第九話 「僕の気持ち、彼女の気持ち(前編)」

written on 1997/3/5





「ありゃ? な、センセ、惣流はどうしたんや」

「……バイトで少し遅れるって」

 テーブルに片肘を突いたまま、シンジはちらりと視線をお店の入り口に送
った。

 7月も終わりに近づき暑い夏の日々が続くなか、今日はシンジたちが卒業
した高校の同窓会が開かれていた。
 発案者はなぜかケンスケ。
 というのも、戦自の工科学校に進学していたため、これを機会にあわよく
ばお友達に――ということらしい。

「皆様、本日はお忙しいところ、第参新東京市立代ヶ沢南高等学校第六期生
の同窓会にお集まりいただき、誠にありがとうございます……」

 ケンスケの言葉が、ざわついているテーブルの上を通り過ぎていく。

「幹事及び司会は、わたくし相田、相田ケンスケがつとめさせていただきま
す」

 ケンスケの挨拶が終わると同時に、わーっと歓声と拍手が響いた。
 新しい都市であるだけに、同じ学校の出身という事実が、自ずと連帯感を
強く持たせる傾向があった。
 しかも進学や就職といった生活の変化が彼らに不安を抱かせ、このような
集まりで盛り上がりたくなる気持ちはみんな同じなのだろう。
 ケンスケの音頭で乾杯が行われるすぐに、あちこちから歓声や嬌声、時に
は罵声までもが上がり始めていた。

 シンジも時折お店の入り口に視線を走らせながら、隣に座ったトウジと静
かに話を始めていた。
 最近あまり会う機会がなかったためか、テーブルの向かいに座ったヒカリ
を交えながら、大学やバイト先での出来事などでひとしきり盛り上がる。
 ケンスケはというと、一人一人にお酒をついで回りながら自己アピールに
余念がない。

「アスカ、遅いわねぇ」

 目の前の大皿にある料理をつつきながら、ヒカリがシンジに意味ありげな
視線を投げかけた。
 その視線から目をそらしながら、そうみたいだね――と、気のない振りで
シンジは応える。

 アスカとの間に何があったのか、まだシンジは誰にも話をしていなかった
が――いや、できなかったというのが事実かもしれないが、少なくともアス
カがヒカリに事情を話していることはシンジにもわかった。

 そりゃ、いつかはバれることだけど……

 ヒカリの視線に居心地の悪さを感じながら頭を上げたシンジの表情が、突
然明るく変わる。
 視線の先には、お店の入り口ののれんをくぐるアスカの姿があった。
 シンジが小さく手を挙げると、そっと、他のみんなに気づかれないように
シンジたちのテーブルに近づいてくる。
 ヒカリが少し席をつめて、シンジの正面にアスカが座る形になった。

「遅かったんだね。何かあったの?」

 シンジが少しだけ身を乗り出した。

「ちょっと雑用が入っちゃって。ま、ウチのバイトじゃ良くあることだから」

 アスカは後ろでくくった髪をほどきながら答える。

「ふ〜ん……そうなんだ……」

 素っ気ないアスカの答えに、シンジの表情がわずかに曇る。
 そんなシンジの様子に気づいたのか、

「ん? あたしの顔が見たくてしょうがなかったって顔してるわよ」

「な……! バカなこと言うなよなぁ!」

 思わず声を張り上げてしまうシンジに、トウジがとぼけた口調でツッコミ
を入れる。

「なんやセンセ、お酒もたいして飲んどらんのに、顔が赤いで」
「あら、ホントねぇ。どうしたの碇君? もしかして図星?」

 トウジとヒカリに絶妙のコンビネーションでからかわれ、シンジはますま
す顔を赤くした。
 くっくっと声を押し殺して笑うアスカとは対照的に、シンジは仏頂面でト
ウジを睨み付ける。

 なんだよ……

 トウジも知ってたんじゃないか……

        *        *        *

「……でね。うちのガッコのセンセって、ハゲばっかりなの。
 女子校だから、もしかしてそーゆー規則があるのかもしれないね」

 言いながら、シンジの隣に座った同級生の女の子は快活に笑った。

 アスカが来てからしばらく懐かしい話題で盛り上がったあとは、次第に他
の同級生との会話に花が咲き始めていた。
 シンジは、今話している同級生とはそれほど親しかったわけではないが、明るくいつも笑っていた女の子だったことは覚えていた。
 その性格は今も変わっていないようで、相手の調子に乗せられて、シンジ
はめずらしく、アスカ以外の女性と楽しい会話を続けていた。

「いいなー。ハゲでもいいから、僕も先生になろうかな」

 そしてシンジの口から珍しく軽口が飛んだ瞬間。

「痛っ!」

 シンジの顔が突然ゆがんだ。
 右足のすねに何か固いものがぶつかる感触があり、激痛が走ったのだ。

「どうしたの?」

 ビックリしたように隣の子がシンジに声をかける。

「な、なんでもないよ。ちょっと足ぶつけちゃって……」

 シンジはチラリと、正面にあるアスカの顔を見た。
 アスカは隣に座っているヒカリとの会話に夢中で、シンジのことには全く
関心を寄せていないように見える。
 だが、自分で足を動かした覚えはなかったので、誰かの足がぶつかったの
は明らかだった。しかも故意にぶつけたとしか思えない鋭さで。

 じ〜っと見つめていても、全く反応しないアスカの様子を見れば、いくら
鈍感なシンジと言えども、何が起こったのかは容易に想像がつく。

「ね、どうしたの?」

「え? あ、ああ……いや、その……ははは……」

 それを拍子に会話に歯切れが無くなったからかはわからないが、シンジは
会話に取り残されはじめ、しばらくすると独りで料理をつまむ状態に陥って
しまった。
 逆にアスカの周りにはたくさんの男たちが入れ替わり寄ってきて、楽しそ
うな表情で会話を楽しんでいた。
 シンジの顔には、彼にしては珍しいほど不満の表情が浮かんでいる。

 なんだよ……自分だって……

 アスカがかなりの量のお酒を飲んでいるのが、いっそうシンジの心を波立
たせているようだ。
 追い討ちをかけるようにアスカの笑い声がシンジの耳に突き刺さり、その
場にいたたまれなくなったシンジは、とうとう席を立った。
 そしてつまらなさそーにトイレへ向かう。

「ん? どうしたの、惣流さん?」

 さっきまで盛り上がっていた会話がふと途切れて、男はいぶかしげにアス
カの顔をのぞき込んだ。

「え? あ、ううん、何でもないんだけど……」

 シンジの背中から視線を引き戻すと、慌ててアスカは言った。

「ごめん。あたし、もう帰らなきゃ」

        *        *        *

 シンジがトイレから戻ってくると、ちょうどアスカが席を立つところだっ
た。

「それじゃ、あたし、これで帰りまーす!」

 大きな声でアスカが宣言した途端。
 
「僕が(俺が)送るよ!!」

 何人かの男が一斉に腰を浮かした。
 が、アスカはニッコリと笑うと、

「あ、いいですよお。こいつん家が近くですから」

 と、ぼーっと側に突っ立っていたシンジの肩をぽんっと叩いた。

「へ? 僕?」

 家、そんなに近くないけど――と続けようとしたシンジの口は、アスカの
一睨みで閉ざされる。
 
「じゃ、そーゆーことで!」

 男たちの視線が強烈に突き刺さる中、シンジはひきつった笑いを浮かべな
がらアスカに引きずられて店を出た。

                           <後編へ続く>



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