「しかし…言われてしまったねえ…」

ごつい顔に苦い笑みを浮かべて、結城は頭をかく。

 

「せっ…先生は悔しくないんですかっ!!?」

噛み付くようにしてにじり寄ってくるカノエから、結城はたははと苦笑しながらあとずさる。

「はは…そんなことはないけどね…」

 

ぽりぽりと頭を掻いてから、一拍置いて続ける。

 

「でもまあ、日曜には彼らの言葉をはっきり否定できると信じてるよ。僕は」

 

「…勿論ですっ! あんな思い上がった連中は一度ガツンと叩きのめしてやらないと…!」

「はは…そうだね、叩きのめすかどうかはともかく…ん…? どうかしたのかな? 碇君?」

 

「…………」

 

「碇君?」

目を閉じて『ん〜…』と唸りながら考え込んでいるシンジに、結城がもう一度声をかける。

 

「…兄さん」

 

見かねたのか、相変わらず考え込んでいるシンジの注意を引くように、控えめに呼びかける。

 

「?」

 

「…………」

瞬時に反応して『なに?』と 視線で問い掛けてくるシンジに、レイはほんの僅かに困ったような

表情を浮かべる。

 

「…え…? …あっ、なんですか?」

それでやっと結城とカノエの視線が集まってることに気付いたシンジは、気まずさを紛らわすように

照れ笑いを浮かべる。

 

「いえ、ただ碇君が何か考え込んでいたようなので」

「ああ…はい。…さっきの…東城君…でしたっけ…? どこかで会ったことがあるような気がして…

ちょっと考えてたんですけど…」

そう語尾を濁しながら、シンジはもう一度頭を捻る。

 

「? 君が彼に?」

「ええ…」

不思議そうに首を傾げる結城に、シンジは躊躇いがちに頷く。

 

「はて…? 君が向こうに渡る前、どこかで会ったことがあるのかな…?」

「いえ…ではないような気がするんですが…」

「ふむ?」

「…うーん」

「こっちに来てから、街で偶然見掛けたとかじゃなくて?」

「…そういうんじゃ…ないと思うんですけど」

「…………」

「…………」

「…気のせい、かもしれませんね」

何となく、二人に無為な時間を過ごさせてるような気になったシンジがそれを打ち切るように僅かな

苦笑いを浮かべて首を横に振ろうとすると、

 

「…兄さん」

 

ふとレイが、見上げるようにしながら控えめに兄に呼びかける。

 

「…ん? なに?」

 

「…さっきの人」

「うん?」

「…私おぼえてる」

「え? ホント?」

目を見張るシンジにレイは、こくんと頷いてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 TIP OFF 】

 

第十二話『触れ合いと擦れ違い』

 

 

 

 

 

 

 

 

カラン…

 

視線の先で、殆ど空のグラスの中で氷が涼しげな音をたてるのを、シンジはどこかぼんやりした表情

で頬杖をつきながら眺める。

 

手元には雑誌が広げられてはいるのだが、ただ雑然と広げられているだけといった感じで、当のシンジ

は視線を落とす所か、底に雑誌を広げたことさえ忘れてしまったかのような素振りでいる。

先程から動きらしい動きといえば、目を伏せるようにして軽く首を振りながら溜息をつくことを何度

かしているくらいのものである。

 

「…………」

 

と、その視線の先にあったグラスを横からすっと伸びてきた白い繊手が取り上げて、硝子製の水差し

からゆっくりと麦茶を注ぎたしてから、静かにシンジの前に戻す。

 

「…ありがと」

 

先刻までキッチンで夕食の片付けをしていたレイに、シンジは頬杖をついたまま礼を言う。

レイは自分のグラスに麦茶を注いでシンジの対面に腰掛けてから、僅かに微笑みを湛えて首を横に振る。

 

「…………」

「…………」

 

こうしてレイが傍に来ても、シンジの態度は特に変わらない。

やはり、先刻からそうしているようにただぼんやりと頬杖をついているだけである。

変に構えることもなければ、むやみに気を遣うこともしない。

 

それがシンジの無意識からきているものであることに、レイの微笑みは深くなる。

 

絆。

 

ふと視線を上げればお互いに表情を伺うことができ、手を伸ばせば触れ合うことが出来る。

ここに居ることを許された、この距離が、彼と自分とのかけがえのない絆なのだろう、と思う。

そう実感できることが、レイにはたまらなく嬉しい。

 

