子羊の神様

 彼女は壊れてしまった。あの戦いでもし僕がもっと早くあそこに行っていれば
彼女は今ごろ笑ってくれただろうか?

 新東京第弐都市に新設されたNerv直轄の中央病院の精神科のリハビリルームでマヤさんと遊んでいたアスカが僕に気づく。ぱたぱたと嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。 
にっこりと僕に微笑みかけるあどけないまるで7、8歳の幼い女の子のように。


全て悲しい過去を封じ込めてアスカは幸福に無邪気に振舞う。
「シンジお兄ちゃん、アスカ今日はマヤお姉ちゃんにご本読んでもらったんだよ」
 後ろからアスカと僕の保護者となったマヤさんが僕に声をかけてくる。
「アスカちゃん、今日はいい子だったのよ。シンジ君」
「うん。あのね、マヤお姉ちゃんにムーミンのお話読んでもらったの。アタシ、ミイが好き」
 くるくるとアスカの表情は変わる。元気一杯、真夏に咲く向日葵の花。
 マヤさんを母親のように、青葉さんを父親のように、僕を兄のように慕っている。
アスカのその姿はまるで僕が犯した罪の象徴のように思えて、苦しい。

 だけど。

 あのLCLの海の中、皆が溶け合ったサードインパクトの最中、もう僕は逃げること
は止めようと、綾波とカヲル君と母さんに誓ったのだ。
そして又一人一人があるべき姿で会いたいと願ったのだ。

 それはアスカに会いたかったから。

 あの活発で元気な僕を小馬鹿にする、初めて恋という感情を僕に感じさせた
少女に会いたかったからだ。その感情に気づくのが遅すぎた、彼女と彼女の
乗った弐号機が同じ量産機のエヴァンゲリオンの殺戮の限りを尽くされた後
その風景を見た僕は錯乱した。

 あの時、僕は気づいた。僕は隠れて心を閉ざしてミサトさんを死なせた。
そうして蹲り、膝を抱えて母さんに綾波にカヲル君にアスカに縋っていた
僕。その結果がアスカの死。アスカは精一杯最後まで逃げなかった、最後まで
自分を人に認めさせる、そして母親と再会した。
 それがアスカの精一杯の努力だった。

 なのに僕はアスカが精神攻撃を受けた時も父さんの言うがままにアスカを救おうと
せず、最後の戦いでもカヲル君を殺してしまったことで傷ついてぼろぼろでどうでも
良かったのに。何でアスカに縋ったのだろう。
 
それは僕が生きたかったからだ。誰かに愛されたかったから。

 そしてアスカは僕を否定して、僕はアスカを殺した。
アスカの心は死んだ。死んで別のアスカになった。
子どものアスカ、僕を覚えていないアスカ。

 これが僕の罪。僕の犯した過ち。
僕は永遠にアスカを手に入れたのだ。

 だけど。

「お兄ちゃん?」
 アスカが泣きそうな顔で僕をじっと凝視している。僕は笑う、小さなアスカに。

「大丈夫だよ、アスカ」
「ほんとう?お兄ちゃん泣きそうだったよ」
 じいっと心配そうに僕の目を覗き込む。

 大丈夫だよ、アスカ。
あの僕の好きだったアスカは永遠に帰らない。
でも、君は永遠に僕の傍に居るのだから。

 ああ、神様。もしいるのならば僕を罰してください。
愚かな子羊である僕を。
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