君は覚えているだろうか。

使徒に立ち向かったあの男を。

常識の科学文明を信じたあの男を。

ライバルに敗れたあの男を。

食費と家のローンの為に戦ったあの男を。

時田志朗。深遠な夢と、浅はかな権益の狭間に生きた男。

その偉大なる芸術、Jet Alone。

『間違いは直せば良い』。それは科学が、科学であり続ける為の最高の言葉。

その言葉の通り、いつか彼はまた輝きを取り戻す。

・・・ただし日陰で。


愛しの中間管理職



『キン、キーン、ズシャッ、タッタッタッタ・・・』

良いねぇ、この雰囲気。やっぱり時代劇は良い。この適度な予定調和と、それなりの懐古趣味的な所がもう・・・。私は今、きっと幸せだ。

なのに何だ。この空虚さは何だ。この空しさは何だ。

36型ハイビジョンモニターに何の不満がある?

5chドルビーデジタルステレオ(ウーファー付き)に何の不満がある??

完全防音室で紅茶のカップを傾けつつ、あまつさえ猫まで抱いているこの状態に何の不満がある???

そんな環境で時代劇を見ている今の自分に一体何の不満がある????

何だ、何だと言うのだ、答えはいったい何なんだ!

・・・

煮詰まった頭と、ボーとした目つきでワタシは部屋を見渡す。

答えはそこに在った。分かっていても認めたくは無かった。だが結局、自分で気付いてしまった以上仕様がないと言えば、まあ、仕様がない。やっぱり認めたくないが・・・。

白いのだ。

窓の外が。

つまり今は真っ昼間なのだ。

付け加えるなら今日は平日で、春休みでも盆休みでも正月休みでも、更に更に昼休みでさえない。代休でもない。有給休暇でもない!

『昼間に時代劇を見るのはサラリーマン最高の贅沢である』とは私の言葉だが(昔部下に言ったら刑事ドラマだと言われた事もある)、現実になってみるとなんのなんの。これ程寂しいとは思ってもみなかった。贅沢とは憧れるうちが華なのか・・・いやまて。この命題の暗黙の仮定は『私はサラリーマンである』だ。今私はサラリーマンではない。すなわち仮定を満たしていない。よって命題は否定されない・・・。空しい・・・。退屈だと頭ばかりが回ってしまう。こんな無意味な三段論法を行う為にあるのか?私のこの、JAをさえ産み出した頭脳は、技術は。

・・・このなんともいえない敗北感。JAの事を抜きにすれば、私はまだ何にも負けていないはず。あれはもう、気持ちの整理が付いた。だが、全身にめぐるこの気持ちは敗北感。そう、私は私に負けている。こうして今日も、ただ一日が過ぎてゆく・・・。

今の私に、仕事はない。



・・・たまには家族で遊園地にでも行くか。



数えてみれば、ひー、ふー、みーの・・・二年と、いや、事後調査で一ヶ月掛かったからな。結局二年ジャストぐらいか。こうして失業者になってから。

例のJA暴走事故の後、長年勤め上げた長岡重工は当然私の首を切った。当然。至極当然。責任者は責任を取る為に必要だ。内務省の方は少々気に入らないが、一々腹を立てていてはこの世界はやっていけない。

今まで共に頑張って来た部下達との別れは辛かったが、人生とは出会いと別れの繰り返し。縁があればまた会う事もあるだろう。

良い部下達だったなぁ・・・。みんな、私が責任を取る必要が無いとまで言ってくれた。確かにJAは我々が自信を持って作った物だ。人の作った物には間違いが付き物とは言え、いくら何でもあれほどの醜態を晒すほど、我々の技術は堕ちてはいない。絶対にスパイの仕業に違いないのだ。そしてあの状況を合わせ見れば、浮かび上がる組織の名は一つ。だが今さら何をか言わんや。それにスパイに侵入されたのは私の落ち度。部下の所為だとしても、それは人事を誤った私の落ち度。いづれにせよ責任は取らねばならない。

寂しいか?

