくなって、しゅんぺーの視線を避けるようにあたしは窓の方に身体を向けた。
遠くに馬が見えた。
「あ! しゅんぺー!」
ここらへんって、確か……。
「あれ、たぶん東川牧場の馬だわ。あぶみおねえちゃんに気がある跡取り息子がいる―――」
声がはしゃいでるのが自分でもわかった。
隣で窓に張り付くようにして外を見てるしゅんぺーの顔がなんだかおかしかった。
―――もしかして、あたしって意外に単純なのかもね。
* * *
ぽて―――
冷たい感触が気持ち良い石造りのベンチに腰を下ろすと、あたしは自動販売機に駆けて行くしゅんぺーの後ろ姿を目で追った。
ここは北大の構内でもちょっと端の方にある小さな広場。
あたりに学生の姿はほとんど見かけないけど、今日は平日だからもちろん授業もあるわけで、学生の人たちが沢山いる中を大学に入ってくるのはちょっと恥ずかしかった。
札幌に着いたのは十一時ちょっと前。夕方までには温泉に入って、ちか子おばちゃん家に戻ってこないといけなかったから、今日の予定は北大を見て回るだけにしてた。
そんなわけでブラブラと歩き回ってたんだけど……。
噂通り、ホントにボロいんだわ。
国立の大学はたいていこんなもんだって、しゅんぺーは言ってたけど、それにしてもうちの高校よりひどいだなんて、なんだか夢が無くなっちゃう。
そりゃ、伝統のある大学だから建物が古いのはわかるけど、今にも剥がれ落ちそうな壁のタイルとか、ひびの入ったガラス窓とか、蜘蛛の巣が沢山張ってる自転車置き場とか、もうちょっとどうにかならないものかしら。
それとも、そんなことが気になるあたしが細かいのかな。
そうやってぼんやりと向こうの方に見える文学部の建物を眺めてると、しゅんぺーがジュースを持って帰ってきた。
ちょっと息を切らしてるみたい。そんなに急がなくてもいいのに。
「はい」
「ありがと」
オレンジジュースを受け取ったあたしは、一口飲むと小さく息をついた。
「疲れた?」
しゅんぺーがあたしの顔をのぞき込む。
「ちょっとね。あたし人混み苦手なんだわ」
苦笑いを浮かべて、あたしはもう一口オレンジジュースに口をつけた。
「じゃ、ここで少しゆっくりしていこうか」
そう言うと、しゅんぺーは隣に腰を下ろした。
ゆっくりと足を伸ばして、気持ちよさそうに涼しい風を受けてる。
あたしもサラサラとなびく髪を手で押さえつけながら、軽く伸びをした。
天気もいいし、なんだか気持ちいいわ……。
そういえば、時々この広場を横切る学生の人たちが、珍しそうにあたしたちを見ていくけど、どんな風に見えてるのかしら?
