Neon Genesis Evangelion SS.
Mの悲劇 write by 雪乃丞




 その少年の言葉は、聞いた者に失笑を招かずにはいられなかった。

「ミサトさん・・・最近、料理の勉強しているらしいんです」

 その言葉を聞いた者達は、三者三様の答えを返した。

「へー、あの葛城がねぇ。 ・・・こりゃ、雪でも降るかな?」

 ここはセカンドインパクト以降、常夏のままとなった日本である。
その言葉は、セカンドインパクト以前であるなら『槍がふる』となっていたであろう。 ・・・つまり、あり得ない事でも起きなきゃ良いが。 端的に言うと、そうなるかも知れない。

「あのミサトが料理を? ・・・にわかには信じられない話ね」

 そうコーヒーカップを片手に答える金髪に白衣な女性の言葉に、横にいた童顔の女性が答えた。

「でも、なぜなんでしょうか?」
「マヤ? ミサトがなぜそんな事を始めたのか・・・分からない?」
「はい」
「心境の変化というものは、往々にして外的要因によってもたらされるものよ?」
「外的な要因、ですか?」
「そうね。 この場合は同居人か、よりを戻した恋人か・・・まあ、そのどちらかでしょうね」

 そう苦笑とも、呆れているともとれる笑みを浮かべながら、その同居人達に視線を送った。

「なんか、信じられないわねー。 今頃になってから勉強始めるだなんて・・・何か企んでんじゃないでしょうねー?」
「そんなこと言ったらミサトさんに悪いよ、アスカ」
「あのねー。 ちょっやそっと勉強したくらいで、あの料理オンチが直るはずないでしょ?」
「でも、ミサトさんだって必死に」
「何処の世界に、ビール飲みながら本読むだけで、料理が出来るようになるヤツがいるのよ!」

 そういつものように少年の額に触れんばかりに指を突きつける少女の言葉を聞いて、隣の白衣の女性に問いかける。

「・・・先輩。 葛城一尉、料理ってしたことあるんですか?」
「そうね・・・学生の時代に、何度か勉強の成果というのを食べさせられたわね」
「そうなんですか?」
「ミサトの料理オンチは、あの頃から全然変わってないわ」
「その・・・最近は、どうなんでしょうか?」
「前にシンジくんに会いに行った時に、久しぶりに食べさせられたわ」
「その時の味はどうだったんですか?」
「他に食べ物が一切ないという状況なら、仕方なしに食べたくなる程度の味。 もしくは、味覚障害を起こしているのなら、あるいは美味しく感じるかも知れない味。 まあ、そんなところかしらね」

 そう親友であるはずの女性の料理の腕を評価した言葉に、おずおずとした声が返された。

「そんなに・・・酷いんですか?」
「あれは料理とは言わないわね。 ・・・エサよ」

 その言葉は、幸運にも未だ喧嘩を続ける二人の少年少女の耳には聞こえなかった。







 それは、とある憂鬱な天気の朝のこと。
場所は、コンフォート17マンション。 表札には、葛城の名があった。

「フン♭フン♯フン♭〜♪」

 そう、どこか激しく調子の外れた鼻歌を歌いながら、キッチンで鍋を掻き回す女性の名は葛城ミサトという。 表札からして分かるかも知れないが、ここは彼女の家である。 何をしているのは考えるまでもない。 料理をしているのである。 だが、それは見る者に驚きしか与えないであろう。 三十路を目前に控えた女性が、朝から料理をしていて何に驚くというのだろのであろう? 普通なら、別におかしくもなんともないはずの光景である。 ・・・そう。 普通の女性なら、おかしくとも何ともない。 だが、その葛城の名を持つ女性は、少々普通から外れた場所にあったのだった。

「あの・・・おはよう、ございます」
「あっ、おはよう、シンちゃん。 相変わらず早いわねー?」

 そう声をかけられた背後に振り返り答えたミサトの顔の手は、当然の事ながら料理をするためのお玉が握られている。 そして、反対の手には料理の本。 どうやら、本を読みながら料理をしていたらしい。

