Neon Genesis Evangelion SS.
ある夏の夜の話 write by 雪乃丞




 日本の夏の夜の風物詩。 それは・・・。

「ねぇー、シンジぃ?」
「なに?」

 そう夕食の準備をしていた男の子に声をかけたのは、赤みがかった金髪に青い瞳をもつ女の子だった。 男の子の名前は碇シンジ、女の子の名前は惣流アスカ・ラングレー。 訳合って、この家に同居している15歳の少年少女である。 無論、ふたりきりなはずはなく、そこには保護者役であるもうひとりの女性が住んでいるのだが、仕事が忙しいこともあってか、なかなか三人が一緒にいられるという時間はとれていなかった。

「カイダンってなに?」
「階段?」

 そんなことを、いきなり聞かれたからだろうか?
その問いに対する答えは、大きく的を外したものだった。

「上下のフロアの移動に使うのを、階段っていうんじゃないの?」
「そんなの当たり前じゃない。 アンタ、私を馬鹿にしてるわけぇ?」
「馬鹿になんてしてないよ」

 そう少し焦った声で答えたのは、へたな言い訳をするとホッペに紅葉が咲きかねないと分かっているからであろう。 そんな気弱なシンジの答えは、すこしだけ慎重なものだった。

「・・・でも、階段なんだよね?」
「そうよ? なんで、それくらいわかんないのよ?」
「いや、分かってるんだけど・・・」

 君の言ってることの意味が分からないんだけどね。 ・・・とは流石に言えないシンジである。 それが言えるのなら、こうして家事全般を押し付けられていることに対して文句の一つも言えるのであろうが。 そんなシンジの心の声など聞こえるはずもないアスカは、平然と話を続けていた。

「じゃあ、教えてよ」
「なにを?」
「カイダンって何なのって聞いてるでしょ?」
「え〜っと・・・階段だよね?」
「うん。 それで合ってるわよ?」
「じゃあ、その階段の何を聞きたいのさ?」
「だから、カイダンって何って、さっきからずっと聞いてるでしょーが!?」

 どうにも噛み合っていない。 それが互いに感じたことだったのかも知れない。 この段になると、流石のシンジにも、何かが大きく間違っていることに気がつかざる得なかったのかもしれない。

「・・・さっき答えなかった?」
「そのカイダンじゃないわよ!」
「じゃあ、どの階段なのさ?」
「カイダン! カイダンといったらカイダンなのよ!」

 もう、訳が分からない。 互いにとっても意味不明なやり取りと化してしまっていた。

「だぁ〜かぁ〜らぁ〜、どの階段なのさ!」
「そうじゃない! そのカイダンじゃないカイダンだって、さっきからずっと言ってるじゃない! なんで、それくらい分からないのよ、このバカシンジ!」

 まったく明後日の方向に言葉を投げ合っている二人に、なかなか同じ認識は揃わない。

「あっ」
「・・・なによ?」

 そう、ようやくシンジが思い至った時には、アスカの不機嫌という名の火山は爆発寸前だった。

「もしかして、怪談のことを言ってるのかな?」
「どのカイダンよ?」

 どうにも会話が合わない原因は、きっと言葉が悪かったのだろう。

「それって、怖い話のこと?」
「こわい話?」
「えーっと、幽霊とか、亡霊の話のこと。 つまり、怪談。 怖い話のほうの怪談なんだよね?」
「うぅ〜ん、たぶんソレかな?」
「それじゃあ、あらためて聞くけど、アスカは、なにを聞きたかったの?」
「なにって?」
「怖い話を聞かせろって言ってるの?」
「ううん」
「それじゃあ、なんで怖い話を怪談っていうのかってこと?」
「多分、そうかな?」

 すこしだけ首をかしげて。

「なんっていうか・・・なんで、怖い話をカイダンっていうの?」
「理由は知らないよ。 でも、読み方が、たまたまそれになっただけなんじゃないかな?」
「読み方・・・ねぇ」
「怖い話の怪談っていうのは、こう書くんだよ」