しゅんぺーは大学生でもおかしくない年だから変には見えないだろうけど、隣にいるあたしは……。
コホン。
頬を赤くしてあたしは一つ咳払いをした。
そして、耳たぶの熱がおさまるのを待ってから、ゆっくりとしゅんぺーの方を振り向く。
「もういいわよ」
「そう?」
しゅんぺーがすっくと立ち上がった。
「じゃ、昼御飯食べてから、温泉の方に向かおうか?」
あたしは左手首をくるっと回して腕時計を見ると、
「うん」
と、小さくうなずいて、歩き出したしゅんぺーの後を追った。
さっきより半歩だけ近づいて。
* * *
しゅんぺーが昼食に選んだのは、なんの変哲もない普通のレストランだった。
私はファーストフードでもいいって言ったんだけど、一応しゅんぺーなりに気を使ってくれたみたい。
それにしても、二人で向かい合って座るのはなんか変な気分だったわ。
照れくさいってゆーか、顔、上げにくいのよね……。
しゅんぺーはナントカのドリアを、あたしは木の子のパスタを頼んだんだけど、二人とも歩き回ってお腹が減っていたせいか、食事中はあまししゃべらなかった。
あたしが前からしゅんぺーに聞きたかったことを尋ねてみたのは、食後のデザートが出てくる頃だった。
「あのさ、しゅんぺーも本当だったらさっきの人たちみたいに大学行ってたんでしょ? うちみたいな牧場に来て本当に後悔してないの?」
プリンをつついていたスプーンの動きを止めて、しゅんぺーが顔を上げた。
あたしが真面目な顔をして聞いたもんだから、どう答えていいのかちょっと迷ってるみたい。
「うん……まぁ、どうせ落ちこぼれだったしね」
しゅんぺーはいつもの苦笑いを浮かべながら言ったけど、よく勉強を教えてもらってるあたしには、それが本音だとは思えなかった。
「でも、あんた教えるの上手いし、本気出せばいいところに行けたんでない?」
「いいところって?」
「レベルの高い大学」
「親が喜ぶような?」
しゅんぺーらしくないトゲのある言い方に、あたしはちょっとびっくりした。
それに気付いたのか、
「あ、ごめん。ちょっと言い方が悪かったかな。たづなちゃんも知ってるでしょ、ウチの親父。昔、牧場にオレを連れ戻しに来たことあったじゃない」
慌ててしゅんぺーが言い直した。
親子喧嘩みたくなってビックリしたあの時のコトね。
あたしもうなずき返す。
しゅんぺーが実は頑固だってこと、あの時はじめて気付いたんだっけ。
「最初は親父に反抗する気持ちの方が大きかったんだけど、あれから色々経験してさ。ヒルダのこととか。うまく言えないんだけど、オレ、あそこの生活に満足してるんだ。向こうで予備校に通ってた頃に較べて、毎日が本当に充実してるよ」
しゅんぺーが生き生きとした様子で喋ってるのを見ると、あたしもなんだか嬉しくなっちゃって、それ以上は口を挟まずにしゅんぺーの話す牧場のことをニコニコしながら聞いてた。
今の生活を本当に楽しんでるみたいでちょっと安心した。
したら、今度はしゅんぺーの方があたしに尋ねてきた。
「そういえばさ。たづなちゃんって、馬乗らないよね。厩舎にもあまり顔見せないし、馬が嫌いなの?」
いつか聞かれると思ってた質問だった。
実際、あたしは馬に乗れないし、厩舎にも滅多に顔を出さない。
しゅんぺーは学校にも行かずに馬の世話ばかりしてるひびきちゃんを見てるから、較べられるのもしょうがないわよね。
あたしはチラッとしゅんぺーの顔を見ると、
「嫌いってわけじゃないんだけど、生まれたときから馬が側にいたから、別になんとも思わないんだわ。しゅんぺーには悪いけど、あたしたちにとって馬って食べていくための商品なの」
しゅんぺーが嫌な顔をするのは分かってたけど、嘘はつきたくなかった。
それに、牧場の仕事に妙なロマンを持ってもらいたくないのは、あたしもひびきちゃんと同意見。
それが通じたのか、しゅんぺーも少し眉をひそめただけで反論はしてこなかったわ。
物心つく前から何度も馬の生き死にを見せられたら嫌でもこうなっちゃう。
馬に愛着が無いってワケじゃないけど、そんなこといちいち気にしてたら、うちの規模くらいの牧場はやってけないし。
そーゆー点では、あたしはママ似で、しゅんぺーはパパに考え方が近いのかもしれないわね。
「そうかぁ……。それじゃ、牧場は誰が継ぐのかなぁ。あぶみさんは危なっかしいし、ひびきさんも経営するって柄じゃないし……」
しゅんぺーが独り言のようにつぶやいた。
「あたしが継ぐことになるんじゃないかな」
アイスクリームにスプーンを突き立てると、あたしは当然のように言った。
しゅんぺーがビックリしたようにあたしの顔を見つめる。
そう。馬は好きでも嫌いでもないんだけど―――
