二重体:高位の精神体と下位の精神体、二重のエゴを示すのに使われると言い、カラバ信奉者の間で、「それらは、譬えて言えば、一人は彼の守護天使であり、もう一人は邪悪なデーモンであるという、生涯を通じて切り離せない二人の伴侶として描かれる」
フレッド・ゲティングズ著/松田幸雄 訳
「オカルトの事典」より 抜粋

 


なお、実験体『A』及び『E』が上記現象と極めて近いものであるが、物理現象を無視した動き、そのエネルギー源など未知の部分が多く、その因子を利用した量産実験体の研究を待って結論づけるものとする。


 
 
 
 
〜おに〜 Sequel to Legend
 
Die Rot Kaiserin 〜赤の女帝〜 後編
 

片山 京
 
 
 
 

「ちょっと……おいたが過ぎるんじゃないか?」
 痛烈な皮肉。ホールが、包み込まれるように別の物質へと変化してゆく。その様を眺めながら少年は嗤う。
「『A−11』『イロウル』……『ゲヒルン』にもう少し考えろって……言っておけ。ゲンドウに直接なっ!!!!!!
 頭上を泳ぐ二体の異形。『A−06』『ガギエル』と『A−08』『サンダルフォン』。叫びと同じくして紫の異形が舞う。
 腰の回転のみを使って白……『ガギエル』へ腕を叩きつける。その反動で上に出る。躯のバネをフルに使い両足で踏みつけ……天井へと跳ぶ。ケーブルをパージ、間一髪で『サンダルフォン』の長大な腕を交わし、掴み、引き寄せボディーを踏み台にさらに高く。
 吼える、哮る。
 微妙に重心を変え、頭を下に回転。
 蹴る。
 『イロウル』の物質変化の影響からか、その衝撃に耐えきる梁。
 さらに加速。
 次の瞬間には『サンダルフォン』を巻き込みホール中央へと突き刺さる。その隙を狙った『ガギエル』の横っ面を青き弧を描く棍棒……のようなもので殴り倒し、追い打ちをかけることなく影へと消える。
 ……どこへ……行った? あの孺子は?
 全てが闇。光を取り込むはずのガラスは既に別の物質へと変じている。
 気配は? 分からない……『イロウル』の力場の放出に上手く紛れてしまっている。打つ手、打つ手が全て裏目に出ている。焦燥。数の上では絶対的に有利なはず……
 ゆらり……瀕死の『サンダルフォン』が浮き上がる。右が不自然に上がりすぎている。当然か……右腕がない。青き血液を滴らせ、幽鬼の如く。
 LOST
 
 
 
 撃ったのは最初の一発のみ。それが効果を持たないことを見て取ると、パニックに襲われかけている葛城ミサトを引きずりさらに後退。アテはないが、相手の形状からして狭いところでは動きづらいだろう。
 時間は稼げる。稼いだ時間で何をするか? 決まっている、考える。
「落ち着いたか? 葛城」
 階段室と廊下を隔てる、発泡コンクリートの貧弱な壁を突き抜けた巨大な蜘蛛。足を振り上げるごとに、天井が崩れ廊下が広がる。
「さて、どうするか……」
 アンテナのように細く、長い足の中心。その四角い本体と思しきところから振りまかれるなにがしか……
 それを他人事のような目で眺める。
「ちょっと、加持。アレ、涎みたいなのが掛かったところ……」
「ああ、溶けてるなぁ」
 やりにくくなった。近づくこともできやしない。
「アイツ…どうやって外の情報を仕入れてるのかしら?」
 確かに、前衛芸術的な目が描かれてはいるがどう見ても実用向きではない。
 取り出したのは煙草。
「疑問が出て来たんなら……実験だな」
 慣れた手つきで煙草に火を付け、目標の前へと放り出す。
 地に落ちる前に風が動き……
「あっさりしたものね……」
「まぁ、熱に反応することは分かったわけだ。これで」
 だからどうするか……
 退路は……ない。
 
 
 
 ただ……ただ、それはマズイと思った。
 殴りかかる鉄の棒など、通常ならばダメージになり得ない。
 青の少女が振りかぶるそれだけはマズイ。理由はない、直感だ。
 火を点したライターと逆の手一本で、くそ重いアサルトライフルの銃身を振り回し、ついでに引き金も引きながらそれを払いのける。反動の押さえきれない分はたった今現れた『ツヴァイ』が包み込むように支えてくれる。
 が、奇妙な感触と共に衝撃。何も考えずにM16A2を放し、『ツヴァイ』が投げ捨てる。
 暴発。『ATフィールド』が破片を受け止め、衝撃を散らす。
 正面に感。それを避けるように左足を軸に右足でアスファルトを蹴る。半身になった惣流アスカ、年齢のわりに豊かな胸をかすめるように飛来する何か。
 赤の巨人が目の前の人物へ巨腕を振り下ろす。
「『E−02』惣流アスカ・ラングレー?」
 誰かを思わせるような感情のない声。道路に根本まで食い込んだ獲物。しゃがんで、その柄を握っている姿はどう見ても隙だらけ。
「ハッ、だったらどうなのよっ!」
 『ツヴァイ』の腕を受け止めた青い巨人を睨み付ける。
「個体識別確認、廃棄作業開始」
 同時に『青』から腕を振り払い、惣流アスカを保護したまま跳ぶ。その後の空間を下から何かが薙ぐ。フェラーリ/EVから離れてしまったが、スペースはとることができた。
「そういうアンタは何者よ……どこの回し者?」
 効果があるとは思えないが、グロッグを引き出し、照星を固定。先の、アサルトライフル斉射を受け、耐えきったのだ。ハンドガン一つではどうにもならないだろう。
 勝てるとすれば……『ATフィールド』とやらの制御が絶対条件だろう。残念ながら現在の惣流アスカが持ち合わせていない技術。
「綾波……レイ。Eシリーズ、最初の実験体」
 わずかに表情が曇るが、惣流アスカの位置からでは分からない。わずかに反りの入ったそれを静かに構える。
 日本刀。
 アナクロな武器だが、接近戦闘を前提とし『ATフィールド』などの支援を考えれば有効な武器足りうる。
 代わりのモノ……過去、一度だけ成功したアレか……
 それぞれの第二の体は引き下がり、ただ立ちつくすのみ。
 護身用、肉厚のナイフを取り出し構える。残りは『ツヴァイ』へとヒップバッグごと投げ捨てる。無いよりましだ。グロッグは再び腰裏へ差し込まれる。
 
