The West End of Eden
「しばらくね・・・・・・」
つぶやきにも似た静かな声が、シンジの耳に届く。
数日ぶりに聞くミサトの声であった。
「捜すのに随分と苦労したわよ。雨が降って馬の足跡が消えちゃったから。」
だが、聞き慣れた声であるはずなのに、それはシンジの知っているどれとも違っていた。
語調は穏やかなのだが・・・、その響きの中には感情の起伏が感じられない。
その声を、シンジはうつむいたまま黙って聞いている。
まるでミサトという存在から逃げるように、シンジはその顔をうつむけている様にも見える。
ミサトが口を閉ざすと、二人のいる部屋を再び沈黙が支配した。
ソーントンによって助けられ、シンジが寝かされていた部屋である。
丸いテーブルをはさみ、二人きりでそこに向かい合って座っている。
二人の間にただならぬ様子を感じたソーントン老人が、何も言わず、何も聞かずに、この部屋を提供してくれたのだ。
互いに手を伸ばせば届く距離でありながら、二人の心はこの数日来と同様なお遠い。
やがて・・・、ミサトが言葉を継いだ。
「どう? この3日間私のところから逃げ出せて、少しは気が晴れた?」
少年はこたえない。
ミサトが小さなため息をついた。
「まあいいわ。幸いシンジ君も無事だったんだし・・・・。」
と・・・
「・・・・・・・叱らないんですね・・・」
うつ向いたままのシンジの口から声が漏れた。ミサトの耳に届くかどうかという消え入りそうな声だ。
「えっ?」
「・・・・・・もう叱らないんですね、僕のこと。」
「・・・・・・・」
「そりゃそうですよね。叱られて逃げ出した僕のことなんかもう・・・・、どうだっていいですよね。僕とミサトさんは他人なんだし・・・・・。」
しばし、二人の間に沈黙が流れる。
「で・・・、この先どうするつもり? 旅をつづける?」
ミサトが問う。
「・・・・・・・・僕が続けたくないって言ったら・・・、ミサトさんはどうするんですか?」
「ここでお別れということになるわね。」
はっきりとしたよく通る澄んだ声が、シンジの胸の中に響いた。
「続けたくないの?」
「続ければ・・・・またこの間みたいな事が、起こるかもしれないんでしょう?」
「無いとは・・・・言いきれないわね。」
「・・・・でも・・・・、そうなっても僕は・・・・」
「『やっぱり銃を撃ちたくない』、でしょ。」
「・・・・・・・・・・そりゃそうですよ・・・、いくら僕の命を狙ってくる人たちだっていったって・・・・・そんな・・・人殺しなんて・・・・・僕に出来るはずありませんよ・・・・・。」
「じゃ、もう旅をするのはやめるって言うのね?」
その時・・・
うつ向いたままのシンジの顔に、ふと薄い笑いの影が浮かんだ。
まるで何かをあきらめたとでもいう風に、その笑いはひどく冷めたものだった。
「そんなの僕に決められるはずないじゃないですか、僕の命はミサトさんに握られてるようなもんなんだから・・・・・。」
「・・・・・・・」
「それがミサトさんの仕事だっていうんなら行くし、もうお金なんかいらない、僕のことなんかどうでもいいっていうんならその時は・・・・」
「いい加減にしなさいよ!」
ミサトの鋭い声が、嘲るように言うシンジの言葉を断ち切った。一瞬、ハッとしたようにシンジの体が小さく震える。
「あたしのことなんてどうでもいいでしょう! この旅を続けるのが嫌になったのなら、いつか言った様に、どこか誰も知らないところへ行って、お父さんのことも、私のこともみんな忘れて独りで生きて行きなさい!」
鋭い刺の様なミサトの言葉が、シンジの体を貫く。
「・・・・・・そんな・・・・・、そんないい加減な考えで、これからの旅を続けられたら・・・・・・迷惑よ・・・・・・」
震えを伴ったミサトの声がシンジの胸をえぐり、荒々しく引かれる椅子の音が絶望の音色を弾いた。
けたたましい音とともにドアが閉められ、そして彼女の足音が遠ざかって行く・・・・
シンジの顔はなおも伏せられたままだ。
その顔に、呆然とした表情が浮かんでいた。
しばらくして・・・・・
「儂じゃ・・・入るぞ。」
戸が開き、ソーントン老人が部屋に入ってきた。
老人は、部屋の中でポツンと独りうつ向くシンジの姿を一瞥すると、ポケットから小さな革袋を取りだし、それをシンジの前のテーブルの上に置いた。
「さっきの娘さんから、お前さんに渡してくれと頼まれた。」
静かな老人の声であった。
「金が・・・・入っとるそうじゃ・・・・。」
「・・・・・・」
「それと・・・・こうも言っとった。この町を出るのは明日の朝になると・・・・それまではホテルにいるそうじゃ・・・・。」
「・・・・・・」
