第拾弐話 「Beginning of autumn」(前編)

written on 1997/4/20





「うーかーちゃん!」

 

「あーもぉ。その呼び方やめてって言ってるでしょ」

 

「いいじゃんいいじゃん。小さい頃からの付き合いでしょ、あたしたち」

 

「あんたのせいで、みんなすっかりその呼び方になっちゃったじゃない!

 せっかく中学に入ったらちゃんとした名前で呼んでもらえるかと思った

のに………」

 

「まーまーまー。ところで、いつきちゃんは?」

 

「知らない」

 

「知らないって………妹でしょ? いつも冷たいんだからぁ」

 

「だって気持ち悪いんだもん、あのコ」

 

「う……ーんと。ま、しょーがないじゃない。病気なんだしさ」

 

「ヘ、ヘンなコト言わないでよ。病気じゃないんだってば。ただ、ちょっと

ツライ思いをしたから言葉を忘れているだけだって、おじいちゃんが言って

たもん」

 

「ごめんごめん。そうだったね。それで、まだ一言も?」

 

「うん。見たことない。こっちの話すことはわかってるみたいなんだけど」

 

「相変わらず英語だけなんだ」

 

「そ。だから、もうわたし無視してるの、最近」

 

「ふ〜ん。なんだか可哀想ね」

 

「………まるでわたしが悪者みたいな言い方するんだ」

 

「あ、ちがうちがう、そうじゃないの。ただ、ほら、あたしなんて一人っ子

だから、ちょっと羨ましいかな、なんて思っちゃうの」

 

「そんなもんかなぁ。わたしはずっと離れて暮らしてたから、別にどうって

コトないんだけどね」

 

「そぉーんなコト言って、いつきちゃんが来るって聞いたときは、すっごく

嬉しがってたくせにぃ」

 

「あー、うるさいうるさいうるさいうるさーい!」

 

 

 二人の少女が制服のスカートを秋風に舞わせながら歩いていく。

 山肌の斜面を駆け下りる風はもう肌寒いほどで、あたり一面の雑木林には

すでに秋の匂いが感じられた。

 ここからもう1kmほど歩くと小さな街に着く。

 そこに彼女らが通う中学校はあった。

 

 そして、その街とは正反対の方向―――彼女らがやってきた同じ道を、別

の少女が歩いていた。

 ランドセルの肩紐に手をかけて、無表情に地面を見つめながら。

 抜けるような白い肌が寒々しい。

 たった一人で規則的に足を進めている。

 

 その時、彼女の背後から数人の少年たちが走りながら近づいてきた。

 

「がいじーん」

 

 すれ違いざまに、一人の少年が少女に対して罵声ともとれる言葉を浴びせ

かけた。

 その後に続いて、何人かの少年たちがくすくすと笑いながら横を駆け抜け

ていく。

 

 だが、少女には何の反応もなく、ただ足下を見つめながら歩く。

 

 いつものように。

 

 

        *        *        *

 

 

 僕がその話を聞いたのは前期の試験が始まるちょっと前で、教授の研究室

へ講義に使った資料を運んだときだったかな。

 たぶんチェロを弾いてるって知ってたからなんだと思うんだけど。

 ちょうど試験休みのバイトを探していたこともあったし、すぐに飛びつい

たんだ。

 でもまさか長野の山奥だとは思ってもみなくてちょっとびっくりした。

 たぶん次はあっちでメールを読むことになりそうだよ。

 

 ところでそっちの方はどう?

 

 仕事はたいへん? 

 嫌なヤツは職場にいる? 

 上司は優しい?

 お母さんの調子は?

 

 また面白い話聞かせてよ。

 

 それじゃ、またね。

 

 ・

 ・

 ・

 

 僕はここでキーボードを打つ手を休めると、大きく伸びをした。

 アスカがドイツに旅立って一ヶ月。

 こうやってメールのやりとりをしているおかげで、自分でも思ったほど落

ち込むことはなかった。

 

 本当はTV電話を使いたいところだけど………

 

 セカンド・インパクトとあの時の決戦の影響はまだ大きくて、国際通信の

要であった海底ケーブルの復旧は未だままならないらしく。

 そのため衛星の使用はもっぱら国家的政策に組み込まれることになり、以

前に比べると国際通信は法外な通話料を取られるようになっていた。

 

 だから、せっかくのTV電話も滅多に使えない。

 アスカがドイツに行ってから顔を見ることができたのは2回だけ。

 それに時差の問題もあるし、アスカとの連絡はもっぱら電子メールを使う

ことにしていた。

 

 僕は電子メールの送信を済ませると、今度は部屋に散らかったお菓子の袋

や空の紙コップを片づけ始めた。

 さっきまでトウジと飲んでいた後始末だ。

 ゴミを片づけながら壁にかけたカレンダーにチラリと目をやる。

 印を入れた日まで、あと一ヶ月弱。

 トウジの出発に立ち会えないのは残念だけど、なんだか僕までやる気を分

けてもらった気がして嬉しかった。

 

 委員長には申し訳ないけど、ね。

 

 

        *        *        *

 

 

「セカン………の荒廃が………? 何読んでるの?」

 

 目の前に立ち止まった人物がシンジだということに気づいて、慌ててトウ

ジは終了のボタンをクリックした。

 ディスプレイに電子図書館のロゴが大きく映し出されて、初期メニューに

戻ったことを知らせる。

 

「あ、いや、なんでもないんや。ちょっと試験の勉強をな」

 

「ふ〜ん。でもめずらしいね、トウジが図書館に来るなんて」

 

「たまには、や。たまには」

 

 そう言うと、トウジはスロットからIDカードを抜き出して席を立った。

 シンジの横に並んで出口に向かう。

 

「シンジこそどうしたんや?」

 

「一ヶ月くらいバイトで離れることになりそうだから、外部端末の認証コー

ドを設定に来たんだ」

 

「ほー。そんな田舎に行くんか?」

 

「うん。長野の山の中」

 

「またけったいなところやなぁ」

 

「教授の知り合いで手作りの楽器を作ってる人がいるんだけど、その手伝い

に行くことになったんだよ。勉強にもなるしね」

 

「あいかわらず勉強熱心なこって………」

 

 バシュウウ

 

「うわぁ………」

 

「あちいぃのぉ………」

 

 二人は、出口のゲートをくぐり抜けた途端吹き付けてきた熱気に、顔をし

かめてうめいた。

 盆地地帯に存在するこの第3新東京市は、9月下旬でも日によっては30

度を超すこともある。

 今日はそんな日だった。

 

 吹き出してきた汗を拭いながらトウジが改まった口調で言った。

 

「あのなシンジ。ちょっと今日寄らせてもらってええか?」

 

 いつもは何も言わずにふらりと訪れることが多いので、シンジは一瞬いぶ

かしげな表情を浮かべたが、同じように汗を拭いながら頷いた。

 

 

                             <後編に続く>




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