死霊術師の宴

 

 

 

 抜き身の剣で、骸骨の腰骨を叩ききったときには、だいぶの憔悴が染みていた。

 歪みの生を受ける者達との戦いが、ひどく堪えるものだということは熟知していたが、今回ほどのは初めてだった。

 足元で、崩れ落ちた骸骨の上半身が、必死に剣を振るってどうにか私を倒そうとしていた。けれど、ひょい、と後ろに飛び退くと、切先はもう届く見込みもなくなる。それでも骸骨は無闇に剣を振り回す。しばしその様子を見ていたが、不意に哀れになって、隙を見て寄ると、剣を持つ腕を一撃で砕いてやった。

 まだ骸骨は蠢いていて、私は口を歪めた。ひょっとすると、私もこうなるのかという念もあったが、むしろ憐れみの方が強かった。

 滅入りそうだった気分を晴らすために、愛用の剣をあらためてみた。刀身はすっかり歯こぼれしていて、とてもではないが斬る役には立ちそうにはない。もっとも、鈍く重たい身はそれだけでも十分な威力を持っている。そのへんはよく知ったところであるので、歯こぼれに不安を抱くような事はない。

 どちらかと言えば、持つ腕に思いのほか力が篭っていないことが不安である。どこかで休めない限りは、あと数合打ち合うのが限度だろう。もしもここで死霊騎士や骸骨騎士がたったの一つも出てくれば、私の命は風前の灯火となる。

 眼前、私が今いる門のところから大股で百歩ほどの距離には、大きな館の扉が、その質量を誇るように閉じていた。幾度となく不死の怪物を送り出してきたその扉から、何が出てこようとも不思議ではない。

 けれど、逃げようとしても逃げ切れるものでないのも確か。休まねば殺られるのだ、選択の余地などないではないか。

 ふうっ。

 そんな理由をつけると息を吐き、私はどかと敷石に座り込んだ。

 夜の清涼な空気が、敷石の冷たさと相俟って私の熱を急速に奪う。今はまだ心地よい冷たさであるが、じきに寒さを感じるようになるはずだ。熱した身体を冷やすのは悪い事ではないが、冷やしすぎるのは命取りになる。だから、休んでいられるのはそう長い時間ではない。

 だからこそ、せめてもの短い間、楽な形で休もうと、私は剣を地に置いた。鞘に納めては、いざというとき困ると判断してのことだ。そんな具合に、一応の用心は整えていたが――果たして、どの程度役に立つものか。用心して何とかなるようなら、この館などとうの昔に朽ちているはずだろう。

 死霊術師、ヴァン=レフグァ=ブロム。

 二百年前よりこの館に住まいし邪法の使い手には、私以前にも討伐の命を受けた者が幾度となく挑んできた。けれど、ただの一度も帰還したものはいなかったと聞く。

 だからだろう、教会とて、二十年前からは一度も討伐令を出していない。勇士が挑んでは不帰となるこの館を、無視することを決め込んだのだ。

 それから何度か教皇は代替わりしたが、その度に館はないものとして扱われ、近隣の村々にしばしば起こる被害など、ただの偶然と片付けてきた。それが教会にとって最も賢明な判断であり、犠牲を受けた村人以外にとっては最良の道であったのだ。

 だが、つい数ヶ月前、それまで毎年微々たる被害を受けていた村の一つが、突如全滅を迎えた。打ち倒された家の一軒もなく、戦いの痕もなく、ただ忽然と村人だけが姿を消していた。手がかりは何もなかったが、しかし館のことを知るものは皆理由を漠然と推察した。

 けれど、教会はそれを無視し、可能な限り以前を維持しようと努めた。領主と商人に箝口令を敷き、事情を知ってしまった近隣の村長には多額の金をばらまき――何もなかったことにした。

