「よし、今から覗きに行くぞ!」
「「.........ハァ...」」

いきなりのムサシの発言にシンジとケイタは互いの顔を見合わせてため息をつく。
シンジ達は露天風呂に入っており、ムサシは遥か遠くにある女湯を目指す。
露天風呂という訳で旅館の外にあり、男湯から覗きに行く為には結構歩かなくてはならない。
しかもその道のりは長く険しく、通常のルートとは全く違う所を通る。

「ムサシ、なにも今から行かなくてもいいじゃないか。」
「...ケイタ、覗きに行く事自体を止めないの?」

シンジはケイタの言葉に呆れる。
口ではなんだかんだ言っても興味が無い訳ではない。
と、その話に乗る者が現れた。

「ムサシ、オレもその話に混ぜてくれ!」
「さすが望月先輩、男だったらこんなイベントを逃す筈ありませんよね!」

ムサシとヨウスケはガッチリと握手を交わす。
タツヤ、リュウスケ、ススムはそれを呆れ果てた表情で見ている。
そこへ加持が加わり問題点を指摘する。

「覗きに行くのは止めない...だがどうやって女湯まで行くつもりなんだ?
 通常のルートはリッちゃんがトラップを仕掛けている筈だ。
 それをくぐり抜けるのは不可能と言ってもいいぞ。」

何故か遠い目をしながら加持は話す。 おそらく何かあったのだろう(笑)
その事が気掛かりだったのかヨウスケもまたムサシに聞き返すが、言い出しっぺのムサシは自信有り気に女湯が在るであろう方角を見据える。
その表情からカヲルはある結論に達した。

「ひょっとして、ここから行く気なのかい?
 だとしたらそれは驚異に値するよ。
 ...つまり普通じゃないって事さ。」
「その通り!
 敵の裏をかく事こそ勝利への近道さ。」

そこに勝算があると睨んでいた。
ムサシはザバザバとお湯をかき分けて湯船から出て女湯を目指そうとした。
だがヨウスケはさすがに男湯から女湯までの雪道を行くというリスクに考え込む。

「う〜〜〜〜〜ん...女湯までは雪道を行かねばならないのか...」
「ちなみに直線距離でいうと20m前後、しかもほら、あんな上にあるんだぞ。」

タツヤが女湯があるであろう方角を見る。
位置関係からすると男湯は女湯の15m弱、下にある。
となると二つの風呂の織り成す角度は単純に表してもかなりの傾斜である。
だがムサシはそんな事などお構い無しにその傾斜を登っていく。

「これさえ登りきれば、ミサト先生やリツコ先生、モモコ先輩の裸体が!」
「そ、そうか! そうだったな、ムサシ!!」

ムサシの言葉の誘惑に負けたのかヨウスケもまた果敢に後に続く。
雪が舞い散る中、二人の男がフリークライミングを行う。 動機は不純、しかも手段として。
それを下から見る野球部員はただ呆然と二人が登って行く姿を見るだけだった。

「...加持先生、いいんですか?」

シンジは一応の引率であり、分別のあるであろう大人の加持に聞く。
しかし返ってきた答えは、おおらかでかつ無責任にも聞こえる言葉だった。

「シンジ君、オレは何も強要しない。
 自分で考え、自分で決めるんだ。
 後悔のないようにな...
 あの二人も自分で決めたことだ、オレがとやかく言う必要はない。」

加持の言葉にシンジは二の句が告げなかった。
そして既に半分ほど登りきったムサシとヨウスケは欲望を上げながら更に力強く登って行く。

「「ミサト先生の胸ぇ!
 リツコ先生の太ももぉぉ!!
 モモコ先輩の、ふ・く・ら・は・ぎ!!!」」

ある意味この二人は今という青春を謳歌していた。











大切な人への想い 外伝

平穏な日常

〜これって冬合宿なの?〜











カポーン

一方の女湯には二人の女性と三人の少女が入っていた。
女性はミサトとリツコで、少女はマナとモモコとそしてマユミである。
ちなみに時間帯はスキーから帰ってきての直後で、汗を流す為に露天風呂に入っていた。
何故ここにマユミが居るのか?
その理由は簡単で、ミサトに捕まってしまい有無を言わさず一緒に入らされてしまった。
もちろんシンジの手当ての時の事を聞き出す為である。