「育てた馬の活躍を見て一喜一憂してるお姉ちゃんやパパ、それに向こうで頑張ってるユウちゃんたちを見てるのは楽しいんだわ。そんなみんなを助けるのは好きなの。だから、しょうがないかなって、昔から思ってた」
大学に進むのも半分は一般常識を学ぶためで、もう半分は思い残すことの無いように遊ぶためかもしれない、と最近漠然と思ったりしてる。
あたしは苦笑して言葉を続けた。
「でも、あんな牧場じゃなかなか人も集まらないし、良いお婿さんだって来てくれないわ」
競馬自体の人気は高くなってるけど、昨今の不況のあおりで小さい牧場はバタバタと倒産してるし、数少ない働き手も、人気のある強い馬を持ってる大きな牧場―――醍醐みたいなところに流れちゃう。
バブルの頃はまだマシだったのに……なんて、この年にしてこんなこと気に病むなんて、すっかりママに教育されてるわね、あたしも。
「そんなことないと思うけどなぁ。本当にいい牧場だよ、あそこは」
気がつくと、しゅんぺーが語気を強めて身体を少し乗り出していた。
ホントにお気楽なヤツ……だけど、それだけうちの牧場を好いてくれてるんだと思うと、あたしはまた嬉しくなって、
「だったら、あんたがオーナーになってみる?」
と、思わずニコニコして聞いてみた。
「え? オレが?」
しゅんぺーはビックリしたように目を見開いた。
……ん?
なんか顔まで赤くしてるけど、あたしへんなこと言ったかしら……って、ああああっ!
「そ、そ、そ、そんな意味じゃなくて、別に、あの、その、あくまで例えとしてであって―――」
あたしは慌てて弁解を始めた。
頬が火照ってるのが自分でもよくわかる。
言葉はしどろもどろだし……あー、もぉ!
しゅんぺーもさらっと受け流してくれればいいのに、なに赤くなってんのよ!
「―――ほら、それくらい、うちの牧場を気に入ってるかってことよ!」
「そ、そうだよね。あー、ビックリした」
ほっとした顔でつぶやくしゅんぺー。
あたしも半分浮かしていたお尻を、ぺたんとおろした。
そして、気まずい沈黙。
「……」
「……」
「……あ、バスの時間」
「えっ……あ、ホントだ。そろそろ行かなきゃ」
よかった……バスの時間がきた。
あたしは大げさな身振りで立ち上がると、俯いたまま伝票を取ろうと手を伸ばした。
「あ、いいよ。ここ、オレが払うから」
その手を遮るようにして、しゅんぺーが言う。
「でも……」
「こーゆー時は、年上の言うことを聞くもんだよ」
しゅんぺーは笑いながら伝票を手に取ると、出口へ歩き出した。
あたしは仕方なくその背中を追ったけど、素直に奢ってもらってよかったのか、それとも自分で払った方が印象がよかったのか、そんなことをしばらく悩んでた。
* * *
「あっ!」
目的地の温泉街が視界に入ったとたん、あたしは思わず大きな声を上げてしまった。
隣でしゅんぺーがくすっと笑ったのを見て、慌てて手で口を押さえる。
子供っぽく見られなかったか、ちょっと恥ずかしかった。
「な、なによぉ」
あたしは不愉快そうに口を膨らませたけど、本気で怒ってるわけじゃなかった。
どちらかというと少し笑ってたかもしれない。
こーゆー旅行ってはじめてだから、なんだか浮き浮きしてるのが自分でもわかる。
あぶみお姉ちゃんが福引きで当てた温泉は、札幌からバスで30分くらい離れた所にあった。
平日だったからか、ほとんどお客さんの乗っていないバスに揺られて、あたしたちはこの小さな街に運ばれてきた。
着いたのは午後三時過ぎ。
お湯につかった後、また札幌に帰ることを考えると、あんまりのんびりとする時間はなかったので、あたしたちはさっそくしゅんぺーが泊まる旅館に行って、そこの温泉に入ることにした。
浴衣姿のおじいさんやおばあさんたちばかりが歩いている細い石畳の道を通ってたどり着いたところは、そんなに綺麗じゃなかったけど、歴史を感じさせるいい雰囲気の旅館だった。
しゅんぺーが宿泊の手続きを済ませる間、あたしはぼんやりと玄関の造りとかロビーに飾られてる絵とかを眺めてたんだけど。
玄関を出入りしている人たち―――たぶんここの宿泊客だと思う―――が、物珍しそうにあたしたちに視線を投げかけて行くことに気が付いた。
ま、確かに、まだ高校生くらいのカッ……男女が平日の昼間っからこんなところにいるなんて、誰でもちょっと気になるわよね。
自分でも、なんでこんなことになったのか、頬をつねりたいくらい。
よく考えたら、これまでしゅんぺーと話したことあるのは、受験とか勉強のことばかりで、そんなに仲良くしてたワケじゃないのに……。
とにかく、さっきから露骨にこっちを見ているおばさん三人組のことが気になって、
「は、早くいこ」
あたしはしゅんぺーの手を引っ張るようにして温泉の方へ急いだ。
そして、さっきの受付のとこを待ち合わせの場所にして、さっさと温泉に入ることにした。
* * *
ひっろ〜〜〜〜〜〜い!
