Deep mind


 深く緩やかに心を水の底に沈めてゆく……。
記憶に焼きついたキラキラした唯、笑いあうことが許されていた頃の思い出たち。
あの頃、私たちには嘘も偽りもなかった。

 まただ。又、あの男と寝た。
加持リョウジ、私の最初の男で多分私にとって初めての恋人、という類の呼び方を世間
一般ではするのだろう。過去の男と抱き合った。
その男の顔など朝っぱらから見たい人間などいやしない。
だから奴から昨晩預かったアパートの部屋の合鍵をポストに放り込んで部屋を出た。

 まだあの男に抱かれた残滓が身体全体に残っている。
この手に指に胸に身体の奥に疼く。あの男が触れた肌の感覚。
くすり、と私は笑う。自分が捨てた男とよりを戻して、好きなように抱かれて。
「ホントー、私って馬鹿な女よね……」
 自嘲してしまう。幾ら常夏の日本と言えどこの時間帯はまだ寒い。息を吐くと、その息が白くなる。

 まだ、セカンドインパクトのおこるずっと前。私の最初の記憶に残っている冬の感覚。
白い手のひらに触れるとすっと溶けてしまう淡い綺麗な結晶。
「ねえ、パパ見て見て!ママ!ゆきだよー!」
 私がぱたぱたと両親の元へ走る。それを無邪気に笑って見ている母と私が転ばないか心配で
はらはらしている父。
まだ父が研究に没頭する前の幸福な幼年時代。
「ほら、ミサト。ウサギだぞ!」
 頬にひんやりと小さな雪ウサギを当てられて私はびっくりして泣き出す。それを遠くからくすくす
笑って優しく父を窘める母。
「ミサトがびっくりして泣いてるわよ」
「ああ、ごめんな」
 ひょいっと抱き上げられた。急に高い所へ身体が動いて驚いた、だけど父が母があんまりにも
嬉しそうに微笑んでいるので私も嬉しくて笑う。
「パパ。雪ウサギ、可愛い。ミサトにちょーだい」
 そう、私が父におねだりをすると父は顔をくしゃくしゃにして優しく笑んだ。
 その時の父の笑顔が加持君と重なる、出逢ったばかりの学生だった加持君と。

 ねえ、私が私たちが今だお互いを求め合っているのはあの大学時代の私たち。
笑い転げて、毎日リツコを交えて三人で飲み歩いて。
 あの頃の楽しかった日々を共有しているからこそ、私は、私たちは生きていけるのかもしれない。
人は悲しい記憶だけでは生きていけないから。
嘘と現実。

 私たちは嘘をつき、人を欺くことを覚えた。

「嘘か……」
 ぽつりと呟く。髪をかきあげて、空を見上げた。
私の目に映ったモノは、闇だった。

 そう、もうあの頃の私たちはいない、帰れない。
だから。
この心は深く深く沈めてしまおう……。
私の心の奥底に。
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