「儂の言うことはそれだけじゃ・・・・・。ま、あとで悔やむことのないようにの・・・・。」
老人はそれだけのことをシンジに伝えると、入って来た時と同様に、静かに部屋を出ていった。
後にはシンジ一人が残された。
老人が出ていった後も、伏せられたその顔が上がることはついになかった。
同じころ・・・・
ソーントン老人の酒場の前で奇妙な光景が見られた。
通りを歩いていた男が、不意に酒場から出てきた見なれぬ人影に気付き、もの影に身を潜めたのだ。
数瞬の後、暗がりからそっと様子をうかかうべく顔を覗かせたのは、先ほど馬小屋の前でシンジを詰問した大柄の男であった。
そして・・・・・、男がジッと見つめるその視線の先に、ミサトがいた。
ミサトは沈んだ表情で店を出ると、馬止め場に繋いであった愛馬にまたがり、踵を馬の腹に当てた。
その物腰に、自分をうかがう男がいることを気付いた様子はない。
やがて、ミサトの姿が家並みの向こうに見えなくなったのを確かめ、男が物影からその姿を現した。
奇妙な目の色をして、ミサトの消えた方向を眺める。
「・・・・驚いたぜ・・・・まったく・・・・こんな所で葛城 ミサトに出会えるとはよ・・・・・・」
そうつぶやく男の声には、驚愕と歓喜の色が含まれていた。
「・・・・ふふ・・・そうか、葛城 ミサトがこの町へ・・・・よりにもよってこの町へ来るとは・・・・とんだ皮肉だぜ・・・・・。」
いつの間にか、男の口の端が大きくつり上がっていた。
その男の目に、酒場から出てくる一人の男の姿が映った。
先ほどソーントン老人に、何故シンジを助けたのかと責めた男だった。男は、ミサト同様、自分を見つめる視線に気付いた風もなく、通りをゆっくりとした足取りで歩きだした。
その後を男が追う。
その瞳に、獲物を見つけた様な獰猛な光りが差していた。
その顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
まずは情報を集めることだ・・・・・
葛城ミサト・・・・・何故あいつがこの町へ来たのか・・・・それをまず探らねば・・・
奴の居場所はそれからでいい・・・なに・・・・この町の中にいるならすぐに探り出せる。
それよりも情報だ・・・・・
どうにも引っ掛かる・・・・さっきの小僧といい、ソーントンの所に他所者が二人。タイミングが良すぎる・・・・何かあるのか・・・・・?
まあいい・・・・それもこれも聞けば済むことだ。
後を付ける男の足が速くなった。
足音を立てず、前を歩く男の背後に、その大柄な体が近寄って行った。
窓の外に見えた青空が、いつしか星の瞬く暗闇へと変わっていた。
それと同様の暗い闇が落ちた部屋の中で、シンジは独り、うつ向きながら椅子に腰掛けていた。
昼間、ミサトと話した時に座っていた椅子である。
その正面、テーブルの上に小さな革袋が置かれていた。
ミサトが、ソーントン老人にあずけていったものだ。中には金が入っていると言うことだが、シンジはまだその中身を見てはいない。
席を立ってもいなかった。
あれ以来、ただうつ向き、そこに座り、そして時だけが流れていった。
やがて日が落ち、それに相応しい時間になったのか、階下の酒場からは先ほどから人々の低いざわめき声が届いてきている。
それがこの暗い部屋の中に、潮騒のように響いている。
そのざわめき声の中には、時々、嬌声や女の高い笑い声が混じることもあった。
しかしそれらの声も、この暗い部屋の中にあってはどこか遠く、そしてひどく寒々しく聞こえる。
その音を心の隅で聞きながら、シンジは独り闇の中で、その瞳を開けてミサトのことを考えていた。
この町、同じこの闇の中にいる彼女のことを・・・・
その彼女のもとに行くべきかどうか・・・・・、それを考えている。
ミサトが明日の朝までこの町に留まり、そのことをわざわざソーントン老人に伝えた意味はシンジにもわかっていた。
それまで考えろと言うのだ。
この旅を続けるかどうか・・・・そのことを。
それはまた、彼女がまだシンジを見離してはいないという、彼女なりの表現でもあった。でなければこの部屋をミサトが出ていった時点で、この町を去っているはずだ。
そのことの意味を含めて、シンジは今自分がどうすればいいのか、それを考えていた。
その答えを日が昇るまでに出さなければならない。
しかし・・・・その答えが出なかった。
自分はこの先何をやって、どう生きて行けばいいのか?
それがわからなかった。
銃を取ってこの先を行くか、それともミサトと別れて何処かに逃げるか・・・・。
どちらもシンジには辛い選択であった。
どちらを選んでも後悔するようにシンジには思えた。
どうすればいいのか?
