雪の日

   

 シャー!

 カーテンを開けると、いつもに増した日の光がリビングに差し込んでくる。

 「ゆきー!」

 眼科に広がる銀世界に、彼女はとりあえず叫んでみた。体を冷やす冷気に対抗するように、右に左に体を動かす。

 リビングの入り口に、眠気眼のシンジが立っている。

 「・・・おはよ〜」

 「おはよシンジ!ほら見て、ゆきよ雪!」

 「・・・はやいねアスカ。昨日天気予報でそんなこといってたっけ。・・・朝ご飯にするから、ちょっと待ってて・・・」

 自分よりも早く起きている同居人を見て少し驚いたが、昨日遅くまで起きていたせいで頭がまだ働かない。

 「しゃきっとしなさい、しゃきっと!ペンペ〜ン、雪よ〜!」

 冷蔵庫で寝ている同居人その2をたたき起こす。彼は抗議の声をあげるも、彼女には通用しない。先ほどのシンジと同じように目をこすりながら、トテトテとベランダの方へとあるいていく。『雪』の存在を確かめるようだ。

 (アスカ朝から元気だな)

 トーストとスクランブルエッグの用意をしながら、聞こえてくる声に耳を傾ける。いつもは起こさなければ起きない彼女が、今日はいったいどうした事だろう。コーヒーメーカーに火を入れてテキパキと朝の準備をこなしていく。早く起きたのならここまでやってくれればとも思うのだが、下手な期待は持たないに限る。

 「ミサト〜、おきなさい!雪よ〜」

 (ホント、元気だな・・・)

 快晴だった。

 

 
 

 学校へ向かう途中、見知った背中たちを見つけて声をかける。

 「オハヨ、ヒカリ!」

 「アスカ、おはよう」

 「雪積もったわね〜!」

 「アスカ、嬉しそうね」

 「そう?」

 太陽のような笑顔を見せる。

 先に行ってしまった彼女はとりあえず置いといて、自分は自分のペースで歩いていく。

 「おはようさん」

 「あ、トウジおはよう」

 「なんや、おまえの嫁はん朝から元気やなぁ。このくそ寒いのに」

 「嫁って、そんなんじゃないってば」

 寒いのは苦手なのか、トウジにいつものきれは無い。が、言う事はいつもと変わりない。

 「アスカ、朝からああなんだよね。すごいはしゃいじゃっててさ」

 前を見ると、赤い長靴で積もった雪を元気よく蹴り飛ばしていた。隣のヒカリはどう対処したものかとおろおろしている。

 「いるよね〜、台風とか雪とかになると、何故か異常にはしゃぐひとって」

 「ありゃ典型やな」

 見るとアスカは座り込んで雪球を作り始めた。どう見てもあのはしゃぎようは小学生以下である。と、その雪球がこちらに向かって飛んできた。とっさに右に避ける。

 「や〜〜いや〜〜い♪」

 「・・・・・ふぅ」

 「・・・猿ね」

 「!綾波!」

 すぐ後ろにレイがいた。さすがにこれは心臓に悪い。

 「お前、いつからそこに」

 「・・・始めから」

 「少しでええから、気配ちゅ〜もんをだしこいや」

 「そう?次からはそうする」

 とは言うものの、あまり期待できそうにない。改めて前方に視線を戻す。

 楽しそうだった。心のそこからの笑顔、彼女があまり見せない貴重なもの。何故か誰にも見せたくないと思った。独り占めにしたいと思った。

 (あれはあれで・・・・可愛いよね)

 「センセ」

 ニヤリ顔のトウジがにじり寄ってくる。

 「!な、何?」

 「今、可愛いなぁとかおもっとったやろ」

 見透かされて、あたふたする以外選択肢は無かった。

 「な、そ、そんな!」

 「顔に書いたったで。わっかりやすいなぁ」

 笑いながら背中を叩くが、手袋をしているのでポスポスとしか音は出ない。

 「・・・先、行くから」

 空気が凍った。シンジには理由は判らなかったが、レイの周りの気温が落ち込んでいる。

 「う、うん・・」

 他の登校者を威嚇しながら、レイがは早足で学校に向かう。

 「綾波の奴、怒ってへんかったか?」

 「どうしたんだろ?」

 (でも、・・・まぁいっか)

 先に見えるアスカの笑顔を見て、なんとなくそう思った。

 
 

 授業中もアスカはそっちのけで窓の外ばかりを見ていた。完全に授業は無視しているようだ。今先生に当てられたら完全にやばいと、見ているシンジがハラハラするぐらいに。

 そう、彼もまた意識の50パーセントを授業外のことに用いていた。彼女のように窓の外ではなく、その外を見ている彼女の方へと。

 見ていて飽きない、そう思う。ニヤニヤと外を見ていると思ったら急に思い出し笑いをしてみたり、少し困った顔をしたと思ったらパアっと表情が明るくなったり。

 やっと適確な表現が思い浮かんだ。

 (百面相っていうんだよね。でも、口元緩みっぱなしだよ)

 そんなアスカがおかしくて、シンジにも思わず笑みがこぼれてしまった。

 ただ、さっきから気になっていることがあった。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ彼女の表情が曇るのだ。それは、ガムをかんだ時一緒に銀紙を噛んだくらい異質で、不釣合いなものだった。他の誰かなら見落としたかもしれないが、彼の目にはその表情が焼きつく。その一瞬がシンジには苦々しく、そして不思議だった。名画に傷がつく、そんな気がして。

 (どうして・・・・・・)

 「・・・じゃあ次の文、碇訳してみろ」

 「え!?あ、はい!・・・・・・・・・っと、どこですか?」

 「ばかもの、しばらくそのまま立ってろ」

 クラスメートの笑いが痛い。

 (もう!アスカのせいだ!)