 そう苦笑を浮かべると、シンジは電話機の横にあったメモ用紙にスラスラと『怪談』の文字を書いた。

「フロアの移動につかう階段って、こう書くでしょ?」

 怪談、階段。 その二つの文字が並んだ。

「読み方が同じなのね」
「そうだね。 面倒だけど、こういった文字を使う以上は、同じ読み方になっちゃうんだよね」

 そんな説明で、この話は終わりだとシンジは思っていた。 しかし、それだけで終わってしまっては面白くも何ともなく、物語としても成立しない。 だからこそ・・・。

「それじゃあさ、今度は怖い話って聞かせてよ」
「怖い話?」
「うん。 アンタの知ってる一番怖い話を聞かせて。 そのかわり、アタシの知ってる一番怖い話も聞かせてあげるから。 ・・・ね?」

 そう、さきほどまでの不機嫌さなど欠片も無い声でアスカに頼まれたシンジには、うなづく以外の選択肢はなかった。







 怖い話を日の昇っている時間からしても風情というものがない。 そういった理由で、その場で話をするのを逃れたシンジではあったが、それは何も、時間帯が悪いという理由だけではなかったのであろう。

「はぁ・・・怖い話って言われてもなぁ」

 生まれてこのかた、幽霊など見たことはないし、そんな体験など一度も無い。 そんな自分には、霊感などないのだろうし、そもそもの問題として、シンジは、そういったことをまったくといっていいほどに信じていなかった。 だからこそ、そういった怖い体験などないし、その手の話に詳しいわけでもない。 つまりは、怪談のネタがなかったのである。

「う〜ん。 ・・・誰かに相談して、教えて貰うしかないのかなぁ」

 そうハァと、盛大にタメ息をつきながら。 ネルフ本部の実験場へと続く通路をプラグスーツ姿でトボトボ歩いていたシンジに、背後から声をかけてくる者が居た。

「・・・碇君?」

 そう『どうしたの?』とでも言うかのように声をかけてきたのは、青っぽい色をした白髪に深紅の瞳をもったアルビノの少女だった。 シンジやアスカの同僚であり、戦友でもある零号機専属パイロット。 その名を、綾波レイという。

「綾波。 ・・・ああ、そうだ」

 丁度良いタイミングで相談相手をみつけたシンジは、早速聞いてみることにした。

「・・・怖い話・・・亡霊、幽霊、アストラル体などと呼称される存在との遭遇体験、または、遭遇体験談などに関する報告の記憶。 ・・・その中で、感情に嫌悪感、または恐怖感を与えるもの。 あるいは、恐怖心をあおる効果があると思われるもの。 ・・・その条件に該当するものは・・・」

 シンジに相談をうけたレイは、生来の生真面目で不器用な性格のためか、ひどく真面目な顔で考え込んでしまっていた。 怪談のネタ(実体験ならなお良い)がないかと聞かれて、ここまで真面目に悩まれるとはシンジも思ってなかったのか。 それを見て、少しだけ慌てた様子を見せていた。

「そ、そんなに真面目に悩まなくても・・・」
「・・・ない」
「え?」
「幽霊や亡霊といったものを見たことは無いし、そういった話を聞いたこともないわ」
「・・・そう」

 過去、幽霊の出そうな場所に住んでいたレイなら、あるいは・・・と期待していた部分は、確かにあったのかも知れない。 だが、実際には無いと言われて安堵もしていたシンジだった。 ちなみに、昔は廃墟同然の幽霊団地に住んでいたレイであるが、今の住んでいる部屋は、シンジ達の家のあるマンションと同じフロアであり、そこに技術部ナンバー2の伊吹マヤと同居していたりする。 その理由は単純なもので、以前住んでいたマンション(廃墟同然)が、半年ほど前に取り壊しになったからである。

「でも・・・」
「え?」

 そんなレイは、すこしだけ言いにくそうな口調で話を続けていた。

「・・・多分、私は知っているのだと思う」
「なにを?」

 そう聞いたシンジに、レイはすこしだけ表情を歪めて答えた。

「・・・魂の存在」
「たましい?」

 その問いに小さく頷きながら。

「私は、自分に似た魂というものを・・・自分のものではない自分に似た魂の存在を、エヴァに感じたことがあるのだと思う。 ・・・でも、それはエヴァの機密に関わることだし、それを詳しく教えることは、第一級の機密守秘義務に反する行為になるから。 だから、これ以上は教えてあげられないの。 ・・・ごめんなさい」

