ネルフ本部。 大深度地下施設。 通称、ヘブンズゲート。
使徒迎撃要塞都市・第三新東京市の地下に広がる巨大な空洞・ジオフロントの内部に広がるネルフ本部の広大な施設の中でも、最も最深度に位置するのは巨大な収容施設だった。 そこに通じる通路への入り口こそがヘブンズゲートと呼称される扉なのだ。 しかし、その奥にあるのは楽園などではなかった。

 巨大な十字架に槍で縫いとめられるのは、全長60メートルもの巨体を誇る白き巨人。 その名も第二使徒リリス。 そして、その巨人の胸・・・槍によって刺し貫かれた傷から無尽蔵に溢れ出し続け、地下に広大な湖を作り出しているのは、命のスープ・・・原初の海に最も近い成分を持つとされる、LCLと名づけられた液体だった。

 コポ。 コポコポ。

 その一部から、不定期に小さな気泡が湧き出していた。 原初の海の底に沈み、そこで眠りつづける存在が居たのだ。 そんな場所で眠るのは、見た感じまだ14〜5歳の少年だった。 そこに、巨人のみならず少年までもが収容、あるいは監禁されていることを知る者は、このネルフ本部においても、ごくわずかしか存在していなかった。 だからこそ、そんな場所を訪れることを許されているのは、ごく少数のスタッフだけだったのであろう。

「マヤ。 "彼女"の様子はどう?」

 そう端末越しに問い掛けられた女性の口元から見て取れる吐息の白さが、その施設の気温の低さを物語っていた。 センサーに表示される気温は、氷点下50度を下回っていた。 その寒さは、寒いという感覚をすでに通り越し、痛みとなって来訪者の肌に悲鳴をあげさせていた。

『リリスの母体、槍、共に変化ありません。 全て、想定範囲内です』

 通信ウィンドウの画面に写るのは、防寒服に身を包んだ一人の黒髪の女性の姿だった。 その答えの確認をとるべく片手で端末を操作しながら、いつもと同じように答えた愛弟子の言葉の内容に間違いが無いことを確認する。 それは、金髪に白衣というスタイルの女性だった。 自分の執務室の端末の前で、その金髪の女性、赤木リツコは軽く頷いて言葉を続けた。

「それじゃあ、"彼"の様子は?」
『収容時と比べても、特に様子に変化はありません。 胸部の損傷部に回復の傾向は見られませんし、S2反応も相変わらず極微弱なものですし・・・生命反応もほぼ0に近い数値のままです』

 多分、このまま目を覚まさないのではないか。
そう、いつもと同じ報告を繰り返す技術部のナンバー2、自らの愛弟子こと伊吹マヤに、リツコは軽くため息をつきながら答えた。

「早く目を覚ましてくれないかしらね?」
『なぜですか?』
「聞きたいことが、沢山あるのよ」

 ネルフ本部の地下で眠る少年は人間ではなかった。
人の姿をした天使・・・人類によって天使の名を与えられた生命体、使徒の一種だった。 しかし、そんな少年は、多くの同胞達とは異なる行動をとっていた。 使徒が人類最後の砦、このネルフ本部を攻略すべく、幾度となく侵攻してきていたというのに、その少年だけは本部の防衛を手伝うような行動に出ていたのだ。 その理由を知る者は、このネルフ本部においてすら誰一人として存在してはいない。 なぜ、使途なのに人類に味方したのか。 なぜ、使途なのにアダムとの合一を目指さなかったのか。 ほかにも、疑問は山ほどあったのである しかし、そんなリツコの意見を、マヤは真っ向から否定した。

『彼は危険です』
「・・・そうね」

 いくら人間の子供に擬態していようとも、その正体は、素手で全長数十メートルもの巨大生物兵器《使徒》を破壊できるような常識はずれの存在なのである。 そんな存在を、人類は同胞とは認めない。 そんな存在を、人間とはいわない。 化け物という言葉ですら生ぬるい。 まさに悪夢そのものの存在であろう。

