世界有数の大都市とやらになって結構経つがまだ行ったことはなかったのだ。
ついでに言うと大都市になる前はとても行けた場所ではなかった。
だから少し興味があった。
それにあいつらもまさか地球の裏側にいるとは思わないだろう。
だが、その夜、なぜその店を訪れたのかについてはまるでわからなかった。
ホテルで昼間の疲れを取るために一眠りした後、夜の街に繰り出したのは覚えている。
だが、どこをどう歩いたのかまるで覚えていない。
知らない街だから、いや知らない街だからこそ身に付いた習慣が歩いたルートを記憶しているはずだ。いつもなら。
だが、結果として、俺はいつの間にかメインから少し離れたアーケードを歩いていた。
そしてふと足をとめた俺の視界に下に降りていく階段が映った。気づいたときには階段を降りていた。
なぜかはわからなかった。それがわかったのはずいぶんと後のことだ。
【BAR children】
第八夜
「いらっしゃいませ」
バーテンダーらしい若いのが出迎えてくれた。
店の中はV字型…いや、違うなL字か?奇麗に垂直に曲がったカウンターが正面にある。曲線のカーブ状のカウンターにしてバーテンダーが応対するならともかく直角とは変わった造りだ。なにせ入った客の正面に角が突きつけられているんだからな。ま、さすがに正面部分は角を潰して席が一つ作られている。しかし、誰も座りたがらんだろうな。顎鬚をさすりつつそんなことを思った。
両側のカウンターの正面にテーブル席が用意されている。座っていた客達は俺が入って来たとき一瞬だけ視線を向けたがすぐに興味を失ったようだ。ここじゃ外人なんぞ珍しくもないんだろうが…まぁいい。
客の入りはいい。テーブルは満席でカウンターしか空いておらず、しかも数席だけだ。してみるとこのバーテンダーも若さに似合わずいい腕をしているのだろう。そうは見えないがな。女顔でひょろっとしてたよりない感じだ。ま、ちょっと見たくらいじゃわからんが日本人の中でも細い方じゃないか?そういう俺は無駄に2mほどあるので日本の街は狭く感じてしまう。
「どうぞ」
バーテンダーが俺を中央の席に案内した。中央近くの数席しか空いておらず、他の客と隣り合わせが嫌ならそこしかないというわけだ。
そこで初めて両側のカウンターを見ると可愛い娘達がシェイカーを振っていた。ようやくカウンターの形の意味に納得する。この二人の娘がバーテンダーでそれぞれのカウンターをきっちり分担しているというわけだ。
娘達の方にも興味をひかれたが…なにせ二人とも美人なのだ、俺の目から見ても。スタイルも悪くない。生粋の東洋人ってわけじゃなさそうだ…とはいえ二人の前にも客がいたので仕方がない。まぁ女の子より酒を目当てに来たのだからいいだろう。こんな坊やでも酒がうまけりゃそれでいい。
結局、俺はまったく気がついていなかった。目の前の坊やにも店の中にいた古いなじみを含めた何人かにも。
「あの店に初めて行った奴には魔法がかかるのさ」
いつか会ったとき、あいつはいつもの口調でそう言っていた。俺もそう思う。俺は魔法にかかっちまっていたんだろう。もっともその時はお互い銃弾をかわすのに必死でそれ以上会話を続けられなかったなんだがな。
トーマスの声が聞こえた。
「隊長飲みすぎないで下さいよ」
…馬鹿野郎、素面で戦争ができるか
「酔っ払いに指揮された部隊なんて信用がた落ちですよ」
…あーかわいくねー
「男ですから可愛くなくていいんです…ああ、言ってるそばから!」
…くっくっ
「なにかおもしろいことでもありましたか?」
バーテンの坊やが聞いて来た。
…悪い、思い出し笑いだ。
「そうですか」
そこでどういうわけだか坊やも笑みを浮かべた。
トーマスもこれくらい余裕がありゃあなぁ。
どうせ今頃、自分を探してあたふたとしているに違いない。
弱虫の餓鬼だったのにいつのまにか部隊のまとめ役みたいになって自分より10歳以上年上の連中すら手際よく使ってやがって…
「ご注文は何にしましょう?」
…お、悪い
考え事にふけって状況を忘れるとは俺もヤキが回ったかな?
