第弐話 もう一度出会った二人(前編)

written on 1996/8/25



 「あの、すいません。桐丈さんはいらっしゃいますか?」

 そう言って僕は、かつて走り高跳びで争ったライバルの姿を探して、テン
トの中に視線をすべり込ませた。

 鉄パイプと白い合成繊維で作られたどこにでもあるような白テントには、
明朝体の大きな文字で『第参新東京大学男子陸上部』と書かれていた。


 あれから5年。
 使徒との戦いに決着が付いた後、僕たちはそのままこの街に残った。
 最後の決戦で精神的な後遺症を負った綾波の目覚めと、そして死。
 僕は生きるための強さを彼女に教わった。

 それからの高校生活は、ある意味充実していたと言える。

 高校に入って始めた走り高跳びは僕の性格に合っていたようで、三年生の
夏には全国大会に出場することができたし、陸上部のキャプテンとして、他
人との付き合い方も随分と学んだ。
 傲慢な考え方かもしれないけど、彼女の分まで一所懸命生きようと思って
いたことも事実だ。
 昔感じていた疎外感、孤独感、閉塞感といったモノは、大なり小なり、誰
もが持っている当たり前の感覚なんだと気付いた。
 子供だった自分を振り返られるほどには、僕も成長したのかもしれない。

 ただ一つ、彼女との関係だけを除けば。

 元エヴァンゲリオン弐号機パイロット。
 『惣流・アスカ・ラングレー』

 鋭い鋼の糸が僕たち二人を絡みつけているようで、近づいても離れても、
お互いを傷つけるような気がしていた高校時代。

 僕は男で、彼女は女だった。
 
 そしてもう、彼女は……


      *          *          *


 「桐丈? あいつなら女子陸上部の勧誘の手伝いにいってるけど」

 テントの入り口から半分身体を突っ込んできた僕に、一番近くの椅子に座
っていた細身の男の人が、顔を上げて問いかけに答えてくれた。

 「ったく、よそ様の勧誘を手伝うヒマがあるなら、こっち手伝えっての」

 折り畳み式の長机を挟んで座っている、いかつい体の人が不平のだみ声を
あげた。たぶん、砲丸投げかやり投げの選手だろう。

 「でも、あいつがいると、邪魔ばっかして、はかどらないしさ」
 「ホント、女のケツ追っかけ回すだけで、役に立たないのなんのって」
 「そりゃ、言えるわ」

 容赦のない突っ込みと沸き起こる豪快な笑いの渦に少々戸惑いながらも、
僕はあいからわずの桐丈さんの様子を想像して、少し嬉しくなった。

 ひとしきり笑い声が落ち着くと、最初に声をかけてくれた男の人が、僕の
格好――入学式なので一応スーツ姿――をじろじろと見ているのに気が付い
た。
 
 「ところで君、新入生? もしかしてウチに入部でもしてくれるの?」
 「え、ええ。まぁ。そんなとこですけど」
 「本気かよ? 物好きがいるもんだね」と、目の前に入部希望者がいると
いうのに、だみ声の人が驚いた顔をした。
 続いて、テントの隅から声が飛んでくる。

 「そいつもしかして、ほら走り高跳びの……桐丈が時々話してた……」
 「あ、あの。碇ってヤツじゃねーの?」 
 「あ、はい。碇シンジといいます。
  大学でもハイジャンプを続けようかなと思って来たんですけど」

 小さなどよめきがテントの中を走った。
 弐大に劣るとはいえ、日本では屈指の教育レベルを誇る大学だけに、スポ
ーツに優れた学生は、ここ参大にはあまり多くなかったのだ。
 全国大会に出場したという経歴は、初対面の人としゃべるのが苦手な僕を
ここでも助けてくれて、僕はしばらく、有望な新人に対する手荒い歓迎を受
けることになった。
 そしてその場で入部手続きを済ませると、友達が外で待っていることを説
明して、僕はようやくテントを抜け出すことができた。


 「い〜か〜り〜」
 
 待ちくたびれた顔。
 僕は素早く頭を下げる。
 
 「ごめんごめん。一緒に入部手続き済ませてきたから、ちょっと遅くなっ
ちゃって」
 「ったく。オレんトコも、付き合ってもらうからな」
 
 あの頃に比べると体つきはぐっとたくましくなっていたけれど、トレード
マークの眼鏡とカメラは、あいかわらず変わってなかった。

 戦自の工科学校に進んでいたケンスケは、どういう理由か、また第三新東
京市に戻ってきて、僕と同じ『参大』(第参新東京大学)に進学することに
なった。
 戦自への入隊をあきらめた理由を聞くと、
 『パイロットにも生まれつきの才能ってモンが必要だったんだよ』と、答
えてはくれたけど、きっと他に訳があると僕は感じていた。

 
 そしてもう一人、忘れてはならない友人の声が背後から聞こえてきた。
 
 「よっ。そっちの方はどないや?」
 
 こちらに向かって歩いてくるその姿は、見かけ上、普通の人と全く変わら
ない。
 人工肢体の技術は、ここ数年でさらなる進歩を遂げ、一般の人とほとんど
同じ生活ができるようになっていた。
 もちろんお風呂だって大丈夫らしい。