 なんとなく八つ当たりをしてみる。その視線に気付いたのか、アスカは小首を傾げた。

 
 

 昼休み。

 「雪合戦やるわよ!」

 彼女はいつも唐突だ。思考が不連続なのだろうとシンジは予想する。

 「参加する奴、ついてきなさい!」

 「「「「「「「おぉ〜!」」」」」」」

 男子の半数が名乗りをあげ、女子も数人がついて行く。ただそこに、ヒカリの姿があった事に驚き、レイの姿を見つけてさらに驚いた。

 「ん?なんやシンジ、お前は行かんのか?」

 「僕はもうちょっとこの平和を謳歌してたいんだ」

 「なんや?わけわからんで」

 「もうすぐわかるよ」

 何か悟ったような口調で、遠くを見る眼で答える。ヒカリを見つけたからではないのだが、こういうのに一番参加しそうな彼が動かない事を不思議に思って聞いてみる。

 「トウジこそ、行かないの?」

 トウジは外を見、体を縮こまらせた。

 「ワシは寒いのが苦手でな。上から観戦させてもらうわ」

 『シンジ〜!』

 外から声が聞こえて、しぶしぶ窓から顔を出す。

 『何やってんの〜!早く来なさい!』

 しぶしぶドアへと向かう。

 「僕は強制参加なんだ・・・・」

 「さよか・・・」

 彼のDNAには『アスカに逆らえない』という遺伝子も組み込まれている。

 
 

 結局のところ、アスカと何故か一日不機嫌なレイにボッコボコにのされて、午後の授業はまったく身が入らず、散々な一日を送る羽目になった。

 (なんか雪が嫌いになりそう・・・)

 カバンに教科書を詰めながら、溜息が一つ。

 「な〜に不景気そうな顔してんのよ。ほら、帰るわよ」

 (アスカのせいだよ!)

 八つ当たりでもしておかないと救われない気がしたので、しておく。

 「ほら、グズグズしない!」

 「は、はい!」

 逆らえないが。 
 

 道路の雪ははすでに凍っていて、滑りやすくなっていた。事実、もうすでに三回ほど転びそうになっていたし、そのうち一回は見事に転倒もしていたのだ。

 が、不思議な事に隣のアスカはまったくそれらしいことはない。

 聞いてみると、

 「ボケボケっとしてなかったら、転ばないわよ」

 だそうだ。

 足元に細心の注意を払いながら、コンフォートへと向かう。

 「ねぇシンジ」

 「なに?ウワッ!」

 4度目。どうやら気を抜くとダメらしい。

 「何してんの。ほら、つかまって」

 彼女の手を借りて、ようやく立ち上がる。しかし、少しだけ残念だった。

 (手袋してなかったらなぁ)

 「シンジ、聞いてる?」

 「え?あ、何?」

 「だから、公園寄っていかないって言ってるの」

 「へ?公園?イヤ、別に、いいけど・・・・」

 彼女の顔がほころぶ。

 「よし、決まりね」

 「でもなんで・・・」

 彼の右手が彼女の手につかまれる。

 「良いから、行くわよ」

 「わっ!アスカ、走ったら危ないよ!」 
 

 公園は閑散としていた。一面が真っ白で、自分たちのほかに誰もいないといってもいい。散歩の後であろう、犬の足跡もそのまま残っていたりする。

 「・・・・で、僕は何をしてるの?」

 雪球を転がしていた。まだ大きさは握りこぶし二つ分だろうか。

 「雪だるまを作ってるの。良いから、転がしなさい」

 (雪だるまって・・・・、今時小学生でも作らないよそんなの・・・・)

 「どうせ作るんなら、おっきいの作るわよ〜!私が頭だから、シンジは私の二倍くらいの雪球よ」

 拒否権はないんだろうなぁと思う。そんなものがあったらここへすら来ていないのだろう。屈みながら、ちらりとアスカを盗み見る。

 「フンフンフ〜ンフ〜ン♪」

 上機嫌だった。本当に楽しそうだ。

 (ま、いっか)

 もしかしたら、彼は進んで尻にしかれに行っているのかもしれない。それが彼のサガなのか、アスカの調教の賜物なのかはさて置いてだ。 
 

 単調な作業だ。転がすたびに丸は一回りずつ大きくなっていって、今では1メートルは無いにしても、60〜70センチほどの大きさになっていた。アスカはと言えば、顔の製作はすでに終えており、今は小雪だるまの製作に取り掛かっている。