 そう頭を下げられたシンジは、何も答えることが出来なかったのだが、その顔には引きつったような表情が浮かび、額に一筋の汗が伝っていたことだけは書き記しておこう。







 さて。 アスカと同じか、それ以上に親しい友人から何も聞けなかったシンジは、それでも誰かに聞くというもっとも手っ取り早く、確実っぽい方法を捨てることが出来ていなかった。

「それで、私のところにきたってことね♪」

 今週の晩ご飯に、ビール一本オマケするという条件で、シンジとアスカの保護者役である女性は、あっさり買収されていた。 ちなみに、そんな女性の名前は葛城ミサトといい、シンジの上司であり、家族といえる相手であり、家事全般がまったく駄目なのよ〜ん♪といった具合の、なかなかに頭の痛い女性である。

「怖い話ねぇ・・・そうだ、こんなのどう?」

 そういって話し出したミサトであったが。

「・・・てな訳で、その二人は、ひじょ〜に情熱的で、お熱い夜を過ごしたってわけ」
「・・・」

 相手が15歳の男の子ということを完全に無視したミサトの話は、行きずりの相手と一夜を共にするといったプレイボーイな男の話であり(参考までに書いておくと、その男の名前は加持リョウジといった名前ではなかった)、そのやたらと扇情的な表現が多用された内容は、シンジを赤面させながらも呆れさせるという偉業を成し遂げていた。

「・・・それのどこが怖い話なんです?」
「怖いのは、これからなのよん?」
「じゃあ、それを聞かせてくださいよ」
「OK。 それで、気を失うほどヤりまくった二人なんだけど・・・」
「・・・その表現、どうにかなりませんか?」
「まぁまぁ。そう堅いことは言いっこなしってことで」
「・・・まぁ、いいですけどね」
「シンちゃんだって、そういった話の方が良いんじゃないのぉ〜?」
「なんでです?」
「だって、アスカと二人きっりで怖い話するんでしょ?」
「・・・そうですけど」
「だったら、こういう話のほうがムードが出るっていうか・・・都合が良いでしょ?」
「なんで怖い話するのにムードつくらないといけないんですか?」
「あら、女の子と二人っきりになるんなら、ムードって大事だと思うわよ?」
「でも、それって怖いっていうか、単にいやらしいだけじゃないですか」
「だから、怖くなるのは、最後だけなのよ」
「・・・信じて良いんですよね?」
「もっちろん。 オネーさんを信じなさい」
「・・・」

 そんなやりとりに疲れたようなため息をつくシンジに、ミサトはムフフと笑いながら話を続けた。

「話、続けて良い?」
「・・・はい」
「まあ、そんな熱い夜を過ごした二人だったんだけど、翌朝になって男の人が目を覚ました時、ベッドの中には、相手の女の人の姿はなかったの。 先に目を覚まして帰っちゃったのね。 そのことを少しだけ残念に思いながら、その男の人はシャワーを浴びてたんだけど・・・」
「そのシャワーから赤い水が出てきたとか」
「ざんねぇ〜ん。 ハズレよ。 それに、こういった話の途中に、余計なチャチャ入れないの? いい?」
「すみません。 でも・・・それじゃあ、何が起きたんですか?」
「なにも」
「なにも?」
「とくにおかしな事は起きなかったわ」
「・・・」
「どこが怪談なんだって思ってるでしょ?」
「はい」
「どころがどっこい、話は、そこで急展開を見せるのよ」
「・・・」
「その男の人がお風呂から上がって、洗面所に歯を磨きに行ったとき・・・」

 少しだけ、タメを作って。

「そこのガラスには、こう書いてあったそうよ」

 ニヤッと笑うミサトの顔には、質の悪い笑みがあった。

「うぇるかむとぅ〜、エイズわぁ〜るど。 ・・・どう?」

 ・・・は?

