時と言う時間の流れとともに・・・

十一話

・・・前を向いて・・・










・・・・・ギー・・・バタン・・・・















カツーン・・・カツーン・・・


まだ薄暗い朝もやの中に一つの人影・・・

腰まで伸びた美しい髪をゆらしてさっそうと歩くその姿に誰もが目を見張ることだろう。

だが、今は不幸か幸いか誰もその姿を見るものはいない。

螺旋階段を降り終えた彼女の蒼い目に一つの部屋がうつる。

ついさっきまで彼女が居た部屋。

彼女の最愛の人が待つ部屋。

ふっとその美しい顔に微笑を浮かべる。

そして・・・振り向きざまに・・・ぼそりと小さく言った。





「・・・・愛してるわ・・・・シンジ・・・・・」






























「・・・・それで、シンジ君には・・・言ってきたの?」


「・・・・言ってない・・・・シンジの顔見たら、決心が鈍りそうだったから・・・・」


「・・・そっか・・・」




ふうっと溜息をつくミサト。

アスカはうつむいたまま。

会話が途切れると車のエンジン音がやたらと耳につく。


「・・・・これからは、ミサトのところにお世話になるから・・・」


「もう・・・シンジ君には・・・会わないってこと・・・?」


変わらない調子で話すミサト。

そのことばに無言で反応するアスカ。

首が縦に動く。


「・・・でも、今のシンジ君なら・・・ちゃんとあなたを受け止めてくれると思うわよ・・・

もう、昔のシンちゃんじゃないんだから・・・」





「・・・・わかってるわ・・・・でも、シンジにそんなに辛い思いさせたくないもの・・・

だって・・・どうなるかわからないのよ・・・もしかしたら・・・「ストップ・・・」


アスカの言葉を遮るミサト。


「・・・アスカ・・・らしくないじゃない・・・あなたがそんなに弱気になるなんて・・・」


泣いているのだろうか、アスカの肩が小刻みに震えている。

だが、いつもなら優しく抱きとめてくれる青年は今ここには居ない。

だがそれを選んだのは誰でもない、アスカ自身なのだ。








「・・・ねえ・・・アスカ・・・・・」



ふいにミサトが口を開く。


「・・・・・あなた・・・・・そんなにシンジ君が信じられないの・・・・」


ミサトの問い掛けになきじゃくりながら首をふって応答するアスカ。


ぐしゃぐしゃになってしまった金髪が激しく揺れる。









「・・・・・アスカ・・・・・あなたが今なに考えてるか当ててあげましょうか・・・・」



アスカの揺れていた背中がピタリと止まる。




「・・・この先、生きるか死ぬかもわからない自分なんかが、シンジ君の側にいる資格なんてない・・

・・・シンジ君を傷つけるだけだからって・・・そう思ってるでしょ・・・・」


泣きじゃくりながら、ゆっくりと顔を上げるアスカ。


視線の先にはにっこりと微笑むミサトがいる。


「どう??当たらずとも、遠からずってとこでしょ。」




「・・・して・・・」


喉の奥から搾り出すようにしてしゃべるアスカ。


「どうして」といいたかったのだが、上手くしゃべれなかった。


「・・・・前にね・・・・シンジ君も同じようなこと悩んでたわ・・・・

・・・自分が・・・アスカを傷つけた自分なんかが側にいていいのかってね・・・・」


「・・・シンジが??」


「シンジ君の出した答え・・・・聞きたい?」


無言で頷くアスカ。


「そう・・・・でも、あなたはそんなこと聞く必要ないんじゃないかしら?」


「・・・ど・・どうして・・・そんな・・・」


今にも泣きそうなアスカ。

そんなアスカに微笑を浮かべミサトは続ける。


「・・・・アスカ・・・・

そのシンジ君の答えはあなたが一番近くで感じてきたはずなのよ・・・」


はっとするアスカ。


優しく笑うシンジ。

困った顔をしているシンジ。

苦しそうな表情で自分を看病してくれるシンジ。

たんたんと言葉を並べる真剣なシンジ。

昨日の晩、優しく、アタシを抱いて受け止めてくれたシンジ。



「・・・・・もう逃げない・・・・・

たとえ、あなたに拒絶されても、あなたの側にいられるだけで良い・・・・

・・・それが彼の出した答えよ・・・・」


「・・・あ・・・・」



アスカの脳裏に昨日のシンジの言葉が蘇える。



・・・どんなことをしてもアスカの側にいる・・・



「アスカ・・・シンジ君はね、今のあなたと同じ位・・・いいえ、それ以上に辛かったはずよ。

自分の心の前にまず、あなたという他人と・・・

それも自分で必ず拒絶されると思いこんでいた、あなたと向き合わなければならなかったんだから・・・



あなたはまだ楽なのよ・・・シンジ君の気持ち、わかってるんだから・・・」


「・・・・・・・・・」


「・・・・・アスカ、自分の心をだましてちゃ、前と同じよ・・・・

あなた、本当はシンジ君のところに帰りたいんでしょう?