 しかしだ、一月前、別の村も全滅するに至り、さすがにそれでは済まなくなった。

 領主や商人の口であればまだふさげるかもしれないが、次が巡ってくるかもしれぬ村々の民の、あふれでる恐怖の一つ一つを潰す手立てなどあるものか。

 そうして教会は死霊術師の討伐を為すことを期待され――そして、当代きっての神命闘士と名高い私に、命を下した。

「大変な名誉」

 直々に私を呼びつけた教皇はそのようにのたまったが、私は冷笑で応えた。

 福音の鉄槌を振るう身にありながら、ときに異端ぶっていた私を、厄介払いするのが目的なのは明らかだった。

 それに、そのときには既に本当の討伐隊――私の「弔い合戦」に参加するメンバーの人選はほぼ内定していたと聞いてもいた。

 そういった諸々の事情があったから、私は教皇の言葉に冷笑したのだが――今になってよくよく考えてみれば、あるいはこの討伐令、本当に名誉なのかもしれない。

 もしもあそこで私が討伐令を拒んでいたら、教会は必ずや私を異端審問にかけ、火焚刑に処していただろう。だが、私は討伐令を受けた。もしも私がそれに殉じたとなれば、ともすれば聖者として崇められることになるのだ。

 教会からしてみれば、かような異端児が聖者になるなど臟物が煮えくりかえる想いだろう。それでも私に討伐令を下したのは、教会の上層部が実に有能であることの証だ。

「うまく厄介払いしたものだ」

 感嘆してつぶやいたが、どうにも実感が湧かなかった。

 こういうことに実感が湧かぬことこそ、私が「当代きっての神命闘士」と呼ばれるようになった最大の理由なのだが――どうにも私は、死への恐怖というやつが薄いらしい。

 これまでどんなに無茶苦茶な戦場にあろうとも、死を感じた事などないのだ。

 生命の危機なのだろうなと思った事もあるし、帰ってから「良く生きていたな」と告げられた事もある。けれど「それで死ぬ」だとか「死ぬのが怖い」だとか思った事はただの一度もない。

 私が異端ぶるのも、そのへんに端を発するのだろう。死後の救済を説く教理を、私が受け入れられるはずもないのだ。過去起こした異端的な言動の大半は、「死」や「死後」にまつわる話であったはずだ。