それがわからない。
わからない。
わからない。
その言葉が何度もシンジの脳裏にこだましていた。
と・・・・
階下で、何かガラスの割れる様な音がした。
一瞬、シンジの意識が現実の世界に引き戻される。
しばらく、時間が過ぎた。
なにも変化はない。
またしばらく経った。あいかわらず、部屋は静かなままだ。
酔った客が手を滑らしたのかもしれない。
そう思い、再び意識を自分の内部に向けようとして、シンジはふと、あることに気付いた。
静か過ぎる・・・・
さっきまで聞こえていた、階下からの人々のざわめき声が消えていた。
『どうしたんだろ?』
シンジがそう思って顔を上げたと同時に、部屋の扉が開いた。
微かな軋みを伴い、ドアがゆっくりと開いてゆくのがシンジの目に映った。
扉の動きに合わせて、暗い部屋の中に、廊下を照らすランプの光が一筋の帯となって差し込んでゆく。
そしてその光の幅がちょうど人一人通れるくらいの太さになった時、それが開いたときと同様、ふいにドアが止まった。
光の向こうに、影法師が立っていた。
逆光のせいでその表情は良く見えないが、ソーントン老人であった。
『どうしたんです?』
その言葉がシンジの咽まで出かかったその時、
「に、逃げるんじゃ・・・・・」
扉の向こうで老人はそうつぶやくと、そのままそこに倒れこんだ。
「お、おじいさん!」
シンジがソーントンに駆け寄ろうと席を立った瞬間、ドアの影からヌッと現われるものがあった。
拳銃だった。
その銃口がまっすぐシンジの方を向いていた。
「小僧、一緒に来てもらおうか・・・・」
拳銃に続いてドアの向こうから現われた黒い影が言った。
翌朝、眩しい陽光が町を白く染めるころ
ミサトは馬上にあって、人影のまばらな通りを眺めていた。
30分ほど前、ホテルを引き払い、馬の背に鞍を置いてから後ずっとその場でそうしていた。
しかし・・・・彼女が求める少年の姿は現われない。
やがて・・・
馬上でミサトは深い溜息をつき、踵を馬の腹に当てた。
馬がゆっくりとした足取りで通りを歩きだす。
シンジのいるソーントンの酒場とは反対の方角であった。
ミサトを乗せ、馬はゆっくりと通りを進んでゆく。
しばらくして、ミサトが手綱を絞った。
それにあわせて、馬が辻を曲がる。
と、不意にミサトの馬が足を止めた。
うつむき加減だったミサトの顔が、いつの間にか正面を向いている。
その視線の先に、一人の男が立っていた。
ミサトの前方20メーターほどであろうか、その行く手、通りの真中にじっと立っている。
灰色の鍔広の帽子をかぶり、がっしりとした体に同じ灰色のスーツをまとった男であった。
その腰にガンベルト・・・
それが朝日に照らされ、禍禍しい光を放っている。
それだけの光景が、ミサトの黒い双眸にうつっていた。
しかしそれだけのことならば、わざわざミサトが馬を止めることなど無論無い。
男もまたミサトを見ていたのだ。まるでこの辻を彼女が通るのを予見して、待っていたように・・・
嫌な色の火が底にともった、癖のある目つきをしていた。
その粘着質な視線が、ミサトの体に絡みついてくるようであった。
それが何を意味するのか、今がどのような状況であるのか、ミサトよりも周囲の者が敏感にかつ正確に理解したようだ。
対峙する二人を見た途端、通りを行く者達がその傍らの家々に慌ててかけ込んでゆく。
すぐに通りには、対峙するミサトと男の二人を残して、誰もいなくなった。
先ほどまでは、なんの変哲もない田舎町の平穏な通りであった。それがなんの前触れもなく緊張の張り詰めた戦場へと変わった。静けさが支配する非日常の空間、それが突如としてそこに出現していた。
やがて・・・・
ミサトの馬が再び歩きだした。その行く手に立つ男に向かって。
それを操る美しい騎手はと見れば、ただ飄然と鞍の上でその身を揺らすのみである。
「あんた・・・・葛城 ミサトさんだろ?」
二人の距離が5メートルまでちぢまった時、男が声をかけてきた。
昨日シンジを詰問し、ソーントンの店から出てきたミサトを物陰から伺っていた男であった。
ミサトの馬が再び歩みを止める。
「そうなんだろう・・・・ピンカートンの探偵の・・・・?」
男がもう一度聞いた。
「腕利きなんだってなあ、アンタ。そんな綺麗な顔して大の男も震え上がるような悪党たちを何人も捕まえたって言うじゃねえか。」
ミサトは無言。
男の口元が片方つり上がった。
「おっと、殺したって言った方がよかったな。そうだろう、え?」
