Neon Genesis Evangelion SS.
異邦人 《後編》 write by 雪乃丞




 聖フランチェスカ教会。
そこは、街のややはずれの辺りにあるという、大きな教会の名前だった。 そこに二人して到着するまでに、僕は、山岸さんから教会の名前の由来にもなったという聖人、聖フランチェスカ・ザベリオ・カブリーニ修道女という人の話を聞かされることになった。

「聖フランチェスカ様は、1850年にイタリアのサンタンジェロ・ロディジャーノの農家に生まれ、大変信仰深く育てられたそうです。 そして1874年から、当時創立されたという教育修道会で教師をしながら協力していたそうなのですが、その会も1880年に解散されてしまったために、同年に世界宣教を使命とする『イエズスのみ心の女子宣教会』を創立したのです」

 正直、僕は、そんな話には興味はなかった。 だから、静かにではあるものの、どこか誇らしげに僕へと話しかけてくる山岸さんの言葉に適当に相槌を返しながら、ただ足を前へと進めていた。

「聖フランチェスカ様は、同会をミラノとローマに広げ、さらに教皇レオ十三世の要望により1889年。 イタリア人移民への奉仕を目的としてアメリカに渡ることになります。 アメリカの各地を回り、イタリアからの移民のために、多くの学校や施設、病院などを作ったのだそうです。 聖フランチェスカ様は、亡くなるまで人々のために奉仕し続け、信仰へと導いたのです」

 その話が終わった頃。 まるでタイミングを見計らっていたかのように、僕たちの前に、その教会が見えてきていた。 聖フランチェスカ教会。 アスカの過去を知る唯一の手がかりとなるかも知れない場所。 僕は、ここで、どんな話を聞かされることになるのだろう?

「・・・だからでしょうね」
「え?」

 不意に聞こえてきた声に、思わず振り返った僕の目に、山岸さんの誇らしげな微笑が飛び込んできた。

「聖フランチェスカ様は『移民の保護者』と呼ばれていらっしゃるそうです」

 そのどこか意味深な言葉に込められた真意の・・・真実の一端を知ることになるまでには、まだもう少し時間が必要になるのだけれど、その時の僕に、それが分かるはずも無かった。







 なぜ、こんなことになったのだろう?
そう他人事のように感じている僕の前に座っているのは、なぜだか、だらしなくスーツを着崩している無精ヒゲを生やした男の人だった。 そんな僕の後ろに立っているのは、山岸さんを含めて数人のシスターの人たちだったし、その横には、写真の中で見た男の子とひどく似た特徴をもった女の子が壁を背にして立っていた。 そんな人たちに共通しているのは、ただ一つだけ。 全員が、僕を睨むようにして見つめているということだけだった。 正直、気味が悪くて仕方が無い。

「・・・あの」
「なんだい、碇シンジくん?」

 僕の目の前に座ってニヤリと笑う男の人は、自分のことを手続きの代行業者だと言っていた。 そう言って差し出された名刺には、携帯電話のものらしい電話番号と名前だけが載っていた。 加持リョウジ。 それが、僕の前に座っている男の人の名前だった。 ちなみに、僕は、名前なんて名乗っていない。

「なぜ、僕の名前を?」
「そりゃあ、知ってるさ」

 大仰に、少しわざとらしいまでに大きく肩をすくめながら、加持さんは苦笑を浮かべていた。

「なにしろ、君は、俺の目の前で護衛対象をかっさらって行ったんだからな。 そんな相手のことを何も調べないで、ココに招待出来るほどには自信家じゃないんでね」
「え?」

 護衛対象? 僕が・・・アスカをさらった?

「まあ、巻き込まれただけに過ぎない君自身に、悪意や他意などがなかったのは俺も承知しているさ。 大方、アスカの悪戯か何かだと思ってはいたんだがね」
「あの・・・今、護衛って言いましたよね?」
「あ? ああ」
「護衛って、どういう意味ですか? さっきは、手続きの代行業者だって言ってませんでしたか?」

 手続きの代行業者。 それは、アスカが、この教会にやってくるために必要になる書類などの作成や申請といった細々とした手続きを代行する仕事を生業としているという意味だと思っていた。 でも、この部屋の空気というか・・・雰囲気は少しばかり異常だった。 それに加えて、さっきの護衛対象という言葉に、僕のことを調べていたということも。 胡散臭いにもの程があると思う。