 (不毛、だよね・・・)

 思っていても、実行は出来ない。

 「私ね」

 突然アスカが口を開いた。彼女の方を見るとこちらを向いていない。が、間違いなく自分に話し掛けているのだろう。ここには二人しかいないのだから。

 「雪が降ると嬉しくて仕方ないんだ〜」

 「うん、なんとなく分かってた」

 転がす手を止め、アスカをじっと見る。そうしなければいけない気がした。

 「ドイツにいる時、雪が降ると必ずママと遊んだんだ」

 「・・・・・」

 「いっつも仕事だったし、急にいなくなっちゃって遊んだ記憶とかほとんど無いんだけど、雪が降ると必ず私と遊んでくれた」

 空を見上げる。その表情からはまだ何も読み取れない。

 「雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり・・・。楽しかった〜。ママとの一番楽しい思い出。最初ね、雪だるまを作った時、何故か上手く丸い玉が作れなくて、必ず三角形になっちゃうの。それが悔しくてさ・・・」

 (泣いて、るのかな)

 涙は流していなかった。ただ、シンジにはそう見えた。

 「ママに聞いたら『それはアスカちゃんだけの雪だるまになるわね』って。・・・フフ、結局三角形の顔した雪だるま作ったんだけどさ。・・・だからね、小さいとき良く思ったんだ、毎日雪が降らないかなって」

 「うん・・・・、わかる、気がする」

 「だから、雪が降るとそれを思い出すのよ。あの時を。だから無条件で嬉しくなっちゃうのよね」

 パンパンと体についた雪を払い落とした。

 「あ〜あ、何話してるんだろ私。シンジ!胴体部分できたの!?」

 急に話が戻ったせいで、ついていけない。

 「え、あ、うん。もう少し、かな?」

 「まだ出来てないの〜?ほら、手伝ってあげるからさっさと作りなさい」

 シンジのまぶたからは、まだあの顔が消えなかった。彼女の、アスカの泣いている顔が。 
 

 「うんしょ・・・」

 顔を持ち上げて完成。

 「で、出来た〜」

 落ちていた片方だけの手袋と、その辺に有った木で、簡易の手と顔もついた『雪だるまさん』(アスカ命名)が出来上がった。

 「つ、つかれた〜」

 「何いってんの、これくらいで」

 その場に座り込んで後ろ手をついてしまっているシンジは、肩で息をしている。

 「そんなこといったって、大変なところは全部僕がやったんじゃないか」

 「男ならぶちぶち言わないの。ほら」

 投げてよこしたのは、ホットの缶コーヒー。

 「あ、ありがと」

 「私のおごりよ。感謝しなさい」

 「うん」

 周りを見ると、すでに日は落ち街灯が灯っていた。結構熱中していたらしく、時間など全然気にしていなかった。

 「さて、帰りましょうか」

 「うん・・・・」

 素直に『もう少しいたい』という言葉は出てこなかった。 
 

 このあたりは除雪機でも動いたのだろう、雪は周りにしかなかった。一メートルほど前を行くアスカと、その後ろを行くシンジ。彼はアスカの背を見ながら、この距離がもどかしくて仕方なかった。

 この距離を少しでも縮めたくて、彼女に少しでも近付きたくて声をかける。

 「アスカ」

 「ん、なに?」

 しかし、続かない。何か言わなくては、何か聞かなければいけないのに。僕達の関係では、まだ声を出さなければ思いは届かないのだから。

 「いや、何でもない」

 「変なの」

 また、歩き出す。

 「けど残念ね〜。明日にはこの雪、消えちゃうんだもんね〜」

 星空を見ながらアスカがそう呟いた。

 あの顔だ。学校で見せたあの顔。どこか愁いを帯びて、どこか悲しげなあの顔。ダメだ、アスカは、アスカには、こんな顔させちゃいけない!

 「僕は」

 星が、瞬く。

 「なに?」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「僕は消えたりしないから」

 「・・・・・」

 「僕は、ずっと、アスカのそばにいるから」

 白い息は、その跡を残してやがて消える。

 一瞬の沈黙。永遠の沈黙。

 街灯に照らされた2人は、じっと見詰め合っていた。

 フっとアスカの表情が緩む。少しだけ俯くと二歩、シンジとの距離を詰めて、彼の腕に自分の腕を絡めた。

 「・・・ありがと」

 「うん」

 寄り添い歩く、二つの影。

 さっきまで無限に思えた1メートルは、もう、無い。

 「シンジ、暖かいね」

 「アスカも暖かい」

 「ねぇ」

 「なに?」

 「・・・・何でもない」

 なんとなく分かった。多分2人は同じ気持ちなのだろうから。

 「アスカ、遠回りして、帰ろっか」

 「うん」

 「ミサトさん待ってるかな?」

 「うん」

 「でも、いっか」

 「うん」

 
 

 2人が見えなくなっても、雪だるまさんは手を振りつづけていた。彼は楽しみにしている。水になって、海に還り、また雪となって彼らと会う時、彼らがどのような道を歩いているのかを。ただ一つ確信している事は、その時もまた、2人が寄り添っているだろうという事だった。




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