「えーと、マユミちゃんだったわよね。
 ゴメンナサイね、わがまま言っちゃって。」
「いえ、そんな事ありません。
 こうしてみんなとお風呂に入るのは楽しいですから。」

取り敢えずは社交事例という具合にミサトは話し掛け、そんな事には気付かずにマユミはちゃんと受け答えをする。
それを見ていたリツコは可哀想にと思いつつも表情には表さない。
そしてそこに人見知りを全くしないマナが加わってくる。

「ねえねえ、マユミさんはこの旅館の娘なんだって?
 いいな〜 毎日こんな大きなお風呂に入れるなんて。」
「そ、そんな事ないですよ、霧島さん。」

その一言に反応してマナは人差し指を突き立てる。

「マ・ナ。」
「はい...?」

突然の事に何を言われたのか理解できない。
次の瞬間マナはニッコリと笑ってもう一度マユミに言った。

「マナでいいよ。
 同い年の女のコに 「霧島さん」 なんて付けられるとちょっと痒くなっちゃうから。」

マナは言葉通りの仕草をして見せ、その事が面白かったのかマユミも笑う。

「クス、でしたら私の事も 「マユミ」 で構いません。」
「ありがと、私もそっちの方が言い易いからね。」

同い年という事も手伝って、あっという間に二人は仲良くなってしまう。
とそこに時期を見ていたミサトが、そろそろ頃合かと見定め、二人に入ってくる。
しかも逃がさないように音も無く近寄っていた所がちょっと怖い。

「マユミちゃんって、確かメガネしてたよね。」
「ええ、そうですけど...」

マユミはキョトンとしてミサトの質問に答える。
ミサトの作戦としては、何気ない話から一気に本題に入ろうとしている為に当り障りの無い事を話す。
つまりこの話は一見関係無いように思われるが、しっかりと本題にリンクしていた。
その事をこの場で知っていたのは、大学の時からの親友であるリツコただ一人だけだった。
しかしその表情は表れない。 おそらくリツコもまた興味があるのだろう...

「う〜〜〜〜ん、もったいないわねぇ。
 こんなに可愛いのに。」
「そ、そんな事...」

ミサトはマユミの顔をまじまじと見詰めて話す。
マユミの方は可愛いという言葉に反応して、顔を赤くして俯いてしまった。
ちゃんと否定はしたのだが、その声は小さくて聞き取れない。
その仕草が可愛くてミサトは抱きしめたい衝動に駆られたのだが、理性を総動員して本題に入ろうとする。

「マユミちゃんってモテるんじゃないの?」
「モ、モテません...」

マユミは恥ずかしくて湯船に視線を落としたまま動かなくなる。
しかしミサトはこの機に乗じて一気に本丸を攻め落とすような勢いで本題に入ってきた。

「じゃあ好きな人はいる?」

ミサトのその一言にピクンと反応し、瞬時にシンジの顔が浮かんできた。
その時の顔はもちろんあの時の笑顔同様に優しく笑っている。
その反応を見てミサトは確信した。

「例えば、ウチのシンジ君とか−−−」
「!」

マユミはシンジという言葉に過敏に反応して 「ボッ!」 という音を立てて赤かった顔から今度は湯気が出てきた。
そしてそのままブクブクと沈んでいく。
ミサトは最初は恥ずかしくてお湯の中に入っていったのかと思ったのだが、いつまで経っても出てこないので慌てて抱き起こす。

「ちょ、ちょっとマユミちゃん、大丈夫?」
「.........」
「キャー!! マユミちゃん!?」

ミサトの声に何の反応も示さない。
それどころか息もしていない。 さすがのミサトもこれにはビビリ、パニックに陥った。
ガクガクと肩を掴んで揺らすが、ただ頭がガクガクと揺れるだけで意識を戻す事はない。
そこへ天の助けという訳でリツコが冷静にマユミの容態を診る。

「フゥ、大丈夫よミサト。
 彼女はただのぼせただけ、とにかくここを出て休ませた方が良いわ。」

そして迅速な判断と行動力により、あっという間に彼女達は女湯から撤収する。
全てはのぼせてしまったマユミの為−−−
それから結果的にはムサシとヨウスケの覗きという悪事から身を護るという具合になった。

「「な、何故だぁ!
 何故女湯には一人も居ないんだ!!!」」

二人は声を揃えて心の叫びを上げる。
ま、せっかくフリークライミングという苦労をし、女湯まで登ってきたのに誰も居ないのでは叫びたくなるのも無理も無い。
二人の叫びはいつ果てる事無く続いたという。