「どうしたんですか? 今日、休みのはずなのに・・・」
「折角の休みなんだから、こうして日頃の勉強の成果を試してみようかと思ってね〜」

 そうどこか照れたように笑うミサトに、シンジも笑みを浮かべた。
ちなみに、いつもの休日なら、まだ寝ているはずの時間である。 それが、どれほど珍しい光景であるのかは言うまでもない。 加えて言うなら、もう一人の同居人は、まだ夢の国の住人であるらしかった。

「そうですか。 なら、何か手伝う事ありますか?」
「そうねぇ・・・シンちゃん、味見してくれない?」

 そういって、差し出された小皿を受け取るシンジの顔が僅かに・・・よく知っている者でなければ分からないくらいに歪む。 きっと、その味に不安を感じたのであろう。 なにせ、一部ではミサトカレー=恐怖の代名詞とまで言われているのだから。 その味覚を破壊しかねないとまで言われる常識外れな味に耐えられる者が少ないのが、ミサトが未だ独身である理由の一つなのかも知れない。 ちなみに、某金髪白衣な女性に言わせると『ズボラ。無神経。ガサツ。他多数』との一言で片づくらしいのだが・・・。

「あの・・・何を作ってるんですか?」
「え? オデンだけど」

 それを聞いて、シンジは覚悟を決めたらしい。

『常識的に考えて失敗するようなことのない料理で失敗するミサトさんだけど・・・少なくともカレーじゃないんだし』

 その小皿に入った液体は、薄いキツネ色をしており・・・黒くも、茶色くも、白くも、青くも、紫色もしていない。 確かに、オデンの出汁(だし)の色をしているし、先程から漂う香りも思わず涙を誘われるような刺激臭などではない。 少なくとも、見た目、香りの2点には問題はなかった。 いくら料理オンチのミサトとはいえ、塩と砂糖を間違えるような初歩的かつ致命的なミスは犯さないだろう。 これで味が変なら運が悪かったのだと諦めるしかないのかも知れない。

「・・・わかりました」
「ん? 何? 今の間?」
「いえ、なんでも。 じゃあ、味見させてもらいますね」

 そう答えると、シンジはミサトから差し出された小皿を受け取とると・・・飲み干すかのようにして、口に含んだ。 多少大げさかもしれないが、本人の心境からすれば毒味と変わりない。

「・・・どう?」

 そうどこか自信なさげに尋ねるミサトを前に、シンジは目を白黒させながら、口に含んだままだった出汁をゴクリと飲み込んだ。 そして、しばらくそのまま固まっていたかと思うと、震える指で小皿をテーブルの上に置きながら・・・。

「・・・お」

 そう、どこか呆然とした顔で呟いたのだった。

「お?」
「・・・おい、しい・・・美味しいですよ! ミサトさん!」

 その一言をきっかけに、シンジはまるで快挙であるかのように歓声を上げた。 ・・・いや、確かに快挙ではあるのだろうが・・・まあ、それほど驚き、喜んだという意味である。

「すごいですよ、ミサトさん! これ、凄く美味しいです!」
「え? え? そ、そうなの?」

 そのいつもとはあまりに違うシンジの様子に、ミサトは驚くと同時に呆然ともなっていた。

『あんまり美味しくないって感じたんだけどな・・・。 美味しくないというか、マズイというか・・・。 だからって、どうやったら味を直せるかなんて分かんなくて、シンちゃんに味付け直して貰おうと思ったんだけど・・・。 でも、まあ、こうして美味しいって言ってくれてるんだから、OKよね』

 その涙すら流しそうなほどに喜ぶシンジの姿に、ミサトは「勉強した甲斐あったわね」と手応えのようなものを感じたのだった。 だが、その時点で気がつくべきだったのかも知れない。 その・・・あまりにいつもと違うシンジの姿に。







 さて、なんだか朝っぱらからハイテンションなシンジくん。
お昼が近くなってようやく起き出して洗面所から戻ってきたアスカ嬢を嬉しそうな顔でダイニングへと誘った。

「アスカ、お昼ご飯食べない?」
「え? お昼って何作ったの?」
「オデンだよ」
「オデンって・・・この暑いのに、よくそんなの食べる気になるわねー」
「そうかな?」
「そうよ。 何考えてオデンなんて作ったの?」
「ううん。 作ったのは、ボクじゃないんだ」
「え? それって、どういう意味? もしかして、買ってきたの?」