「でも、それでも・・・私は、彼と話をしてみたいわ」
『あんな危険な生物とコミュニケーションをとることなんて、本当にできるんでしょうか?』
「少なくとも、意思の疎通は可能なはずよ?」
『しかし・・・。 彼のような危険な生物が目を覚まさないのは、私達にとっては、多分、好都合なことだと思うんですけど・・・』

 その言葉が今ひとつ歯切れが悪いのは、幾度となく手助けしてもらっているという負い目があるからであろう。 それに加えて、地下で眠り続ける少年の胸部に拳大の風穴が開いていることが哀れみを誘っていたのかも知れない。 かつての使徒戦役の中で、自分達の救世主だったのかも知れない存在が、こうして今では死にかけているのを見て、それでも笑っていられるほどには、マヤは非情な性格をしていはいなかったのだ。

『先輩。 本当に、意思の疎通が可能だと思いますか?』
「大丈夫よ。 彼とはきっと会話が成立するはずだから」
『・・・なんで、そんなことが分かるんですか?』
「彼、女の子と話をしているところを監視装置に記録されているの」

 そう答えるリツコの顔には、なぜだか微笑が浮かんでいた。






神話になった少年
作:雪乃丞






 その少年がはじめて記録上に現れたのは、おそらく第三使徒戦の最中のことだったのだと思う。 極微弱な・・・観測装置の観測ミス程度の数値。 空間の湾曲と歪みが・・・重力のわずかな変動が記録されている。 それが、少年の残した、はじめての足跡だった。

 第三使徒サキエル。
その15年ぶりに襲来した天使の名を持つ存在を前にして、ネルフ本部は壊滅寸前のダメージを受ける事になった。 零号機は未だ起動すら出来ておらず、初号機のパイロットは、未だ本部に到着すらしていない有様だった。 本来であれば、ここで何年も訓練をつんだ零号機専属パイロットを初号機に搭乗させるべきだったのかも知れない。 しかし、司令は、それとはまったく異なる方法を選んだ。

「サードを召喚する」

 サードチルドレン。 本来であるのなら、予備役として召集すら見送られる予定であった少年。 それは、司令の一人息子である碇シンジ君だった。 自分の息子を命がけの戦いに送り出すことを良しとする親などいるはずもない。 ・・・それは、あの人でも同じだったのかもしれない。

「葛城一尉から緊急の連絡が入っています」
「ミサトから?」

 シンジ君を迎えにいったはずのミサトから、シンジ君が荷物を駅に置いたまま姿を消したという連絡が入った時、私達の計画・・・使徒を相手に戦わなければならないはずの私達が、その裏で思い描いていた計画は、脆くも崩れ始めていたのかも知れない。 私は、戦自がN2地雷を使用するという情報を入手していたため、ミサトに、それ以上の捜索を打ち切り、大至急、本部に帰還するように指示することしかできなかった。

 戦略自衛隊の敗北。 そして、N2地雷の使用。
N2地雷の炎の中に飲み込まれ、その体を大きく傷つけられて自己修復に力を注ざるえない状況に追い込まれた使徒を相手に、私達は重傷で動くことすらままならない状態のパイロット一人という体制で臨まざる得なかった。 勝ち目など何処にも無いと、誰しもが思っていた。 しかし、司令の判断は、ある意味非情であり、無慈悲なものだった。

「レイを初号機に乗せて出撃させろ」
「司令! レイは重傷です!」
「分かっている。 だが、ヤツが自己修復と、それに伴う自己進化を終える前に勝負を挑まねば、私達に勝ち目などない。 ・・・それは、君自身が一番承知しているのではないか?」
「・・・くっ」
「葛城一尉。 戦自に協力を要請する。 レイの降下の寸前に、再度N2爆弾を投下。 短期決戦で一気に仕留めるのだ」
「・・・はい」