☆★☆★☆











時間と場所が移り、夕食後の女の子部屋−−−
そこにはミサト、リツコ、マナ、モモコ、そしてマユミが居た。
話の内容はもちろんお風呂で聞けなかった事である。
4人からの追求(容赦が無い)を受けてマユミはタジタジであった。
しかも例によって例の如くミサトには酒が入っている。

「で、マユミちゃんはシンちゃんのどこに惹かれたの?」
「え? そ、それは...」
「そんなの決まってるじゃないですかぁ、シンジ君の最強の武器はあの笑顔をですよ。
 あれにやられたに違いありません。」

と、マナが入ってくる。
図星を突かれたマユミは何も言えなくなり、畳に視線を降ろす。
そしてモモコもその話に興味を覚えたのか加わってきた。

「そうよね〜
 それに碇君って線が細くって中性的な顔でしょ、私達3年生の間でも結構人気あるのよ。」

そんな事を言っているがモモコもまた満更じゃない顔をしている。
そもそも3年生で引退している筈なのに合宿に参加している事自体が怪しい。
よく見ると彼女の持っているグラスには酒が入っている。

「えー そうなんですか?
 3年生にまで人気があるなんて...あ、ひょっとしてモモコ先輩も?」
「だってカワイイじゃない、碇君って。
 特に恥ずかしくなって顔を赤くした時なんてもう、抱きしめてあげたいくらいよ♪」

アルコールが回り、本音がポンポン出てくる。

「そうそう、アナタ達は知ってる?
 シンジ君の人気は2年生にまで及んでいるのよ。」

今まで黙っていたリツコも加わってきた。
その情報源はもちろんMAGIシステムを利用してだ。
もっと詳しく言うと文化祭の時の親善試合で、シンジはその名前と才能と容姿を知らしめた。
そして文化祭の時に行われる企画の 『 BEST OF THE BEST OF THE BEST! 』 に急遽飛び入り参加が決定し、男子部門でぶっちぎりの1位獲得した。
投票の際にどこがお気に入りかを書く欄がありそこには、笑顔がカワイイ、真剣な顔がいい、汗を流しながら頑張ってる姿に惹かれた、などという想いがつらつらと書かれていた。

「えー そうなんですか!?
 でもそれって表面的な部分しか見ていないって事ですよね。
 そういうのってあんまりいい感じがしないなぁ。」
「それってどういう事なんですか、マナさん?」

マナのその言葉が気になり、思い切って聞いてみる事にした。
彼女にしてみればここまで他人の事を気にした事は無かったので、同時に自分に対して戸惑いも覚えた。
そしてマユミの意外な反応に押されたのか、はたまた酔いが回っていたのか、マナは自分が知っている範囲でシンジの事を話す。
シンジについてあまり知らないモモコもこれ幸いにその話を聞いていたが、最後の方になると自分の興味本位な所を呪った。

シンジの妹のレイの事、シンジの実の両親の事、一時期野球から離れていた事、そしてもう一度始めた事。
どれだけの悲しみと辛い思いをして今のシンジがあるかが分かり、その笑顔の裏にはそれを乗り越えた強さが隠されていた事を知った。
話が一通り終わるとその部屋は沈黙が支配した。
その一方男部屋では...

「デヤァ〜〜〜〜!!」
ズドオン!

ムサシの掛け声と共に枕が壁にぶち当たる。
本当はシンジを狙ったのだが紙一重の差でかわされた。
男子達は枕投げ大会をやっていた。
ルールは簡単、2チームに分かれてただひたすらに枕を投げ合う。

「甘いよ、ムサシ!」

僅かな動きで枕をかわしたシンジはお返しだと言わんばかりに投げ返す。
投げた枕は正確に、速く、そして威力も抜群。 その枕がムサシの顔面にヒットする。

ドガ!
「グぇ!」

カエルが潰れたような声を出して哀れムサシは一撃で昇天される。
ここはさすがエースといったところ、狙ったところに確実に、かつ力強く投げる。
そして周りにはシンジの活躍により何人かが転がっていた。
しかも顔面一撃の元にである。
こうして夜は更けて行き、女の子部屋では暗く静まり返っているのだが、男部屋では枕投げが延々と続いたという。