 その言葉は、自分でも信じられないであろう。
なにせ、ここは常夏の日本である。 オデンなど最近では滅多に作ることはない。 ただし、それは材料がないという意味ではない。 便利な出来合いのパックなどが少なくなっただけで、オデンを作るための材料は個別に売られている。 おそらくは、ミサトもそれを買ってきたのであろう。

「ううん。 作ってくれたんだよ」

 その嬉しそうな含みのある言葉に首をかしげながら、アスカはダイニングで準備された昼食の席へと向かった。 そこでは、ようやく緊張感から解放されたのか、いつものミサトの姿があった。

「ング、ング、ング・・・プッハー! かああああぁぁぁ・・・・やっぱ、労働のあとのビールは格別よねー。 シンちゃーん、もう一本もらえるかなー?」
「いいですよ」

 そのだらしない・・・あえて言うのなら『おやぢ臭い』姿にいつもなら眉をしかめるシンジだったが、今日は笑顔であった。 もしかすると、ミサトが料理で成功した事がそれほど嬉しいのかも知れない。

「さ、アスカ。 食べようよ?」

 そうミサトにビールのお代わりを渡して自分の席についたシンジに、アスカが不思議そうに尋ねた。

「・・・ねえ? シンジ?」
「なに?」
「もしかして・・・ううん、そんなはずないよね」

 そう言いかけた言葉を飲み込み、どこか諦めたかのような顔で首をふるアスカ。

「どうしたの? アスカ?」
「もしかすると、ミサトがこれ作ったのかなーとか思ったの。 ・・・まあ、あり得ない事なんだけどさ」

 そうどこか苦い笑みを浮かべたアスカ。
恐らくは、自分自身の考えに呆れているのだろう。 だが、そんなアスカに、ミサトはいつものように含みのあるニヤニヤ笑いを返すだけだった。 おそらくは、後で言って驚かしてやろうとでも考えているのだろう。

「・・・なによ、ミサト? 変なモノ見るような目で見ないでよ」
「ふっふっ〜ん。 アスカー、これ美味しいんだってー」
「・・・シンジがそう言ったの?」
「まーねー」

 そんなやりとりに首をかしげるアスカ。
いつもなら、14才にして飛び級で大学を卒業するという快挙を成し遂げた優秀きわまりないその頭脳は、答えを見つけだせるのだろうが・・・。 今日は、『そんな事ありえない』という思い込みによって、なかなか答えにたどり着けないようだった。 まあ、無理もあるまい。 恐らくは日本一料理のうまい14才であるシンジは、味付けに関してはかなりうるさいほうである。 そのシンジが美味しいと太鼓判を押したのだから、それが料理オンチの代名詞であるミサトの作ったものであるはずがない。 もしかすると、マヤが午前中に来て料理をしていったのかも知れない。 もしくは、リツコか。 ・・・ありえないかも知れないがファースト? そんな変な思考の袋小路にはまりこんだアスカの前に、鍋から大皿に盛られて湯気を上げるオデンが置かれた。 そのオデンからは美味しそうな香りが漂っており、見た目にも食欲をそそられた。 起きてから間もないとはいえ、シンジと同じく14才であるアスカの食欲を刺激するのに十分であったのだろう。

「・・・美味しそうじゃない。 シンジ、これ誰が作ったの?」
「ヒミツ。 まあ、食べてみてよ。 凄く美味しいんだから」

 そう嬉しそうに笑うシンジの笑顔を不思議そうに見返すアスカであったが・・・。

「・・・美味しい」

 恐らくは警戒していたのであろう。
最初から具に手をつけるでもなく、出汁を口にしたアスカであったが、その味は確かに美味しかった。 そう出汁の味を誉められたミサトの顔に、含みのない嬉しそうな笑みが浮かんだ。