思わず大きな声を出したくなるほど大きい浴場だった。
当たり前だけど、この前みんなで入った寮のお風呂の何倍もおっきい。
浴場の半分は露天風呂みたいに天井が無くて、外の冷たい空気に触れた湯気がすごい湯煙になってた。
ぽちゃ。
「ん……」
あたしは湯船につかると、ゆっくりと手足を伸ばした。
そんなに歩き回ったわけでもないのに身体がすごく疲れてる。
肩も凝ってるし、やっぱり緊張してたのかしら。
しゅんぺーと二人っきりで出かけるなんてはじめてだもんなぁ。
「ふぅ……」
もう一回大きく息を吐くと、あたしはごつごつとした大きな岩に背中をもたれて、今日の朝のことを思い出してみた。
ひびきちゃんがあたしたちの見送りに出てこなかったこと。
別に愛想がないのはいつものことだけど、用事があるからって慌てて厩舎の方に向かったの、なんだかわざとらしかった。
それから、出発の時、しゅんぺーがキョロキョロとひびきちゃんを探してるような気がして、ちょっと不愉快な気分になったのを覚えてる。
あの二人って……。
少なくともしゅんぺーがひびきちゃんのこと気になってるのは、あたしにもわかる。
そんなにバカじゃない。
でも、ひびきちゃんがそのことに気づいてるのかはよくわかんない。
以前と態度が違ってきてるのは確かだけど。
腹が立つのは、意識してるにしろ、無意識にしろ、ひびきちゃんがしゅんぺーの好意を無視するようやたら厳しく接してるように見えること。
なんだかあの二人を見てるといらいらしてくる。
あたしだったら……。
ううん。そんなことない。
あたしは自分自身に言い聞かせるように頭を振って、暖まった身体を湯船から引き上げた。
ほんのりと赤く染まった身体から湯気が立ち上った。
* * *
「どう?」
しゅんぺーの心配そうな声に、機械的なメッセージが重なる。
『おかけになった電話は、電波が届かない場所にあるか……』
さすがに10回も同じメッセージを聞くと、あたしも諦めるしかなかった。
ちかこおばさん、この時間しか連絡つかないからって言ってたのに……。
あたしは呆然とした顔でしゅんぺーを振り返った。
「やっぱり繋がらない?」
「うん……」
お風呂から上がったあたしは、行く前に約束してたように、今日泊めてもらう予定になってたちかこおばちゃんトコに連絡してみたの。
そしたらこの有様。
自宅の電話はもちろん留守電。
携帯も切ってるってコトは、きっと例の男の人と旅行にでも行ってるに違いない。
たぶん今日は帰ってこないわね。
あたしは頭を抱えてしゅんぺーの顔を見た。
「どうする?」
しゅんぺーが心配そうに尋ねてきた。
どうするって言ったって……。
あ、そうだ!
