「あれ、青葉君は?」

帰り支度を済ませて発令所をのぞいたミサトが尋ねた。

「あぁ、あいつなら今日はもう上がりました。なんせ水曜日ですから」

手元の漫画を置くと日向が言った。

「そっか水曜日か。どうりで朝から機嫌がいいわけね〜」

合点がいった様子でミサトが言った。

「なんせ水曜日ですから」

この一言で全てカタがつくらしい。

「じゃ、あたしも帰るわ。当直ご苦労さん」

「お疲れさまでした〜」

ミサトの姿が消えると再び発令所には静寂が訪れた…

「ぷくくくくく…」

…でもないらしい。

 

その夜もネルフ本部は平和だった。

 

 

 

 

 

【BAR children】

 

第二夜

 

 

 

ふとその階段が目に入った。

なぜだかわからないがその階段を下りたくなった。

気付いたらドアの前にいた。

 

BAR children

 

その店はいくつかの忠告と気合いと幸せを僕にくれた。

 

 

「いらっしゃいませ」

自分で言うのも何だが僕は指図されるのは嫌いな方だ。

だから、いつの間にか右のカウンターに座らされていたときは驚いた。

静かに流れる音楽がささくれだっていた心を少しずつほぐしてくれた。

「何にいたしましょうか?」

ウェイターが言った。

初めてはっきりと相手を見た。

思えば僕は他人をあまり気にかけない嫌な奴だった。

ウェイターは僕と同じくらいの身長で女みたいな顔だったが、それは見方の問題でいい男なのは疑いない。

…とりあえず水割りでももらおうか

「銘柄はなにかご指定が?」

…何でもいいや

「かしこまりました」

そういうとウェイターは僕の前から去った。

…ふぅ

僕はとりあえず肘を突くとため息をついた。

 

「アスカ」

「ん?何?」

アスカは手を止めるとシンジを見た。

ちなみに今やっていたのは新しいカクテルの調合実験だ。

まだ客の入りが少ないときじゃないと出来ない。

レイがいつ実験してるのかは謎だ。

何もしてないようでアスカと同じペースで新しいカクテルを作る。

常々不思議に思うアスカだった。

「あのお客さん、水割りだって。あと頼むよ」

「ん?」

アスカが一瞬眉をひそめたのを見逃すシンジではなかった。

「アスカ?」

「大丈夫よ」

アスカは軽く手を振ると客の応対に向かった。

 

…うん?

かすかな音に顔を向けるとグラスが置かれていた。

置いたのは僕の正面から一歩横に立つバーテンらしい。

それから数秒間、僕はグラスの中身よりバーテンに興味を持っていた。

今まで見た中で2番目に美人だった。

あえて付け加えるならそのときは1番だと思った。

もっとも赤毛の美女はそんな視線には慣れているのか全く意に介した様子もなくグラスを磨いていた。

美人は性格が悪いと言うが、ならばこの美女はさぞかし…我ながらそのときは命知らずなことを考えていたものだ。

あるとき彼女が巨漢の外人を蹴り一つで黙らせた光景は今でも夢に見る。

ちなみに彼女の第一声はロマンとはかけ離れていた。

「早く飲まないと不味くなるわよ」

なぜかその言葉に従ってしまう自分が情けなかった。

 

「言いたいことがあるならさっさと言いなさい」

よくよく考えれば客に対する言葉遣いではない。

ついでに僕も不機嫌だったはずだ。

なのに、それで喧嘩にならなかったのはなぜだろうか?

それはともかく確かに僕は聞きたいことがあった。

つくづくそのときは僕らしくなかった。

…歳、いくつ?

僕は別にナンパするつもりだったわけじゃない。念のため。

「…女性に年齢を聞くとはいい度胸ね」

ガン、と音を立てて水割りのおかわりが置かれた。

何杯目だったろう?

ちなみに美味だった。

…ちょっと気になっただけだ。知り合いの女性と同じくらいかなと思ってね

「21よ、…ちょっと汚いわね」

思わず僕は吹き出した。

言われてみればそんな感じもしないでもなかったが…

一流のバーテンがそんな歳だったら驚くだろう普通?