 実際、私は教理を信じているのか、と尋ねられれば、「信じていない」と答えるだろう。だからと言って私が神を信じていないと言うわけではない。

 ただ、私の仕えてきた教皇達の振り回す教理は、気に入らなかった。

 彼らのそれが、権力闘争を生き抜くための、俗世的な道具でしかないからだろう。

 別に、憎悪していたわけではない。ただ、俗世の道具でしかないものを信じるような酔狂を、持ち合わせていなかっただけだ。

 もっとも、それを露にするのは、無謀な事だとは思っていたが、性分なもので、諦めていた。結果、死地にいる、というわけだ。

 どうせ、捨てたような人生だから、どうでもいいといえばどうでもいい。

 神命闘士など、聞こえはいいが要は教会にとっての捨て駒だ。

 まあ、捨て駒ならば、捨て駒らしく――一つ派手に、やりたいものだ。

 などと取り留めもなくいろいろと想っているうちに、疲れもだいぶ拭えていた。

 これ以上休んでも、肌寒さすら感じる空気では、体力を削られるだけだ。

 だから、まだいくらかの疲労を残しながらも、立ち上がった。

 試しに、剣を振ってみる。

 万全とはいえないが、満足はいく手応え。

「よし」

 決意が揺るがぬよう、声に出すと、私は扉に向い歩み出した。

 開く気配はない。

 だからだろうか、実に大胆に、ろくに警戒もせずに、私は突き進んだ。

 やられているなら、もっと早く、休んでいるうちにやられたはずだ、という頭もあったが、実際の所どうだかはわからない。単に面倒だったのかも知れない。

 とにかくだ、私は扉の所にたどりつき、そこで、拳で戸を打ち鳴らした。

 多くの討伐令の際にそうするように、異端を告げたりはしない。

 ただ、客人がそうするように、普通に戸を叩いた。

 するとだ、ギィ、と扉が重苦しい音を立てて、開いた。

 私は、眼を細めた。

 いぶかったなどではない。単純に、扉の向こうから漏れ出た光に、反応しただけだ。

「ようこそ、レードン・グロアニー殿」

 光の中から、声がした。

 私は警戒して、剣を構え、必死に目を凝らして、光の中を見据えようとした。

「そんなに殺気立たなくても、今宵は客人として扱いますのに」

 すると場違いなほど人当たりのよい声が帰ってきた。

 目が慣れたのだろう、視界が戻ってきた。

 そこにいたのは、やはり手配書で見た死霊術師と同じ顔。

「ああ、申し遅れました。ご存じとは思いますが、私、ヴァン=レフグァ=ブロムと申します」

 死霊術師は、馬鹿丁寧に頭を下げると、無防備にもくるりと背を向けた。

「さ、宴席が用意してあります。

 ふたりきりの席ゆえ、なにかと寂しいと思いますが――承けてくださいますな?」

 今斬れば、任務は果たせた。

 しかし、その気になれぬのは、どうしたわけか。

 それどころか、私はその提案をひどく魅力的に感じた。

 ひょっとすると妖術で操られているのかもしれない、と思ったが、どういうわけか今宵ばかりは粋狂に身を任せたかった。自分にそんな粋狂があるのも以外だったが――

「謹んで」

 答えると、私は、剣を収めた。

 

 