 

…そしてたまらなくもどかしく、たまらなく遠い。

 

 

「…兄さん?」

だから、もしくはそれでも、レイはシンジに呼びかける。

 

「…ん、なに?」

頬杖は突いたままに、シンジは麦茶の湛えれたグラスからのろのろと視線を外しながら、無意識なの

だろう、軽く溜息をつく。

 

「…気になるの?」

そう訊くレイの顔に、特に表情は浮かんでいない。

 

「…え?」

シンジは、一瞬の沈黙の後目をしばたたかせる。

 

「…アノ人、少し変だったから」

レイは手元のグラスに視線を落とす。

 

「…うん…そうだね」

シンジは、今度は深く溜息をつく。

「…なんか、ね」

 

「…朝の?」

 

「ん…それは多分関係ないと思うんだけど…」

 

「…………」

 

そう言いながら、シンジの困惑は深みに陥っていく。

 

アスカが一体何を考えているのか、何を感じているのか。

 

自分の今日一日の、溯って帰国してからの、全ての行動を思い起こしてみても。

いくら考えても、答えが出てこない。

あれこれ想像はしてみるものの、そのどれもが見当違いのような気がしてならない。

思いついては否定する。その繰り返し。

 

今まで感じたことのない種類の、困惑。焦慮。

 

そういった未知の感情を、シンジは完全に持て余していた。

或いはパニック寸前と言い換えても差し障りないかもしれない。

 

 

帰国して。

 

再会して。

 

触れ合って。

 

抱き合って。

 

語り合って。

 

 

やっと、互いの距離を0に近づけたと。

やっと、心の底からわかりあえたと。

やっと、空白の時間を取り戻せると。

 

 

そう思ったのに。

それは錯覚だったのだろうか?

 

違うというのなら、なぜこうも彼女を遠くに感じるのだろうか?

 

わからない。

 

シンジは力なく、溜息をつく。

 

「…もう一度」

己の思考の内側に篭っていたシンジに、鈴の鳴るような清涼な響きのレイの呼びかけが届く。

 

「え?」

 

「もう一度、話してみたら?」

限りなく透明に近い、微笑みを浮かべて。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…うん。そうだね。一人でうじうじ考えてても答えは出ないだろうし。だったら出来ることをした

方がいいよね」

軽く溜息をつき目を伏せながら、シンジはほろ苦い笑みを浮かべる。

 

「…そう思う」

そのシンジの表情に視線を留めたまま、レイはこくんと頷く。

 

「…ありがとう、レイ」

 

「…………」

視線を返しながら礼を言う兄に、レイはゆっくりとした動作で、黙って首を振る。

 

「さて…と…」

早速電話をすべく立ち上がったシンジは、ふと思う。

 

 

…そういえば、三年前アスカと二人でいた頃はこんなことなかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

プシュッ

 

いつもなら、心踊るその爽快な音も、どこか虚しく響いてるような気さえしてしまう。

 

「…ハア」

 

早速開けたばかりの、缶ビールに口をつけながらも器用に溜息をつく。

 

何にしろ、彼女、葛城ミサトは有り体に言って困惑していた。

 

 

「これ、もういいんでしょ?」

「…え? あ、うん。ごちそうさま」

「はいはい、と…あんまり飲みすぎないでよ?」

「え、ええ」

 

 

彼女の眼前で、彼女の妹とでもいうべき娘が食卓に並んでいた空いた皿を次々とキッチンに運んでいく。

 

そう、彼女の困惑の原因は、まさにその娘、アスカであった。

 

今日は早番だったのに、彼女の帰宅時に、既にアスカが帰宅していたことにまず軽い違和感を覚えた。

それで、何とはなしにアスカの一挙手一投足に目を遣っていると、事ある毎に深い溜息はつくは、

物思いに耽るはで、どうもおかしい。

少なくとも今朝の段階までは、これ以上ないほどご機嫌だったあのアスカが、だ。

ここまできて、何か無いと思うほうがどうかしてるだろう。

そして、今のこの時期にアスカがこのような状態になる原因など元々考えるまでもないことでは

あったが、念のため、アスカが入浴してる隙にあれこれ物色した結果、キッチンの汚物入れにお弁当

丸々一食まんま捨てられてことを発見したことによって、確信を得るに至った。

 

