Days After Eva

1、「5年後そして街」

1−15,2000
行里




全てを破壊しつくし、10億の人命を奪った、忌むべきサードインパクト。
あれから5年



2020年
日本
長野県

第2新東京市、
此処もまた、グリッドで区切られた街。
建設音が鳴り響く、普請中の街である。

格子状に張りめぐらされた道路のアスファルトは、強烈な日差しに溶けて、べたついている。
路面から立ち上がる陽炎。
大気の揺らぎの、滑らかな舌は、高層ビルをねっとりと舐め上げる。
人類の英知の結晶であるハイテクビルは、まるで砂漠の蜃気楼のようだ。

サードインパクトから、まだ5年なのである。
驚異的な復興を遂げる人類。最優先で整備される、ここ第2新東京市。
真新しい建築は、見る者の人工的な印象を強くする。
それは周囲に今だ残る、惨劇の痕跡と、皮肉なコントラストをなす。
殺人の現場から、逃げ出すようにして、建設された都市。
次々に建設されていく、最新の美しいビルや道路は、しかし儚い紙細工にもみえる。

… 街 …。
そう、弱い人間が、逃げ込むために造った場所。





市の中心部から、30キロも離れると、そこはもう放置された、広大な原野が広がっている。
戦略自衛隊、松代第2演習場。

演習場全体を見渡す、小高い丘の上に、二つの人影がある。
軍服の襟元の徽章から目算をつけるなら、現場を統括する指揮官と、見習いの士官候補生といったところだろうか。

上官の横顔は、彼の階級からすれば、かなり若く見える。
おそらく30代半ばであろうか。
軍人らしく短く刈った髪を、きっちりと撫で付け、固く結ばれた口元からは、確かな意思が感じられる。肩幅の広い、がっちりとした、堂々たる体躯である。

それに比べると、斜め後ろに従う青年士官は、いかにも線が細いように見える。
年のほどは、二十歳前後だろうか。
柔らかな前髪を、夏の野に優しくそよぐ風に、なびかせている。
しかし彼も軍人であるとなれば、痩せぎすのように見えて、軍服の下の肉体は、しなやかな膂力に満ちているのだろうか。


「ここの所、新兵器の実戦配備が相次いでるね。
予算をぶん取ってくる事務方の努力には、敬意を表するが、仕様が変わるたびに対応を迫られる現場は、あたふたするよ」

上官が、目線を演習場に据えたまま、しかし気さくな口調で、話し掛ける。

「はい、例のN2弾頭搭載の、小型戦術ミサイルですね。
地下施設攻撃の為の。」

やや生真面目な口振りで、青年士官が応じる。

「そうそう、話は変わるけど、あの兵器は軍事戦略を変えるよ。
戦場を変えるね。第1次世界大戦における、機関銃の登場みたいなものだ。
今までのN2兵器は、抑止力にはなっても、実戦での使用は事実上不可能だ。威力がありすぎるからね。周辺地域の、民間施設の再利用が、不可能になってしまう。
湖が増えて、地域の自然環境には、良いかもしれないけど」

「はは。ここ日本でも、昔は芦ノ湖は1つだけでしたからね。
しかし、兵器の威力が抑制されることで、戦場が活発化するというのも、皮肉な話ですね」

「いえてるね。世界戦争も、大量殺戮も、もはや起こり得ない。
大きな物語はすでに終わったあとの、相互依存の平和な世界さ。
ただそれと同時に、世界の何処かしこで、地域紛争はだらだらと続いて行くんだ」

と、ここまで言ったあとで、上官が、ふと何かに気づいたといった風情で、振り向き、面白そうに言葉をつなぐ。

「いや、そうじゃないかも知れないな。
何しろ、つい5年前に、『人類を守る為の正義の戦い』なんてものが、存在したのだから。
君はその当事者だったね。碇シンジ君。
いやいや、羨ましい限りだよ」

「羨ましいだなんてそんな。
当時の私は、まるで子供で、状況に流されていただけですよ。
それに今となっては、あれが正しいことだったのかどうかさえ、私には判りません。」

そう答えたシンジの表情には、しかし謙遜とは別の種類の、困惑が見て取れる。
それらの感情は、コンクリートを割って咲く花の種子のようなもので、感情を表に出すまいとする硬質な努力を、無力化してしまう。

上官はさりげなく顔を前に戻すと、何事も無かったような、変わらぬ口調で続ける。

「いや、私は今、本心から言ったのだよ。どうか皮肉と受け取らないでくれたまえ。
あのときの、ネルフやゼーレの真の目的が何だったのか、今となっては分らない。
そして、我々戦略自衛隊も、ネルフも、血を流した。
しかしいずれにしても、君は、濁流のような運命の中で、やれるだけのことは、やったんだ」