「宿泊券、二人分なんでしょ?」
「え? うん、そうだけど」
「だったらちょうどいいじゃない。あたしもここに泊まるわ。有効利用ってやつよ」
我ながら良い考えだと思ったけど、しゅんぺーはなんだか慌てた様子で、手に持った宿泊券に視線を落とした。
「え、あ、でも……」
「なに?」
「これ、二人一部屋だよ?」
「ええっ!?」
言われてみれば、こーゆーのって普通ペアご招待だから、同じ部屋でもおかしくはないか……。
あたしはちらりと壁に掛かっている時計を見た。
まだ静内に帰れない時間じゃないけど、せっかくの旅行が突然終わっちゃうのって、なんだかがっくしきちゃう。
たぶんそんな気持ちが顔に出てたんだと思う。
しゅんぺーがぽんと手を叩いて、いいアイデアを出してくれた。
「交渉して別の部屋をもう一つとってもらおうか? たぶん、ちょっとお金出せば大丈夫だと思うよ。平日だしね」
一瞬、あたしは喜んでうなずきそうになったけど、ママとパパの顔が頭をよぎって、喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
たぶん……いや、絶対いい顔しないわよね二人とも。
別になにかあるってワケじゃないけど、この前しゅんぺーとひびきちゃんが一緒の部屋に泊まったときも、なんだかんだ言いながら結構気にしてたし。
でも今回は別に同じ部屋なわけじゃないし。
きっと大丈夫よね。
うん。
あたしはくいっと頭を上げると、できるだけ平気な顔をして、
「あ……そ、そうね。うん……えーと、うん、お願い」
心の中ではドキドキしながら、しゅんぺーにそう答えた。
* * *
結局ママとパパの説得にはそんなに時間がかからなかった。
せっかく学校まで休ませたんだからってのもあるんだろうけど、きっとしゅんぺーのことを信頼してるんだからと思う。
信頼―――とゆーより安心してるのかな。
あたしが言うのもなんだけど、しゅんぺーってかなり奥手みたいだしね。
この前真理子さんって人が来たときも、そんな感じだったもんなぁ。
あれで昔は恋人同士だったって言うんだから。
まぁ、そんなワケで、あたしとしゅんぺーはこの旅館に一泊することになったの。
宿泊の手続きも兄妹ってことにしたから全然問題なかった。
別々の部屋にして下さいってお願いしたときはちょっと変な顔されたけど、もう子供じゃない年頃だから、そのへんを詮索されることもなかったわね。
でも、自分の名前を『久世たづな』って書くときは、ちょっとヘンな気分だった。
部屋に案内された時にはもう夕方の5時近くになってたので、あたしたちは夕食までお互いの部屋でのんびりすることにした。
どさっと荷物を置いて、がらんとした部屋を前にすると、微かに畳の匂いがした。
ウチには畳敷きの部屋ってないから、こーゆーところ来ると旅行してるんだなって気分になっちゃうのよね。
それからお茶を入れてすすったり、窓から外を眺めたり、ぼんやりとTVを見たり、ちょっとお化粧を直したりしてると、あっとゆーまに夕食の時間になった。
仲居さんがどちらの部屋にしますかって聞くから、慌ててしゅんぺーの部屋に用意して下さいって頼んじゃったの、別におかしくないわよね?
