「同盟の全市民諸君、私、自由惑星同盟最高評議会議長キール・ローレンツは、全人類の歴史に巨大な転機が訪れたことをここに宣言します。この宣言を行う立場にあることを、私は深く喜びとし、かつ誇りとするものであります。
 先日、ひとりの亡命者が身の安全を求めて、わが自由の国の客人となりました。わが国は、かつて亡命者の受けいれを拒否したことはありません。多くの人々が専制主義の冷酷な手から逃れ、自由の天地を求めてやってきました。しかし、それにしても、この名前は特別な響きを持ちます。すなわち、エルウン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム。
 ……同盟の市民諸君。
 帝国のラインハルト・フォン・ローエングラムは、強大な武力によって反対者を一掃し、今や独裁者として権力をほしいままにしています。僅か七歳の皇帝を虐待し、自らの欲望の赴くままに法律を変え、部下を要職に付けて、国家を私物化しつつあります。しかも、帝国内部だけの問題ではありません。彼の邪悪な野心は、わが国に対しても向けられています。全宇宙を専制的に支配し、人類が守り続けてきた自由と平等の灯を消してしまおうというのです。彼のごとき人物とは共存できません。吾々はここで過去のいきがかりを捨て、ローエングラムに追われた不幸な人々と手をたずさえて、全ての人類にせまる巨大な脅威から吾々自身を守らねばならないのです。この脅威を排除して人類は恒久的な平和を現実のものとできるでしょう」

(宇宙歴七九八年八月二〇日 自由惑星同盟最高評議会議長キール・ローレンツの演説より)

「バッカじゃないのっ」

(上記中継を視聴後、某司令官の発言)

「私はここに宣告する。不法かつ卑劣な手段によって幼年の皇帝を誘拐し、歴史を逆流させ、ひとたび確立させた人民の権利を強奪をしようとはかる門閥貴族の残党どもは、その悪行に相応しい報いを受けることになるだろう。彼らと野合し、宇宙の平和と秩序に不逞な挑戦をたくらむ自由惑星同盟の野心家たちも、同様の運命をまぬがれることはない。誤った選択は、正しい懲罰によってこそ矯正されるべきである。罪人に必要なのは交渉でも説得でもない。彼らにはそれを理解する能力も意思もないのだ。ただ力のみが、彼らの蒙を啓かせるだろう。今後、どれほど多量の血が失われることになろうとも、責任は、あげて愚劣な誘拐犯と共犯にあることを銘記せよ……」

(同日 銀河帝国宰相ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵の演説より)

「来るべきものが来たって言うか……でも、反応が早すぎるわね……」

(上記中継を視聴後、某司令官の発言)


 

銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説


第六話(後編)
      風雲は、急を告げる

宇宙歴七九八年 八月
片山 京


II

 

 その場に集まった幹部達が互いの顔を伺う。
 中央司令室の誰もが彼女の行動を待っていた。
 ひとり、やはり参謀長が進み出るが口を開く前に司令官が身振りで押し止める。
 通信が打ち切られた画面を見上げ、頭に乗せたベレーを手に取り指揮卓へと放る。
「来るべきものが来たって言うか……でも、反応が早すぎるわね……」
「では、この一件にローエングラム公の関与があると?」
 言ってしまってから、ゆっくりと首を横に振る。あまりにも飛躍した考え、いや妄想に思えた。
「そうね。幼年皇帝ってカードはローレングラム公が握っている限りはたいして力は持たないわ。むしろ、その健康管理とか面倒なことの方が多いわね。真に病死であっても、謀殺と思われるわね。それは、彼の治世と経歴に巨大な汚点を残すことになるわ。我らが評議長閣下は進んでババを引き受けたのよ」
 いつものアスカらしくなく、淡々と考えを述べてゆく。
「これが、彼とは全く関係ないところで全て進んでいたとすれば……これ以上ない幸運の女神が彼を護ってるって事ね」
 隠しようもない皮肉な調子に幹部達が沈黙する。
「アスカ」
 その場にいた皆が声の主を確かめる。臆した風もなく、それ以上を語らず進み出てアカギ参謀長とは逆のサイドに陣取る。優しく、その肩に手を置き……ただそれだけ。それだけで、アスカの中の行き場がなかった物が治まってゆく。
 ようやく、通常のオペレーション業務の喧噪が戻ってくる。振り仰いだ先には長身の青年。
「ありがと、シンジ」
 いつもの彼女に戻った。その微笑みに、空気が僅かながら弛緩する。
「にしても困ったモンよね」
「この要塞があるから同盟は戦火から護られて、この要塞があるから戦争が終わらない。矛盾だね」
「そうね……いっそのこと……」
 さすがに気が引けたかそこでストップ。
 咳払いをひとつして席を立つ。その場の甘い空気を振り払い、ミサトを思わせる律動的な歩調で老提督へと歩み寄る。
「フユツキ提督?」
 単なる問い掛けであり、決断を求める呼びかけでもある。
 自分を見据える蒼の瞳を見つめ返し、一息吐き出す。重い、重い一息だ。
「正直、打診もなくこのようなことになるとは思わなかったな。決めた方は断られるなどとは思っていいないのではないかな?」
 銀河帝国正統政府軍務尚書。顕職ではあるが、指揮する兵など一人もいない。
 背筋を正し、表情を引き締める。歴戦の勇将の顔だ。
「ですが、受けようかと思います。どのみち上層部では合意ができているでしょう。どちらにせよ勤めることになるなら、自分で決断した方がよいでしょう」
 諦め、ではない。軍人としての矜持。命令とあらば、その中で最善を尽くす。
「陛下には、このような形ではなく市井で平穏な生活を送っていただきたかったのですが……」
「誰も、フユツキ提督がご自分で売り込まれたとは思っていませんよ」
「そう言っていただけると助かります」
「まだ、色々と教えていただきたかったのですが……」
 女性にしては長身なアスカを僅かに見下ろす老提督の頬が弛む。やせぎすで帝国軍の軍服を纏う影が、静かに握手を求めている。
「とんでもない。わざわざこの老骨が出しゃばるまでもないでしょう。御武運をお祈りいたします」
 そう言って、握られた手は堅くて、骨張ってて、力強くて……