 
 
 純粋に戦闘のセンスを見れば、三人格のなかで突出しているのが“六分儀シンジ”だ。これに、戦術が組み合わされれば“碇シンジ”も高く評価できる。
 密閉された空間。それを作りだした側が対象を見失っている。本末転倒な笑い話だが、現在三人が置かれている現状だ。
 白い巨鯨のようなもの……『ガギエル』。海老じみた醜怪な赤い物体……『サンダルフォン』。大気中を無意味に泳ぐ。正しく無意味。右腕の再生を諦め、とりあえず傷口を塞いだに止まる『サンダルフォン』。やはり、動きは鈍い……本体の方にもかなりのダメージが行ったか。
 『E−03』の触媒は影。まさか本体まで隠れるとは思っても見なかった。『隠』とはよく言ったもの。その二つ名に偽りはない。
 それでも、『彼』が目覚めるよりは勝ち目がある。
 
 こいつら本物のバカだ。
 無意味を量産する敵性体。
 彼はこのホールの真ん中から動いていない。ただ、ちょっとした小細工は実行した。なんのことはない、『ATフィールド』の位相変化を利用して光学迷彩を施しただけだ。探知方法を変えるなり、その場に止まって空気の流れを見るだけで簡単にばれるような代物だ。生身では無理でも、第二の体の持つ超感覚を駆使すれば難しいことではない。
 今まで観察した動きから、本体のあるべき位置もだいたい把握している。
 奴ら、戦いらしき戦いなど経験していない。通常兵器を受け付けないことを良いことに、紛争地帯での虐殺が関の山。実戦経験など無きに等しい。
 特殊能力を持った素人。“六分儀シンジ”の敵足りえない。
 まずは一匹……
 『鬼』の目の前に来た『ガギエル』……その無数に飛び出した突起の一つを適当にひっ掴む。慣性の法則だの、もともとの質量の差だのを無視して無造作とも取れる動きでホールの床へと叩きつける。紫の身体は小揺るぎもしない。
 ハンデその一。奇襲攻撃による一撃必殺は行わない。
 ハンデその二。とりあえず弱ってる方を潰さなかった。
 オレも甘くなった……嘆息。同居人に感化されたか、“シンジ”に引っ張られているのか。時間は……もうそれほど残されていないのかもしれない。
 無様に転がるそれを無造作に踏み抜く。『鬼』に対して10倍近い巨体。避けきれずに肉体の幾ばくかがその場に残される。
 わずかに苦痛の呻きが聞こえたが、それ以上の『ガギエル』の叫びにかき消される。それでも場所は完璧に特定されたか。『サンダルフォン』の本体の方がまだましだった。腕一本もって行かれても声を漏らすことはなかった。
 安全装置解除、ベレッタの薬室へ装弾。『鬼』が『サンダルフォン』を軽くいなすと同時に“六分儀シンジ”が走る。目標は、いまだに呻いてやがるバカ。
 懐からナイフを一本。ドアのロックに突き刺し、位相空間の出現と共に押し込むように蹴る。
 切断。
 物質自体を強化しようが、物理法則を越えるような輩のピンポイント攻撃には為すすべがない。後方を確認、“六分儀シンジ”を追って来ようとする『サンダルフォン』を捕らえた『鬼』。
 そのまま手近な壁面へと投げ飛ばす。『ガギエル』はまだ動かない。動けない。
 二度目の情けをくれてやるほど“六分儀”は人間が出来ていない。ドアの脇へと身を隠し、足を小器用にドアノブへとひっかけ、
 引く。
 予想通り。
 銃弾の嵐が“六分儀シンジ”の眼前を駆け抜ける。音が重い……取り回しを考えず、限定された空間の敵を撃ち抜くためならかなり巨大な火器の使用が出来る。それも、据え付けておけば素人でも簡単に扱える代物だ。極端な話、「『ファランクス』でも据え付けて、このドアが開いたらスイッチを押させる」などというオプションも考えられるわけだ。
 ただし彼には『ATフィールド』の加護がある。それ以前に慎重。
「せめて中和ぐらいしろよ……まさかっ
 何かに思い至り、振り返ろうとした瞬間……衝撃。
 視界の端に捉えた白い影。まだ“六分儀シンジ”の力の方が勝っている。でなければ完全に潰されていた。ここへ『サンダルフォン』まで参戦したら? 最悪の事態。
 油断だ。考えれば、赤外線センサの一つもあれば出来る簡単なトラップだった。
 悪いのは自分。
 相手をなめてかかった自分。
 怒りの向く先も自分。
 力比べ、『ガギエル』が吼える。その口腔内に……
「みぃつけたぁ」
 無邪気でありながら、地獄の底から響くような……声。
 『鬼』が『サンダルフォン』を再び掴み上げ、出来るだけ遠くへと投げ捨てる。死に損ないを片手間に相手しているほど余裕が持てない。派手な音と共に何かが崩れる音。『イロウル』が構造物を別の物へと変えようとしているのか……不安、しかし、今はこの愚者の始末。
 ベレッタから弾倉を取り出し、別の物へと交換。赤くペイントされた弾丸だ。さらに、適当に1発撃って薬室の弾丸を排出。手順を踏めば取り出すことも可能だが面倒。
「これでも……」
 『鬼』が“六分儀シンジ”の背後に回り込み『ATフィールド』が強化される。さらに浸食を始める。それは一瞬の出来事。
 次の瞬間には、紫の巨人が直接怪魚の口吻に四肢を掛け、力任せにこじ開ける。意図を察した『ガギエル』が抵抗しようとするが追いつかない。たった数センチの隙間。見逃さない。銃口をねじ込み……
「喰らいやがれぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!
 全て撃ち込むまで5秒と少し。ダブルアクションのそれは弾倉を空にするまで弾丸を送り続け、やっと沈黙した。
 力無く崩れ落ち、光へと還る白鯨。
「まずは一匹……」
 “六分儀シンジ”の闇色の瞳は、瓦礫の山を映していた。
 
