「ゲンドウ - 崩壊の瞬間」

Junchoon


 

「よう、待ったか?」

「いや...」

「済まんな、突然呼び出して」

「構わんさ。 どうせ、職場にいても邪魔にされるだけだ」

「...相変わらずだな...河岸を変えよう。 ここでは、落ち着いて話もでき

 ないからな」

 

バーの片隅。 二人、ロックを舐めながら。

 

「...綾波、何かあるんだろう?」

「分かるか?」

「分かるさ。 友達、と呼べるのはお前くらいなものだしな」

 

苦笑。

 

「お前、無条件に、とは言わんが、もう少し人を信用してもいいんじゃない

 か?」

「フッ、誤解されるのには慣れているさ」

「全く...。 ところで六分儀、『ゼーレ』という名、聞いた事はあるか?」

「いや...初めて聞く」

「俺も宮仕えながら...いや、だからかな、いろいろと裏の情報も入ってくる

 んだ」

「ふむ」

「どうも、きな臭い気配がする。 全人類の存亡にも関るかもしれない」

「話が大きいな」

「あぁ。 だが、見過ごせない情報が、みんなその『ゼーレ』に繋がってく

 るんだ。 表立っての調査では、ことごとく情報がブロックされてる。

 あとは、裏から調べるしかない」

「必要以上に首を突っ込まない方がいいんじゃないのか?」

「いや...こうなったら、とことん調べるさ。 それで頼みなんだが、万一、

 俺の消息が3日以上途絶えたら、あそこから情報を引き出してくれ。 知

 り得た全てを、入れておく。 それをどうするかは、任せる。 扱いを間

 違うと危険な目に遭うかもしれん。 匿名で公開してしまうのが一番とは

 思うが、世間一般は知らない方が幸せ、というものかもしれんからな。

 その場合は、きれいさっぱり消してくれてもいい」

「それほどまでして、調べるべきもの、か...」

「そうだ。 今まで俺が知り得た範囲でさえ、絶対に見過ごすわけには...許

 すわけにはいかないんだ」

「そうか...ならば、止めん。 だが、無茶はするな」

「するさ。 それだけの意味は、ある。 命を賭けるだけの価値も、な」

 

そこまで言うと、綾波と呼ばれた男はフッと表情を和ませた。

 

「なぁ、六分儀、お前、結婚を考えた事はあるか?」

「いや...俺とうまくやっていける女がいるとも思えんしな」

「お前らしいといえばお前らしいか...。 俺は、この頃考えるようになった

 よ。 30を過ぎて、周りの連中みんな結婚していって...。 というより

 もな、子供が欲しいと思うようになった」

「子供? お前が?」

 

少し、意外そうな表情のゲンドウ。 いつもの、皮肉な影は、束の間消えて

いた。

 

「あぁ。 女の子がいいな。 名前も考えてるんだ。 麗、ってな。 アヤ

 ナミレイ、なかなかいい響きだろ?」

 

いたずらっぽくウィンクして見せる綾波。 あきれ顔のゲンドウ。

 

「お前な、女房を探すのが先だろう」

「いいじゃないか...今回の件が片付いたら、じっくり探すさ」

「フッ、まぁ、頑張ってくれ」

 

席を立つ二人。 勘定を済ませ、店の前で別れた。

 

「じゃあな、また会おう。」

「あぁ」

 

それが、最期となった。 3日後、ゲンドウは知ることになる。 南極観光

ツアーの砕氷船沈没。 生存者は、確認されず。 過激派のテロ、と公表さ

れた。 そして。 その乗客名簿には。 綾波真一、の名があった。

 

 

 

 

ゲンドウには、「あそこ」というだけで充分だった。 刑事だった綾波の、

公表できない情報源からの情報を集めておく、プライベートな裏サーバー。

かつて、二人で面白がって作ったシステム。 当時のアクセスコードが、そ

のまま残してあった。 そして、そこでゲンドウが見た物は。

 

  ゼーレ。 その様々な行いの軌跡。 その忌むべき計画。

  聖母計画。 驚くべき事に、それは数千年前、キリスト教の成立より遥

  か以前にに端を発していた。 そして。 今も残る複数の血統。

 

  そして...死海文書。 日本語に翻訳された断片的なそれは、一般に知ら

  れるそれとは全く異なっていた。 それこそがすべての鍵。 現存する

  死海ととれなくはない記述。 しかし。 何かが噛み合わない。 南極

  へ向かい、消息を絶った綾波。 そこに、ヒントがあるのだろうか?