なお、テーブルを拭いたのはなぜか僕だった。

 

「で、あんたは何?平日の夜に飲みに来るなんていいご身分ね」

この口調も慣れれば気にならなくなる。

良くも悪くもこの店は客を選ぶ。

金持ちだろうが政治家だろうが気に入らない相手にはお引き取り願うが、そうでなければ誰であろうと一切対応に変わりはない。

僕はあの店で飲ませてもらえることを喜びに思う。

もっともその時はそんなことは知らないし思いもしなかった。

自嘲気味の言葉を吐く。

…別に、仕事にしくじったからヤケになっているだけさ

「ふぅーん」

そう言ってバーテンが置いたグラスには少しオレンジ色かかったカクテルが入っていた。

少し甘くてそしてちょっぴり苦かった。

 

 

やる気はあった。

野望も少しくらいはあった。

何より仕事をして認められることが嬉しかった。

幸か不幸か出世も早いほうだった。

いろんなプロジェクトをまかされ会議の度にみんなに自分を印象づけていった。

徹底的実力主義のその会社では大事なことだ。

 

 

「それで?」

まったく意に介さないという風情でバーテンが合いの手を挟んだ。

…何だ、うらやましいとか、自惚れている奴は嫌いとか、言うと思ったけど?

僕は率直に言った。

アルコールで気がゆるんでいたのか、もしくはあの店の魔力か。

「別に…似たような話を聞いたことがあるだけよ」

カラン

グラスに一個氷が落ちた。

 

 

彼女が入社したのは今年の春。

さわやかに笑う女の子だった。

彼女を補佐につけられたとき同僚に騒がれたが僕はこれといって気にしてなかった。

僕には仕事の方が気になったから。

 

彼女は実に有能だった。

僕の頼む仕事をそつなくこなし、僕の気がつかないような点を指摘してミスを防いでくれた。別の視点から見てくれる人が出来たことで僕の仕事は改善されていった。各種プロジェクトは磨きが掛かり能率も向上していった。

入社当時の僕よりも彼女は優秀だったかも知れない。

一度、そう言ったら彼女は、

「素晴らしい見本がそばにあったからです」

といって笑った。

僕には何のことかわからなかった。

 

 

「鈍感」

そう言うとバーテンは僕の目の前に置きかけたグラスを戻し中身を捨てた。

かわりに置かれたグラスの中身は…苦かった。

 

 

彼女は何度も注意をしてくれていた。

でも、僕は当初のプランにこだわった。

ここ数ヶ月を費やした大きなプロジェクトだ。

これに成功すれば僕はまた一段と飛躍できる。

出世が目的だったわけではないが認められた証として他に目指すべきものがなかった。

人とのつきあいもかなり制限しプロジェクトに打ち込んだ。

休日返上で働く僕に彼女は休みを取るように言ったが、僕は聞かなかった。

  1. そういう彼女も僕につきあって休日を返上しているのだ。

説得力に欠けるだろう?

先週、会社を病欠した彼女を僕は見舞いにも行かなかった。

 

 

ドン

「………」

ますますアルコールがきつくなっていくのは気のせいだろうか?

どう見ても不機嫌そうに見えるバーテンはそれでも話を聞いてくれていた。

話をしている間にもお客は入ってくるのにバーテンは僕の応対をしてくれていた。

相変わらず僕は何にも気がついていなかったが。

 

 

追い込み時に最高の補佐を失ったためだけではないだろう。

僕のプロジェクトはお偉方に不評だった。

午後一からの会議は始まってすぐにお偉方の機嫌を悪くさせた。

失望のため息が聞こえてきそうだった。

僕も少しずつミスに気付いていった。

それでも説明を続ける姿は余計に気に障ったのだろう。

良くも悪くもこの会社は徹底的実力主義である。

社長が口を開こうとした。

僕は覚悟を決めた。

そのとき彼女が先に口を開いた。

 

彼女は僕のプロジェクトの問題点を懇切丁寧に説明し、その上で代替案となりうるいくつかのプロジェクト構想を説明した。

その上でそれらの構想の長所・短所を説明し、やはり僕のプロジェクトがもっとも効果的であると結論付け、僕のプロジェクトの問題を補正するアイデアのいくつかを説明した。

同じ女性である社長はこの流れを気に入ったのか彼女にプロジェクトの補正を命じた。

かくして会議はお開きとなり、僕と彼女だけが会議室に残された。

「あ、あの…」

彼女が申し訳なさそうな顔で口を開いた。

だが、何を聞いても惨めな気持ちになるだろうと思った。

彼女の方が優れていると思い知らされたからだ。

僕はたぶんなにかひどい言葉か自虐的な台詞を吐くと彼女を残して会議室を立ち去った。

 