 
 
 加持リョウジの奇行。突然ジャケットを脱ぎだし、十徳ナイフを取り出す。研ぎ澄まされたナイフに、プラス−マイナスそれぞれのドライバーの大小。千枚通し、3mm、4mmの六角レンチ。コルク栓抜きと普通の栓抜き…さらに缶切り。あと、ヤスリと1mまで測れるメジャー。盛りだくさん。
 ナイフでもってジャケットを切り裂き、中から青いビニールに包まれた粘土のような物を取り出す。靴の踵の空洞からも同じ物を取り出す。
 煙草をほぐし、なにやら電子部品を摘み出す。
 ガスライターの端からアンテナを引きずり出し、底にあるカバーを取り外す。
「もしかしてそれ……」
「安かったからな……全部で500グラム。かなり強い刺激を直接与えなきゃ反応しないタイプだ」
「ご、ごひゃくぐらむって……加持、あんたこのビル解体する気?」
「……なせばなるさ。ここでじっとしていれば確実に消されるぜ。死体も残さず、な」
 のんきなことを言いながらも粘土の塊へ信管を埋め込み、投げやすいように適当に丸めている。この男、本当にやる気だ。
「後ろの窓の下……下の階の出っ張りか何か無いか?」
 大きさは十分だが光量が足りない。葛城ミサト、それでもはめ殺しの窓から下を覗き込む。たぶん何かある……と思う。
「パイソン貸して。叩き割るから」
 了解も得ずにホルスターから抜き取る。厚さ5mmを越えるガラスを叩き割る。願わくば、手抜き工事を。ガラスが安ければ安いほど脱出の可能性は高くなる。
 一度だけ視線が絡む。うなずいたのは加持リョウジ。
「イチ」
 力をためるため、ゆっくりと身を沈める。
「ニィ」
 体重移動。
「サンッ」
 葛城ミサトの号令と共に銃把が振り切られガラスが砕ける。
 ふわりと放られた塊は、遮られることなく化け物のハコの上に張り付く。
「跳べ、葛城ッ」
 背後からの叱咤に押されるように、
 何かの証であるかのように、
 男の銃を胸に抱き宵闇へと身を躍らせる。それに続こうとした加持リョウジだが、身を翻した瞬間右の足に灼熱。無視。力が抜け、膝から崩れる。未だガラス片の残る窓枠へ手をつき、左足で地を蹴り、無理矢理虚空へと身を委ねる。何かに濡れた足が一本窓から顔を出した瞬間。
 閃光
 轟音
 爆圧
 廃ビルが軋む。
 
 
 
 一対一。生身の対決。
 赤いクリスタルを纏い、敏速に立ち位置を変え凶刃を封じる少女。
 青いクリスタルを纏い、流麗なる太刀さばきにて舞うが如き少女。
 体力面では惣流アスカに分があるが、
 リーチに於いて綾波レイに分がある。
 五分……いや、『ATフィールド』が中和し切れていない分、惣流アスカの方が不利。僅かながら込められた力のために、手にしたナイフで受けることが出来ない。しかしながら、駆け引きを知る分で相殺。
 例えば、刀身の腹を叩きその身には触れさせない。
 例えば、わざと間合いを外し、また詰める。
 一進一退。埒が明かない。
 綾波レイを翻弄するも、決定的な攻撃へと移れない。
 焦り。
 どう考えても、受け身の方が消耗が激しいのだ。一太刀受ければ自分の動きは鈍り、切り刻まれる。ひときわ大きく振りかぶり、逆手に持ったナイフによる必殺の一撃を撃ち込むも柄によって受け止められる。
 そのまま動かない。
 そのまま動けない。
 
 今しかない。互いの動きは止まった。
 イメージ。
 ここ数日の訓練でアイツはそう言った。
 壁のあるイメージ。
 壁を取り込むイメージ。
 壁で包み込むイメージ。
 壁が覆い隠すイメージ。
etcetc……
 
 昔
 力に目覚めた頃。
 暴走の結果はなんだったか……
 舞い上がる赤いものを。
 イメージ。
 
 焦慮の中。
 目の前。
 蒼銀の少女の赤い瞳をのぞき込みながら……
 イメージ。
 
 も・え・あ・が・れ
 
 
 綾波レイも焦っていた。
 表情に出すようなことはしない。
 この女、やる。
 悔しいが認めざるをえない。巨人を参戦させなくてよかった。片手間に処理できるような甘い相手ではない。巨人を操る際には、どうしても相手から注意がそれる。いつものように、『ATフィールド』を展開しているわけではない。いや、展開はしているのだが役に立たない。
 決して疾くはないが、自分より重い一撃。受け止めても、こちらからの反撃がいくぶん遅れる。捉えきれない。
 思えば、今まで同じの能力を持つ者同士の戦闘など経験したことがない。せいぜいが、失敗作の処置ぐらい。そのあたり、“シンジ”相手にいくらか訓練を積んだ惣流アスカに分がある。
 別の仕事の時に、わざと力を抑えることで同等の体験をしたことがあったのがよかった。僅かながらに上回った『能力』を、太刀に乗せるも当たらない。
 当たらなければ意味がない。
 当たらないから意味がない。
 ナイフの大きな軌跡を捉えるも、間に合わない。ギリギリの所で柄をかざし、刃の進攻をくい止める。ただ、その不自然な体勢のために動くことが出来ない。
 膠着。
 自分をのぞき込む青い瞳。能力? わけの分からない圧力。本能の部分が危険を告げる。が、動けない。既知の要素からでは手が回らない。巨人? 今からでは遅すぎる。ならば、未知の要素――自分の能力――に賭けるしかない。
 普段の綾波レイからは信じられないほど杜撰な理屈だが、今この時はそれが最良の選択に思えた。
 触媒。水の収まった水筒が、背にくくりつけた鞘の脇にぶら下がっている。
 そう、水。
 鋭利な水。
 
 
 