☆★☆★☆











「ふぅ、やっぱり落ち着くな...月の光か。」

シンジは障子を少しだけ開けて月を見る。
その表情はどこまでも優しいが、いつも見せている笑顔ではない。
今のシンジにとっては極稀にしか見せない一面、レイの事を思い出していた。

「レイ...」

無意識の内にその名前を口にする。
自分の大切な妹であり、護らなければならなかった人。
今はもう思い出の中にしか居ない。

スー...パタン

シンジは想いを断ち切るかのようにして障子を閉める。
以前のままであったら、野球を再び始める前であったら、シンジはそのまま月を見続けていた。
だが今のシンジには自分と同じ夢を持つ仲間がいる。
その仲間達のお陰で立ち直れた事を何度感謝した事だろうか。
だからこそ今の仲間達と一緒に甲子園に行きたいと切に願う。





「ん? あそこに居るのって山岸さんかな。」

シンジは気分転換に旅館内を当ても無く歩いていた。
時間も既に日付が変わる頃に達している。
縁側の所で彼女は座り、月を見ていた。
その姿が何故だか寂しそうに感じ、シンジは声をかける。

「山岸さん、こんな時間にどうしたの?」

突然声をかけられ、マユミは驚き振り向く。
そして振り向いたところに今まで考えていた人がそこに立っていた事に更に驚いた。
シンジの顔はマユミが初めて見た時と変わらずに優しい。
だがその奥には肉親との別れと辛い過去があった事をマユミは知った。
人は辛い思いをすればそれだけ人に優しくできると言う。
その優しさの意味を知ったマユミは今までとは全く違う想いをシンジに抱いた。

「少し寝付けなくて...」

シンジの問い掛けに顔を向けないで話す。
もし今、シンジの笑顔を見てしまったら自分が押さえられないと思ったからだ。
シンジの強さにマユミはそれほどまでに惹かれていた。

「隣、いいかな?」

シンジはごく自然に話す。
その言葉にマユミの心臓は大きく鼓動し始め、自分の気持ちが昂ぶってくるのがはっきりと分かった。
断る理由も無く、惹かれていたので静かに頷いた。
シンジはその仕草を見て一言お礼を言ってから、マユミとは少しだけ距離を置いて縁側に並んで座る。
マユミは近くに居るシンジを強く意識してしまい、俯き、顔が火照ってくる。
シンジはただ月を見上げ、マユミに話しかける。

「月...綺麗だね...」

その声は優しく澄み渡り、マユミの心に響く。
だがその言葉は優し過ぎた。
その裏にある哀しみを感じ取り、マユミは一筋の涙が伝う。
シンジはその涙を見てしまった。

「...山岸さん?」
「ゴ、ゴメンなさい。
 なんでもないんです...」

慌てて涙を拭い、顔を背ける。
だが拭っても拭っても涙は止まらなかった。

「どうしたの...」
「ゴメンなさい、私...」

マユミにはシンジが本当に心配している事が分かっていたのでポツリポツリと訳を話す。
他人の過去を興味本位で聞いた事をマユミは謝る。
一番泣きたいのはシンジの筈なのに、泣いていたのはマユミだった。
それでもシンジは優しくマユミの事を包み込む。

「ありがとう...僕の為に泣いてくれて。」

マユミの頭を自分の胸に引き寄せる。
それからしばらくの間、マユミは泣き続けた。
もう泣かないと決めたシンジの分まで...
そのマユミの気持ちはシンジに伝わった。

「レイ...それが僕の妹の名前。
 レイは月が好きだったんだ。
 昔は良く二人でいつまでも見上げていた。」

シンジは妹の事を話し始めた。

「その時のレイはとても綺麗だった。
 妹なのに...ちょっと惹かれてしまったんだ。
 月を見ている時の顔がとても優しく見えてね...」

月を見上げれば、その時のレイの笑顔が浮かぶ。

「いつも僕の近くに居た女の子。
 僕の事を想ってくれた妹。
 大切な...とても大切な人...」

シンジの想いは未だ鮮明に残っていた。
その想いはマユミに痛いほど伝わる。

「今はもう居ないけど、僕はいつまでもレイの事を想っている。
 かけがえの無い妹...大切な人だから...」

マユミを抱く手に少しだけ力が入った。
少しだけ−−− それはシンジの想いがそこには詰まっていた。

「...寂しく...ないん...ですか...」

シンジの胸に顔を埋めながらマユミは尋ねる。
悲しい時に、泣きたい時に泣けない事が可哀想でしかたなかった。
それとも流す涙がもう枯れてしまったのか−−− そんな思いにマユミは駆られる。
そのマユミの優しさに触れたシンジは優しい声で返す。

