「雨に打たれて」

Junchoon


 

...僕は、何をしてるんだろう? どうせ会う勇気なんてないのに、綾波の

アパートの近くに来て。 雨に、打たれて。 傘をさそう、なんて気は、起

きなかった。 心の中がぐちゃぐちゃで、わけが分からない。

 

雨の中で、僕は綾波の事を想った。 僕を護ろうとして、消えてしまった綾

波。 二人めだったらしい、綾波。 不思議な懐かしさを感じさせた彼女は、

もういない。 ...好きだった。 でも、失くしてから気付くなんて...。

 

僕は、うずくまって、彼女の事を想う。 雨の中。 ずぶ濡れのまま。 で

も、涙も出ない。 泣きたいのに、泣けない。 分からない。 とても、苦

しい。 誰か、助けて...。

 

「...何してるの?」

 

感情の読み取れない声。 綾波。 自分は、多分3人めだと言った綾波。

僕を護ってくれた事を、知らないと言った綾波。 そういえば、初めて会っ

た頃の綾波...二人めの綾波も、こんな話し方をしてたっけ...。

 

「風邪をひくわ。 ついてきて」

 

そう言って、綾波は僕に傘をさしかけた。 特に、拒む理由はなくて。 で

も、素直に返事が出来なくて。 僕は黙って頷くと、立ち上がった。

 

綾波のアパート。 あいかわらず、鍵はかけてない。 なんとなく入りづら

くて玄関前で立ち尽くしてしまう。 奥から水音。

 

「どうしたの? 入って」

 

「う、うん...お邪魔するよ」

 

...ダメだな。 やっぱり、まだ素直になれそうにないや。

 

「お風呂。 お湯入れたから、入って」

 

「え? でも...」

 

「いいから、入って」

 

「うん...ありがとう」

 

意を決して、風呂場に入る。 意外にも、ユニットバスの中はとてもきれい

だった。 部屋の汚れ具合が嘘のようだ。 そういえば、部屋は汚れ放題だ

けど、綾波っていつも身だしなみはきれいだったな。

 

そんなことを思いながら、服を脱いで、バスタブに漬かって、防水カーテン

を閉めた。 ほどなくして、ユニットバスのドアが開く。 僕は、少し身を

固くした。

 

「服、このままじゃ着られないから、乾かしに行ってくるわ。 ゆっくり暖

 まっていて。 出るなら、タオル掛けにバスタオル、出しておいたから。

 あと、私の服じゃ合わないから、ベッドのタオルケット、使って」

 

「あ、ありがとう...」

 

そっけない口ぶりだけど、綾波の思いやりを感じて、ちょっと自己嫌悪。

二人めとか三人めとか、気にする方がいけないのかな? でも...まだ、少

し割り切れない。

 

僕は、口元までバスタブに漬かる。 暖かい。 熱すぎず、ぬるすぎず。

まるで、綾波が僕の好みを知ってるみたいに、いい湯だった。 それとも、

綾波の好みが僕と同じなのかな?

 

いいかげん湯あたりしそうになっても、綾波が帰ってきた気配はなかった。

僕は、バスタブからあがると、お湯をおとしてバスタブを洗う。 体が冷え

ないうちに、綾波が用意してくれたバスタオルで体を拭く。 拭きながらふ

と見ると、ベルトと一緒に、ポケットの中の細々したものが、ぽつねんと置

かれていた。 ...それだけ?...(^^;

 

慌てて探しても、ない! ない!! 制服だけじゃなく、シャツも、パンツ

も! 確かに、下着までずぶ濡れだったけど、綾波、全部持ってっちゃった

んだ! かぁっと、顔が熱くなる。 でも、ないものはどうしようもないか

ら。 僕は、体を拭きおわったバスタオルを腰に巻いて、ユニットバスの扉

を開けた。 きちんと揃えて置いてあるスリッパを履くと。 埃を舞わせな

いように気をつけて、ベッドまで行く。

 

 このさい、どうのこうの言ってられないから、素直にベッドのタオルケッ

トを借りてくるまる。 ふわりと、綾波の匂いに包まれる。 ...いい匂い。

胸が、どきどきしてくる。 なのに。 どきどきしてるのに、妙に落ち着く。

何か変な、矛盾した感じ。 でも、気分は悪くない。 どうしちゃったのか

な、僕...。

 

 

...誰かが、頬に触れた。 少しも嫌じゃない、優しい愛撫。 ...誰...?