 いつの間に?
 近くの壁に触れてみる。
 先程までの張りつめた質感はなく、爪のひとかきでわずかに崩れる。
 さて、このホールが建物自体を支えられなくなるのが先か、脱出するのが先か。『鬼』が“六分儀シンジ”を抱え上げる。行く手には満身創痍の『サンダルフォン』。この作戦に失敗すれば、どのみち実験か何かに使われ『処理』されるのが落ち。孺子の首を持ち帰り、役に立つことを示さねば明日はない。
 残された左腕。何の躊躇いもなく、真っ向から向かい来る紫の颶風へ向け……振り下ろす。
 無駄。
 話にならないほど遅れて空振り。『鬼』の動きに全くついて行かない。伝達系にも支障が出たようで、動きに全く精彩がない。まぁ、それ以前の問題でもあるのだが。
 『イロウル』が、廃びビルの基部を破壊するまでの足止めもできなかった……
 それでも、一応脱出しようと身を翻す。轟音、揺れ。
「ばかなっ、早すぎる」
 加持リョウジのプラスチック爆弾。姑息な計算ごと『サンダルフォン』とその本体を押しつぶす。わずかに位相空間の変化が垣間見えたが……所詮は『A』タイプの先行テスト型。数千トンのコンクリート塊を前に、抗しきれるものではなかった。
 
 
「ったく、おっさんよぉ。あんな隠し球もってたなんて……ひとこと言いやがれってぇんだ。ったく……腐れ外道の居場所を聞き忘れっちまったぜ」
 崩れ落ちる廃ビルからこぼれてきた大人たちを小脇に抱え、現場から遠ざかることだけに意を用いる。正体不明の雷撃に、崩れ落ちた廃ビル。自分はともかく、この二人に良いことがあるとは思えない。警察の人間らしいから、恩を売っておけば何かと役に立つかもしれない……それぐらいの下心はあるか。
 急がねばならない。応急処置はしたのだが、加持リョウジの出血が止まらない。
 これをこのままほっぽり出すのはさすがに気が引ける。『マトリエル』がどうなったかは分からないが、この二人が頑張ってくれたおかげで確実に勝ちを得ることが出来た。感謝をする気はないが、共同戦線を張った以上アフターケアーはしてやりたい。
 そこの路地を曲がれば商店街。未だ意識の戻らない大人たちを地面に横たえ、『鬼』は姿を消す。今日届いたはずの車で『赤木医院』へ……まぁ、妥当なところだ。
 自分の携帯電話から発信……繋がらない。今日は納車のはず。乗っていったにしてもなぜ、惣流アスカに繋がらない……仮にも首都予定地だ、電波の死角があるなど許されるものではない。
 不審には思ったものの、気を取り直し今度は別の番号へ……
「ああ、赤木か。オレだ。急患、あんたの知り合いだ、迎えを頼む。場所は……」
 それほど離れているわけではないが、最短距離を通には先の騒ぎの中心地を抜けねばならない。すこし、時間がかかるか……
「で、惣流の動き……何か掴んでないか?」
 
 
 
 8年前――アメリカ合衆国東海岸――雨期
 
「いつもあんなに元気なのかい?」
「いえ、今日は特別ご機嫌みたいですね」
 真っ赤なレインコートに同色の長靴。黄色い傘をさした女の子。
「だって、パパが買ってくれたお洋服で、一緒にお出かけだもん」
 夫婦の会話を聞いていたのだろう、満面の笑みで男を見上げる。聡い子だ。
 雨。あと数日……数週間は止まないだろう。地軸の移動、それに伴う大気循環の乱れ、海流の乱れは過去の気象データにはない気候を生み出した。それがこの雨。
 煙と共にため息。妻には何度もたしなめられたが、こればかりは止められない。研究が行き詰まったときなど、コイツがなければどうにも間が持たない。
 久しぶりに家族といる時間ができたのは喜ばしいが……気の利かない雨だ。
 公園沿いの歩道。家族三人の横を車が走り抜けて行く。ようやくにして量産されはじめた燃料電池動力車。たまに、あの大災害を生き残った化石燃料動力車も混じっている。油田地帯のパイプラインも大きな被害を受けたため、最近は化石燃料の販売ルートも限られてきてはいるが、いまだ一般的な交通手段の一つ……と、煙を吐くために幾分顔を上げたときに目に付いた。傘もささず、レインコートにフードをかぶっただけで見通しの悪い道路の反対側からこちらへ渡ってこようとする人影。
「危険だな……」
 その言葉に釣られてか、彼の妻と娘も同様に頭を巡らせる。
 対象の男は片側3車線を半ば駆けるように渡り、しきりに背後を気にしている。目立つ。後生大事に抱えているものも気になるが、所詮は他人事だ。かかわりあって、家族に害が及んでは面白くない。
 さっさと渡ってしまえばいいものを、なぜか男は止まったまま。なにを……待っている?
 と、男と目があう。笑った?
「ミツケタ……」
 聞こえるわけがない。なのに相手がなにを言ったのかわかった……わからされた。
 傘を捨て妻を促し娘を抱え、その場を立ち去ろうとしたが遅きに失した。しかたなく公園へと駆け込む。
 人間離れした跳躍力で迫るそれをどうすることもできない。せめてもの抵抗とばかりに、娘を妻に預け背後にかばいさらに後退。
 護身用に持っていた銃を抜いてはみるが、相手に当てる自信はない。それ以前に、人間に向けて引き金を引くことができるのだろうか?
「『E−02』……ショブンスル」
 状況などさっぱり分からなかったが、この怪人物が娘に対して異常な敵意を抱いているらしい事は禍つ視線からして明白。引き金に掛けた指に力を込めようとする。
 一瞬の躊躇い。
 修羅場とは無縁故に……
 