とりあえずメニューをもらって水を一口…
…うめぇな
「恐縮です」
そういって坊やはグラスを磨いているが、今のは正直な感想だ。日本に来て初めてうまい水を飲んだ。そんな感じがした。
思わず一息であおって、
…もう一杯…って、これじゃ水を飲みに来たみてぇだな。
頭をかくと、坊やはまた笑みを浮かべ、
「構いませんよ」
といってグラスを下げ、新しいグラスに水を注いで持って来た。
…ほぅ
「なにか?」
…いや、なんでもない。じゃ、とりあえずなんか軽いつまみと水割りもらおうか。細かい所は任せる。
「かしこまりました」
ちなみにつまみもうまかった。
上機嫌の俺は…なにせ、この店に来ただけで今回日本に来た甲斐はあったという気分になっていたくらいだ…柄にもなく坊やと世間話に興じていた。坊やも坊やで聞き上手で俺はいつのまにか誰にも話さないようなことを話していた。
…なぁ
「はい?」
…実の親以外に親代わりみたいな奴がいるかい?
「そうですね…いますよ。親っていうと怒ると思いますけど」
そう言ってまた坊やは笑みを浮かべる。
こいつの笑みはどういうわけだか俺を安らいだ気持にさせちまう。たぶん、嘘偽りのない本当の笑顔って奴だからなのかもしれない。
…俺は子供代わりみたいな奴が何人かいるけどな。最初の出会いはひどいもんだったぜ
「僕の方も同じようなものですよ」
…言っとくがこっちはとんでもない状況で会ったんだぜ?
「ええ、僕もとんでもない状況でした」
坊やは笑みをそのままに少しだけ真面目な顔付きで言った。
俺がトーマスと出会ったのは東欧のどっかの戦場だった。気配を頼りに踏み込んだぼろっちい民家。ライフルを向けた先にいたのはがたがた震えているただの餓鬼だった。俺はかろうじて引鉄を引かずに済んだが初めて銃を握ったトーマスの方はそうはいかなかった。
敵さん側の兵隊にトーマスの母親が誤射されて死んだのを知ったのは左足から弾丸を無理矢理取り出した後のことだ。その間、トーマスは自分の手を見つめてガタガタと震えたままだった。
俺は一人になったトーマスを連れて行くことにした。
間違って民間人、それも子供を撃ち殺さずにすんだからかもしれない。俺がそれまでに殺しちまった子供は7人だ。そして今もその数に変わりはない…
…今、俺何の話をしてたっけか?
「子供みたいな人達がたくさんいるってお話ですけど?」
そういって坊やは飲みかけだったグラスを新しいものに換えた。
…あぁそうだったな。餓鬼がたくさんに、小娘が一人…
死人っていうのは身勝手な連中ばっかりだ。自分の勝手だけ言ってこっちの言い分は聞かずにあの世にいっちまう。シンディの父親がいい例だ。どうせ死ぬんなら即死して楽になりゃいいのにしぶといあいつは遺言を言ってからいきやがった。
「シンディを頼む」
困ったことに俺を一人前にしてくれたのはその人だった。俺の率いる餓鬼どもに、俺を「くそ親父」と呼ぶじゃじゃ馬が加わったのはそれからすぐのことだった。
「バーカシンジ」
不意にそう声をかけられてシンジは立ち止まった。振り向くと声の主はちょうどグラスに酒を注いでいる所だ。
「…どうしたの?」
「別に…なんとなく言ってみたくなっただけ」
そういって青い瞳でシンジを見つめている。
「?」
シンジは首をかしげると客の所へ帰って行った。
(相変わらずお人好しなんだから)
「………ばーか」
シンディが戦場に出ると言い出したのは少し前の事だ。
今までは餓鬼だ餓鬼だといってごまかして来たがあいつも数日すりゃ15だ。てめえの面倒くらいみて当然の歳だ。実際、他の連中は15のときには俺と一緒にライフルを担いでいた。トーマスが俺に鉛弾をプレゼントしてくれたのは12の時だしな。
だが、さしもの俺も娘(みたいなもんだ)にライフル持たせて戦場へ連れて行くことには躊躇した。だいたい娘(みたいなもんだ)を育てるのも初めてだった。他の馬鹿息子どもは適当にやってりゃどうにかできた。せいぜい酒とヤクと悪い女に手を出さない様に気をつけてればよかった。ま、酒は人類の友だから大目に見るが。
カラン
氷の音がした。
よく冷えたグラスに酒が注がれていく。
…あれ、俺いつ空けた?