「・・・なんです、それ?」
「え? もしかして・・・わかんないの?」
「・・・ぜんぜん意味が分からないんですけど」

 15歳のチルドレンと、ついに三十路を迎えてしまった自称オネー様。 そんな二人の間には、ジェネレーションギャップという名前の、黄河よりも幅広い隔たりがあったのだった。







 レイが駄目、ミサトも駄目。 そうなると、次はミサトの親友つながりということで、ネルフの頭脳たる赤木リツコ博士(31歳。未婚。ただし近々、結婚の予定あり)の出番と相成ったのだが。 ・・・そこでは、なぜだか門前払いを食らうことになった。

「なるほどな。 それで、俺のところに来たのか」

 そんな男臭い苦笑を浮かべる加持リョウジの手には、なぜだか金属製のジョウロが握られていた。 そんなものを持っているくらいなのだから、場所は加持の執務室などではなく、シンジと加持だけの秘密の場所であるスイカ畑だった。

「リツコさん、科学的に幽霊について語るような類の話ならしても良いけれど、そんなくだらないヨタ話にはつきあう暇はないって・・・」
「科学的じゃないって言うんだろ?」
「・・・多分」

 それほど忙しくなくなりつつある今の技術部で、トップだけが忙しいということはないのだろうから、きっと理由なり動機なりが気に入らなかったのだろうと、シンジは考えていた。 だが、理由はそれだけでもなかったのだ。

「それなら仕方ないな。 ・・・だが、俺の知る限り、彼女にも似たような体験があるはずなんだがな」
「そうなんですか?」
「少しばかり嫌な話なんで、それを話したくなかったんだろうな」

 リツコの知っている話というのは、実際に幽霊と出会ったという話ではなく、単純に薄気味が悪い話というだけであったり、少しだけ怖く感じたといった話であるので、シンジが求めているような超常現象といった話ではなかったのだ。 それは、たとえば、こんな話である。

 いつもなら活発に会話に参加するIRCのチャットのメンバーが、その日に限って急に黙り込んだ。 それを不思議に思い、その会議室に参加していた他のメンバーが「どうしたの?」と声をかけてみたのだが、それでも反応がない。 それを見たメンバーは、単純に寝落ち(パソコンの前で寝てしまう)かと思い、そのまま話を続けていたのだが・・・その日の最後の一人になっても、その人物は会議室から抜けなかったし、結局、翌日になって、他のメンバーが帰ってきても、そこに居たままだったし、その日もやっぱり黙り込んだままだった。 ・・・数日後になって分かったのだが、その人物は、パソコンの前で心臓発作などの原因で死亡していたのだ。

 ・・・まあ、こういった少しだけ薄気味悪い「死人の参加したチャット」などである。 そのほかにも、死んだはずの人物からメールが届いたなどといった、送信時間と到着時間のトリックによる死人からのメールなど、怪奇現象ではなく、あり得る可能性といった類の話なのだ。 だからこそ、それをシンジに話そうとはしなかったのだろう。 泰一、そういった話をきいても、MAGIはおろか、普通のパソコンに関する予備知識さえなかったシンジでは、それを感覚的に怖く感じるはずがないのだから、しても意味がなかったのだろう。

 ちなみにリツコの体験談というのは、MAGIの中に、発令所で投身自殺した母親の存在を感じ取った体験というものなのだが、それは内容が内容だけに、おいそれと他人に漏らせるはずがなく、それを加持が知っていたのは、単純にリツコと親しいからといった理由によるものだった。

「・・・まあ、良いさ。 それじゃあ、俺の知ってるとっておきの怪談をいくつか教えてあげよう」

 そういって、加持は気分と雰囲気を切り替えて、それなりに怖い話というものを話して聞かせた。

 曰く、ビルから落ちていく相手と偶然目が合ってしまい、それから毎年、その時間帯に、同じ体験を繰り返すことになる『女性』の話。 曰く、道をよぎろうとして車にはねられた人物の姿を見てから数年後、そこで全く同じ光景を目撃することになる『女性』の話。 または、噂の心霊スポットというものに出かけて行って、そこで身も凍るような体験をすることになった『女性達』の話。 そうかと思えば、勤務先の病院で色々と怖い体験をしているという『看護婦達』の話などなど。 加持の話術の妙もあってか、その話はどれも怖く、真に迫る内容だった。 ただ、その話には、本人も気がついていなかった問題が、一つだけあった。