 

恐らく、綾波の頭の中には、何等かの仮説が成り立っていた事だろう。 だ

が、今となっては、ゲンドウにそれを知る術はない。 だが、唯一人、「親

友」と呼べた男の最後の決意を、無駄にはしたくなかった。

 

ゲンドウは、手の届く唯一の手がかり、聖母計画に目を向けた。 ヒトの手

で、ヒトであるメシアを創り上げるための母体、聖母。 そのために、数千

年の時をかけて磨き上げられた血統。

 

その純血種たる娘の一人が、京都に居た。 現存する聖母の血統の中、現時

点で、あるべき特徴を最も色濃く持った娘。

 

その娘の名は、碇ユイ。 そして、その背後には、ゼーレの影が見え隠れし

ていた。

 

 

碇ユイ。 ゼーレの進める聖母計画の核心に位置する娘。 しかし、本人は

まったくその意識はなかった。 いや、知りさえしなかった。 ゼーレにつ

いても、その実体は何一つ知らない。 「有利な条件で奨学金を出してくれ

る団体で、自分はたまたまその選にあたった」としか思っていない。 何度

か接触を重ねても、それ以上の情報は得られなかった。 故意に、世のダー

クサイドを見せぬように育てられてきたのだろう。 だが。 その割に、彼

女は優秀だった。 成績だけではない。 着想やひらめき、といったものが

並外れている。 知らされてはいなくとも、自らの、数千年の永きにわたり、

注意深く護りぬかれた特殊な血統を感じているのだろうか。 彼女は、遺伝

子に、とりわけ、その進化に強い関心を持っていた。 面白い娘だ。 ゲン

ドウは、いつしか彼女自信に興味を持つようになっていた。

 

不思議な安らぎを感じさせる娘。 何度か顔を合わせ、言葉を交わすうち、

ゲンドウはそんな印象を持った。 彼女の前に立つと、皮肉と虚勢で固めた

仮面が、なんとも頼りなく感じる。 いくら覆い隠しても、すべてを見抜か

れているようで。 しかし、悪い気分ではなかった。 彼女になら、綾波に

さえ見せなかった「本当の素顔」をさらけ出せる。 小心者で、寂しがり屋

の自分を...。 10歳も年下の娘相手に、なにをやっているんだか...ゲン

ドウは、つい自嘲的な笑みを見せてしまう。 そんなゲンドウを、ユイは

「かわいい」と笑った。 これが、「聖母」というものの本質なのだろうか?

 

それからも、ゲンドウは折りに触れ、ユイに会いに行った。 彼女と派手に

接触していれば、ゼーレが誘い出されてくると期待しての事だ。 だが。

それが、「ユイに会いたいから」に変わっていくのに、さほどの時間はかか

らなかった。 どうしようもなく、ユイを愛していく自分に気付いて、ゲン

ドウは愕然とした。

 

そんな頃。 ゲンドウは、ユイの口から「冬月」の名を聞く事になった。

日本の大学にあって、なかなか面白い研究をしていると。 ある日、酔漢に

からまれたゲンドウは、相手とともに警察の厄介になった。 その時。 ふ

と思い立って、ゲンドウは身元保証人に冬月を指名した。 転んでも、ただ

で起きるつもりはなかった。 自分の第1印象は最悪のようだ。 だが、ゲ

ンドウは、冬月を「潔癖症だが、できる男」と評した。 この男、使える...。

ゲンドウは、内心でほくそえんだ。

 

そして。 時は流れ、ゲンドウは、ユイの卒業を待ってプロポーズした。

彼女なら、自分とでもやっていけそうだ...そう確信できた事もある。 だが。

本当は、何より自分の気持ちを偽っていくのが空しくなってしまったから。

惚れてしまった物は、どうしようもない...それが、ゲンドウの結論。 ユイ

は、プロポーズを受けた。 やっとしてくれたわね、と笑って...。

 