 ここに、中学以来の三バカトリオが復活していた。
 
 そしてこの名前の名付け親であるイインチョー――洞木ヒカリも、この大
学に入学していた。
 ただし彼女は教育学部なので、通称『南』――教育学部と医学部がまとま
っている地区――で入学式を受けているので、今ここにはいない。

 こんなにいい友達と一緒に大学生活が送れることを、僕は単純に喜んでい
た。
 たった一つのことをのぞけば……


 それから10分後、大学構内の地図が載っている掲示板の前で、僕とトウ
ジはケンスケの背中を見ていた。
 ケンスケが興味を示している映像部の受付をしているという場所に向かっ
ていたハズなのだけれど。
 
 「おっかしいなぁ。確かこのへんのハズなんだけど……」
 
 ケンスケの記憶に頼るしかない僕とトウジが、お互いの顔を見て肩をすく
めたその瞬間。

 『……さっきの男くっだらなかったわねー。そう思わない?』
 
 背後を通り過ぎていく女性の声に、僕はぴくりと肩を震わせた。
 よく知っている声に似ている。
 そっと後ろを振り返ってみると、丁度、三人連れの女の子たちが通り過ぎ
ていった直後だった。
 
 その真ん中の娘の髪の色が栗色なのに気づいた僕は、思わず驚きの声を出
しそうになった。
 でもよく見てみると、髪の長さは肩に掛かる程度しかないし、服装も彼女
らしくない、何て事のないジーンズに、白いポロシャツ。
 すらりとしたスタイルは確かに似ていたけれども、彼女だと断言する自信
はなかった。

 ふうっと溜息をついて、肩を落とした瞬間、

 『男って、ほんっとに、バカでスケベなんだから』
 
 再び声が聞こえた。
 僕たちから遠ざかるように歩いていきながら、真ん中の女の子は大げさに
肩をすくめるような仕草を見せた。
 
 僕は左にいるトウジの顔をそーっとうかがった。
 同じようにトウジと、その向こうからはケンスケが、僕を見つめている。
 
 ごくりと唾を飲み込んで、僕とトウジは、全く同時に声を発した。
 
 「アスカ!」
 「惣流!」

 その声に三人の女性は足を止め、ゆっくりとこちらを振り向いた。
 肩のところで綺麗に切りそろえられた髪、シンプルで飾り気のない服装。
 全く彼女らしくない格好ではあったけど、真ん中の女性は、紛れもなくア
スカだった。

 「な な なんでこんなトコに!?」
 
 僕は驚きの色を隠せなかった。
 アスカは、日本で最もレベルの高い教育が受けられるという『弐大』――
第弐新東京大学に合格して引っ越しの準備をしていたはずだから。
 この参大の入学試験を一緒に受けたときも、『ま、練習みたいなモンね』
と、あっさり言いのけたアスカだったのに。
 でも、今、目の前に、彼女が立っているのは事実だった。
 その証拠に、トウジとケンスケも隣で声を失っている。

 「あ〜ら。お久しぶりね、三バカトリオ」

 一緒に歩いていた友人に先に行くよう目配せをすると、アスカは茶目っ気
たっぷりに口を開いた。
 明らかに僕たちに気づいていたような口振りだ。
 
 「久しぶりって、そんなことより、どうしてアスカがこんなトコにいるの
  さ!?」
 「あたしがこんなトコにいちゃ迷惑だっていうの?」

 間髪を入れずアスカの返事が返ってくる。
 
 「あ、いや、そんなつもりじゃなくて……」
 
 僕は、また心にもない口論が始まってしまうのかと、慌てて弁明を始めた
けれども、アスカの声がそれを優しく遮った。

 「今のは冗談よ。相変わらずなんだから、シンジは」
 
 予想外のアスカの反応に、僕は言葉を続けられなかった。
 アスカはそんな僕をおかしそうに見つめる。

 「あたしも色々考えたんだけど………」

 風にあおられる短くなった髪に手を当てて、アスカは空を見上げた。

 「その気になれば、勉強なんてどこだってできるじゃない」

 そこまで言うと、アスカは校門の前で立ち止まっている友人達に手を振っ
た。
 そして二、三歩、軽い足取りで駆け出したかと思うと、立ち止まってくる
りと振り向いた。
 
 「でもね………」

 何だか照れたように、ちらっと一瞬だけ僕と視線を合わせると、アスカは
再び駆け出した。
 
 「ううん、何でもない。じゃ、またねっ、シンジ!」
 
 僕はただ呆然とその姿を見送り、小さな声で呟いた。
 
 「またね、アスカ………」

 身動きをしただけで壊れてしまうような、微妙な関係を続けていた高校生
のころ。
 このまま離ればなれになって、次第に連絡さえつかなくなって、全然他人
になってしまうのかと悩んだ昨日の夜のこと。

 僕は思い出して、笑った。

 「またね………か」

 
 僕たちの大学時代は、こうして幕を開けた。




<第弐話後編へ続く>



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