 ろくに機体を動かすことすら出来ないパイロット一人で、使徒に確実に勝つ方法。 それは、司令の独断という形で実行されることになった。

「赤木博士。 レイがサキエルのATフィールドを無効化した瞬間を狙って、戦自にN2を投下させる。 その際の誘導プログラムを大至急用意して欲しい」

 ミサトにすら知らされていなかった捨て身同然の戦法によって、サキエルは殲滅させられることとなった。 サキエルを盾にしてN2爆雷の衝撃を和らげるという捨て身の戦法が功を奏してか。 初号機は装甲の大半を失ったにも関わらず、それほど大きなダメージを受けずに済んでいた。 おそらくは、使徒が焼き尽くされた瞬間、自己防衛本能によるATフィールドを展開できていたのだと思う。 しかし、その衝撃は、重傷のパイロットが耐えられるような代物ではなかった。 ・・・零号機専属パイロットの死を代償として、私達はつかの間の時間の猶予を手に入れた。 そして、忌むべき再生の儀式。 ・・・私達は、きっと許されることはないだろう。 しかし、一度狂い始めた歯車が再び予想外の結果を生むことになることを、その時の私達は誰もが予想していなかった。

「赤木博士」
「・・・レイ、目が覚めたのね」

 地下の記憶転写装置によって、3つ目となるスペアボディーに記憶を移されたはずのレイは、なぜだかおかしなことを口走っていた。

「サードチルドレンが来ます」
「・・・サードが?」
「天使が再びこの地を訪れようとする時・・・彼もまた、この地に降り立つそうです」

 サードチルドレンの行方は、未だ誰にも分かっていなかったというのに・・・。 レイには、それが当然のことだと口にしている雰囲気があった。

「・・・何処から来るのかしら?」
「永遠の静寂が支配する赤い海のほとりから・・・彼は、もう一人の私に導かれて、やってきます」

 記憶の転写にミスが見つかったのは、その直後のことだった。 私は、躊躇することなく再度の記憶の転写を実行した。 ・・・LCLの満たされた装置の中で、記憶を二重に上書きされる苦痛からレイがもがき苦しんでいるのを見ても、私は、それを止めようとはしなかった。 ・・・出来なかったのだ。 もしかすると、神懸ったかのようなレイの様子に怯えていただけなのかも知れない。 その愚行によって、レイの謎の言葉の意味は、永遠に分からなくなってしまった。

 サードチルドレン。
サキエルの襲来の中で姿を消し、N2地雷の炎の中に消えていった少年。
・・・彼は、あの時に、死んだはずだった。

「こ、これは・・・」
「どうしたの?」
「山間部、第7シェルターの上空、高度約100メートル付近に、高エネルギー反応があります!」
「・・・凄まじい数値です! N2爆雷を超えるほどの高い数値が検出されています!」
「高エネルギー反応、収束していきます! ・・・狙いは・・・まさか、初号機か!?」

 それは、第四使徒戦の中でのことだった。
ようやく実戦配備されたパレットガンが何ら効果を上げられないままに、レイの乗る初号機は使徒のムチによって滅多打ちにされていた。 音速を超えるような攻撃が絶え間なく打ち込まれる猛攻を前に、レイは慣れない機体という悪条件もあってか、ただ立ち尽くすことしか出来ていなかった。 一度は劣勢のために収容し、装甲を交換して再度出撃するも、その劣勢を覆すことは出来そうにもなかった。 機体が破損したのなら修理すれば良い。 装甲が破壊されたのならば、交換すれば良い。 だけれども、フィードバックによるパイロットの負傷だけは、どうしようもなかった。 それこそ、奇跡でも起きない限り、私達に勝ち目など残されてはいなかったのだが。 ・・・その時、奇跡は起きた。

 カッ!