温かかった。

 

 

 そこは奇妙に静かだった。
 そんなはずはない。キリシマ空戦隊の陽気さに触発された兵士達が詰めているとなればなおさらだ。しかし、事実として沈黙がここにある。
 一同は、正面に立つ二人の戦隊長が口を開くのを待っている。
 一つの共通認識がある。
 間違いなく、イゼルローン回廊は戦場になる。
 いつもなら、マナが一同を鼓舞し、マユミが引き締める。
 しかし、今回は勝手が違った。たった一人の兵士が呈した疑問の前に。様相は一変した。
 曰く、
「我々の敵は、皇帝ではなかったのですか?」
と。
 まさか、記録されている会議の場で
「政府に聞け」
とも言えず、また偽善的な演説をぶちあげる気にもなれず。無視してしまえればよかったのだが、それでは士気に影響しすぎる。
 いいわけがましい理屈がいくつか浮かぶ。
 気は進まないが、これで逃げるかと心に折り合いを付ける。息を整える。
 顔を上げ、部下達を正面から見据える。よし、いける。
「いろいろややこしいことになってるみたいね。そのあたり、私たちも……っていうか、イゼルローン自体知らされてないのよ。だけど、一つだけ確かなのはイゼルローンがあるから同盟本土が守られているの。皇帝云々なんて、考えたって仕方ないけど自分たちの故郷や、家族を守るために今まで通り戦わなきゃいけないのは一緒。向かってくるなら叩きつぶす。
 それ以上のことは、たぶん軍人は考えちゃいけないと思う」
 全く解決になってはいないが、それはそれで一つの考え方だ。
 一気に騒がしくなったが、場を鎮めることは放棄。本来ならば私語は厳禁なのだが、原則論を振りかざしたところでこの場は収まらないだろう。
 白熱した議論の中、呼び出しの放送が聞こえてくる。
『参謀本部付/レイ・アヤナミ准尉、至急要塞司令官執務室へ出頭してください……』
 あの娘も結構大変なんだねぇ。
 すっかり手持ち無沙汰になってしまったマナが、無味に天井を眺めながら吐息。
「さて、マユミ。そろそろまとめるわよ」

 

 

 暗い。光というものから完全に隔絶された部屋。部屋……なのだろうか?
 わずかなイオン臭と、冷却ファンの風切り音がこの部屋に何らかのシステムが存在することを示している。しかし、生物の気配は一切無い。
「そちはらどうかね?」
『抜かりはない。金髪の儒子め、慌てて戦の準備に入りおったわ。準備に四週間、現地まで三週間といったところだな。事によっては、もうしばらくかかるだろうが』
「イゼルローン占拠だけが目的ではないと? 強欲だな。まぁ、そうでなくては帝国を乗っ取るなどとは考えもしないだろう。一気呵成に同盟領へなだれ込む気か……」
 姿無き声に思案げに唸る。
『それも、イゼルローンがある限り何とか保つだろう。帝国の消耗の方が大きいだろうが、国力が違いすぎる。ちょうど良いだろう』
「どうせ二人とも始末せねばならぬ、できれば相打ちといってもらいたいところだな」
『くくっ。キールよ、そちらもなかなかに欲が深いようだな』
「そちらの準備はぬかりないだろうな。仕損じては、修正に時間がかかりすぎるぞ」
『フン、貴様の案ずることではないわ。自分の心配をしておればいい』
「全ては――――のシナリオ通りに」

 

 

