夜の住人
月の無い夜、虫の声が辺りに静かに消える中、シンジが一人、道を歩いていた。
もう夜半を過ぎて居り、人の気配は何処にもなく、草木も眠りにつく時間。
街路灯で出来た影が、前から後ろへ、後ろから前へと伸び、時として一つになって、また常に薄い影となってぼんやりと地面を映している。
やがて彼は、目指す公園に辿り着き、小さな影の舞う明かりの下、ベンチに期待した人影を見付けた。
人影はシンジに気付くと、「やあ」と一言の挨拶を言った。
シンジもまた、彼へと挨拶を返す。
「やあ、カヲル君。また逢えたね」
嬉しそうに、だが、確信していた様にそう言いながら、シンジはカヲルの横へと腰掛ける。
「逢えるとも。君が望むから、僕はこうして君の前に現われる。それはとても不思議な事だし、自然な事でもある」
「やっぱり不思議な事だよ。だって、カヲル君は僕が・・・」
「殺したからかい?」
カヲルが面白がっている様な表情でシンジを見つめる。
「そう。僕が殺した」
シンジの顔に辛さは無かった。ただ事実を事実として受け止めている顔だった。
静かな声でシンジが続ける。
「・・・でも、もう僕にはその事は何でもない。ああしなければ皆死んでいたし、現に今、こうして僕は君と逢っている」
「そしてあれは僕が望んだ事だ。シンジ君が気にする事では無いよ」
カヲルが続け、そして辺りは静かになった。
二人は何もしない。
只、並んでベンチに腰掛けているだけだ。
視線は中空を見つめ、身体はぴくりとも動かない。
時折車が通り過ぎ、後はまた静かになる。
ゆっくりと時間が過ぎて後、カヲルがシンジに話し掛けた。
「・・・彼女は・・連れて来ないのかい?」
言葉にはさしたる感情も籠って居らず、素朴な疑問を口にしただけと見えた。
カヲルの言葉にシンジは苦笑を浮かべ、しょうがないといった口調で答える。
「アスカはね・・・うん、やっぱり静かな夜には似合わないよ。アスカが居ると何処でも昼間になっちゃうから」
「それはそうかも知れないね。賑やかなのも良い物だけれど、やはり夜は静かに過ごすものだ。ましてや、こんな月の無い夜は」
カヲルの目線を追って、シンジも空を眺める。
「静かだよね」
シンジが静寂を感じるように目を閉じる。
カヲルは空を眺めたまま、口元に微笑を浮かべて語り始める。
「月の無い夜は美しい。まるで決まりの無い、リリンの光だけが辺りを照らし、そこには上も下も、右も左も何も無い。だがそこにはリリンの生が在る。この無は、消して死では無い。好意に値するよ」
「”生きてさえ居れば幸せは何処にでも在る”。母さんが言ってたよ」
シンジが付け加える。
「そうだね。そして僕は、今生きている。たとえかりそめの存在であっても、僕という意思は君との会話を楽しんでいる」
「・・・ありがとう」
「君がお礼を言う必要は無いさ」
そして二人は笑った。
「普通はね、いろいろな物の怪は満月の夜に現われるんだってさ」
シンジの言葉にカヲルが笑って答える。
「それは満月の下の者たちさ。月のある夜は彼女がでしゃばるからね。物の怪というものは巫女だとかそういった者に弱いのさ」
「・・・僕は逢った事が無い」
シンジが不思議そうに言う。
「君には太陽が付いているから、彼女も遠慮しているのさ。ああ見えても、分は弁えてる」
「出て来ても良いのに」
シンジはやはり不思議そうだ。
それを見て、カヲルが微笑んだ。
「そう思うなら満月の夜に会いに行けば良い。本当に逢いたいなら、きっと彼女も現われるだろう」
「うん。今度行ってみるよ」
「くれぐれも太陽には気を付けてね。機嫌を損ねたら大事だ」
カヲルがくすくす笑う。だが、気にせずシンジが快活に答えた。
「大丈夫さ。今ならね」
にっこりと笑ったシンジは本当に楽しそうだった。
「・・・そろそろ帰らなくっちゃ」
シンジが言う。
「もう、帰るのかい?」
少し名残惜しそうに、だが予想していた様にカヲルが答えた。
「アスカが待ってるからね。多分寝てるとは思うけど」
「僕は、彼女は起きてると思うね。何も聞きはしないだろうけど」
「知ってるのかな?」
シンジは聞きながら、或いはそれも在りうるかも知れないと思う。
カヲルの答えは、微笑と共に返された。
「そうじゃないさ。だが信頼してはいるだろう」
「・・・君の方がよく分かってるみたいだね」
「客観的事実さ」
カヲルの表情は変わらず笑っていた。
少しの間を空けて、シンジの方が名残惜しそうに言った。
「・・・また、晴れるといいね」
「そればかりは分からないからね。だが、もし晴れたならば僕はきっと現われるよ」
「うん」
シンジはやはり寂しそうだった。
「じゃあ、シンジ君。君に逢えて嬉しかったよ」
カヲルがシンジの手に手を重ねた瞬間、後に声だけを残して、彼の姿は闇夜へ溶けた。
作者コメント:
何とこれにはテーマが無い。カヲルを出した時点でこれは運命付けられるのだろうか・・・。
何はともあれ、作者のイメージは水彩で書いた満月といった風景である。新月なのに・・・
田沢さんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る