 戦場を駆け抜ける一本の閃光。 その閃光と共に砕け散ったのは、初号機ではなく使徒の方だった。 胸の中央・・・弱点であるコアを光線によって貫通され、打ち砕かれていた。 力を失って崩れ落ちてゆくシャムシエル。 それを成し遂げたのはレイでも私達でもなく。 ・・・正体不明の何者かの仕業だった。

「・・・碇、あれは何モノの仕業だ?」
「わからん」

 その奇跡は、その後も起き続けた。
レイ一人では余りに荷が重いということで、急遽くり上がったセカンドチルドレン・惣流アスカ=ラングレーと弐号機の輸送。 その最中に行われた使徒ガギエルとの遭遇戦。 それはアスカ自身の能力によって何とか撃退出来たのだが、その次に襲来した青いクリスタル状の使徒の繰り出してきた過電粒子砲による攻撃の前に、アスカと弐号機はあえなく敗北した。 その後、急遽作戦部によって立案されたヤシマ作戦によって私達は九死に一生を得ることになるのだが・・・。 おそらくは、その時からなのだろう。 私達の戦いの影で、彼の本格的な介入が始まったのは。

「・・・赤木博士」
「なに、レイ?」
「なぜ、使徒の砲撃は、私の機体に届かなかったのでしょうか?」

 それは、無傷の零号機がケージに盾を運び込んだ後のことだった。 零号機の前方に観測された謎のATフィールド。 それは、鉄壁の防御力を誇る空中要塞ラミエルのフィールドの5倍もの強度をもっていた。 その圧倒的な防御力の前に、ラミエルの過粒子砲は完全に遮られ、用意してあった盾は、端の方が僅かに溶けただけといった有様だった。

「あなたがやったわけではないのね?」
「私は・・・まだATフィールドを展開できません」

 そんなレイが、咄嗟のこととはいえ、あれほどのフィールドを展開できるはずがなかったのだ。 そして、それから数週間後に行われた使徒イスラフェルとの戦いの中でも、それに似た介入が行われていた。

「・・・なんでしょうか? これ?」
「槍、に見えるわね」

 醜く変色し、粉々に砕かれたイスラフェルのコア。 その破片の中から見つかったのは、二本の槍だった。 紫色をした・・・槍。 私の目には、それがロンギヌスの槍のコピーであることが見て取れていた。 それがコアを砕いたモノの正体だったのだ。 ヒョウタン状に変形し、おそらくは分裂しようとしていたのだろう、その瞬間を狙われたかのような光景だった。

「マヤ、もう一度、MAGIのレコーダーを調べてもらえないかしら?」
「何を調べたら良いんですか?」
「アスカが、この使徒を両断した瞬間から、エネルギー反応が消えるまでの観測値の変動を、出来るだけ詳細にグラフ化してみて」

 そこにあったのは、やはり予想通りの結果だった。

「弐号機によって両断された直後から、エネルギー反応が増大しています」
「ええ。 やっぱり、あの時には、まだ死んでいなかったのね」
「・・・問題は『その後』ですね」

 アスカがイスラフェルの死骸に背を向けて、ミサトとレイに向かって大見栄を切った直後くらいだろうか? なぜだか、エネルギー反応が激減している。 それに正体不明のエネルギー反応も。 おそらくは、この瞬間に分裂の始まっていたコアを、槍が貫通したのだろう。 ・・・私には、なぜだか、その光景が目の前に浮かび上がるかのようだった。

「・・・アスカちゃんには、このことは・・・」
「教えなくて良いわ」

 本部に移動してから早くも三体の使徒を仕留めたアスカは、名実ともに本部のエースパイロットだった。 そんな彼女の自信を失わせるような話を聞かせる必要や余裕など、何処にもなかったのだ。

「・・・本当に、何者の仕業なのかしらね」

 その介入は、その後にも行われることになった。
サンダルフォン捕獲作戦の中で致命的な失敗を犯し、マグマの中で燃え尽きようとしてた弐号機を救出したばかりか、マトリエルに至っては、戦自が状況を展開する前に始末してみせる有様だった。 そういえば、戦自の偵察機によって、沖合いに沈むビルの屋上で仲良くデートしている一組のカップルの姿が確認されていたのは、その頃のことだったような気がする。 ・・・サハクィエルはN2航空爆雷の爆発の中で不自然な死に方をしたし、襲来するはずだったイロウルはその陰すらも見せないままに消滅した。 いや、MAGIのレコーダーの中に、コンマ数ミリ秒という時間だけ、ATフィールドの反応が検知されていたが、所詮は、それだけだった。 レリエルの場合も、きっとそうなのだろうと思う。 最近EVAの出番がないと不満を口にしていたアスカが独断先行。 影のような体に飲み込まれようとしていた瞬間、恐ろしいレベルのATフィールドがレリエルのフィールドに干渉し、コアがこちらの世界に吐き出されることになった。

「どっせぇえいっ!」

 ばきっぃいぃん!