 この通路では見慣れない先客が一人いた。プライベートではよく顔を合わせるのだが、陸戦隊へ出稽古に行かなくなってからは仕事で会う機会は皆無といってもいいだろう。
 声をかけようとして……やめた。
 とてもそんな雰囲気ではない。いつも穏やかな笑みをたたえているはずだが、今日に限ってはかなり厳しい顔つきだ。
 違う、こんなのカヲルじゃない……
 レイが迷ううちに、カヲルは別の方向へと歩み去ってしまう。レイの存在にまるで気が付いていない。普段のカヲルからはとても考えられないことだ。声をかけるタイミングを失ってしまった背中を見送る他はない。
 曲がり角を曲がり、十分にカヲルが離れたことを確認してから、彼が出てきた部屋の前に立つ。
 要塞司令官執務室。
 分かったような分からないような。
 インターホンを押すと、ホラギ少佐の耳慣れた誰何の声が聞こえる。
 官、所属、姓名を名乗ると正面の壁が横へとスライドしてゆく。
 ミサトが「あ、わたし」とだけ言って入ってくるのを何度か見たことはあるが、とてもじゃないがまねをしようという気は起きない。アレを自然にやってしまうには、相当な才能が必要だろう。……あんまり欲しくないかもしれない。
 目の前にできた空間へ三歩進み敬礼。
「参謀本部付、レイ・アヤナミ准尉、お呼びにより出頭いたしました」
 なにかおかしいような気もするが、気にせずに正面を見据える。
 自由惑星同盟の巨大な記章。その前に司令官の卓が据えられている。卓とレイの間には、アスカが浮かない顔で立っている。
「いいタイミングね」
 その一言で、カヲルの様子がおかしかったことにアスカが関わっていると確信。
 席を勧められアスカと相対して座る。ヒカリが二人にお茶を出して脇に控える。見慣れた構図だが、自分がこの角度で見ることになるとは思わなかった。
 あすかも、ここではさすがに完全に公の顔だ。
「わざわざ来てもらって悪いわね」
 いやな予感がする。普段のアスカのとる態度ではない。そして、カヲルのあの表情。
 考えている間に、一枚の紙を渡された。まず目に入った文字が
「辞令」
動揺を抑えて読み進める。赴任地はフェザーン自治領、聞いた覚えのある名前がサインされ、その肩書きは人事本部長。
「アスカさん、これいったいどういうことですかっ」
「見ての通り。辞令よ」
「じゃなくて……」
 言い募るレイを動作で制する。今までレイが見たこと無かった、厳しい表情だ。
「レイ、これは命令よ。軍としての」
「なら、こんな理不尽な命令断ってください」
「理不尽? どこが?」
 アスカの容赦のない切り込みに、レイの勢いが止まる。
「レイ、あなたは軍人でしょ。軍人なら、たとえ理不尽な命令でも従って見せないといけないの。」
 それはよく知っている。目の前のアスカがそれに耐えてきたのだから。
「ましてや、ただの転属命令のどこが理不尽なの?」
「だったら……だったら、軍を辞めます。なら、こんな命令に従わなくてもいいでしょ?」
「レイ……レイ、それができないことが分からないほど子供でもないでしょ」
 心を鬼にして、レイの甘い考えをうち砕く。アスカにしたところで、できればレイを自分の手元から離したくはない。勢い、言い聞かせるような口調になってしまう。
「分かりました。お話はこれで終わりですね。失礼いたします」
 辞令を手に取り、席を蹴る。
 空戦隊式の敬礼を送り、出てゆくまでアスカは声をかけなかった。

 

 ほとんど手が付けられていないティーカップ。
「アスカ」
 ヒカリの呼びかけにも反応が鈍い。
「どうするのよ、レイちゃん。あの娘、アスカに「いらないっ」て言われたって思ってるわよ」
「…………」
「今にも泣きそうな顔してたし……」
「…………」
 責めるような視線が痛い。
「今ごろ、悪いコに引っかかってなければいいんだけど……傷心の時って普段よりガードが下がっちゃうから……」
「……分かったわよ」
 もう一度開いた扉が閉じれば、残っているのはヒカリだけ。
 もう冷めてしまったカップをそばに引き寄せて一息。
「自分のことになると、誰かに背中押してもらわないといけないのは困りものよね……すぐ意図をくみ取ってくれるイカリ君が居たから他人に説明するのは苦手だし、アカギ中将みたいに理詰めで納得する相手ならいいんでしょうけど……神様って、あんまり気前よくないのねぇ」
 さすが、親友のことはよく見ている。少々贅沢な悩みを漏らしつつ、ティーカップを手に取る。
「アイツも、イカリ君ぐらい気が利けば楽なんだけど……」

 

 

 模擬戦用の戦斧を同じ戦斧で受け止め、力の向きを変えてやることではじく。予想外の方向に想定していない力ではじかれたがために、体勢が崩れた。そこへ蹴りが飛ぶ。躱しようもなく何とかインパクトポイントをずらしてダメージを軽減。倒れはしなかったものの、足が止まった。
「力任せに過ぎる」
 叱責とともにグラブに包まれた拳が飛んでくる。重い戦斧を捨てとっさにガードを造る。そこへありったけの力を込める。
 打音。
 肉をぶっ叩く鈍い音が体の中に染み渡ってゆく。ガードの上からでもかなりの衝撃だ。崩れ落ちそうになる膝をごまかし、後ろへと飛ぶ。距離を稼いで立て直さなくては。
「遅い」
 拳を突き出したことで半身になったヒュウガの足が水平に伸びてくる。跳躍体制に入っていたカヲルに避ける手はない。予定通り後方へ飛ぶことでできるだけダメージを減らすだけ。その甘すぎる考えをうち砕くように、後退速度よりも早くヒュウガの踵が突き刺さる。宙に浮く感覚、体中の骨がきしむ音……そして、闇。

 