「たった今ですよ。酒は人類の友とかおっしゃって…ふふ」
…なんだ?
「すみません。僕の親代わり、もとい姉代わりの人に似てるなって」
…ふーん、じゃろくでなしだな
俺はつい口を滑らしちまったが坊やは笑みを崩さなかった。
「そうかもしれませんね」
ろくでなし、か。そうだな。そんな隊長はいない方がいいかもな。
俺がいなくなれば部隊は解散ってことになるかもしれない。だが、それほど大変なことにはならねぇだろう。みんなとっくに一人前の兵隊だ。どこにいってもやっていける。
シンディは別だが、放っておいてもトーマスが面倒をみるだろう。トーマスは他の奴と違って兵隊以外をやらせてもやっていけるし、そうすればシンディも戦場へいかなくてすむ。
とかなんとか理由をつけはしたが、結局、悩むのが嫌であいつらの前から逃げ出しただけ。その挙げ句にこんな所で飲んだくれてる…情けねえ
「でもあなたは悩んでいますよね?」
不意に声が聞こえた。
…え?
「悩むのが嫌で逃げ出したのかも知れないですけど、でも、あなたはまだ悩んでいますよね」
坊やは笑っていなかった。
………
新しいグラスが置かれていたが俺は気づきもしなかった。
…人の命を奪うってことはものすごいことだ。俺はあいつをそんな目に遭わせたくない
何百人も殺しておいて今更という気もするが、それは正直な気持だ。
「そうですね…とてもとても哀しいことです」
坊やは無意識にだろう、右手を強く握り締めていた。そこで俺はやっと気づいた。
ああ、こいつも人の命を奪ったことがあるんだな
だが、
「でも、それでも…」
だが、それならなぜ…
「…あ、何を言いたいのかよくわかんなくなっちゃいました」
坊やは頭をかくと笑みを浮かべた。
それならなぜこいつはこんなに奇麗に笑うことができるんだ?
なぜこいつの瞳はこんなに澄んでいやがるんだ?
俺はそれが知りたい。
坊やは一言断ると俺のそばから離れて小さなステージの方に向かった。
そこで何やら弦楽器(悪いな、俺は学がねぇんだよ)を取り出した。見ると他の客達も静かになって坊やの方を見ている。
BGMが消えると深い、とても深い音の流れが巻き起こった。
はっきり言って俺に音楽なんぞわからねぇ。だけど、こいつはわかった。
うまいとかどうとか言うのとは別だ。なんていうのかこいつの音は俺を安らいだ気持にしてくれる。坊やが浮かべる笑みと同質の…
「みんなメシだぞー!」
キャンプの中心から元気な声がした。
「お、飯だ飯だ」
「今日も当番は嬢ちゃんか」
「今日は失敗しなかったか?」
「いやこの前のはすごかったな」
「食えりゃいいいい」
めいめい言いたい放題なことをいいながら連中が集まっていく。
「るせぇ、ぐだぐだいうやつはメシ抜きだー!」
「とりあえず失敗はなし、と」
トーマスが食事を始めている連中の様子を見てすました顔で言った。
…なんか言いたそうだなトーマスよ?