男を見るミサトの表情にどうという変化はない。ただ無表情に男を眺めているだけだ。
「へっ・・・ダンマリかよ?」
男がおどけた様に肩をすぼめた。
だが男のたたずまいには、その手がいつ腰の拳銃に伸びてもおかしくないという、たまらない緊張感があった。そしてそれはミサトがこの男を視界に入れた瞬間からずっと続いている。
いつこの場で撃ち合いがはじまってもおかしくない状況であった。
抜き撃ち勝負をするには、二人の距離は程よいものである。いや、馬上にある分だけミサトがの方が不利か・・・
「俺はハンター・オブライエン。」
男、ハンター・オブライエンが名乗った。
「あんたに殺されたジョージ・オブライエンは俺の弟だ・・・。覚えてるだろう?」
「いいえ。私、日記は付けない主義だから。」
なんの抑揚もない声でミサトが応じた。
「なんてえ・・・女だ。」
「悪党だったんでしょう。自業自得よ。」
「・・・まあな。だが俺にとっちゃあたった一人の弟だったのよ・・・。たった一人のな・・・」
そう言って男は馬上のミサトを睨んだ。
ミサトもその視線を真正面から受けた。
「で、私をどうしようっての? 仇うちでもお望み?」
「ああ。もちろん殺すさ。」
「たいした自信ね・・・。」
「じっくりと時間をかけてな・・・」
男がそうつぶやいた刹那、ミサトの右、その家の戸がいきなり開いた。
と同時に、電光の早さでミサトの拳銃が引き抜かれ、その銃口が開かれた戸に向けられる。
その動きが凍りついた。
「シンジ君・・・」
かすれた声がミサトの口から漏れる。その表情が、驚愕の色に染まっていた。
ミサトが構える銃口の先、そこにシンジが立っていたのだ。背後に男が立ち、そのこめかみに銃口を押し付けられた状態で・・・
そのなんとも形容しがたい悲しい瞳が、ミサトを見ていた。
「感動のご対面という訳だな・・・」
楽しげなオブライエンの声が聞こえたと同時に、ミサトは右手に鋭い衝撃を感じ、握っていた銃を落とした。
銃声の余韻を確認するまでも無く、ミサトはオブライエンの銃弾が自分の銃をはじき落としたことをさとった。
衝撃にしびれる右手を押さえ、燃えるような瞳でオブライエンをにらみつける。
「そう俺は卑怯者だよ。」
オブライエンがミサトの心を代弁した。
「その小僧には色々聞いたぜ、まあ少々頑固だったがな。」
シンジの顔に痣がいくつか浮かんでいることを、ミサトは思い出していた。
「ついてるぜまったく。こんな田舎町でくすぶってるところに、弟の仇がうてて、おまけにこの小僧のおかげで大金が手に入るんだからよ。」
「アンタ、よくも・・・」
「なんだ? どうするっていうんだ? 銃も無ぇのに。」
怒りの声を発するミサトをオブライエンが笑った。
「こんな街中で・・・・こんなことをして・・・無事に済むと思ってるの?」
「なに?」
「1対1の決闘ならともかく、子供を人質に取った上に銃を撃つなんて、保安官が黙ってないわよ・・・」
「ほう・・・、保安官ね。」
オブライエンが意味ありげに笑い、そしてあたりに聞こえるよう大声でどなった。
「おい! 誰か保安官を呼んでこいよ! こちらのお嬢さんが困ってるらしいぜ!」
そう叫ぶが、周囲の家々はシンと静まりかえったまま物音一つ聞こえない。
その状況を楽しむようにもう一度オブライエンは笑い、そして何を思ったのかその左手をポケットに入れた。
そこから取り出したものをミサトにかざして見せる。
ミサトの顔に苦いものが広がった。
オブライエンが握っているのは、星型の銀のバッチであった。
「俺がその保安官だよ。さあ、助けを求めてみろよ。」
「・・・・・」
「この街は俺のもんなんだよ。俺が法律なんだ。」
銀のバッチを胸に着け、オブライエンが改めてミサトに銃を向けなおす。
「さあ、わかったんなら、馬を下りな。言ったろう、じっくりと殺してやると・・・・。それともこの場で殺されるか?」
ミサトがその顔を伏せた。
そして・・・ゆっくりとした動作で馬から下り、両手を上げる。
「手錠をかけろ。」
オブライエンが、シンジに銃を付きつけている男に言った。
男はシンジに付きつけていた銃をいったんしまい、それに代わって腰にかけていた手錠を取り出した。
それを手に、ミサトに近づく。
その間もオブライエンの銃口が、油断無くミサトを狙っている。
「手をだしな。」
ミサトの前に立った男が言う。
ミサトがそれに従い、上げていた両手をゆっくりと下ろす仕草をする。
その瞬間。
バシ!