 見えなかった。
 なぜ、自分が地に這い蹲ってるのか。
 なぜ、頬がこうも痛むのか。
 ベンチの下、まだ乾いたところに転がった煙草の火に目の焦点があった瞬間、意識が帰ってきた。身を起こして状況を確認。
 どうやら、とんでもない裏拳を食らって一瞬意識が飛んだらしい。ハイスクールの時のケンカ以来の体験だ。
 男が、絶望の叫びをあげるために口を開いた。それほどまでに絶望的な状況。
 その背後で何かが燃え上がった。火柱……それ以外の形容はちょっと思い浮かばない。ベンチを一瞬にして包み込み、灰すら残さず喰らい尽くす。
 残ったのは、赤い……赤い結晶。
 舞うように男を飛び越え、妻と娘にまとわりつく。現実と言うには、あまりにもばかばかしい。いまだ、地面にへたり込んだ男の頬の痛みは現実を主張し、思わぬイレギュラーにタイミングを逸した怪人物は少しだけ距離をとる。異常な身体能力を思えば大した差ではないが、心理的には少し楽になる。
「チッ、メザメタカ」
 目深に被ったフードのおかげで表情までは読めないが、露出した部分を見る限り健康とは言えない色をしている。
「やっちゃいなさいっ」
 甲高く、音質の軽い号令とともに空間が裂ける。あまりに幼いが故、肥大した感覚を疑問を覚えず受け入れたのか? その様を、眺めることしかできない両親。『わけの分からないもの』ほど恐怖心を刺激するものはない。例え、それが実の娘であっても。いや、実の娘であるからこそ……なのかもしれない。
 
 あり得ぬ隙間から身を晒したのは赤き巨人。
 空を掴み、魂さえも揺さぶる咆吼を。それは産声。この世界に存在した証。
 異質な存在から逃れようとする母の腕をすり抜け、敵対者と彼女の守護騎士を見上げ、佇む。
 怪人物が動いた。迷わず異能を見せた幼女を狙う。
 躍りかかったそれをインターセプト。巨人がその身体にしがみつく。力は強いが、戦い方を全く知らない。が、掴んでしまえば関係ない。無造作に右腕を掴み引き抜く。
 怪人物の絶叫。逃げるように怪人物から立ち上る淡い光。わずかに理性の光が還る。が……
「燃えちゃえぇぇぇぇぇぇ」
 言葉は力。炎の御子に呼ばれた異界の炎が天を焼く。
 体組織が炎に変わるとでも言うのか? 人間が気化してゆく……発しているはずの絶望の声さえも燃える……
 
 事が終わったとき、赤き巨人は失せ怪人物の痕跡もなく……
「パパ、ママ。悪いやつやっつけたよ」
 無邪気に笑う幼女のみがあり……
 確かなのは、この事件以降惣流アスカ・ラングレーは、両親の胸に抱かれることはなかった……
 そして、彼女自身も……二度と炎を呼ぶことは……いや、意識して常人には見えない能力を使うことはなかった。
 
 
 
「そうだ、電波の空白地帯だ。災害時用のビーコンが受け取れないところを教えてくれればいい。そうだ、支払い? いつもの口座を見てみろ、時間がない急げ」
 フルフェイスのヘルメットに仕込んだマイクに怒鳴り散らしながら繁華街を駆け抜ける。
「わかった」
 待つこと数秒で満足のいく結果を受け取り、次の信号を無理なく左折。第三新東京市縦貫道へと上ってゆく。そのまま外環状線へ乗り継ぐ腹づもりだ。それなりの交通量の中を縫うように走る。いまだ内燃機関でありながら小型軽量車両が廃れない理由がこれだ。モーターでは十分なパワーが得られず、現行の燃料電池では持続性に難がある。
 いくつかのビルに大穴が空けられるという前代未聞の大事件に街はかなりざわついている。オフィスをえぐられたビルでは、さすがに火災が起こっている、うち一基の倒壊。耳障りなサイレンが響く街を背に、また一台に追い抜きをかける。
 
 
 
 惣流アスカ本人の手のひらから、炎が巻き起こる。目標は、目の前。綾波レイ。
 が、自らの右の腕をひと振り、水の刃がそれを断ち切る。代償として、その刃自体も一瞬にして焼き尽くされてしまうが……
 それを確認したと同時に後ろへと跳び退る。
 今まで、無意識のうちに忌諱していたもの。強くなるためなら、本来忌むべきものをも飲み込んでしまう強さ。
「まったく、どこまでも可愛げのない……」
 口元に笑み。これからあるのは掛け値なしの総力戦だ。今まで掴めなかった何かをがっちりと掴んだ感触。今なら、『ATフィールド』とやらも自由に使えそうな、そんな感触。そんな自分と互角に渡り合いやがる綾波レイ。なんと、なんと気にくわないことか。その事実が自分を沸き立たせるのも事実。
 さぁ、手の内は晒した。わずかに重心の位置を変える巨人を背に、グロッグへと手を伸ばす。
 
 この女、戦いの中でどんどん強くなる……
 容易に絶望につながる考えだが、正しい認識でもある。僅かな感情の揺れを自覚するが、それを無視することで押さえつける。
 青の巨人も鯉口を切る。
 わずかに笑う。今までの“仕事”にはない充実感。そう……これが感情の揺れのもと。なるほど、気分が良いとはこういうことか……
 体力的には負けている。それに代わり得る物は?
 迂闊に動けなくなった。
 心が浮き立つのはなぜ?
 乾いた唇を軽くなめる。
 刀の柄を軽く握り直し、八相の位におく。
 楽しい。
 人生ここに至り、生まれて初めて心の底からそう思う。
 心が決まった。その小柄な体を後ろからすくい上げる青の巨人。戦場を変えよう、目指すは……
 
 
 
「ありがと……助かったわ、リツコ」
 ステアリングを握っているのは葛城ミサト。いつになく慎重な運転なのは、後部カーゴエリアにて加持に応急処置を施しているリツコと折れてしまった左腕の為。本格的な処置は病院に着いてから。今できることはそう多くない。
 礼を言いながらも釈然としない。泣きながら素人の気休め程度の応急処置をしているところにやってきたのが赤木リツコ。偶然ではないだろうし、かの少年と無関係であろうはずもない。医療器材を満載した移動病院とでも言うべきものに乗ってきたのだから。ここでも簡単な手術ぐらいは行えるが、早急に輸血を要する。後は、加持の体力がどれぐらい保つか……
 交通規制の敷かれた道路も、警視のIDの前には関係ない。最短距離を突っ切る。
 消毒と止血ぐらいはともかく、傷口の縫合は揺れる車内ではちょっと避けたい。
「礼なら“彼”に言う事ね。応急手当がよかったわね、ミサトの手際も」
 使用した道具を片づけながら。
 重要な血管などに損傷はなかったが、歩けるようになるまでは時間を要するだろう。
「その“彼”って何者?」
「だめよ、ルールは守らなくちゃ」
 どうあっても自分からしゃべる気はないらしい。釈然としないものを抱えながらも押し黙るしかない。
 モーターの低く押さえられた振動と、加持に取り付けられた呼吸器の音。
「でも……」
「何よ?」
 あからさまに隠し事をされている不快感からか、噛みつくように反応してしまう。
「言っていいの?」
「言ってみなさいよ」
 売り言葉に買い言葉。昔のペースを思い出す。
「ミサトが泣いてるなんて……あんな可愛い貴女を見せたら、加持君だっていつまでも逃げ切れるものじゃないでしょうに……」
「うっさいっ!」
 運転中に振り返って睨み付けるわけにもゆかず、「どうしてやろうか」と口の中で反芻するのみ。天敵、赤木リツコ相手にはどうしても分の悪いようだ。
 