「ありがとうございます」

短くそう答えたシンジの相貌は、夏の野の爽やかな風の中で、幾分和らいで見えた。

今しも大規模な陸空合同訓練がおこなわれ、夏の野に、轟音が鳴り響く。
それとは対照的に、野は、撫子、露草、薊(ナデシコ、ツユクサ、アザミ)の花々に彩られている。





∽∽∽





ケンスケが、その視線に気がついたのは、アンコールが終わって、席を立とうとしたときだった。
3列ほど離れた席の、女の子が、彼のほうを見つめている。最初、自分の後ろに友達でもいるのかと、振り返ってみたが、そうではないらしい。
黒のパンツに、白のノースリーブのシャツをあわせた、なかなかカワイイ子だ。ここが、学生向けの割安な座席である事を考えると、音大生であろうか。

(おいおい、これってもしかして、逆ナン(パ)?
よーし、まずは喫茶店でも入って、今日のコンサートの話で盛り上がって。
それから、………。)

と、ケンスケがそこまで考えを巡らせているうちに、女の子のほうから、軽快な足取りで歩み寄ってきて、話し掛けた。

「あの、違ったらごめんなさい。
もしかして、相田ケンスケさんですか?」

(あれ、知り合い?おかしいな)

「あ、はい、そうですけど。
何処かで、お会いしましたか?」

「あ、覚えてませんか?岡崎キョウコです。
一ヶ月ほど前に、戦自の駐屯地に、碇さんを訪ねていらっしゃったときにお会いした。」

「あー、思い出した。俺が航空機の写真を、撮らせてもらいに行ったときに会った。
確か、シンジの後輩だよね」

「そうです、そうです」

「でも意外だなあ、戦略防衛大学の人が、クラシックのコンサートだなんて。
あ、いや、悪い意味じゃなくてね。
その、ここの雰囲気に馴染んでたから、音大生の人かな、なんて思っていたもんだから」

「いいんです。実際、わたしの周りに、クラシックコンサート一緒に行ってくれる人、いなくて。
だから、今日も、一人で来たんですよ」

「あれ、それならシンジを、誘えば良いんじゃない?
あいつも一応、チェロを弾いたりするし」

「え、えぇ、そうなんですけど。
なかなか、そんな勇気が出なくて………」

視線をずらして、少しはにかみながら、答えるキョウコ。

(あー、はいはい。
要するにそういう訳ね。俺に話し掛けてきたのは。
まったく、世の中上手く出来てるね。
神様に皮肉の一つも、言いたくなるよ)

「あ、岡崎さん、この後、時間大丈夫? こんな所で立ち話もなんだから、良かったら、近くの喫茶店にでも行かない?」

柔らかな口調で。
しかし、やや早口で、キョウコの曖昧な語尾に被せるようにして、ケンスケが促す。





テーブルの上に花瓶の飾られた、感じの良い喫茶店である。
もっともそこに活けられた花は造花のようで、緑の葉は、プラスティック特有の鈍い輝きを、抑えた白熱灯の照明に返している。

「相田さん、連れの人は、良かったんですか?」

「いいの、いいの。
あいつ、悪い奴じゃないんだけど、クラシックは純粋で曇りが無いとかなんとか、煩いんだよね」

「あ、なんとなくわかりますよ、それ。
なんだか浮世離れした表現で、音楽を語る人っていますよね」

「そうそう、クラシック音楽好きは、マニアが多くて困るよ」

だいたい、「純粋な芸術」という表現からして、ケンスケにとっては、形容矛盾なのである。
芸術とは、人間の不純な部分を集めて作り上げたもの。
純粋な物を追い求めるのは、哲学者の仕事であって、およそ芸術家の仕事ではない。
アンヴィバレンツな客観性こそ、何かを創造する人間に、必要とされるものである。………

ただ、こんな考えの持ち主であるケンスケの、以前の趣味が「盗撮」だったということは、ご愛敬である。
まさか、芸術の客観性の為に、隠し撮りをしていたわけでもないだろうけども。





音楽についての話題が一段落すると、しばらくして、2人の共通の知人であるシンジに関する事柄に、話題が移った。

「碇?あいつなんて、中学校の頃は、いじめられっ子で通ってたよ」

「あいつが、自分から軍に入るなんて、ほんと意外だよ。
確かにあいつは、エヴァのパイロットだったさ。
でも、そんな役回りは、優しい性格のあいつには、まるで似合ってなかったっていうか」