乾いた音がそこにいる全ての者の耳に届いた。
ミサトがその手を下ろすと見せて、その傍らに立っていた彼女の馬の尻を思い切り叩いたのだ。
と同時に、馬がいななきとともにその正面に突進し始めた。
その方向にはオブライエンが銃を構えて立っている。
突然の出来事に、オブライエンの行動が一歩遅れた。
ミサトを撃つべきか、それとも突進してくる馬を避けるべきか、その判断に一瞬の躊躇が生まれた。
何とか間一髪で馬に踏み潰されるのを防いだものの、かわしきれずにその体が馬に跳ね飛ばされた。
ミサトに手錠をかけようとした男が慌てて手錠を投げ捨て、腰から拳銃を引き抜く。
「逃げて!シンジ君!」
そう叫ぶとともにミサトは男に飛びかかった。
二人の体が重なって倒れこみ、そのまま地の上を転がる。
もみあううちに、ミサトが男の上に馬乗りになるという状態となった。
そのミサトを男が下から銃で撃とうともがき、そうはさせじとミサトが男の手首をつかんで銃口を自分に向けさせまいとする。
「何してるの!早く逃げて!」
その光景を呆然と眺めるシンジに、再びミサトが叫んだ。
「で、でも・・・」
シンジが躊躇する。
な、なんとかしなくちゃ・・・・
そう思う。だがあまりの突然の出来事に、何をしていいのかわからない。
その間もミサトと男の格闘は続いている。
「うう・・・畜生・・・」
男のうめき声が、シンジの耳に届いた。
オブライエンの声だ。そちらに目をやると地に倒れたオブライエンが、フラフラと立ちあがろうとしていた。
このまま奴が立ちあがってきたら、ミサトは絶対的な窮地に陥る。
戦慄とも恐怖ともつかない悪寒が、シンジの背すじを駆け抜ける。
どうすれば・・・・
そう思った刹那、シンジの目の端に銃が映った。
ミサトの銃だ。さきほどはじき飛ばされたそれが、シンジの左手、約3メートルぐらいの地面にころがっているのが見えた。
それを拾えば・・・・
で、でも・・・・
シンジが迷う。
そこへ、
「早く逃げて!」
悲鳴のようなミサトの声が聞こえた。
再びミサトを見る。
銃声。
ミサトの右頬ぎりぎりのところで銃が火を吹いた。
「ミサトさん!」
「行きなさい!!」
ミサトが再び叫んだ。
と同時にシンジの耳元を、何かがかすめた。
「逃げるな・・・小僧・・・」
見ればオブライエンが立ちあがり、こちらに向かってくるところだった。
まだ意識が朦朧としているらしく足元がおぼつかない。それゆえ今の射撃が外れたのだ。
再びオブライエンが狙いをつけ、撃鉄を上げようとする。
その光景がシンジの瞳に焼きついた。
次ぎの瞬間、シンジは悲鳴を上げて走り出していた。
その場に背を向け、恐怖とともに逃げ出していた。
その背に向けてオブライエンが銃を構える。しかし朦朧としているため、ねらいが定まらない。
その間にシンジが路地を曲がり、その姿が見えなくなった。
「クソ!!」
忌々しげに吐き捨て、視線をミサトの方に移す。
ミサトが銃を握った男の右手首を地面に押さえつけつつ、空いた右手で、上から男を殴りつけようとしていた。オブライエンが無言でミサトの背後に近づき、いきなりその銃を彼女の後頭部に振り下ろした。
鈍い音がして、ミサトの体が横倒しに倒れた。
何処をどう走ったかわからない。
あちこちに体をぶつけ、何回も転んだ。
そうこうしているうちに路地の中から出てきた腕に羽交い締めにされて、その中に引きずりこまれた。
訳もわからずもがき、わめいた。
手で口をふさがれた。
もがきつづける。
「落ちつけ、わしじゃ。」
聞き覚えのある声が耳元でささやいた。
シンジがもがくのをやめた。
体を締め付けていた力が解け、ゆっくりと振り向いてみる。
そこにソーントン老人が立っていた。
昨夜オブライエンに襲われた時のものであろう、その額に包帯が巻かれてあった。
『おじいさん・・・』
ほっとして、そう言おうとしたシンジの先を制し、老人はその人差し指を自分の唇に当てた。
静かにしろというのだ。
そしてじっと周囲の気配をさぐる。
しばらくして・・・
「大丈夫。どうやら誰も追っては来ておらんようじゃ・・・」
少しほっとした様子で言った。
「あの娘さんはどうした?」
老人の言葉にシンジの胸に痛みが走る。
少年のその表情から、老人は全てを悟ったようであった。
「まあいい。おまえさんだけでも無事ならまだましじゃ。とにかくここではなんだ。奴らの手がまわっとるかもしれんが、いったん酒場に帰るぞ。おまえさんの馬もあそこにいるしな。」
付いて来い。と、言う風に老人がシンジに背を向けた。
裏路地をとおり、時には家の軒下をくぐり、二人はようやく酒場へとたどり着いた。
幸いオブライエン達が、酒場に立ち寄った形跡はなかった。
しかし、シンジがここに立ち寄ると考えるのは当然のことであろう。いつまでもここに居るのは危険であった。