「寂しいよ。
 でも、ちょっとだけね。」

マユミはその言葉にシンジの顔を見上げた。
正直に寂しいとシンジが言うとは思わなかった。
けどシンジの笑顔は今までの、どこか翳りのある顔ではなく、奥に強さを秘めていた。

「今の僕には同じ夢を持つ仲間が居る。
 その仲間達に助けられたんだ。
 ...だから、僕は...大丈夫だよ。」

マユミにはその言葉が自分にではなく妹のレイに向けている事が分かった。
死んでしまった人をそこまで強く想える事に感動を覚える。
それと同時に今も強く想われているレイに嫉妬し、今の自分では決して敵わない事を知った。
自分には何もしてあげる事がない。
仲間達はシンジを助けた、そしてレイは思い出としてシンジの傍に着いている。
自分の居場所は無いのだ。

「...レイさんが羨ましいな...」

シンジの胸から抜け出し、俯いて呟く。

「そ、そうかな?」

マユミの言葉に恥ずかしくなり、顔を赤くし、頭を掻きながら返す。

「こんな素敵なお兄さんに想われてるんですから。」

その言葉はせめて笑顔で言いたかった。
初めて好きだと想った人の為にも...
そしてしばらく二人で月を見た後、それぞれの部屋へと戻っていった。










☆★☆★☆











「お世話になりました。」

加持が女将に最後の挨拶をする。
野球部の冬合宿は今日を持って終了なのだ。
期間は2泊3日。 結局野球の練習らしい事はしていない...
そもそも雪の中で野球をする事自体不可能な事、だからしょうがないと言えばしょうがないのだ。
この合宿でやったのはスキーと温泉と宴会と、遊ぶ事だけだった。
野球部全員は遊び疲れ、帰る為に送迎バスに乗り込む。
そしてシンジが送迎バスに乗ろうとした時、マユミが話しかける。

「碇君。」
「あ、山岸さん。
 3日間ありがとう、とても楽しかったよ。」

いつもの笑顔でシンジは答える。
その裏に隠された強さに惹かれたマユミはこの3日間が本当に短く感じられた。
出逢いは突然に、そして別れも突然に...
ようやく好きになった人を知ったのに別れなければならない。

人は出逢い、愛し合い、別れ、そしてまた巡り逢う。
その時の事は思い出として心に残る。
シンジとレイがそうであったように、マユミもまたそうであって欲しいと願う。
3日という短い間でも、自分がシンジに惹かれた事は確かである。
せめてシンジの心に自分が残って欲しいと願い別れを告げる。

「さよなら...
 また、来て下さいね、碇君。」
「うん。 じゃ、さよなら、山岸さん。」

今はまだ強くはなれない。 だが人は成長する。
その時にもう一度巡り逢えたのなら−−−

(大好きです、碇君)

シンジ達の乗ったバスが見えなくなるまでマユミは笑顔でいられた。




















「ねえシンジ君、山岸さんって...良い子ね。」

バスの中でミサトが聞いてきた。
片手にはエビチュを持ってである。 当然の事ながらからかいモードになっていた。
しかしシンジは焦る事無く即答で答える。

「はい、とても優しい人です。」

その時の笑顔がとても綺麗で何処か違う事に気付いた。

(シンジ君って、こんな笑い方だったっけ...)

何処か違う笑顔に魅せられ、ミサトの酔いの回った顔が更に朱色を帯びる。
僅かな変化だが今までの笑顔とは違う。
人は絶えず成長を繰り返す。 シンジはマユミに出逢った事で変わったのかもしれない。
それはほんの少しだけ...だがそれでいいのだ。
大事な事は一歩前に進む事なのだから。

シンジは窓の外の景色に目を向けて、この3日間の事を心に焼き付ける。
それは山岸マユミという名の女の子と共に。

























「ねえシンちゃん、山岸さんがシンちゃんの事を好きだって知ってた?」
「え?! それホントですかぁ??!」
「...そういうところだけは変わらないのね...」
「???
 変わるってなんの事ですか?」
「はぁ...シンジ君の恋人になる人は苦労するわ...」
「???」



平穏な日常 〜これって冬合宿なの?(後編)〜 完



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