「・・・どうだい? まだ必要か?」
「あの・・・」
「なんだい?」
「なんで、その話って・・・全部、女の人の体験談ばっかりなんですか?」

 そんなシンジの素朴な疑問に、加持は「分からないか?」と平然と答えたのだとか。 言い訳などせず、それを平然と認めたうえで、笑い飛ばして見せたのだろう。 加持リョウジとは、そういった男だった。 シンジは、そんな加持に苦笑を返すしかなかった。







 結局、怖そうな話とか、面白い体験談の話っていうのは何一つない。 シンジは、期待に胸を膨らませていたアスカに、そう答えるしかなかった。

「・・・というわけで、ミサトさん達に聞いてみても、これっていうような話はなかったんだ」

 実のところ、アスカの期待しているような日本の怪談特有の暗さや怖さ、気持ちの悪さをもった話はいくつか仕入れていたのだが、その仕入れ元である加持の私生活をアスカに垣間見せるのは、加持に盲目的な尊敬とあこがれを抱く相手には良くないことだろうと判断して、スイカ畑で聞いて来たいくつかの怖い話は封印されることになっていた。

「なぁ〜んだぁ、期待はずれも良いところね」
「・・・ごめん」
「まあ、いいけどね。 どうせ、最初から期待してなかったしさ」
「・・・うん」

 申し訳ないといった表情で、シンジは落ち込んでいた。

「ほら、そんなしみったれた顔しないの。 ただでさえ、日本って暑くてジメジメしてるんだから」
「・・・うん。 ゴメン」

 そんなこともあって、二人は結局、怖い話というものをしなかったのだが。

「ねえ、シンジ?」
「なに? アスカ?」

 なんとなく一緒にTVを見ていた二人は、期せずして怖い話というものをすることになっていた。

「あのとき、アタシの知ってる怖い話をするって約束したじゃない?」
「うん」

 シンジが知ってる怖い話を聞かせて貰う代わりに、自分も怖い話をする。 そういった約束を昼間していたことを忘れるほどには、シンジも抜けてはいなかった。

「聞きたい?」
「アスカが話したいのならね」
「なによ、それ」
「なにか、相談したいこととか、聞いて欲しい話があったんでしょ?」
「・・・分かってたの?」
「なんとなくだけどね」
「・・・伊達に二年近く一緒に住んでないってことか」
「かもね」

 そんな二人に顔に苦笑にも似た笑みが浮かんでいた。

「なんとなくさ・・・」
「うん」
「今、こうしてる私たちが、不自然に感じたことって・・・ない?」
「・・・どんな風に?」

 なんとなくといった風に、二人は言葉を交わしていた。

「たとえば・・・そうね。 ホントは、すっごく酷いことになっているのに、そんな現実を綺麗さっぱり忘れて、ずっと長い時間、幸せだった時間の思い出を繰り返し、繰り返し・・・。 ずっと、夢に見ているって感じがするの」

 クスリと小さく笑って。

「しかも、それが繰り返されてる時間の中のことだってことにも、誰も気がつけていないのよ」

 それは幸せなことなのだろうか? それとも戦慄すべきことなのだろうか?

「・・・怖いね」
「うん。 怖い。 でも・・・なんとなく、今を、そう感じることがあるのよね」
「それって、夢の話なの?」
「そっ。 ナイトメア・・・悪夢の話」

 背後のソファーに背をあずけて。

「今の、そこそこ平和で、なんとなく幸せに感じる・・・そんな現実が夢で、辛いだけでしかない現実を、ときどき悪夢って形で思い出しているのかも知れない。 ・・・そんな、だれにも優しくない、簡単で難しい・・・そんな、お話。 ・・・今、私たちがいるこの世界が、どこかの誰かが夢に見ている世界なのか、それとも本物の現実なのか。 それって、誰にも分からないのよね」