「書類上の手続きから、現地に送り届ける道中の護衛まで、何でもやるのが俺の仕事なのさ」

 そう言って、タバコを口にくわえた加持さんは、視線を僕の横・・・壁にもたれて立ち尽くす青みがかった髪の女の子へと向けた。

「彼女も?」
「まあね」
「どういうことなんですか?」
「それは、これから説明するよ」

 そういうと、加持さんは、タバコに火を灯しながら、その事情というものを説明してくれた。

「俺が護衛を依頼された対象は二人いてね。 そのうちの一人は、見てのとおりソコにいる。 だが、もう一人を期日までに送り届けることが出来なければ、俺の仕事は失敗ということになるんだ」

 そういうと、加持さんは再び、僕の方へと視線を戻した。

「こう見えても業界内じゃ、トップクラスの成績を残してきていてね。 俺のキャリアを傷つけずに済ませるためにも、アスカの身柄を、こちらに渡してくれないか?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! なんで、僕なんかに・・・」

 そういったことは、まずアスカ本人に確認するべきなんじゃないの?

「君の口から、彼女にそう言ってもらうのが、一番面倒の起きない方法だからさ」
「だからって・・・そもそも、なんでアスカを貴方たちに引き渡さなくちゃいけないんですか?」

 僕には、加持さんたちがアスカの味方だという確信が、未だにもてていなかったから。 だから、そんな後先を考えないことを口走ってしまったのだと思う。

「そういえば、彼女の側の事情ってものを、まだ説明してなかったな」

 そう慌てふためいた僕に『何か飲むかい?』などと尋ねながら、加持さんはアスカの抱えている特殊な事情というものを少しだけ教えてくれた。

「君も薄々感じているだろうが、アスカは少しばかり特殊な事情のある子だ」
「はい、それはなんとなく分かります」

 あそこまで自分のことを秘密にしたがるくらいなんだから、きっと何か事情があるはずだと思っていた。

「シスターマユミ」
「あっ、は、はい」
「君は、彼に、例の写真を見せたか?」
「はい。 事情の説明をする際に・・・」
「そうか」

 そう僕の背後の山岸さんに確認を取った加持さんは、スーツの内ポケットから、同じ光景が撮影された写真を取り出した。 ただし、加持さんの取り出した写真の方は、山岸さんのもっていた写真を引き伸ばしたものであるらしく、少しばかりサイズが大きかった。 それに、少しピンボケ気味だった写真が、妙に綺麗にもなっていた。 もしかすると、コンピュータか何かで綺麗にしたものなのかも知れない。

「さてっと。 ・・・この写真を見て、何か気がつかないか?」

 そう言われて、改めて写真を見つめてみたのだけど、僕には特におかしな点は感じられなかった。

「とくになにも・・・」
「よく見るんだ。 この写真の背景にヒントはある」
「ヒント?」

 そういわれて、僕は、今度は被写体の二人ではなく、背景を・・・。

「・・・あっ」
「分かったようだな」

 この写真・・・よくよく見てみたら、少し変だった。 二人の背後に写っている町の住人達に、奇妙な共通点があったんだ。 男の人は例外なく髪が白くて、女の人は例外なく髪が赤い。 まあ、海外の景色のようだから、それも当たり前なのかもしれないのだけど、そんな偶然って、本当にあるのかな? それに・・・。

「なんで、月が・・・」

 これって、どう見ても昼間の写真なのに、なんで、こんなに綺麗に月が写っているのだろう? それに・・・月って、こんなに青くて、こんなに大きなものだったっけ?

「なんだろう? これって・・・ちょっと変、ですよね」
「ああ。 一見したところ地中海の沿岸の都市で撮影された、ごく普通の写真に見えるんだがな」

 加持さんは、ポケットからさらに写真を取り出した。 それは、写真の一部を引き伸ばしたらしい代物で、建物の特徴のある天井部分が拡大されていた。

「実のところ、建物の様式も少しばかり変わっているんだ。 調べてみたが、地中海沿岸都市はおろか、世界中のどこを探しても、こんな風変わりな様式の建物は存在しない。 それに、ココだ。 ・・・この建物の天井の上に見える棒状の何か・・・これが何か分かるかい?」

 屋根の向こう側に見える数本の棒。 それは、まるで・・・。

「・・・エントツか何かですか?」
「いや、帆船のマストだそうだ」

 僕の最初に思いつき、それはないと否定したことこそが事実であったらしい。

「どうやら、この写真をとった町は港町だったらしいな」

 でも・・・帆船? 今どき、そんな船なんて、本当にあるのかな?