 

………

次に置かれたのは熱燗だった。

無論、僕は注文などしていない。

付け加えるなら店に来てから先のウェイター以外に何も注文していないのだ。

  1. バーにきて日本酒を注文したりするものか。

だが、徳利とお銚子が目の前に静かにたたずんでいるのもまた事実。

なぜこんなものがあるのだろう?

不思議な店だ。

結局、僕は熱燗も御馳走になった。

 

ちなみにとても辛口の酒だった。

 

「それでも飲みながらあれを見てみるのね」

バーテンの示す方角を見るとステージみたいな所に長髪の男性が椅子を置いていた。

ギターを抱えると椅子に腰掛ける。

店に流れていた音楽が止まるとギターの調べに乗って歌が流れ始めた。

 

「素直に感じるのよ」

バーテンが小声で言った。

素直に、ね。

プロには及ばないが演奏はうまかった。

歌の方もオリジナルだろうが割と良かった。

だが、それだけだ。

それだけなのだが…それを心に伝えるものに変えている何かがある。

…嬉しそうだな

彼はなんとも嬉しそうに演奏している。

自分のやりたいことをやれること。

それを人に聞いてもらえること。

それだけのことがたとえようもなく嬉しいのだろう。

演奏が終わると僕も拍手をしていた。

拍手を受けた彼は照れていたが、輪をかけて嬉しそうだった。

 

「人に認めてもらうためじゃなく自分のためにあの人は歌ってるの」

…ついでに拍手をもらえたならばなお嬉しい

「そういうこと」

何かを思い出せそうだった。

「…結局、人に認めてもらうためにあくせくする人間なんて、一度認めてもらえなかったらそれでおしまいよ。あとは真っ逆さま」

なにか実感のこもった口調でバーテンが言った。

「…やりたいからやるだけ。やる気がなくなったらさっさと他のことに切り替える。それくらい余裕がないと人生やってけないわよ」

…そうかもしれないな

「もっとも、何か一つくらい大事なものがないと人生つまらないかも知れないけどね」

よく考えると僕は10歳近く年下の女の子に人生相談を受けていたわけだ。

情けない。

…大事なものか

「そ、大事なもの」

…君の大事なものって何?

「な、なんであんたにそんなこと教えなきゃなんないのよ!」

なぜか慌てるバーテン。

そのとき彼女がウェイターの方をちらっと見たことに僕は気がつかなかった。

「で、なんかやりたい事はないの?」

話を変えられた。

…僕のやりたいこと

考えてみる。

僕が入社したときに思っていたこと。

笑われるかな?

…大きい仕事をしたい

ただ、それだけ。

「何それ?あんたバカ?」

あっけらかんと言われて僕の方が笑ってしまった。

 

僕は別に出世とかしたかった訳じゃない。

単に大きな仕事をやってみたかっただけだ。

いつからすりかわってしまったんだろう?

手段と目的が。

 

「ま、それで楽しけりゃいいんじゃない?」

バーテンは続けた。

…楽しければそれでいい

仕事を仕事と思うようになったのはいつ頃からだろう?

いつのまにか仕事をする人間になっていた。

楽しむことを忘れていた。

だからいろんな要素が失われていった。

でも、ここまでやってこれたのはなぜだろう?

 

「いい見本があったからでしょ」

今度の水割りは普通の味だった。

…いい見本?

「仕事が楽しいとかって言ってるあんたと同じようなバカのことよ」

 

 

彼女は、

「素晴らしい見本がそばにあったからです」

といって笑った。

 

 

アルコールを燃焼してやっと僕の頭が回りだした。

苦笑いを浮かべる。

笑い出したくなったがさすがにそれは控える。

マナーと言うものを思い出してきた。

…これでは素晴らしい見本とは言えないな

「あら、少しはましな顔になってきたわね」

…それはどうも

もともと多少はましな顔のつもりだったが。

…情けない

このとき初めてそう思った。

しかもご丁寧にバーテンが追い打ちをかけてくれた。

「ほんと最低ね」

かりかりと頭をかく。

どこか心に余裕が戻ってきたのを感じる。

バーテンはなにやら作っている。

…さて、どうしたものかな?

