spy

6-26,2000
行里





結婚式の二次会から流れて、適当に入ったバー。

あまり深追いすると火傷するわよと、彼女が言った。
ダークブルーのパーティドレス。
金髪のショートカットから剥き出しになった耳に、メレダイヤのピアスが光っている。

E計画における責任者としてではなく、学生時代からの友人としての忠告だという。多分、本当にそうなのだろう。けれども、素直には聞けない。
知らない振りをして通り過ぎるには、余りに深く関わってしまった感がある。
(真実に近づきたいだけだとも、言えないな。真実味が無さすぎる。)
それに、ゼーレとネルフの間でバランスを取っているという役回りが、碇司令あたりには理解しやすいはずだ。
委員会とネルフは、腹の探り合いに余念が無い。ただし、表立って対立するのは、まだ先の話だろう。
手駒として便利なダブルスパイ、そうでなければ、とうに拘留されている。
ならば、割り振られた役柄を、演じきるまでだ。

「俺が、組織に反発してるって?
冗談きついよ、りっちゃん。
俺の反抗心なんざ、無農薬野菜を育てるぐらいさ」

「ふふ、りょうちゃんがそう思いたいなら、そういうことにしておいてあげるわ」

気に懸かるような言い方を、してくれるじゃないか。
彼女はいつもそうだ。
秘密の中心にいて、全てを知っているような顔をしている。

「どうせ火傷するなら、りっちゃんとの火遊びがいいね」


「変わんないわね。そのお軽いとこ」

そのとき丁度、葛城がトイレから戻ってきて、絶妙のタイミングで突っ込んでくれた。
俺は、心の中で感謝を捧げつつ、グラスを傾ける。




りっちゃんが途中で抜けた後、さらに1時間ほど飲んだ。
今日の葛城は、ペースが速い。ショートのカクテルを3杯ほど空けた後に、バーボンに移っている。
たわいもないような話で盛り上がって、よく笑う。
敢えて昔のように振舞っているのだから、お互いにややぎこちないのは、仕方がない。
俺は、柄でもなく緊張していたのかもしれない。いつもより、酔いが回るのが早い気がする。

「こうやって二人で飲むのって、何年ぶりかしら。
加地君とは、再会したいような、したくないような気分がしてたわ。
リツコが言ってた相反する要素、ホメオスタシスと何とかってやつね。」

「そうだな。月並みだけど、先の予測がつかないのが、男と女の関係さ。
だから面白い。」

アルコールが導く、幾分投げやりで優しい空気。


程よくいい気分になったところで、葛城が俺の手を引いて、店を出る。
少し残念だったのは、それがロマンチックな事柄への、誘いではなかったことだ。
雑居ビルの狭間で、しゃがみこんだ肩越しに頼まれた。

「ねえ、背中さすってくんない?ちょっち飲みすぎちゃったみたい」




商業区域から住宅区域へと向かう国道に、人気はない。
葛城は、ハイヒールを手に持って歩いている。未だ履き慣れないから疲れちゃうのよね、そう言って笑った。
火照った頬に風が当たって、適度に熱を冷ましていく。
街灯に幾匹もの蛾が群れていて、微かに金色の鱗粉を散らしている。

「加持君、わたし変わったかな?」

「きれいになった」

実際、別段お愛想でなく、そう答えた。
洗練されて綺麗になっているし、年を取る事で溜まる澱のようなものとは、無縁に見えた。
もっとも、そこら辺は、本人も意識しているだろうけども。

「ごめんね、あの時は一方的に別れ話して。
好きな人が出来たって言ったの、あれ嘘。ばれてた?」

「いいや」

答えた自分の声に、抑揚がなかった。
言葉を探しつつ、まとわりつく羽虫を振り払う。ガードレールのさびが目に入った。

「いいの、言わないで。
分かってるわよ。過去を感情で塗り替えてるってね。
でもね、これは可能性の問題なのよ」

酔いが覚めてきたせいだろうか、葛城の顔が青白く見えた。

「可能性?」

「そうよ、こうであったかもしれないというね。
だってそうでしょう?
なにも私たち、Evaに付き合う必要はなかったのよ。
セカンドインパクト世代なんてレッテルに、縛られる義務なんてない。
ううん、後悔してるんじゃないの。ただ思うのよ。
人生が一人につき、たった一つしかないってことは、全く意味のない事実だってね」

そして、更に言葉を続ける。

「気づいたのよ。加持君が、私の父親に似てるって。
自分が男に父親の姿を求めている、そう思ったとき、怖かった。
父を憎んでいたわたしが、父に似た人を好きになる。
全てを吹っ切るつもりでネルフを選んだけれど、でも、それも父がいた組織。
結局、使徒に復讐する事で、みんなごまかしてきたんだわ。
ごめんね本当。酒の勢いで今更こんな話」

物事はそこまで単純ではないような気がしたが、そうであるような気もした。
過去を感情で塗り替える行為?
偶然を必然に、衝動を意思に置き換える行為?
そんなことは、別に構わない。
許せないのは、葛城が、許してもらいたがっているということだ。
これでは全く、わざと悪戯をして、執拗に許しを請う子供ではないか。
不意に、酔いがぶり返したようになって、目眩を感じた。

「その上こうやって、都合のいいときだけ、男に頼ろうとするずるい女なのよ。
あのときだって、加持君を利用していただけなのかも知れない」

「もういい、やめろ」

言葉を遮ったものの、少し事態が好転したように感じた。
男と女の甘えなら、小さな子供の、父親に対する甘えよりもずっとましだ。少なくとも俺にとっては。

「自分に絶望するわよ」

結局、シンプルに振舞うのが一番だという、結論に達した。
抱き寄せて、唇をキスで塞ぐ。
人の気持ちが曖昧なものであるなら、一層曖昧な振る舞いも、必ずしも悪くない。
相手の体から、柔らかな重みが伝わってくる。
手から滑り落ちて、アスファルトに落ちた白のハイヒールが、光を反射して葛城の涙のように見えた。






∽∽∽





「…君か」

「ご無沙汰です。外の見張りには、しばらく眠ってもらいました」

「この行動は、君の命取りになるぞ」

「真実に近づきたいだけなんです。僕の中のね」




巨大なエアーダクトの中で、ブロペラが緩慢に動いて、生暖かい空気を吹き付けてくる。

分不相応に、父親の役割を演じた俺は、運命の罰を受けるというわけか。
ギリシャ神話なんだ。不意にそう気が付いた。
そうか、そうだったのか。そうに違いない。
ただし、一つ異なるのは、配役に父親がいなかったことだな。
未完成のオイディプス王。
(シンジ君、きみはこの長い夏の終りに、父を殺して母を犯すんだ。なぜなら、きみは仕組まれた子供なのだから)

そのとき、路地の暗がりから、かすかな靴音が響いてきた。
俺の死神になるであろうその男は、ポマードで髪をきっちりと撫で付け、銀行員のような一分の隙も無い身なり。ネクタイが歪んでいるなどという事は、断じてない。
そして、職業的なゆるぎない確信でもって、銃口をこちらに向けた。
こういう迷いの無い奴の方が、諜報部員向きなんだ。
(やれやれ、だとすると俺は、最後まで自分の役柄を間違えたのか)
不思議と、恐怖心は無かった。

「よう、随分と遅かったじゃないか」




FIN



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