第参拾参話  ロールキャベツ

written on 2000/1/10




「あ、シンジ!」

 さらさらのストレートヘアをくるりとなびかせて、アスカは大きく声をあ

げた。自転車ですれちがった集団の中にシンジの姿を見つけたのだ。

 

 ここは第三新東京大学の構内。復学したアスカはそれまでの遅れを取り戻す

べく、以前より頻繁に大学へと足を運んでいた。同じ学年で、もとから不要な

講義までとっている真面目なシンジとは、このように広い構内で出会うことも

まれにあった。

 今日のアスカはめずらしくロングスカートをはいていた。身体にフィット

したきめの細かい白いセーターを着て、腰までの短い丈のコートを羽織って

いる。

 足元はかっちりとしたロングブーツで、全体的に落ち着いた色彩でまとめて

はいたが、ただでさえ目立つハーフの容姿にこの美貌。人目を引くことには

間違いなかった。

 すれちがう人々が必ずといっていいほど視線を投げかけていく。

 

「なんだアスカだったの」

 

 呼び止められたシンジが自転車を戻して向かってきた。一緒にいた友だち

には先に行ってもらったようだ。

 

「ちょっと。なんだはないでしょう。なんだは」

「ごめんごめん」

 

 シンジは自転車を止めると近くのベンチへとアスカを誘った。今日は雲ひと

つない良い天気で、暖かい日差しが二人を包む。

 

「時間だいじょうぶ?」

「アスカは?」

「あたし今日はこれで終わり」

「いいなあ。次は英文学だよ」

「あのヒゲ先生ね。でも話は面白いじゃない」

「なんかね。生理的にだめなんだ。あの先生。ちょっと苦手。よく当てられ

ちゃうし」

「気に入られてんのよ」

「それなら我慢できるんだけどね。前期は成績ぎりぎり並だったんだよ」

「じゃ、ただのいじめだ」

「なんでかなー。いつもおとなしくしてんのに」

 

『そこがよ!』と突っ込みたい気持ちをぐっとこらえて、努めてやさしい声で

アスカは言う。

 

「あんたいじめられやすい性格してるもん」

「そんな風に思うのアスカだけだよ」

「あたしが?」

「それはもう」

「認識の相違ってやつかしら。あたしはいじめてるつもり全然ないのに。

あんた被害妄想強いんじゃない?」

「そういうとこ。僕は慣れてるからいいけど、人によってはきついって思われ

ちゃうよ」

「はいはい。わかってるって。これでも最近いい子にしてんだから」

「ならいいけど。っと、そろそろいかなきゃ。じゃ、またね」

「バイバイ」

 

 シンジが自転車で走り去るのを見送ると、アスカは再びベンチに座り込んだ。

 ベンチの上に置いた左手に、微かに残ったシンジのぬくもりが伝わってくる。

 日本に戻ってきてそろそろ二週間になるが、新しいマンションを借りて引っ

越しもすませ、復学の手続きも終わり、すっかり以前と同じような生活を送れ

るようになっていた。

 シンジとの関係も順調すぎるほどだった。顔を合わせるのは毎日というわけ

にはいかなかったが、声だけはほとんど毎日のように聞いているため、精神的

に非常に安定していた。

 以前のようにお互いの距離を意識するでもなく、ふと気がつくとあまりにも

自然体で話せるようになっていることに驚くことも多かった。

 それゆえ嫌なところも目につくようになったが、その嫌なところを遠慮せず

言い合えるようになったのも進歩だろう。

 とくにシンジがずばり自分の欠点を指摘してくるようになったのは、腹立た

しさと同時に頼もしさも感じられた。それだけ二人の関係に自信を持ってきた

証拠だと言えるのだから。

 

『満ち足りている』

 

 こうしてシンジとたわいもない会話をして、ベンチに座りのんびりと道行く

人々を眺めているだけでそう思える。それがアスカにとっては心の底から嬉し

かった。

 

「久しぶり、アスカ。こっち戻ってきてたんだ」

 

 とつぜん背後から声をかけられたアスカは、驚いて後ろを振り向いた。

 ジーンズをはいたショートカットの活発そうな女性が、にこにことアスカを

見つめていた。

 しばらく見ないあいだにすっかりあか抜けて奇麗になったように見えたが、

その女性はまぎれもなく柿崎優梨だった。

 

「優梨じゃない! ひっさしぶりねー!」

 

 アスカはベンチから飛び跳ねるように立ち上がった。

 彼女とは入学以来の友人だったが、ドイツに行ってからは音信が途絶えがち

になっていて、日本に戻ってきてからも姿を見かけることがなかったので気に

かかっていたのだ。

 

