それは、何故か僕を呼んでいるような気がした。
道端の、怪しげな露店。
座り込んで、手に取ってみた。
何となく気に入って...ギリギリ、買えない値段じゃなかったから...気が付くと、買っていた。
お小遣い3ヶ月分か...新しいS−DATを買うつもりだったけど...当分、買えないや。
僕は、それをポケットにしまうと、本部へ向かった。
今日も、テスト。
明日も、テスト。
もう、使徒は来ないけど。
純粋な研究目的だと言って...僕たちは、今もEvaに乗っている。
いつも誰かが側にいて。
二人きりになるチャンスが来たのは、帰り際だった。
今日は食事当番だから、時間がない。
急がなくちゃ。
「あのっ! あ、あやなみ...」
「何?」
そう言って、綾波は微かな笑顔を浮かべた。
綾波と出会って1年ちょっと、ようやく、綾波の表情が、少しだけ分かるようになってきた。
この笑顔も、以前だと無表情にしか見えなかったんだよな...。
「そのっ、これ...あ、綾波にさ...似合うと思って...。 あ、迷惑なら...捨ててくれて、構わないから...」
箱の蓋を開けて見て、綾波は怪訝そうな表情を浮かべたけど...。
「.....ありがと.....」
そう言って、綾波は箱を閉じると、大事そうにポケットにしまった。
はぁ、僕は、何を期待していたんだろう...っと、もう、時間がない!
「あの...じゃ、僕、今日も食事当番だから...。 また、明日ね...」
それだけ言うのがやっとだった。
僕は、踵を返すと走り出した。
頬が熱い。
僕、きっと真っ赤だ。
綾波、気がついちゃったかな? ...ハズカシ...
「碇くん...」
翌日、僕は綾波に呼び止められた。
周りには誰もいない。
今日の食事当番はミサトさん。
アスカは、早々に委員長んちへ避難。
スタッフのみんなもミサトさんを含めて会議中。
邪魔は入らないタイミング。
「何?」
綾波は、昨日の箱を取り出した。
中身だけ出して、箱はポケットに戻した。
「これ...こうして使うものだったのね...」
そう言うと...誰の目にもはっきりと分かるくらい眩しい微笑みを浮かべて...
綾波は、それを...銀の指輪を...左手の、薬指にはめた。
衝動買いだったからサイズもろくに見てなかったのに...
それは、あつらえたようにぴったりと収まった。
幾つかの小さな合成ダイヤが填まった、シンプルなデザインリングは、綾波の細い、白い指によく似合った。
...え?! 左手の、薬指?!
「綾波...もしかして、指輪...知らなかった、とか...?」
「うん...。 昨日、あの後これ見てたら...伊吹二尉が、教えてくれたの...」
「マヤさんが...」
よかった...マヤさんなら、いいかげんなことは教えてないよな...って、じゃぁ、綾波...
「左手の薬指の意味も、教えてもらったの...。 ねぇ...碇くん...このままで、いい?」
レイは...まっすぐに僕を見た。
真摯な視線。
紅い瞳に吸い寄せられるように...僕はレイに近づいて...思わず、抱きしめた。
「レイ...ありがとう...」
「私...碇くんのものに、なっていいのね?」
消え入るような...甘い、囁き。
僕は、返事の代りに、抱きしめた腕に力を込めた。
そして...レイも、しなやかな腕を僕の背に回し...。
レイの重みと柔らかさを...温もりを...そして、優しい、甘い香りを全身で感じて...僕は、幸せだった。
この時が、いつまでも続いて欲しい。
そう、願った...。
でも、この抱擁と...指輪をミサトさんをはじめスタッフ一同に、父さんにまで見られてしまったのは、誤算だった。
当然、事はアスカの耳にも入り...アスカは、なぜか、1週間、帰って来なかった。
委員長によると、そうとう荒れてたらしいけど、う〜ん、どうしてだろう?
...ともあれ、委員長、ゴメン!
その女性は、銀の指輪を眺めていた。
少し古びたデザイン。
細身とはいえ、170cmあまりと女性にしては長身の彼女には、明らかに小さすぎる指輪。
でも、それを見つめる視線は、優しく、幸せそうだった。
「わ、かわいい指輪! ねぇ、お母さん、それ借りていい?」
「これは駄目」
「え〜っ! なんでぇ?! どうせ、これもう入んないでしょ?」
「でも、これだけは駄目よ。 ...これはね、とても大切なものなの...」
「ふぅ〜ん...。 もしかして、初恋の人に貰ったとか?」
今年15歳になる少女は、母親そっくりの顔に、母とは対照的ないたずらっぽい微笑みを浮かべた。
母親は、当時を思い出したのか、ついつい頬を染めてしまう。
「あ〜っ、図星なんだぁ! お父さんに言っちゃおっかな〜」
「僕がどうしたって?」
「あ! お父さん! お母さんったらね〜、『初恋の人』にもらった指輪なんて見てるのよ!」
少女は、2階から降りてきた父親に矛先を変えた。
190cmを超える長身の父親は、150cmあまりながら、15歳にしては発育のよろしい娘にまとわりつかれて、少しはにかんだような笑みを見せる。
「ん? ...あ、そうか...今日だったね...」
「そうね...。 早いものだわ。 もう、20年になるのね...」
「え? え? もしかして、お母さんの初恋の人って...」
「そう。 お父さんよ」
そう言うと、母親は少女のような微笑みを浮かべた。
ただでさえ20代後半にしか見えないのが、こうしていると20代前半のようだ。
「はぁ〜、いまどき珍しいわね〜」
「ふふ...。 だからね、お母さんにとってはこの指輪が本当の婚約指輪なの。
だから、誰にも貸さないの。 代りにこれを貸してあげるから、我慢してちょうだい」
そう言って、小さなイヤリングを差し出した。
シンプルな、金のイヤリング。
落ち着いた輝きは、24金だろうか。
母親は、娘の耳に着けてやる。
「どう? これなら、それほど重くないと思うけど...」
「うん、大丈夫! ありがと、お母さん! ...っと、いっけな〜い、もう
時間ないわ! いってきま〜す!」
「あ、そうだ! 今日はお客さんが来るから、早く帰ってきなさい」
「え? 誰? 鈴原のおじさん? 相田のおじさんはこないだ来たわよね」
「惣流・アスカ・ラングレー」
「え、え〜っ! 惣流って、あの、スーパーモデルのぉ?! お父さん、
知り合いだったの?!」
「本人は、科学者と言った方が喜ぶと思うよ。 モデルは、研究費稼ぎの
アルバイトだって言ってるからね」
「はぁ〜い! でも、あの惣流・アスカ・ラングレーとお父さんが知り合い
だったなんて、知らなかったわ〜」
「お母さんともよ。 ほら、時間、ないんじゃなかったの?」
「あ〜っ、まっず〜い! いってきま〜す!」
紅い瞳と白い髪が印象的な少女は、慌てて駆け出した。
さすがに、トーストは咥えていないが(^^;。
「さてと...レイ、食事は、もう片付けちゃったかな? 昨日は...いや、
もう今日になってたな、3時まで会議だったからなぁ。 参るよ、最高
顧問殿には」
「ふふ...。 ちゃんと取ってありますよ、碇司令。 お味噌汁、温めなおすわね」
父親の外道な笑いを思い出してげんなりするシンジに、レイは優しい微笑みを向ける。
幸せは続く。
今までも。
そして、きっと、これからも...。
Junchoonさんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る