 アスカの弐号機が振るうグレイブによって、そのコアは両断され、レリエルは殲滅された。 ・・・アスカは、『使途なんて、全然弱いじゃないか』と前にも増して増長していたが、おそらくは9割がた何者かの介入の手柄であることは、観測データを閲覧できる技術部の面々には火を見るまでもなく明らかだった。 無論、それをアスカに教えることは硬く禁じられていたのだが。

「・・・松代の実験場で、暴走事故?」
「はい。 何者かが参号機を強奪しようとしていた様です」

 使徒バルディエルは、エヴァ参号機を乗っ取るという方法で侵攻してきた。 しかし、その内部からは何者かの生体反応が検出されていた。 ・・・深夜に実験場に乗り込み、自力でエントリープラグを挿入。 起動後に強奪しようとしていたのだが、そこを目覚めた使徒の手によって邪魔されたらしい。

「エヴァ? なんでエヴァが、こんなところに・・・」
「弐号機パイロット。 あれは使徒だ。 殲滅しろ」

 アスカには、エントリープラグの内部に人間が居ると思われるという事実が教えられることはなかった。

「とどめぇ!」

 その戦いの中で、アスカの弐号機は、まさに獅子奮迅の働きを見せていた。 最初の方こそ、奇抜な機動を見せる参号機に翻弄されていたのだが、なぜだか急に動きに精彩をなくした参号機の腕を引き千切り、足をへし折り、首の骨を砕いた。 そして、最後には、胴体を二つにへし折ってすら見せた。 エントリプラグごとへし折れだなと、誰も指示していないのに・・・普通なら、そこまではやれない。 全身を返り血で染めるほどの残虐性など、そうそう発揮できるような子供ではないのだ。

 おそらくは、彼女はあせりを感じていたのだと思う。 なにがあれほど、彼女を追い詰めていたのかは私には分からない。 けれども、彼女は聡明な子供だった。 だからこそ、彼女自身も薄々感づいていたのかも知れない。 自分の手柄は、自分だけの力によるものではないということに。 ・・・そんな中途半端な聡明さが、彼女の不幸の始まりだった。

「なぜ、参号機を、あそこまで破壊する必要があった?」
「使徒は油断のならない敵です」
「敵だから、二度と復活できないように止めをさしたということかね?」
「はい」

 私達の見立てでは、おそらく、参号機に乗っていたのは、正体不明の協力者だろうと思われた。 だからこそ、アスカに望まれていたのは、その機体の破壊だけで、エントリプラグごとコアを破壊しろだなどと、誰も指示していなかったし、そこまでやれとは言っていなかったのだ。 アスカは、明らかにやりすぎていた。

「アレには、人間が乗っていた可能性がある」
「・・・」
「君に黙っていたのは私達のミスだったが・・・それを聞いて、君はどう思う? 何を感じる?」

 その時、アスカが浮かべた表情は嘲笑だった。 ざまあみろ。 そう嘲笑っていたのだ。 そんなアスカは、その後の司令の追及も軽くかわして見せた。 最強の使徒ゼルエルの襲来を目前にした今、彼女を失うわけにはいかない。 そんな事情もあって、司令は、命令違反ギリギリの行為の目立つアスカを処罰することを、今回も見送らざる得なかった。 ・・・幸いなのは、回収されたエントリープラグの破片からは、血液反応すら出ていなかったことだろう。 多分、生きている。 それだけが不幸中の幸いだった。