 
 
 廃墟。
 スプレー塗料による落書きと、人の背丈ほどもある雑草。市街地より遠く離れすぎているためにホームレスすら入り込むことはない。しかしながら命に溢れている。地に昆虫が、空には鳥が。巨大な廃墟は、それなりに楽園を提供しているようだ。なるほど、日陰日向はあり、巣を作るに絶好の凹凸。うるさい人間どもも近づかないとあれば、なかなかな優良物件だ。
 女が一人。何をどうしたか屋上に佇む。メンテナンス用の通路はあるが使用された形跡はない。さび付いた蝶番が行く手を阻む強固な錠となっている。
 この暑さにも関わらずツーピースのスーツを着こなし、闇の中に身を置きながらサングラスをはずさない。スタンガンを玩びながら、遠く、赤と青の輝きを確認。口の端に笑みを浮かべ、満足そうにうなずく。
 軽い、弾けるような音。一瞬オゾンの臭いを感じるが、それも高所の強風が運んでいってしまう。変化はもう一つ、圧倒的な色のない質量が女の背後に出現した。
 
 
 
 あからさまに壊れた通行規制表示。何を意味するにしても、ここを通ることが目標地への最短ルートではある。街灯すら設置されていない都会の陥穽。影の属性を持つ少年には、赤い夜空の照り返しだけで十分視界が確保できる。ヘッドライトを切り、身を低く。内燃機関の爆音はどうしようもないが、あえて位置を暴露することもあるまい。
 道は広いが対向車は存在しない。夜気を切る心地よさ。
「通話圏外か……」
 空電ノイズを発するイヤホンに舌打ち。あとは、自分の目だけが頼り。スピードを落とし、体を起こす。重心は上がるが心持ち視界が開ける。身体に当たる風量が増える……不快ではない、むしろ心地よい。
 
 と、それほど長くない直線道路、遠くに黒々と巨大な影が視界に入る。山の陰に溶け込んではいるが、人工的な鋭角ははっきり分かる。
 ゆっくりとスロットルから手を放す。路上に放置された車を発見、その脇に停車する。道路に対して平行ではない、不自然な止まり方だ。45口径の薬莢が散乱している。ヘルメットをタンデムシートの脇にぶら下げ、固定。手近な使用済みの空薬莢を拾い上げ臭いを嗅ぐ。
「新しいな」
 捨てた薬莢が妙な方向に跳ねた。それを見逃すようではこの商売辞めた方がいい。這い蹲り丹念にアスファルトの表面を子細に観察。不自然なスリットに手が触れる。断面からするに、まだ新しい。
「やっかいなのを相手にしてる……か。死体がないところを見ると、何とか生きてるみたいだが……ぎりぎりの所で使えるようになったかな?」
 希望的観測だが、根拠がないではない。どうも“シンジ”属性が強く出てきているようだ。時間がないかもしれない。
 立ち上がるついでに拾ったアサルトライフルの破片。
 良いのか悪いのか判断に迷うが、強い血臭を感じないから勝負は付いていないだろう。路面を切り裂くような相手ならなおさらだ。
「こっちか……」
 かの超感覚レーダーも未だ健在。高速移動する二つと……それからかなりはずれてもう一つ。コイツには憶えがある。
 “六分儀シンジ”にしては珍しく、慌ててZZR400をスタートさせる。
 遠慮のない爆音が、無人の山間にぶちまけられる。わずかな斜度を持つ坂を駆け上り、テイルランプが見えなくなる。
 
 
 