「やりましたね? ミサトさん?」
「そうよねー。 なんだか、勉強した甲斐っていうの? そういうのがこー肌で感じられて良いわね」

 その言葉にようやく答えにたどり着いたアスカだった。

「うそ・・・もしかして・・・これ、ミサトが作ったの?」
「そーよん? 美味しいって言ったわよね?」
「どう? アスカ? ミサトさんだって、本気になれば料理くらい出来るんだよ」
「・・・なによ、それじゃあ、まるで私が悪役みたいじゃない」
「だって、アスカ、ミサトさんが料理出来るようになるはずがないって言ってたじゃない?」
「あのカレーを味わった後なら、誰だってそう思うわよ。 ・・・まあ、このオデンの味は認めてあげるけどね」

 そう『降参するわよ』と言わんばかりに両手を上げたアスカの姿に、ダイニングに笑みが広がったのだった。







 元々それほどたくさん作ったわけでもないオデンは、3人で食べると丁度良い感じの量だったのかも知れない。 具は言うに及ばす出汁すらも残さず消えた鍋をシンジは流石に慣れているせいか手早く洗い終わり、食後のお茶の準備をしたのだった。 それは、3人でダイニングでくつろいでいる時のこと。

「なんか自信ついちゃった。 また別の料理にもチャレンジしてみようかなー?」
「応援しますよ、ミサトさん」
「じゃあ、また味見してくれる?」
「もちろん」

 それは、そんな食後のお茶(ミサトだけはビール)を飲んでいる時の事だった。

「・・・変ね」

 それは、なにやら難しい顔をしたアスカの一言から始まった。

「どうしたの? アスカ?」
「・・・なんか、変な感じがするの」
「へん?」
「どういったら良いのかわかんないんだけど・・・とにかく、変な感じがするの」
「もしかして・・・気分が悪いの?」
「ううん。 そんなんじゃない」
「そう」

 悲劇というものは、いつもその原因になった場所で起こるものでない。 時として、時間をおいてから現れるものもあるのだろう。 そして、ここ葛城家においても、それはおなじだった。

「アスカ・・・本当に、大丈夫?」
「大丈夫・・・じゃないかも知れない」

 そんな調子が悪いのか僅かに顔をしかめて答えるアスカに、シンジは自分の横でビールの缶を傾けるミサトに問いかけた。

「どうしたんでしょう?」
「アスカ? アンタ・・・もしかして、風邪でもひいてるの?」
「・・・」
「無理なんてしちゃダメよ? 体調不調はシンクロ率にも影響するんだから」
「ミサトの給料にもでしょ?」

 そう、どこか不機嫌そうに答えたアスカに、ミサトの笑みが引きつった。 確かにEVAを操縦できるチルドレンのうち上位1〜2の位置を占めるシンジとアスカの管理は、保護者役であるミサトの仕事でもあった。 無論、そこには互いに好意らしきものを感じているらしい二人の監視なども含まれる。 アスカが体調を崩しているのなら、すぐにでも病院に連れて行かなければミサトは監督不届きという理由で処分なり厳重注意を受けるであろう。 だが、それは暗黙の了解というヤツであって、決して口にして良いものではなかった。

「・・・どうしちゃったの? アスカ? なんか変よ?」
「うるさいわねー。 良いから、そこどきない!」

 そう言うと、わざわざ向かいの席から移動してきて・・・。

 ドスン。

「わぁ! なんで、こんな狭いトコに割り込むんだよ!?」
「あらぁ〜。 もしかして、私お邪魔虫だったかしらねぇ〜」

 シンジとミサトの間に割り込むようにして、座り込んだのだった。 その行為の意味を正確に把握しているのは、セリフから分かるかも知れないがミサトだけである。

「ア、アスカ。 あんまりくっつかないでよ」
「なによ? 私がここにいちゃダメって言うの?」
「そ、そんな事・・・ない、けど」
「なら良いじゃない」
「・・・どうしちゃったの? アスカ? 今日はやけに情熱的じゃない?」