「……きなさい。ほら、もう大丈夫なんでしょ」
 体を揺らされる感覚で目が覚める。体の芯に疲れが残る、あまり良い目覚めではない。が、一つだけ良いことがあった。
「レイ? どうしてキミがここに?」
「あー、まだ寝ぼけてるわね。頭打ってないとは聞いたけど……どう? 痛いところとかある?」
 カヲルの頭をかき回しながら、「ここはどうだ、痛くはないか」と聞いてくる。うざったさと同時に気恥ずかしさを覚えつつ、記憶を辿る。
「そうか、ヒュウガ大佐にやられたんだ……久しぶりだなぁ、ここまでやられるのは」
 日頃の訓練のたまものか、気を失ってはいても体はちゃんと受け身を取ったらしく背中などにも別段痛みはない。単に覚えていないだけかも知れないが。直接打撃を受けた腕や腹に打撲の痛みは残るものの、体調は悪くない。
「そうそう、軍医の先生が「目が覚めたら自由に帰っていい」って言ってたわよ。って、何見てるのよ」
「あ、いや。なぜレイがここにいるのかな、って」
「悪い?」
 先までの上機嫌な態度から一変、今度はブンむくれてみせる。よく表情が変わる。
「そういう意味じゃなくて、意外だったから聞いてみたんだよ」
 「どーだか」と言いたげにひとにらみ。こういうとき、レイの容姿ははひときわ迫力を持つ。
「ミサトさんに呼び出されたのよ、アンタが入院したって。教えてもらったのに来ないわけにはいかないでしょ」
 じつは、仕事もそこそこに飛び出してきたのだが、そんなことはおくびにも出さないのは大したものだ。
「それに」
「それに?」
「友達が入院して、平気でいられるほど冷たくないよ、私」
 「友達」……改めて言われてみるとショックだったりもするが、反面ホッとしている自分がいるのも事実。
「無茶しちゃダメよ。怪我したら元も子もないじゃない。
 で、なんでヒュウガ大佐に突っかかったの?」
「それだけは勘弁してくれないかな」
 自分でもつまらない事だと思いながらも、そうせざるを得ない。男の意地というか美学というか。一義的には「手っ取り早く強くなりたかった」で済むのだが、そこに「なぜ?」と切り込まれたら返事に窮してしまう。それに、正式発表前の人事を漏らすわけには行かない。……これも、自分に対する建前でしかないのだが。
「む、どうあっても答えない気ね。……まぁいいわ。誰だって、言いたくないことの一つぐらいあるでしょ」
「やけに物わかりがいいね……」
 失言に気づいて口を押さえるがもう遅い。どんな打撃が来ても受け流せるように体の力を抜いて心持ち身構える。目は閉じない。レイが投げつけたものを反射神経のみでキャッチ。重さと感触から肩掛け用のバッグに入った、カヲルの軍服一式であることは想像に難くない。
「ほら、つまんないこと言ってないで早く着替えてよ。訓練着のまま帰る気?」
 あきれたような口調に、少しだけ違和感を感じた。

 

 カヲルにしても、考え無しに突っ込んでいったわけではない。いつもの誘い込む戦術から一変して「やられる前にやる」戦術を試してみた、と。“一対一”や“多対多”であればさして問題にならないのだが、相手の攻撃を躱してから自分の距離を作る戦い方では“一対多”の戦いになったときに対処しきれない。だいたい、そうなれば勝つよりも逃げる方法を考えるというものだが。何にしろ、逃げるための道を自分で造らねばならない事態だって考えられる。
 つまり、味方が居ない事態を想定しての事だが、相手が悪かったかやり方が悪かったか全く問題にされなかったと。
 技術的な問題なのか根本的な問題なのか。そのあたりは明日にでもヒュウガに聞けばよい。
 少し、考えすぎてしまったか。何気なく自分の肩、その先を見る。街灯の明かりに蒼く輝く銀髪の少女の顔がある。が、レイはカヲルの視線に気づかずなにやら考え事に熱中している。歩きながら。この分では前も見えていないのではないだろうか。声をかけるかどうか二秒ほど迷ったが、黙って視線を前に戻す。
 時刻はそろそろ二一時を指そうとしている。

 レイの足が止まった。
 二〇メートルもゆけば、そこはソウリュウ邸。その向かいにイカリ邸。
 帝国の宣言によりイゼルローン駐留艦隊は第三種戦闘態勢に入った。その為、艦隊の運用責任者であるシンジは今夜帰れるかどうかわからないという。
 だから、アスカもまだ帰っていないと思ったのだが……
「アスカさん……」
 側にいるカヲルにかろうじて届いた程度の声だ、アスカに届くはずがない。が、アスカは振り返った。一瞬視線が交錯したが、レイの方から外してしまう。心持ちカヲルに身を寄せる。少しでもアスカの視界から隠れられるようにと。少しでも不安が紛れるようにと。
 三人が三様の感情を抱え、互いに動きを封じ合ってしまっている。その不安定な安定がもどかしい。
 最初に自分を取り戻したのは、部外者に一番近いカヲルだった、アスカの視線を遮るようにレイの前へ出る。
「逃げないで、レイ」
 腰のあたりがわずかに引かれる感触。レイがブルゾンの裾を握ったのだろうと、適当にあたりを付ける。その間、アスカから目を逸らさない。目を見る事はできないが、アスカをしっかりと視界にとらえている。
 カヲルは前へと、ゆっくりと踏み出した。

