目の前に大きな箱がある。それはとても大きいもので何だって入ってしまうし、実際いろいろな物が入っている。「夢や希望」なんて気障な事を言う人もいれば「現実とそれに伴う絶望」なんて暗いことを言う人もいるし「青春と友情」なんて聴いていて恥ずかしくなるようなことを言う人もいる。それらの物はきっとこの箱の中に入っている物なのだろうけれど実際見たことはないので何とも言えない。まあ、確実に入っているものは中古ショップに持ち込んだら店先で断られそうな量の古びた机と、同じように断られそうな量の古びた椅子。やたらへこみのある壊れたロッカーと一度も授業で使った事のない骨の模型と電車の中で忘れている事に気が付いた自宅の鍵とそれにくっついているペンギンのキーホルダーくらいのものだ。まあ何が言いたいかって言うと、要するにここは…

「学校だ」

「学校だね」



「counter4.5」



「何でそんな物忘れるのさ、弘之」
雅史に現在の状況を説明する。6時限目が終了した後、力尽きた俺はゆっくりと机を抱くようにして深い眠りについた。深い眠りは俺を学校の机の上に拘束したが、時間の流れまでは拘束できず、開放されたときには自分と他の物事の間に認識の上での相対的な距離が発生したんだ。ある出来事の終わりとある出来事の始まりに違いがあると人は大きく混乱する。浦島太郎がもし宝箱を開けていなかったとしても混乱はそれ相応にやってきたと思うんだ。混乱した浦島太郎はきっとまともな行動を取れやしない。自分の家が廃墟になっていることに対して混乱し、知り合いが一人もいないことに対してさらに混乱する。彼には浮浪者になるか龍宮城を目指して海に飛び込みドザエモンになる位しか道は残されていないだろう。それに比べれば俺は恵まれている。多少混乱はしているものの知り合いだって健在だし、家だって廃墟にはなっていない。(もとから廃墟だと言う人もいるが、なに、気にする必要はない。世の中には沢山の人がいる)失ったものは、あっても不毛に消えていく中途半端な時間的リソースだけだ。その際、鍵を忘れたかもしれないが何の問題もない。取りに行けば済む。
「要するに、君は放課後に居眠りをして、起きて、あわてて帰る途中に鍵を忘れている事に気づき部活動中の友人を無理やり引っ張り出して薄暗い校舎の中を自分の教室までつき合わせている。」
にべもない。
彼は不服そうな目でこちらを見る。ため息をつき、深呼吸をし、かなりゆっくりとした足取りで夕焼けの廊下を歩きはじめた。
俺も彼に足取りを合わせて歩き始める。
夕方の学校は少しだけ気味が悪い。なぜ気味が悪いかは分かっている。人がいないのだ。毎日人で溢れ返る所しか頭に無いので、まるでまったく別の建物にいるような気がしてくる。
「ねぇ、弘之」
「なんだ?」
前を歩いている彼はこちらを振りもせずにこういった。
「アラモという砦を知ってるかい?アラモ。エイ・エル・エイ・エム・オー。」
エイ・エル・エイ・エム・オー。ALAMOか。聞いたことが無い。砦と聞かなければガソリンスタンドかと思うだろう。
「いいや、知らない。知らないし聞いた事も無い。その砦に知り合いでもいるのか?」
彼はようやく振り返って俺を見た。表情はかすかに笑っている。
「まさか。居ないよ知り合いなんて。テキサス独立戦争があったころの話だよ。おばあちゃんだって生まれていない。160年以上も前の話。」
160年以上前。見当もつかない。160年も有ったらどれ位の量の卵を食べるのだろう。160年間で消費する卵を想像してみたがよく分からなかった。多い日のごみ置き場ほどになるのか小さなピラミッドほどになるのかさえ分からない。
「えらい昔の砦だって事は分かったよ。」
「ありがとう。だけどただの古い砦だったら有名になんかならない。理由があるんだ。」有名な砦だという事すら知らなかった俺を無視して彼は続けた。
「テキサスがメキシコから独立しようとし、メキシコはそれを止めようとする。まぁそれ自体は良くあることだね。で、メキシコはサン・アントニオ市に3000人の軍隊を派遣したんだ。それに対し義勇軍は約180名。しかも義勇軍が立て篭もったアラモは砦なんかじゃない。教会だ。誰が見たって勝敗は明らかだね。」
「で、勝ったのか。」
窓から差し込む夕日がロッカーに反射して鈍く光る。
「何でそう思ったの。」
「勝たないのか。」
彼はアメリカ人のように肩をすくめて(勿論、全てのアメリカ人がこういった表現はしないと思うが)こう言った。
「当たり前だろ、勝てるはずが無いじゃないか。兵力に差が有りすぎるよ。全滅さ。」
歩幅を広げて彼の左側に出た。
「じゃあ何で有名なんだ。」
「戦いは13日間続いたんだよ。これだけの兵力差がありながね。確かに負けたかも知れないけど、メキシコ軍を1500人も道連れにした。一人頭7人以上は殺した計算になる。文字どうり死に物狂いだったわけだね。テキサスのためと思うと引けなかったんだろう。だから一人残らず死んだ。」
彼は足を止め、こちらを向いて俺の目を見た。表情は何時ものままだが目は何かを決意している様に見えた。
「誰だってアラモの砦を持ってる。」
いつの間にか教室の前まで来ていた。俺はドアに手を掛けゆっくりと引く。
「これだけは譲れない。死んでも守り抜く。そう言った物をもってる。」
ドアをあけた後振り向くと、先ほどと変わらない決意を込めた目で俺を見ている。
俺は彼の目から視線を外さずにいった。
「アラモの砦はあかりか。」
彼は俺の目から視線を外さずに言った。
「そうだよ、弘之。」
校庭からは運動部の風変わりな掛け声が聞こえてくる。たぶん野球部の連中だろう。この女生徒が聞いたら露骨に眉をしかめる様な掛け声は。
俺たちはしばらくの間そのまま教室の敷居を挟んで互いの目を見ていた。
鍵のことを思い出し机まで歩いて鍵を手にすると、彼の姿はそこには無かった。あるのは窓から差し込む夕日とそれを反射して鈍く光るロッカーだけだ。
俺は、ゆっくりと椅子に腰掛けひとしきり机の落書きを確認すると家路につくことにした。


その夜、彼の言った言葉は、まるで液晶に入った傷の様に俺の思考にこびりついていて眠りを限りなく浅くした。仕方がないので徹夜を覚悟しようとコーヒーを入れようとしたら空が明るみ始めていた。3時間ほど走ったらプラナリアのように眠れた。(プラナリアは寝ないかも知れない)
土曜日で良かったなと思ったけど世間では木曜日だったらしくて、何となく行きづらくなった学校を次の日も休んだ。

 

 

(つづく)

 



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