「とにかく、今は一刻も早くこの町を出ることだ。」
酒場に戻るなり、ソーントン老人はかねて用意してあったらしい鞍鞄を取り出した。
それをシンジに差し出す。
「当分の食料が入っとる。お前さんの馬もすぐ出発できるように世話しておいた。」
「ミサトさんはどうなるんです・・・?」
シンジが不安気な表情で聞く。
老人の顔全体に苦渋の表情が広がる。
「・・・あきらめるよりない。」
「・・・そんな・・・」
「今は自分が助かることだけ考えろ・・・」
そう言ってソーントン老人は絶句するシンジに、鞍鞄を強引に押し付けるように渡した。そして辛い事実から早く離れたいとでも言う風に、シンジの馬のいる裏庭へ向かおうとする。
「・・・・・どうして助けたんだろ・・・・」
シンジの声に老人の足が止まった。
「ミサトさん・・・どうして助けたんだろ? 僕のこと・・・」
「・・・・」
「意気地なしで・・・逃げ出して・・・ミサトさんにいつも迷惑ばかりかけて・・・・僕のことなんか嫌いだと思ってたのに、どうして・・・・」
手にした鞍鞄に目を落とし、ぽつりぽつりとシンジが言う。
「それなのに・・・それなのに僕はミサトさんを見捨ててまた・・・また・・・・逃げ出した。」
シンジの小さな肩が震えた。
その肩に老人が手を置く。
「誰でも死ぬのは怖い。戦うのは怖い。お前さんだけに限ったことじゃない。」
「でも・・・・」
「わしもお前さんと同じじゃ、あのオブライエンに脅されながら何も出来ん臆病者じゃ・・・」
「・・・・・」
「わしも・・・、街中であんな無法をしながら何もとがめず保安官をさせつづけているこの町の者・・・、全員臆病者じゃ・・・」
視線を落とし老人が語る。
「あのオブライエンという男はな、昔わしら町の者が雇ったガンマンなんじゃよ。それ以前、この町には無法者が巣食うておってな、すっかりすさんでおった。そいつらを退治してもらおうと、わしらは金でオブライエンを保安官に雇った。奴はわしらの期待通りにその無法者どもを追い払ってくれた。わしらは喜んださ、これで平穏に暮らせるとな・・・。ところがそうはならなかった、オブライエンがそいつらの代わりに無法を働くようになったからじゃ。町はなんも変わらんかった、なんもな・・・」
「・・・・・・」
「思えばわしらの自業自得じゃ・・・。腕をたよりのガンマンを雇うよりも、自分らで力を合わせて無法者どもを追い払えばよかったんじゃ。じゃがわしらはそうはせんかった。怖かったからじゃ。命が惜しかったからじゃ。」
老人の独白をシンジは黙って聞いている。
「以来わしらは怯えながら暮らしておる。これからもそうじゃろう。あのオブライエンが居る限り、いや、あるいはずっとこのままかもしれん・・・・」
「その通りだ。」
老人の言葉にうなずく声があった。
見れば酒場の入り口、スウィングドアを押し広げて男が立っていた。
昨日、オブライエンがミサトの情報を得るべく、後をつけた中年の男であった。
「スタン・・・」
老人の言葉に、男、スタンが寂しげに微笑んだ。
「何しに来た?」
ソーントンがスタンから守るように、シンジの前に立つ。
緊張した面持ちであった。この男もオブライエンの仲間ではないかと、老人は疑っているらしい。
それを見て、スタンの微笑の色が濃くなった。自嘲という色取りを添えて。
「察しの通りオブライエンに言いつかったのさ。その坊やがここに立ち寄ったかどうか見て来いと・・・。それと出来るんなら、その坊やを奴らの所に連れて来いとも言ってたな・・・」
そう言ってスタンが懐から拳銃を取り出した。
ソーントンがその身を硬くする。
「だが止めた・・・。どうせ俺が撃っても当らないだろうしな・・・」
気だるげに、スタンが取り出した拳銃を、そのまま近くのテーブルの上に置いた。
「オブライエンには、ここには居なかったと言っとくさ・・・」
「お前・・・」
「それより一杯もらおうか、酒でも飲まないとどうにもやりきれんからな・・・」
そう言ってスタンはカウンターの方に歩いて行くと、その上に置いてあった酒瓶をコップも無しにそのまま煽りだした。
「すまん。さあシンジ、早くここから出たほうがいい。」
そう言って老人がシンジをせかした。
しかしシンジはそれに従わず、スタンに歩み寄った。
「ミサトさんがどうなったか知ってますか?」
スタンがシンジを見た。
「聞いてどうする?」
「・・・・・」
「無事だと聞けば助けにでも行くのか?」
抑揚を殺した声でスタンが言う。
シンジが目を伏せた。
スタンが視線を戻して、再び酒を煽る。
「あの娘さんなら無事だ。今のところはな。奴らの・・・・保安官事務所にいる。」
酒を煽りつつそれだけの事を言った。
「だが、情に訴えても俺は助けないぞ。他の町の奴らもそうだ。さっきじいさんから聞いたろう。この町の人間は誰も助けない。さあ、わかったらさっさとこの町から出て行くんだな。」