「最近、見なかったけど、どうしたの?」

「ちょっとね。来年から専攻変えちゃうことにしたんだ。だからアスカといっ

しょの講義にも最近出てないの」

「マジ? なんでよ?」

「少し時間あるかな」

「うん。あるけど。どうせ今日はもう帰るつもりだったし」

「じゃ、いつものとこでいい?」

「いいわよ」

 

 そういうと先に歩きだした優梨の後をアスカは追った。

 

 

        *        *        *

 

 

 二人が向かったのは大学近くの喫茶店だった。

 この喫茶店は紅茶専門で、お互い紅茶が好きだったこともあり、以前から

こうして二人でよく飲みに来たものだった。

 明るくしゃべり好きのアスカとおとなしく聞き上手の優梨は、親友とまでは

いかなくても、仲のよい友だちとして付き合っていた。

 

 久しぶりの再会。優梨がシンジを好きだったことを知っているアスカとして

は、多少話しづらいかと思っていたが、予想に反して優梨の表情は終始にこや

かだった。

 再会を祝ってホットミルクティーで乾杯をしたあとは、しばらく近況報告で

盛り上がる。

 

「パーマかけたんだ」

「ん。ちょっとね」

 

 少し外むきにカールさせた髪の毛先をくるっと触りながら、優梨は照れた

ように言う。

 

「似合う?」

「うん。すっごく。明るく見える」

「昔は暗かったって?」

「あ、そんなつもりじゃなくて。おとなしかったのは確かだけどね」

「ふふふ。そうよね。自分でもそう思う」

 

 弾むように言葉を返してくる優梨に、アスカは驚きを覚えていた。

 以前は相手の反応をうかがいながら、かなり自分を抑えてしゃべっていた

はずなのに。なにが彼女を変えたのだろうか。

 

「こうやってアスカと話せるようになるなんて思ってなかったな」

「え? どうして?」

「わたし碇君にふられたんだ」

 

 優梨はさらりと言ってのけると、アスカの瞳をじっと見つめた。

 もちろんアスカはなんと答えていいかわからず、曖昧にうなづくのが精一杯

だった。驚いてない、といえば嘘になるが、予想もしていなかった出来事かと

いえば、そうでもない。

『遠慮なんかしないでね』―――ドイツに旅立つ前に彼女に告げた言葉が頭に

浮かぶ。

 

「困ってる」

 

 黙り込むアスカを見て優梨はすこし意地悪く笑った。

 

「アスカがいないあいだにわたし碇君にせまったの。碇君すっごく困ってたな。

あ、別にアスカを困らせようとか、そんなんじゃないから。誤解しないでね。

話しておかなきゃってずっと思ってたんだ。たぶん碇君なにも話してないで

しょ?」

 

 アスカは小さくうなづいた。

 

「きっと心配かけたくなかったのよ」

 

 優しすぎる人だから、と優梨は言葉を付け加える。

 

「ふられたときはなにもかもが嫌になって、アスカのことも恨んだりしたけど。

逆恨みなんだけどね。今はぜんぜん平気。こうして話してても楽しいもん」

 

 優梨にとっては良い思い出ではないはずなのに、どこか楽しそうにしゃべる

様子を見て、アスカはあらためて彼女の変わりように驚いていた。

 

「それでね。そのあと桐丈先輩と付き合うことになったの。あの人にはいろ

いろ教えてもらったわ。もう別れちゃったんだけどね。彼、いまどうしてると

思う? 陸上やめて服飾関係の勉強してるの。昔からデザイナーになるのが

夢だったんだって」

「うん。それシンジから聞いた。勝ち逃げされたって一人前に悔しがってた

からよく覚えてる」

 

 ようやくアスカの口が開いたのを見て、優梨の顔にも僅かに安堵の色が浮

かぶ。

 

「へぇ。碇君がねー。確かに惜しかったもん、あの試合」

 

 優梨は一度、視線を紅茶のカップに落とすと、

 

「でね。そうゆうの見てると、わたしいったいなにやってんだろうって。碇君

も楽器の勉強ちゃんとしてるし、桐丈先輩も自分の夢に向かっていっちゃった。

わたしだけずっと誰かにすがっていこうとしてる。こんなに弱い人間だったか

なって情けなくなっちゃって」

 

 くいっと再び顔を上げてアスカをまっすぐに見つめた。

 