 


III

 

「アスカ……」
 展望台からは既に航跡すら見えなくなっている。それでもその場を動こうとしない親友に声をかけるが、反応は返ってこない。
 レイとカヲルを『ハイネセン経由フェザーン着任』の旅に送り出した後。あれほど居た見送りの人員は、既に二人だけになっている。出港後一時間も経っていれば、残っている方が珍しいというものだ。
「本当はイカリ君のこと考えてたりして」
 わずかに表情が引きつったのを見逃すヒカリではない。任官してから離れていた時期もあったが、つきあいだけは長い。アスカの下手な嘘など、お見通し。
「仲がいいほど喧嘩するって言うけど……素直に謝ったら?」
「絶対に謝らないもん。アタシは悪くないもん」
「そんな、子供じゃあるまいし……悪い悪くないはともかくとして、男のつまらない“メンツ”ってヤツを立てて仲直りのきっかけをあげるのも女の甲斐性じゃない?」
 普段から“男のメンツ”とやらにこだわる人間を相手にしている方は、そうアドバイスするわけで。
「そんなの知らないもん」
 すっかり幼児退行したアスカは、ふくれっ面でレイ達の乗った巡洋艦が映っているモニターを注視していて。
 現実問題として、アスカとシンジに痴話げんかを続けてもらうのは非常に困る。特に、いつ帝国軍の襲来があるか分からないこの時期、死活問題に発展しかねない。困ったことに、この二人の代替要員など居るわけがないためどうあっても関係を修復してもらわなければならない。
 まぁ、死が二人を分かつような波乱がない限り、アスカ姫はシンジ王子と道を同じくするだろう。今までの二人の依存関係を見るに、もう別れてはやってゆけないとヒカリは思う。その証拠に、ちょっと喧嘩してわずかに心が離れたぐらいでこのしょげかえりようだ。普通に、後方勤務をしているようなら笑ってすませることはできるが、悲しむべき哉自分たちは戦場の最前線にいる。時間が解決してくれる問題だろうが、今はその時間すら惜しい。
 アカギ参謀長は、養女であるヒトミに頼んで探りを入れたそうだし、カジ夫妻は自身の子供達を使って何くれと話を聞き出そうとしたらしい。二人の母親もレイの依頼を受けて事態収集に乗り出したとのことだが、結果は目の前にある。なんとも、人騒がせなことだ。それだけ愛されていると言うことでもあるが。
 港湾管制室に閉じ籠もったシンジの方には、トウジやアイダが向かっているだろう。もしかするとカジあたりも居るかも知れない。
 ヒカリとて、最初はミサトやリツコに応援を頼んだのだが、
「あの娘は、私みたいなのから言われると意固地になっちゃうから。ホラギさんから、友達の立場で諭してくれない?」
と、ほとんど同じ内容で断られてしまった。

 諍いの原因といってもたいしたことはない。レイとカヲルの転属をアスカがシンジに話す前に、どこから漏れたかシンジの耳に入ってしまった。おそらく、Nervルートだろうが、そのあたりをアスカが推察するのはいくら何でもまずいため「人の口に戸は立てられぬ」ということで処理されている。
 アスカにしてみれば、言いづらくて、心苦しくて、シンジの多忙を理由に先延ばしにしていたのだが、シンジとしてはアスカが一人で思い悩んでいたのがおもしろくない。そのあたりの行き違いから、どうも口げんかに発展したらしい。
 何というか……控えめに言って子供の喧嘩である。遅くとも、ハイスクールあたりでこのあたりの経験は大概の人間が済ませているだろう。恋愛経験が多いとは言えないヒカリですら、ジュニアハイあたりでこういった悩みにぶち当たった記憶がある。
 相手を思いやりすぎて相手を傷つけてしまう。
 これも、あの二人が何とかまともな関係になりつつある過渡期であると考えれば、それはそれで嬉しい。ヒカリの偽らざる気持ちである。ただ、それに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。社会的地位がある分、下手な解決策は被害が大きくなる可能性がある。
 やっかいなことだ。
 でも、そのやっかい事を喜んでいる自分が居ることもまた確か。

 あの子たちも、やっと一人前になってきたか。
 自分の生徒が幼児じみた「いつでもいっしょ」の関係からの卒業したことに、妙な満足感がある。今なら、問題生徒を無事に卒業させた生活指導担当教諭の気持ちも分かってあげられそうな気がする。
 が、現実問題としてそれどころではなく、遅すぎた思春期を謳歌している二人が起こしている事態の収拾を、何が何でも図らねばならない。
 で、こういうとき頼りになるレイは居ない。
 ちょっと、立ちくらみがしそうになった。

 

 居心地が悪い。
 通称『副司令官第二執務室』、正式名称『第一港湾管制室』に本日起こっている事態である。不幸なのは一二人の管制オペレーターである。
 駐留艦隊副司令官シンジ・イカリ中将が居るのはいつものことなのだが、それに加えて同第三分艦隊司令官トウジ・スズハラ少将や情報部長ケンスケ・アイダ大佐なんてのまで居る。一般兵士から見れば雲の上の大者だ。それが喧嘩をしているというのは……
 頼むからバーか自宅で呑みながらやってくれ、と言いたいが言えない。