 

転機は、唐突にやってきた。 まさかの、ゼーレからの直接の誘い。 否や

はない。 ゲンドウは、求めに応じた。 GEHIRNへ。 それは、ゼー

レの下部組織の一つ、その計画の中枢を担う存在だった。 いつしか、ゲン

ドウは綾波の弔い合戦より、新しい仕事に熱中するようになっていった。

もはや、ゼーレの計画は止めようのないところまで来ている。 ならば。

その後の世界をよき方向へ...。 それしか、ないと思った。

 

2000年。 運命の年。 悪夢の始まりの年。 南極で、巨大な人型の物

体が発見された。 国連は、事実の一部を隠し、真相を知らぬ調査隊を派遣

した。 葛城調査隊。 その中に、碇ゲンドウの名があった。 全ては、ゼ

ーレのさしがね。 ゲンドウに与えられた任務は、調査隊の攪乱。 気取ら

れずに情報を攪乱し、調査隊の現地到着を遅らせる事。 そして、その間に

別働隊が問題の物体...ゼーレは、アダムと呼んだ...から、公にする訳には

いかない「ある物」を回収する。 ゲンドウが知らされていたのは、それだ

けだった。

 

運命の日、その前日。 調査隊に司令が下った。 それまでの調査結果を全

て、GEHIRN日本支部に届けるように、そして、それを説明できる人物

を寄越すようにと。 その任務には、ゲンドウが指名されていた。

 

帰国したゲンドウを待っていたのは...セカンドインパクト。 ゲンドウは、

葛城調査隊の送った最後の映像を目にした。 調査隊を易々と屠っていく光

の巨人。 そして、もう1体の巨人が近づき...爆発的な光とともに、送信は

途絶えた。 最期まで残った、自動カメラの映像だった。

 

その瞬間を。 衛星は捉えていた。 南極から伸びた、2本の光の柱。 そ

れは、翼を広げると、ゆっくりと羽ばたくような動きを見せる。 同時に、

地上を光の衝撃波が駆け抜ける。 悪夢の到来を告げる、死のファンファー

レだった。

 

 

その時初めて、ゲンドウは知らされた。 それこそが、ゼーレが目論んでい

た事だと。 アダムと、もうひとつの使徒との接触による、セカンドインパ

クト。 その副作用としての、「洗礼」。 母の胎内で「洗礼」を受け、そ

れまでの「ヒト」にはない力を得た、「選ばれた子供達」。 その力をこそ、

ゼーレは望んだ。 そしてまた、「セカンドインパクト」の洗礼を生き延び

た大人達から生まれる子供も、いくばくかの力を持つ事になろう。 その子

供達を、新世紀を生きる、「新たなる子供達」を自らの意思に従わせる、そ

の牧童として。 ゼーレは、「聖母」より生まれし「メシア」を必要とした。

ゲンドウもまた、そうした「メシア」の父となるべく、「聖母」候補との出

会いを仕組まれた男の一人だったと。 ゼーレの男は、告げた。

 

この日。 ユイもまた、GEHIRNへと来ていた。 ゲンドウが帰ってく

ると知らされて。 そして。 二人にあてがわれた部屋にたどり着いたゲン

ドウに、ユイは、満面の笑顔で告げた。

 

  「赤ちゃんができたの」

 

と。 この子は、メシアとしてゼーレに利用される事になるのだろう...。

そう思うと、ゲンドウは素直に喜ぶ事はできなかった。

 

 

セカンドインパクト後の地獄の中。 混乱に次ぐ混乱。 復興の兆しは、一

向に見えて来ない。 それでも、刻一刻と時は流れていく。 ユイは臨月を

目前に、ゲンドウに問うた。 名前、考えてくれた?と。 ゲンドウの脳裏

に、綾波の面影が浮かぶ。 そう、子供の名前は、ユイと出会う前から決ま

っていた。 男なら、シンジ。 女なら、レイ、と...。

 