「いえ、食料は大事ですから」
…うんうん、お前に初めて食事当番を任せたときを思い出すな
「ぐ、古傷を…」
くっくっく。まだ何年かはこれでからかえるな。
「こら、くそ親父、トーマス、いらねぇならあたしが食っちまうぞ!」
連中の中からシンディが出てきて叫んだ。
「はいはい…あ、隊長!なんですかその瓶は!?」
…見てわからんものは聞いてもわからん
「日付が変わったら決行ですよ!」
…それがどうした
「隊長!…ぐぇっ!」
トーマスが背後から首をしめられる。
「くぉらトーマスあたしの話を聞いてっか!?」
修行が足りんな
…がははは!
「なに笑ってんだくそ親父!」
コトン
グラスの置かれた音で我に返ると既に演奏は終わっていた。
顔を上げると坊やが俺を見つめていた。
その顔は坊やと呼ばれるにふさわしい顔じゃなかった。人間って生き物のもっとも暗い部分を知っている男の顔だ。しかし、それでいて…
「待ってますよ」
………
やっぱり坊やは坊やだった。
「みんな待ってますよ」
そう思った。
「あなたを」
…そうだな
俺は頷いた。
酔ってはいなかった。足取りもしっかりしていた。
だが、やはりどこか不思議な気分だった。
少し歩いた所で公衆電話が目に入る。幸か不幸か今あいつらは電話が通じる所にいる。気づくと電話の前に立っていた。そこでふと考える。紙幣を入れる穴はない。国際電話をかけるほどの硬貨も持ちあわせていない。さてどうする?
トン
…ん?
背後から小さな束が電話機の上に置かれた。ふりかえるとあいつが立っていた。
「とっとけよ。サービスだそうだ」
そう告げるとあいつは軽く手を振って帰っていった。
束から一つ抜き取り、公衆電話の挿入口に入れた。
「…どうしたの?」
また不意に声をかけられてシンジは顔を上げた。今度は反対側から紅い瞳がシンジを見つめている。
「ん?…いや、なんでもないよ」
そう言いながらもシンジは右手に視線を落とした。ゆっくりと開き、そして握る。
「?」
白い手が右手をそっと包み込んだ。
「綾波?」
「…この手は私とアスカを優しく包んでくれる暖かい手」
「………」
「………」
「………そうだね」
呼び出し音やら何やらがしばらく続いた後、電話がつながった。
…ああ俺だ
そう告げた瞬間トーマスが高速かつ大音響でまくしたてた。相変わらずすごい肺活量だ。
…るせぇな。ちょっとお前がうるさいから飲みに出ただけだろ
今度はうってかわってぐだぐだと説教が始まる。
…くく
そうそう何か今日は足りないと思っていたらこいつの説教を聞いてなかったんだ。
習慣ってのは怖えなぁ。
とはいえ放っておいたらいつまでも続くのでさっさと止めることにする。
…シンディの腕はどんな案配だ
電話の向こうでトーマスが息を呑む。しかし、それは一瞬のことで落ち着いた声が答えを言った。
…そうか
トーマスがそう言うんなら間違いないんだろう。だったら俺はあいつらの好きにさせるだけだ。あいつが一緒に来たいって言うんなら止めることは…
ピー
電子音がして俺は次のカードを入れた。
…明日には帰る。次の仕事の準備を頼む
言わなくともやってるだろうがな。まったく怠けるってことをおぼえろよな。
そう思いつつぽつりと言った。
…終わったらみんなで飲みに行こう
相手が沈黙した。どうせ明日は雪だとでも思っているのだろう。ばーか、そこじゃ雪は降らねぇよ。
…ちょっといい店を見つけてな。…なに?店の名前?
もう一枚カードを取ってその表面を見た。店のアドレスが記してある。そして、
BAR children
それがあの店の名前だ。
うちの餓鬼どもを連れていくにはぴったりの名前だった。
第九夜を読む