シンジ君に抱きしめてもらいたいんでしょう?」


アスカは頷く。


「だったら・・・もう迷うことなんてないじゃない。

シンジ君は絶対に逃げたりしないわ。

だって、あなたのこと・・・本当に、純粋に愛しているんだから・・・・

ずっと、あなた達を観てきたあたしが言うんだから、信用していいわよ。」


いたずらっぽく片目をつぶって見せるミサト。

「・・・・ミサト・・・・」


アスカの瞳には輝きが戻っていた。

そして、その瞳にはかつてのシンジと同じようにミサトへの信頼の思いが込められていた。

アスカの視線に笑顔で答えるミサト。

「ほ〜ら・・・そろそろ、着くわよ!」


車の窓からは見慣れた四角すいの建造物の姿がうつっている。

「・・・たぶん、リツコが中に居るはずだから・・・・」


「・・わかったわ。」


そう頷いたが、突然眉をしかませるアスカ。

・・・何かが心に引っかかっているみたい。


「ん?どしたの、アスカ。」


怪訝そうにアスカを見つめるミサト。

その視線に気づかないほど、必死に何かを考えているアスカ。

なんだろう。・・この感じ。何か忘れものをしたときのような・・・・・


・・・・あ・・・・

アスカの脳裏にシンジの胸を力任せに叩く自分の姿がぱっと浮かんだ。

すんだ蒼い瞳をかっと見開くアスカ。


「・・・ミサト・・・シンジは・・・・アタシ、シンジになにも言ってない・・・」




「だいじょぶよ。そっちは、たぶん『あのバカ』が何とかしてくれてるでしょ。

あいつ、口だけは上手いから。」


今ごろ、『あのバカ』と言われた張本人、加持りょうじはくしゃみをしていることだろう。


「・・・・さて、アスカ、もう大丈夫よね。」


「・・・・うん・・・・」






・・・・キュッ・・・・


車が止まり、静けさが辺りを包む。

「アスカ・・・ここからは一人で行きなさい・・・

真実をあなたのその目で見つめて・・・

全部、終わったら・・・その時は、あなたの帰るところに帰りなさい・・・・

待っている人があなたにはいるんだってことを忘れないで・・・・」


「ミサト・・・ありがと・・・・

今はそれだけ言っておくわ・・・」


・・・・ガチャ。





「じゃあ、言ってくるわね・・・」


「ええ。今回の相談料はつけにしておいてあげるから・・・」


アスカを元気付けるためだろうか、親指を立てたこぶしを突き出しながら冗談を飛ばすミサト。

「わかったわ、倍にして返してあげるから期待しておきなさい。」


アスカはいつのも微笑を浮かべると、髪をかき揚げながらミサトに背を向けた。

それをじっと見つめるミサト。


・・・どうして・・・

何故、幸せを手にして良いはずの二人が幸せになれないのだろうか・・・

・・・あんなに苦しんだ二人が何故また苦しまなければならないのか・・・


答えの出るはずのない問いを自分に投げかけながら力なく手を振るミサト。

そして、アスカが振り返らないことを確認すると胸のポケットから煙草を取り出した。

馴染みの赤い箱から一本抜き取る。

肺の中にためてからふうっと大きく吐き出す。



アスカの背中がもう肉眼では見えないほど小さくなっている。

それを眺めながらゆっくりと口を開く。

「・・・・アスカ・・・・がんばって・・・・」


ミサトの頭には昔自分がアスカやシンジに言い聞かせた言葉が渦巻いていた。

『奇跡は起こしてこそ価値がある』

あの時よりも重くのしかかるその言葉・・・・

自分の言葉で苦しむなんて、皮肉なものね・・・・それに・・・

・・・なぜかしらね・・・人類全員よりも人一人のほうが重く感じるなんてね・・・・


ミサトは軽く自嘲すると静かにアクセルを踏んだ・・・




<つづく>


八色さんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system