そこへソーントン老人が歩み寄る。
「すまんがそれが現実なんじゃ。わしらには・・・どうしてやることも出来ん。」
老人がシンジの手を取った。
「行くぞ・・・」
老人が、裏庭へと向かう。
引きずられるようにして、シンジの体が・・・力なくそれに従った。
老人に手を引かれるまま、その後をついて行く。
しかし、少年が足を一歩踏み出すごとに、その胸に痛みが走った。
一歩踏み出すごとに、その痛みが大きくなってゆく。
その痛みが走るたびに、シンジの脳裏に浮かぶものがあった。
『・・・碇 シンジ君ね・・・』
そう言って微笑んだミサトの顔であった。
『・・・あら?起こっちゃたの? そうね、おっとこの子だもんね・・・』
そう言って笑うミサトの顔であった。
『・・・ミサト、でいいわよ・・・・』
・ ・・・・・ミサトの顔はいつも笑っていた。
シンジの足が止まった。
「・・・・・・・逃げちゃだめだ・・・」
いぶかしげに振り向く老人の耳に、つぶやきのようなものが届いた。
伏せられたシンジの顔の方からだ。
顔を伏せたまま、自分の手を握る老人の手をシンジがそっとはずした。
そしてそのまま酒場の出口に向かって歩き出そうとする。
その肩を老人の手が引き止めた。
「待て、何処へ行く気じゃ!」
「・・・・・ミサトさんを・・・助けに・・・・」
「バカ!お前なんぞのかなう相手か!みすみす殺されに行くようなもんじゃぞ。」
「でも、それでも行かなくちゃ・・・」
シンジがその顔を上げた。
「・・・・・」
「それでも行かないと・・・・。ミサトさん僕のことを相棒って言ってくれたんです。何度も命がけで僕を助けてくれたんです・・・。それに・・・・」
「・・・・・」
「それに僕、ほんとはミサトさんのこと好きなんです。とっても・・・」
そう言ってシンジが微笑んだ。
見る者が切なくなるほどの、はかない微笑であった。
「だから・・・」
そう言って老人の手を肩からそっと下ろすと、シンジは再びその瞳に背を向けた。
しばらくして・・・
「待て・・・」
再び老人の声がかかった。
「お前さんの気持ちは良くわかった。だが銃もなしで・・・、いったいどうする気じゃ・・・。」
「・・・・・」
シンジは当りを見回し、テーブルの上に置かれた一丁の銃に目を止めた。スタンが持ってきた銃だ。
テーブルに近づき、それを手に取った。
ろくな手入れもされていない、古い銃であった。
念のためシリンダーを外し、弾丸及び火薬の詰め具合を確認してみると、なんとか弾が発射出来るようにはなっている。
しかし・・・・
撃鉄に親指をかけたシンジの表情が曇った。
撃鉄のスプリング部分が錆びて軋んだ音をたてたのだ。
素早い抜き撃ちを行うためには、より早く撃鉄を起こしやすいよう、スプリングのテンションを軽くする必要がある。それに撃鉄の形状も、スムーズに指がスリップするよう仕上げることが要求される。
今、シンジが手にした銃にそれらを期待するのは無理であった。
しかし他の銃を探す時間は無い・・・
「どうやら・・・、まるっきりの素人と言う訳ではなさそうじゃな。」
そんなシンジの様子を見ていたソーントン老人が声をかけた。
「誰かに銃を習ったのか?」
シンジはなにもこたえない。手にした銃に、じっとその視線を落としている。
「行くのか? どうしても・・・・」
シンジがゆっくりとうなずく。
それを見た老人が深いため息をついた。
そして何を思ったのか、老人はカウンターの中に入ると、そこからあるものを取り出した。
ゴトリと音をたてて、それがカウンターの上に置かれる。
ホルスターに入った一丁の拳銃であった。
「以前、ある男が酒代の代わりに置いていったものだ・・・」
静かな声で老人が言う。
「もしお前さんが必要だというなら・・・こいつを持っていくがいい。」
シンジがソーントン老人のことを、やや意外そうな表情で見た。
「・・・・お前さん自身が決めたんなら、もう臆病なわしらに何も言う資格はない。好きにすればいい・・・・。」
しばらく考え、シンジがカウンターに歩み寄った。
そこに置かれた銃を手に取る。
日本刀が鞘から抜き放たれるようにして、ホルスターの中に収まっていた銀の銃身が姿をあらわした。
それは、見た者に賛嘆の吐息を漏らさせるような美麗な銃であった。
ミサトの銃と同じく、コルト・ネービーM1851を基に造られた特注品だ。ミサトの銃が重い光を放つ黒鉄色なのに対し、こちらはまばゆい銀光を放っている。そしてその銃身には優雅なエングレーブ(彫刻)が施され、グリップは象牙であった。
一見して価値のあるものと見て取れる品である。
それでいてなお、その各部はあくまで実戦を想定した工夫が施されていた。
ソーントンの言うこの銃の前の持ち主が、これを決して装飾品としてつくらせたのでないことが伺える。
