外伝其の四 Wind bell

written on 1999/7/25


 

 

「ほんっとにあついわねー!」

 

「十二回目」

 

「うっ……。数えるのやめてよ。いらいらするじゃない」

 

 うだるような夏の暑さの中。

 リビングのソファーにだらしなく寝ころびながら、アスカはつけっぱなし

のテレビを見るでもなくゴロゴロとしていた。

 ときおり恨めしげな声で暑さへの不満を口にしているが、それをただ一人

聞く立場であるシンジは、キッチンのテーブルでさっきから静かにノートに

なにかを書き付けている。

 ときおり側に置いた電卓を叩いているところをみると、やはり家計簿なの

だろうか。

 

「まだ修理の人こないの?」

 

「しかたないよ。この暑さじゃ今日はどこもたいへんなんじゃない」

 

「こんなときこそ稼ぎ時でしょう? サービスがなってないわ」

 

「このクーラーもずいぶん使ってるからね。そろそろ買い換え時かなぁ」

 

「だからあのとき新品買おうって言ったのに……」

 

「だってアスカが余計なもの買っちゃうからお金なくなったんじゃないか」

 

「カードで買えば――」

 

「ダメ」

 

「別にそんなにたいした額じゃなかったんだし」

 

「ぜったいダメ」

 

「……ケチ」

 

 アスカはソファーの肘掛けに乗せていた頭を少し突き出して、逆さまの視

線でシンジを見つめるが、いつも通り断固拒否のオーラを身にまとっている

その姿に、諦め顔でまたぐったりとソファーに身を沈める。

 

 一緒に暮らしはじめて多少は楽になったものの、まだ大学へ通う身分とし

ては、それほど家計が楽ではないことをアスカもわかっていた。

 お互い親に助けてもらえる環境でもなく、現在も、そして未来もすべて自

分たちの手で生活をしていかなければならないため、財布の紐が堅くなるの

は仕方がないことだった。

 もちろん所帯じみた生活が嫌いなアスカのために、シンジが上手くやりく

りをして、出すところは無駄に思えるくらいしっかり出してくれることもわ

かっていたため、アスカもときどきこうやって軽い不平をぶつける程度だっ

た。

 つまり、生活の面では、アスカはすっかりシンジの手のひらの上にあった

のである。

 

「ねー、アイスもうないのー?」

 

 ごそごそとソファーから這い出して冷凍庫を漁るアスカ。

 目的のものが見つからずまたまた恨めしそうな声を上げる。

 

「1箱ぜんぶたべちゃったの!?」

 

 はじめてシンジが顔を上げてアスカの方を向いた。

 冷静な表情の中にも微かに瞳に非難の色が混じる。

 よくみると額にうっすらと汗をかいている。

『僕の分は?』

 アスカにはまるでそう聞こえた。

 

「ねー買ってきてー」

 

 シンジが放つ痛い視線をさりげなく逸らしつつ、アスカは甘えるような声

をあげた。

 

「お腹壊すよ」

 

 ふぅ。と小さくため息を挟んでシンジ。

 

「いいの」

 

「よくないよ。明日は久しぶりにみんなと海にいくんだから」

 

「そりゃそうだけど……。なんとかしてよー」

 

 ついにだだをこねはじめるアスカ。

 冷蔵庫のドアを開いたまま、ひらひらと手のひらで首筋を扇ぐ。

 

「しかたないなぁ……」

 

 おもむろにシンジが立ち上がり、物置として使っている小さな部屋に向か

った。

 その様子を期待に満ちた目でアスカが追う。

 

「なになに?」

 

 シンジが戻ってきたとき手にしていたのは風鈴とござだった。

 首を傾げるアスカをよそに、シンジはキッチンとリビングの窓を全開にし

て一番風通しの良いところにござを敷くと、テレビを消して窓ぎわに風鈴を

吊り下げた。

 

 チリン、チリン。

 

 涼しげな音色がアスカの耳を打った。

 

「それ……風鈴ってやつだっけ?」

 

「そうそう。この前、冬月さんのとこからもらってきたんだ」

 

「へー。綺麗な音」

 

「じゃ、次はこれに寝っころがって」

 

 シンジがござを指さした。

 

「えー? なんで?」

 

「いいから」

 

「ぶー」

 

 この暑さに反抗する気力も失せたのか、いつものアスカと違い、口をとが

らせただけですんなりとシンジの指示に従う。

 

「それじゃ目をつぶって。よーく耳を澄ませて」

 

 アスカはシンジの言うとおりに横になると目を閉じた。

 そしてじっと聞こえてくる物音に集中する。

 

 軽やかな音色を上げる風鈴。

 

 いつもは暑さを倍増させる蝉の声も、どこか叙情的な雰囲気を感じさせて

くれる。

 

 そして、どこからともなく聞こえてくる子供たちの声。

 

 気がつくとさきほどまでの暑さをそれほど感じなくなっていた。

 気持ちのもちようでこんなにも変わるものなんだ、とアスカは少し驚いて

同じように隣に身体を横たえたシンジの方に顔を向ける。

 シンジはいつものように落ち着いた表情で目をつぶっていた。

 端正な横顔にはうっすらと汗がにじんでいるが、口元は少し笑っているよ

うに見えた。

 再びアスカは目を閉じて耳を澄ませた。

 ふと聞き慣れた子供の泣き声が聞こえてきた。

 

「あ……。また涼子ちゃん泣いてる」

 

「怒られてるの圭太君だね」

 

「え?」

 

「あ?」

 

「「知ってるの?」」

 

 二人の声がハモった。

 そしてお互い軽く笑い声を上げる。

 

「なーんだ。そうなんだ。あたし涼子ちゃんの友達なの」

 

「そこの団地の子だよね? 圭太君とは近くの公園でよく会うんだ」

 

「あの二人、いっつも喧嘩してるでしょ」

 

「そうそう。んで圭太君が涼子ちゃん泣かせて怒られるんだよね」

 

「圭太君って好きなんでしょ? 涼子ちゃんのこと」

 

「たぶん。自分では絶対言わないけど」

 

「子供ってやっぱりそうなんだ」

 

「可愛い子はついついいじめたくなるってやつだね」

 

「ふーん……」

 

 チリン、チリン。

 

 少し涼しさを帯びてきた午後の風に風鈴の音色が運ばれる。

 

「いたっ」

 

 シンジが突然身体をすくませて声を上げた。

 アスカの拳がぐりぐりと脇腹に押しつけられたのだ。

 

「なにすんだよ」

 

「なんでもなーい」

 

 突然のアスカの行動に不思議がるシンジ。

 くっくっくと楽しそうな笑い声を上げるアスカ。

 

 今日も変わらず第3新東京市は暑かった。

 

 

                              Fin.

 


 めずらしくネタが季節に合いました。

 風鈴はいいねぇ。リリンが……以下略(笑)



DARUの部屋へ戻る
inserted by FC2 system