 そう冷やかされたアスカは、僅かに頬を赤くしながらもいつものように答えた。

「私がどこにいよーと、ミサトには関係ないでしょ?」
「それはちょっと違うんじゃ・・・」
「黙ってなさい。 バカシンジ」
「・・・なんで、そこでバカって呼ばれるの?」
「女心が分からない男なんて、みんな馬鹿呼ばわりされるのかもね。 シンちゃん、もっと勉強しないとね?」
「それに、ここに移動したのには私なりの考えってモンがあるのよ」
「考え?」
「そーよ。 ここなら、シンジが逃げれないからね」

 そう言うなり、背後のソファーに背を預け足を伸ばしてくつろいでいたシンジの足の上にアスカは乗ると、首に手をかけてニッコリと微笑んだ。 ・・・わかりやすく言うと、首を絞めるポーズをとったということである。 しかも、伸ばした足に軽く体重をかけているせいで、そう簡単には逃げられない。 進退窮まった状態といえばわかりやすいであろうか? 少なくとも、アスカをどうにかしない限りそこからは逃げられないであろう。

「・・・どうしちゃったんだよ、アスカ・・・なんか怖いよ?」
「いいから、黙って。 今から私の聞くことに答えなさい。 答えなかったり、嘘言ったら・・・首、締めるから」
「サミトさん・・・アスカ、全然大丈夫じゃないみたいです」
「うーん。 ・・・とりあえず、アスカの話聞いてみたら? なんか面白そうだし」
「そんな無責任な・・・ぐっ!」

 首を絞められたシンジの表情が苦しそうなものになる。 だが、それは一瞬だった。

「な、なにするんだよ!?」
「・・・答えてくれるよね?」

 そのどこか暗いものを含んだ目はひたすら怖かった。

「・・・はい」

 そう答えたシンジくんを"負け犬"呼ばわりする者はいないであろう。

「シンジ? ・・・ファーストとは長いのよね?」
「え? 綾波? う、うん。 アスカがこっちのネルフに来る前からだから」
「シンジ、ファーストのこと、どう思う?」

 そのなにやらギラつく瞳で射抜かれたシンジは、返す言葉がなかった。
ちなみに、その横で成り行きを見守っているミサトの口元には『ニヤ〜』とした笑みが広がっている。 ミサトは、こういったある種の修羅場が何よりも面白いのであろう。

「え?」
「『え?』じゃないでしょ? どう思ってるのかって聞いてるのよ!」
「いや、どう思うって・・・仲間じゃ、グェ!」

 キューっと音が聞こえそうなほどに喉を締めながら、目つきがヤバイアスカはシンジの首を揺さぶる。

「そういう事を聞いてるわけじゃないの! 好きか?って聞いてるのよ!? 答えなさい! バカシンジ!」
「アスカァ・・・シンちゃんの事、殺す気?」

 その言葉でようやく、解放されたシンジは咳き込みながらも、何とか文句を言う元気が残っていたらしい。

「なんでこんな事するんだよ・・・アスカ、おねがいだから正気に戻ってよ」
「・・・アンタがいけないんじゃない」
「え?」
「アンタがいつもまでもハッキリしないからいけないのよ」
「それって・・・どういう意味?」
「シンちゃーん? アスカはねぇ・・・自分が大好きなシンちゃんが、恋のライバルであるレイの事好きなんじゃないかなーって心配してるのよ?」
「・・・え゛?」

 そう顔を赤くして固まったシンジの瞳をまっすぐに見つめて、アスカはなおも問いつめた。

「・・・どう思ってるの? ファーストのこと」
「・・・嫌いじゃないよ。 まだ好きかどうかなんて分からないけど。 でも・・・」
「でも・・・なに?」
「好きか嫌いか。 そう聞かれれば、多分好きって答えると思う」

 そういつもならこんな質問に答えないであろうシンジが真面目に答えた事からも分かるかも知れないが、シンジにもミサト印な副作用は出ていたのであろう。 だが、表面上はこの状況を楽しんでいながらも内心ハラハラしているミサトに、そこまで考える余裕はない。 そして、当然のことながら、シンジとアスカにもなく、加えてアスカの精神状態は普通ではなかった。