 速さは綾波レイの方に分がある。惣流アスカが何か行動をとるたびに彼我の距離が広がる。一定以上離れないところに惣流アスカの苛立ちの元がある。
 身体能力では第二の身体の方が圧倒的に上。こうなれば今を受け入れ状況を逆手に取る。胸元に抱えた鞄から畳まれた上着と手榴弾を二個取り出し、上着のポケットへ放り込む。グロックの予備弾倉は三つ。ベルトに挟み込む。ヒップホルスターを持ってこなかったから、動きづらくなってしまった。とりあえず、腰の後ろからグロッグを抜き、上着を羽織る。山間の夜は冷える。案の定、彼我の距離は広がらず縮まらず。今度はただ一つ、走らせることに集中する。
 かつて、「都会の喧噪を離れた静かな高級マンション」との売り文句で市場に出された夢の残骸。張り巡らされたたいして高くもない壁を軽く飛び越え、敷地へと侵入。遅れて赤の少女も後に続く。二人が止まった。青の巨人が向きを変え向かい合う。
 おかしい。
 この空間に満たされた濃密な殺気。ものも言わず二人とも跳ぶ。遅れて、二人のいた空間を光の束が焼き尽くす。
「っく。フィールド全開ッ」
 直撃こそ喰らわなかったが、『ATフィールド』の操作をマスターしていなければ危なかった。虚しくも天空へと消えた光の出所は? 方向なりとも確認しようと首を巡らせた惣流アスカの目に飛び込んできたのは、青くなり、立ちつくしている綾波レイ。その正面で壁になっていた青の巨人が消え去ったとき、何か考えるよりも早く身体が反応した。
 小柄な身体をかっさらい、狙撃された方向から死角になるポイントへ綾波レイごと転がり込む。第二射はない。連射は出来ないと言うことか……少し、明るい材料だ。
「どうして、私を助けたの?」
 何を思うよりも早く惣流アスカの右手が翻る。
「アンタ、死にたいの?」
「いい、私が死んでも代わりはいるもの……用済みになったから……」
「そのわりには震えていたみたいだけど?」
 何か、叱られた幼子のように頭を垂れる。惣流アスカからはその表情を伺うことが出来ない。
「どう? あっちがアンタを捨てたんなら……手を組まない? アタシはまだ死にたくないの」
「え?」
 弾かれたように顔を上げ、惣流アスカをみつめる紅の双眸。わずかに潤んだそれを、「綺麗だ」と感じる自分が居る。戸惑い、なぜか守らねばと思ってしまう。道に迷った幼児を思わせるから? たぶん違う、それは自分に似ていると思ったから。ドイツの家を、大学の卒業証書を握ったまま飛び出した自分に。
 だから、ぎゅっと抱きしめてやる。
「いいわ、新しい居場所をあげる。だから、生き残りなさい。生き残るのよ、二人で」
「でも私、あなたを処分しなきゃ……」
「そんな契約、向こうがあんな化け物でアンタごとアタシを狙った時点で無効よ、無効。あとは、愚かな選択の報いをくれるためにっ!……場所、変えるわよ」
「なぜ?」
「アンタバカァ、ばれちゃったからよっ」
 赤の巨人が二人の少女を保護し、疾る。なにか、背後で巨大な力がふくれあがる。巨大建造物の谷間だ。合計十棟近くからなるだけに曲がり角はすぐ。方向を変えるが安心は出来ない。すぐに逃げられることが分かっているのに、仕掛けてくるバカは居ない。
「跳んでッ!」
 その言葉に従って手近なベランダ、その柵へと跳ぶ。
 そのまま走っていれば居たはずのポイントを、マンションを貫通した光が押し流してゆく。二回目はわずかに余裕があった。その熱波を避けさらに上の階へと跳ぶ。前のビル登りに比べれば大したことはない。
 中腹、ベランダが広くなったところに転がり込む。
「なんて非常識な……」
 しかし、相手を見ることは出来た。正八面体のクリスタル。生物的なフォルムですらない。
「アンタ、なかなかやるじゃない」
 惣流アスカにしてみれば最大級の讃辞。差し出された右手。それに対し、小首を傾げどう対応して良いか判断に迷う風情の綾波レイ。左の頬に手形が付いたままなのが、ちょっとだけ笑いを誘う。
「握手よ、握手。知らないの?」
「ええ、知らない……えっ?」
 みなまで言わせず、強引に右手を取る。
 惣流アスカの耳には、聞き慣れた内燃機関の低い音が届いている。本人は認めないだろうが、華やぐような笑みがこぼれる。それを不思議そうに眺める綾波レイ。
「迎えに行くわ戦術の見直しよ、えっと……」
「レイ、綾波レイよ」
「うん、じゃ、レイ」
 
 後輪を滑らせながらスロットルを開ける。不満を呈する愛車を押さえつけ、回転数が上がるのにも構わずそのままスロットルを緩めない。正面のクリスタルへ。その向こうに大穴が開いていると言うことは、こちらが裏になるか。衝突寸前、『鬼』に身体を攫わせ、衝撃から身を守る……いや、爆炎を目隠しに上へと跳ぶ。
 クリスタルへ着地するように蹴りを見舞うが、全く手ごたえがない。押されるように空中を移動しただけ。
 舌打ち一つ。その周囲が輝きだしたのを見て取るが、逃げる暇など無い。絶望感に苛まれながらも『ATフィールド』を操作、力を受け流そうと足掻く。
 灼熱。一瞬にして意識を持って行かれそうになるが、耐える耐える耐える……
 それも、唐突に途切れる。
「ったく。なにやってんのよ」
 影に沈み込む『鬼』。ひらけた視界には赤の少女……と、もう一人。微笑みと共に安堵。意識が闇に飲まれて行くのが分かるが、“六分儀シンジ”にはどうすることも出来ない。
「レイッ!」
 無造作に手榴弾を投げ捨てる青の少女。二体の巨人がそれぞれの本体を抱え、赤の方は失神した少年も抱える。
 逃走。
 
 なぜか、それをなす術無く見送るクリスタル。
 先程開いた大穴からは炎が見える……
 
 急速に浮上してゆく感触。柔らかく、温かい物に包まれ……
 ゆっくりと、目を開く。ぼやけた視界が焦点を結ぶまで……この数日一番見知った少女の横顔。揺れるのは……移動中らしい。
「アスカ……」
 赤の巨人にひとまとめにして抱え込まれている。
「目を覚ました? シンジ」
 一目見ただけでどの“シンジ”か見分けてしまう。恐るべきは女の勘。
「大丈夫、だいたいは分かってる」
 kiss
「言うじゃない、今度ばかりは手を借りてあげるわ」
 触れるようなそれに、わずかに。それだけでわずかに頬を染める。改めて自分たちの状況に気付きさらに赤くなってしまう。
「スケベ」
「しっ、しかたないじゃないか……こんな状況じゃ」
 “シンジ”の身体の一部の変化を感じ取ったアスカの一言に、小声で言い返すしかない。その間にも、片手両足を使いマンションを登る。二人を抱えた状態では勝手が違うようだ。それでも先行する青の巨人の後を追い、わずかに速度を上げる。
 確実に、“シンジ”の人格ごとに別人に対する対応をとる。彼女が甘えるのも“シンジ”故に。例えば、“六分儀シンジ”あたりには明確な敵意を向ける。
「で、彼女は?」
 何か憎まれ口の一つも叩きたくなるが、その真剣な黒瞳に見つめられるとそうも行かない。この瞳から優しさが失われるのには耐えられない。いつから自分はこんなに弱くなったのか? 自問するが答えが出たことはない。
「綾波レイ。さっきまで敵、今は仲間。奴らに切り捨てられたのよ」
 惣流アスカの口調に、わずかながら怒気が隠る。
 屋上までひと跳び。体重を感じさせない軽さで着地。
「綾波さん?」
 全く警戒することなく近づくシンジに、手にした得物の鯉口を切りいつでも抜けるようにする綾波レイ。体重まで移動する念の入れようだ。
「だいじょうぶ、そいつが害を与えることはないわ」
 アスカの言葉にようやく緊張を解く。それでも、かなり警戒はしているようだが。
「“シンジ”です、よろしく」
 動じることなく手をさしのべる。ついさっき覚えた握手と気付いたか、あたふたとその手を握る。
「三番目の?」
 かすかに聞こえた問いかけに、頷くことで答える。
「君は、碇ゲンドウを知ってるね」
 その言葉の裏に得体の知れない物を感じ、後ずさりそうになるのを必死に堪える。
「後で聞かせて欲しい」
 何かを堪えるように、綾波レイに背を向ける。
「アスカ、気が付いたね」
「あいつが熱を追っかけてること? それとも他のセンサがあること?」
「いや、もう必要ないよ。弱点は分かった。これだけの戦力が揃えばもう関係ないさ」
 
