第伍話 Drivin' Children (Part-A)

written on 1996/9/16




 ダークグリーンの電気モーター式RV車。
 半年ほど前の型の割に、ほとんど新品同様の内装。
 シンジがドアを開けてその車に乗り込んだのは、今日二度目だった。
 普通車に比べて料金が割高なのにわざわざRV車を選んだワケは、もちろ
んアスカの要求であった。
 目的の撮影地はまだ復旧地区に指定されていない場所で、舗装された道が
続いているかどうかわからなかったためである。

 アスカに車を出せることを告げたあのときの電話。
 自分の運転技術に不安を抱いていたにも関わらず、アスカの心配そうな声
に、つい強い調子で『大丈夫だよ』と答えてしまったことを、シンジ自身が
一番驚いていた。
 後になって、いつのまにか『いいところ』を見せようとしている自分を感
じて笑ったりもしたけれど、それはたぶんそういうことなんだろうなと、納
得する自分もいたりする。

 そんなわけで運転経験の少ないシンジは、昨日のうちから車を借りて練習
し、今日も朝早くから一度その辺りを回っていたのだった。 
 まだほのかに暖かさを感じさせるシートに身を沈めると、シンジはキーを
回した。
 駆動音は微かにしか聞こえないものの、身体に伝わってくる振動を確認し
て、ギアをドライブに入れ軽くアクセルを踏み込む。
 日曜日の早い時間だからかまだ車の往来も少なく、街中はスムーズに車を
進めることができそうだった。
 いつもの交差点をいつもとは違う方向――――山手の住宅街の方へ曲がっ
た頃にはすっかりシンジも余裕を取り戻し、様々なボタンがあるタッチパネ
ルに左手を伸ばした。
 昨日送ってもらった地図がフロントパネルに映し出される。

『遅れたらコロすわよ!』

 アスカのまだあまり上手とは言えない文字が、メモ書きモードで地図の上
に踊っている。
 それを見たシンジは一瞬だけ複雑な表情を見せたが、すぐに現在位置と時
間を確認してラジオのスイッチを入れた。
 憂鬱な朝には気に障ったりすることもある軽快なパーソナリティーの声も
今日はそんなに気にならない。
 昨日の夜にこっそり練習していたとおりの道を進みながら、その時は暗く
てあまりわからなかった周囲の景色を視線の端にとらえる。
 整備された歩道には街路樹が綺麗に並んでいる。

 ――――僕たちが暮らしている街。

 ふと朝の空気を吸いたくなって、シンジは窓を開けた。
 冷たくて柔らかい空気が流れ込んでくるのと同時に、タイミング良くラジ
オからは今日の天気を伝える言葉が聞こえてきた。

『………今日は一日中晴天が続く模様です』
 
 シンジは微笑むと、少しだけアクセルを踏み込んだ。

      *          *          *

 人気のない国道沿いの歩道。
 アスカはぽつんと立っていた。
 足下にはビデオカメラなどの撮影器具が入ったバッグが、そして右手には
大きめのバスケットをぶら下げている。
 焦げ茶色のジーンズに、ウエストのところを軽く絞った感じの、うっすら
と光沢がある濃紺色の半袖のシャツ。
 4月下旬の朝6時という時間には、多少軽装だったようで、アスカはしき
りに腕をさすっていた。

 どこか遠くから聞こえてくる犬の吠え声、そしてにわとりの甲高い鳴き声
さえ混じっている朝の風景。
 アスカはいつもの慌ただしい朝とは正反対の雰囲気を楽しんでいた。
 この街に住み始めて5年が経ち、機能的に設計された街並みの人工的な造
りも、今ではすっかり目になじんでいる。
 来日当初は、まさかこんなに長居することになるとは、思ってもいなかっ
た。
 だが『破壊』と『再生』――この二つを目の当たりにしてきた今では、第
二の故郷としてこの街に愛着を持っていると言ってもいい。
 
 それに――――と、アスカはぐるっと頭を回して街並みを見やった。
 
『この街には大切な人たちがいるもの』

 と、その時、朝もやに霞む道路の先の方から一台の車がやってくるのを、
アスカは見つけた。
 電話で聞いたとおりのダークグリーンのRV車。
 まだ冷たい空気を大きく吸い込むと、アスカは元気よく足下のバッグを拾
い上げた。
 
 スピードを緩めた車は近くのバス停に止まった。
 アスカが助手席の方にたどりつく前にドアが中から開いて、おはよう、と
シンジが顔をのぞかせた。
 その瞬間、アスカは大切そうに抱えていたバスケットを、慌てて後ろ手に
まわす。

「お、おはよ」

 自分の言葉に素っ気なさを感じて、アスカはすぐに言葉を続けた。

「荷物。後ろに入れときたいんだけど」
「うん。ドア開いてるから」

 後部座席のドアを開けて、バッグとバスケットをそっと押し込んだアスカ
は、助手席に乗り込むとフロントガラスの方を見つめながら言った。

「15分前。ま、合格にしといてあげるわ」

 ブィーンと、モーターの駆動音が高まる。

「ずいぶん冷え込む朝だったからね」

 ウインカーを出して念入りに後続車を確認しながらシンジは答えた。

「待たせちゃ悪いと思ったってわけ?」

 そんなシンジをちらっとアスカは横目でとらえる。

「えっと、ま、そんなところかな」
 
 あははと、照れ笑いを浮かべるシンジの顔を、ようやくアスカは真正面か
ら見つめることができた。

「シンジにしては上出来ね」
 
 ――――15分前ならよしとしなくちゃ。

「でも、もう待ってるとは思わなかったよ。
 寒い中待たせちゃってゴメン」
 
 ――――フォローは一応あるわけね。
 
「アスカのことだから、きっと時間ギリギリにならないと来ないかなって思
 ったんだけど」

 ――――むかっ。

「ちょっと、なによ、それ。
 まるで私がわがままな女みたいに聞こえるじゃない」

 ――――これでも10分は待ってたのよ!

「そんなつもりじゃなくてさ。アスカは時間を無駄にしないタイプだから」

 ――――無駄? 待ってた時間が無駄!?

「あたしだってたまには――――」

 ――――こんな時間を楽しみたい時もあるわよ。

「ん? たまには、なに?」

 ――――バカシンジっ!

「なんでもないわよッ! 早く、車、出す出す!」

 ――――やっぱり何もわかってないんだから……

 こうしてシンジとアスカの長い一日が始まった。


<Part-Bへ続く>



DARUの部屋へ戻る
inserted by FC2 system