「・・・そうなんだ。 じゃあ、好きなのね?」
「アスカ。 リツコさんの言葉だけど、人の心はロジックじゃない・・・デジタルじゃないって言ってたよ」
「デジタル?」
「0と1だけじゃないって意味だと思う」
「そうね。 人の心はそんなに簡単なものじゃないわ。 アスカ? 白か黒かって二つに一つじゃないのよ。 灰色だってそこにはあるのよん?」
「・・・」
「綾波の事は嫌いじゃない。 アスカの事も、もちろん嫌いじゃないよ。 でも・・・好きって気持ちがまだよく分からないんだ。 たぶんだけど・・・今、ボクがここでハッキリ好きって言えるのは・・・死んだ母さんとミサトさんくらいのものだと思う」
「そうなの? なんか嬉しい事言ってくれるじゃな〜い」

 そうシンジの頭をワシャワシャを掻き回しながら言うミサト。 多分、その嬉しそうな表情は本物だろう。

「でも、それって私の事、家族だって思ってくれてるって意味よね?」
「ええ。 ボクにとって・・・無条件に信じられるのは、ミサトさんだけですよ」

 その言葉は、ミサトにとってよほど嬉しいものだったのだろう。

「ありがとう。 シンジくん」

 そう僅かに目に涙を浮かべて告げるミサトと、どこか恥ずかしそうに見つめ返すシンジ。 それを見つめていたアスカの頬に一筋の涙が伝った。

「・・・違うわよ」
「え?」
「アンタ、自分の心が分からないなんて嘘よ。 アンタが好きなのは・・・」

 その言葉は、シンジの耳に届いていながら聞こえなかった。

「シンジくん! アスカ! しっかりして!」

 ほぼ同時に気を失った二人は、あらかじめ待機していたらしい保安要員によって、ネルフ関係者専門の病院に運び込まれたのだった。







 その無駄に広大な面積を持つ薄暗い部屋には、二人の男の姿があった。

「碇、どうする気だ?」
「葛城一尉は3ヶ月の減棒。 処分はそれで十分だ。 本人も反省しているようだったからな」
「だが・・・チルドレンを二人病院送りにして、それだけで済ましていいのか?」
「単なる食あたりですよ、冬月先生。 暑い時期です。 昔はそう珍しい事でもなかった」

 そう言うと、碇と呼ばれた男は口元を歪めた。

「まったく・・・お前という男は」
「サードチルドレンから無条件の信頼を向けられている者を、現場から外すわけにはいかない」
「こんな下らない事でチルドレンを病院送りにされていては、今後が不安だ。 せめて同居を止めさせたらどうだ?」
「それでは、ここまで仕込んだ意味がない」

 そう言うゲンドウに、冬月は苦い視線を向けた。

「碇、もう十分だろう。 シンジくんは、葛城くんの事を実の母親のように慕っている。 これ以上の関係は必要ないのではないか?」
「今後も色々と厳しい戦いが続く。 当然、傷つく事もあれば、仲間を失う事もある。 その時、シンジが求めるのは優しさであり、慰めの言葉だ。 そういう意味では、善人の仮面をかぶるのが得意な葛城一尉は適任だ。 今の信頼関係を維持させるためにも同居は、今後も続けさせる」
「本当に、それが必要なのかね?」
「シンジは、母親の代用品である葛城一尉の言うことなら、大抵の事は聞く。 口では何と言おうともな。 葛城一尉に嫌われる事は、ジンジにとっては母親を失う事と同意だ。 今の関係を維持するためなら、シンジは死に物狂いになるだろう」
「お前が、そうし向けたんだろう? わざわざ使徒が来るさなかに作戦部長を迎えにやると言い出した時には、正気を疑ったぞ?」
「全ては計算通りだ」

 そのいつもの言葉に、冬月は呆れたような顔を向けた。

「お前はいつもそれだ。 だが・・・その計算の中に、15も年上の花嫁を貰う事は含まれているのか?」
「あいつに大人の女を落とせるような甲斐性などない」
「だが、葛城くんは今度の一件でシンジくんの気持ちを聞いた。 たとえ恋愛関係に発展しないまでも、今後のあの二人の関係は、今までとは違ったものになるだろう。 お前の考える計画に支障がないといいがな?」
「忘れたのか、冬月? シンジは、一人の女としての葛城一尉を好きだとは言っていない。 あくまでも家族としての好きだ。 アレはセカンドチルドレンの邪推だよ」
「それなら良いがな」