 片膝を抱えて。

「・・・怖いのよ」
「アスカ・・・」
「だって、信じられないじゃない。 私たち、ずっと命をかけて戦ってたのよ? それなのに急に・・・」
「なにが、そんなに怖いの?」
「・・・みんな生きてるの。 アタシもシンジも、ファーストも加持さんも・・・みんな・・・生きてるの」
「そんなの・・・当たり前・・・」
「違うのよ!」

 そうシンジの言葉を遮ったアスカは叫んでいた。

「なんで? なんで、こんなに平和なの?」
「・・・そんなに変なことかな?」
「こんなの変よ! ねえ、シンジ。 使徒は!? 前に私達が戦ったのって、いつなの!?」
「・・・だいぶ前。 去年かな? 去年の今頃だと思うけど?」

 最後に使徒と戦った日から、もう一年近くが経過しようとしていた。

「その前は!?」
「よく覚えていないけど・・・たしか二〜三週間くらい前だったかな? それくらいだったと思うけど? ・・・ところで、それが、どうかしたの?」
「そこよ! なんで、使徒が攻めてこないの!? なんで、誰も変に思わないのよ!?」
「・・・良いじゃない。 来ないなら来ないで。 平和で誰も死なないのが一番だよ」

 シンジは何でもないといった表情で答える。

「それに、僕が始めて戦った使徒は、15年ぶりに来たヤツだったそうだよ? だったら、今更、一年や二年間が開いたからって・・・」
「違うのよ!」

 泣きそうな顔をして、アスカは叫んでいた。

「なにがさ?」
「だって・・・アタシ・・・知ってるもん」
「なにを、知ってるの?」
「ほんとなら・・・もう来てなくちゃいけないのに、来ないの」
「・・・使徒?」
「うん」
「どうして、それが君に分かるの?」
「わからない。 でも、そう感じる。 ・・・夢では、そうなってたの」

 シンジの顔が、すこしだけ歪んだ。

「アタシの夢の中だと、アンタはシンクロ率でトップになってたし・・・」

 そんな言葉に、仕方ないといった声が答えた。

「その夢の中では、アスカは、僕や綾波に助けられたことでスランプに陥ってた?」
「・・・」
「自分の負けを認められないで、他人に心を開けなくなって?」
「・・・」
「エヴァともうまく付き合えなくなって、どん底のスランプの果てに、起動させる事すらも出来なくなって? その上、自我を崩壊させて寝たきりになって・・・あんな姿になった?」
「・・・」
「結局は・・・君の見た夢の通りになるしかないの? ほんとに、あんな風になって欲しかったの?」
「・・・嫌」

 ようやく答える声は、小さく震えていた。

「だったらこれで良いじゃない。 ・・・こういった夢みたいな時間が、現実だってことでも良いんじゃないかな? みんなが、そこそこ緊張していて、それでも笑っていられるのなら。 ・・・それが一番だと思ったんだよ」

 小さく微笑みを浮かべて、少年は自嘲を笑みに浮かべていた。

「シンジ?」
「なに?」

 問いかける言葉は短く。

「これって夢なの?」

 答える声も短い。

「悪夢さ」

 薄く笑って。

「とびっきりの悪夢。 ・・・凄く平和で、少しだけみんなが優しくなれて、いろんな幸せのカタチがあって・・・。 僕たちと大多数の人たちにとっては幸せで。 一部の自分勝手で傲慢な人たちにとってのみ・・・最悪の悪夢。 これが、僕たちの世界。 新しくて古い・・・現実の世界。 僕達の新世紀だよ」

 そんな神が作り出したのは、残酷で平和で。 誰もが少しだけ優しくて、みんが幸せになれるかも知れない。 そんな・・・夢のような現実。 永遠の・・・ナイトメア。

「今度こそ、幸せになってよ。 僕も、幸せになるからさ」

 微笑みをアナタと共に。

「これって・・・現実なの?」
「君が、そう信じていられる限りは・・・ね」

 永遠に続く・・・夢の世界へようこそ。



<おわり>





 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
御意見、御感想、叱咤、なんでも結構ですので、メールや感想を下さると嬉しいです。





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