第四話 その日、陽射しは暖かく(前編)

written on 1996/9/8




 『自らの目で見よ、そして自らの声で訴えよ』
 
 お決まりのセリフを口にした後、教授は姿を消して、二度目のメディア文
化学の講義が終わった。
 『学ぶ』と言うより、自分の考えを『ぶつけあう』この講義。
 日本の硬直化した教育システムにうんざりしていたあたしにとっては、楽
しみといってもいい時間だった。

 もう少し活発に論議が交わされればもっと嬉しいんだけど、日本の学生っ
てどうしてこう、人前で自分の意見を主張するのを嫌うのかしら。

 そのくせつまんないコトには熱心なんだから――――

 ガタン

 あたしは素早く広げていたノートを片づけると、声を掛けるチャンスをう
かがっている男達の視線をかわすようにして、教室から抜け出す。
 昔はつまらないプライドを満足させてくれたその視線も、今はただ邪魔に
しか感じない。
 自分が本当は何を必要としていたのか、少しだけわかりかけてる今だから。


 校舎を飛び出すと、あたしは急ぎ足で正門に向かった。
 そして、バイトの時間までまだ間があることを確認すると、並木道の方へ
と進行方向を変える。
 しばらく進むと道の向こう側にフェンスが見えてきた。

 さらさらと並木が春風になびく声を聞きながら、あたしはちょっとの間、
構内を横切る公道を見つめる。

 ――――無駄足だったら、どうしてやろうかしら。

 引っ越し屋の大型トラックがうなりをあげて通り過ぎた後、あたしは顔
を上げた。

 ――――どうしようもないバカね。あたしって。

 車が途切れたのを確認すると、素早くアスファルトの上を横断した。
 向こう側の歩道に辿り着くと、すぐ目の前にグラウンドを隔てるフェンス
が広がる。
 金網の向こうでは、体育会系の部がいくつも、ひしめきあうように練習を
始めていた。

 ちらりと時計を見てみる。
 
 まだちょっとある、か。

 いるかな、あいつ――――


      *          *          *


 時は少し遡って。
 文学部構内。第四喫茶。

 昨日電話で約束したとおり、あたしはヒカリとお昼ご飯を食べていた。
 ここのきつねうどんは安い割になかなかおいしくて、校舎から近いことも
あって、よくお世話になってる。
 ヒカリは教育学部だから『南』にいることが多いけど、時々こうやって一
緒にお昼をとったりしてるわ。
 今日もそんな一日だった。


「ねえねえ、アスカ。
 昨日、結局碇君とこ電話したんでしょ?」
 
 ぶっ。

 突然のヒカリの言葉に、あたしは思わずお茶を吹きこぼしそうになった。
 
「は、はあ? し、してないわよ。誰がそんなこと言ってんの」

 別に隠すようなコトでもないけど、反射的に否定の言葉が口から飛び出し
てしまった。

「あっれー、おかしいな? 
 鈴原が、碇君から聞いたって言ってたんだけど」

 か〜っと頭に血が上ってくるような感覚。
 あたしは思わず割り箸を折れんばかりに握りしめてしまう。

「あんのバカッ! 何ぺらぺらしゃべってんのよ!!」

 でも、顔を真っ赤にしてあたしは憤慨してるというのに、ヒカリはにやに
やとあたしの顔を見つめるばかり。
 何となく嫌な予感がして。
 
「あら、やっぱりホントだったのね」

 悪気のかけらもない喜々としたヒカリの口調。
 
「って、ヒーカーリーっ!! 
 もしかしてカマかけたなんて言うんじゃないでしょうね!!!」

「ご明察。電話くらいで照れるなんて、アスカも可愛いトコあるじゃない」

 あたしはさらに顔を赤くしながら、かろうじて言葉を絞り出した。

「………………どういたしまして」

 ――――ヒカリにはかなわない。

 あたしは頭を抱えた。


 そんなあたしの姿を見てヒカリが言った。

「想ってればいつかは叶うって、幻想なんだから」

 ずずずずとお茶を口にしながら、結構重い言葉を吐くヒカリ。
 
「それって実感?」

「そ。何でもいいから行動を起こさないと、そのうち誰かにとられちゃうわ
 よ」

 もう一杯、と、お茶をつぎながらヒカリは言葉を続ける。

「碇君、どんどん格好良くなってるじゃない。
 私も鈴原がいなかったら、碇君を選んじゃうのにな。
 繊細さと男の子っぽさをアンバランスに保ってるのよね。
 今時めずらしいわよ。あんな優しい人」

 あたしは彼女の言葉に反撃の糸口を見つけた。

「よ〜するに、鈴原ほどいいヤツはいないって言いたいワケね」

 久しぶりのカウンターパンチは思いのほか効いたみたいで、ヒカリはお茶
を喉に詰まらせて大きくせき込んだわ。
 いい気味よ。

 でも、しばらくすると、さっそく戦線復帰。

「そうそう。私の友達で陸上部に入ってる男の子がいるんだけど、今日から
 練習は第一グラウンドの方でやるんだって言ってたわよ」
「ふ〜ん」
「確か5時からだったっけ」
「ふ〜ん……」
「碇君も張り切ってるんだろうな」
「………………」
「可愛いマネージャーさんと仲良くしてたりして」
「………………あたしの友達、陸上部のマネージャーなんだけど」
 
 ちょっとだけ気まずい空気が流れた。

「あ、あははははは。そうだったの。だったら大丈夫かな」
 
「何が大丈夫なのよッ」
 
 そう言ってあたしは、さっそく講義をさぼって部活に入り浸っているらし
い優梨の顔を思い浮かべた。
 今日の5限目のメディア文化学も、ノートを取るのを頼まれてる。
 可愛い顔して、結構強引なんだから。
 
 ――――でも大丈夫。あいつのタイプじゃない。
 
 って、あたしは何考えてんのよ? 
 
 そんなの気にする必要もないし、あいつのタイプがどんな子なのか知った
こっちゃないし、あたしみたいなのはあんまりタイプじゃないような気がし
て、もしかしたらおとなしい子が好きなのかもしれないなんて思ったことは
あるけど、だからと言って性格変えようなんて思わないし、優梨はおとなし
いというよりどっちかってゆーと活発な方だし、やっぱりタイプじゃないわ
よね。うん。


「………カ」
 
「……スカ」
 
「………しも〜し、そーりゅーさ〜ん」

「え? あ? なになに? 何か言った?」

 突然目の前にヒカリの顔があることに気付いて、あたしはしばらく自分の
世界に入ってしまっていたことに慌ててしまう。

「今、何考えてたのよ〜」

「あ、あはははは。別になんでもないわよ」

「あっやし〜わねえ。もしかして愛しの『バカシンジ』様のことかしら?」

「ちっ、違うわよ!! 誰があんなバカのことっ――――」

 あたしの言葉を遮るようにヒカリがウインク一つ。

「強がるアスカもかあいーわよ」
 

 ――――ああっ、もお〜っ、ヒカリにはかなわない!!



<後編へ続く>



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