 話はずっと平行線。真っ向からぶつかるのをただ眺めるだけ。
 お互い強情だからなぁ……と他人事のように見ているが立派な当事者である。
 何が悲しくて、二〇代も半ばに至ったカップルの仲裁をしなきゃいけないのか。どうせ落ち着くところに落ち着くのだから、と、ケンスケ・アイダは思うわけだ。
 こういう喧嘩をするようになっただけ、成長はしているのか。と、思わいでもないがならもう少し成長して痴話喧嘩に他人を巻き込まないだけの分別を身につけて欲しいと切に願う。というか、レイが間に挟まって緩衝剤をやっていた反動と思えなくもない。
 やっぱりあいつらはガキなんだ、と思う。
 図体は水準以上にでかくなり、その能力は同盟随一。そんな二人の本性がこんなお子様とは……
 こみ上げる笑いを噛み殺し、険悪になってきている親友二人に視線をやる。
 ん?
 ケンスケの脳裏に何か引っかかった。
 ってことはだ、ローエングラムも似たようなアレじゃないか?
 可能性はなくはないが、こういう生き物が他にいるというのも考えたくない。
 フユツキさんの遺産に引っかけてみるか……
 こういう時の勘には従った方がいい。何もなかったとしても、ラインハルトの周囲は探れるわけだし。

「相手の気持ちが分かるんやったら、いい加減許してやれや。ソウリュウああいう性格やさかい、お前の方がフォローしたらなアカンやろ。そういうとこが男の度量っちゅーもんや。懐深いとこ見せたらんかい」
 説得なのか煽っているのかよく分からなくなりそうだが、トウジは真剣だ。それだけは疑いようもない。空回っていることを注意してやるような殊勝な人間が周囲にいないのが不幸と言えば不幸だ。
 だから、
「許すとか許さないとかの問題じゃないんだよ」
と、つれなくされても諦めるでない。
「そやったらなんやねん。なに、拗ねとんじゃ」
 低く押し殺した声でトウジが迫る。
「僕たちの問題だよ」
 とりつく島もないとはこのことだ。だが、トウジは食い下がる。
「そのお前らの問題で、周りが振り回されとるんや。もうお前らだけの問題とちゃうねんど」
「ならどうしろって言うんだい?」
「そやから……」
 食い下がるトウジの肩を抑える者がいる。
「ケンスケ、お前からもこの分からず屋に言うたれ」
 ああ分かったよ、と適当にトウジをなだめながら、シンジに向き直る。
「お前、ソウリュウが他の誰かに取られても良いのか?」

「ケンスケ」
「なんだい? トウジ」
 憤然と立ち去ったシンジを呆と見送りながら、自分より頭一つ背の低い親友の肩に手を置く。
「前から悪党やと思とったけど、ホンマ……筋金入りやな」
「そうか? シンジほどじゃないと思うけどな」
「アホ抜かせ、アイツが悪党やったら、ワシらみんな悪党や」
 力任せに肩を何度か叩いた後、何が楽しいのか浮かれたようにシンジの後を追ってゆく。義足の動きもなめらか。ふつうに歩いている分には、義足着用とは思われないだろう。愛の力は偉大だ。
「そうかな?」
 言葉に出してみてからその後を追う。
 かなり本気の答えだったのだが。


 

 何の前触れもなく、意識が覚醒してゆく。
 常夜灯の明かりが目にはいる。
 本来なら下士官用の二人部屋か三人部屋のはずが、今回は乗組員ではないとのことで士官用の個室があてがわれている。アスカの名前や、宇宙艦体上層部とのコネクションや命令書の出所や色々な思惑が絡んだものらしいが、レイとしては知ったことではない。艦長に示されて待遇をそのまま受け入れておとなしくしている。変に突っ張って目立っても良いことはない。
 〇六三〇
 あと三〇分は眠れるはずだが、身体に染みついた生活のリズムはなかなか抜けない。
 シャワーを浴びて、ブローして、着替えて、食事を作って、アスカを起こして……
 そうか……アスカさんは居ないんだっけ。
「シャワーでも浴びよ」
 寝癖の付いた髪を押さえつけながら、ベッドから起きあがる。と、時間を示す横にある、日付表示が目にはいる。
「そっか、今日フェザーン到着だっけ」

 

 

