「虚無の闇を見上げて」

Ryo Kamizumi




 暗闇は嫌いだった。ずっと、ずっと昔から・・・
 幼い頃、好きだった男の子に意地悪され、暗い教室に閉じ込められた時も。
一時的な失明で、丸一ヵ月も光を奪われていた時も。
 そしてセカンド・インパクト。
 すべてが色を失い、輝きをなくしたあの時も。・・・ずっと嫌いだった。
 でも私には光がいくつも現れては凍てついた心を暖め、そして安らぎを与え
てくれていた。だから怖くはなかった。ほんの少し前までは。
(今は・・・違う・・・)
 今の私には何もない。
 魂をも震えあがらせるような手の届かない深淵。
 怖い・・・
(闇が深い・・・すべてを呑み込み、すべてを食らい、すべてを私から奪う闇)
 いつまで待っても陽光が訪れない永遠の夜。それは世界が三度目の大破局を
迎えた時から、この星には光というものが完全に姿を消していた。

”サード・インパクト”の闇−−−

 それは世界から光明というものを全て消し去っていた。
 自然の営みも。
 生命の脈動も。
 人々の暖かさも。
 そう・・・すべてを無へと変えてしまった。
(なぜ私だけが生きているの・・・?)
 奇跡のような悪夢だった。信じたくない現実だった。でも凍てついた寒風が
私を嫌でも楽園の記憶から強引に連れ戻す。

 光だけが存在すればいいのに−−−

 それは不可能な話。なのに何故、闇だけが存在していいの?
 これも人類の侵した罪ゆえのことなのだろうか。だとしたら私は最後の一人
として、神の審判を受けているというのだろうか。

 神。

 終焉の瞬間、私は確かに目の当たりにした。
 いや、神というよりは天使と言うべきか。背に光り輝く12枚の翼を持ったエ
ンジェル。人の姿をした天の御使いは、私のよく知る少年と酷似していた。
(シンジ君・・・)
 碇シンジ君。私とよく似た臆病な男の子。でも心はとても暖かい、私の心に
光を与えてくれた天の使徒。そう、彼は人でありながら人を超越した存在であ
るということ−−−あの瞬間まで知る由もなかった。
(教えて、シンジ君。教えてよ・・・)
 あれは神の救済だったの? 
 それとも神の苛烈な裁き?
何故あなたが”碇シンジ”という姿で私の前に現れたの?
どうして私を愛してくれたあなたが、私をこんな目に遭わせるの?
 私はそれが・・・知りたい。切にそう願う。
 だが、真実を知ったところで何も変わりはしないし、虚無の闇から光が生ま
れるわけでもない。あまりに無力な人間に過ぎない、私一人だけでは。
 すべては人の犯した原罪ゆえの定められた帰結・・・なのかもしれない。

『エヴァこそが人の犯した最大の罪・・・』

 彼がアダムと接触した時。一瞬、私に向けた眼差しはそう語っていた。
 人の造り出した究極の兵器エヴァンゲリオン−−−
 神の御使いに手を加え、他ならぬ神に対して刃を向けるために造られた背徳
の力。幾星層の刻を経ても黒の誘惑に打ち勝てない人間が、数えきれないほど
侵してきた罪の中で最も重く許し難い罪業。そう彼は言った。
 天の御使いの言葉、それは神の言葉でもある。私たちにあらがう術など持ち
得るはずがなかった。
(あなたと接した私だからこそ、この結末を見届けなくてはいけないの?)
 そうかもしれない。彼女は思い直す。
(あなたが・・・そして、レイが起こした神の御業。それこそがサード・イン
パクトの真の事実。でも私はあなたたちを憎んだり、恨んだりはしない。愚か
な人の所業を嘆いた神が、あなたたち相剋の天使をつかわしたならば。人の犯
した最大の罪を償うために選んだ答えが永遠の虚無ならば・・・私はすべて受
入れましょう。あなたに光を与えてあげられなかったこと。それこそが私の罪
なのだから・・・)
 どんなに彼を愛していたつもりでも。どんなに彼を支えてあげたつもりでも。
その想い、ぬくもりが届かなければ意味はない。私は傷ついた天使を救うこと
が出来なかったのよ。

 涙。

 加持をこの手にかけた時、とうに枯れ果てたと思っていた光の滴。
 内からわき上がる熱い涙だけが、私と過去をつなぐもの。でも失った刻の哀
しみはもう誰にも癒すことは出来ないだろう。

『ミサトさん・・・』

 シンジ君?
 今・・・聞こえたのはあなたの声?
 これも過去の幻影というのなら、もうこれ以上、私を苦しめないで!

『違うよ、ミサトさん。僕だよ』

 今度ははっきりと聞こえた。
 この荒涼とした大地に自分を暖めてくれるものは何一つとしてありはしなか
った。でも今聞こえるあなたの声のなんて暖かいことだろう?

『哀しまないで、ミサトさん。迎えに来たんだよ・・・』

 光。

 もはや二度と差し込むことはないと思っていた光。漆黒の天空を裂く柔らか
な波動。これは自分が一番求めていた者の心のぬくもりそのものだった。
「シンジ君・・・」
 光の渦は形となって、目の前に降り立った。
 ひどく懐かしく、そして求めていた者の姿。
「ごめん、ミサトさん。待たせてしまって」
「シンジ君・・・」
 立ち上がる気力もないと思っていた体のどこにこんな力が残っていたんだろ
う。私は次の瞬間、はにかんだ笑みを浮かべる少年に抱きつき、激しく泣きじ
ゃくっていた。
 黙って私の髪を撫でていた彼は、ややあって静かに告げた。
「神々による浄化−−−サードインパクトはね。決して人間を淘汰するもので
はないんだよ。来たるべき新世界のために、新しく誕生する生命のために。地
上に充ちた汚れを浄めるための神の御業だったんだよ。僕と彼女−−−レイは
単なる代理人、エージェントに過ぎないんだ」
「でも・・・地上の人間はすべて消えたことには変わりないわ・・・」
私は蚊の泣くような小さな声で呟く。
 恨みつらみは口にしないつもりでいたのに、人としての理性が釈然としない
ものを告げている。私に彼を責めさせる。
「・・・消えてはいないよ」
「えっ?」
「エヴァがなぜ背徳の力と呼ばれていたのか考えたことある、ミサトさん?
なぜ種として未熟な人類が手にしてはいけない力だと僕たちが言ったと思う?
それはね、あれが人々の魂を強制的に摘出・制御することの出来る、一種の霊
子転移兵器だったからだよ。時折、エヴァが暴走したのもそれに起因してたん
だ」
「エヴァに・・・そんな力が・・・?」
 声が上擦っているのが分かる。
 もしそうだとすると、本当に皆は生きているということ?
 種の存在を保ったまま、サードインパクト−−−神々の浄化が成されたとい
うことなの?
「それじゃ・・・リツコやアスカたちもみんな・・・」
 半信半疑な私の問いかけにシンジ君は小さく微笑み、手を差し延べる。
「・・・シンジクン
「行こう、ミサトさん。・・・みんな、待ってる」
 握った掌はとても暖かかった。
 そして、彼は高らかに告げた。
目指すべき天空の神に向かって−−−
  カ ナ ン
「”約束の地”へ−−−」

                     (虚無の闇を見上げて/完)



【構 想】 1996.2.29 [Thu]/1日
【執 筆】 1996.2.29 [Thu] 〜 1996.3.1 [Fri]/2日間

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