とは言うものの。

 

それをどう切り出すか。

 

アスカの立ち居振舞いから察するに、少なくともアスカからこちらに相談を持ち掛ける気はないらしい。

とすれば、今のアスカに保護者面してホイホイ「シンジ君となにかったの?」などと聞こうモノなら

、あっさり「別に何もないわよ」とでも切り返されて敢え無く終了だろう。そこで、「そんなわけ

ないでしょ」などと不用意に訳知り顔で追い討ちをかけようモノなら、いつもの如く、いやいつも

以上の口喧嘩になって目も当てられなくなってしまうに違いない。

 

つまり。

 

彼女、葛城ミサトは有り体に言って困惑していた。

 

 

 

 

プルルルル、プルルルルル…

 

 

…いったいどうしたものかしら。

コトン、と缶ビールをテーブルに戻して、むうっとそのラベルを睨む。

 

 

プルルルル、プルルルルル…

 

 

…お風呂に一緒に…駄目ね、アスカが一緒に入ってくれるわけないし入ったら入ったで私が立ち直れ

ないほどのショックを受けるのもやだし。

 

 

プルルルル、プルルルルル…

 

 

…でも…このままほっとくわけにもいかないし。

 

 

プルルルル、プルルルルル…

 

 

「ちょっとぉ〜ミサトっ! 電話くらい出てよねっ!!」

「へ?」

 

 

プルルルル、プルルルルル…

 

「あ、ご、ゴメンっ!」

「もういいわよ! ったくこれだから酔っ払いは…」

エプロンを着けたままのアスカが、ジト目で睨みを利かせながらパタパタとミサトの脇を抜けていく。

 

 

 

 

プルルルル、プルルル…カチャ

 

「はい、もしもし?」

ゴメ〜ンと苦笑しながら両手を合わせるミサトを、アスカは相変わらずジト目で睨む。

 

『あ…』

 

「…もしもし?」

何となく予感めいたものを感じ、アスカはすっと視線を遮るようにミサトに背を向ける。

 

『あ…アスカ?』

 

「…!」

思わず、ビクリと身体が震えるのを自覚してしまう。

 

『あの…シンジだけど…』

 

「う、うん…」

 

『ちょっと、今いいかな…?』

 

「あ、うん。平気」

遠慮がちなシンジの問い掛けに、アスカもまたどこか遠慮したような口調で返す。

 

『あ、そう…えっと…』

 

「…うん」

何となく、俯き加減になってしまう。

 

『…………』

 

「…………」

 

『そ、そういえばミサトさんは…?』

 

「え? あ、ミサトならいつも通り食後の一杯とか言ってちびちびやってるけど…かわる…?」

 

『あ…ううん、それならいいんだ…』

 

「そう…」

 

『…………』

 

「…………」

 

『あのさ…』

 

「うん…?」

思わず受話器を握る手に、きゅっと力が入ってしまう。

 

『今日のアスカ…少し変だった』

 

「えっ?」

 

『なにか…おかしかったよ…』

 

「な、なによいきなり…」

何となく、さっきから息苦しさを感じる。

 

『なにか僕を避けてなかった…?』

 

「さ、避けてなんかいないわよ…別に…現に普通に話してたじゃない…」

努めて平成を装おうとするが、意に反しその声は上擦ってしまう。

 

『あ、いや…避けてるって言うのはそういう避けてるじゃなくて…雰囲気というか…意識というか…

そういうなにか…感覚的な部分で…なにかアスカがすごく遠かった』

 

「…………」

 

『…………』

 

「…………」

 

『嫌なんだ』

 

「…………」

 

『…………』

 

「…なにが?」

 

『折角アスカとまた逢えたのに、アスカがわからないのは』

 

「…あ」

肺からひゅっと空気が漏れるような、そんな感覚。

 

『いくら考えてみても、アスカがなんで僕を避けたのかわからなかった。情けないと思った。

こっちに帰って来て、アスカと逢って、アスカとわかりあえたと思ってたから。やっと距離が

縮まってアスカを近くに感じたばかりだったから』

 

「…………」

 

『だけど、そのままアスカが見えないままでいるのは嫌だったから。だから情けないけど、こうして

アスカに訊いてみることにした。情けないけど、何もしないでアスカとの距離が開いたままなのは

嫌だから。少しでもアスカを近くに感じたいから…』

 