しばらくその銃を眺め、シンジがソーントン老人の目を見た。
無言で見つめ合い、そしてシンジは無言で頭を下げた。
銃をホルスターに戻し、それを腰に巻こうとする。
「だがな、お前さんもわかっている通り、それは人を撃つための銃じゃ。それを一度でも使えば、もう・・・・もとには戻れなくなるぞ。」
ソーントンのその言葉に、ガンベルトを巻こうとしていたシンジの動きが止まった。
ソーントンがシンジを見る。
シンジの動きは止まったままだ。
「いいんじゃな?本当にそれで?」
ソーントン老人の重い声が、静かな酒場に響いた。
そして・・・・その問いにシンジがこたえることはついになかった。
「随分とてこずらせてくれたが、そうなっちゃあもうおしめえだな。」
椅子に腰掛けたオブライエンが、ミサトを見て笑う。
その笑い声に鉄と鉄とが擦れ合う音が重なる。ミサトの体を吊るし上げている鎖のたてる音だ。
天井から頑丈そうな鎖が垂れ、その鎖にミサトの両手をつなぎとめた手錠が彼女の腕ごと吊り上げられている。
そう高く引き上げられているわけではないが、それでもミサトの両足の踵がかろうじて着くか着かないかという状態になるまで、その鎖は引き上げられている。
自由を奪われたミサトの体が動くたびに、それを吊るした鎖が重い音をたてる。
「違うかい?」
自分の勝ちを確認するように、オブライエンが聞いた。
その顔をミサトが怒りに燃えた目で見返す。
「さて・・・、さっきのガキは惜しいことをしたがまあいい。そう簡単にこの町は抜けだせんだろう。そのための手も打ってあるしな。それよりも今はお前さんのことだ。」
その視線を平然とオブライエンが受ける。
「ゆっくりと始末すると約束したからな・・・」
「どう料理するんです?」
オブライエンの右横に立つ男が聞いた。先ほどミサトと格闘をした男だ。いつもこのオブライエンにくっついているところを見ると、その手下らしい。
「何か良い案があるか?」
「そうですねえ・・・」
男が舌なめずりをしそうな笑みを浮かべて、ゆっくりとミサトに近づいた。
しなやかなミサトの体にその視線を這わせる。
「これだけの女なんですから・・・・」
男の右手がミサトのか細い顎をつかみ、その顔を上向かせた。
それに続けて男が言葉を継ごうとした瞬間、ミサトの右足が跳ねあがった。
膝を折り曲げバネを溜めると、一気にその力を男の腹部めがけて解き放った。
ミサトのつま先が男の腹にめり込み、その体がいきおいよく後方に吹っ飛ぶ。
何とも無様な格好で尻餅をつき、その後頭部が壁にぶつかった。
「て、てめぇ・・・」
男が痛みと怒りに顔を歪めながら、尻餅をついた状態で拳銃を引き抜いた。
その銃口をミサトに向ける。
「待て。」
それをオブライエンが制した。
「いきなり野生の雌馬に乗ろうとするからだ・・・」
その顔に笑みがこぼれている。
オブライエンが立ちあがった。
「気の荒い雌馬を乗りこなすにはな、コツがいるんだ・・・・」
そう言いながら壁に向かって歩いて行く。
そこには乗馬に使う鞭が立てかけられていた。
そのうちの一本を手に取る。木で出来た頑丈そうな造りのものだ。
「まず最初に誰が主人かということを、教え込まないとな・・・・」
振り向きミサトを見る。そしてあからさまにミサトに見せつけるようにして、その鞭を両手でしならせてみせた。
この男がどういう行動に出るのかは、火を見るよりの明らかであった。
薄笑いを浮かべつつミサトの方に近づく。
ミサトは無表情のまま、黙って男の行動を見ている。
オブライエンがミサトの背後に回った。その目にミサトの身につけた灰色のロングコートの背が映る。
一気に鞭を振り上げ、その背に思いきりそれを振り下ろした。
肉を打つ乾いた音が室内に響く。
ミサトがその美しい眉をひそめた。
だが悲鳴は漏らさない。体をこわばらせ、奥歯をかんで、そうはさせまいと必死に激痛に耐えている。
ミサトの体を吊るす鎖が、きしんだ音をたてた。
「たいした女だ・・・・だがいつまでもつかな?」
オブライエンが再び鞭を振り上げた。
ミサトが思わずその目を閉じる。
その時・・・・
「保安官!」
そう叫ぶ声が聞こえた。
振り下ろそうとしていたオブライエンの鞭が空中で止まる。
「保安官!」
声はもう一度聞こえた。
その声に最初に反応したのはミサトだった。
声のした方向に視線を走らせる。
それにつづいてオブライエンがその視線を転じた。
窓の外、そこから通りが見え、一人の少年が立っている。
こげ茶色の鍔広の旅行帽。そして同じ色のハーフコート。
そして・・・・
そしてその腰に、銀の飾りを散りばめたガンベルトが巻かれていた。
「シンジ君・・・」
呆然と・・・・、かすれた声がミサトの口をついた。
「どうして・・・・」
その問いに答えるように碇 シンジが叫んだ。
「ミサトさんを返せ!」