 その言葉を最後に、二人はその話題を終わらせたのだった。







 それは、まだ第三新東京がそれなりに平和であった時のこと。

「まあったく、ミサトが料理なんてするから、ロクな事にならないじゃない」
「流石にもう料理しようなんて思わないわ」

 少年と少女、そして二人の保護者役であった女性は、それなりに理解しあい、互いを大事に思っていた。

「でも、ミサトさん。 あの時何があったんですか?」
「そうそう。 確か、オデンを食べるまでは覚えてるんだけど・・・」
「二人とも、本当に覚えてないの?」

 そして、少年はだらしない同居人に呆れる事もあれば、頼もしく思う事もあった。

「はい」
「ぜーんぜん」
「朝、ミサトさんが料理してて、そこでオデンを味見したまでは覚えているんですけど・・・」
「え? シンジって、あの時からおかしかったの?」
「おかしかったって、どういう意味だよ・・・」

 それは、おそらく今までに与えられなかった母性というものに惹かれていたのであろう。

「二人とも・・・本当にゴメンね。 反省してるから」
「・・・いいんですよ。 ミサトさん。 こうして無事だったんですから」
「何が良いのよ。 私はまだ許してないんだからね」
「アスカ・・・ミサトさんだって悪意があってやった訳じゃ・・・」
「いいのよ、シンジくん。 アスカが怒るのも当然だわ。 ホント、保護者失格よね」

 だが、少年はまだ知らなかった。 これが仕組まれた事であることを。

「ミサト、もう分かったから、そんな顔しないでよ。 でも、今日の夕食はミサトの奢りで外食ね」
「うっ・・・」
「どうしたんですか? ミサトさん」
「ははは。 今度の一件で減棒くらっちゃったもんで・・・」
「そんなに高いトコいかないから、心配しないで良いわよ?」
「アスカ・・・ありがとう」
「なんで、そこでシンジが礼を言うのよ?」
「いや、だってさ・・・」
「だってもヘチマもない! なんかヤな感じー」
「なんだよ、それ。 ボクはただ、今月の食費とか削らなくても良いから嬉しいって意味で」
「はいはい。 シンジはいつだって、ミサトの味方よねぇ〜」
「アスカぁ? もしかしなくても、それって、やきもち?」
「ば、馬鹿なこと言わないでよ! なんで、こんなバカシンジに!」

 そして、ミサト本人にしても、それは同じであったのかも知れない。

『アンタ、自分の心が分からないなんて嘘よ。 アンタが好きなのは・・・ミサトよ』

 そうあの時のアスカの言葉を思い返しながら、ミサトは僅かに笑みを浮かべた。

「アスカ? あの時、アスカが言った言葉教えてあげましょうか?」
「え? あの時って?」
「アスカが普通じゃなかった時」
「・・・私、何か言ったの?」
「うーん。 これって言っても良いのかなぁ・・・」
「もったいぶらないで、さっさと言いなさいよ」
「でも、あんなに熱い愛の告白なんて、初めてだったしねぇ〜」
「・・・え゛?」
「うそ?」
「ホントよ〜ん。 シンジぃ〜愛してるぅ〜って、そりゃあもう・・・」
「う、うそよ! 全部、ミサトの嘘にきまってるわ!」
「冗談ですよね? それ?」
「あら、シンちゃんだってアスカの事好きって答えたのよ?」
「え、えええぇぇぇ!」
「若いって、良いわよねぇ・・・私にもあんな時代があったんだろうけど」

 3人は、互いを大事に想い、時に喧嘩し、時に笑った。 そこには笑顔があった。
それは、いつもより少しだけ暑い日の出来事。 いずれ訪れる別れ、いずれ訪れる悲劇など、まだ誰も予想すらしていなかった。

 これは、まだ第三新東京がそれなりに平和であった頃の物語である。



<終わり>





 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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