自問自答してみる。答えは簡潔。

寂しいさ。

だが何時までも過去は引きずれない。新しい職場を見つけなければならない。

それは私の為であり、そして扶養家族――妻と娘の為でもある。

この二年、私とて何もしてこなかった訳では無い。心当たりは全て回ってみたし、友人のツテを辿ってあちらこちらに声を掛けてみた。だが結果はこのざまだ。『JAの設計主任』。この名で損こそすれど、得をした事は一度も無い。皮肉な話だが・・・。本当に、私はこの時ほど『信用』の重さを痛感した事は無かった。ただ・・・ただ最後に訪れたあの会社。私の肩書きよりも、何かもっと別の・・・何かに脅えていたように思えたのは私の気の所為だったろうか。


書斎で最近の技術論文を読む。この方が幾らか建設的だ。だが空しい事にかわりはない。とそこへ下から呼び声がした。

「あなた、電話ですよ。」

妻の静枝が呼んでいる。私は一声返事をして階段を降りる。余談だが、私の部屋には電話を付けていない。コミュニケーションの減少が家庭崩壊の第一原因だからだ。

「誰からだい?」

「先技研の赤木さんだそうです。」

「!!」

その時の私の感情は、全く驚き一色で、他にはなにも考えられなかった。赤木?赤木律子博士!?私の知る限り、赤木を名乗る人物は一人しかいない。まして先技研――先端技術研究所といえば、日本、いや、世界でもトップクラスの研究機関。否応無しにあの染めた金髪が思い出される。私は恐る恐る受話器を受け取った。

「もしもし、替りました。」

『お久しぶりね。お元気かしら。』

「・・・やはりあなたでしたか。赤木律子博士。」

『他に誰が居るかしら。まあいいわ。用件を伝えます。あなた、うちの研究員にならない?』

「は?」

この質問は、全く、私の予想の域を越えていた。赤木博士が?私に??何を???

『うちで働かないかと聞いたの。もちろんお給金は弾むわ。そうね・・・前の勤め先の二割り増しでどう?ちゃんとボーナスも付くわよ。』

「そりゃまた・・・えらく好待遇ですね。何をお考えで?」

『別に裏なんて無いわ。ただ私はあなたが気に入ったから、うちで働いてほしいだけ。どうせ今仕事も無いんでしょう?』

「おかげさまで。良くご存じですね。しかし、二年前にあれだけ叩いておいて今さらどういう風の吹き回しです?」

・・・本当なら、私もこの時点で気付くべきだったのだ。何故彼女が「私が失業している事」を知っていたかという事に。確かに調べれば簡単に分かる話だ。だが何故調べたか?そして先の会社の対応。一体何時から、彼女は私を見ていたのか。そこに何の意図が在るのか・・・。だが不幸にして、その時の私はそういった事に一切頭が回らなかった。回せなかったというべきか。突然の彼女直々の電話で動転しない方が如何かしている。それらが全て計算ずくだとしたら・・・赤木博士は敵にまわしたく無い相手だ。・・・味方も嫌だが。

『あの時はそれこそ目ざわりだったもの。格闘戦を主体とした兵器にリアクターを内蔵するなんて正気の沙汰じゃないわ。下手に手を出されてこっちまで放射能まみれになるのはごめんよ。本当に役立たずなだけならまだ良かったけど。でも今はそういう心配も無いのは知ってるかしら?』

「ええ。もはや使徒の脅威は去ったとか。で、どういう事です?」

『簡単よ。私はあなたの技術的な面は高く買っているの。JAは対使徒用の陸戦兵器としては失敗作と言えるけれど、大型二足歩行ロボットとして見ればかなり高度なシステムだった。あなたがパーティー会場で言っていた事は全て、一面の真実と言えるわ。相手が使徒でなかったら最良の選択だったでしょうね。』

「・・・要するにこう言いたい訳ですな。もう使徒は来ないから、しがらみも捨てて一緒に頑張ろうと。」

『そういう事ね。どう?』

「お断りしたい所ですが、そう贅沢も言えませんからね。分かりました。お受けしましょう。」

悔しいが仕方が無い。ここで断っても、後に仕事がある保証ははっきり言って無い。年齢的にも、今年には四十というこの条件。おまけに彼女は相当に執念深い質の様だ。また敵に廻したら・・・ゾッとする。それならばいっそ、給料も増える事だし受けたほうが良い。人間焦りは禁物だが、欲張りすぎてチャンスを逃すのは愚の骨頂だ。彼女の言葉通りなら、私自身もそれなりに評価されているらしいし。後は彼女がどこまで信用できるかだ。もっとも、今の私をこれ以上いたぶっても仕様がないだろうが・・・。