「…………」

また、受話器を握る手に力が入る。

唇をきゅっと引き結ぶ。

 

『だからさ…アスカ? 僕に教えてよ。アスカは何を考えてるのかを。何を感じているのかを。何で

僕を避けてたのかを…』

 

「…ホントに避けてなんか…ないわよ」

唇を様々なカタチに変化させた挙げ句、絞り出すように言う。

 

『アスカッ!』

 

「…っ」

 

『嘘は言わないでよっ…! アスカは間違いなく僕のこと避けてたじゃないかっ…!』

 

「…………」

もしそこにシンジが居れば、俯き加減のアスカが何かを耐えるように、ふるふると震えていたのに

気付いたかもしれない。

 

『ねえ、ちゃんと言ってよ…アスカ…。言ってくれなきゃわからないよ…』

絞り出すような声。

切実な願い。

 

でも。

 

「…うっさいわねえ」

それがアスカの理性を奪う。

 

『えっ?』

 

「…うっさいって言ったのよっ!!」

一度外れた箍を再び自らの意志で嵌めなおす程の術を、今のアスカは持ちあわせていない。

頭の中が真っ赤に染まる。

 

『アスカ?』

 

「さっきから聞いてりゃなによっ!! なに!? あたしはあたしの考えてること、感じてること、

全部アンタに報告しなきゃいけないわけっ!!? 冗談じゃないわよっ!!」

感情の奔流。

アスカの蒼色の瞳が激しく揺れる。

 

『そうじゃないよ…っ!! 言い方が悪かったのは謝るけど…そうじゃなくって…僕は…僕はアスカ

が好きだからっ…だからアスカがわからないのは辛いし嫌なんだっ…だからっ…』

考える余裕などありはしない。

察する余裕などありはしない。

 

「あたしが好きだから? ホントに…ホントに好きなんだったらあたしの考えてることわかる筈でしょ

っ!! それなのにそんな言わなきゃわかんないなんて、おかしいじゃないっ!! ホントにあたしの

こと好きならあたしが何を考えてるかくらいわかってよっ!!」

自分でも何を言ってるかわからない。

それが正しいのか間違っているのか。

そんなのはどうでもいい。

 

『っ!!』

 

「どうなのよっ!!」

 

『…好きだけど…わからないんだ…アスカのこと…ゴメン』

懺悔。

それもまた、アスカの感情を逆なでする。

 

「っ!! 知らないわよっ!! 大っ嫌いっ!!!」

 

ガシャンッッ

 

 

「…………」

 

 

「…うっ…ひっく…うぐっ…」

受話器を押し付けたまま俯くアスカの肩が揺れ、やがてそのまま崩れ落ちる。

 

「アスカ…」

何時の間にかアスカの背後まで来ていたミサトが、しゃがみこんで泣きじゃくるアスカの肩を優しく

抱くようにして耳元に口を寄せる。

 

「…ううぅ…えぐっ…ううぅ…」

アスカの蒼い瞳から次々と溢れる大粒の涙が頬を伝い、その細い頤からぱたぱたと零れ落ちる。

 

「こっちいらっしゃい」

抱いた肩に力を入れて、ミサトが慈しむような調子で呼びかける。

 

…こくん

 

ミサトは肩を抱いたまま、ヒックヒックとすすり上げるアスカを促し、リビングのソファに座らせる。

 

「ほら、涙拭いて…カワイイ顔が台無しよ…?」

「…ひっく…うん」

ボックスから数枚ティッシュをアスカにとってやってから、その間に自分は立ち上がってキッチンへ

向かう。

 

 

「ほら、麦茶でも飲んで落ち着きなさい」

アスカの隣に腰を下ろしながら、テーブルに麦茶を満たしたコップを置く。

 

「…うん」

スンスンと鼻を鳴らしながらアスカがこくこくと麦茶を飲むのを眺めながら、ミサトは優しい声音で

口を開く。

「…今の電話…シンジ君でしょ?」

 

…こくん

 

「シンジ君と…何かあったの?」

 

「…………」

アスカは両手で持ったコップを見つめるように、俯く。

 

「…………」

そんなアスカを見守るように、ミサトは待つ。

 

「…どうしよう」

 