「・・・何者なのだ? 何者が、私達の周囲をウロウロしている?」
「バルディエルは参号機の起動後に機体を乗っ取ったと推測されます」
「ATフィールドに反応して目を覚ましたのかもしれないな」
「おそらくは。 しかし、エヴァを起動させることが出来るのは適格者・・・チルドレンと、その候補者達だけです。 参号機のエントリープラグの中に残された頭髪から求まった候補の中で、もっとも確率が高いのは・・・司令のご子息、サードチルドレン・・・シンジ君です」

 多分、私達には分かっていたのだ。 いままで私達に手を貸してくれていたのが誰だったのかということが。 そして、それは、ゼルエルの襲来時にはっきりとした。 ついに・・・彼が、サードチルドレンとなる前に姿を消したシンジ君が、私達の見ている前で、その力を振るったのだ。 生身でATフィールドを操り、ゼルエルのコアを破壊するという悪夢のような光景と共に。 そんな混乱の中で幕を閉じた対ゼルエル戦の被害は、ほとんどゼロに近かった。 ゼルエルは街にたどり着く前、強羅絶対防衛線から数キロという地点で殲滅されてしまっていた。 ・・・私達に出来たことは、ただ見ていること。 それだけだった。

「・・・リツコ、あれは何だったの?」
「分からないわ」

 MAGIは、閃光と共に姿を見せて、わずか数秒という時間でゼルエルのコアを粉砕して見せた人間大の大きさの『何か』の正体を、約75%という確率でシンジ君だと返答していた。 しかし、それは特A級の最高機密として扱われることとなり、技術部や作戦部の主要メンバーはおろか、パイロット両名にすら伏せられることとなった。 無論・・・ミサトにもだ。

「・・・私、何なんだろ?」

 その後も彼の介入は続いた。 ・・・いや、彼の独壇場だったといっても良いだろう。 そんな彼の活躍のせいか、アスカが、自分のことを道化だと感じ始めたのは、成層圏でアラエルが消滅し、アルミサエルが突如として姿を見せたエヴァンゲリオン四号機と共に爆発して消滅した後でのことだった。 ここ最近、全くといって良いほどに弐号機の活躍がなかった。 最後に相手にしたのが、使徒に乗っ取られた参号機という有様だった。 それ以降の戦いでは、私達は傍観者に過ぎなかったのだろうと思う。 彼が・・・シンジ君が、全てを片付けてしまったために。 でも、そのお陰で、街の被害は最小限に抑えられてもいた。

「私、本当に、この街を守ったって言えるのかな?」

 あのアスカが、私に向かってグチを漏らしている。 それだけでも、珍しいことだった。

「それを決めるのは、あなた自身のはずよ?」
「・・・そうなの?」
「私がアナタのお陰だと言っても、それを納得できない限り、あなたは満足できないんじゃなくって?」
「・・・うん」
「でも、それでも言わせて頂戴。 ・・・ご苦労様、アスカ」

 あの時の私の気持ちに嘘や打算はなかったと思う。
可哀想な子供。 そう感じていたのは確かだったから。 だから、私は彼女を抱きしめていたのだと思う。 そんな私の腕の中で、アスカは泣いていた。 ・・・あの子が泣いているのを見るのは、それが初めてのことだった。 どうしようもなく、自分が情けなく思えた。 アスカは、あの時の自分の気持ちを、そう表現していた。 道化だと・・・自分が誰かの思惑通りに動く人形でしかないことに気が付いてしまったのかもしれない。 でも、それでも・・・彼女が勇気を振り絞って戦ったのは事実だった。

「アナタとレイのお陰で、私達は勝つことが出来たわ。 ・・・ありがとう」

 私達と、彼女達の戦いは、多分終わったのだと思う。
委員会から直接送り込まれてくるはずだったフォースチルドレン・渚カヲルの乗った専用機が、太平洋上で謎の爆発を起こし、その後、渚カヲルは消息不明となっていた。 司令は、それをもって戦いの終わりとした。