「よくよく見てみると、おかしな箇所が無数にあったってことさ」

 真昼の空に浮かぶ、あまりに大きなサイズの月。 そして、奇妙な共通点をもった住人達に、なぜだか写っている帆船のマスト。 でも、本当におかしな点は、被写体であるアスカたちにこそあったのかも知れない。

「これは、以前にアスカ本人に確認したことなんだが・・・」

 そう前置きすると、加持さんは短くなったタバコを灰皿で揉み消しながら言葉を続けた。

「この写真が撮影されたのは、今からおおよそ10年くらい前のことなんだそうだ」
「・・・じゅうねん?」

 それじゃあ、この写真の人って、アスカのお母さんか誰かで、本人じゃないってこと?

「被写体は、本人だそうだがな」

 それを聞いて、僕はますます混乱していた。 これはアスカ? でも、10年って・・・。

「碇シンジ君。 一般人である君が困惑するのも無理は無いだろう。 だが、これもまた一つの現実なんだ」
「・・・そんな・・・」

 それじゃあ、まるでアスカが・・・この世界の外から来たってことに・・・。

『聖フランチェスカ様は『移民の保護者』と呼ばれていらっしゃるそうです』

 その時、不意に、山岸さんの言葉を思い出した。
この教会の名前・・・聖フランチェスカの異名が『移民の保護者』というものであったということに、僕は今更ながらに納得してしまっていた。 なぜ、アスカが自分の名前はアスカでしかないなどと言い続けていたのか。 なぜ、アスカは自分のことを・・・過去をなにも教えてくれなかったのか。 そして、なぜ、アスカを受け入れる先が、ココだったのか。 それらの情報の断片が、奇妙な整合性をもって、いま、一つにつながったような気がする。

「アスカは・・・何者なんですか?」

 僕は、どんな嘘でも良いから納得できるだけの説明をして欲しかった。

「分からない。 それを調べることは、俺の仕事じゃないからな」

 そう答える加持さんの携帯が鳴ったのは、ちょうど、そんなときのことだった。

「葛城、なにかあったのか? ・・・そうか。 わかった。 これから、ただちに現場に向かうから、一人では動くな。 良いな?」

 その苦り切った表情を見た僕は、なにか悪い知らせがあったのだと直感的に理解していた。

「なにか、あったんですね?」
「ああ。 どうやら、招かざる客が『向こう側』からやってきたらしい」

 そう答える加持さんがスーツの内ポケットに携帯電話を収める光景を何気なく見つめていた僕は、その左脇の部分に、奇妙なふくらみがあるのに気がついていた。 ・・・もしかして、銃を携帯しているのか?

「おそらくは、今頃、アスカも行動を起こしている頃だろう」
「部屋から・・・アスカが、出ていったってことですか?」
「おそらくはな」

 そう答えると、もう僕に用は無いとばかりに加持さんが写真を手に立ち上がった。 でも、僕は立ち上がる気力すらもなくしてしまったのか、その場から動けなくなってしまっていた。

「最後に、これだけは言っておくよ。 君が知っている『世界』というものは、氷山の一角に過ぎない。 今現在分かっている以上に・・・世界ってのは、とんでもなく広い代物なんだ。 君の知っていることなど・・・いや、人類の英知など、世界という名の完成されたシステムを前にしては、その欠片ですらも理解出来てはいないのだということを、そう遠くない未来に、人類は知ることが出来るかも知れないな。 ・・・それまでは、君も沈黙を守ることだ。 すべてに背を向け、彼ら『異邦人』に関することをすべて忘れてしまうことだけが、幸せになる唯一の方法なんだからな」

 そう言い残すと、加持さんは、壁にもたれて立っていた女の子へと声をかけて、この部屋から出て行こうとしていた。

「連中より先に、アスカと合流する。 行くぞ、レイ」
「・・・はい」

 そんな加持さんに、僕は、どうしても聞いておきたいことがあった。

「加持さん」
「なんだい?」
「その子も、アスカのように『外』から来たんですか?」

 そんな僕の含みのある質問に、そのレイと呼ばれた女の子は、短く答えた。

「ええ」
「どこから? 君たちの故郷は、どこにあるの?」
「・・・ここではない、何処か。 私たちは、そこから逃げてきたの。 だから、追われているの」
「・・・」
「聞きたいことは、それだけ?」
「・・・」
「そう。 さようなら」