「え…?」

と首を傾げた瞬間。

「どうしよう…ひっく…ミサトぉ…! あたしシンジに嫌われちゃったかも…!!」

再びその蒼い瞳にいっぱいの涙を湛えたアスカが、ミサトに半ばしがみつくように抱き付いてくる。

 

「ひっく…えぐっ…うぐっ…ひっく…」

 

幼子のようにすすり上げ泣きじゃくるアスカの背とそれを覆う亜麻色の髪を、ミサトはゆっくりと

さすってやる。

 

「ほら…泣かないで、アスカ?」

 

「でも…でもぉ…えぐっ…ミサトォ…どうしよう…」

涙でぐしゃぐしゃになったアスカの顔は、これ以上ないほど青くなっていた。

 

「ね、何があったか私に話してくれる? アスカ?」

その頬を優しくさすってやりながら、ミサトはアスカの瞳を見つめる。

 

「…うん」

 

やがて、少し涙のおさまってきたアスカは、消え入るような声でぽつり、ぽつりと今の電話での遣り

取りを話しだす。

そんなアスカの背中を、ミサトは幼子をあやしつけるように一定のリズムで優しく叩いてやった。

 

 

 

 

「そう…それでアスカは電話を切っちゃったのね…」

アスカを抱きしめたまま、ミサトは苦笑気味に軽い溜息をつく。

「うん…だって…」

背中でそれを感じ取ったのか、アスカの口調が少し抗議めいたものになる。

「だって、アスカは一人で色々抱え込んで考え込んでるのに? 好きだけどわからないから、言って

くれだなんて言うのは、あんまりだって?」

言葉尻を捉えるようにして、軽い調子でそう言うミサトの顔を、アスカは少しビックリしたような

表情で見上げる。

そんなアスカにミサトは、それぐらいわかるわよ、とでも言うように微笑んで見せる。

「…うん」

躊躇いながらも自分の腕の中でこくん、と頷いて見せるアスカにミサトが口を開く。

「でもアスカ…? アスカ考え込んでることってなんなの? それが原因で、今日シンジ君を避けて

しまったんでしょ? 私に聞かせてくれない?」

 

「…うん」

 

「あたし…今日一日シンジがあのオンナと一緒に居るのを見て思ったの…」

アスカはミサトの柔らかい胸に、乾きつつあるものの、未だ涙に濡れた自らの頬を押し付ける。

 

そんなアスカの背を、ミサトは慈しむように撫でる。

 

「あの二人が、ホントに家族なんだなって」

深く溜息をついてから、アスカは目を伏せる。

 

「そう思ったら…なんだかスゴイ胸が苦しくなって哀しくなって、涙が出てきたの…」

言葉通り、アスカの声が少し湿ったようにかすれる。

 

「あたしも自分で自分が良くわかんなくて…なんでだろうって思ったけど…」

 

ミサトは、ただ黙ってアスカの背を、髪をゆっくりと撫でる。

 

「でもわかったの…なんで胸が苦しくなるのか、なんで哀しくなるのか…なんで涙が出てくるのか」

それに勇気づけられるように、アスカは言葉を紡ぎだす。

 

「自分でも知らないうちに、ずっとそこは自分の場所なんだと信じてた場所がもう埋まってたから。

もうあのオンナが居たから。あたしが立ちたかった場所にはもう別の、あのオンナが立ってたから」

ミサトの服をきゅっと握るアスカの手に力が入る。

 

「あたしは…誰よりも早くシンジの笑顔が見れる、誰よりも早くシンジを抱きしめてあげられる、

誰よりも早くシンジに抱きしめてもらえる、ほんの少し手を伸ばすだけでシンジと触れ合うことが

出来る…あたしはシンジの家族になりたかったんだって」

再びアスカは深い吐息をつく。

 

「でも…それがわかったら、今度は自分がわからなくなったの…」

その悲しみに歪んだ顔で、アスカはミサトを見上げる。

 

「あたしは、これだけははっきりと間違いないことだって言えるけど、シンジのことが好き。それは

ホントのこと。でも、それはどういう好きなのかなって…。あたしはシンジの家族になりたい。あたし

はあのオンナになりたい。でも、それってあたしの好きはホントの意味での好きじゃなくて…家族に

対する好きなんじゃないかって…。そうじゃないって思いたいけど、言いたいけど、でもわからないの。

だって…あたしがあのオンナの居る場所に立ちたいって思ってるのは間違いないことだから…」

 