 たった一人の天使。 その存在を前に、司令は、ゼーレの老人達の計画の破綻を見てとったのだと思う。 そして、自らの計画も捨てざる得なかった。 なぜなら・・・私達の前には、あらゆる使徒を超える、たった一人の人間が立ち塞がっていたのだから。 最強の力天使、《神の腕》ゼルエルを生身で・・・しかも数秒という時間で攻略できるような存在を前にしてはエヴァですら歯が立たないだろう。 ゼーレは、そんな天使が守護しているこの街の攻略を諦めるしかなかったし、司令も自らの計画を破棄するしかなかったのかもしれない。







 それは、そんな野望の終わりを感じさせる夜のことだった。

「・・・シンジは、なぜ・・・」

 私と碇司令は、地下のリリスの前で、その光景を目撃することになった。

 ・・・ギュオォォン・・・。

 突如としてリリスの前方の空間が歪み、そこから一人の子供が落ちてきた。

 タッパーン!

 水しぶきをあげてLCLの中に沈んでいくのは、胸から血を流すシンジ君だった。

「動かないでくださいね」

 チャキ。

 そして、私達の背後に、誰かが、居た。
何かを・・・おそらくは銃か何かを持って。

「彼を、この時代に残します。 あなた方の暴走と、ゼーレの暴走の双方を食い止める抑止力として。 ・・・その役割上、彼は、この時代に必要とされることが決定しているんです。 だからこそ、こうして存在することを許されました。 ・・・もしも、あなた方が身勝手な行動をとれば・・・もっとも強大な力を持った使徒が再び目を覚まし、あなた方の前に立ち塞がることを忘れなく」

 そのどこか感情を押し殺しているような声は、若い女性のものだった。

「アナタは、どこの誰なの?」
「私は・・・彼の・・・友人です」

 なんとなく分かった。 戦自の偵察機が撮影したシンジ君らしき男の子と一緒に沖合いのビルの屋上に居た女の子・・・あの子なのだろうと、私は何の根拠も無いままに確信していた。

「・・・なぜ、こんなことを?」

 それと同時に、彼女がシンジ君をこんな目に合わせた張本人なのだということも理解出来ていた。

「アナタ達にとって、この戦いに、どんなメリットがあったのかしら?」
「何もありません。 ・・・でも、もう、彼を休ませてあげてください」

 彼女の涙声の裏にあったのは、底の見えない絶望と悲しみだった。

「私から言えることは、それだけです」

 私は、彼女のような声を知っている。 悲しい恋をした女特有の声だったから・・・。

「アナタに辛い役目を負わしてしまったようね」
「・・・彼が、望んだことですから」

 でも、結局、貴方達の想い通りにはいかなかったのね・・・。
私には、そんなことまでも理解出来ていた。 なぜなら・・・私と碇司令の関係が、それに似ていたから。

「名前、教えてもらえないかしら?」
「・・・風見ミドリ」

 その声を最後に、彼女は居なくなっていた。







 今もネルフ本部が存続しているのは、使徒を迎撃するためではない。 地下の彼を・・・最強の力を持って、人類に対する裏切り行為を断罪するために存在する天使、サードチルドレンを監視するために、今のネルフは存在していた。 地下から彼を逃がさないように、地下にあるリリスへの接触を防ぐために。 しかし、彼には湯一本触れることは出来ない。

「彼は、仮死状態にあります」

 胸の傷は、心臓を・・・コアをそれていた。 彼にとって、あの程度の怪我ではかすり傷程度でしかない。 目を覚ませば、おそらくは数秒とかからず修復されるだろう。 だが、どんな魔法をつかったのか、今の彼は限りなく生命活動を低下させていた。 それこそ、死んでいるかのように。

「彼に触れることが、おそらくは目覚めの条件だと思います」

 そして、風見ミドリと名乗った女性の言葉を信じるのなら、サードインパクトの儀式を行おうとしても、彼は目を覚ますことになるのだと思う。 下手をすると、リリスに触れることでも。 だからこそ、シンジ君は、あの場所に安置されることになったし、リリスを移動させることも出来ずにいた。 使徒である彼を、リリスの目の前に置いておくことがどれだけ危険なことかを承知しつつも、今の私達に出来ることは、せいぜい、それくらいだった。