 目標が一カ所に集まったのは都合がいい。後を追いゆっくりと上昇する。ここからなら肉眼で『Eシリーズ』を確認できる。炎上しつつあるマンションの一角の一角を崩し、身体の一部をめり込ませ固定、本来なら取り得ない仰角を確保。
「セット」
 なにやら話し込む三人へ照準を固定。
 影からもう一体現れ、少女たちの守護騎士がクリスタルへ還る。が、構わない。
 今までで最大の力が放出された瞬間……
 
 三人は跳んだ。後を追う『鬼』が背後からの熱をカット。三人の“シンジ”の中で最も強力な『ATフィールド』を張り巡らし、三人を守る。
 まず、目標の両側にとりついた少女たちが『ATフィールド』を余力を残して中和。惣流アスカがグロッグを抜き、綾波レイが刀を抜く。
「破っ!」
「くたばりなさいっ」
 両断され、露出したコアにめり込む鉛玉。全てを撃ち尽くしてもまだ足りない。
「燃えろっ」
 惣流アスカの繰り出した蹴りを受けた瞬間炎上。どこからか女の悲鳴も聞こえてくる。
 その炎に照らされることでつくりだされた影へ“シンジ”の第二の身体が沈み込む。
「終わったわね、とりあえず」
 惣流アスカの呟きを、熱風が包み込む。火の回りが意外と早いようだ。

 



 
 

エピローグ
 
 
 結局、ZZRを失ったためにフェラーリ/EVに無理矢理三人で乗って帰ってきた子供達。“シンジ”のマンションでも良かったが、何かと手のある赤木リツコ邸の方がいいだろうと立ち寄ったのだが……
 警視庁第三新東京分局刑事部参事官 葛城ミサト警視と鉢合わせしてしまった。加持の意識が戻るまではと居残っていたのだが、とりあえず持ち直しそうだと言うことでこうして赤木邸の居間でくつろいでいる所で鉢合わせ。
 輸血、点滴、脳波に心音、酸素吸入など一通り管だらけになった加持は病室に放置されたまま。今晩を乗り切れれば……と言ったところか。赤木リツコはそちらにかかりっきり。
「教えてくれない? 何があったのか」
 と、聞かれても“シンジ”にはほとんど答えることが出来ない。当然惣流アスカも。答えられそうなのは綾波レイだが、日本人的な容貌、細い手足、病的に白い面、蒼く輝く銀髪……眠そうに、しきりに目を擦っているような状況では問いただすことも出来やしない。惣流アスカのように『元気』というイメージからはかけ離れた印象だ。その惣流アスカはと言えば、“シンジ”に寄りかかって既に夢の中。
 問いかける方も無事とは言えない。折れた左腕は添え木が施されただけ、あちこちに擦り傷があり、某ブランドのよそ行きスーツは無惨。痛み止めを注射されたおかげで無視できる程度に治まってはいる。
「売られた喧嘩を買っただけです。相手は知りません」
 大嘘だがそれを否定できるだけの材料がない。“シンジ”としても、自分たちの異常な力を喧伝したくはない。
「あの巨人は?」
「ノーコメントです」
 葛城ミサトの視線を受け止めて動じない。気弱そうに見えるが、何処か一本筋が入っている。
 くっくっくっくっくっ
「いい顔するじゃない、気に入ったわ。困ったことがあったら私の名前を出しなさい。色々役に立つと思うわ」
 心底楽しそうに笑う葛城ミサトを不審そうに見返す。
「ん? 気まぐれよ、気まぐれ。ただの気まぐれよ」
 悪戯っぽく笑ってみせる。やはり、現場より後方にいるべき人材なのだろう。
「そうですか……」
 今ひとつ納得は出来ないが、彼女の笑顔は信じられそうだ。
「彼女なんでしょ、守ってあげなきゃ……」
 この時点で綾波レイも陥落、さらにアスカに寄りかかって寝息を立て始めている。
 優しげに目を細め、安心しきって少年に身を預ける少女をみつめる。はにかみながらも頷く少年。
 そんな素直な反応が羨ましい。
 と、視界に金髪が入った。
「リツコ……」
 不安。まさかという冷えた思いが心をかすめる。
「そんな顔しないの、ミサト。後は、リョウちゃん次第よ」
 やることはやった……表情は明るい。
「次はあなたの番よ」
 ニヤリ……葛城ミサトには悪魔の笑みに見えたという……
 このあと、診察室へ引きずり込まれた葛城ミサトの叫び声が聞こえたと言う……
 
「しんじぃ、うるさぁいぃ」
 幸せだね、君たち。
 
 

(Die Rot Kaiserin 〜赤の女帝〜 了)

 




あとがき
 
 まいど、片山でございます。
 80万ヒットおめでとうございますぅ……そう言うわけで記念品です。
 当社比、LAS度30%ほどアップです(笑)
 色々背後の事情が見え隠れいたしました今回。さてさて、どうなりますことやら(^^;;;
 
 さて、次のお話はちょっとシンジ君たちから離れようかと思っています。四人目の彼の登場です。
 もしかしたら彼女も出てくるかも……と言うことで、
 
次回、『タイトル未定(笑)』
 その前に、『銀アス』第伍話後編にてお会いいたしましょう。では
 ご意見、ご感想、ご批判、等ございましたらこちら(kyow@k-katayama.net)まで。

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