彼女が意気揚々とプロジェクトの補正案を考えているとは思わない。

そんなことを考えたら本当に最低な奴になるだろう。

たぶん途方に暮れているはずだ。

もしかしたら泣いているかも…

 

彼女の泣き顔を想像したらひどく胸が痛んだ。

彼女にはやはり笑顔が似合う。

そういえばここの所つらそうな顔ばかりさせてしまったな。

 

懐から携帯を取り出したがそのまま固まる。

………

「何やってんのよ、さっさとかけたら?」

バーテンがシェイカーを振りながら言った。

…いや、何を言ったらいいか

シェイカーを振るスピードが上がった。

綺麗な顔がなにやら険しくなった。

ドン!

シェイカーを置くとバーテンが言った。

「頭を下げて謝りゃいいのよ!そんでもって手伝ってくれって拝み倒すのよ!」

…しかし、今更そんな虫のいいことを、それに男らしくないし

「オ・ト・コらしいってのは…」

そこでちらっとウェイターの方を見る。

今度は僕も気付いた。

もっともウェイターはそれには気付かずにこやかにお客の応対をしている。

バーテンはふぅっと息を吐く。

「これだから男ってのは…」

そう言うとシェイカーの中身をグラスに注ぐ。

何やら泡がはじけているそれをぐっと差し出す。

「これでも飲んで気合い入れなさい」

カクテルの名前はスパークリングなんとか言ったが…

文字通り頭がスパークしたので覚えていない。

でも、確かに気合いが入った。

 

 

『もしもし?』

か細い声に彼女が女性だということを再認識した。

彼女は自分のデスク…僕の隣のデスクだ…にいた。

時刻は21時を回ろうとしている。

それから何を言ったのかあまり覚えていない。

ただ、一緒に徹夜してくれるかと尋ねたら彼女は、

『喜んでお付き合いします!!』

そう言った。

彼女がいつもの彼女に戻った。

そして、僕も本当の僕に戻ることが出来た。

 

 

勘定を済ませようと財布を出した。

そうしたらバーテンがグラスを片付けながら答えた。

「ツケとくわ。仕事が終わったらその子を連れて飲みに来なさい。そしたらお金をもらってあげる」

ちなみに利子はちゃんとつくからね。

そう付け加えた彼女の物言いはひどく勝手だったが同時にとても心地よかった。

…あぁさっさと終わらせて打ち上げに来るさ

そう言って僕は笑った。

バーテンは僕の顔を見ると笑った。

気持ちのいい笑顔だった。

そうしてバーテンは小さな紙袋を僕に手渡した。

「サービスよ。うちのウェイター特製の夜食。これでしくじったら許さないからね」

そういってバーテンは僕をにらんだ。

怖くはなかった。

年相応に可愛い顔だった。

もう一度言っておこう。

僕はあの店で飲ませてもらえることを喜びに思う。

 

 

客が出て行きドアが閉まった。

「…今日は面倒見がよかったわね」

たまたまアスカのそばに来たレイが言った。

「うん、まぁね。…ほんのちょっぴり昔のアタシに似てたから」

「…昔のあなたに?」

「そ、でも今度来るときは今のアタシにちょっぴり似てるかもしれないわね」

「?」

首をかしげるレイを見てアスカは笑った。

「そうそう、シンジにも似てるかも」

 

 

 

僕は再びあの店に向かっていた。

今日は二人だ。

“彼女”が“僕の彼女”になったと言ったらあのバーテンはどう反応するだろうか?

あきれかえるよりは、やっぱりね予想通りよ、と偉そうに言われる気がする。

ともあれプロジェクトはうまく言った。

酒代をどれだけ請求されるかわからないがお金の心配はしなくていいだろう。

そんなことを考えている自分がおかしくて笑い出す。

腕を組んでいる彼女が不思議そうにしていたがすぐに笑顔になると一緒に笑ってくれた。

 

BAR children

 

その店はいくつかの忠告と気合いと大事なものを僕にくれた。

そして今でも店に行く度に小さな幸せを僕たちにくれる。

 

 

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