「夏」
毎日が蒸し暑い中、風鈴の音色だけはいつも変わらず、澄んでいて涼しげだ。
こんな物でも、セカンド・インパクト以来の地獄のような状況では、立派な冷房機具だと胸を張って言える。
いや、風鈴でさえ今ここにある事自体、奇跡的なのかもしれない。
しばらく暑い風に吹かれるままに夕暮れの雲の流れを見ていると、道の方から私を呼ぶ声がした。
「冬月さーん」
「ああ、伊藤君か。どうだった?」
「久しぶりに贅沢出来そうです。見てくださいよ、これ」
と言って彼が見せた物は、小さな手さげ袋一杯の缶詰だった。
「おお、上々の成果じゃないか。まあ、上がりなさい。そこじゃ暑いだろう」
「はい」
伊藤君は私の隣に住む住人だ。
隣と言っても廃ビルの一角なので、きちんと分けられている作りではなく、相部屋の様な感じになっている。
そういう縁もあって彼と私は共同生活を送っており、そして今日の食料当番は伊藤君だった。
私は上がってきた伊藤君に冷たい水を出した。
幸いにして保温容器が一本生き残っていたので、毎朝近くの冷水を汲みに行くのだ。
「んっんっん、はぁー。今日はついてましたよ」
「その様だね。帰りも早かった」
「そりゃそうです。盗られたら元も子もないですからね。急いで来ましたよ。それにもう一つあるんです。ほら」
と言って、彼は懐から小さな瓶を取り出した。
「へッへー、何だと思います?酒ですよ、酒」
「よく手に入ったね。闇酒かね?」
「もちろん。闇じゃなきゃ手に入りませんよ、こんなの」
その晩は久々に酒を飲んだ。私は元々人付き合いのある方ではないから、酒もそれほど好きと言う訳ではない。だが、気の知れた相手と暗闇で一杯と言うのはなかなかに乙な物だ。
総じて人間と言うものはよほどの酒好きと見える。たとえどんな状況に置かれても酒が無くなる事はない。逆に言えば、酒があるからこそ、どんな状況でも生きていけるのかもしれないが。
日々の糧を得ると言うのは大変な事だ。そして、それが大勢いるのだからなおさらの事。
食糧は不足し、衛生環境は悪い。おまけに毎日が真夏の日々。
地獄
昨夜の小宴会もすでに夢の彼方へと消え去っている。
現実が生々しくリアル。
無意味に思えるこの命題も、今を表すのには最もふさわしい。
自分で作った帽子をかぶり、灼熱の炎天下を食料を探して彷徨う。
とてもかつての大学教授には見えまい。
・・・
学問とはなんだったのだろう。高度な娯楽の変形なのだろうか?
セカンド・インパクト。気になるのは葛城調査隊だ。
時期があまりに重なりすぎる。
彼らが直接関与したのでは無いにせよ、もしもこれが人災だとするならば・・・私は学術的立場からこれを断罪できるだろうか?
生命の追求の為、もちろん私は実験動物を使ってきた。そこに触れてはならないものがあったとしたら?
生命の追求の為に生命を犠牲にする。それがそもそもの間違いだったら?
人を知るには、人の腹を裂くしかないのだ。
だとすれば、人類を知る為に、人類の腹を裂く者がいてもおかしくあるまい。
私は自分が実験動物であるような気がしてきた・・・
「どうでしたか?」
「駄目だった。魚が一匹だ」
「いやいや、あるだけ良いですよ。・・・そうですねー、海水で塩焼きにしますか」
「そうだね。頼むよ」
「はい」
その日は早く床に入った。腹が減った時は眠るのが一番だ。
だが、私はなかなか寝つかれなかった。
何かが気になって意識がそちらに向かっていたのだ。
結局それが何なのかは分からないまま、私は眠りへと落ちていった。
私は夢の中で、赤ん坊の泣き声を聞いたような気がした。
次の日、私が水を汲みに外へ出てみると、川辺に二人の人間がいた。
夫婦者らしい若い男女で、女の方は何かを大事そうに抱えて泣いており、男は穴を掘っていた。
私は道々それを眺めていたが、立ち止まることはせずに水を汲みに行った。
帰り道、その場所にはもう二人はおらず、穴を掘っていた辺りには石がつまれていた。
私はその方向に一礼すると、その場を走り去った。
今日も暑い日になりそうだが、風はそれなりに吹いている。
風鈴の飾りが静かに荒れ狂って、時折澄んだ音色が辺りに響く。
私はしばらくそれをぼーっと聞いていたが、ふいに医者の真似事でもして見ようかという気持ちが起こった。
終
作者コメント:
一度で良いから、最高に枯れた冬月を書いてみたかった。
引退してシンジに説教というのもあるのだが、それは結構やっている人もいるし、何より舞台設定が難しい。
結果、シチュエーションを最も作りやすいセカンド・インパクト直後を選んでみたのがこれである。
なお原作中に、『バラックが立ち並んで、その日の食べ物が手に入れば御の字』というのがあったので(劇中のラジオ放送)、それを基にしている。
あと、LD版の弐拾壱話を見ていない人は知らないだろうから補足すると、冬月が南極に行く前にモグリの医者をしている描写があった。これはそのプレストーリーにあたるものである。
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