「わたし臆病だから、自分の夢とか希望とか、全部相手に押しつけようとして

た気がするの。でもそれじゃいけないのよね。いつまでも誰かに頼って責任を

あずけて、相手を慰めてあげただけでいい気になって、それでいて自分ではな

にもしなくて。確かに楽なんだけど、なんだか逃げてる生き方だと思わない?」

「……優梨かわったね」

「碇君に会ってからだよ。こんなこと考えるようになったの。彼もよく言って

たなぁ。あいつの不器用だけど一生懸命な生き方を見ていたら、忘れてたもん

思い出すって。そうなのよ。碇君みてるともっと一生懸命にならなきゃ。頑張

らなきゃって力づけられる気がするの」

 

 優梨の言葉にアスカもうなづいて同意を表した。

 確かにあの最後の戦いを経験してからのシンジは変わった。彼女の看病、

そして彼女との別れを経験してからは特にそうだった。以前にも増して真面

目さに磨きがかかり、生きることに真剣だった。その姿を見て彼に惹かれて

いったのも事実だ。

 

「だから今わたしスポーツトレーナーの勉強してるんだ。もっと理論や技術を

身につけて頼られる人間になりたいの。頼られるっていうと変かな。要は自分

に自信を持てるようになりたいんだ」

 

 そこまで言うと、優梨は大きく息を吐いた。

 

「あー、しゃべったしゃべった。ごめんねこっちばっかりしゃべっちゃって。

でもすっきりした」

「ほんと。別人みたいだった」

「それ最近よく言われる。ちょっと嬉しいかも」

 

そして優梨は明るい笑顔を浮かべると、

 

「専攻変わるからあんまり会えなくなると思うけど、これからもよろしくね。

やっぱりアスカと話してると楽しい。なんか普通の人たちと違うのよ。アスカ

とか碇君って。そこに憧れてるのかもしれない、わたし。あんまり主体性が

ない人間だから、こうして外からでも刺激受けないとね。つまんない人間に

なりそうでやなんだ」

 

 一気にしゃべり終えた。

 とそのとき。優梨の腕時計が短く電子音を鳴らした。

 優梨は腕時計に目をやると、慌てた様子で両手を顔の前で合わせる。

 

「ごめん! 自分で誘っておいて悪いんだけど、つぎ予定あるからそろそろ

いかなきゃ。ドイツの話とか今度聞かせてくれる?」

 

 と言うと、メモ帳に携帯の番号を書いてアスカに差し出した。

 

「うん。今度電話する」

「じゃ、またね。すき見せちゃだめよ。碇君ねらってる子、けっこう多いみた

いだから」

 

 そして小さく手を振って優梨はお店を出ていった。

 まるで台風みたい―――。

 優梨の姿が入り口の向こうに消えると、アスカはふうと息をついた。そう

いえば、ミルクティーを注文してからひとことしかしゃべっていない気がする。

 今回ばかりは圧倒されて完全に聞き役に回ってしまった。

 

 アスカはもう一度、大きく息を吐くと、通りがかった店員にレモンティーを

注文した。

 

 

        *        *        *

 

 

 結局アスカが店を出たのは日も暮れはじめたころだった。

 自宅へ帰る途中、アスカはいつもの高台にある公園に立ち寄った。

 この公園はちょうどシンジとアスカの家への別れ道になっている場所に

あったため、第三新東京市の町並みが一望できる展望台のベンチで、二人は

よく別れの時間を過ごしていた。

 アスカはそのベンチに座って、ぼんやりと優梨との会話を思い出しながら、

夕暮れ時の町並みを眺めていた。

 

  変わっていく。

  みんな変わっていく。

  そして自分も。世界も。

  知らないところでどんどん変わっていくんだ。

 

 不意にシンジの声が聞きたくなってアスカは携帯に手を伸ばした。

 とくに用事があるわけではない。とりあえず、なんで優梨に告白されたこと

を言わなかったのか、すこしいじめてやるつもりだった。

 携帯の呼び出し音が耳を打つ。

 でも自分が逆の立場だったら? やっぱりシンジと同じでなにも言わない

だろう。そう思い当たった瞬間、シンジの声が聞こえてきた。

 

「はい。もしもし」

「あ……」

「ん? どうしたの?」

 

気づかうようなシンジのやさしい声。

これだけで十分じゃない――。アスカは必要以上に相手を求めている自分に

気がついて、小さくかぶりを振った。

 

「やっぱなんでもない」

「なんだよ。どうしたの?」

「なんでもないってば」

「いまどこ?」

「いつもんとこ」

「なにやってんの?」

「べつに」

「ちょうどいま――」

「切るね」

 

 シンジの言葉を待たずにアスカは通話を切った。

 足下を寒風が駆け抜ける。

 いったいあたしはなにをやっているんだろう。アスカは自問する。

 気がつくとずいぶんとあたりも暗くなっていた。

 

 電話を切って一分がたった。

 まだシンジから折り返しの電話はかかってこない。

 まだ? 折り返し? 自分からかけておいて勝手に切って、それでも相手が

かけ直してくるのを期待している?