「司令。 ・・・アダムは?」
「・・・わからん。 あの日、私の手の中から消えた」

 今、アダムは何処にあるのだろう? それはきっと・・・。

「サードチルドレンの命をつなぎ止めているのは、もしかするとアダムなのかも知れません」
「・・・最強の力をもったアダムか」
「決して触れてはいけない存在です」

 ゼーレから。 そして、ネルフからも。
彼は、永遠に守り続けるのだろう。 この街を、本部を。 ・・・そしてリリスを。 彼は、サードインパクトの番人となったのだ。 まさに人類の守護者、守護天使だった。







 使徒の迎撃という大役を果たし終えた都市が、その姿を通常の都市へと変えていくのにかかった時間は、ごく僅かなものだったのだが、それから数十年という時間を経て、その都市は使徒戦役の記念碑とされ、誰も住むことのない聖域へと姿を変えてゆくこととなった。

 その恐ろしく広大な敷地をもつ無人の公園を守るのは、地下に眠る15体の巨人だけだった。 完全に自動化され、今もなお稼動を続ける永久機関、S2機関搭載タイプのエヴァンゲリオン達。 その福音の名を与えられた人類最強の自動人形達。 その無慈悲にして強大な力が、地下から出てくるであろう何者かを抑えるためのものだということを知る者は、世界に数えるほどしか存在しないであろう。

 永久に稼動する巨人達の心。
15のATフィールドに守られた聖域。

 その際奥で、人類の守護天使は眠っている。
そのことを知るものは、もはや誰一人として存在していない。







 西暦5015年。
使徒戦役から3000年という年月が無事に経過したことを記念して、地球連邦政府は盛大に式典を開催していた。 これは、そんな式典が開かれている日のことである。

「お、おはようございますぅ〜!」

 その緑色の髪をした女性は、休日を返上してまで任務に赴こうとしていた。

「KAZAMI特務執行官。 準備はよろしいですか?」
「は、はいぃ!」
「ずいぶんと緊張してらっしゃるようですね?」
「はいぃ。 ・・・ううぅ・・・緊張しますですぅ〜」

 緊張するのも無理もないだろう。 その女性は、数千年という余りにも長大な時間を越える、初めてのケースを担当するということもあってか、緊張のあまり膝をがくがく震わせていたのだから。

「そんなに緊張しなくでも大丈夫ですよ」
「で、でもぉ〜。 今まで、こんなに長い時間をジャンプしたことなんてないんですよねぇ〜?」
「時空管理システムは、もう数千件の事例を経験しているんです。 滅多な事では事故なんて起きませんよ」
「・・・うううぅ〜・・・」

 そんな言葉を聞いても、未だに緊張の解けていないらしい女性に、オペレータの男性は苦笑混じりに言葉を続けた。

「まあ、なれないうちはちょっと気分が悪くなるかも知れませんけどね」
「お、脅かさないでくださいよぉ〜」
「すみません。 それじゃあ、最後に、もう一回だけ確認しときますね」

 ゆっくりと、オペレータは確認する。

「アナタが向かう先は、今から三千年ほど昔の時代・・・西暦2015年。 人類が未来をかけて戦った記念すべき年です。 その重要な時間帯に時間移動者による歴史の介入が行われています。 その介入によるバラフライ効果が今の時代にまで波及するまで、残された時間は約400時間です。 アナタは、その時間移動者に接触後、ただちに元の時間へ送り返してください」

 それは、始まりの時。

「りょ、りょーかいですぅ〜!」
「それじゃあ、いきますよ! 時空管理システム・クロノス=ゲート起動!」

 今、再び、彼と彼女の物語が始まろうとしていた。



 Fin.





 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
御意見、御感想、叱咤、なんでも結構ですので、メールや感想を下さると嬉しいです。





雪乃丞さんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system