ちょっと時間をおいてから、スリッパを履いてぺたぺたとしゅんぺーの部屋に行ってみた。
「しゅんぺー、いるー?」
あたしがドアの外から声をかけるとすぐに返事があった。
ドアがゆっくり開いてしゅんぺーが顔を出した。
「あ、どーぞどーぞ。準備できてるよ」
なんだか照れくさそうな顔してる。
たぶん、あたしも同じだったと思う。
だって……ねぇ。
しゅんぺーの後に続いて部屋の中に入ると、豪華な食事が並べられててとってもいい匂いがした。
内陸にあるから山の幸が多いのかなって思ったけどそうでもないみたい。
川魚の料理やいかのお刺身なんてのもある。
とにかく、どれもすごくおいしそうに見えた。
さすが特等の景品だわ。
さっそくあたしはしゅんぺーの真向かいに座ると、いれたての急須に手を伸ばした。
「はい、お茶」
「あ、ありがとう」
それから、ご飯の入ったおひつからしゅんぺーの茶碗にご飯をよそう。
あたしにとってはいつものことなんだけど、しゅんぺーはちょっと落ち着かないみたい。
申し訳なさそうにあたしが手際よく準備していくのを見てた。
食事をはじめてしばらくたってから、あたしは準備してるときにしゅんぺーが『TVつける?』って言ったの断ったこと、後悔しはじめた。
ほら、ウチじゃママが厳しいから。
でも食事をはじめると、二人ともほとんど無言になってしまって、すごく間が悪いの。
お腹が減ってたし、料理もおいしかったってのもあるんだけど、共通の話題ってゆーのがわかんないのよね。
あたしも盛り上がる話題を必死で考えてたんだけど、しゅんぺーの趣味とか好きなものってあんまし知らないし、馬のことをこんなとこで話すのもなんだし。
しゅんぺーなんて宿題のこと聞いてくるんだからやんなっちゃう。
もうちょっと気の利いた話を……ってしゅんぺーに言っても無駄よねぇ。
しゅんぺーもこの重い空気を気にしてか、ちらちらっとこっちの方を見るんだけど、あたしも困っちゃって目を伏せるばかり。
あまりにも二人が言葉少なになってたからか、お茶とご飯の様子を見に来た仲居さんが、さりげなくこの温泉街の名所をいくつか話してくれた。
パンフレットも持ってきてくれて、お陰で少しは会話が続きはじめたの。
さすがプロって感じがした。
そのパンフレットに札幌の夜景が見える公園ってのが載ってて、あたしの興味をひいた。
やっぱり夜景って言葉聞くと、心惹かれるものがあるじゃない?
今日の夜は綺麗に晴れるそうなので、せっかくだからあたしはしゅんぺーと一緒に見に行く約束をした。
* * *
ちょっと冷えてきたから、二人ともいったん普段着に着替えて、それから玄関のトコで待ち合わせをすることにした。
しゅんぺーを待ってる間に家に電話しようかとも思ったけど、なんとなくそんな気分になれなかったので、旅館の人から展望台までの案内図をもらった後は売店をブラブラしてた。
しばらくすると、しゅんぺーが階段を小走りに降りてくる姿が目に入った。
「ごめんごめん。待たせちゃった?」
「ううん。今来たとこ」
あたしはにっこり笑って答える。
一度言ってみたかったセリフ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
そしてあたしたちは人通りの少ない商店街を抜けると、山際の小道へと進んでいった。
結構な距離を歩くと、今度は少し坂になってる山道が見えてきた。
街灯に照らされた看板には、まだ展望台まで五百メートルほどあるって書いてある。
「え……。あと十五分くらいはかかるいたいだよ。どうする?」
「せっかくここまできたんだから……。まだ札幌の夜景って見たことないし……」
夜景を見たいのだけが理由じゃないのはわかってた。
「うん。そうだね。じゃ行こうか」
そしてまたあたしたちは歩き出す。
さっきから会話は少なかったけど、山道にはいると二人ともまったく無言になった。
思ったより坂がきつくて、しゃべってたら息切れしちゃうんだもの。
でも、この沈黙はそんなに嫌じゃなかった。
見上げれば綺麗な星空が広がってるし、隣を歩いてるしゅんぺーが、あたしに気を使って歩く速度を合わせてくれてるのがわかったから。