 一ヶ月前、要塞化のあとも生々しいハイネセン軍港に到着したレイとカヲルは、そのまま人事部へ直行した。連絡便が遅れたこともあるが、二人がこの訪問を余り重要視していなかった証左……と、後世からは分析する向きもあるが、実際の所は嫌なことはさっさと済ませようといった何と云うことのない発想である。到着が遅れる事が決定した時点で、アポイントメントを取っていたため、そうせざるを得なかった……というのもある。
 彼らとしては、そんな些事よりもその後のアカギ司令長官との会見の方がよほど重要だ。と、その些事に予想外に時間を取られ――ただ延々と待たされたのだが――ナオコの前に二人列んで敬礼をしたのは午後も遅い時間になってから。
「楽にしてちょうだい」
 と言われはしても、素直にその通りにするわけには行かない。お気遣いなく、と言いつつ勧められた席へと掛ける。
「そんなに若いウチからよくできた娘だと、ウチのリッちゃんみたいになっちゃうわよ」
 などと、些か笑えない冗談を飛ばしながら、アオバが差し出す書類を処理してゆく。ナオコ付きの従卒が用意した紅茶をいただき、「あー、やっぱり私が淹れた方がいいかも」とか思いつつおとなしく座っている。従卒の女の子がカヲルに向ける視線が気にならないではないが、それは極力無視。ちょっと踵のあるパンプスで隣の少年の足を踏みつけたりしているが。
 さすがに今日はいつものスラックスではなく、第二礼装と言われるスーツに近い服を着ている。カヲルも、男物だが同じ第二礼装。この二人がおとなしく列んでいると、異相も相まって近づきがたい空気が生まれる。似合いすぎて声を掛けることすら憚られるとでもいうべきか。まぁ、表情を崩せば人なつっこさが出てくるのだが。
 そんなレイを追いかけ続けたヒトミは大したタマだ、と正直二人を知るものは感心している。
 だから、従卒の女の子は見ているだけだ。それだけでため息を吐いたり。暫く友人達への話のネタは尽きないだろう。
「さぁ、これで最後ね、アオバ君」
「ええ、決済が必要な書類は以上です」
 アオバの返事に、満足げに頷くと年若い客人の待つ応接セットへと歩み寄る。
「ごめんなさい、お待たせしちゃって。お帰りなさい、ハイネセンへ。で、どうだった? 人事部長殿の態度は。何か言ってきた? キール議長からの直接のお声かかりだから、ゴマでも擂ってこなかった? あの人、キール派に渡りをつけたがってたから」
  つまり、レイ達は周囲からはキール派と見られていると。「迷惑です、私はソウリュウ派ですよ」と憤然とするレイを宥めながら、カヲルに問い掛けの視線を向ける。
「いえ、特には何も」
 最低限の返事をカヲルが返す。
 ああそうか、カヲルはナオコさんのこと知らないから警戒してるのね……
「アカギ提督、アスカ・ラングレー要塞司令より親書を預かって参りました。ご一読下さい」
 と、強引にナオコの注意を自分の方へと向ける。親書を預かったのは嘘ではない。懐から取りだした封書をナオコに手渡す。
 礼を言うが早いか、アオバがペーパーナイフを持参するのを待たず手で開封し「ごめんね」と言い置いてさっさと読み始めてしまう。

 

 さらに一ヶ月ほど前のあの日。アスカが路上で待っていたのは別段叱るためではなかった。それどころか、カヲルを前にして
「良かった、もう護ってくれてるのね」
などと言いだす始末。
「レイったら、最後まで話を聞かないで出て言っちゃうんだから」
 怒っているものとばかり思っていたアスカは、少々力は抜けているが笑っている。
「えっと……」
「なに?」
 動じることなく聞き返すアスカは、間違いなくミサトの友人だ。一時期ミサトの家にやっかいになり、その人となりをいやと言うほど知っているカヲルは確信する。
「どういう事ですか?」
 とりあえず浮かんだ言葉をそのままぶつけてみる。
「レイ。別に、あなたが邪魔でフェザーンへ行けて言ってるわけじゃないのよ。あなたじゃないと頼めないこともあって……カヲルもちょうど良いわ。話を聞いてくれる?」
 有無を言わさずソウリュウ邸のリビングに二人を並べ、お茶を用意することもなく一通の封書をレイに差し出した。
「一つ目は、これをアカギ長官に手渡しすること。絶対に手渡しね」
 と、レイの前に置く。
「それと……あなたにはもっと外の世界を見て欲しいの。イゼルローンも良いけど、ここの常識じゃ同盟も帝国もその実体が見えなくなるわ。フェザーンだとどちらも外から見える。ホント言うとアタシだって一緒に行きたいぐらいよ。でも、ここを離れるわけには行かないしね。あなたの目で見て、アタシに報告してちょうだい。これが二つ目。
 三つ目。これが一番大事な事よ。フェザーンは大変なことになると思うの。だから、カヲルと一緒に無事にアタシとシンジの元へ帰ってくること。
 カヲル、レイを護ってあげてね。司令官としての命令じゃなくて、アタシからの……レイの姉としてのお願い。だから、どうするかはカヲルが決めて」
「いえ、レイはぼくが命に代えても無事にお返しいたします」
 何のためらいもなく返されたカヲルの言葉に、レイの方が赤面してうつむいてしまう。
「それはダメよ」
 カヲルの言葉をあっさりと否定。レイの険悪な視線も何のその、そのまま言葉を継ぐ。
「アタシは『二人で』、って言ったの。カヲルがレイを命と引き替えちゃったらその後は誰が護ってくれるの? それに、レイにアンタの人生まで背負わす気? それって人生の重荷よ。一生自分のために死んだ人間の影がつきまとうんだから。悪いけど、そんなんじゃレイを任せられないわ。顔を洗って出直してらっしゃい」
  冗談めかしてはいるが、口調は厳しい。少年らしい英雄願望的な考えを真正面から否定する。
「 ……なんてね、シンジがウチのママに言われたのよ。カヲルと同じ事言って。あの時は、なんて酷い事言うんだろ、って思ったけど今ならその気持ちも分かるな……」
「はい、必ずぼく自身の手でレイをアスカさんの元へお返しいたします」
「返しちゃっても良いの?」
 イタズラっぽい問いかけに、さすがのカヲルも鼻白む。
 しきりに隣をうかがうが、こちらは「さぁ、どうしたものか」と思案顔。
「カヲル次第かな」
 そこそこの沈黙の後に出てきたのは、この前よりも幾分前向きな言葉だった。