力なく首を振るアスカの頬を、ミサトは両手で挟む。

「だからシンジ君のこと避けてたの?」

 

「うん…なんか良くわからなくなって…もしシンジの好きがホントの好きで、あたしの好きが家族に

対する好きだったら…あたしはあいつに応えてやれるのかなって…」

 

再びアスカの瞳から大粒の涙が、ほろりと零れるのを親指で拭ってやってから、ミサトはにっこりと

した微笑みを見せる。

 

「アスカ? あたしはアスカじゃないから、アスカが本当のところどうだってのはわからないわ」

 

「…………」

 

「でもね…? 普通ホントにホントに人を好きになると、大体こんな風に思うと思うわ」

 

「…?」

 

「その人の、一番になりたい。一番最初に抱きしめてあげられる人。一番最初にキスしてあげられる人。

そして、一番最初に触れ合える人。それが出来る全ての女になりたい…ってね」

 

「でも…」

 

「まあ、聞きなさいって。これはアスカが、そしてシンジ君も勘違いしてることだと思うんだけど…。

人は基本的に一人よ。間違いなく、ね。いくら互いに好きあっても、いくら互いに気が合っても、

相手の全てを理解するなんてことはできないわ。たとえ、どんなに深く愛していても。察することに

だって限界はあるわ。何故なら、お互いがお互いで独立した一人の人間なんだから。好きだからわかり

あえるなんて幻想よ…」

 

「…………」

 

「でもね、それさえちゃんとわかってれば、補い合うことはできるわ。支え合うことも出来る。抱き

合って温もりを分かち合うことで、心を安らげることも出来る。それが出来るのがパートナーって

もんだと思う。それが愛し合うってことなんじゃないかと私は思うの…」

 

「…よく…わからない」

 

「そうね…きっと私も、いきなり人からこんなこと言われたって良く理解できないと思うわ」

たははは、とミサトはほのかに苦い笑いを浮かべる。

 

「だから、アスカも自分で考えなさい。悩んで悩んで、自分で今どんなところに立ってるのか、理解

しなさい」

 

「…………」

 

「これは私見だから、聞き流してくれていいんだけどね?」

ミサトは少し悪戯っぽい表情で、ぱちりと固めを瞑って見せる。

 

「…うん?」

 

「アスカは…それにシンジ君もね、やっと普通の恋愛をし始めたってことじゃないかと思うわ。

要するに、初恋ってやつね。思いっきり遅刻してきた初恋」

ミサトは可笑しくてたまらないというように、くっくっくっと喉の奥で笑う。

 

「…でも」

少し困ったような表情をするアスカに、ミサトは続ける。

「だから、これは私の私見だってば。あなたはあなたで自分の答えを見つけなさい?」

 

「…うん」

 

「ただね? 明日学校でシンジ君に会ったら、ちゃんと謝っておきなさいよ? 思いっきり傷ついてる

だろうから。それで、その上で、アスカがどうしたいのか簡単に言っておくといいわ。シンジ君だって

アスカが変だって心配してるんだからね?」

そう言ってもう一度ウィンクして見せる。

 

「…うん、わかった」

少し強めに頭を撫でてくるミサトの掌をくすぐったそうに見上げながら、アスカが頷く。

 

「ん、ならお風呂入ってきなさい? そのまんま寝たら明日タイヘンよ?」

 

「うん」

泣き腫れた、少しみっともない顔でアスカも微笑む。

 

「ミサト…?」

 

「うん?」

 

「あの…ありがとう…」

 

頬を赤く染めて恥ずかしそうにそう言うアスカに、ミサトは少し呆れたような表情を見せる。

「あのね、私とアスカは家族なんだから当たり前よ」

 

 

「うん…だから…ありがとう…」

 

 

「…いいえ。ほら、行きなさい」

嬉しそうな、見ている側までも幸せにするような笑顔でミサトが微笑む。

 

「うん」

だから、アスカも精一杯の幸せな笑顔で応えてみせる。

 

 

(第十三話に続く)

 

 


 

 

後書き

 

ふう…一瞬SS書けなくなったかと思って焦ってしまいました(^^;;

 

って訳で12話お届けしました。

 

如何だってでしょうか?

出来ましたら感想など聞かせてもらえると有り難いです。

 

 

それでは、今回はこの辺で。



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