「吃逆(シャックリ)

コースケ




 終業のベルが鳴り終わった。

 教室内は掃除の為の机の移動音、他愛もない会話でやや騒然としていた。
 冬を忘れたこの地の夏の陽は容赦のない光を叩き付け、熱に魘された大地の吐
息とも言える熱風のみが、開け放たれた窓から塊となって生徒たちの頬を打つ。

 窓の外は蝉の声すらしない静寂のみが占めていた。


 ――ひっく。

 その音に気付いたシンジは周りを見回した。

 綾波レイ。

 まだ机にぽつんと座ったままのレイが、細い肩を時折上下させ、しゃっくりを
上げている。
「……止まらないの?」
 何となく心配になったシンジは怖ず怖ずと声をかけた。
「うん……」
 レイは俯いたまま答える。
 その横顔から困惑したような表情が見て取れ、シンジは少し動揺する。
「だ、大丈夫だよ。ほっとけばすぐ止まると思うし」
「シンジ、優等生! 何サボってんのよ!!」
 元気のいい声が後ろから浴びせられ、あっと言う間に気配が近づいてきた。
「アスカ、綾波が……」

 ――ひっく。

「何よぉ。深刻な顔してると思ったら、たかがしゃっくりじゃない」
 声も高々に言い放つアスカ。何事かと級友たちがどやどやと集まってくる。

 周りの人垣を一瞥し、
「そーーんな時はね!」
 と言いつつアスカは両手でシンジの頬を引っ張り、レイの前に突き出した。
「いふぇふぇふぇふぇ」
 顔面をアスカによって変形させられたシンジを見るレイ。

 ――ひっく。

「シンジじゃ駄目かぁ」
「な、何すんだよ、アスカァ」
 アスカの腕を振り解き、引っ張られ赤くなった頬を摩りつつシンジが抗議する。
「だって、笑わせればいいんでしょ?」
 胸を張ってアスカは言い切った。
「……驚かすの間違いだろ?」
 拗ねたような目で呟くシンジ。
「…………ぁ……あ、あ、あ、あんた莫迦ぁ? こっちの方が効果的なのよっ!」
 シンジから目を逸らせ、赤くなりつつアスカは言い返した。

 ――ひっく。

「……勘違いって奴だな」
「そやろなぁ……」
 箒を使ってのチャンバラごっこを中断して、事の次第を見守っていたケンスケ
とトウジが漏らす。だがその声は、アスカの大惚けでしんと静まり返った教室内
には大きすぎた。
「なあぁんですってぇぇっ!!!」
 アスカが食ってかかる。
「こら、そこの二人ぃ。掃除の時間でしょぉ!」
「あかん、イインチョウや!」

 ――ひっく。

「ご飯を丸飲みするとか」
「魚の骨が引っかかった時にも使えるし」
「今、骨は関係ないでしょ」
 口々に言う級友たち。その様子をレイは不思議そうに眺めている。

 ――ひっく。

「ご飯には納豆だよな……」
 何気なしに呟いた後、レイが自分の方を見ているのに気付き、慌てたシンジは、
「い、いや、あ、あのさ……。ご飯はないから暫く息、止めてみれば。しゃっく
り止まると思うから」
 と言った。
 レイはこくんと頷くと、言われたとおり息を止めた。



 十秒、二十秒……。




 眉を顰め目を閉じるレイ。




 三十秒……。





 色白なレイの頬は次第に紅潮し、
身体は小刻みに震え始めた。

「あ、綾波! 苦しかったら息するんだよ!」
 慌ててシンジは言った。放っておいたら窒息するまで止めていたかも知れない
と思えたからだ。

 ――はあぁっ。

 シンジの言葉を合図にするが如く、レイは息を吐き出した。

 上下する肩。紅潮し、やや汗ばんだ頬。苦しげな息を吐く可憐な唇。

「何ぼーっと見てるのよっ!」
「いてっ!」
 頭をアスカに小突かれシンジは声を上げた。
「あ、綾波……どう?」
 頭を押さえつつ我に返ったシンジは訊いた。
「…………止まったみたい」
「そう……」
 シンジは安堵の息を漏らした。
「さぁ、お掃除再開よ……こら、鈴原ぁ!」
「何で、わしばっかりやねん!」
 トウジの抗議と級友たちの笑い声が教室内に響きわたる。

 一頻り笑った後、視線を感じたシンジは顔を巡らせた。
 紅い瞳にシンジの顔が映る。

 カーテンをはためかせ、熱い大気の固まりが教室内に飛び込んで来た。
 刹那、シンジは微笑むレイを見たような気がした。


 陽炎だったのかも知れない。




 次の日。

「あげる」
「え?」
 シンジの机の上にはパック入りの納豆が置かれていた。レイは何事も無かった
かのように席に着く。

「……納豆?」
 要領を得ないシンジ。

「腐った物持ってこないでよ」
 アスカは厭そうに小声で呟いた。








 後書きです。

 笑わせても、止まると思いますが、腹抱えてレイは笑わないでしょうね……。
 同様に吃驚させる事も。

 で、息止めさせたらこーなった……(゚ー゚)クスクス


 では。

 ご縁がありましたら、いつかまた、新作で。

コースケ

第二版 1997年2月23日



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