「同じ星空なのに、牧場で見るのとはなんだか違うよね」
「うん。いつもは気にもしないけど、今日はすごく綺麗に見える」
五分に一回くらい、こんな風にひとこと会話を交わすだけだったけど。
喋ることがない沈黙と、喋る必要のない沈黙は、ちょっと違うと思った。
やっぱりあたしはしゅんぺーのこと好きなのかもしれないって、そう思った。
* * *
展望台の一番高いところにはちょっとした段差があった。
しゅんぺーが手を差し出してくれて、あたしはその手を握って最後の段差を登りきった。
三秒だけ繋がれた二人の手。
それだけで、なんだか嬉しくなった。
思ったよりごつごつしてておっきい。
そして暖かかった。
やっぱり牧場で鍛えてるからなのかな。
最近は身体つきもたくましくなったし、少しは頼れるヤツになったのかも。
そんなことを思いながらしゅんぺーの隣に並ぶと、急に強い風があたしの顔を通り抜けていって、思わず目を閉じてしまった。
そしてゆっくりと目を開けると、札幌の綺麗な夜景が澄んだ空気の向こうに浮かんで見えた。
「綺麗だね」
「うん……」
お決まりの文句だったけど、それしか言いようがなかった。
しばらくの間、あたしたちは無言でその夜景を見つめてた。
「やっぱり北海道に来てよかったなぁ」
しばらくすると、しゅんぺーが大きくのびをしながら気持ちよさそうにつぶやいた。
「……ほんとにぃ? 後悔してない?」
あんまりにもしゅんぺーの顔が満足そうだったので、思わずそんなことを聞いてしまった。
「うん。俺、予備校やめてよかったと思ってる。どうせ目的があって大学に行きたかったわけでもないし。高校んときもね、ホントやる気無い人間だったよ。部活もさぼってばっかだったし、勉強だってそんなにまじめにやってたわけじゃない。ただ友だちとしゃべるのが楽しくて学校行ってたって感じだったからね」
「そっか」
友だちか……。
その言葉に、あたしはふとこの前のことを思い出してしまった。
さっきまでの楽しい気分が嘘みたいに胸の奥が苦しくなる。
思わず小さなため息がこぼれてしまった。
「たづなちゃん、学校でなにか嫌なことでもあった?」
突然しゅんぺーがそんなこと聞いてきたから、あたしはちょっとビックリした。
「どうして?」
「なんとなく、そんな気がして」
意外と鋭いんだ。
「ちょっと……ね」
「そうなんだ」
そう言ったきりしゅんぺーはなにも聞いてこない。
だから、あたしは喋りだした。
「……みんながあたしの陰口言ってるの、聞いちゃったの。ほら、あんたも知ってるとおり、あたしってものの言い方が可愛くないっしょ。いつも思ったことをはっきり言いすぎて、いやな思いをさせてたみたい。」
手短に話すつもりが、一度喋り出すと次から次に出てくる言葉を止められなかった。
きっと誰かに聞いて欲しかったんだ。
「別にね、自分の意見をはっきり言ったからって嫌がられるのは構わないの。ただそれを直接言ってくれないのが悲しかった。そんなこと言われて怒る程度のやつなんだって思われてることが」
また強い風が吹き出してきたので、あたしは髪を手で押さえながら言葉を続けた。
「ま、いいんだけどね。あたしがなにも聞かなかったことにすれば今まで通りつきあえるわけだし。でも親友だと思ってた娘がその中にいたのはちょっとショックだったかな」
あたしは、どっちかと言うと、なんでもうんうんと聞いてくれるそのおとなしい娘と一緒にいることが多かった。
最初は、頼りなく見えたその娘をほっとけなかったからだけど、それから仲良くなるうちに反対意見を言えないような雰囲気にしてしまったのかもしれない。
「あたしってダメね。彼女のこと全然わかってなかった。嫌なヤツだよね」
そう言って笑ったはずの頬を通って、ぽたりと雫が落ちた。
あたし、泣いてるんだ……。
そう思った瞬間。
本当に、どうしようもなく、悲しくなった。
顔を上げてられなくて。
しゅんぺーに泣き顔見られたくなくて。
顔を背けた瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてきた。
ずっと泣いたことなんてなかったから、止め方も忘れちゃったみたいで。