後は、何時こっちに顔を出せば良いとか、研究所内での私の配置だとか、そういった大まかな所を聞いた。詳細な資料はFAXで届く事になる。もちろん重要な物は正式な書き留めだ。(このあたりのシステムは下手をすれば今後一世紀ほど立っても変わらないだろう。どれ程セキュリティが進歩しても、破り方が同様に進歩する以上、電子的な装置を介して重要な情報をやり取りすることはあるまい)

それによると、引っ越しは一週間後。住む場所は先技研内の研究者用の寮が提供可能。特にアパートを借りる必要もないのでこれにする。いろいろな事を考えると、どうも単身赴任になりそうだ。宇都宮から第三新東京市だから、それ程の距離が在る訳でも無いが、本当は家族揃って居たいのは言わずもがなだ。幸い私は家事一般が可能なので、妻無しでもやっていける。セカンドインパクトの混乱期に一人暮らしをして居た事がものを言う。(当時の私は院生だった。余談だが、丁度セカンドインパクトの年に東工大を卒業し、東北大の大学院に進んだ事で、結果的に今の私が居る。東京に残っていたら新兵器実験で塵になっていただろう)



「お父さん、一人で生活大丈夫?」

「大丈夫さ。これでも料理は得意なんだよ。」

「お料理だけじゃないでしょ。お掃除とかお洗濯もあるんだし、忙しいんだから何にも出来ないんじゃない?」

「その時はその時だよ。忙しい人の為には寮の掃除サービスがあるみたいだし、食堂なんかも遅くまでやってるらしいから。」

「ふーん。」

最初に施設の資料を見た時、私は正直驚いた。恐らく世界で唯一研究所内にあるコンビニ、24時間営業の食堂、専属の寮内家政婦(スパイの心配を防ぐ為、就職条件は非常に厳しいらしい)・・・とにかくありとあらゆる物が研究員の為に整備されている。理系の人間と言うのは比較的生活リズムが不規則である為、夜空いている所はありがたい。しかし・・・全てが機関に直結しているというのが気になる。需要のある所には供給が付いて回るのだから、何も機関が全てを取り仕切らなくても良さそうだが・・・。などと思考に走っていたら娘から怒られた。

「お父さん、何か考え出すと全然人の話聞かないんだから!」

「ああ、ごめんごめん。」

「悪いと思ってる?」

「だから謝ってるだろう。」

「じゃあ、おみやげ買って来て。」

「そりゃあ良いけど、帰ってくるのはずっと先だぞ?」

「じゃ、送って。」

「分かった分かった。何が良い?」

「何があるか分かんないよ。」

「それもそうだ。じゃあ、びっくりする物を送るのはどうだ?」

「うん、それで良い。楽しみに待ってるからね。」

「お前もいい子にしなきゃだめだぞ。」

「分かってるって。」

「良かったわね、裕子。さあ、晩御飯よ。今日はお父さんの好きなカレイの煮物にしたわ。」

「向こうじゃ多分食べられないだろうな。あってもこの味は出ないだろう。」

「手間掛けてるもんね。」

「さあいただきましょう。」

「「いただきます。」」

「いただきます。」

最後の晩餐。あまり良い言葉じゃないな、と私は思った。



「さらば愛しの我が故郷よ、か。今度ここを見るのはいったい何時の事だろうねぇ。」

去り行く宇都宮の街を眺めつつ感傷に浸る私。大学時代は離れてたじゃないか、とかそういう問題ではないのだ。あの時は若かったし、何より望んで街を離れたのだから。だが今は違う。家族を残し、生まれ故郷を離れ、そうして向かうのはかつての敵の住む街。何を喜ぶ事が出来よう。否、何も喜ぶ事は無い。・・・いかんな、失業時代に独り芝居の癖が付いたようだ。

一人で浸っていても仕様がないので列車の中を眺める事にした。さすがに早朝の特急だけに乗っている人数も少ない。もっとも、第三新東京市行きの列車が満席になったという話は聞いた事もないが。いろいろ見回しているうちに、一人の男に目が留まった。

年も風体も私と同じ様。見た所技術者っぽい雰囲気が漂う。なんといっても髪型と眼鏡が非常にはまっている。こんな列車に乗っているという事は、私と同じような理由なのだろうか?そう思い、声を掛けてみる。