 

「……大胆な仮説ね。言われてみるまで気がつかないけど、気がついてしまうと……盗人に裏口の鍵預けてるのと同じなのよね」
 アスカの進言は、簡潔にして困難な物だった。
 常識への挑戦。
 その並々ならぬ意気込みは、親書の冒頭にて読みとる事ができる。
 曰く
「帝国軍はフェザーン回廊からの進入を戦略の主眼としています」
自由惑星同盟軍の迎撃体勢は、イゼルローン回廊からの侵入のみを想定している、と。
 もう一つ、フェザーン回廊があるのだがこちらはフェザーン自治領が管理しており、その経済力に少なからず依存する帝国・同盟双方の政治的事情により、軍事目的には使用される事はないとの判断に依る。
 フェザーン回廊からの軍事行動は不可能である。
 これが、“現実的”な戦略的認識とされている物だ。今日まで。
 しかし、『常識』のフィルターを外して純軍事的に考えた場合、フェザーン回廊からの侵攻はダイタンではあるが至極まっとうな答えであることに気づく。
 イゼルローン回廊には難攻不落の要塞が鎮座し、そこには自由惑星同盟軍の人材の粋が集められている。彼らがライトスタッフであることは、その戦績が示している。軍事的、物理的に封鎖されているに等しい。
 翻ってフェザーンといえば、固有の軍事力はなく乾いた大地を持つ惑星があるだけ。『経済』という強力な武器は持っているのだが即効性はない。
 つまり、奇襲をかけることに成功したならば簡単にこちらを使うことができる。さらに、同盟内の星図も所有している疑いが強い。これが帝国の手に渡るのはゾッとしない。既に数的劣勢は明らかなのに地の利まで失うのは致命的だ。あの、ダゴンの大勝は地理に不案内な帝国軍を有利な戦場に誘い込んだが故に得られた物だ。
 とはいえ、これを理解できるのはナオコとゲンドウ、その直属の部下、イゼルローンぐらいのものだろう。大部分の人間は、己の過ちを認める――迎撃体勢の組み替えを認めると言うことは現状の判断の誤りを認めることに繋がる。当然、その責任を問う声もあがる――事はないだろう。状況は変化した。ラインハルト・フォン・ローエングラムが変えてしまった。
 多くの人間が、時代の変化を認める事ができるのは、やはり歴史の表舞台に強烈な一撃が加えられたときだろう。
 それから対処したのでは遅すぎる。
 アスカの提言は、帝国の侵攻は三つのレベルにて進められるという。
 後に『魔女の予言書』と呼ばれることになる書簡であるが、内容は『予言』のような当てずっぽうではなくしっかりと情勢分析に根ざした確固たる物である。長く、情報分析の手本として幾度と無く教科書に登場することとなる。

 

「お役目ご苦労様。アスカちゃんに会ったときにお礼を言っておくわ。それで、ハイネセンにいる間だけど、うちにお泊まりにいらっしゃいな。大したもてなしはできないけど歓迎するわ……そうそう、ゲンドウ君にはちゃんと挨拶してあげてね。今日一日、落ち着きが無いったら」
 六〇を幾つか過ぎても茶目っ気を失わないあたり、その懐の深さを感じさせる。
「お仕事の邪魔になるんじゃないですか?」
 遠慮がちにカヲルが尋ねるが、ベテラン提督は少し寂しげに首を横に振る。
「最近ね、暇なのよ。全部キール派が牛耳っちゃっててね。グブルスリー君も、ゲンドウ君が居るから何とか保ってる状態よ。
 今は充電期間だと思うことにしてるわ。どうせ、『何か』あれば私たちの力を貸せって言ってくるんでしょうから。せいぜい高く売りつけてやるわよ」
 そこにあるのは、負け惜しみと言うには力のこもった挑戦的な笑み。
 彼女は、まだ負けていない。
 そう、レイに信じさせるに十分な笑みだった。

 

 

 その後、ゲンドウにユイとシンジからの手紙を渡し、出立までの一週間をナオコ・アカギ邸にやっかいになったわけだが。
「『何か』、ねぇ」
 心配をかけないようにと、偽りを言うでなく本当のことを話してくれたナオコ。
 こうして送り出してくれたアスカ。
「信頼には結果で応えないと、ね」
 濡れた髪を拭きながら、鏡をのぞき込む。
「髪、伸ばそうかなぁ」


 

IV

 

 この日の正午、レイ・アヤナミ准尉とカヲル・ナギサ少尉は惑星フェザーンの地に降り立った。

 

 

 

(第六話 了)




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第七話へ続く

’01/03/30初稿

銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊

 

 

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