涙はしばらくの間止まらなかった。
「あ、ちょ、たづな……ちゃん……。そ、そんなの気にする必要ないよ! ほら、きっと、そう、誰か悪口言い出すと、なんかのっちゃわないといけない雰囲気ってあるじゃない? それで、思わずそうなっちゃったんだよ。俺はたづなちゃんみたいな娘、好きだよ。はっきり自分の意見、持っててさ。ま、俺なんかに好かれてもしょうがないかもしれないけど、そんなに落ち込むことないよ」
しゅんぺーがおろおろしながら言ってくれた。
その慌てぶりがなんだかおかしかった。
ホントはこの出来事も自分の中では気持ちの整理がついてたんだと思う。
実際、あたしだってその娘に不満がないわけじゃないから、もし同じような状況になった場合、口には出さないまでも皆の意見に賛同することは十分にあり得るんだし。
ううん、口に出さないだけ、たちが悪いのかも……。
とにかく、涙を流したことで気持ちがすっきりしたみたい。
気がつくと涙は止まってた。
あたしは指で目尻に残った涙を拭った。
「だいじょーぶ。もうなんともないから」
「よかったぁ……。突然だったからちょっとビックリしちゃったよ」
しゅんぺーはほっとしたようにつぶやくと、急にぶるっと身体を身震いさせた。
「寒くなってきたね。そろそろ帰ろっか」
「うん」
あたしは笑顔でしゅんぺーに答えた。
泣いてるところをしゅんぺーに見られたのは恥ずかしかったけど、二人の間に秘密ができたみたいでちょっと嬉しかったのはここだけの話。
* * *
「ふぅ……」
旅館に戻ってからもすぐには寝付けなかったので、あたしは自動販売機のある休憩所でぼんやりミルクティー飲んでた。
ソファーに座ってこの旅行のこととか、今度あの娘に会ったときになんて言おうかなんてことを考えてるうちに、すっかりミルクティーは冷めてしまってた。
「どうしたの? 眠れないの?」
突然頭の上から声が降ってきた。
顔を上げてみるといつの間にか目の前にしゅんぺーが立ってた。
ビックリして心臓が止まるかと思った。
「う、ううん。そうじゃないんだけど……。そっちこそ眠れないの?」
まだ心臓がバクバクいってる。
「なんとなく、ね」
そう言うとしゅんぺーは辺りをくるっと見渡した。
「隣いいかな?」
あたしがうなずき返すと、少し離れてしゅんぺーもソファーに座る。
もっとくっついてもいいのに……。
「元気だしなよ。たづなちゃんらしくないよ」
やっぱりさっきのことを気にかけてくれてるみたい。
「うん。ありがと……。でも、今日のことは誰にも言わないでよね?」
「わかってるって。でも、たづなちゃんが落ち込むトコなんてはじめて見たな〜」
しゅんぺーがお気楽な調子で言うもんだから、あたしはちょっとムッとした。
な〜んにもわかってないんだから!
思わず文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけたところに、お風呂から上がってきたばかりのようなおばさん連中がぞろぞろと現れたので、あたしは慌てて口を閉じた。
なんだかじろじろと見られてるような気がしたので、仕方なくあたしたちはこの場を退散することにした。
まったく邪魔なんだから……。
「明日も天気になるといいね」
別れ際にしゅんぺーが笑って言ってくれた。
「うん」
あたしも笑顔で応えた。
なんだか気持ちよく眠れそうな気がした。
* * *
次の日はしゅんぺーが旅館に忘れ物をしたり、ちか子おばちゃんからゴメンナサイの電話が入ったりと、ドタバタしてるうちに過ぎていった。
最初は不安だったこの旅行も、終わってみればすごく楽しくて、有意義なものだった気がする。
きっとそれが顔にも出てたんだろうな。
家に戻ったときのひびきちゃんとひづめの驚いた顔といったらなかったもの。
「なんか嬉しそうだべ?」
「そう?」
「なにかあったんだ!」
「べっつにー」
そのあと二階へ上っていくあたしの後ろから聞こえてきた二人の声も忘れられない。
「あれ、たづなかい?」
「……違うと思う」
あたしって、そんなに嬉しそうな顔してたのかしら。
たまにはいいじゃない。
ね。
Fin.