「あの・・・失礼ですが、ひょっとして第三新東京市においでの方ですか?」

「あ、はい。そうです。先技研のほうに・・・。」

「や、これは奇遇ですね。私も本日付で先技研に勤務が決まりまして。あ、私時田志朗と申します。」

「あなたも先技研でしたか。私は清水豊と申します。私も今日から勤務で。ひょっとして赤木博士に招待を受けて?」

「あなたもですか?」

「そうです。本当に奇遇ですね。」

同じような境遇の人間はいるものだ。なにぶんこんな状態だから、この痩せてちょっと関西訛りの男に親近感を抱くのは至って自然の流れだった。

「・・・ほう、あのJAの。いや、噂は聞いた事があります。」

「ろくな噂じゃないでしょう?」

「確かにね。でもアレの凄さは分かりますよ。何と言いますか・・・技術の集大成ですよ。聞いた限りでも、積み重ねの頂点に立ってるだろう事までは伝わります。」

「有り難う御座います。今までそう言ってくれたのは部下だけですよ。おっと、赤木博士も少しは評価をしてくれましたがね。」

「あの人の研究は我々とは畑が違いますよね。アインシュタインが受け入れられなかったの、分かる気がしますよ。」

「もっとタチが悪そうですけどね。永久機関ですよ。これも噂に過ぎませんけど。」

「そうするとS2機関を研究をしてるという噂は本当なんですかね。確かに実在証明はされてるんでしょうが、完全制御となるとちょっとねぇ。」

「環境保護団体なら諸手で賛成しますよ、きっと。そして私がスケープゴートですかねぇ。」

「有りそうですね。」

「第一、S2機関と原子力じゃあどっちが安全かなんて本当は分かりっこないですよね。放射能を残すのと、辺り数十キロ跡形もなく消し飛ぶので大した違いがあるかどうか・・・。」

「対応さえ早ければ原子力の被害なんてたかが知れてますからね。確かに早かった例も無いんですが。」

「目に見えなくても在るのが気持ち悪いんでしょうね。壁の向こうが放射能まみれだと思うと夜も寝られない。絶対安全だと言ってもですよ?それなのにS2だと一瞬痛い目を見ればそれでいいんですから。」

「結局人間て奴は、じわじわ来る恐怖には堪えられないんですよ。いっその事バッサリなんて思想が、その良い見本でしょう。」

・・・・

世間話は延々と続く。おっと、もちろん業界人としての世間話だ。昼間閑人の井戸端会議と一緒にしてもらっては困る。あー確かに私も、ほんの先日まで昼間閑人だった訳だが・・・。



旅は道連れ世は情け。情けはともかく、道連れのいる旅は良い物だ。退屈な行程も難なくこなし、第三新東京市が見えて来た。

・・・なるほど、最初に見えた光景で謎が一つ解けた。『何故機関に全ての施設が集中しているか』。答えは実に簡単だった。

『街が無いから』

そこにあったのは巨大なクレーターだった。周りを何等かの建物が覆っており、そいつらを『街』と呼べなくもないが、仮にも首都移転計画の名の下に造られた都市とはおよそ言い難い。実の所、現在の第三新東京市がどんな街なのかと言うことは、全く知らなかった。昔のJAをいじっていた頃なら情報も入って来たし、それなりに知っていたのだがそうか、いつの間にかこんな姿になっていたとは。多分、使徒との戦いが原因なんだろう。そうすると、すべての施設は旧ジオフロントに集中せざるを得ない。つまり今の湖の下。確かに土地代も高そうだ。勢い全てを施設に詰め込んだ方が早いだろう。

私はそんな風に驚きと納得の心持ちで見ていたが、はて、清水君は驚いて無い様子だ。

「知ってたのか?こういう街だって事。」

「時田さんが知らないとは意外ですね。そりゃ一々ニュースでやったりしませんけど。」

「仙人暮らしをしてたもんでね。」

「分かりますとも。俗世が嫌になったら仙人暮らしは基本でしょう・・・」

こうして駅までの間、下らない話は続いてしまった。人間もっと建設的に生きるものだ。まあ良い事も一つは在ったがねえ。少なくとも清水豊氏とぞんざいな口調、平たく言えばタメ口の関係ぐらいまでは進んだという事は有益といって良いだろう。違っていたら私は泣くぞ。

・・・何はともあれ、かくの如く、私は第三新東京市に到着してしまったのである。

お土産何にしようかなあ・・・



後半に続く・・・

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