 その答えに、僕は何も答えることが出来なかった。







 あっけにとられるとは、こういうことを言うのかもしれない。 あれから・・・アスカの抱えていた秘密の一端を聞くことになった日から、もう半年もの時間が過ぎようとしていた。 アスカは、あの日、僕の部屋からいなくなった。 部屋は、最後に見た光景のままだったけれど、そこにはアスカに関する品は何一つ残されていなかった。 急いで出て行った割には、何も忘れ物はなかったらしい。 それは、まるで・・・アスカなんて、最初から居なかったかのように。

『バイバイ。 またね』

 そう短く書き残されたメモだけを残して、アスカは、何処かに行ってしまっていた。

「山岸さんも、加持さんも・・・誰も、もう居ないのかも知れない」

 マナとは、結局、あれっきりだった。 アスカが居なくなったとはいえ、彼女に対する罪悪感が消えることのなかった僕には、結局、なにも出来なかったってことだよ。 そんな僕が、マナに新しい恋人が出来たと聞いたのは、ついこのあいだのことだった。 それを知らせてくれたのは、洞木さんだった。 元気出してと励まされたのだけど、正直、少し辛かった。

「あれは、夢・・・だったのかな?」

 僕は、いまだにアスカがそばに居てくれた時間のことが現実のものだと確信しきれていなかった。 なにやら夢のようで・・・だんだんと、寂しさが身にしみるっていうか。 ・・・一人で居ることがこれほど辛いことだとは、正直、知らなかった。 失ってみて、初めて分かるありがたみっていうのは、こういうことをいうのかも知れない。

 加持さんの携帯の番号は、もう使われていなかった。 あの教会から、山岸マユミって名前のシスターが居なくなったと知ったのは、それから数日後のことだった。 そして、僕は、今も彼女を待ち続けて居るのかも知れない。 ここで・・・この初めて出会うことになった場所で。

「・・・ノド、渇いたな」

 生暖かい車内の空気に、喉をやられてしまったのか。 僕は、つよい喉の渇きを感じて目の前のコンビニへと入っていった。 そこで500mlの清涼飲料水のペットボトルを数本購入して車内に戻ると、そのまま車をスタートさせた。 店員の人に、用がないのならいい加減、車を動かして欲しいと言われたためだ。

 ガサガサ。

 そんな僕のため息まじりに手を伸ばした先には、なぜかペットボトルはなく。 数本ペットボトルを入れていたはずのビニール袋すらも、そこにはなかった。 でも、ビニールが鳴る音だけは聞こえていたんだ。

「あっ、アタシ、こっち」
「・・・それじゃあ、私は、こっちをもらうわ」

 なぜだか、僕は懐かしい声を聞いていた。

「・・・また、勝手に乗り込んだね?」

 覗き込むバックミラーには、彼女たちの姿があった。

「ん? もしかして、飲みたかったの?」
「・・・これは駄目。 私は、もう78時間、水分を摂取してしないもの」
「・・・もしかして、二人とも無一文だとか?」

 その言葉に、アスカは平然とうなづきながらペットボトルを傾けていたし、それは、レイと呼ばれていた子も同じだった。 ・・・もしかして、今度は二人して転がり込むつもりなのだろうか?

「・・・ご飯を食べたいの」
「ちょっと、レイ。 アンタ、ずいずいしいわよ?」
「アナタには負けるわ」

 そんな彼女たちの声に、僕の頬は自然と笑みの形になっていた。

「レ、レイ。 アンタ、それよこしなさない。 シンジが泣いてるじゃない」
「・・・なぜ、泣いているの?」

 そんな彼女たちに、僕は、なんとか答えることが出来ていた。

「ゴ、ゴメン。 別に、ソレをとられたから泣いているわけじゃないし、悲しいわけじゃないんだ」

 でも、涙は止まらなかった。

「多分、うれしいんだと思う。 でも・・・ゴメン」
「・・・なんで、あやまるのよ?」
「こんなとき、どんな顔をしたらいいのか分からないんだ」

 そんな僕に、彼女は笑いながら答えてくれた。

「うれしいときには、笑えばいいのよ」

 そんな彼女の微笑が、写真で見た笑顔と同じであったことが、僕にはなぜだか嬉しくてたまらなかった。



<終わり>





 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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