 そんな自分の感情に気づいて、アスカは情けなさに手袋の中の拳に力を込め

た。

 本当にあたしは馬鹿で、わがままで、自分勝手で、どうしようもなくて。

 それなのにすごく幸せで……。

 胸の奥が締めつけられるように切なくなった。

 こうしてただベンチに座っている時間がどれだけ大切なことなのか。

 今の、この一瞬一瞬の時間が、様々な人の犠牲の上になりたっていることを

痛感する。

 まるでそのことを身に刻むかのように、アスカは寒風に身をさらして、ただ

じっとベンチに座り続けていた。

 

 いったいどれくらいそうしていただろう。

 すっかり身体が冷えきった頃。不意に階段を上ってくる足音が聞こえたかと

思うと、聞きなれた声がアスカの耳に飛び込んできた。

 

「ったく。こんなとこいたら風邪ひくよ」

 

 シンジだった。

 その声を聞いた瞬間、アスカは鼻の奥がツンと熱くなるのを感じた。

 

「……なんで来たのよ」

「べつに。ちょうど通りがかったから」

「ばかっ。なんでなのよ。どうしてあんたはいつも、そうやって……」

 

 そこでアスカの言葉は途切れた。

 シンジはそんなアスカの様子に戸惑いながらも、言葉を続けた。

 これまでの経験から、今この場でいろいろと詮索しても良い結果を生まない

ことはわかっていたからだ。

 

「もうご飯食べた?」

「まだ」

「じゃ、いつものお店いこうか」

「……」

「ほら」

 

 そういってシンジはアスカに向かって手を差し出した。

 

「自分で立てるわよ」

 

 ふんっとアスカは勢いをつけて立ち上がった。

 ようやく元気が出てきたようだ。シンジの表情にも笑みが浮かぶ。

 そして二人は肩を並べて歩きだした。

 街灯の明かりが二人の行く先を照らし出す。

 

「今日の日替わり、ロールキャベツだったよ」

 

 思い出したようにシンジが言った。

 途端に伏し目がちだったアスカの表情が明るくなる。

 

「ほんとに?」

「うそ言ってどうするのさ」

「やった!」

 

 アスカの歓声が夜空に吸い込まれていった。

 

 

- To be continued -

 


 

▼あとがき……みたいなもの

 大変ながらくお待たせしました。4ヶ月ぶりの続きです(^^;)

 現在1999年12月31日午後11時58分。

 帰省もせずにのんびりとTVを見ながらキーボードを叩いています。

 さてY2Kはどうなるのでしょうか――あと40秒(笑)

 10秒。5、4、3、2、1、0!

 ……とりあえずノートパソコンはOKだな(VAIOで書いてます)

 さて、年越しをこうしてエヴァ小説書きながら迎えるというのも、なんか

ここ数年の自分を象徴しているようでなんとも言えない感じがします。

 オレなにやってんだろーと思うと同時に、こうして創作の喜びを与えてく

れたエヴァに感謝の気持ちも多分にあるわけで。

 平凡だけれど、それほどお金に困ってるわけでもないし、身体もわりと丈

夫だし、家族もそれなりに元気だし、仕事もまぁ順調。つまり私は非常に恵

まれた生活を送っているわけで。でも、だからこそ自分の居場所、アイデン

ティティに疑問をもってしまうのは、おそらく共感を持ってくれる人も多い

と思います。

 子供のころからなにかを創ることが好きだった私としては、パロディでは

ありますが、こうして自分の中から出てきたものを他人に喜んでもらえる

ことは最高に嬉しいことだったりします。

 まぁ、つまり、なんつーか、これからもこっち系の道にどんどんはまって

いきそうだなーってことですな(^^;)

 

 さて、お話しのほうは、しばらく淡々と二人の周囲の出来事をおっかけて

いくことになろうかと思います。このお話しは二人の関係だけではなく、

それを取り巻く人々がどうなるのか、自分なりに決着をつける意味も込めて

書いておりますので。

 

 とかなんとか書いているうちに、いつのまにか10日になっちまった(^^;)

校正してるとどんどん追加したくなるんだよなー。次回は2月中に必ず。

久しぶりに彼が登場します。

 

 では、みなさま、今年もひとつよろしくお願いします。



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