 

「お母さん...?」

 

声に出して、気がついた。 ハッとして目を開けると、目の前に、紅い瞳。

 

「あっ!...ご、ごめん! いつのまにか、その...寝ちゃってたみたいで」

 

「いいの...。 ごめんなさい、コインランドリー、混んでて...」

 

そう言うと、綾波は、胸に抱きしめるように持っていた服を差し出した。

 

...胸に、抱きしめ、た...?

 

僕は、不意に頬が熱くなるのを感じた。

 

「あ、ありがとう...」

 

綾波は答えなかったけど。 微かに、微笑んだように、見えた。 ...綾波

が...?

 

ハッとして見ると、綾波は、机の方に歩きだしたところだった。 気のせい

かな?

 

でも。 それにこだわってるより、まずは服を着ないと。 僕は、くるまっ

ていたタオルケットを脱ぐと、腰に巻いたタオルの下からパンツを穿く。

シャツをかぶると、ふわりと、綾波の香りがした。 すぐ側に綾波がいるせ

いか、甘い...優しい香りが、生々しく感じられて...こら、膨張するんじゃ

ない! ギクッとして見ると、綾波はコンビニの袋からいろいろ取り出して

いるところで、ぜんぜん気付いてないみたいだった。 ...よかった...。

 

僕は、そそくさと制服を身に着ける。 これもみんな、綾波の匂いがする。

もしかして、コインランドリーからここまで、ずっと、あんなふうに...?

 

ますます、ドキドキしてきた。 結局、立ったままでは声をかけられなくて。

僕は、ストンとベッドに腰を下ろす。 ...男って、悲しい生き物だよな...。

 

その音に気が付いたのか、綾波は声をかけるまでもなく振り返った。

 

「...終わった?」

 

「う、うん...。 ありがとう。 あ、た、タオル、洗って返すから...」

 

「いいわ」

 

そう言って、綾波は手を差し出した。 ...相変わらず、感情の読み取れな

い表情。

 

「え...でも...これ、体拭いてるし...そのっ...汚れてるだろうし...」

 

「いいの...」

 

「うん...。 じゃ...ありがとう」

 

バスタオルを渡すと、綾波はそれをパサリとひろげて椅子の背もたれに掛け

て。 コンビニの袋から出したサンドイッチのパックと缶コーヒーを差し出

した。

 

「おなか、すいてるでしょ? ...食べて」

 

「え? でも、綾波は?」

 

「私の分は、ちゃんとあるもの。 それに...私、お肉は食べないし」

 

よく見ると、綾波の分は野菜サンドとフルーツサンド。 どっちも小さめの

パッケージ。 僕の分は、カツサンドと、ミックスサンド。 ミックスサン

ドは、ハムサンドも入った、ちょっと大きめのパッケージだった。 ...確

かに、おなかもすいてるし...。

 

「うん...。 じゃ、いただきます」

 

僕と綾波は、二人でベッドに腰掛けてサンドイッチを食べた。 会話はない。

でも...なぜか、沈黙が不快じゃなかった。 不安じゃなかった。 何だか、

すごく落ち着いて...。

 

ひとわたり食べおわって、ゴミをまとめようとしていたら、その前に綾波が

コンビニの空き袋にまとめて、部屋の角に静かに置いた。

 

ふと時計が目に入る。 ...ヤバいっ! ミサトさん、帰ってきちゃってる

かな? どうしようっ!

 

「あのっ、ごめん! もう、帰らないと」

 

「..........そう.....」

 

綾波は、何か言いたそうに口を開きかけたけど、結局そう言っただけだった。

慌てて飛び出そうとする僕に、綾波は鞄と机の上に置いてあった小物とを差

し出した。 危ない危ない、カードがないと、ミサトさんがまだ帰ってなか

ったらうちにも入れない。

 

「じゃぁ...今日は、いろいろとありがとう...。 またね!」

 

「...うん...」

 

僕は、1階までついて来てくれた綾波にそういうと、くるりと踵を返して走

り出した。 いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。 エレベーターの

中から見送る綾波が、微かな声で、「また、来て」と、言ったような、気が、

した...。

 

 

      ---------- 雨に打たれて  完 ----------

 



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