そして2001年。 碇シンジ、誕生。 どういう字にするかは任せる、と

言われ、ユイはすこし考え込むと、筆を執った。

 

  『命名 碇 真司』

 

真実を知り、真理を司る子に...。 そんな願いを込めて。 しかし、ゼーレ

は別の名を求めた。 碇 神嗣 − 神の力を継ぐ、神の子...そして、神を地

上に繋ぎとめる碇となる子。 こうして、シンジは表と裏、同じ響きの二つ

の名を持つ事になった。 この子は、この地獄の中を生きていくのか...多く

を知るが故のゲンドウの苦い呟きを、ユイは一笑に付して見せた。 生きて

いる限り、希望はある、と...。 ゲンドウは、「女」というものの強さを、

改めて見せ付けられ、救いを見出した気がした。

 

2002年。 セカンドインパクト後、初の正式調査隊が南極へ。 その調

査船の中には、ゲンドウ、そして冬月の姿があった。 ゲンドウの目的は一

つ。 使徒の...アダムの、組織と、あわよくばコアを持ち帰る事。 ゼーレ

の息のかかっていない一般隊員の目を逃れ、ゲンドウは奇跡的に無傷な...し

かし、その機能を完全に停止したコア、そして、使徒の物と思われる体組織

の破片を幾つか手に入れた。 それらは、別便で秘密裏に、GEHIRN日

本支部へと運ばれた。 その中で、体組織の一つが行方不明となったが、そ

れはまた別の話である。

 

翌年、国連は人工進化研究所の設立を決定する。 調査隊の報告を受け、南

極の想像を絶する環境の激変、それに対応するために必要となる、新たな形

質。 人類の将来に渡る安寧のためには、例え人為的であっても、人類を新

たな段階へ導く必要がある...そのための、研究機関として。 しかし、政治

の裏を知りうる者はみな知っていた。 これもまた、ゼーレの意思だと。

この研究所の所長の名は...碇ゲンドウ、であった。 そして、極秘裏にE計

画が始動した。 スタッフのリストには、碇ユイの名もあった。 日に日に

疲れていく夫を見かねてのことだった。 彼女の参画により、ようやく計画

は動きを見せはじめた。 E計画の本当の意味を知らず、ユイは研究に没頭

していった。 今、再び使徒が現れ、サードインパクトを引き起こせば人類

に未来はない。 それを防ぐための、使徒を撃退する力。 そのためのエヴ

ァンゲリオン。 そう、信じて...。

 

 

新たなる悲劇は、意外な形でやってきた。 2004年、箱根地下。 人類

以前の種族が残した球状空間、その中心。 この日、人為的にコアを創り出

す基礎データを得るため、南極で回収されたコアを、エヴァンゲリオン試験

体に仮組みし、復活させて反応を調べる。 E計画の実現への、小さな、し

かし、重要極まりない第1歩。 この実験は、ユイが担当した。 自ら、志

願してのことだった。 そして。 ユイはシンジを伴ってきた。 人類の、

明るい未来を見せてやりたい、と...。

 

コアの暴走。 未知のフィールドに捕えられて。 ユイは、コアの中へと姿

を消した。 窓の向こうに泣きじゃくるシンジの姿を認めて。 ユイは最期

の瞬間、微笑んで見せた。 Evaは未来を拓くもの、それを信じるがゆえ。

そして、我が子を愛するがゆえに。 その笑顔に込められた想いに気付いて

しまって。 ゲンドウは何も言えなくなってしまった。 取り乱してしまえ

れば、どんなに楽だったろうか。 いっそ、泣き喚いてしまいたかった。

だが。 涙は、ひと雫も流れなかった。 ゲンドウの中で、何かが音を立て

て崩れ落ちた。 心の中に、大きく、どこまでも深い穴が開いた。 そして。

口に出しはしない。 しかし、決然と。 ゲンドウは、いつの日かユイを取

り戻すと誓った。 そう、例え、どんな手段を使おうとも。 どのような犠

牲を払おうとも。自分自身さえも、道具にすぎなくなった − 碇外ン道、誕生

の瞬間。 そして、悪夢が始まる...。

 

 



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