「自分がエヴァのパイロットだっていうことに、傷ついてる面もあったんじゃないかな」

まあ、俺なんかはミリタリーマニアだったから、あいつが羨ましかったけどね。能天気なもんさ、そう言ってやや大袈裟に、楽しそうに笑う。

「まるで、サイズの合わない靴に、無理やり足を突っ込んでるようなもんさ」

ケンスケのシンジに対する心情は、複雑らしい。
特別な境遇に対するやっかみだけではなく、シンジに対する同情もあるようだった。
痛々しかった、とはさすがに形容しなかったけれど。

「とにかく、あいつは特別なやつさ」

たまたま通りかかったウェイトレスを、ふと横目で見ながら、ティーカップを口に運ぶ。





でもケンスケさんも、飛び級で大学に入っているじゃないですか。それに、あの第3東京市で、特別な経験をしたんでしょう?

「どうかな、オレはただの傍観者だよ。サードインパクトの時は、当然、疎開していたわけだし。
なんていうかな。シンジには、運命が向こうから歩み寄ってくるんだよ。望む、望まないなんていう、本人の希望じゃないんだね。近くで見ていて、そう感じたよ」

「飛び級に関しては、……
まぁ、簡単な事だよ」

ケンスケの口振り通りに「簡単な事」かどうかはともかく、人材不足の折、政府が飛び級を奨励しているのは、事実である。左翼系の新聞などは、エリート主義につながるとして批判したが、人口が激減しているのだから、仕方が無い。
それに、生と死が薄皮1枚で隔てられたサードインパクトを経験して、何の影響も受けずに、普通の子供でいろと言われても、無理というものだ。
そんなわけで、多感な時期にサードインパクトを経験した世代にとって、飛び級と、犯罪者と、宗教家は珍しくない。





「つーかさぁ、あいつファザコンなんだよね。父親意識しすぎ。
知ってると思うけど、あいつの親父さんが、ネルフの司令でさあ。ま、言ってみれば、職場の上下関係でもあったわけだから、意識すんなっていうのも無理かもしれないけどさ。
でもオレにいわせれば、父親なんて元来、他人みたいなもんでさ。他人として眺めれば、許せる事も多いんだよ。」

シンジに関して、多弁になるケンスケ。
もともと、自分が知った情報を、他人に話して自慢したいたちである。あの伝説の、第三東京市や、ネルフに関する事なら、なおさらだ。
しかし、大分収まってきたとはいえ、旧ネルフ関係者に対する風当たりも、依然として存在する。そういう事情で、不本意ながら、当時のことについて話すことを、普段控えていたケンスケである。
キョウコが、シンジの戦自での同僚(学生兼軍人という扱いとなる)で、しかもシンジに対して好意的ということで、気を許したのかもしれない。

意外なことに、サードインパクト後の、戦自内部におけるネルフに対する反発は、一般市民のそれほどではなかった。敵対していただけに、かえってスポーツのライバル同士のような意識が、芽生えたのかもしれない。
とはいえ、スポーツと違って、お互いに死者を出している。
その後の日本にとっての国際情勢の厳しさが、国内で対立している暇を与えなかったというのが、実際のところであろう。
結局、日本におけるネルフの組織及び施設は、日本政府及び戦略自衛隊に吸収されることとなった。

「ま、さっきの話じゃないけど、シンジなんかのように、自分自身が、芸術になっちまう奴もいるんだねぇ」

「芸術、ですか?」

「うん、運命の主人公になるっていうのは、そういう事なんじゃないのかな。
本人は、そんな風には思ってないだろうけど。
あ、これは余計な話だったかな」





「ところで、岡崎さん。
君、シンジのこと、好きなんでしょう?」

場所は、喫茶店からバーに移り、2杯目のラムを空けたところで、ケンスケが話を振る。

「え、えーと、その」

突然の問いかけに、キョウコの手が止まる。
カクテルグラスの中の、オレンジ色の液体が、波打つ。

「いいって、いいって、隠す必要ないから。
そうそう、これはここだけの、極秘情報なんだけど」

と、ここでいったん言葉を切り、やや大袈裟に周囲を伺うようにしてから、顔を寄せる。口調も、わざとらしく、かしこまっている。
そして、悪戯っぽく、反応を楽しむように、キョウコの瞳に、視線を向ける。

「来週、もう一人の運命の主人公が、1年ぶりにアメリカから帰国する………。
彼女は、君のライバルになるよ。それも最大の」

「えっ、それって、もしかして………」

「そう、かつてのセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー。
18歳のときに、2つの博士号を取得した、才色兼備の天才だよ」






「Phenomenal Recovery」

<続く>



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