「すると、私を討伐せよ、と」

 わかりきっているだろうに、死霊術師ブロムは私の話にそのように反応した。

 宴席は、この地方風のもので、一度に全ての料理を並べる形であった。低く、さほど大きくもないテーブルが2人を隔てる全てだ。家族同士のそれのような錯覚すらある。

 しかも、まるで私がいつ入ってくるか分かっていたかのように、まったく頃あいに通されたので、すぐに始まった晩餐は実に魅力的なものだった。

 疲れていたのもあるし、緊張で感じていなかったが空腹も助けたのだろう、黙々と料理を食べ続け、何も言葉を交わさぬまま、私は食事を終えた。

 今はその後、食席の後の、酒席である。

 出された葡萄酒は、極上のものだった。

 量そのものは酔わない程度であったが、酒気以外のものの方が素晴らしく、私はすっかりその宴席に飲まれていた。

 もちろん、警戒は忘れていない。

 脇にはまだ剣を携えているし、常に手が届くように心を配ってある。神命闘士である以上、帯剣して宴席に望むのは非礼ではないし、死霊術師も何も言わない。

 だが、なにより死霊術師の方が、宴席そのものを楽しんでいるように思えたので、自然、警戒心も緩んでいた。

 そこに、「ところで、どうしてここへ?」と訊ねられた。

 私の答えに対する死霊術師の反応が、「すると、私を討伐せよ、と」である。

「まぁ、そうなりますか」

 いくらか戸惑いながら、私は応えた。

 相手が平気な顔をしているからと言って、相手を殺すことについて話すのは、抵抗がある。私は異端に近くはあるが、不信心者ではないのだから。

 けれど、続いての、死霊術師の言葉は、もっと私を惑わせた。

「そうでしょうな。このような田舎に、用などと言えば、そのぐらいしかない」

 一気に酔いが冷め、緊張が、身を包んだ。

 言葉だけが、原因ではない。死霊術師の口ぶりと、そして尖った眼差しとが、私の神経を昂ぶらせた。

「……いくらか、お話したい事があります。その後に、今宵の真の宴席を」

 ふたたび柔和な表情が、死霊術師に戻った。

 けれど、塗り変わった空気は拭えない。

 私は、挑発するような視線を向けながら、応えた。

「お好きなように」

 右手を伸ばして鞘を掴み、剣を引き寄せた。

 死霊術師の咎めるような口元が、いささか気になった。

 だが、それだけで、何かを言われる事はなく、死霊術師の『話』が始まった。

「死霊術師などというものをやっておりますとね、麻痺するのですよ。

 どうも、生き死にというのが、よくわからなくなる」

 語りかけの口調は、丁度親しい友人へのそれだった。

 いたく無防備なそれは、どうしても偽りに思えなかった。

 私は、眉根を寄せた。

 構わず、死霊術師は続けた。

「最初こそは、楽しくはありましたが、次第に飽きてきて。

 だからでしょうな。研究のためなら、容赦もしなくなる。

 もうそれからは、『必要なもの』としか思えませんでした」

 寂寥感、だろうか。

 死霊術師の声に、そのようなものが交じっていた。私ではたどり着けぬようなその響きは、なるほど、200年の命をすれば、叶うものかもしれない。

 だが、続く声は、そんな感覚とは無縁の――ある意味、私が待ち望んでいた響きの、それだった。

「それがですな、つい近頃、変わったのですよ」

 血を、感じた。

 左手を柄に当て、抜き放つ準備。

 そうしなければ、落ち着いていられぬ。そんな殺気を、声は持っていた。

「必要とも、思えなくなったのです。

 いや、私自身が生きているのかどうか、それも知れぬのですよ。

 他人の生き死にばかりでない、自分の生き死にまでも、わからなくなった。

 だからでしょうな、狂ったように村を一つ滅ぼしてみた。

 けれどね、」

 そこで言葉を区切ると、死霊術師は愉しむように笑った。

 無垢な――その、邪悪極まりない声とは正反対の、純粋な微笑み。

「何も想わなかったのですよ」

 私は、立ち上がり、剣を抜いた。

 切先はまだ床を向いていたが――いつでも跳ね上がり、眼前の敵を砕けるはずだ。

 しかし、まだ独白は続いていた。

 私は何の粋狂か、待った。

 待ってはならぬと、告げるものの存在を無視して。

「嘘だと、思いましたよ。

 血がしぶくのを、肉が崩れるのを……死があふれるのを見て、何も想わないなんて。

 いくら楽しくないと言っても、愉楽を忘れていたわけではなかったのに。

 だからね、もう一度、やってみたんです」

 児戯に似た、その声音。

 爛々と光る、凶眼。

 敵だと直観し、剣を構えた。

 それでも、まだ、斬りに行かぬ。否、斬りに行けぬ。

「……愉しくありませんでした、殺すのは。

 けれどもね、殺されるのは――正確には、殺されそうになるのは、愉しかった」

 背徳的な言葉を聞いている、とは思えなかった。

 悦楽の限りを見せつける、その笑いは、私を魅了すらしていたから。

 ただ。

 憐れにも、思えた。

「だから、待っていたのですよ、あなたを。

 どちらか、いずれかの最後の晩餐を。

 あなたが死ぬか、私が死ぬか――極限を」

 私は、目を閉じた。

 死霊術師の、荒い息遣いが、手に取れる。

 それは、ともすれば自慰にでもふけっているかというほどの、快楽をはらんだようであったが、そうでない事は、私にも瞭然だった。

「見たいのですよ!」

 最後の言葉は、吼えだった。

 私は目を見開き、剣を振るった。

 死霊術師は、両の手に、妖術めいた輝きを宿し、その肉体で私に向かってきた。

 あの光に触れれば、滅びる。

 訳もなく、そう感じて、私は突き出された拳を避けた。

 両の手を、交互に振り回す死霊術師は、私に攻撃の暇を与えなかった。

 それでも、斬撃を繰り出してみるものの、ことごとくが、避けられる。

「愉しい、愉しいですよ!」

 そうして死霊術師は避けるたびに、そのような声を漏らした。

 私も、同様だった。

 1対1で、これほどまでに拮抗した戦いには、憶えがない。

 だから、私の口元も、自然、笑んでいた。

 互いに笑ったままで、私達は互いの命を狙いあった。

 ときどき、避けきれぬのか、私の剣のごく切先が、死霊術師の肉をかすめる。

 その痛みすらも、愉しいのだろう。笑みがいっそうに増してゆく。

「ハハ、ハハハハハハハハ!」

 そして遂に、死霊術師より哄笑があふれた。

 釣られてか、私の口が、大きく歪んだ。

 直後。

 私の剣が、死霊術師の胴を凪いだ。

 どう、と体が崩れ落ち。

 ピタ、と笑いが止んだ。

 私は戸惑った。

 どうして、やめるのだ?

 剣を、振り下ろした。

 動かない死霊術師の体に、ザク、と刃が食い込んだ。

「はは、はは、ハハハハハハハハハ!」

 幾度も幾度も刃を振るいながら、私は死霊術師が再び動き出すのを待っていたが。

 私は、そこでようやく己の笑いに気付いた。

 そして、背筋を、凍らせた。

 けれど、その悦楽には、愉楽には、抵えそうもなく――私は、肉を斬る感触に、心躍らせ続けた。
 



 
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